I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

研究者のドレスコード

 2008年の秋に,私の執拗な疑念に終止符を打つことができる進化実験を担当する候補者の面接をおこなった。そのうちの一人は,若いアメリカ人科学者で,その成績証明書のせいだけでなく,面接にトレッキングシューズを履いて現れたせいもあって,際立っていた。ほとんどの大学の研究者は正装をせず,ほかの職業の厳格な服装規定(ドレス・コード)を軽蔑するものだが,それでも彼の服装はちょっと異例だった。少なくともそれは,健全な自信を物語っていた。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 179

仮説駆動型とデータ駆動型

 この「仮説駆動型」の方法,もしくは演繹的方法に代わるアプローチがある。それは「データ駆動型」の方法,もしくは帰納的方法である。このアプローチも,やはり三つのステップから構成される。(1)膨大な量のデータを集める,(2)データを解析してパターンを検出する。(3)これらのパターンを使って仮説を立てる。
 研究者の中には,個人的な好みの問題として,どちらかのアプローチに心惹かれる人もいる。しかしじつをいえば,これら二つのアプローチは対立するものではない。データ駆動型のアプローチは,直観だけに頼るより,探究の価値のある可能性の高い仮説を立てるためのアプローチと見るべきなのだ。そうして良い仮説を立てたのち,仮説駆動型の研究を行えばよい。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 340

そんな実験があるなら,もう誰かがやっているよ

 効率的市場仮説に関する経験的証拠とされるものは,それを支持するものにせよ反証するものにせよ,込み入っていて一筋縄ではいかないが,理論的な根拠はシンプルだ。もしもどこかの会社の株が割安だということを示唆する情報があれば,それを最初につかんだ投資家たちがその株を買うことで株価を引き上げるだろう。したがって,歩道に20ドル紙幣が落ちていることはない(じっさいにはほとんど落ちていない)のと同様,よい投資のチャンスというものはない,というのがこの仮説の主張なのである。
 さて,この話が神経科学とどう関係するのだろうか? 笑い話をもうひとつ紹介しよう。「すごい実験を考えついたよ!」と,ある科学者が言った。するともうひとりの科学者がこう答えた。「馬鹿なことを言うな。そんな実験があるなら,もう誰かがやっているよ」。このやり取りには真理のかけらが含まれている。科学の世界は,頭のいい働き者であふれている。すごい実験は,歩道に落ちている20ドル紙幣のようなものだ——これほどたくさんの科学者がいるのだから,すごい実験がそうそう残っているわけがないというわけだ。この主張を定式化するために,わたしは《効率的科学仮説》とでもいうべきものを提唱したい。公正で確実な研究方法では,平均的な成果を上回ることはできない,というのがそれだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 228

単純なルール

 一見すると,ボイドのように生物に似せたふるまいを再現するには,非常に入り組んだ精巧なプログラムが必要なように見える。だが,実際のプログラムはとても短いもので,個々のボイドは次の3つの単純な規則に従っているにすぎない。
・他の固体に衝突するのを避ける。
・近隣の個体群が向かっている方向を平均し,その方向へ向かって動く。
・近隣の個体群の位置を平均し,その方向へ向かって動く。
 この規則を簡潔にまとめると次のようになる。
・回避(分離)
・整列
・引き寄せ(結合)
 次に空港や駅やサッカー場などに行くことがあったら,少し時間をとって周囲の人々が歩いているところを観察してみてほしい。たいていの場合,ほとんどの人がこの三つの規則に従っていることがわかるだろう。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 44-45

社会物理学

 社会物理学という言葉が,人々が自由意志を持たない機械であり,社会における役割を超えて動くことはできない存在であると暗に示唆しているとして,反感を覚える人もいる。しかし私の考えでは,社会物理学は,人間の独立した意思を認めている。それを表現する必要がないだけだ。社会物理学は,母集団全体に及ぶ統計学的な規則性に依拠している。つまりほぼあらゆる日と,ほぼあらゆる場合において,真実として考えられる現象を扱っているのだ。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 226

