I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

観察と幸運

 現場に居合わせるということは,幸運以外の何ものでもない。何しろぴったりの時間にぴったりの場所にいなければならないのだから。たとえば,マダガスカルのタンポロの森林地帯で研究者がヘビの捕食に気づいたのは,鳥やキツネザルが騒いでいたおかげだった。見ると,大きなマダガスカルツリーボアがタケキツネザルに巻きついていた。締めつけて窒息させるまでに60分かかったという。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 168

特別な位置に

 創造主義に反対で,進化論に賛成という議論になってくると,科学者の多くは頑ななまでに進歩主義を通す。それなのに,現生人類や初期ヒト科,大型類人猿,そしてその他の霊長類までも,何としてでも特別な位置に分類しようとする。被食動物にしてはあまりにも知能が高いという理由からだ。こういった科学者たちがこだわるのは,少なくとも人間(すなわち「狩るヒト」)はまわりの環境を支配しなければならなかった——人間が自分たちを食べにかかってくる「もの言わぬ動物」のなすがままだったはずがない,という点だ。だが自然選択や進化論を信じるのであれば,捕食者と被食者をとらえる動物学の枠組みに基づいて,自分たちの立つ位置を受け入れなければならない。筆者は,霊長類種に対する捕食はまぎれもない事実だと立証してきた。小型で二足歩行をしていたヒト科もほかの霊長類と同じく,まさに食べられる状態にあったのだ。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 75

思想の影響

 ここでちょうどいいからふれておこう。人類の祖先をめぐる問題には,客観科学や公平な真理の追究よりも,思想的な側面から多くの関心が集まっていた。とくに19世紀後半から20世紀初めごろは,私たち人類およびその祖先は種という山の頂上にいなければならないと考えられていた。われわれはもっとも賢い種でなければならない。われわれは特別で,強靭で,ほかの動物たちの上に君臨していなければならない。そして,きわめて重要な点だが,人間も,ヨーロッパ人種を頂点とする階層に従って位置づけなければならないとも考えられていた。自然選択の考えを通して進化の理論をまとめあげたダーウィンは,自然の法則に従って,人間を他の動物と同じように動物界のなかにおさめた。けれども,そのダーウィンでさえ,人間と類人猿(人間に最も近い現生する親戚)とでは,精神と知性の面で雲泥の差があると考え,「最低の人間の精神と最高の動物のそれとの間には計り知れない隔たりがある。これには疑いを挟む余地がない」と書き残している。当時,生体と行動という点であらゆる人間と動物とを分けていたのは,大きな脳の存在だった。19世紀後半の理論家たちは,現代人の脳に備わっている灰白質の量をもって真の人間の特徴ととらえ,大きな脳という期待にそうような初期ヒト科の化石を探していたのである。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 26-27

何でも有毒?

 量によっては,どんなものでも毒素になりうる,という話を耳にしたことがある人もいるかもしれない。しかし,これは正確な表現ではない。確かに,十分な量のもとでは毒性をもつ物質も存在するが,人を殺すのに膨大な量が必要なのであれば,その物質は毒素とは言えないのだ。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 16

全国規模の自然災害

 成層圏まで到達した噴煙のうち,火山灰のかなりの部分は偏西風に乗って東へ運ばれ,関西あたりで20センチ以上,関東や東北,朝鮮半島でも10センチ以上の火山灰の地層が確認されています。当然ながら,噴火地点に近い九州南部は火山灰のなかに埋もれてしまい,ほぼすべての地点で30センチ以上の降灰エリアとなっています一万年に一度という巨大噴火を経験したことのない私たちには理解しがたいことですが,鬼界カルデラ噴火は全国規模の自然災害であったのです。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 59-60

火砕流

 火砕流は摂氏何百度という高温なので,海面に触れると沸騰状態となり,まるでホバークラフトのように,海面と接触するかしないかというくらいの高さを一気に逆流します。もっとも火砕流のうち,重い部分は海中に沈み,軽石やガスなど比重が小さいものが海面を滑走するそうです。地上における火砕流は時速100キロメートル前後ですが,海面では摩擦による抵抗もないので,さらに高速だったとも推察されています。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 52

