I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

生まれながらの才能

「才能」や「素質」と呼ばれてきたものの正体が,遺伝学や分子生物学の進歩で具体的に見えてきたことは間違いない。それらは親から受け継がれたものであり,後からお金や努力では決して獲得できない。わたしが子どものころ,スポーツを題材にしたマンガの世界では「背が低い」といったスポーツ選手としては不利な生まれつきの性質を抱えた主人公が,人並み外れた意志と努力で一流選手になるという一種の成功モデルがあったように」思う。最近のスポーツマンガは,もともと才能をもった主人公が何かのきっかけで自らの潜在性に目覚め,適切な指導のもとに成長していく,よりリアリティーのあるストーリーが多い印象を受ける。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.111

グラムロック

このグラム・ロックの美学というものを改めて考察するに,それはブリティッシュ・ロック,というかロック・ミュージックそのもののエッセンスを体現したものではないだろうか。ロック自体がそもそも官能性を刺激する音楽である。ロックビートであるエイトビートは,身体の芯そうに働きかけ,官能の世界へと聴くものを向かわせる。またロックサウンドがもたらす陶酔感や崇高感は,いわばナルシシズムを刺激し,さらに日常意識からの超出を企図して異相へと導いてゆく。つまり派手な化粧を施すことをためらわせないのである。ロック界きっての知性のひとりであるブライアン・イーノが,ロキシー・ミュージック時代には強烈な化粧をしていたのが象徴的である。70年代になってグラム・ロックが登場したのは,ロックの展開過程の必然だったと言えるのではないだろうか。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.196-197

神秘主義

まずジミー・ペイジが,鑽仰するあまりにそのひとがかつて住んだことがある館を購入した,というエピソードも残るのが,アレイスター・クロウリー(1875〜1947)である。クロウリーはイギリス人の神秘主義者だが,魔術師を自称しドラッグやセックスをとりいれた秘密儀式を行ったりするなど,その人物像にはややいかがわしいところがある。そのために現在ではコミックやアニメ,ゲームなどの世界で人気のあるキャラクターともなっている。またクロウリーには,ヨーロッパの儀式魔術の古典的文献とされる代表作の『法の書』をはじめ『神秘主義と魔術』など何冊かの著作があって,日本語にも訳され図書刊行会から出版されている。ただし『法の書』は,たとえば「わが預言者に従うがよい!私を知るという試練を最後までくぐり抜けんことを!われのみを探求せよ!されば私の愛が授ける歓びが,汝らをあらゆる苦痛から救い出してくれよう」とか,「私に向かって狂気を呼ぶ愛の唄を歌いかけてくれ!私に向けて香料を燃やしてくれ!私のために宝石で身を飾ってくれ!私に乾杯するがよい」とかいった激越な調子のマニフェストとも言えるが,そこには体系だった教義や宗教思想が述べられているわけではない。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.97-98

ロックの細分化

ロックの巨大産業化と,それに伴うロックジャーナリズムの隆盛は,必然的にロックのジャンル分けという細分化をもたらした。とりわけ1980年代からオルタナティヴ・ロックすなわち「型にはまらない」という意味でのオルタナティヴなロックという言葉が登場してきて以来,ロックのサブジャンル化はさらに加速したようでもある。そもそもこのオルタナティヴ・ロック自体どんな音楽を指すのか不明確でもあったが,現在ロックファンの間でひとまずの共通理解とされているのは,1980年代の中心を占めるMTV的なヘヴィ・メタル系ではないロックのこと,というあたりだろうか。具体的には,ニルヴァーナに代表されるグランジ系のものと,レッド・ホット・チリ・ペッパーズに代表されるロックとヒップホップの融合したサウンドを指していよう。ともあれ1990年代以降,グランジやガレージ・ロック,パワー・ポップ,ブリット・ポップ,トリップ・ホップ,インダストリアル,ノイズなど様々なサブジャンルを表す言葉があたかも雨後のタケノコのように誕生し,いっぽうのヘヴィ・メタル系でも,スラッシュ・メタル,パワー・メタル,デス・メタル,ゴシック・メタル,インダストリアル・メタル,ジャーマン・メタルなどの呼称が林立する。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.57-58

