I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

現象重視から不正へ

医学に関わってきた一人として,私も確かにその通りだと思う。多くは,現象に始まり,現象に終わる。医師にとっては,抽象論よりも,具体的な問題,目の前の患者を治すことが大事である。医学部とは,数字のよくできる学生を入学させて,できなくして卒業させる学部として定義してもよいくらいだ。
 そこに,研究不正のつけこむ隙ができる。画像解析のような,主観の入りやすい現象から出発し,理論化,抽象化あるいは数式化することもないまま,結論にいたる。それでも,ゲノムが明らかになり,生命科学はずいぶん変わってきたと思う。ゲノムは,生命科学における,要素還元主義の柱となった。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.209

格差は資金差

大学,研究所というと,最先端の研究室が並んでいると,人々は思うであろう。しかし,現実には,何十人の研究員を抱え,設備の整った大研究室もあれば,店長一人といった零細店舗もある。東大のような大きな大学には,大都会のショッピングモールのようにきれいに飾った大きな店が多いが,地方大学は,地方都市の商店街のようだ。きらりと光る個性ある店舗があるものの,なかにはシャッターを閉じたような店もある。格差は,いたるところで広がりつつあるものだ。格差の最大の要因は資金の差である。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.193

h-インデックス

競争に勝つためには,よい研究をしなければならない。よい研究かどうかは,論文が掲載されたジャーナルから判断できると人々は信じている。よいジャーナルかどうかは論文の引用が指標になる。よい研究であれば,他の研究者が注目し引用するからである。かくして,引用数によって,ジャーナルごとにインパクト・ファクターなる指数が計算され,格づけに利用される。個々の論文の引用数も調べられている。さらに1人1人の格づけとして,引用数と論文数を同時に示す「h-インデックス」がある。h-インデックス50は,引用回数50位上の論文が50あるという意味である。科学者が数字を得意とするからと言っても,すべてが数字になり,それによって評価が決まるとなれば,ストレスとなるのは確かである。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.189

美しさへの動機づけ

研究をしている人は,誰でも,きれいな実験をしたいと願っている。疑いようのない,完璧な実験で,自分の考えを見事に証明できればと思っている。しかし,実際には,回りくどい証明になったり,間接的なデータしか集まらないことが多い。美しいデータを求めるのは,科学者であるからには,当然の願いである。しかし,それは時に改ざんへの誘惑ともなりうる。データをきれいに見せるたびに,ほんの少しお化粧をする。邪魔をしているバンドを消してしまう。矛盾するデータを隠しておく,そのような気持ちが,改ざんする人の心の奥にあるのではなかろうか。しかし,改ざんしたために,論文を撤回する羽目になったら,最もみにくい結果になる。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.188

何本の論文を書くか

研究者はどのくらいの論文を書くのであろうか。わが国の論文数の多い30大学について,研究者1人あたりの論文生産量を調査したデータがある。2002年から2011年までの10年間の研究者1人あたり論文数は,平均10.2報であった。研究者は,1年に1報の論文を書くことになる。一番多い大学は,東京工業大学の21報,平均の2倍である。ちなみに,東大は12.6報。トップグループではあるが,それほど多いわけではない。
 論文数は,分野によって異なる。社会科学,人文学分野は,論文よりも自分の考えを1つにまとめたモノグラフを尊ぶ傾向がある。化学合成や材料科学の分野では,何かを作り出すたびに,短い論文を書いて,もの作りのプライオリティをとる必要がある。東北大学のAI(事例42)は,2500以上の論文を書いている。
 数を頼むのではなく,インパクトがあり,質のよい論文を,丁寧に書くことを心がけよう。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.165

