I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

プラスチック・ワード

意味の曖昧さ自体は,それほど珍しいことではない。たしかに日常言語においても,利用可能な語彙の単位としての単語の意味が,曖昧だったり抽象的だったり広い射程をもったりすることがある。ある対象領域のさまざまな側面を意味することもできるし,境界線がさまざまに移り変わることもある。けれども,わたしがそれを特定のコンテクストのなかで用いて,適用範囲の輪郭を描くやいなや,ことばは意味が明確で具体的で正確になる。それに対して,プラスチック・ワードは,特定のやり方で正確で適切に用いられることがほとんどない。それらはたがいに交換可能な規格部品として使用されるのである。まさにこのために,プラスチック・ワードは,正確さ,具体性,厳密性へと向かういかなる潜在的可能性をも失っているのである。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.42

多様性の縮小

どうやら言語の領域でも,植物や動物の世界で起きているのと同じことが起きているらしい。すなわち,多様性の縮小である。モノカルチャーが広まり,地球上をおおいつくしつつあるのだ。トウモロコシもコメも小麦も,羊や牛やブタも,変種がますます見られなくなり,少数の種が世を席巻している。ちょうど言語の世界における,中国語,ロシア語,英語のようなものである。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.29

制度と価値観

価値観はさまざまな源泉から生まれる。だがどの社会でも,制度はそれを作った人の価値観を反映しており,制度につかえる人は制度の正当性を支える価値観を主張して,制度の存続をはかろうとする。既存の制度がいまのままの形では生き残れないのであれば,そうした制度が体現し主張する価値観や規範も生き残れない。価値観のある部分が衰え,新しい価値観が登場してくると予想しておくべきである。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 下 講談社 pp.77

因果関係の説明

もちろん,だから予兆とか占いはまやかしだと言おうとしているのではない。出来事は,むしろ,あとでしか説明できないと言いたいのである。因果関係というのは,因がまずあってのちに果があることであり,出来事の連鎖で言えば,ある出来事が原因となって結果としてある出来事が起きるということのはずだが,われわれは,むしろ逆に,結果がまずあって,そのあとで,その原因としての出来事を想起する。そして,想起された過去の出来事が,のちに起きた出来事の原因として説明に使われるのである。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.201-202

文化による

占いは,何かの事物の意味を解釈するとき,その事物に対するイメージ,意味づけを利用する。そのイメージや意味づけが,その事物そのものの本質によって決められているのではなく,文化によって決められていることが問題なのだ。好きな色によって性格を占ったり,診断するものがあるが,色に対するイメージや意味づけは,明らかに文化によって異なる。たとえば,わいせつ映画を日本ではピンク映画と言うが,同じものを英語ならブルー・フィルムと言う。中国語なら黄色であらわす。色の意味づけは文化によって違うのだ。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.83-84

個と相

結局,「何から」「何を」占うのかを考えると,個から個を占う場合,個から相を占う場合,相から個を占う場合,相から相を占う場合の4種類があると考えてよいだろう。「茶柱が立つと客が来る」という言い方がされる地方があり,これは個から個を占っている。「茶柱が立つと縁起がよい」は個から相を占っている。「朝,茶柱が立つと客が来る」なら相から個を占っている。「朝,茶柱が立つと縁起がよい」は相から相を占っている。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.49-50

事物と相

結局,占いには,何「について」,何「を」占うのかで言えば,犯人を探したり,彗星の出現から戦争を占うように個々の事物を占う場合と,あなたは何々型人間ですとか,今日のあなたは大凶ですなどと相を占う場合とがあることになる。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.48

ここで重要なのは,吉とか凶というのは,個々の出来事ではないということである。いくつもの出来事から共通した何かとして取り出されたものなのだ。縁起とか幸運,ツキなども同じである。それらは,実体としてあるものではない。それらは,具体的には個々の出来事として姿形をあらわすのだが,そのあらわれたもの自体が吉とか幸運とかツキなのではない。個のレベルと集合のレベルを混同してはならない。
 この,いままで類型と呼んできたものを,占いでは「相」と呼ぶのだと考えられる。吉や,縁起やツキ,血液型や星座,それらは諸要素の集まり全体の表情,相貌,英語で言えばアスペクトのことであり,相の名前なのである。そして,相としてとらえるということは,その要素集合は無秩序ではなく,ランダムでもなく,規則や法則があるととらえることである。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.47-48

類型

これは,あらかじめいくつかに分類された類型,部類のどれに入るかを占うものである。動物占いとか寿司占いとかの最近の占いの多くがこれである。とくに性格占いに多く,血液型占いや,生まれ干支や星座による占いも同じである。あなたは何々型人間であるから,こういう性格でありこういう運命だ,と決めつけられる。1つの類型には,その類型に入る者の特徴が列挙されており,パッケージになっている。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.45-46

