I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「金融・経済」の記事一覧

選好と寄与

 最も単純なモデルは,次のように記述できる。何らかの母集団の統計値に個人は2通りの方法で関与する。第1は,その統計値について何らかの選好を持つこと。第2は,その統計値に何らかの寄与をすることである。ふつう,両者は別々のものである。つまり,中年であることと中年の人と仲よくなりたいかどうかは別問題だし,金持ちであることと金持ちと付き合いたいかどうかは別問題だ。とはいえ両者の間に相関関係が存在することもある。


 相関性が存在しないなら,選好が同じだという理由で集まった人たちは,母集団のサンプルにすぎない。この人たちには,その選好以外には集団を形成する理由が何もない。


 選好と寄与が負の相関関係にあるときは,回帰する傾向が見られる。つまり,ある集団の何らかの統計値が平均から乖離していずれかの極値に寄っているとき,この集団は,反対の極値に寄っている集団に合流する傾向を示し,後者も前者に合流する傾向を示す。たとえば,太った人は痩せた人と,痩せた人は太った人と一緒にいたい,というふうに。この場合,太った人と痩せた人を分離しようとしても,持続しない。


 選考と寄与に正の相関関係が成り立つ場合には,分離が発生しうる。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 215-216


椅子取りゲーム

 経済学では,所得と成長,通貨供給量と信用,インフレ,国際収支,資本市場,公的債務の分析にこうした「会計報告」の類いが欠かせない。これらの数字は(分析目的でデータを収集する人に比べると),実施に経済活動に従事している人にとっては,往々にして把握しにくい。


 この状況は,別々の部屋にたくさんの椅子が置かれて大勢のプレーヤーが繰り広げる椅子取りゲームに似ている。人々は個別に行動しており,気づかれないうちに椅子が取り除かれたり,新しいプレーヤーが加わって新たな椅子が追加されたりする。プレーヤーにわかっているのは,すばやくやらないと,音楽が止まったときに坐る椅子がなくて退場させられてしまうことだけだ。だから誰もがせかせかし,のろくさい人がいると苛立つ。椅子の数が人の数より少ないことがつねに頭から離れないからだ。いかにうまくやろうと,音楽が止まったときに必ず何人かは椅子なしになること,どれほど俊敏でも,椅子なしになる人数は変わらないこともわかっている。椅子なしの人を退場させたとき,椅子を減らすのではなく退場者と同数のプレーヤーを加えていけば,退場までにプレーする平均回数を計算することができる。椅子取りが非常にうまくて最後まで退場させられないプレーヤーがいようと,初回で姿を消すプレーヤーがいようと関係なく,平均は数学的に求められる。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 49-50


個別からの一般化

 社会科学の中でも経済学は,このように個別の例からの一般化が重要な役割を果たす。それは経済学が,価値が等しいものの交換を主に扱うことと関係がある。私が自転車を買うとしよう。私は自転車を手に入れて150ドルがなくなる。自転車屋は自転車がなくなって150ドルを手に入れる。自転車屋の主人は,そのうち90ドルを次の自転車の仕入れに,40ドルを家賃,給料,電気代などに充てる。そして20ドルが利益として自転車屋のものになる。仕入れに支払われた90ドルは,さらに部品,組立工場の賃金,賃貸料,電気代などに充てられ,電気代は燃料,人件費,発電所建設に伴う借入金の金利,配当,税金などに充てられる。こんな具合に他の項目についても内訳を調べることが可能だ。こうしてすべての項目を調べ上げて会計報告をしようとすると,私が自転車に支払った150ドルから生じる利益(所得税・利益課税・社会保障給与税を含む)を150ドルになるまで足さなければならないことがわかる。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 48-49


重なり合い連動する

 情報ネットワーク,人種の分離,結婚,言語の発達などは,往々にして重なり合い,互いに連動する。小売店やタクシー会社やモーテルの従業員を見ると,均質であることが多い。アイルランド人であれ,イタリア人,キューバ人,プエルトリコ人であれ,あるいは白人または黒人であれ,プロテスタントまたはカトリックであれ,均質であるということは,何らかの目的や設計の存在を示唆する。だが決定因は情報ネットワークである可能性が高い。空きポストに採用されるのは,空きポストが出たことを知っている人だ。空きポストが出たことは,その会社で働いている知人から教えてもらった。その人と知り合ったのは,同じ学校出身だから,近所に住んでいるから,家族を介して,教会あるいはクラブが同じだから,といった具合である。しかも以前から社員による推薦は,新規採用者が望みうる最善の保証に近い。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 40