パンクロック

巷間よく言われることだが,イギリスで勃興したパンク・ロックは,経済政策の不振によって景気がどん底だった70年台のイギリスの社会状況が生んだものとされる。失業して未来に希望を持てない若者のフラストレーションがパンク・ロックに共鳴した,というわけである。確かに,79年に「鉄の女」マーガレット・サッチャーが保守党内閣の首相に就任して新自由主義の経済政策を打ち出すことになったのは,イギリスの当時の時代背景が招いたもので,パンク・ロックの勃興という現象と表裏の関係をなすと言えるのかもしれない。ただし,経済問題への不満や現実社会への絶望感がそのままストレートに過激な音楽を要求した,というだけでは,パンク・ロックの発生を考究したことにはならないだろう。70年代に理念型が形成されてその姿を見せたロックが,いわば価値概念として生命を保つには,内部からの浄化作用としてロック・スピリットを先鋭化させる必要があったのだ。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.49-50

British Invasion

ロックの歴史のなかで見逃せないのは,1960年代半ば以降の「ブリティッシュ・インヴェイジョン British Invasion」と呼ばれる出来事である。「イギリスの侵略」という意味の通り,巨大な音楽市場であるアメリカにおいてイギリスのバンドの音楽が次々にヒットチャートを独占したのである。皮切りは1964年のビートルズだった。続いてローリング・ストーンズ,キンクス,アニマルズ,ザ・フーなどがヒット曲を送り込む。彼らイギリスのバンドの楽曲が,アメリカのヒットチャートを席捲した時,ロック・サウンドがポピュラー音楽の世界に確実に市民権を得た,と言えるのではないだろうか。
 エレキギター,エレキベース,ドラムスの使用を不可欠の要素としたバンドスタイルで,バンドの主体性が尊重され,バンドメンバーがオリジナル曲を自作する。これがそれまでのいわゆるポップスとは違う,ロック音楽固有の性格となった。そして右に挙げたバンドにほぼ共通するが,ヴォーカルは黒人のソウルフルな歌いぶりに倣い,テンポの速い楽曲はどこか攻撃的な匂いをまき散らす。電気信号を通して増幅された楽器音は,当然大きな音量だ。こうしてロックは誕生したのである。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.14-15

洗練のレベルに達していない

アメリカ人は「アイ・アム・ソーリー」とは絶対に言わないぜ,という話がある。私もよくきいたものだ。訴訟社会で,すぐ裁判沙汰になるアメリカでは,「アイ・アム・ソーリー」という,自分の非を認める発現をしてしまっては裁判で不利だから絶対にそうは言わない,という説だ。 
 だが,あれは嘘である。確かに,自動車事故をおこしてしまった時は,その理由から「アイ・アム・ソーリー」とは言わないだろう。だけど,肩が軽くふれあってしまった時には反射的に「ソーリー」と言うのだ。人の前を横切る時には「イクスキューズ・ミー」や「パードン」と言う。人が何人も集まっている場所では,そのような衝突を避ける言葉を互いにかけあうのがあちらの分化なんだなあ,と思うほどだ。いろんな国や民族の人が混じって生活しているからだろう。
 ところが,日常生活の中では外国人を見ることもあまりない日本人は,無言で,時にはテレ笑いで,その場を切り抜けるのだ。そして外国では,言葉が通じないという思いからますます何も言わなくなり,ニヤニヤ笑ってごまかすことが多い。
 それはまだ,日本人が洗練のレベルに達していないことの一例だと私は思う。

清水義範 (2003). 行儀よくしろ。 筑摩書房 pp.133-134

言葉による不条理の世界

でも落語の行き着くところはそこではないのです。
 言葉による不条理の世界。
 映像を頭に浮かばせるだけならば,講談もあるし浪花節もある,朗読だっていい。落語が今日まで生き延びてきたのは,落語のどこかにこの不条理があったからです。
 人間は不条理を求める。それは常識の世界で生きているから,不条理を欲するのです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.198

落語とメロディ

メロディとは演者の個性。歌謡曲でいうところのひばり節であり,三橋美智也節。落語の名人は例外なくこのメロディを持っています。メロディのない人,薄い人は人気は出ません。聴いていても魅力に乏しく,もう一度その人の噺を聴こうと思えないからです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.25

平等の達成

アメリカ社会において人種差別的態度が根強く残っているのは事実だが,だからといって現代のアメリカ社会を人種差別的だと見なすのは間違いであろう——少なくとも,現代のアメリカ社会は,「人種差別主義」という言葉が長きにわたって理解されてきたのと同じ意味で形容されるものではない。ほとんどのアメリカ人は人種の平等を支持している。アフリカ系アメリカ人やその他のマイノリティの人たちに政府が援助をすることに反対するアメリカ人のなかには,彼らの潜在的や顕在的な人種バイアスのいずれかを表現している人もいれば,そうでなくこの付録の最初に示した2つの引用のように,平等主義の原則の考えに基いてアメリカ人は人種的平等をすでに達成していると信じている人もいるだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.278
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

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