I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

オジギソウの時計

オジギソウは夜になると葉を閉じ,昼間は葉を開く。ド・メランは,今が夜なのか昼なのかおじぎそうにわからないようにしたら,一体どうなるだろうと考えた。そこで1729年の夏の終わりごろに,彼はオジギソウを真っ暗な箱に入れ,オジギソウは日光がなくても正しい時刻に葉を閉じたり開いたりすることを発見した。彼の友人のアカデミー・フランセーズ会員が,当時フランスの最も権威ある学術団体だった王立科学アカデミーへ送った短い論文には,「つまりオジギソウは,見ないでも太陽の存在を感じとることができる」と書かれている。
 しかし,この結論はまちがっていた。ずっと後になって,オジギソウは太陽の存在を感じとるのではなく,内部に固有の時計をもっていることを,研究者たちが突きとめたのである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.6

突き抜けたりはしない

みなさんが私と似たりよったりの想像力の持ち主なら,この質問を読んだ瞬間,マンガでよく出てくる状況を思い浮かべたかもしれない。ゴーリーにホッケー・パックと同じ形の穴があいて,パックはそのまま飛んでいってしまう,という図を。だがそんな想像をしてしまうのは,物質が超高速度でどのように振舞うかに関するわれわれの直観が,まったくあてにならないからにすぎないのだ。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.146-147

逆推論のみ

公平を期すために言っておくが,逆推論の手法自体には,そこで研究が打ち止めにならないかぎり,何の問題もない。それどころか,この手法からは,有益な仮説を生み出す貴重な出発点が得られることが多い。そして,その仮説は,のちほど体系的な実験で試すことができる。あいにく,マスメディアの注意を惹く傾向にある研究は,逆推論のみに基づいた結論を売り物にしている。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.45

スモール・サイエンス

この本が扱うスモール・サイエンス(小さな科学)は,途方もない道具屋莫大な予算を必要としないから「スモール」なのであって,取るに足りないからではない。なかには紙とペンを手にして懇談会や地元のショッピングモールで記録を取るだけのものもある。研究助手の集団を必要とせず,自分を研究対象にして有益な観察を行うこともできる。さらなる道具を求めるとしたら,ストップウォッチを買うと良い。この研究は自己資金で行うことが可能で,助成金の申請書に記入すること,そしてこの上なく縮小されていく研究資金を巡る長年にわたる気の滅入る競争を幸いにも回避できる。これは素晴らしいことだ。そのような研究は科学的権威を欠くため,助成金の管理者や政治家たちが資金援助の熱意をかき立てられるとは思えない。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.15

縦断的手法を

因果関係をより性格に説明したいなら,複数回にわたって異なる時期にデータを収集すれば,1つの変数がその後の結果にあたえた影響をもっと明確に分離できる。これは縦断的手法と呼ばれ,実行するには時間と経費がもっと必要だが,単純な相関関係から誤った結論を導いてしまうおそれは小さくなる。この方法なら,たとえばある時期にコンサルティング会社の指導を受けた企業の業績がそれ以降に向上したかどうかがわかる。先ごろ,メリーランド大学のベンジャミン・シュナイダーのグループがこの縦断的手法を用いて社員の満足度と企業パフォーマンスの関係を調査し,原因と結果を確かめようとした。データは数年にわたるものなので,満足度と業績の変化が観察できた。はたして結果は?資本利益率と1株あたり利益で見た財務実績が社員の満足にあたえた影響は,その逆よりも大きかった。どうやら勝ち組であることが社員の満足度を高める大きな要因になるのであって,社員が満足していても,企業パフォーマンスにそこまでの影響はあたえないようだ。シュナイダーらは,どのように壁を破って原因と結果を解明できたのだろう?長期にわたってデータを収集したのだ。1時点のデータで因果関係を推測するのははるかに楽だが,手に入るのは妄想なのである。

フィル・ローゼンツワイグ 桃井緑美子(訳) (2008). なぜビジネス書は間違うのか:ハロー効果という妄想 日経BP社 pp.125

データの利便性

まず,正しく因果関係を証明するためには,データを収集する段階から,因果関係を証明することを念頭に置いたデザインにしなければならないのですが,日本の統計にはそもそもその認識が欠如しているものが多いという問題があります。
 さらに,研究者が利用できるデータが限られている,という別の問題も存在します。たとえば,全国学力・学習状況調査は,文部科学省やその関連機関に所属する研究者など,限られた人以外はアクセスできません。
 なぜなら,全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではないからです。「統計」であれば,研究者はアクセス可能なのですが,実際は「意見・意識など,事実に該当しない項目を調査する世論調査など」(総務省のウェブサイトより)という扱いになっており,研究者はこのデータを学術研究に用いることができないのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.137