クリスマスカードの市場

 クリスマスカードの「自由市場」がなぜ最適の交換に行き着かないのかを疑問に思うなら,答はこうだ。市場ではないのだから,最適な結果を期待する理由がそもそもないのである。自由市場がうまく機能しているとすれば,それは,売買可能な商品を,情報が入手可能な状況で,自由意志に基づいて取引しているという特殊なケースである。天体にしても,ごく特殊な惑星に限れば円軌道を描いている。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 31


最強の社会科学

 経済モデルは人間の行動に関する誤った認識に基づいてつくられているが,皮肉にも,そうしたモデルがあるおかげで,経済学は最強の社会科学とされている。経済学が最強と言われる理由は2つある。1つ目の理由に議論の余地はない。公共政策への提言においては,経済学者はどの社会科学者よりも強い影響力を持っているからだ。なるほど政策提言は経済学者の独壇場だと言っていい。ごく最近まで,他の社会科学者が政策について議論する場に呼ばれることはめったになく,たとえ呼ばれたところで,親族が集まる場で子どもの席に座らされるような扱いを受けた。


 もう1つの理由は,経済学は知性の面でも最強の社会科学だと考えられているからである。経済学には核となる統一理論があり,それ以外のほとんどすべてのことがその理論から導かれる。それが最強とされるゆえんだ。あなたが「経済理論」という言葉を使うと,それが何を意味するのか,周りの人にはわかる。そのような土台を持っている社会科学は他にない。他の社会科学の場合はむしろ,理論の目的が特定の分野に限られる傾向がある。特定の環境下で何が起こるかを説明するためのものだ。実際,経済学者はよく,経済学を物理学になぞらえる。物理学と同じように,経済学ではいくつかの核となる前提が設定され,その前提の下で理論が展開されている。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.22-23


権力の分散

権力が分散され,より適切なバランスになれば,善きにつけ悪しきにつけ1人の人間が途方もないことを1人で決めるような事態は減るはずだ。しかしこのアプローチがこれまでほとんど無視されてきた一方で,よきリーダーを求める声がますます強まっているのは興味深い。だが望むだけでは職場は改善されず,リーダーのクオリティも向上しない。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.255

セルフサービングバイアス

ある調査によれば,経営者というものは,高業績は自分の実力だと自画自賛し,業績不振は自分ではどうにもならない外部要因や前任者やマクロ経済環境のせいにするという。なかには,現場の営業に責任を転嫁する経営者もいる。うちの会社は人件費が高すぎるから,人間が多すぎるから競争力がないのだと言う経営者は,現場で実際に仕事をしている社員のコストを削ることしか考えていないらしい。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.228-229

心理的麻痺

人びとが動物の扱いについてどう思っているか本当に知りたいなら,カネの動きを見ればいい。アメリカ人は動物保護団体に対し,年間20億ドルから30億ドルを寄付している。すさまじい金額だと思うだろう?でも,動物を殺すのにかけている金額と比べたら”雀の涙”だ。食肉に1670億ドル,ハンティング用品や機材,旅費に250億ドル,害獣駆除に90億ドル,毛皮衣料に16億ドル,計2026億ドル也。もちろん,自分が知りもしない人間以外の生きものの福祉を拡充しようという動物保護団体に寄付する金額よりは,自分のペットの幸福や健康のために投じる金額のほうがはるかに多い。このことは人間性の根底を流れるいくつかの原理にぴたりと重なる。ひとつは,すっかり定着した進化の法則,すなわち「家族優先」だ。ペットはいまや多くの家庭において家族の一員と考えられているのだ。
 もうひとつは,オレゴン大学の認知心理学者ポール・スロヴィックが「心理的麻痺」と呼んでいる現象だ。つまり,悲劇が大きければ大きいほど,人びとはよりその悲劇を気にかけなくなるようなのだ。たとえば,病気の子どもひとりを救うために寄付してもいいと人びとが考える金額は,病気の子ども8人のグループを救うために寄付していいと考える金額の二倍だと言われる。もっとたくさんの人が苦しんでいるとなると,人間の無関心はさらに拡大する。『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト,ニコラス・クリストフが指摘したように,五番街にあるリッチな分譲マンションに巣くった一羽のアカオノスリ(=赤茶けた尾羽を持つ北米産のタカの仲間)が追い払われそうになったとき,ニューヨーク市民の怒りはそれこそ怒髪天を衝くがごときだったのに,スーダンで故郷を追われた200万人の窮状についてはほとんど怒りの声をあげることもなかったおいう事実は,この心理的麻痺の考え方を使って説明できる。スロヴィックは,圧倒的な人数を前に人間が無関心になる現象を「共感の崩壊」と呼んでいる。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.316-317

