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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

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不満があっても

 規則や規制に不満はあっても,我々はそれを好む。人間の文化には,自ら課した制約がいくらでもある。ゲームをしたりパズルを解いたりするのが好きであり,厳格な形式についての規則に制約される音楽を作る。芸術は伝統的に,定められた素材を用いて限られた空間や時間の領域という限界を探っている。時おり,どこかの芸術家が新しい舞台を創始し,これみよがしに古いしきたりの拘束を破ったりするが,ふつうその後には,少し広くなった領域の探求があらためて始まり,そこには,異なるとはいえ独自の規則がある。

ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.310
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
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役所のコピー文化

 電子政府,電子自治体と言いながら,役所はコピーが大好きだ。僕が役所で最も学んだことは「コピーのとり方」だと言っても過言ではない。コピー機にはどういう機能がついているかなどは入省半年もすれば,完全に把握できる。その上で,いかに効率的にコピーするかということを覚えていくのである。
 役所がいかにすさまじい量のコピーをするかは,倉庫に大量のコピー用紙が積まれていることからわかる。また,役所のコピー機はリースなのだが,定期的にコピー機の点検にやってくるリース会社の人が「これほどすさまじくコピー機が使われている職場はない」と絶句するほどである。

中野雅至 (2011). 1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記:大学教授公募の裏側 光文社 pp.30-31

クリスマスプレゼント…

 そう,クリスマスにモノをプレゼントしろなんて聖書に書いてない。今のようなクリスマスプレゼントの習慣は,もともとMacy’sっていうニューヨークにある世界一デカいデパートが,年末に商品が売れ残ってると税金がかかっちゃうっていうんで,だったら年末にクリスマスセールをやれば大儲けできるということから,クリスマスにプレゼントしましょう!イベントを盛り上げ始めたんですよ。100年くらい前の話ですけど。そこから始まったんですよ。

町山智浩・松嶋尚美 (2010). 松嶋×町山 未公開映画を観る本 集英社 pp.200

モンスター

 単一の視点をもつということは,モンスターになるということだ。ハリウッドはこの点をよく心得ている。ハリウッド映画に登場する悪役のロボットやサイボーグは,ほぼ例外なく片目しかない。ターミネーターが負傷して皮膚がはがれるとき,観客の視線はむき出しになったロボットの目に釘付けになる。『スタートレック』に登場するボーグはいつも片目を隠している。ロボコップは,ヘルメットをかぶっており,黒く細長い1枚のレンズ越しにものを見る。ロボコップは正義の味方だが,見ていて恐ろしくなるくらい非情で,容赦なく敵を殺す。彼が思いやりのある人間となるのは,ヘルメットを脱いで,2つの目(もちろん人間の)があらわになるときだけだ。人間と機械の融合体であるサイボーグの混成性は,単一的な視点を民衆に押しつけない政治を象徴する。アメリカ聾者協会が2000年に発表した人工内耳の有効性を認める声明は,人間と機械の融合ならびに言語の多様性を受け入れたという点で,文字どおりサイボーグ政治のひとつの結晶だった。

マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.231

科学と工学

 日本人は技術者としては優れているが科学では立ち後れている,という決まり文句を聞いたことがあるだろう。これは単なるステレオタイプではない。日本人の優れた光学技術は,アメリカ産業界にとって脅威だ。工学を教えている私の同僚や,技術者を雇っている友人に言わせれば,アジア系アメリカ人のほうが人口あたりの技術者の割合が多いだけでなく,平均でヨーロッパ系アメリカ人より優れた技術者を輩出しているという。
 しかし,1990年代の10年間にアメリカ在住の44人が科学分野のノーベル賞を受賞したが,そのだ大部分はアメリカ人で,日本人はわずか1人だった。資金の違いだけによるものではない。ここ25年間で日本は基礎研究に,アメリカより約38パーセント多くの予算をつぎ込んできた。1990年代に5人のノーベル賞受賞者を輩出したドイツの2倍だ。中国や韓国は相対的に貧しく,最近まで発展途上国だったので,これらの国の人たちが基礎研究でどれだけ成功するかはまだ判断できない。しかし,科学における生産性への道に立ちふさがる障害物として,包括的に考えたがる相互協調的な人々に共通して当てはまるかもしれない事柄を,いくつか指摘できる。
 第1に,東西の社会的違いとして,科学における西洋の進歩に有利に働くようなものがいくつかある。日本では,多くの面で西洋よりも階層的に組織されていて,また年長者を立てることに大きな価値が置かれているため,年老いて生産性を失った科学者により多くの研究資金が流れる。
 私が考えるところでは,西洋のように,1人ひとりの成果に報いて個人の野心を尊重することが,科学では望ましい。研究室に何時間も詰めていることは,科学者の家族にとっては必ずしもふさわしくないが,個人的名声や栄光には欠かせない。西洋では,討論は当然のことで,科学活動には欠かせないと見なされているが,東洋のほとんどでは無礼だと考えられている。ある日本人科学者が最近,友人同士のアメリカ人科学者が人々の前で激しく言い争っているのを見て,仰天したと言っている。「私はワシントンのカーネギー財団で働いていて,親友同士の2名の著名な科学者を知っている。しかし2人は研究になると,学術雑誌上でも激しい論争を戦わせる。アメリカでは起こることだが,日本では決して起こらない」

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 212-213
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

論理過剰

 最後に,アメリカ人は,古代ギリシア人と同じ「論理過剰」な態度のせいで,推論の間違いを犯すことがある。私と共同研究者が示したように,アメリカ人は,同じ本当らしい命題でも,あまり本当らしくない別の命題と矛盾していない場合より,矛盾している場合のほうが,真であると判断することが多い。つまり,2つの命題が明らかに矛盾していれば,より本当らしいほうが真で,より本当らしくないほうが偽に違いないと決めつける。アジア人は逆に,本当らしくない命題について,もっと本当らしい命題と矛盾しない場合よりも,矛盾する場合のほうが,真であると判断することが多い。相反する命題の両方に真理を見つけようとするためだ。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 210
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

西洋と東洋

 社会的慣習や思考習慣はなかなか変わらないもので,現代における東洋と西洋の社会的,認知的な違いは,古代とほとんど変わっていない。したがって,西洋人のほうが規則,分類,論理を重視し,東洋人のほうが関係性や弁証法的推論を重視すると考えられる。実際に私は共同研究者たちと,それが正しいことを発見した。
 東洋人と西洋人に,うし,ニワトリ,草といった3つの単語を示し,このうち調和する2つはどれかと尋ねたところ,まったく違う答が返ってきた。アメリカ人は,どちらも動物だから,つまり生物学的に同じ分類だからと,ウシとニワトリを選ぶことが多かった。しかしアジア人は関係性に注目し,ウシは草を食べるので,ウシと草が合うと答えることが多かった。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 209
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

アジアの文化

 しかし,アジア人が生まれ持った知能を最大限に活用できるさらに重要な理由は,家族から受け継いだ文化がそれを求めていることだ。中国文化の場合,学力を重視するという伝統は2000年以上前から存在している。一生懸命勉強して官僚試験に合格した賢い少年は,昇進して給料のよい政府高官になれる。それによって家族と出身の村に名誉と富がもたらされるので,家族や村人の希望や期待を背負った少年は勉強するようになる。西洋より2000年も前に中国では,勉強することで階級を上げられるという仕組みがあったのだ。
 したがって,アジア人家族のほうが子供の学力を上げさせられるのは,子供への影響力がアメリカ人家族より強いためと,学力を重視するよう選択したためだということになる。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp. 201-202
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

オーバーアチーブ?