科学と人文科学との融合

 過去の記録のされ方がその性格を変化させるにつれ,科学と人文科学の境界は明確ではなくなっている。その結果,両者の融合はさまざまな名のもとで進んでいる。科学的手法を取り入れて研究している歴史学者は,「デジタル人文科学者」を自称する傾向がある。大学の言語学科には「コーパス言語学者」がいる。心理学と社会学は「数理社会科学者」という名称を好む場合もある。科学と人文科学との融合の機は熟しており,シリコン・ヴァレーの新興企業の中では日常的に新たな考え方が次々に生まれている。
エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 274

科学は可能性

 科学は私たちに説明を探すための戦略を授ける――だが絶対的な真理を探すための戦略はもたらさない。それどころか,絶対的な真理を求めるなら目を向ける先は純粋数学か宗教しかなく,断じて科学ではないと言われている。なぜ純粋数学が絶対的な真理をもたらすかと言えば,純粋数学とは単にあるルール一式を適用した場合にある公理一式からもたらされる結論を導くことだからだ。あなたは独自の世界を定義するわけで,その中でなら確かに絶対的な真理を述べられる。一方,信仰の表現としての宗教は,ある絶対的な真理を信じていることの表明である。


 それに対し,科学は可能性がすべてだ。私たちは理論を,予想を,仮説を,説明を提唱する。そして証拠やデータを集め,その新たな証拠に照らして理論を検証する。データが理論と矛盾するなら理論のほうを変える。そうすることで科学は前進し,理解はいっそう深まる。だが,既存の理論と矛盾する新たな証拠が出てくる可能性は常にある。結論が変わりうること,すなわち真理が絶対でないことは科学のきわめつけの本質だ。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 253


harking

 結果を選ぶことが結論をゆがめる一形態だと言うなら,実験を行ってデータを集めたあとに,検証しようとする仮説を決めることもそうだ。これは hypothesizing after the results are known (結果がわかったあとに仮説を立てる)の頭字語としてharking(ハーキング)と呼ばれている。これならデータが支持する仮説を簡単に立てられるに決まっている!こう説明されると見るからに危ういやり口に思えるが,効果は概してずいぶんさりげなく現れる。たとえば,研究者がデータをふるいにかけ,ある決まった傾向の兆しを見いだしたあとに,もっと詳しい統計分析を同じデータに対してかけて検証して,見いだした傾向が有意かどうかを確認するのである。だが,どのような結論が出ても,それは傾向の兆しを見いだした当初の考察で歪められている。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 171


行動には動機が

 科学分野では,またときには社会科学でも,行動には動機があるものと考える。というのも,多くのものがあたかも目的をめざしているかのようにふるまうからだ。たとえば,水は同じ高さをめざす。自然は真空を嫌う。泡は表面張力を最小化しようとする。光は,さまざまな物体を異なる速度で通過して最短距離を進もうとする,といった具合である。だがJ型の管に水を満たし,低い方の先端を閉じて管の中の水が同じ高さに到達できないようにしたら,水が困惑するとは誰も考えない。閉じていた先端を開いて水が噴き出し,床に飛び散ったら,同じ高さになろうとしてあわてるからだと非難する人もいない。同様に,光が最短距離を進むのは急いでいるからだ,とも考えない。なるほど近頃では,ひまわりは太陽光が浴びられないと悲しむと考える人がいる。また,木の葉は光合成を最大化するために,枝上で太陽光を分け与えるような位置を探すとも言われる。林業を営む人なら,木の葉がうまく位置取りしてくれたらうれしいだろう。だがそれは,木の葉のために喜ぶのではない。そもそも,木の葉が自分たちの利益になるようにふるまっているのか,単に酵素の命じるとおりにしているのか,あるいは「目的」とか「~をめざす」といった言葉がまったくそぐわないような科学的な系の一部に組み込まれているのかは,おそらくわかっていない。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 11-12