組織内習慣

この2人の著者は10年以上かけて,企業がどう機能しているかを研究し,膨大なデータの沼地をじわじわと進みながら,主として次のような結論に達した。彼らの本によると「企業の行為の多くは決断という木の先にある小枝をじっくり観察した結果ではなく,概してその企業の過去に由来する全般的な習慣と戦略的対応の反映だと理解される」という。
 これを理論経済学には縁のない人間にもわかりやすい言い方をすると「大半の企業が慎重な意思決定にもとづいて合理的な選択をしているように見えるかもしれないが,実際はそうではない」ということだ。むしろ,企業は長年続いてきた組織内習慣によって導かれている。数千人の従業員それぞれの決定から生まれたパターンだ。そしてこの習慣の影響力がどれほど大きいか,それまで誰も理解していなかった。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.225-226

ストックとフロー

経済学に「ストック」と「フロー」という考え方がある。人口の動向に関していえば,ストックとは自然増減に関すること,フローとは社会増減に関することと言い換えることができるだろう。これに照らすと,少子化とは「ストック」の問題である。
 ストックをこれ以上減らさないために少子化の流れを変えないと,日本の未来が危ういということに異論はない。しかし,この難題に一地方公共団体が対応できる範囲には限界がある。その一方で,魅力あるまちづくりを通じ,社会増を生み出すというフローへの対応は,どこだろうと努力次第で成果をあげることができる。
 少子化のような問題は,国家施策としてのストックの課題への対応と,地方施策としてのフローの課題への対応が両立したとき,はじめてバランスのとれた答えを導き出すことができる。逆に,これらの課題を混同したり,取り違えたりしてしまうと,思わぬ落とし穴にはまり込んでしまう。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.35-36

話題になった時点で終わり

銀行が販売する投資信託における問題点は,このようにリスクを誤認しやすいという点以外にもある。それはタイミングの問題だ。銀行に限らず,誰かが大々的に勧める投資商品は,すでにピークを過ぎたものであることが多いというのは,市場における原則の1つである。マスコミで取り上げられる投資ネタも基本的にそうだ。マスコミの社内で「このテーマはいける!」と判断されるものは,もうすでに市場ではとっくに評価されて,価格に織り込まれているはずのものだ。昔から,「マスコミで取り上げられたら,そのテーマは終わり」というのがプロの間で相場のタイミングを判断する際にしばしば用いられる判断基準の1つである。だから,これも銀行固有の問題というわけではないのだが,安全と信用を売りにする銀行だからこそ,この問題は典型的に現れる。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.250-251

事前にはわからない

リーマンショック後,現在に至るまで,「市場は全てを解決する」派の分は悪くなり,「市場には任せておけない」派が勢いを得ている。しかし,これは歴史上何度も繰り返されてきたことだ。金融危機など市場が大きな失敗をするたびに規制の強化が図られる。しかし,時間がたって危機が忘れられるようになると再び「市場は全てを解決する」派が力を得ていく。それが歴史の常なのである。
 なぜそのような揺り戻しが起きるかと言えば,全ての問題を永続的に解決する規制など存在しないからだ。いいか悪いかは別として,人は規制を逃れるために知恵を絞る生き物だ。やがて,規制は形骸化し,その効果は失われていく。さらに,規制は思いもよらない副作用を生むことがある。市場で何が起きるかを正確に予測できないのと同じように,複雑な現実世界では規制がどのような効果をもたらすかも事前にはわからないのである。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.222-223

予言の自己成就

市場には,予言の自己成就と呼ばれる現象がある。経営状態の悪い企業の株価が売られ,それが企業を追い詰めて,市場の予言通りにその企業は破たんを迎える。しかし,その企業が破たんした直接の原因は株価が下落したことだ。こうして市場の予言は,自己実現する。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.157

パニック・フィードバックループ

市場の暴落は,理屈で割り切れる世界ではない。見る見るうちに自社の損失が膨らんでいく自体を目の当たりにしてパニックに陥り,恐怖に支配されるのだ。そしてパニックに陥った投資家の投げ売りがさらなる価格下落を招き,そしてその価格下落がパニックをさらに助長する。価格下落とパニックは,お互いがお互いを強めあう強いフィードバックループを形成し,ひとりでに大きくなっていくのである。
 類似した行動パターンを持つ特定の投資家群が1つの市場で大きなシェアを占めているとき,そのパニックと暴落はとりわけ大きなものとなる。みなが同じ行動をとろうとし,反対の行動をとろうとする投資家が現れにくいので,いったんパニックが広まるととめどのない暴落につながりやすいからだ。国内の金融機関が支え合う形で保たれている日本の国債市場の安定性は,何らかのきっかけで暴落が起きたときのインパクトの大きさの裏返しとなっているのである。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.145-146

