I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

操作の組み合わせ

 科学の概念は操作の組み合わせによって定義されるものであり,たった一つの行動事象や課題によるものではないと気づくことは重要です。それぞれわずかに違いのある課題や行動事象は,一つの概念として収束するものなのです。たとえば,教育心理学者は読解能力といった概念を,まとまった課題の組み合わせからなるウッドコック読解習熟度テスト(Woodcock, 2011)といった,標準化されたツールの得点という観点から定義します。ウッドコック読解習熟度というツールにおける総合読解能力得点は,わずかに異なる能力を測る多数のサブテスト,たとえば1節を読んで空欄を埋める適切な単語を考える,ある単語の類義語を考え出す,難解な単語を一つひとつ区切って正確に発音する,といった能力の指標を含んでいます。これらすべての課題の成績を集めて,読解能力という概念を定義しているのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.51-52


操作主義とは

 操作主義にはさまざまな考え方がありますが,科学的な情報の消費者にとって最も有益なのは,最も一般的な形で考えることです。すなわち操作主義とは,科学的理論の概念は,測定することができる観察可能な事象に何らかのかたちで基づいている,もしくは関連づけられている必要がある,というシンプルな考え方です。概念を観察可能な事象に関連づけることによって,概念が公共のものとなり,ある個人の感覚や直観から引き離され,測定可能な操作を実行できる人は誰でも検証できるようになります。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.51


科学者が興味をもつこと

 もちろん,科学の知が仮のもので,理論から導かれる仮説が誤りである可能性をはらんでいるとしても,すべての事象が研究対象になるとは限りません。何度も確かめられ,実験によって将来覆される可能性が極めて低いことから法則と呼ばれるようになった関連性も,科学には多く存在します。ある日,血液が静脈や動脈を循環しなくなるとか,地球が太陽を周回しなくなることなどを私たちが発見する可能性は極めて低いのです。こうしたありふれた事実は,これまで述べてきたタイプの仮説ではありません。そんなことに科学者は興味を示しません。なぜなら,それらの法則は十分に立証されているからです。科学者が興味を持つのは,すでに分かっていることの周辺にある,本質的な事態のさまざまな側面だけです。疑いようもないほど十分に確かめられたことには,興味がないのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.44


科学における仮説

 科学における仮説とは,一群のデータを説明し,実験結果についての予測に用いられる,相互に関係したひとまとまりの概念のことです。仮説とは,(より一般的で包括的な)理論から導かれた具体的な予測のことです。現在まで生き残っている理論の中には,確かめられた多くの仮説が内包されています。したがって,生き残っている理論の理論構造は,膨大な数に上る観察結果と整合するものなのです。ところが,理論から導かれた仮説が多くのデータと矛盾するようになると,科学者は,そのデータについてのより良い解釈をもたらしてくれるであろう新しい理論を構築しようとします(あるいは,もっと頻繁に行なわれることは,元の理論を修正することです)。このように,科学的な議論の対象となる理論は,ある程度はすでに修正されてきたものであるため,手元にあるデータと相容れない予測をもたらすことはほとんどないのです。こうした理由から,そのような理論は,単なる推測や勘,直感ではないのです。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.28-29


心理学の存在理由

 簡単に言うと,独立した学問分野としての心理学の正当性を示すものは,実際には二つしかありません。第一に,心理学は,人間や動物のありとあらゆる行動を,科学という手法で研究しているということです。第二に,この心理学の知見から導き出されるさかざまな応用も,科学に基づいているということです。こうしたことが当てはまらなければ,心理学の存在理由は皆無でしょう。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房


心理学者と経済学

 心理学者が経済学に積極的にかかわろうとしなかった理由はいくつか考えられる。第1に,合理的選択モデルを重要視している人がほとんどいないので,モデルからの逸脱を研究することがそもそもおもしろいと考えられていない。「そんなのサンクコスト効果に決まってるだろ!他に何があるっていうんだ?」となってしまうのだ。第2に,経済学者が取り入れるようになっている心理学は,心理学者にとっては最先端のものとされていない。心理学者が需要供給曲線を自分たちの研究に取り入れ始めても,経済学者がそのアイデアに興奮することはないのと同じだ。そして,心理学の世界では,どういうわけか,「実用的」な問題の研究は伝統的に評価が低い。人が借金をしたり,学校をやめたりする理由を研究していたら,名誉の栄光も手に入れられなくなってしまう。著名な心理学者で,人は何に動かされるかを研究しているロバート・チャルディーニは,例外中の例外なのだ。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.257