 アジア人の出来を予想以上の成果(オーバーアチーブメント)と評するのは,恣意的な表現だ。アメリカにやってきてまだ1年で,子供を公立学校に通わせている韓国人の友人に,「アジア人の予想以上の成果」という言葉を使ってみた。すると,「『アジア人の予想以上の成果』というのはどういう意味だ?」と突っかかってきた。「『アメリカ人の予想以下の成果』と言うべきだ!」というのだ。
 この友人が娘の学校の終業式に出席したところ,宿題をすべてやった生徒が賞をもらっていたのに驚いたという。友人の娘はその賞をもらった2人のうちのひとりだった。友人に言わせると,宿題をやったから賞をあげるというのは,昼食を食べたから賞をあげるというくらいばかげているという。アジア人にとっては至極当然のことなのだ。この現象がアメリカ人の予想以下の成果の1つだ,と友人は言い張る。学力が高いのが本来の状態で,ほとんどのアメリカ人は多かれ少なかれ怠けていると考えるのも,まったく筋が通っている。

リチャード・E・ニスベット 水谷 淳(訳) (2010). 頭のでき:決めるのは遺伝か,環境か ダイヤモンド社 pp.
(Nisbett, R. E. (2009). Intelligent and How to Get It. New York: W. W. Norton & Company)

日本語訛り

 英国で比較言語学を学んだとき,最初に教わったことがあります。それは,「いい英語,悪い英語,というのはない」ということです。
 英国は小さな国ですが,地域によって英語の発音には極端な発音の違いがあります。ランカシャーの英語,コックニーの英語,アイリッシュの英語,スコティッシュの英語,これが同じ言語か,といいたくなるほどそのアクセントは多彩です。しかし,それはその地域,地域での「正しい」英語なのでして,ランカシャーの英語が正しくてアイリッシュのそれが間違っている,ということはありません。その,優劣も存在しません。「マイフェアレディー」のヒギンズ教授はそうは考えなかったのですが,最後にイライザの心に打たれて「きれいな英語」の愚かさに気づくのです。
 クイーンズイングリッシュも,ニューヨークの英語も,その地域での「アクセント」であり,それがインド人の英語やエジプト人の英語に勝っているわけではないのです。
 ニューヨークの病院では,多くの民族が働いています。フィリピンから来たナース,アラブ諸国から来た技師,ハイチから来た医者,などなど多彩多様です。日本から来た医師で,ときどきフィリピンやアラブ訛りの英語を馬鹿にする発言をし,私を悲しい気分にさせることがあります。また,自分の英語をこっけいなくらいにアメリカ風に矯正しようとして失笑を買う場合もあります。日本訛りの女性の英語はむしろ「チャーミング」だといって好まれる場合もあるのに。もっとも,私のような日本の男の英語がチャーミングに響いた例は未だ,ありません。

岩田健太郎 (2003). 悪魔の味方:米国医療の現場から 克誠堂 pp.208−209

一段低く

 笑いが好きな日本人だけど,どうしても笑いの世界は低く見られる。ドラマでは人を何人も殺したり,食べ物を粗末にしても,なにも言われない。お笑いではちょっとでも食べ物を変に使うと,「もったいない」とか「教育に悪い」とか。おかしいよ。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.262

メインが必要

 今の若い芸人の番組なんかだと,最初のメインがなくて,遊びの部分ばかり多くてゲームになってる。本当は何をしたいのかが,どうもよくわからない。そもそも芯になる,やりたいものがないのか,15分とか20分の長くてしっかりしたコントをつくるのが大変だから逃げてるのか。そのあたりが,僕には不満なところだ。
 でも,そのつらいところをしっかりつくっておくと,ほかのコーナーが生きてくる。『加トケン』でも投稿ビデオのコーナーがおもしろいってよく言われた。視聴者がホームビデオで撮った楽しいビデオを紹介するやつだ。僕が考えた企画だけど,TBSがそれをアメリカの放送局に売ったら,向こうでも人気番組になって,それからアメリカのおもしろビデオが日本に入ってくるようになった。TBSでは,今でもその系統の番組をやっているけどね。とにかく,あの投稿ビデオは『全員集合』だと中盤の合唱隊にあたる,息抜きのコーナーというつもりで発想したものだ。
 そんな遊びのコーナーが印象に残るのは,逆に言うと,メインのコントをしっかりつくってあったからだ。見てる方は,メインがおもしろいのは当たり前だと思ってるから。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.85-86