著者の多い論文

ノーベル賞のパロディ版であるイグ・ノーベル賞は,科学に対する風刺と皮肉,ユーモアにあふれ,毎年話題になる。1993年,第三回イグ・ノーベル文学賞を受賞したのは,ページ数の100倍の人数の著者がいる医学論文であった。著者数976名は,当時としては,からかいたくなるほど,異常な著者数であった。しかし,それから20年以上経った今,1000名を超すような論文が,毎年200報近く発表されている。
 最も著者数の多い論文は,2015年5月,物理学のフィジカル・レビュー・レター(Physical Review Letters)に発表されたヒッグス粒子の質量測定の論文である。なんと334研究室の5154名の著者が名を連ねている(ギネスブックに登録されたという話は聞かないが)。33ページの論文中,24ページが著者名と所属のリストである。生命科学の分野で著者が一番多い研究は,2004年に日本から発表された高コレステロール症患者の治験研究である。北海道から九州まで,研究に参加した医師2459名が論文の最後の4ページにわたって紹介されている。
 著者数が多くなるのは,大規模な共同実験のためである。たくさんの患者を対象にした臨床研究,大がかりな設備を使う物理学の国際共同実験などでは,研究に携わった人が多くなり,1000人,2000人,さらに5000人になるのであろう。このような研究では,著者の1人が1回引用しただけで,論文の引用回数は何千にもなる。論文引用という基準で評価するのは難しくなる。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.156-157

文量リサイクリング

私は,文章リサイクリングまで盗用として扱うのは,行き過ぎだと思う。その理由を以下に記す。
・科学論文は,文学作品でもなければ,ルポルタージュでもない。科学論文にとって何より大事なのは,科学的内容である。文章の一部が一致しているからといって,不正扱いにするのは,本末転倒である。。
・科学論文は,事実を簡潔,明快かつ論理的に記載するべきである。主観的な表現を排し,分かりやすい文章で書くことが要求されている。このため,多くの論文の文章は,必然的に似通ったものになってくる。
・研究は,1つの流れで行なわれる。したがって,研究の意義を説明する序論は,先行する論文と同じような表現を使うことになる。要約,結論は短い数行で正確にまとめるため,同じような文体になる。文体が酷似するのは,科学論文にとって必然の結果である。
 幸いなことに,自己盗用への過剰反応については,反省の論調が発表されるようになってきた。ペンシルバニアの化学者,フランクル(Michelle Francl)は,文章のリサイクリングは常識の範囲であれば,許されるべきという主張を展開している。インド出身の物理学者,チャーダ(Praveen Chaddah)も,文章の盗用を理由に論文を撤回するのは,間違いであることを指摘している。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.143-144

重複

ガーナーは,自ら開発したソフトを使って,論文の中から非常に似た文章を検索した。その結果,全学術論文の0.1パーセントは,他人の論文からのあからさまな盗用であった。最もひどい例は,2つの論文の間で86パーセントが一致していた。なかには同じ著者による論文がほぼ一字一句たがわずに5つの専門誌に掲載された例もあった。2012年には,論文ではなく,研究費の二重申請を調べた。官民の研究費支援機関への86万件の申請を調べた結果,170組が,目標,目的などが実質的に同じであることが分かった。そのなかには,アメリカ屈指の名門大学も含まれていた。その結果生じる研究費の損失は,年間二億ドルに達するという。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.141

特定不正行為

アメリカ国立科学財団(National Science Foundation, NSF)をはじめ,世界の国々が,重大な研究不正として認定しているのは,
 ・ねつ造(Fabrication)
 ・改ざん(Falsification)
 ・盗用(Plagiarism)
 の3つの不正である。文科省のガイドラインは,この三者を「特定不正行為」として位置づけている。それぞれの英語の頭文字をとって,「FFP」ともいう。研究不正の研究者,白楽ロックビルは,日本語の頭文字から,「ネカト」と呼んでいる。本書では,「重大な研究不正」と呼ぶことにする。分かりやすくいえば,レッドカードに相当するような一発退場の違反である。misconduct(不正)と同じような意味で,fraudということもあるが,「詐欺」のニュアンスが強い。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.127-128

実験前の「仮置き」

調査報告書は,彼の研究室運営そのものが,研究不正の背景にあることを指摘した。「これほど多くの不正行為等が発生した要因・背景としては……国際的に著名な学術雑誌への論文掲載を過度に重視し,そのためのストーリーに合った実験結果を求める姿勢に甚だしい行き過ぎ」があった。たとえば,実験を始める前に,ストーリーにあった画像を「仮置き」するといった習慣があった。大学院生たちは,技術的にも時間的にも困難であろうとも,「仮置き」のデータを作ることが求められていた。そのような「強圧的な指示・指導が長期にわたって常態化していた」という。大学院生たちは,教授の「過大な要求や期待に対し,それを拒否するどころか,無理をしても応えるしかない」と思うようになり,不正に手を染めていった,と調査委員会は指摘している。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.101-102