データ乱用の防止

 データ駆動型社会を成功させるためには,私たちのデータが乱用されないようにする必要がある。特に政府がその力を悪用して,詳細なパーソナルデータにアクセスするなどといったことがあってはならない。データ駆動型社会の良い面だけを実現するためには,私が「データのニューディール」と呼ぶ取り組みが必要になると考えている。これは公益を実現するために必要なデータをすぐ使えるように整備する一方で,同時に市民を守るという実効性のある保証を行うものだ。プライバシーを保護する,より強力で洗練されたツールを開発し,また社会の改善と市民の権利保護という目的において,パーソナルデータの使用を許可するというコンセンサスを確立しなければならない。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 211-212

社会物理学

 このようにアイデアの流れに注目するのが,社会物理学という名前をつけた理由だ。通常の物理学の目標が「エネルギーの流れがどのように運動の変化をもたらすか」を理解することであるように,社会物理学は「アイデアや情報の流れがどのように行動に変化をもたらすか」を考察する。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 17


観察と幸運

 現場に居合わせるということは,幸運以外の何ものでもない。何しろぴったりの時間にぴったりの場所にいなければならないのだから。たとえば,マダガスカルのタンポロの森林地帯で研究者がヘビの捕食に気づいたのは,鳥やキツネザルが騒いでいたおかげだった。見ると,大きなマダガスカルツリーボアがタケキツネザルに巻きついていた。締めつけて窒息させるまでに60分かかったという。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 168

特別な位置に

 創造主義に反対で,進化論に賛成という議論になってくると,科学者の多くは頑ななまでに進歩主義を通す。それなのに,現生人類や初期ヒト科,大型類人猿,そしてその他の霊長類までも,何としてでも特別な位置に分類しようとする。被食動物にしてはあまりにも知能が高いという理由からだ。こういった科学者たちがこだわるのは,少なくとも人間(すなわち「狩るヒト」)はまわりの環境を支配しなければならなかった——人間が自分たちを食べにかかってくる「もの言わぬ動物」のなすがままだったはずがない,という点だ。だが自然選択や進化論を信じるのであれば,捕食者と被食者をとらえる動物学の枠組みに基づいて,自分たちの立つ位置を受け入れなければならない。筆者は,霊長類種に対する捕食はまぎれもない事実だと立証してきた。小型で二足歩行をしていたヒト科もほかの霊長類と同じく,まさに食べられる状態にあったのだ。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 75

思想の影響

 ここでちょうどいいからふれておこう。人類の祖先をめぐる問題には,客観科学や公平な真理の追究よりも,思想的な側面から多くの関心が集まっていた。とくに19世紀後半から20世紀初めごろは,私たち人類およびその祖先は種という山の頂上にいなければならないと考えられていた。われわれはもっとも賢い種でなければならない。われわれは特別で,強靭で,ほかの動物たちの上に君臨していなければならない。そして,きわめて重要な点だが,人間も,ヨーロッパ人種を頂点とする階層に従って位置づけなければならないとも考えられていた。自然選択の考えを通して進化の理論をまとめあげたダーウィンは,自然の法則に従って,人間を他の動物と同じように動物界のなかにおさめた。けれども,そのダーウィンでさえ,人間と類人猿(人間に最も近い現生する親戚)とでは,精神と知性の面で雲泥の差があると考え,「最低の人間の精神と最高の動物のそれとの間には計り知れない隔たりがある。これには疑いを挟む余地がない」と書き残している。当時,生体と行動という点であらゆる人間と動物とを分けていたのは,大きな脳の存在だった。19世紀後半の理論家たちは,現代人の脳に備わっている灰白質の量をもって真の人間の特徴ととらえ,大きな脳という期待にそうような初期ヒト科の化石を探していたのである。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 26-27

何でも有毒?