現状維持バイアス

 保有効果の実験が示すように,人は自分が持っているものに固執する傾向があり,少なくともその一部は損失回避によって説明がつく。マグカップを渡されたとたん,私はそれを自分のものだと考えるようになるので,マグカップを手放すことは損失になる。それに,保有効果には即効性がある。私たちが行なった実験では,被験者がマグカップを“保有”していたのは,取引が始まるまでの数分間のことだった。ダニエルはこれを「インスタント保有効果」と好んで表現していた。そして,損失回避性が私たちの発見を説明する要因の1つであることはまちがいないが,それと関連する現象がある。惰性だ。物理学では,静止している物体は,外部から力を加えられない限り,静止状態を続ける。人もこれと同じように行動する。別のものに切り替える十分な理由がない限り,というよりおそらくは切り替える十分な理由があるにもかかわらず,人はすでに持っているものに固執するのである。経済学者のウィリアム・サミュエルソンとリチャード・ゼックハウザーは,こうしたふるまえに「現状維持バイアス(status quo bias)」という名前をつけている。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.223


負けるとギャンブルに走る

 負けが込むと,損を挽回しようとギャンブルに走る傾向は,プロの投資家の行動にも見られる。ミューチュアルファンドの運用担当者は,ファンドの運用成績がS&P500種などの基準指標を下回っていると,当該年度の最後の四半期により大きなリスクをとりにいく。それどころか,会社に10億ドル単位の大損を負わせたごろつきトレーダーの多くは,どうにかして損失を埋め合わせようとして,リスクをどんどん膨らませていった。この行動は,ごろつきトレーダーの視点からは合理的だったのかもしれない。損を取り戻せなければ,職を失うのは当然だが,それだけではすまなくなってしまうこともありえるからだ。しかしもしそうだとしたら,経営陣は,損を出している社員の行動を注意深く見守らなければいけなくなる(そもそもの問題として,経営陣は,ごろつきトレーダーたちが損失を膨らませる前に,もっと目を光らせておくべきだったのだが)。ふだんはきわめてリスク回避的な人であっても,大きな損失を出しそうになっていて,それを取り戻すチャンスがあるときには,とんでもなく大きなリスクを取りにいこうとする。この人間心理はぜひとも覚えておいたほうがいい。みなさんもご用心あれ!



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.130


悪銭身につかず

 ポーカーの観察から,メンタル・アカウントの欠陥がもう1つ浮き彫りになった。勝っているプレーヤーは,獲得した賞金を「本物のお金」と扱っているようには見えなかった。この態度は非常によく見られるもので,カジノのギャンブラーの間には「ハウスマネーを使ったギャンブル」という言葉があるほどだ。「ハウス」とはカジノの意味で,カジノで勝って手に入れたお金を自分のお金とは信じられず,カジノのお金でギャンブルをしているように感じてしまうのである。この態度はどのカジノでも観察することができる。夜の早い時間に200ドル勝つと仮定しよう。この人は300ドルを1つのポケットに入れて,そのお金は自分のお金だと考える。そして,200ドル相当のチップは別のポケットに入れる(それどころか,チップをポケットに入れずにそのままテーブルの上に置いて,すぐにでも賭けるかもしれない)。まさに「悪銭身につかず」というやつだ。お金は代替可能であるという経済学の原則をこれほどまでにあからさまに破る例はそうそうない。どちらのポケットに入っているお金も,等しく使われるはずのものなのだから。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.126


「単なる」

 いまでも,経済学の世界で「調査から得た証拠」という言葉が登場するときには,必ずと言ってよいほど「単なる(mere)」という枕詞がつく。「mere」は「sneer(嘲笑)」と韻を踏んでいるのだ。こんなあしざまな言いようは,まったく非科学的だ。投票行動調査データは,有権者に投票に行くかどうか,誰に投票するか質問し,その結果を集計したものにすぎない。それをネイト・シルバーのようなデータ分析の達人が最新の注意を払って使うと,びっくりするくらい正確な選挙予測がはじき出される。何よりおもしろいのは,経済学者はアンケート調査に否定的なのに,重要なマクロ経済変数は,個人に対するアンケート調査から算出されているものが多いのだ。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.79-80


経済学者の反論

 経済学者は,仮定に基づく質問の答えを重視していないし,アンケート調査そのものをあまり信用していない。調査の対象者が自分ならこうするだろうと言うことより,人々が実際にしていることのほうが大事だと,経済学者は言う。カーネマンとトヴェルスキーはそうした反論があることをわかっていた。2人がこれまでに出会った懐疑的な経済学者たちに指摘されたのだろうが,選択の余地はなかった。プロスペクト理論の鍵となる予測は,人は利得よりも損失に敏感に反応する,というものである。しかし,被験者が実際に大損をするかもしれない実験をする許可をとるのは,まず不可能だ。実験に参加したいという人がいたとしても,人間を対象とする実験を審査する大学委員会がそれを認めないだろう。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.67