自分が不得手なものを研究する

カール・ユングは,人は自分が不得手とするものを研究すると言ったそうだ。この警句は実に頻繁に私に当てはまる。自分が自制のお手本だなどと言うのはお笑い草だ——それにはほど遠いが,タバコを吸いたいという渇望との闘いでは勝利を収めた。

ウォルター・ミシェル 柴田裕之(訳) (2015). マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 早川書房 pp.152

一般法則と個別事例

一般法則の話を個別の話に当てはめているのに,個別の話だけで論じようとして混同してしまう人も,因果関係の議論の際によく見かける。実在世界と言語世界の混乱であり,科学の仕組みとヒュームの問題を知らないためである。また,ヒュームの問題により,たとえ要素還元主義やメカニズムを追求する場合であっても,原因と考える出来事と結果と考える出来事との間で,データに基づいて推論を行わねばならないことも分かる。
 ヒュームの問題は250年ほど前に指摘された。20世紀にはラッセルがヒュームを広く紹介した。ところが,日本ではいまだに,ヒュームの問題が踏まえられていないことが多く,この弊害は非常に大きいと思う。原因という出来事と結果という出来事は実在世界に属する。しかし因果関係は言語世界に属する。因果を日常生活や科学に生かすためには,このことを頭にたたき込み,言語世界の因果関係を描き出す語彙を持つ必要がある。そうでないと因果関係は描けないし,描かれた因果関係も理解できない。従って妥当な判断もできない。

津田敏秀 (2011). 医学と仮説:原因と結果の科学を考える 岩波書店 pp.101-102

因果関係の証明

研究者たちは因果関係があると言うために,証明をして示さねばならないと思っている。しかし具体的な証明方法を知らない場合には,因果関係がないかのようになってしまう。因果関係が分からないでとどめればいいのに,因果関係がないのと同じにしてしまう。だが,観察されたデータから因果関係の有無を推論するのなら,因果関係がないことも証明する必要がある。そして,「因果関係がない」と証明することはしばしば困難を伴う。今は因果影響がないと思える1に近いリスク比でも,もっと対象者を増加させ観察を繰り返していたら,誤差の変動に隠されていた微妙な因が影響が見えてくるかもしれない。いずれにせよ,その後さらに,定量的に描かれた因果関係の影響の測定結果から判断を導く作業が待っている。

津田敏秀 (2011). 医学と仮説:原因と結果の科学を考える 岩波書店 pp.100-101

要素還元主義の悪用

要素還元主義は悪用される。JT(日本たばこ産業)を含む世界のタバコ会社は長年にわたり,タバコ喫煙と肺がんとの因果関係に関して「メカニズムがまだ証明されていない」と,因果関係を認めてこなかった。1990年代には,タバコに含まれている物質ベンツピレンが作用して,がん抑制遺伝子の157,248,273のコドンに変異が生じることが示された。更にこの変異は,人の肺がん遺伝子の通常位置でも発見された。それまでのタバコ会社の主張の路線を維持するなら,ここでタバコの発がん性を認めるのが筋だろう。
 しかしここまで示しても,JTを含むタバコ会社の多くは主張を一向に変えないため,「メカニズムがまだ証明されていない」という要素還元主義やメカニズムへのこだわりが,単なる逃げ口上に過ぎないことも分かってきた。さらに,海外のタバコ会社はMutagenesisという国際的医学雑誌の編集委員と組んで,前述した研究を目立たない一意見に過ぎないと葬ろうとした。これがタバコ会社の内部文書の公開で明らかになり,Lancetという有名医学雑誌に発表された。因果関係を明らかにしてほしくないという強い気持ちが入ると,目に見えないゆえに強引な論理が押し通されてしまう。要素還元主義は,時間稼ぎにはもってこいである。その間に,「正常な使い方をして明瞭な害のある唯一の商品」(米CDC長官の発言)であるタバコを売りまくってしまえる。

津田敏秀 (2011). 医学と仮説:原因と結果の科学を考える 岩波書店 pp.52-53

科学は中立ではない

現代では,科学的観察は白紙の状態で行うのではなく仮説を元に行う。そもそも何ものにも影響されずに自然を観察することなどほとんど不可能である。この点は,科学ではきわめて重要である。観察とか証拠というものは,理論の影響から自由ではない。
 我々は何らかの目的を持って事柄を検証している。心の中で何らかのアイデア(観念)を伴って事柄を検証しているのである。科学的観察は常に理論負荷的であると言われ,観察事実は理論を前提としていて,その理論の影響からは逃れられない。こんなことを勉強すると,大学でよく耳にした「心を真っ白にしてデータを見なさい」とか「科学は中立だ」などという教授たちのセリフに対して,ひと言文句でも言いたくなる。