社会不正と研究不正

社会不正も研究不正もその根底では同じである。真実に対する「誠実さ(integrity)」の欠如,野心,競争心,金銭欲,こだわり,傲慢,責任感のない行動,「ずさん」な行為などが。不正の底流にある。それらは,程度の差はあるにしても,誰もが抱えているわれわれの心の内面の問題でもあるのだ。
 ただ1つ違うとすれば,それは,科学者と企業人が所属する組織であろう。大学は,管理者,研究者,教育者,学生の緩やかな集合体であり,それをまとめる規範は,学問と発表の自由を尊重する立場から,彼ら/彼女らの良心に任されている。それに対して,企業などの組織は,明確で強固な上下関係のもとに運営されている組織である。それゆえ,研究不正では,研究組織の脆弱性が問題を広げたが,社会不正では,逆に,強固な経営組織が不正の発見を遅らせた。いずれの場合でも,不正は,われわれ自身に内包している問題であると同時に,所属する組織の問題でもある。それゆえに,不正は今後も続くであろう。

黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.iv

ハツカネズミの疾患モデル

そして,毛色の種類よりもっとすごいのが,ハツカネズミの疾患モデルの多様さだ。まれながんを発症する系統だけでも数百に達し,ほかに,顔面変形を起こしやすいもの,生まれつき免疫系機能不全のものもいる。また,視覚障がいや聴覚障がい,味覚障がい,あるいはバランス障がいを持っているものもいるし,高血圧や低血圧,睡眠時無呼吸症,パーキンソン病,アルツハイマー,筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった病気にかかっているものもいる。不妊症の治療に取り組む研究者たちは,生殖器に障がいを持つ88系統のジャック・マウスのなかから必要な種類を選べばいい。そして,さらにすごいのは,各種の適応障がいを持つ(精神疾患モデルの)ハツカネズミまでいることだ。強迫神経症,慢性うつ,各種の依存症,多動性障がい,そして統合失調症のハツカネズミもいる。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.282-283

ハツカネズミのメッカ

ハツカネズミ研究の”メッカ”は,メイン州バー・ハーバーにあるジャクソン研究所だ。クラレンス・リトルが,エドセル・フォード(=自動車王と呼ばれたヘンリー・フォードの息子)の協力を得て1929年に創設したこの研究所は,年間250万匹ものハツカネズミ——近親交配,突然変異,遺伝子操作によって産まれたハツカネズミ40トン近く——を生産する”ネズミ工場”だ。科学者たちは,4000系統以上の実験用ハツカネズミ「ジャック・マウス」から好きなものを選べるし,要求に合う種類がなければ,ジャクソンの科学者たちが遺伝子操作によって,お好みの仕様の新系統ハツカネズミを作り出してくれる。新たに作るのにはもちろんカネがかかる。新しい系統を開発するには1年かかるし,その費用は10万ドルだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.281-282

実験動物としてのネズミ

害獣だったネズミが,動物実験のモデル生物として扱われるようになったのは,1902年にウィリアム・キャッスルというハーバード大学の生物学者が,引退したボストンの学校教師から近親交配したネズミを譲り受け,それを動物遺伝学の実験に使ってからだ。ただ,はじめてハツカネズミを実験体として使った研究者は,キャッスルではない。オーストラリアの僧侶グレゴール・メンデルだ。彼は遺伝学に取り組みはじめたときに,ネズミを人工的に繁殖させた。でも,神に仕える者が交合する動物と同居するのはいかがなものかと司教に言われ,庭に生えていたエンドウマメにくら替えしたのだ。実験用のハツカネズミが公式に誕生したのは1909年,キャッスルの教え子クラレンス・リトルが純血種のハツカネズミを作ったときだ。毛の色にちなんでDBA(= Dilute Brown non-Agouti’ アグーチ遺伝子が欠損した薄茶色の毛を持つ実験用ネズミ)と名づけられたこのハツカネズミは,いまも生医学研究で使われている。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.281