着想を得る瞬間

 2人は何カ月もかけて論文を磨き上げた。ほとんどの学者にとって,研究でいちばん楽しいのは,着想を得る瞬間だ。実際に研究を進めるのも,それと同じくらいおもしろい。だが,論文を書くことを楽しんでいる人はまずいない。学者の書いた論文はたしかに堅苦しい。しかし,多くの学者にとって,それはほめ言葉だ。文才をひけらかそうとするような書き方をすると,真剣に書いたと思ってもらえないし,そんなものを読み手がまともに取り合うはずもない。「プロスペクト理論」はけっして読みやすくはないが,論文の内容はきわめて明瞭でわかりやすい。それは2人が何度も繰り返し原稿を書き直したからであり,エイモスが「正しい方法でやろう」と言い続けたからである。



リチャード・セイラー 遠藤真美(訳) (2016). 行動経済学の逆襲 早川書房 pp.66


宇宙船の中の音

 本物の宇宙船の内部といえば,私は無重力状態でおだやかにゆったりと浮遊する人の姿を思い描く。2012年の初めにNASA宇宙飛行士のロナルド・ギャレンに会ったとき,彼は国際宇宙ステーションでの6ヶ月間のミッションを終えて帰還したばかりだった。彼は,本物の宇宙船の音環境は静穏からは程遠いと教えてくれた。宇宙遊泳で船外に出たときでさえ(彼の過去のミッションには6時間半に及ぶ宇宙遊泳が含まれていた),静寂など存在しなかったという。逆に静かだったら,それは呼吸用の空気を循環させるポンプが機能を停止したということなので,不安に駆られたはずだ。宇宙船は,冷蔵庫や空調装置やファンなどの騒々しい機械装置だらけである。理論上は騒音も軽減もできなくはないが,音が静かでそのぶん重たい装置は軌道への打ち上げ費用がかさむ。



トレヴァー・コックス 田沢恭子(訳) (2016). 世界の不思議な音 白揚社 pp.245


自然と人間

 自然が私たちの心身に役立つ理由をめぐっては,3つの対立する説がある。1つ目は進化にかかわるもので,食糧が見つかる肥沃な自然環境を探し出すのを助けるために,自然界の事物を好ましいと思う性向が進化したのだと主張する。2つ目は心理学的な説で,自然は私たちに「自分よりも大きい」何かに属しているという感覚を与えることによって,過度な自己中心性やネガティブな思考に陥るのを妨げるのだと訴える。第3の説は,自然界の中で人の回復を助けてくれる場所には「ソフトな魅力」があると主張する。つまりそのような場所には雲や夕日,風にそよぐ葉の動きなど,見た目に魅惑的で心を落ち着かせてくれるものが存在し,このソフトな魅力が心に平穏をもたらす助けになるというのだ。これらの説は,美しく感じられて心地よい自然界の音に対する私たちの反応を説明するには役立つかもしれない。しかし,そうでない音についてはどうだろう。



トレヴァー・コックス 田沢恭子(訳) (2016). 世界の不思議な音 白揚社 pp.97-98


進化の所産

 先のような誤った考えのために,人間の研究は数年前までまったく旧態依然としたままであった。現在ですら人類学者や社会学者の多くは,進化から学ぶべきものはないと明言している。人間の肉体は自然淘汰の所産であるが,人間の心や行動様式は「文化」の所産である。人間の文化は,人間の本性を反映してはおらず,本性が文化を反映しているのだ,と。それゆえ社会学者たちは文化間の相違や,個人間の相違のみに研究を限定し,そうした相違を過大視しているのである。しかし私が人間について最も興味を感じるのは,人間が共有している事柄であって,文化によって異なる事柄ではない。例えば文法規則のある言語,階級制,ロマンチックな恋,性的嫉妬,異性間の長期にわたる絆(「結婚」とも呼ばれる)などである。こうしたものは我々の種に特有な,学習で変更可能な本能で,目や親指がそうであるように,まぎれもなく進化の所産なのである。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.286-287


ヴントの個人心理学と民族心理学

 ヴントにあっては,個人心理学と民族心理学の関係は,後者が前者の応用であるとか,後者が集団行動を扱い,それに対して前者は個人レベルの心理や行動を扱うから“個人”心理学である,といった程度の漠然たる使い分けにとどまらない。方法的体系的に独立した“二つの”学問として立てられている。生理学的心理学すなわち「個人心理学」の対象が,いわば“窓のないモナド”のように,個々に閉じており,その殻を突き破って外に出ることのない絶対私秘的な<意識>であるとするならば,そのような“個人”心理学の成果をどのように束ねてみても,それ以上に高次の統合的な学としての「民族心理学」を(つぎ木のようにではなく)形成することは困難であろう。このことはヴント自身によってとくに明らかに述べられてはいないけれども,個人心理学の目標が上記のような“内観”による“私秘的な”意識過程の分析にあるものと理解する限り(この理解の是非については後節で改めて検討するが),「生理心理学」および「民族心理学」という体系的に独立して相互に論理的交渉を持たない“二つの”心理学の併存を認める結果となってしまうのも,原理上,やむをえないことであったと思われる。