津田敏秀 (2011). 医学と仮説:原因と結果の科学を考える 岩波書店 pp.29-30

流行を牽引せよ

より危険が少ないのは,流行を追うのではなく,流行を牽引していくやり方だ。たとえば,ひとつの方法として,日頃から技術発展の動向に目を光らせておき,以前であれば時期尚早と棚上げされていた解決策として,そこで見つけた技術が使えないかと考えることが挙げられる。それに加えて,問題解決に必要な技術を自分で開発する手もあるだろう。もちろん,そのためには多大な労力が要求されるはずだ。だがその代わりに,ライバルたちと競争を繰り広げる必要はなくなる——わざわざ骨の折れる仕事をしようという者はめったにいないからだ。そのようにして,最先端の技術に疑いようのない親展をもたらせたなら,あなたは少なからぬ評価を受けることだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.160-161

研究の多様性

研究者は広く浅くを目指すべきだとか,いろんなことに手を広げすぎて何の業績も残せない研究者になるべきだとか,そういうことを言うつもりは毛頭ない。だがそれでも,ひとつの関心だけでなく,ちょっとは違ったものに手を突っ込んでみれば,研究者として成功する可能性が高くなるのではないかとは思っている。たとえば,ある研究領域の人気がなくなったとき,すでに手を伸ばしていた他の領域の重要性が増すことがあるかもしれない。また,ある領域で学んだり発展させたりした優れたアイデアを,他の領域で応用できる場合もあるだろう。こうした応用は,その領域を発展させるための非常に効果的な手段になり得る。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.158

論文は多いほうが

ついでに言えば,論文数は少ないよりも多い方がいい。あなたを評価する人たちのなかには数字を気にするタイプもいて,そういう人たちに対して,いくつかの点でプラスに作用するからだ。彼らは論文数に注目するだけではない。論文がどれくらい引用されているかを調べるために,データベース(ウェブ・オブ・サイエンスなど)にもあたっているだろう。あなたの論文数が2倍になれば,その「客観的尺度」から数字好きの人たちが受ける衝撃も,およそ2倍にふくれあがる。こうした考えを下品だと思う読者もいるかもしれない。わたしもそうだ。だが,あなたの未来を左右する人たちのなかには,まず間違いなく数字を気にするタイプがいるはずで,そうした人たちを喜ばせることには何の不都合もないのである。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.156

ルイセンコ学説

ルイセンコは大学という基盤を持たず,また,時間やお金のかかる複雑な実験もしなかったが,スターリンに手っとりばやい解決策を提供して権力と影響力を急速に拡大し,やがてソヴィエトの生物学の頂点に立った。アメリカやヨーロッパの著名な科学者が彼の春化処理の方法に興味を持ってやってくると,ルイセンコは温かく対応したが,その影で,彼の乱暴な手法や成果に異を唱える人や,メンデルやダーウィンを支持する人は反逆者と見なされ,銃殺されたり,終身刑で強制収容所へ送られたりした。1948年,ソヴィエトでは遺伝学は「ブルジョアの偽科学」として公式に禁止され,その状況は1964年まで続くことになる。
 しかし,ルイセンコの修正ラマルキズムには,ちょっとした問題があった。実のところ,そのすべては大嘘だったのだ。彼の実験で成功を収めたものはひとつもなかった。穀物の収穫量は増えず,木も育たなかった。しかし失敗は隠蔽され,事実を曖昧にするための実験が続けられた。そのせいで,数百万人の農民が餓死した。科学者の不在が長く続き,品種改良が進まなかったため,戦後のソヴィエトは恥を忍んでアメリカから食糧を輸入せざるを得なくなったのだ。一方,アメリカでは,伝統的なメンデルの遺伝学による品種改良が成功し,トウモロコシの収穫高は3倍になった。結局,ソヴィエト連邦は,軍隊やテクノロジーの遅れによってではなく,農業に関する遺伝学と生物学のしくじりによって崩壊したのである。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.30-31