円買いの理由

結局のところ,キャリートレード主犯説も,わかりやすいように現実をデフォルメした説明に過ぎない。本当は,「低金利通貨である円を売っている投資家が多いだろうから,何かが起きると円が買い戻される」という『期待』に基づいて投資家が行うパターン化された反射的行動の結果として,「リスクオフによる円高」が引き起こされる。それが「円=安全通貨」説で説明されるようになった理由として,ある古い固定観念の存在があると考えられる。
 それは「有事のドル買い」だ。かつて,世界で何かが起きるとドルが反射的に買われた。それが「有事のドル買い」である。この現象は,リスクが高まったときに,世界の基軸通貨であり,世界で最も安全な通貨であるドルに買いが集まると説明されてきた。現在では,この有事のドル買いは見られず,有事の円買いにとってかわられている。この連想で,「ドルはもはや世界で最も安全な通貨ではない。有事に買われる円こそが世界の安全通貨である」という発想につながったのではないかと思う。
 だが,もともと「有事のドル買い」が,ドル=安全通貨だったから起きたという解釈が間違いだ。戦後しばらくの間,米国は世界に対する最大にして圧倒的な存在感を誇る資本提供者だった。グローバルな金融取引が今ほど自由にできず,現地通貨を直接調達することに何かしらの制限があった当時,米国の投資家の多くは,手持ちのドルを売ることで他の通貨を手に入れ,それを投資の原資にしていたはずだ。だから世界でリスクが高まると,投資資金は回収され,元のドルに戻されることになる。つまり,有事のドル買いは,世界に投資する原資がドルだったから起きたのだと考えられる。
 グローバルな金融取引が活発に行われている現在では,長らく主要国で最も金利が低い通貨であった円を売ることで,その低い金利で資金調達をしているのと同じ効果を得ることができる。つまり,円を元手に世界に投資をしているのと同じ状態を作り出すことができるのだ。だから,何かが起きると,元手となっている円が買われる。そして,それがパターン化された行動となって自動的に繰り返されるようになっていく。それが「有事の円買い」の正体である。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.114-115

後付け

チャート分析は過去の値動きだけから将来を予測する。今まで見てきたように,ランダム性であれカオス性であれ,市場に予測不能な性質が備わっているのだとすれば,結局,どんなチャート分析も当たったり,外れたりするはずだ。だが,後から見るといかにも有効そうに見える。
 私がまだ銀行のトレーダーになりたてのころ,テクニカル分析のテキストを買って一生懸命勉強していたときに,ある先輩から次のように言われたことがある。「テクニカル分析にはさまざまなものがあるが,結局どれも生き残らない。唯一生き残っているのはエリオットウェーブだけだ。なぜエリオットウェーブが生き残っているかというと,後で何とでも説明できるからだ」と。エリオットウェーブが今も唯一生き残っているかどうかはともかく,基本はそのとおりだ。誰にでも明確で答えが出せるような単純明快なチャート分析で,明らかに有効そうなものは残念ながら存在しない。有効そうに見えるものは,エリオットウェーブのように解釈の余地があるものだ。後付けで見ると,当てはまっているように説明することができるのである。しかし,それはあくまでも後からみたときにだけそう見えるのであって,まだ確定していない本当の将来が予測できるということにはならない。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.79-80

複雑系

ここまで見てきたことから言えるように,金融は,物理法則によって予測が可能な天体の動きのようなものとは違う。むしろ,台風や竜巻に近い。複雑系と呼ばれるそれらの現象は,わずかな変動(ゆらぎ)がフィードバックループにより増幅され,思わぬ大変動へとつながって形成される。そのメカニズムは大体においてわかっているし,コンピュータ上でシミュレーションすることもできるが,いつ,どこで,どのような台風や竜巻が起きるかは正確に予測できない。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.37-38

ランダムへの誤解

ここには,ランダムという事象に対する大きな誤解が背景に横たわっている。ランダムというとたいていの人は,バラバラでとりとめもなく,際立った結果が生まれることのない平凡な世界を想像する。しかし,ランダムな仮想世界では,際立った成績を残すカリスマが現れ,劇的なドラマが起きる。もっとはっきりというならば,ランダムな世界で起きることは現実世界で起きることとほとんど区別がつかないのである。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.24-25

100分の1のサル

効率的市場仮説で想定される正規分布を前提に考えると,年率46.5%を超える素晴らしいパフォーマンスを残すファンドマネージャーはほぼ100人に1人現れる。重要なのは,これは単に確率の問題で,ファンドマネージャーの資質は関係ないということだ。つまり,ダーツ投げのうまい猿を100匹用意すれば,そのうちの1匹は素晴らしい成績を収めることになる。もしサルに人と意思疎通できる術があるとしたら,そのサルは「自分は相場を予測することができる。効率的市場仮説はたわごとに過ぎない。相場を予測することができる自分がその証拠だ」と主張するに違いない。100分の1のサルは,自分が成功した投資手法(ダーツの投げ方)を得々と語り,その片言隻句を聞こうとセミナーには人だかりがするだろう。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.24

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