予見の困難さ

過去に起こった出来事や変化を眺めるとき,それらのすべてが「いま・ここ・われわれ」を目指してまっしぐらに進んできたという印象を拭いさることはむずかしい。過去を振り返るときには,つねに時系列の最終地点(=現在)からそうするしかないのだし,過去は現在に近づけば近づくほど現在に似てくるのだから,当たり前といえば当たり前の話ではある。
 しかし同時に,歴史の行く末を見通すことはきわめてむずかしい。振り返ってみればそうでしかありえなかったとしか思えない出来事も,その時点において予見できるかどうかとなると話は別だ。パスカルが語ったように,歴史ではほんのわずかなちがいが重大な結果をもたらしうるようなかたちでカオス的に遍歴する。歴史とはそうしたものだということを,すでに私たちはよく知っている。本能寺の変,アメリカ同時多発テロ,QWERTY配列キーボードの普及,ベータ方式に対するVHS方式の勝利等々,後知恵でもって振り返れば一連の出来事が明確な方向性を持って推移してきたように見えるが,当時それを適確に予見することは不可能だっただろう。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.332-333

出来事のユニークさ

自然科学による説明は,一般的な法則,つまり自然法則によって対象を包摂する。説明対象は(たとえサンプルが1個だけであったとしても本質的には),一般的な法則に服する一事例として位置づけられる。でも,歴史を理解しようとする場合はちがう。歴史的な出来事もまた種々の一般法則に従うと想定することは妥当なことだし必要なことである。しかし,それは単なる一事例として(だけ)扱われるのではない。当の歴史的出来事は,究極的には唯一無二の,とりかえのきかないユニークなものとして遇される。そして,その出来事のユニークさを把握することを通じて,歴史の真理へと至ることが目指されているのである。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.310

アルゴリズムとヒューリスティクス

ところで,心理学の読み物などではアルゴリズムとヒューリスティクスが2つの対照的な方法として紹介されることがある。たとえばアルゴリズムは論理的・科学的な解決方法であるのに対して,ヒューリスティクスは直観的・人間的な解決方法である,というように。機械やプログラムと人間を対比するこうした説明は,わかりやすい反面,無用な誤解を生むのではないかとも思う。広い意味ではヒューリスティクスもアルゴリズムの一種なのだから。それはかぎられた資源をもとに近似的な解を求めるアルゴリズムなのである(人間の直観的思考もかなりの程度までアルゴリズムの観点から解析可能だと思う。心象やイメージの感覚についてはわからないが)。だから,必要以上にアルゴリズムとヒューリスティクスを対照させると,自然淘汰のアルゴリズムと適応主義のヒューリスティクスがまるで別物であるかのように誤解してしまうかもしれない。実際には,適応主義のヒューリスティクスは(自然淘汰がアルゴリズムであるのと同様に)アルゴリズムの一種であるし,自然淘汰のアルゴリズムも(人間のヒューリスティクスよりさらに非効率的かもしれないが)ヒューリスティクス的な解決を行う。自然淘汰という研究対象と,適応主義という研究方法とは,ともにアルゴリズムという点で同じものだ。それが適応主義プログラムの有効性の秘訣なのである。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.248

