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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

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なんでもあり

 憑依にも,ポルターガイストのように性的側面が認められることがある。超心理学者が,ポルターガイスト現象の原因として仮説を立てた「抑圧された不安」,あるいは「性的衝動」に対して,独身の誓いを立てているカトリックの聖職者たちが過剰反応を起こして,少年たちをベッドに縛りつけているのかもしれない。『エリザベス朝の英国における悪魔憑き(Demon Passession in Elizabethan England)』でキャスリーン・R・サンズは,「憑きもの落としと悪魔祓いの物質的・心理的傾向に,しばしば性的な解釈に結びつきやすいものがあることは明らかである」と述べている。彼女はさらに,「張り形を自分で,またお互いに使いあうことは,悪魔憑きの証拠とされていた」という修道女の事例を引く。メリーランド事例のローランドは,何度も何度も卑猥な言葉を使い,性的な動作について口にしていたが,そうした話の登場人物には聖職者と修道女に加えて聖母マリアも含まれていた。ローランドは,自分とその部屋にいる聖職者の男性器について叫び,全員の面前でマスターベーションをして,ベッドの上でわけありげに身をよじった。彼の体には様々な言葉に加え,彼の男性器の方向を指す矢印があらわれたという。非難すべきものは悪魔なので,もう何でもありなのだ。善良な人々には耐え難い光景である。

ステイシー・ホーン ナカイサヤカ(訳) 石川幹人(監修) (2011). 超常現象を科学にした男:J.B.ラインの挑戦 紀伊國屋書店 pp.120-121
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美も相対的

 政治,富,社会のしきたりなどと同様,美においてもあらゆるものは相対的である。私の身長は180センチ,普段の体重は67キロ。ロサンゼルスだったら私は太って見苦しく,おしゃれなブティックのどこを探しても体に合うブルージーンズは見つからないということになる。ビバリーヒルズにあるセレブ御用達のシックなセレクトショップ,フレッド・シーガルに立ち寄ったなら,ハドソンの「スーパーモデル]ブルージーンズのコーナーから,スエットパンツや伸び伸び素材ドレスのコーナーか靴売り場に丁重に追い払われてしまうだろう(いくら太っていてもたいていの靴ははけるのだ)。フレッド・シーガルで買い物をする女性のお尻の大きさは,小学1年生のときの私のお尻ほどしかない。でもこれがニューヨークになると,私は少々太めの部類だけれど許容範囲であり,当世風の飛び抜けて高い身長がそれを補ってくれる。一方,ウィスコンシンでは,私は親戚から,ちょっと背が低いうえに病的な断食ダイエット中だと思われている。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.266-267

太りすぎ

 胃のバイパス手術を受ける人の大部分は,スーパーモデルになりたいのではない。死にたくないから手術に踏み切るのだ。高い血圧を下げ,重すぎる体重を支える骨や関節を救うためだ。通りを歩きたい,バスで席に座りたい,飛行機にも乗りたい,糖尿病にはなりたくない,40歳,50歳の誕生日が過ぎても生きていたい。両親に先立ちたくはない。
 手術に危険がないわけではない。患者のおよそ10%は重い合併症になる。手術中,あるいは手術後に死亡する患者は0.1〜2%,生き残った患者も,消化管リークによる感染症,腹壁ヘルニア,代謝性骨疾患,貧血,骨粗鬆症,胆石,血液凝固,出欠,呼吸不全といった術後の合併症に苦しむ。手術を受けてからは栄養分をあまり吸収できない状態が一生続くので,体内に摂取できるわずかなカロリーには十分気を使う必要がある。バイパス手術を受けた患者の30%近くが栄養不足を原因とした骨粗鬆症,貧血,栄養不良になる。国立衛生研究所によると,10〜20%の患者が合併症の治療のため再度手術が必要になるという。
 こういった問題があるにしても,減量手段として胃のバイパス手術を受けようと考えるアメリカ人が今後も増えていくことは疑いの余地がない。アメリカ人のほぼ4分の1が太りすぎている。国中が太ったアメリカ人だらけだ。近年,ディズニーワールドでは構造技術者は乗り物の座席を広げることを余儀なくされている。でないと膨張しつつあるアメリカ人のお尻が入らないからだ。中西部のウォルマートでは10以上[訳注——日本の13号以上]のサイズが最もよく売れている。痩せていることが高く評価され,ウォーキングが日常生活の一部となっているニューヨークのような街も例外ではない。午後にアベニュー・オブ・ジ・アメリカズ(6番街)を見てみるがいい。余った肉で首に輪のできたサラリーマンの列が嫌でも目につく。会社のあるオフィスビルが禁煙になったため通りでタバコをふかしたり,食べ物の命令に従うだけの奴隷さながらにピザやカルツォーネを高く掲げてオフィスに戻ろうとしたりしているところだ。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.230-231