優生学

ゴールトンは「優生学」という言葉を作った。優生学は,知能など人類の属性を改善するのに,品種改良技術を使うことを意味した。優生学者の見解が米知識人のあいだで一般化した時代——大ざっぱに言って1980年から1920年——があった。それは,米国に無制限に多数の移民が流れ込んだ時代でもある。セオドア・ローズベルトやオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは優生学の動きに関心を抱いた。ホームズはある最高裁判決で,政府による不妊化を支持,「3世代にわたる低能はもうたくさん」と重大な表現をした。あるカーネギー系慈善団体は,ロングアイランドの「優生学記録オフィス」に資金を提供。有力な教育者でテストの先駆者のエドワード・L・ソーンダイクも,優生学を支持している。優生学は,新移民が十分に有能なのを見せつけられて困っているエピスコパシーの一角と,社会科学の一角のあいだで,珍しく生じた小さな接点だった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.33

運に支配される

もう1つ重要なことは,研究という営みは運に支配される部分が多いということである。運が悪いと(30代の)ヒラノ青年のように,何年も空振り続きのことがある。成果が出ない時も,それに耐えて努力する強靭な意志がない人は,研究者にはならないほうがハッピーな人生を送ることができると思うからである。
 ヒラノ教授は博士課程に学生を受け入れる時は,慎重を期した。教授は博士課程の学生と,一生付き合うことになる。定職がない研究者と長く付き合うのは辛い。だからいかに優秀な学生であっても,自分の側から勧誘することは控えたのである。
 一方,博士課程に進もうと考える学生は,学部生のうちに,指導を受けるべき教員に関して十分な情報を手に入れておくことが大事である。
 指導教員に選ぶべきは,
 “新しくて面白そうなテーマを研究している教員,学内外で評判がいい(人柄がいい)教員,学生の面倒見がいい教員,学生に過度に干渉しない教員”である。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.119

拙速を重んじる

論文を量産するための秘訣は,“拙速”を重んじることである。100パーセント完璧な論文を仕上げようとすると,まるまる2週間掛かるが,98%であれば2日で終わる場合,2〜3日で書きあげて(できれば,信頼できる同僚にチェックしてもらった後)すみやかに投稿するのである。
 ヒラノ教授は留学時代に,A級教授の論文作成スタイルに驚いたことがある。この教授は,夏休みを利用してよその大学からやってきた研究仲間と協力して,2週間で2編の論文を書きあげたのである。“どうすれば,あんなに速く論文を書くことができるのか?”

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.105

HOWとWHAT

文系・理工系の違いだけではない。理工系のカルチャーも,千差万別である。数物(数学・物理)系と生物系はまったく違うし,数物系でも工学系と理学系,実験系と理論系の間にはかなりの違いがある。
 まず工学系の研究者(エンジニア)の特徴は,短期的視点で仕事をすることである。彼らは,自分が現役である間には解決されそうもない研究テーマには手を出さない。具体的に言えば,長くても5年先のことしか考えない。
 ある東大工学部教授は,“一流エンジニアは,与えられた問題を如何にうまく解くか,つまりHOWだけを考えればいい。君のようにWHATを考えるエンジニアは二流だ”と言い放って,ヒラノ助教授に衝撃を与えた。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.47

必要以上に厳しい

トムソン・ロイター社が,2013年に“日本の経済学者は,アメリカの経済学者に比べて論文数が少ない”というレポートを発表したとき,東大経済学部長を務めていた国友直人教授は,“日本の大学には,ほとんど論文を書かない教授が大勢いる”とコメントしている。実際,エンジニアのように論文を量産するのは,アメリカ帰りを中心とする一部の人だけのようである。
 なぜ彼らは論文を書かないのか。それは,経済学者は他人が書いた論文に対して“必要以上に”厳しい審査を行うため,論文の投稿を諦めてしまう研究者が多いからではなかろうか。
 1年かけて書いた論文を酷評された時のショックは,大学入試に失敗した時のショックに匹敵する。3回続けて拒絶査定を受けると,3浪したような気分になるらしい。3浪すると4回目にトライする気になれなくても不思議はない。
 彼らが論文を書かないもう1つの理由は,(日本には)レフェリー付きジャーナルが少ないことである。工学系の分野には,A級からC級までさまざまなジャーナルがあるが,経済系の論文は,ひとたび拒絶査定を受けると行き場がないので,“霊安室”送りになってしまうのである。
 どの分野でも審査は厳しいものだが,ヒラノ教授が知る範囲では,経済学者の厳しさは突出している。厳しい審査を受けた研究者は,審査員になった時に厳しい審査をする傾向がある。この結果,厳しい審査は自己増殖していくのである。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.44-45

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