新村さん

 『広辞苑』(岩波書店)の表紙には,いまでも「新村出編」と掲げられており,編者名がブランド力を持った感がある。初版は1955年。現在は2008年刊行の「第六版」まで版を重ねている。新村出は1967年に死去。彼が関わったのは初版までである。「第二版」「第三版」「第四版」は長男の新村猛を中心に編まれた。猛の長男の新村徹も関わっている。新村猛は1992年,徹のほうは不慮の事故で1984年に死去。『広辞苑』の「第五版」「第六版」において,新村家3代は関わっていない。それでも「新村出編」という名前を残しているのは,新村出が『広辞苑』の基本コンセプトを作ったこと,それを守り続けていくことを広く知らしめるためであろう。これは刑法学者の末弘厳太郎と似ている。なるほど,神童はこうして後世に伝えられていくものなのか。1980年代まで,新聞社や出版社で新人記者が原稿の中でひどくあやふやな言葉を用いると,デスクは「新村さんに聞きなさい」と突っ返すことがあった。「広辞苑で調べろ」という意味である。いまは,ネットで調べれば済んでしまうことが多くなったので,「新村さん」の出番は少なくなりつつある。さびしい話だ。神童さんと読みかえてもよかったのに。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 107-109


条件を一定に保つために

 道徳哲学を風刺するジョークがある。問題:電球を変えるのに必要な道徳哲学者は何人か? 答え:八人。一人は電球を替えるために,七人はその他のすべての条件を同一に保つために。だがそれは,路面電車のシナリオが役に立つようにきわめて注意深く組み立てられているからにほかならない。


 現実の生活はホワイトノイズ,つまり倫理的な雑音であふれている。現実生活はとても複雑なので,道徳的推論の適切な特徴を見きわめるのは難しい。路面電車のシナリオは,基本原則を抽出し,有意義な差異を検知できるように設計されている。そのためには,気を散らすようなゆがんだ音を消し去るしかない。科学的方法との大まかな類似点を考えてみよう。研究室では,たておば光の効果をテストしたい場合,光を変化させる一方でほかの要素はすべて一定に保っておく。同じように,ある特定の特徴が道徳的に妥当かどうかを判断したければ,この一つの変項をさまざまに変化させながら,それ以外の点では同一の二つの事例を想像してみるといい。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.149-150


アンケートの哲学的価値

 こうした世論調査やアンケートに訴えることの哲学的価値とは何だろうか?何の価値もない,そんなことをしても無駄だと言う人もいる。ケンブリッジ大学の著名な哲学者ヒュー・メラーもその一人だ。「これが哲学だとすれば,人々に円は四角だと思うかどうかをたずねるアンケートは数学だということになる――だが,それは数学ではない」


 しかし,調査情報の収集や直観のデータバンクの構築は,われわれの直観の信頼性に疑問を投げかけるために利用されてきた。そして,専門家の直観はふつうの人のそれよりも信頼できるかという関連問題を提起してきたのだ。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.137-138


実験哲学

 実験哲学は社会心理学の業績を広く利用してきたが,最近まで,その多くは社会心理学とは異なる方法論に従っていた。つまり,さまざまな調査を通じて,日常的な直観を脱構築するのだ。現実の,あるいは想像上の一連の状況に直面して,哲学者は自信満々でこう宣言する自分たちの反応は,どんな場所であれ健全な考え方をする人々と共通のものだと。「われわれ全員が……ということを認める」と彼らは言うだろう。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.130


学問としての心理学

 (1)心理学は解決可能な経験的問題を探求することによって進歩する。この進歩は平坦な道のりではない。なぜなら,心理学は数多くの下位領域から構成されているため,ある領域の問題は他の領域よりも困難な場合があるからである。


 (2)心理学は反証可能な理論を提示するが,それは,それらの理論が明らかにする知見を説明するためである。


 (3)理論の中の概念は操作的に定義される。そして,それらの定義は根拠が蓄積されるにつれて発展する。


 (4)こうした理論は,体系的な経験主義によって検証される。そして,得られたデータは,他の研究者による再現と批判を可能にする方法で提示されるという意味で,公共のものとなる。


 (5)心理学者によるデータと理論が公共のものとなるのは,査読に基づく学術誌に掲載された後だけである。


 (6)経験主義を体系的なものにするのは,忠実な実験を特徴づける統制と操作という,もっともな筋道を求めて努力するという事実である。


 (7)心理学者は結論に到達するのに,さまざまに異なる多くの方法を用いる。そして,それらの方法の強みも弱みもさまざまに異なる。


 (8)最終的に明らかになる行動原則は,ほとんど常に確率に基づく。


 (9)ほとんどの場合,知識は,多くの実験からゆっくりとデータが蓄積された後に獲得される。それぞれの実験は不備な点を併せ持つが,にもかかわらず,ある一つの共通した結論に収束していくのである。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.260-261


