I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

チュパカブラ

 そうは言っても文化的概念は広まっていくので,サスカッチという単語を見つけ出すのは,いまではそれほど難しくはなくなっている。サスカッチに比べれば,Loch Ness monster(ネス湖の怪獣,いわゆるネッシー)という語句のほうが見つけにくい。200冊に1冊登場するだけなのだ。だが,謎めいた動物の呼び名を対象に,語彙の歴史的足跡をたどる追跡者としての根気がどれほどのものかを本気で検証したいと考えているなら,Chupacabra(チュパカブラ)という単語が出てくる例を探してみるといい。この吸血動物が最初に目撃されたのは1995年で,場所はプエルト・リコだった。それ以上のことはよくわかっていない。それでも,サスカッチよりチュパカブラのほうがはるかに「目にする機会が少ない」と言うことはできる。目撃するのは,1億5000万語に1回,冊数で言えば約1500冊に1回にすぎない。これは,並外れた読書家でも生涯に1回,目にするかどうかの数字である。もしかすると,これがチュパカブラとの最後の出逢いになるかもしれないから,この機会を心ゆくまで味わってほしい。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 80-81


デジタル図書プロジェクト

 1996年,スタンフォード大学でコンピュータ科学を専攻していた二人の大学院生が取り組んでいたのは,当時「スタンフォード・デジタル図書館技術プロジェクト」という名で呼ばれていた研究だった。いまでは終了しているこのプロジェクトの目標は,本の世界とワールド・ワイド・ウェブとを結びつけた将来の図書館のあり方を構想することにあった。彼らが取り組んだのは,図書館の蔵書を自由に検索してサイバースペース内で次から次に本を歩猟できるようにするためのツールの開発だった。しかし,当時はこのプロジェクトには無理があった。利用可能なデジタル書籍の数がかなり少なかったからである。そこで,彼らは文書から別の文書へと進んでいくという自分たちのアイデアと技術を利用して,ビッグデータの跡をワールド・ワイド・ウェブの中で追うことにした。こうして,彼らの取り組みは小規模な検索エンジンに転化した。彼らはそれを「グーグル」と名づけた。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 30


ツアー収入の増加

 広告収入の増加と同時に,音楽業界では別の変化が起きていた。経済学者によると,一般消費者が娯楽にかける費用は比較的安定しているはずだった。ということは,ある分野にかけるおカネが減ると別のところにおカネを落としていることになる。ライブ市場のトレンドはこの仮説を裏付けていた。ファンはアルバムにおカネを使わず,大規模な音楽フェスに向かい始めていた。バナルー,コーチェラ,その他のフェスはさまざまな人気アーティストを呼び込んで,永遠のウッドストックのように多くのファンが詰めかけ,1999年から2009年にかけて北米のコンサートチケット売上は3倍になった。多くのミュージシャンがレコーディングよりツアーから多くの収入を得るようになってきた。



スティーヴン・ウィット 関美和(訳) (2016). 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房 pp.301-302


iPodの発明

 ジョブズは合法的な有料ダウンロードのサービス立ち上げに全力を注いだ。ブランデンブルクやモリスと同じように,ジョブズもまた知的財産から莫大な富を築いていた(自分自身の特許とは限らなかったが)。もともとiPodはiTunesストアを補完するデバイスになるはずで,ジョブズは違法ファイルを減らしてその価値を下げるため,AACへの転換を押していた。だが,2000年代にアップルが勢いを持ったきっかけは,ナップスターで得た不正ファイルを堂々と持ち歩けるようにしたからだった。音楽の海賊行為が90年代版の違法ドラッグのようなものだとすれば,アップルの発明はマリファナパイプと同じだった。



スティーヴン・ウィット 関美和(訳) (2016). 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房 pp.202


mp3とCD

 そのうえ都合のいいことに,パッケージラインは時間のかかる複雑な工程になっていた。mp3はCDと音質が変わらないだけでなく,いくつもの点で優れていた。かさばらず,おカネもかからず,永久にコピーし続けられ,壊れることもない。CDは傷がついたり,割れたり,パーティーで盗まれたりするけれど,mp3は永遠だった。するとCDが勝てるのは,ただ目で見て触って嬉しいという点だけだ。つまりユニバーサルが売っていたのは,パッケージだった。