問題は個々の仮説

でも,学問の世界において,トートロジー問題が不都合をきたすことはない。学問としての進化論は,特定の仮説——粒子遺伝,突然変異,遺伝子導入など——の集合体だ。学問研究の場においては,研究成果はその真偽が検証可能なものとして提出されなければならない。だから進化論の諸仮説も,さまざまな学問的約束事に則って,真偽の検証が可能なかたちで構築される。つまりそこで問題になりうるのは,自然淘汰説そのもののトートロジー性ではなく,あくまで個々の仮説なのである。その意味で,進化論の学説は学問的な限定がなされることで,その有効性が確保されているのだといえる。
 他方で,日々の暮らしのなかで進化論の言葉やイメージが用いられる場合,事情はまったく異なる。私たちは多くの場合,生物の世界や人間の社会の実相を一挙にとらえる世界像として,進化論の言葉やイメージを利用する。つまり,進化論的な仮説や学説が本来必要とする学問的な限定をいっさい解除したうえで,進化論を利用しようとするのである。「適者生存の世の中だ」とか「適応できなきゃ淘汰されるだけ」といった言葉を発するとき,私たちはなんらの仮説も構築するつもりがないし,なんらの学説も提唱するつもりがない。そもそも,進化論由来の言葉を発することそれ自体が目的であり,ただ言いたいだけなのだから。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.135-136

優生学への誤解

ところで,優生学に対する最大の誤解は,優生学は,極右の学問であるというものである。歴史の現実はこれとは逆で,本書でもしばしばふれるように,この時代,多くの社会主義者や自由主義者が,優生学は社会改革に合理的基盤を与えてくれるものと期待した。イギリスでは,フェビアン協会のウェッブ夫妻や,H.G.ウェルズ,青年時代のラスキ,経済学者J.ケインズなどがいた。新生ソ連にとって科学主義的な優生学は親和性のあるものであり,20年代には強力な優生運動があった。メンデル主義的な優生学は支配階級に奉仕し,帝国主義的拡大を正当化するブルジョワ科学であるとする,よく知られたかたちの批判が現れるのは,20年代末になってのことである。
 1920年秋,モスクワに,生物学者,医師などの専門家からなるモスクワ優生学会が,翌21年,ペトログラードにロシア科学アカデミー優生学局が設けられた。これらの組織の研究者たちは,アンケート調査による家系データの収集,疾病の遺伝の研究,優生学の啓蒙などに従事した。その中心はメンデル派の優生学者たちであったが,これに対して,25年にはラマルク主義的な優生学の提唱者たちから非難の声があがった。彼らは,獲得形質の遺伝を否定するメンデル主義的優生学がマルクス主義と相容れないとし,ラマルク主義の立場から環境改善による人類の遺伝的改良を主張したのである。その後スターリン主義の発動によって,30年にはロシア優生学会は解散させられ,メンデル主義的優生学を推進していた有力学者の一部は,ブルジョワ専門家とみなされ教職を解任された。こうしてメンデル主義とほぼ同一視されていた「優生学」という言葉はソ連では完全に失墜し,さらに30年代末以降ルイセンコ理論の席巻によりメンデル主義遺伝学は大打撃を受けた。30年代のソ連とドイツでは,まったく正反対の遺伝理論が,強力な政治的圧力の下で浸透していったのである。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 29-30

人体測定学

この時代の実証主義は,人類学の一領域として,人体測定学(anthropometry)と呼ばれる新しい型の研究をうながした。
 19世紀後半は,ヨーロッパの研究者が自国植民地のさまざまな人種の身体を次々と測定してまわった時代であった。広義の人類学は,国民国家成立による徴兵制実施に伴う身体検査,植民地再分配後の「原住民調査」,義務教育の実施に伴う学校保健など,歴史的要求に応えるかたちでデータを収集し,これを整備することで近代科学としての体裁を急速に整えていった。
 そのなかで一群の人類学者が注目したのは,毛髪,皮膚の色,気性とならんで頭蓋容量(脳の大きさ)と,ほぼこれを併行関係にある顔面角であった。『種の起源』の出版以前にもすでに,顔面角を比較して,黒人は白人よりオランウータンに近いと論じる人類学者がいたが,ダーウィン以降になると,顔面角の立ち上がりが進化の基準であるとする考えが当然のものと受けとられ,それぞれの人種の知能発達の程度を示す科学的根拠とみなされるようになった。それは「新しい骨相学」とも呼ばれた。そしてこのような頭蓋容量に着目して人種間の優劣を「科学的に実証」しようという態度は,後のナチスの思考様式のなかに流れ込んでいく。ナチス親衛隊長官ヒムラーは,膨大なユダヤ人の頭蓋を集めさせ,是が非でもその劣等性を確認しようとしたのである。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 21-22

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