ドリフ発のもの

 今ではいろんなバラエティ番組で使われているが,壊れるものの素材にバルサを使ったのも『全員集合』が最初だと思う。模型飛行機で使う薄い板だけど,イスがバリって壊れたり,壁が壊れるコントで素材として使うようになった。以前は発泡スチロールだったけど,それだと粉が飛んじゃうので,美術さんとかと相談して,バルサを使うようにしたんだ。でもあまり『全員集合』で大量に使うから,一時期は模型飛行機用のバルサがなくなったとも聞いた。
 壁にぶつかる時に,すごい音を出すためにトタン板を使うという工夫もした。人がぶつかるスペースの部分だけをトタン板にすると,バーンってものすごい音がする。普通の厚いベニア板だと音があまりしないから,一部分だけをトタンにして,色はベニアの部分と同じものを塗ってわからないようにする。
 壁に顔をぶつける時の音の出し方にはコツがあって,顔が壁に当たる瞬間に,両手のひじから先の部分とつま先を先に壁にぶつけて音を出す。顔を実際にぶつけるわけにはいかないからね。当たった時の音がすごいと,それだけで本当に壁にぶつかったように見える。でも本当に笑いをとるのはリアクションだ。すかさず顔を押さえて「痛えー!」とやる。
 音を響かせる工夫といえば,ころぶコントの時に,床に所作台を敷く方法も『全員集合』で始めたものだ。所作台は歌舞伎で使うもので,靴なんかで乗ったら絶対に怒られるような高価なものだけど,ころぶ場所にだけそれを敷くと,バターンってすごい音がする。
 忠臣蔵のコントで松の廊下の場面をやる時に,加藤さんが後ろから長袴を引っ張られて倒れるのがあるけど,そこですごい音が出るのは所作台を敷いてあるからだ。
 それに普通の材質はそれほど滑らないけれど,足袋をはいていると所作台はよく滑る。だからすーっと滑ってきて,立った姿勢からドーンところがることができる。そうすると動きも派手だし,音もすごいし,効果満点だ。
 『ドリフ大爆笑』で考えたものだけど,スタジオで水槽を使えるようにしたのもドリフの発明だ。人がドボドボ落ちるギャグで使うやつだ。昔はスタジオでは大量の水が使えなかったけど,スタッフと一緒に工夫を重ねて使えるようにした。最初は小さな水槽で試しにやってみて,だんだん大きくしていった。それを今は,他の番組でも平気で使っている。
 そんなことは,きっと今の若いお笑いの連中は知らないんだろうな。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.70-71

代わりに

 だいたいワースト番組と言われてたけど,『全員集合』を見てグレたという話は一度も聞いたことがない。番組の中では,子供たちが親に「やっちゃいけない」と言われてることもずいぶんやったけど,それは子供ができないことを僕らが代わりにやったので笑ってるだけで,子供たちはいけないってことは知っている。それを頭っから,汚ないとか思われちゃうと,じゃあ何が面白いんだって言いたくなる。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.64

マンネリは必要

 だからよくマンネリと言われたけど,僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。
 お客さんにすれば,「多分こうするよ,ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑いと,「意表を突かれた,そう来たか」とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと,お客さんも見ていて疲れてしまうだろう。
 今の若い芸人は意表をつく笑いの方が多いようだけど,僕は新しいことにプラスしてお客さんが期待している通りの笑いも必要だと思う。
 「待ってました」とか「おなじみ」という笑いをバカにしちゃいけない。
 それにマンネリになるまでやり続けられるというのは,実はすごいことだ。今は歌でもなんでもマンネリまでいかないうちに終わっちゃう。マンネリはやっぱりひとつの宝だ。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.57-58

楽しそうだから

 今思うと,あのころの僕はただ無我夢中で,なんでも一生懸命やろうとして力が入り過ぎていたのだ。後になってわかったことだけど,本当はその逆で,楽しく遊んでるように見せるのがお客さんを笑わせるコツだ。
 「こいつら本当に楽しそうにやってるな」って思うから,お客さんは笑う。
 やってる方に余裕がなくて一生懸命さが伝わってしまううちは,がんばってる気持ちがわかる分だけ,見ていても笑えない。それは今だからよくわかる。