高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.190


ヴントの実験心理学

 ヴント心理学の二本の柱の一つである実験心理学は,1874年の主著の表題に即して言えば「生理学的心理学」であるが,伝えられるところによると,この名称は,上記の表題以外ではあまり用いられず,彼自身も“実験的”という言葉の方を早くから慣用的に使っている。ヴントの場合,“実験的”というのは“生理的”というのと内容的にまったく同じで,そのころの感覚生理学者が日常ごく普通に用いていた実験室的方法のみが念頭に置かれており,したがって,彼の言う<実験>は非常に限られた意味しか持っていない。一方,ある学問が他の学問と異なる独立した一個の学と呼ばれるためには,当然,その学問に固有の方法と固有の対象ないし立場が明確にされていなければならない。“生理学的”方法を用いることは,これまでの“哲学的”心理学に対する新しい心理学の立場を明らかにするものではあるが,たんに“生理学的”方法を用いるだけでは,従来の生理学者による感覚知覚の研究から区別された生理学的“心理学”の存在理由として不十分である。ヴントの実験心理学をそれまでの感覚生理学から独立させ,“生理学的”諸学に対してユニークな学問にしてきたのは,したがって,生理学的方法と並ぶ内観的方法(方法としての内観)の定式化であり,生理過程ではなく意識過程を固有の研究対象と定めた点であろう。



高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.186


内部を見る

 上記のような新行動主義の路線に比べて,認知心理学者の態度は,いま少し寛容である。行動主義や新行動主義の心理学では,被験者の心の世界は,実験者に直接それが観察できないという理由で研究対象から除外されてしまったが,その世界は“実験者には見えなくても”被験者には(少なくとも「知覚」程度の表層的な“心理”が問題となっている場合には)明らかに見えているだろう。とするならば,その“内観”を利用しないという手はない。先の「認知地図」のようなものも(相手が人間の場合は)実験者に見える被験者の行動だけから実験者が概念的に作り上げるという回りくどいことをしなくても,被験者に見えたものを具体的に描かせることで,その“絵”から,はるかに内容豊富な情報が直接得られるに違いない。「課題解決」実験場面で,認知心理学者が,しばしば被験者の“方略”についての内観報告を記録するのも,それらを集めて系統的に分類整理(解析)することによって,被験者の心の世界がどのように階層化されており,どのような構造を持っているかを,たとえ部分的にであれ明らかにすることが出来るからである。



高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.53-54


不完全な統合

 以上を要約すれば,一括して新行動主義者と呼ばれてきた人々は,すべて,近代自然諸科学の一つである行動主義心理学の基本路線は堅持しながら,その中で,可能な限り,ゲシュタルト心理学の提言を取り入れることによって,少なくとも古典的行動主義の要素主義的方法論の行き詰まりを打開しようとしてきたし,また,「操作的定義」という新しい武器を用いることによって,意識主義と行動主義の認識論的統合を実現することも目指していたに違いない。だが,すでに見たように,この種の“統合”が論理的に不完全であることは明らかであり,新行動主義が結局のところ古典行動主義の改良版でしかありえなかったことは,いまや誰の目にも明白なものとなっている。



高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.53


心理学の方法上の変革

 まず,心理学史における方法論上の変革は,その第一弾が19世紀後半の「内省のみによる意識の質的分析から実験の併用による意識の統制的かつ量的分析へ」という形で出現した古典的実験心理学の登場であり,第二弾が20世紀初頭の「分析加算的実験から現象学的実験へ」という形で起こったゲシュタルト革命であり,後者と同時に起こった「内観法の否定」という行動主義革命には単なる方法上の革命を越える認識論的主張が含まれていた。次に,心理学史における認識論上の変革は,その第一弾が,17世紀のデカルト的「我(意識)の発見」に始まり,これを外的世界と並ぶ“もう一つの”広がりのある「内的世界」として外的世界と類比的な分析的学問の対象に変えてしまったロック,および,その後の連合心理学者たちの内観心理学にいたるまでの,やや長い道程として出現し,つづく第二弾は,この「内的世界」を科学の対象から追放した20世紀初頭の行動主義革命であり,そして,第三弾が,いまなお完成していないゲシュタルト心理学者による現象学的な“意識の復権”である。



高橋澪子 (2016). 心の科学史:西洋心理学の背景と実験心理学の誕生 講談社 pp.49-50


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