I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

優生学への誤解

ところで,優生学に対する最大の誤解は,優生学は,極右の学問であるというものである。歴史の現実はこれとは逆で,本書でもしばしばふれるように,この時代,多くの社会主義者や自由主義者が,優生学は社会改革に合理的基盤を与えてくれるものと期待した。イギリスでは,フェビアン協会のウェッブ夫妻や,H.G.ウェルズ,青年時代のラスキ,経済学者J.ケインズなどがいた。新生ソ連にとって科学主義的な優生学は親和性のあるものであり,20年代には強力な優生運動があった。メンデル主義的な優生学は支配階級に奉仕し,帝国主義的拡大を正当化するブルジョワ科学であるとする,よく知られたかたちの批判が現れるのは,20年代末になってのことである。
 1920年秋,モスクワに,生物学者,医師などの専門家からなるモスクワ優生学会が,翌21年,ペトログラードにロシア科学アカデミー優生学局が設けられた。これらの組織の研究者たちは,アンケート調査による家系データの収集,疾病の遺伝の研究,優生学の啓蒙などに従事した。その中心はメンデル派の優生学者たちであったが,これに対して,25年にはラマルク主義的な優生学の提唱者たちから非難の声があがった。彼らは,獲得形質の遺伝を否定するメンデル主義的優生学がマルクス主義と相容れないとし,ラマルク主義の立場から環境改善による人類の遺伝的改良を主張したのである。その後スターリン主義の発動によって,30年にはロシア優生学会は解散させられ,メンデル主義的優生学を推進していた有力学者の一部は,ブルジョワ専門家とみなされ教職を解任された。こうしてメンデル主義とほぼ同一視されていた「優生学」という言葉はソ連では完全に失墜し,さらに30年代末以降ルイセンコ理論の席巻によりメンデル主義遺伝学は大打撃を受けた。30年代のソ連とドイツでは,まったく正反対の遺伝理論が,強力な政治的圧力の下で浸透していったのである。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 29-30

人体測定学

この時代の実証主義は,人類学の一領域として,人体測定学(anthropometry)と呼ばれる新しい型の研究をうながした。
 19世紀後半は,ヨーロッパの研究者が自国植民地のさまざまな人種の身体を次々と測定してまわった時代であった。広義の人類学は,国民国家成立による徴兵制実施に伴う身体検査,植民地再分配後の「原住民調査」,義務教育の実施に伴う学校保健など,歴史的要求に応えるかたちでデータを収集し,これを整備することで近代科学としての体裁を急速に整えていった。
 そのなかで一群の人類学者が注目したのは,毛髪,皮膚の色,気性とならんで頭蓋容量(脳の大きさ)と,ほぼこれを併行関係にある顔面角であった。『種の起源』の出版以前にもすでに,顔面角を比較して,黒人は白人よりオランウータンに近いと論じる人類学者がいたが,ダーウィン以降になると,顔面角の立ち上がりが進化の基準であるとする考えが当然のものと受けとられ,それぞれの人種の知能発達の程度を示す科学的根拠とみなされるようになった。それは「新しい骨相学」とも呼ばれた。そしてこのような頭蓋容量に着目して人種間の優劣を「科学的に実証」しようという態度は,後のナチスの思考様式のなかに流れ込んでいく。ナチス親衛隊長官ヒムラーは,膨大なユダヤ人の頭蓋を集めさせ,是が非でもその劣等性を確認しようとしたのである。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 21-22

ゴルトンとピアソン

第2は,ゴルトンらの研究である。ゴルトンは,遺伝形質の次世代の出現は統計学的な分布法則に従う,と信じた。そのため彼は,人間についても生物と同様に大量の測定を敢行し,厳格な統計学的処理を行った。彼は,人間の身長や胸囲が正規分布を示すことを確認して強い印象を受け,人間の精神能力もこのような分布を示すだろうと考えた。彼のイギリス経験論的な学風はK・ピアソンに受け継がれ,数学的に洗練されていった。ピアソンは1907年に「確率——優生学の基礎」という講演を行ったが,聴衆の反応は鈍かった。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 19

自然科学の地位

このように,19世紀後半から20世紀前半にかけて,西欧の価値体系のなかで自然科学は非常に高い地位にのぼりつめた。これこそ,社会ダーウィニズムが大流行した根本原因である。そのなかで優生学は,進化論と遺伝の原理を人間にも応用しようとする立場にあった。優生学は,新興の自然科学によって人間みずからがその自然的運命を改良しようとしたものであり,見方を変えれば,キリスト教的救済史観の世俗化でもあった。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 16-17

「遺伝子が決める」

しかし,一方で遺伝子が働く仕組みは想像以上に複雑で,環境や条件に大きく左右されることがわかってきた。これがもう1つの流れである。とくにここ数年間は,DNAの塩基配列に変化がなくても遺伝子の働きが活性化あるいは不活性化される「エピジェネティクス」という仕組みが脚光を浴びている。これらは総じて「遺伝子が決める」といった極端な遺伝子決定論に対するアンチテーゼとして語られることもある。大事なのは,遺伝子が「ある」か「ない」かではなく,どのような条件のもとで働くかだ——そうした視点で考えてみると,一人ひとりが生まれつき持っている遺伝素因より,生まれた後でいかに制御するかが重要ということになる。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.9