 量によっては,どんなものでも毒素になりうる,という話を耳にしたことがある人もいるかもしれない。しかし,これは正確な表現ではない。確かに,十分な量のもとでは毒性をもつ物質も存在するが,人を殺すのに膨大な量が必要なのであれば,その物質は毒素とは言えないのだ。
クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二(訳) (2017). 毒々生物の奇妙な進化 文藝春秋 pp. 16

全国規模の自然災害

 成層圏まで到達した噴煙のうち,火山灰のかなりの部分は偏西風に乗って東へ運ばれ,関西あたりで20センチ以上,関東や東北,朝鮮半島でも10センチ以上の火山灰の地層が確認されています。当然ながら,噴火地点に近い九州南部は火山灰のなかに埋もれてしまい,ほぼすべての地点で30センチ以上の降灰エリアとなっています一万年に一度という巨大噴火を経験したことのない私たちには理解しがたいことですが,鬼界カルデラ噴火は全国規模の自然災害であったのです。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 59-60

火砕流

 火砕流は摂氏何百度という高温なので,海面に触れると沸騰状態となり,まるでホバークラフトのように,海面と接触するかしないかというくらいの高さを一気に逆流します。もっとも火砕流のうち,重い部分は海中に沈み,軽石やガスなど比重が小さいものが海面を滑走するそうです。地上における火砕流は時速100キロメートル前後ですが,海面では摩擦による抵抗もないので,さらに高速だったとも推察されています。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 52

科学と人文科学との融合

 過去の記録のされ方がその性格を変化させるにつれ,科学と人文科学の境界は明確ではなくなっている。その結果,両者の融合はさまざまな名のもとで進んでいる。科学的手法を取り入れて研究している歴史学者は,「デジタル人文科学者」を自称する傾向がある。大学の言語学科には「コーパス言語学者」がいる。心理学と社会学は「数理社会科学者」という名称を好む場合もある。科学と人文科学との融合の機は熟しており,シリコン・ヴァレーの新興企業の中では日常的に新たな考え方が次々に生まれている。
エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 274

科学は可能性

 科学は私たちに説明を探すための戦略を授ける――だが絶対的な真理を探すための戦略はもたらさない。それどころか,絶対的な真理を求めるなら目を向ける先は純粋数学か宗教しかなく,断じて科学ではないと言われている。なぜ純粋数学が絶対的な真理をもたらすかと言えば,純粋数学とは単にあるルール一式を適用した場合にある公理一式からもたらされる結論を導くことだからだ。あなたは独自の世界を定義するわけで,その中でなら確かに絶対的な真理を述べられる。一方,信仰の表現としての宗教は,ある絶対的な真理を信じていることの表明である。


 それに対し,科学は可能性がすべてだ。私たちは理論を,予想を,仮説を,説明を提唱する。そして証拠やデータを集め,その新たな証拠に照らして理論を検証する。データが理論と矛盾するなら理論のほうを変える。そうすることで科学は前進し,理解はいっそう深まる。だが,既存の理論と矛盾する新たな証拠が出てくる可能性は常にある。結論が変わりうること,すなわち真理が絶対でないことは科学のきわめつけの本質だ。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 253


harking

 結果を選ぶことが結論をゆがめる一形態だと言うなら,実験を行ってデータを集めたあとに,検証しようとする仮説を決めることもそうだ。これは hypothesizing after the results are known (結果がわかったあとに仮説を立てる)の頭字語としてharking(ハーキング)と呼ばれている。これならデータが支持する仮説を簡単に立てられるに決まっている!こう説明されると見るからに危ういやり口に思えるが,効果は概してずいぶんさりげなく現れる。たとえば,研究者がデータをふるいにかけ,ある決まった傾向の兆しを見いだしたあとに,もっと詳しい統計分析を同じデータに対してかけて検証して,見いだした傾向が有意かどうかを確認するのである。だが,どのような結論が出ても,それは傾向の兆しを見いだした当初の考察で歪められている。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 171