志村けん (2002). 変なおじさん[完全版] 新潮社 pp.54

長期雇用が守られる欧米

 実は,欧米では慣行と法制,両方で長期雇用者が守られているのだ。よく知られているのが,「セニョーリティ(先任権)」=勤続年数の長い人ほど解雇対象とならない,という仕組み。労使協定で広まった「ブルーカラー時代の遺物」とも言われるが,現在では,法律として確立されている国もある。年齢差別と相反しないよう,わざわざ注釈をつけて法制化するオランダのような国さえある。
 そしてもう1つが,年齢差別禁止法の存在。老齢を理由に解雇することが難しくなっているのだ。アメリカでは,こんな笑い話さえある。
 「ある日,業績の苦しくなった経営者が,何気なく部下たちの顔を見た。すると,黒人のサムがこんな声を上げた。『私をクビにしたら,人種差別で訴えますよ』。次に,一児の母であるアンに目をやると,彼女は金切り声で叫んだ。『働く母親をクビにしたら,どんな訴訟が待っているか』。困った経営者は,50代のジミーをにらむ。彼はすぐに身構えた。『肉体労働でもないのに,年齢を理由にクビを宣告できますかね』。最後に経営者は,ジョージに照準を当てた。20代で白人のジョージは,追い詰められて,とんでもないことをカミングアウトした。『僕はゲイだ。個人の性向で解雇したら差別だ!』」
 この話からもわかるだろう。がんじがらめになった差別排除法制により,結局,欧米で解雇の対象になりやすいのは,若年層なのだと。

海老原嗣生 (2011). 就職,絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗 扶桑社 pp.95-96

重要なこと

 北海道や東北では昔,雪のない時期にとれた野菜を漬物として保存し,冬に食べていた。保存する過程でビタミン類などの多くが失われ,塩分摂取量は増え,多くの人々が高血圧や胃がんなどに苦しんだ。栄養価の高いトマトをはじめとする生鮮野菜を年間通してふんだんに食べる生活が実現して,日本人は健康になった。健康面を考えると,地元産や旬だけにこだわらず,さまざまな農産物を運んできて食べることもまた,重要なのだ。

松永和紀 (2010). 食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社 pp.14

ガンダムとニュー・エイジ

 いわゆる『機動戦士ガンダム』における戦争とは,宇宙移民であるジオン公国(サイド3)と,地球に住み続けるエリート(地球連邦)の間の独立を巡るものだった。宇宙移民たちの中には,主人公でガンダムのパイロットであるアムロのように新しい環境で目覚めた特殊な能力を持つ「ニュータイプ」が生まれており,旧来の世界とは違う価値観が芽生えつつある。この物語は敵方の特殊な能力を持つ少女ララァがインド系として描かれていることも含め,ニューエイジの影響が強い。「世界は新しい時代を迎え,自分たちの潜在能力を覚醒させなくてはならない」というのは,まさに『機動戦士ガンダム』の世界設定そのものだ。

速水健朗 (2008). 自分探しが止まらない ソフトバンク クリエイティブ pp.55

大好き

 科学が進歩して様々な現象を解明していくほど,人々は科学で説明できないものの存在を信じたくなる。長期にわたるギャラップ社の定期世論調査では,超自然現象を信じる人の割合が年々増加していることを示している。
 1978年のギャラップ調査では,「幽霊を信じる」と答えているのは回答者の11パーセント弱にすぎなかったが,しかし2005年の調査では,32パーセントまで跳ねあがっている。さらに多くの人(42パーセント)が悪魔の存在を信じている。懐疑的な超常現象調査組織CSICOP(超常現象の科学的調査のための委員会,現在はCSI)のホームページでは,当時の代表ポール・カーツが,この世論調査の結果に不安を覚えるとコメントしている。「心情的に回答しており,頭を使って考えたうえでの結果ではない」と,CSICOPの主任研究員はつけ加えている。
 そう,私たちはよくできた怪談や幽霊の話が大好きだ。ずっと昔の話まで,古い歴史をさかのぼれる。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.251-252

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