自発的行為

なぜ科学は,依存症という現象をとらえるのに,これほど苦労しているのだろう。それは,端的に言うと,他の動物の脳とは違って,ヒトの脳は,自らの身体に命令を下し,ほぼ無数の自発的な(そのため予測不能な)行動をとらせるからだ。病気モデルの擁護者,そして巨大な医療関連産業の思い込みに反し,依存的行動とは本質的に自発的な行為なのだ。依存者は脳の化学物質が混乱した結果,悪い選択を下すのかもしれない。しかし,たとえそうだとしても,それが自分の意志による「選択」であることに変わりはない。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 97

快楽と苦痛

科学者は長い間,人間行動の根源には,快楽を求めることと,苦痛を避けることがあると考えてきた。この2つはたいてい,どちらかがわずかに優位になっている。苦痛を避けることより快楽を求めることの方が少しだけ強い,あるいはその逆といった具合だ。競争のプレッシャーにさらされると,このバランスがさらにどちらか一方に傾くことがある。競争の開始前や,競争中の決定的瞬間に近づくまでは,快楽を求めることが多い。だが決定的瞬間が近づくと,得ることよりも失わないことに意識が向き始める。
 この快楽と苦痛についての学術的探求には長い歴史がある。多くの研究者が,さまざまな用語を使ってこの心理的状態を表そうとしてきた。1935年,心理学者のクルト・レヴィンは人間の動機づけには接近と回避の感情が関連していると主張した。1950年代中ごろには,ジョン・W・アトキンソンが動機づけの傾向を「成功志向」と「失敗回避」に分類し,成功の動機を持つ人は成功のチャンスを高めるためにリスクを選択する傾向が,失敗回避の動機を持つ人はこれらのリスクを選択しない傾向があるとした。1990年代後半には,ニューヨークの2人の研究者がこの概念を展開させた。そのうちの1人,ロチェスター大学のアンドリュー・エリオットは,接近・回避の概念をパフォーマンスや競争に適用した。一方コロンビア大学のE・トーリー・ヒギンズは「獲得型志向」と「防御型志向」という用語を使った。また,この2つの心理的衝動は根本的に異なるため,脳がそれを扱うには,2つの神経系が必要だと結論づけた。

ポー・ブロンソン7アシュリー・メリーマン 小島 修(訳) (2014). 競争の科学:賢く戦い,結果を出す 実務教育出版 pp.192-193

エントロピーとランダム

エントロピーは見方を変えればランダム性の尺度であり,エントロピーが大きいということは,系の中の区別がなくなって,秩序が破壊され,無秩序になっていることを意味するのである。
 「エントロピー増大の法則」は,熱力学において「エネルギー保存の法則」と並ぶ基本法則とされている。ニュートン力学の法則がすべて時間に関して対称的であるのに対して,この法則は時間的に1つの方向にしか向かわず,不可逆的である。分子の運動が可逆的なニュートン法則に従うのに,なぜそこから不可逆的なエントロピー増大の法則が導かれるかは1つのパラドックスであるが,それが個々の分子の運動がランダムであることから起こることに注意しよう。
 最初に多数の分子(でも何でもよい)が規則正しく並んでいたとして,それらが個々にばらばらに動き出せば,規則性がしだいに壊れてやがて一様にランダムな状態になってしまうであろうということなのである。

竹内 啓 (2010). 偶然とは何か:その積極的意味 岩波書店 pp.72-73

オジギソウの時計

オジギソウは夜になると葉を閉じ,昼間は葉を開く。ド・メランは,今が夜なのか昼なのかおじぎそうにわからないようにしたら,一体どうなるだろうと考えた。そこで1729年の夏の終わりごろに,彼はオジギソウを真っ暗な箱に入れ,オジギソウは日光がなくても正しい時刻に葉を閉じたり開いたりすることを発見した。彼の友人のアカデミー・フランセーズ会員が,当時フランスの最も権威ある学術団体だった王立科学アカデミーへ送った短い論文には,「つまりオジギソウは,見ないでも太陽の存在を感じとることができる」と書かれている。
 しかし,この結論はまちがっていた。ずっと後になって,オジギソウは太陽の存在を感じとるのではなく,内部に固有の時計をもっていることを,研究者たちが突きとめたのである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.6

突き抜けたりはしない

みなさんが私と似たりよったりの想像力の持ち主なら,この質問を読んだ瞬間,マンガでよく出てくる状況を思い浮かべたかもしれない。ゴーリーにホッケー・パックと同じ形の穴があいて,パックはそのまま飛んでいってしまう,という図を。だがそんな想像をしてしまうのは,物質が超高速度でどのように振舞うかに関するわれわれの直観が,まったくあてにならないからにすぎないのだ。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.146-147

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