行動には動機が

 科学分野では,またときには社会科学でも,行動には動機があるものと考える。というのも,多くのものがあたかも目的をめざしているかのようにふるまうからだ。たとえば,水は同じ高さをめざす。自然は真空を嫌う。泡は表面張力を最小化しようとする。光は,さまざまな物体を異なる速度で通過して最短距離を進もうとする,といった具合である。だがJ型の管に水を満たし,低い方の先端を閉じて管の中の水が同じ高さに到達できないようにしたら,水が困惑するとは誰も考えない。閉じていた先端を開いて水が噴き出し,床に飛び散ったら,同じ高さになろうとしてあわてるからだと非難する人もいない。同様に,光が最短距離を進むのは急いでいるからだ,とも考えない。なるほど近頃では,ひまわりは太陽光が浴びられないと悲しむと考える人がいる。また,木の葉は光合成を最大化するために,枝上で太陽光を分け与えるような位置を探すとも言われる。林業を営む人なら,木の葉がうまく位置取りしてくれたらうれしいだろう。だがそれは,木の葉のために喜ぶのではない。そもそも,木の葉が自分たちの利益になるようにふるまっているのか,単に酵素の命じるとおりにしているのか,あるいは「目的」とか「~をめざす」といった言葉がまったくそぐわないような科学的な系の一部に組み込まれているのかは,おそらくわかっていない。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 11-12


新村さん

 『広辞苑』(岩波書店)の表紙には,いまでも「新村出編」と掲げられており,編者名がブランド力を持った感がある。初版は1955年。現在は2008年刊行の「第六版」まで版を重ねている。新村出は1967年に死去。彼が関わったのは初版までである。「第二版」「第三版」「第四版」は長男の新村猛を中心に編まれた。猛の長男の新村徹も関わっている。新村猛は1992年,徹のほうは不慮の事故で1984年に死去。『広辞苑』の「第五版」「第六版」において,新村家3代は関わっていない。それでも「新村出編」という名前を残しているのは,新村出が『広辞苑』の基本コンセプトを作ったこと,それを守り続けていくことを広く知らしめるためであろう。これは刑法学者の末弘厳太郎と似ている。なるほど,神童はこうして後世に伝えられていくものなのか。1980年代まで,新聞社や出版社で新人記者が原稿の中でひどくあやふやな言葉を用いると,デスクは「新村さんに聞きなさい」と突っ返すことがあった。「広辞苑で調べろ」という意味である。いまは,ネットで調べれば済んでしまうことが多くなったので,「新村さん」の出番は少なくなりつつある。さびしい話だ。神童さんと読みかえてもよかったのに。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 107-109


条件を一定に保つために

 道徳哲学を風刺するジョークがある。問題:電球を変えるのに必要な道徳哲学者は何人か? 答え:八人。一人は電球を替えるために,七人はその他のすべての条件を同一に保つために。だがそれは,路面電車のシナリオが役に立つようにきわめて注意深く組み立てられているからにほかならない。


 現実の生活はホワイトノイズ,つまり倫理的な雑音であふれている。現実生活はとても複雑なので,道徳的推論の適切な特徴を見きわめるのは難しい。路面電車のシナリオは,基本原則を抽出し,有意義な差異を検知できるように設計されている。そのためには,気を散らすようなゆがんだ音を消し去るしかない。科学的方法との大まかな類似点を考えてみよう。研究室では,たておば光の効果をテストしたい場合,光を変化させる一方でほかの要素はすべて一定に保っておく。同じように,ある特定の特徴が道徳的に妥当かどうかを判断したければ,この一つの変項をさまざまに変化させながら,それ以外の点では同一の二つの事例を想像してみるといい。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.149-150


アンケートの哲学的価値

 こうした世論調査やアンケートに訴えることの哲学的価値とは何だろうか?何の価値もない,そんなことをしても無駄だと言う人もいる。ケンブリッジ大学の著名な哲学者ヒュー・メラーもその一人だ。「これが哲学だとすれば,人々に円は四角だと思うかどうかをたずねるアンケートは数学だということになる――だが,それは数学ではない」


 しかし,調査情報の収集や直観のデータバンクの構築は,われわれの直観の信頼性に疑問を投げかけるために利用されてきた。そして,専門家の直観はふつうの人のそれよりも信頼できるかという関連問題を提起してきたのだ。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.137-138


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