予兆

いままで見てきた例からとりあえずわかることは,どんなものやことでも,その同じもの,ことが,あるとき,ある条件下で,ある脈絡に置かれているとき,占いの対象になるらしい,ということである。とくに異常性,偶然性が見てとられるとき,なんでもないことが急に意味ありげに思われ,占いの対象になるようだ。毎日くる郵便物も,「切手に消印のない手紙や葉書を受取ると夢のような儲け事がある」(愛知・市橋鐸『俗信と言い伝え』名古屋泰文堂,昭和45年)のだ。
 それは,同じものやことが,ある見方,とらえ方をされたときに占いの対象になる,ということである。燕が家の中に巣を作るとき,燕は野生動物で,家畜のように飼っているわけではない,その燕が人間のすみかである家のなかに巣を作った。めずらしいことだ,異常なことだ,ととらえると,その出来事は特別の意味をもつものとなる。それを,燕は烏などの天敵から巣を守るために安全な人家を利用するだけだと見るなら,何の予兆にもならない。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.39-40

しるし

また,ここで注意しておかなければならないのは,どのような道具を使おうと,ひとの意図や操作によって結果が左右されてはならないということである。人為的な結果では占いにならない。コックリさんは,3人以上が棒の上に手を重ねておこなうが,棒は誰の意志とも無関係に,かってに動くのである。結果は偶然でなければならないと言ってもよい。必然的な結果では,占いの「しるし」とはならない。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.18-19

占いがすること

占いは何をしているのか。ひとことで言ってしまえば,何かを見て,考え,そして見て考えたことを言葉であらわす。それだけのことである。しかし,この「見る」,「考える」,「言葉であらわす」が問題なのだ。しかも,これらは別のことではなく,1つのことであることが問題なのだ。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.5

記憶と歴史

権力者が自分の都合の良いように公的記録=歴史を書き替えることは昔から行われてきた。しかしオーウェルが『1984年』で問題にしたのは,個人的な記憶が集合的な記憶としての歴史の中で果たす役割である。記憶喪失をモチーフとしたそれまでの小説や映画では,個人的な記憶が失われてしまうことは,その個人の問題だった。もちろん『独裁者』における浮浪者チャーリーや『無言の祈り』のハンブルトンのように,記憶を失った主人公が歴史の重大な岐路に直面することはある。ただしそれは,特権的な個人と歴史との関わりとして示された。これに対して「ビッグ・ブラザー」は,人々が持つ膨大な個人の記憶の領域にまで入り込み,それらを改変しようとする。そして模造され,埋め込まれた個人の記憶によって集団の歴史が作られる。

小田中章浩 (2013). フィクションの中の記憶喪失 世界思想社 pp.116

概念を知ること

しかし,物語はこれで終わりではない。調べ始めてすぐにわかったのは,民族分類の研究は途方もなく困難な仕事だということだった。この種の情報の収集には,多大な困難が伴う。一見,それは簡単なことのように思える。一本の植物,あるいは一匹の動物をつかんで,「これをあなた方は何と呼ぶのか」と現地の人に尋ね,また別のものをつかんで同じことを尋ね,その答えを書きとめていけばいいのだ。しかし,その分野の研究者が収集しているのは,生物の概念やカテゴリーや言葉であり——それらは,噛みもしないし,逃げもしないが——,それは生物をつかんで名を尋ねるよりはるかに難しい作業なのだ。生物を見つけて瓶や袋に詰め込むだけでは,それらについて理解したことにはならないが,それと同じで,多民族の生物分類法を集めるには,その分類に含まれる生物を熟知するだけでなく,その名前,詳細な描写,分類の土台となっている言語体系と概念のすべてを,正しく理解しなければならない。「この動物をあなた方は何と呼ぶのか」と尋ねて,ある答えを得たとしても,それがすべての哺乳類を指す言葉なのか,それとも小型哺乳類だけを指すのかはわからない。植物についても,民俗分類の名前が,あらゆる種類の植物を意味するのか,それとも森の中で育つ薬草のことなのか,あるいは特定の薬草を指すのかがわからなければ意味はない。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.141-142

才能はプロセス

現代のわれわれにそれがわかるのは,不変の指標があるからだ。たとえば,いきいきとして弾むようなパガニーニの「バイオリン協奏曲第一番」や,バッハの「バイオリンのためのパルティータ第二番」の終曲——演奏時間が14分に及ぶ,難易度のきわめて高い作品——である。いずれも18世紀には演奏がほぼ分可能だと考えられていたが,現在ではバイオリンを学ぶ学生たちでも弾きこなせる。
 これはどうしてだろう?さらに,陸上選手や水泳選手はより速く,チェス選手やテニス選手はより巧みになっている。人間が,たとえば11日ごとに新しい世代が生まれるミバエならば,理由として遺伝子や進化を挙げたくなるかもしれない。だが,遺伝子や進化はそういう働きを持たないのだ。
 これには単純な,なるほどと思える説明がある。そこに含まれる意味合いは,家庭生活や社会の根本にかかわってくる重大なものだ。つまり,ある人々は他より熱心に——また,他よりも利口に——訓練している。何かをうまくできるのは,うまくなる方法を見つけたからなのだ。
 才能はものではなく,プロセスである。

デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.18

男女の見方

こうした傾向は,恋人募集広告の分析ではない調査からも見て取れる。テキサス大学オースティン校の心理学者デヴィッド・バスは「お相手選び」研究の第一人者だが,1989年,彼は結婚に関するさまざまな好みや傾向を調べる大規模なアンケートを実施した。対象になったのは,オーストラリアからザンビア,中国からアメリカまで37カ国の1万人以上である。アンケート結果を分析したところ,国や文化に関係なく,男性よりも女性のほうが相手選びの好みがうるさく,社会的な条件や本人の性格,資質といった数多くの基準で候補者を評価していることがわかった。女性は候補者の社会的地位や収入を条件からはずすことはぜったいにないのだ。いっぽう男性が相手選びで優先させるのは,女性の若さであり,外見だった。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.82

作曲時期

人間の場合は音楽が尾羽がわりだという説にも,裏づけはたくさんある。人気アーティストはセックス・アピールばつぐんだが,証拠はそれだけではない。進化心理学者ジェフリー・ミラーがジャズとポピュラーのミュージシャン,それにクラシックの作曲家で調べたところ,生殖可能な年齢のあいだがいちばん多作であることがわかった。またヴィヴァルディの献身的な努力も忘れてはならない。彼はピエタ慈善院で親のいない少女たちにヴァイオリンを教え,自らが指揮をして演奏会を開いていた。彼女たちの多くはそこで見初められ,金持ちの男性のもとに嫁ぐことができた。
 私の学生のひとりコスタス・カスカティスは,ミラー説をもっと厳密に検証するため,ヴェートーヴェンからマーラーに至る19世紀ヨーロッパの作曲家と,1960年代ヴィンテージ・ロックのスターを対象に創作活動の変遷を調べた。新曲を書くペースは結婚と同時にがっくり落ちるが,離婚や死別をして次のパートナー探しをはじめると,とたんに上がる。そして新しい人といっしょになると……またペースが落ちるのだ。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.64-65

150人

人間の「自然な」集団サイズを知るには,いまだに文明化されておらず,とくに狩猟と採集で生活する集団に着目するのがよさそうだ。狩猟・採集社会はさまざまなレベルで複雑に機能する。食べ物を集めるために泊りがけで移動するときは,30〜50人程度の小さい集団が形成される。この集団は不安定で,途中で人の出入りもある。反対にいちばん大きい集団は部族ということになるだろう。部族とはすなわち同じ言葉を使う言語集団でもあるので,文化的なアイデンティティでまとまっている要素が大きい。部族の規模は,老若男女あわせて500〜2500人といったところ。小集団と部族集団の二層構造は,人類学の世界では常識だが,そのあいだに第三の集団がある。こちらもたびたび論じられるが,具体的な規模が語られることはほとんどない。第三の集団は「氏族(クラン)」というくくりになって,成人儀式など定期的な儀式のときに重要な役割を果たすこともあれば,狩猟場や水源を共有する集団として扱われることもある。
 くわしい人口調査が行なわれた約20の部族社会では,氏族や村といった集団の平均人数は153人であることがわかった。細かく見ると100〜230人まで幅があるが,統計的には150人という平均の範囲におさまる。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.22

友人の好みの文化差

 同じように,中国のハイスクールの生徒は「謙虚」「利他的」「正直」「勤勉」な友人を好むのに対して,アメリカのハイスクールの生徒は「楽しく」「活動的」「社交的」な友人を求めるとわかった。「この対照性は明確だ。アメリカ人は社交性を重んじ,気楽で楽しい結びつきをもたらす特性を賞賛する。中国人はより深い特性を重んじ,道徳的美点や業績を賞賛する」と比較文化心理学のマイク・ハリス・ボンドは書いている。
 アジア系アメリカ人とヨーロッパ系アメリカ人に,考えを口に出してしゃべりながら推論問題を解かせた実験もある。その結果,アジア系は静かにしている方が問題解決能力を発揮し,ヨーロッパ系はしゃべりながらのほうが能力を発揮した。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.236
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

personalityの文化

 「人格の文化」においては,思慮深く,規律正しく,高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも,自分がどうふるまうかが重要視される。「性格(personality)」という言葉は18世紀まで英語にはなかったし,「性格がいい(good personality)」という言葉は20世紀になってから広まった考え方だ。
 だが,「性格の文化」が広がると,アメリカ人は,他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人や面白い人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は,演技者としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.37
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

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