スティーヴン・ウィット 関美和(訳) (2016). 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房 pp.179


アップルとAAC

 ジョブズはAACへの全面的な切り替えを望んでいた。話し合いの中でジョブズは,AACが次世代の技術で,非効率で妥協の産物だった旧世代のフォーマットを置き換えるためにブランデンブルク自身が開発したものだと正しく主張していた。実際,アップルがあまりにもAACを押していたので,これをアップルの発明だと誤解するユーザーも多かった。ブランデンブルクはリンデと組んで,アップルに対抗するように押し返した。mp3はもうスタンダードとして確立されていた。切り替え費用は高くつきすぎた(ブランデンブルクは自分の分け前については触れなかった)。


 勝負は簡単についた。2000年に力を持っていたのはファイル共有者だ。アップルはまだ二流のメーカーで,業界では鼻であしらわれるような存在だった。大規模なフォーマットの切り替えを先導できるほどのユーザー数も持ち合わせていなかった。最初のライセンス会議の当時,アップルはパソコン市場の3パーセントしか持っていなかった。時価総額が23倍のマイクロソフトでさえ切り替えは不可能だった。アップルにその可能性があるとは到底考えられなかった。



スティーヴン・ウィット 関美和(訳) (2016). 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房 pp.174


mp2とmp3

 仕上げは拡張子を決めることだ。ウィンドウズ95のファイルの拡張子はアルファベット3文字と決まっていた。画像ファイルにはipgやgifといった耳慣れない拡張子がついていた。グリルはある時点でブランド名を変えようと訴えた。MPEGオーディオレイヤーIIIなんてやめた方がいいし,えこひいきばかりの企画委員会とも距離を置ける。でも議論の末に,やはり伝統を守って拡張子をmp3に決めた。スティーブ・チャーチがアメリカで売り込んでくれていたおかげで,mp3はすでになんらかのブランドとして認められてもいた。MUSICAMのウィンドウズ向けアプリケーションの拡張子はmp2だった。それはMPEGがくれた思いがけないおまけだった。mp2とmp3はお互いに競い合って同時に開発された技術だったが,名前を見るとmp3がmp2の後継技術のように見えた。フラウンホーファーにとっては都合のいい誤解だった。



スティーヴン・ウィット 関美和(訳) (2016). 誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち 早川書房 pp.84-85


滅亡史観

 73年以来,日本中を酔わせた人類滅亡ブームは,世界的にはマヤ暦に根差した2012年でひとつの高まりをみせた。多感な子供時代をノストラダムスとともに生きた僕らは,99年までずっと飴をなめ続けるように滅亡史観にハマっていた。それが破滅的なものであれ,生きていく糧になることには変わりはない。予言とは,人の想像力を刺激する活性剤でもあるのだ。とにかく,人類滅亡の可能性があるからこそ,いまをしっかり生きようという考え方もあるだろう。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.230


ノストラダムスの大予言

 『ノストラダムスの大予言』は,昭和オカルトブームにおけるビッグバンだった。


 その本が出版された1973年は,オイルショックにより戦後の高度経済成長において初めての経済危機に直面し,小松左京による9年がかりの大作『日本沈没』が爆発的にヒットしていた。日本の次は世界とばかりに,女性週刊誌のルポライターで小説家志望の五島勉が,辞書を片手に友人から借りた洋書のノストラダムス研究本を独自に解釈して仕上げたのが,『ノストラダムスの大予言』であったという。清水一夫著『トンデモ ノストラダムス解剖学』(データハウス/98年)によれば,その友人とは,オカルト関連書籍の翻訳家として著名な南山宏であり,洋書とはヘンリー・ロバーツとスチュアート・ロブの2冊という。のちに五島は,それほどのベストセラーになるとは思っていなかったとも語っている。それでも,日本ではほとんど知られていなかったノストラダムスをこれほど有名にしたのは,すべて彼の功績だろう。