懐疑的態度の維持

 心理学の世界では,私たちはぎりぎりのきわどい道のりを歩む必要があります。たとえば,心理学のある特定の仮説にまつわる根拠がまだはっきりしない段階で,その仮説を「証明済み」のものと見なしたくなる誘惑に打ち勝たなければなりません。この懐疑的態度は,本書では再三にわたり強調しました。相関関係から因果関係を推断しない注意や,支持証言を根拠として鵜呑みにしない注意が例として挙げられました。反面,不完全な知識や仮説的な結論だからといって,心理学における確かな結論には手が届かないのではないかと,過剰に反応してがっかりするべきでもありません。しかし,心理学が科学たりえないという不合理な主張に誘惑されてもいけません。こうした見地に立つなら,収束根拠の原則が,仮説的な知識を過剰に解釈することへの警鐘とバランスを取り合うものと見なされることになります。心理学研究はおしなべて弱点を持ちつつも,根拠の収束によって,私たちは相当に説得力のある結論に到達できるのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.165


進歩の速度

 心理学の実験が極めてあいまいな要因を含むことは,人間行動に関する問題の恐ろしいほどの複雑さを考えると,驚くに値しません。心理学者がこの事実を素直に認め,その結果どんなことが起こりうるかについて労を惜しまず説明しさえすれば,一般の人たちの心理学に対する理解はもっと進むでしょう。心理学という学問領域の進歩はゆっくりとしたもので,ときとして気の遠くなるほど長い期間にわたる研究の融合と討論を経て,はじめて進歩するということを心理学者は認めるべきです。新発見がなされたというメディアの主張は懐疑の念を常に生み出しますが,心理学的主張に関しては,特にそれが当てはまるのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.165


無作為割当と無作為抽出

 無作為割り当てと無作為抽出が同じではないことを覚える一番の方法は,無作為割り当てをしていない非無作為抽出,無作為割り当てをした非無作為抽出,無作為割り当てをしていない無作為抽出,無作為割り当てをした無作為抽出の四つの組み合わせのいずれかが起こりうることを,常にはっきりさせておくことです。心理学の研究ではその必要がないため,無作為抽出を用いることはほとんどありません。次節で見るような理論の検証や,便宜的標本を含むような研究でしか,必要としないのです。もし研究で無作為割り当てが用いられていたら,その研究はすなわち実験研究ということになります。もし無作為割り当てが用いられていないとすると,それは相関研究ということになります。無作為抽出が用いられる研究の多くは,調査や関連を見るだけの研究なので,無作為割り当てが用いられることはありません。つまり相関研究となるのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.139


変数を独立させること

 異なる条件を統制して比較することによって科学者は特定の解釈を除外し,その他の解釈を確信が持てるものにします。実験計画の非常に重要なゴールは変数を独立させることです。うまく変数が独立したとき,実験の結果によって,解釈として先に提示されていた他の理論は除外されます。科学者は,実験状況を直接統制することで,あるいは,他の解釈を検証可能にするような自然発生的な状況を観察することで,可能な限り誤った解釈を除外しているのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.109


本質主義的な答え

 心理学に接するとき,多くの人々が操作主義の考え方を放棄するように見えるもう一つの理由は,彼らが人間に関する問題についての本質主義的な答えを求めているということです。本章冒頭の問いを思い出してください。重力の本当の意味とは何か,などです。多くの人は,このような問いが自然現象の根本にある極限の知識を要求するため,物理学の最新の理論でも,この類の問いに答えることはできないと思うでしょう。ここ数世紀の自然科学の進歩について書かれている教養書に慣れ親しんでいる人は,重力が非常に複雑な理論的構成物であり,その概念的および操作的関係は常に変化してきたことを認識しているでしょう。


 しかし,重力を知能という言葉に置き換えると,突然信じられないことが起きます。もはやその問いには,重要な意味が染み付いています。その問いは当然で,意味があるように見え,文字どおり究極の答えを切に求めます。心理学者が物理学者と同じ回答,すなわち知能とは,それを測定するための操作と他の構成概念との理論的な関係から意味を導かれた複雑な概念であると答えれば,その心理学者は見くびられ,本当の問題を避けていると非難されるのです。


 心理学が直面している問題の一つは,このように他の科学では通常要求されない本質主義的な答えを要求されることです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.65


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