 さらに,1999年に人類が滅亡するという予言は五島独自の解釈であったが,その明瞭さゆえに大ブームを巻き起こし,多くの日本人にトラウマのごとき強烈な印象を残すことになった。実際,『ノストラダムスの大予言』以降,滅亡の日とされた99年まで,人類滅亡への恐怖を煽る終末論が,そのときどきの世相や流行を反映しながら再生産され続けたのだ。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.205-206


オカルトブームの興隆

 Mr.マリックの超魔術が,ユリ・ゲラーのスプーン曲げを奇術として模倣して打ち破り,プラズマ学の権威である大槻義彦教授が,独自のプラズマ理論でUFOなどの超常現象を論破していた。70年代からテレビで人気を博していた宜保愛子が,霊能力者として大きくブレイクしたのもこの時期だった。UMA捜索隊のロマンは『川口浩探検シリーズ』(TBS系)としてバラエティ化していた。


 そんな80年代を打ち破るように,大霊界の大ヒットをきっかけに第二のオカルトブームが日本を襲ったのだ。しかし,その後の展開は新興宗教が多く生まれ,95年,オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり,日本のみならず世界をも震撼させた。朝の満員電車で毒ガスであるサリンを散布するという非情な行為に,多くの人々が憤った。


 そして再び,オカルトブームは静まることになる。ゼロ年代に突入してから,江原啓之がテレビで人気となり,スピリチュアルという名前でオカルトブームを再来させる。また,インターネットの普及とともに,オカルトは都市伝説や陰謀論と名前を変えて,現代へその血脈をつないでいる。


 それでも,70年代のオカルトブームが蘇らせた日本の心霊の世界は,形を変えながらも,21世紀に根強く残っているのだ。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.169-170


信じる人にとっての実在証明

 コナン・ドイルも含めて,あまりにも心霊の世界を信じてしまっている人たちは,疑わしいと思える妖精写真であっても,自分たちが信じるものの実在を証明してくれることに役立つならば,とりあえずは肯定してしまう傾向がある。もちろん,写真は真実を記録するものという一般の人々の思い込みも相まって,写真こそが最新の技術に裏打ちされた超常現象の科学的な証拠であると信じられたのだ。その意味では,人は写真の中に,自分が見たいと思っているものを投影し,発見してしまうものなのだ。だからこそ心霊写真は,現代の心霊ブームの大きな原動力となってきたのだ。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.156


オカルトと最先端科学

 もうひとつ,心霊写真が生まれた背景として,19世紀後半から20世紀前半にかけて,電気,電波,磁気,X線など,次々に新しい科学現象が発見され,心霊現象や霊の世界など,これまで謎とされてきた領域も解明されるのではないかと大いに期待されたこともあった。その当時,人間の魂が不変と考える心霊主義(スピリチュアリズム)がイギリスを中心に盛んになり,オカルティックなものと科学の最先端が不思議な相関関係を作っていた。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.151


心霊写真の流行

 74年に出版された中岡俊哉編『恐怖の心霊写真集』(二見書房)は,絶大なる影響力を持ち,中岡の同年の著書『狐狗狸さんの秘密』(二見書房)も大ヒット。彼こそが日本の心霊ブームのキーパーソンであったことは疑い得ないだろう。中岡は,僕らの日常に偏在する霊を何気ない記念写真の中から見つけ出し,そんな心霊写真こそが心霊現象の証であるとアピールしたのだ。


 宇宙人やネッシーは海外から輸入されたものだが,心霊現象は,僕らの日常にすでに存在していた。中岡は,怪談話などで古くから語られてきたものを心霊写真という現代的な物証を示して,蘇らせたのだった。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.147


「四次元科学」の流行

 また一方で,70年代の日本のオカルトブームにおいて四次元は,超能力,UFO,心霊現象までをも説明する言葉として乱用されることになる。たとえば,子供が神隠しにあって行方不明になったという怪奇現象の説明では,その子供は四次元の穴に落っこちたために消息がわからなくなったとされた。また,突然現れては消えるUFOについても,四次元を通って移動しているからではないかといわれた。


 さらには,当時,ソ連や東欧で行われていた超能力についての科学研究が衝撃的に紹介されたときにも,超心理学(パラサイコロジー)が「四次元科学」と訳されて,広く認知された。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.106-107


ピラミッド・パワー流行の理由

 アメリカにおけるピラミッド・パワーの大ブレイクの理由は,そのシンプルさにあった。とにかく,ピラミッドの形をしていれば,あらゆる効果が期待できると考えられ,数々のピラミッド・グッズが生まれることになる。巨大な瞑想用ピラミッド,頭に被るピラミッド・ハット,小さなピラミッドを複数並べたピラミッド・ジェネレーターなど,ピラミッドという形状が未知のエネルギーを集積するものとなったのだ。また,ピラミッド形は,ニュー・エイジやスピリチュアル・カルチャーの象徴的なイメージとして定着していく。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.95-96


日本の精神主義とオカルトブーム

 あらためて,日本における超能力ブームを再考するならば,戦後封印されていた日本独特の精神主義が,70年代のオカルトブームとともに息を吹き返したようにも思えてならない。現代においてさえ,日本民族には強靭な精神力に裏打ちされた特殊な能力があるという考えがどこかにあるのではないだろうか。


 74年のゲラーの初来日で,テレビでスプーン曲げを観たとき,日本中が敏感に反応したのは,日本独特の精神主義に響くものがあったからではないだろうか。そのような傾向は,その後のオカルトブームにおいて幾度も頭をもたげ,日本をオカルト大国に育て上げてきたように思えるのである。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.88-89


スプーン曲げ

 70年代,米ソの対立を背景に,世界的に大きな関心を集めていた超能力研究の世界に,スプーン曲げというニッチな得意技を引っさげて乗り込み,一気にスターダムにのし上がったのがユリ・ゲラーであった。特にテレビメディアを通じて大ブレイクした日本の超能力ブームは,まさに彼が総取りしてしまったといっても過言ではないだろう。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.72


「人類への警告」という思考

 世界的なオカルトブームが吹き荒れた70年代,物質文明批判や公害問題,ベトナム戦争反対運動などが巻き起こり,米ソ冷戦下で第三次世界大戦勃発による人類滅亡さえも危惧されていた。古代に飛来したであろうUFOが,現代に再び見られるようになったのは,人類が直面する危機を警告し,新たな叡智を授けに来たのではないか,とも考えられたのだった。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.40


昭和40年代生まれの洗礼

 思えば,筆者のような昭和40年代生まれは,子供時代からテレビや雑誌によって届けられる世界の不思議な事件や怪奇現象に散々まみれてきた。それでも,多くは誰かの証言や不鮮明な画像,伝聞や脚色を交えたもので,信じるか,信じないかという二者択一を迫られるばかり。それ以上なかなか確かめようがないものが多かった。しかし,古代文明に関するものは,その根拠となる遺跡や物証は実在するもので,その確からしさが特別な説得力を持って僕らを魅了した。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.33


都市における時間の感覚

都市における時間感覚とは,常に「次」が迫ってくるような類いのものだろう。いつも選択しにあふれ,チャンスはいつでも待ってくれている。都市での暮らしの中では,そのような感覚から逃れることは難しい。選択肢もチャンスも少ない非都市とは,時間の感覚が違うのだ。それが,都市の生活が,日々の余裕を奪うものになりがちな理由である。
 誰かが,都市に住むということは,海水を飲むことであると言った。目の前にのどを潤すための水はいくらでもあるが,それを飲めば飲むほどのどは乾いていく。何でもあるが,のどだけは満たされない。むしろ,渇望だけが続くのが都市である。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.185

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