美しい仮面の創造

 リーフにしてみれば,セラピー花ざかりの文化は宗教に取って代わり,アメリカ人は宗教的倫理観とピューリタン的美徳を基礎とした文明から,自分自身の向上のみに関心を向ける文明に変質してしまった,ということになる。「幸福感は,共同体のための崇高な目標に向かって努力する中で得られる副残物ではなく,それ自身が生きる目標となってしまった。それは,アメリカ文化の構成員全体の焦点が根本的に変わったことを示している——昔ながらの,絶望と希望という観点では説明できない人間の状態に焦点が移ったのである」。現代人にとって,セラピー文化——幸福を求める文化——はセレブと美容整形の文化に道を譲ったということになる。今ではもう,自己の向上に焦点を当てることはない。それより一段階先に進んでしまった。美しい仮面の創造だけが焦点なのである。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.152-153

年齢でも

 ハリウッドのエージェントたちは,顧客である40歳以上のシナリオライターには年齢をごまかすよう勧める。履歴書には年をとってらの実績は書かない。2001年,40歳以上のライター50人がロサンゼルス連邦裁判所に集団訴訟を起こした。テレビ界では過去20年にわたって40歳以上のライターに対する年齢差別がはびこっていることを訴えたのだ。被告には,NBC,ウォルト・ディズニー社とその子会社,FOXエンターテインメント,タイムワーナー,ユニバーサル,パラマウント,バイアコム,コロンビア・トライスター,ドリームワークス,インターナショナル・クリエイティブ・マネジメント,ウィリアム・モリス・エージェンシーなど51社が名指しされている。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.120

頼れるものは

 20世紀には数多くの変革によりテクノロジーは180度転換し,アメリカの社会構造もまったく姿を変えてしまった。アイデンティティという観念は,現代のアメリカでは代替可能な性質を持つもの,流動的で日々変わり得るものになっている。
 50年前と比べて,アメリカ人は頻繁に引っ越すようになった。大都市から地方都市へ,郊外へと,会社に命じられるままに移動する。平均的なアメリカ人は生涯で11回引っ越しをする。米郵政公社の統計では,毎年4400万人(全人口2億8000万の約15%)が引っ越すそうだ。
 離婚率は1900年の7倍になった。2度,3度,あるいは4度結婚することも珍しくない。こんな時代にあっては,50歳や60歳でも独身で,またデートの駆け引きをしなければならないこともある——そして,相手をうまく誘うには容姿もそれなりによくなければならない。現代人の生活はさまざまな選択を迫られるため,1つのことに集中していられる時間は短くなってしまった。だからここ10年ほどは出会いパーティが大流行だ。独身男女が30秒,60秒刻みで部屋の中を歩き回り,気に入った相手と話をするというものである。
 平均的な大卒者が就職する場合,現在では生涯で少なくとも7つの会社で7つの職種を経験することになる。長年仕事をしていても,町から町へと移動の連続で,同僚とよく知り合えないまま終わってしまうかもしれない。互いの短所や癖など,その人ならではの特色を知る長年の友人や家族はほんの一握り,ということもあるだろう。
 つまり,移動を繰り返す典型的なアメリカ人的生活を送るアメリカ人にとって,もはや周囲の顔ぶれが毎年同じだとは限らなくなっているのだ。自分の世評を名刺代わりとしてあてにできないとすれば,彼らが頼れるものは,容貌と,好意的な第一印象を与える能力しかない。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.116-117

見かけで

 アメリカ文化では,見かけの良し悪しを気にかけて不安を感じる傾向は強まる一方だ。調査会社ローパーによると,2003年には過半数(51%)のアメリカ人が,自分の容姿に「あまり満足していない」または「まったく満足していない」と答えたという。
 ルックスこそが新しいフェミニズム,美を求める積極的行動主義である。いくら低俗で浅薄に聞こえようとも,現代は歴史上最もルックスが重要視される時代であり,とりわけ女性にとって容姿は大事なのだ。とはっきり書いてしまうとゾッとしてしまうが,私はジャーナリストであってイデオロギーの提唱者ではないので仕方がない。今私たちが生きている文化は,イメージが言葉よりもパワーを持ち,シンボルやサウンドバイト[訳注——短いフレーズでメディアで繰り返し引用される政治家などの発言。日本では小泉純一郎首相の「ワンフレーズポリティクス」がサウンドバイトを利用した典型例]が言葉を凌駕した恐るべき文化なのである。

アレックス・クチンスキー 草鹿佐恵子(訳) (2008). ビューティー・ジャンキー:美と若さを求めて暴走する整形中毒者たち バジリコ pp.12-13

なぜスプラッシュ

 バクスターは当初このライドに「ジッパディ・リバー・ラン」という名前をつけていました。映画の主題歌で現在もディズニー音楽の代表曲となっている「南部の唄」が「ジッパティ・ドゥダー,ジッパディ・エー」で始まるので,これにちなんだのです。
 ところが,新しくディズニーの最高経営責任者になったマイケル・アイズナーは,これを「スプラッシュ・マウンテン」に変更するように命じました。当時,ダリル・ハンナとトム・ハンクス主演の『スプラッシュ』という映画が大ヒットしていたので,このタイトルを使えというのです。しかも,アイズナーはこのアトラクションのどこかに人魚がでてくる場面を入れるようにという変な注文もつけました。
 この映画が,人魚のハンナがハンクスに恋をして人間になり,現代のニューヨークにやってきて恋物語を展開するという『人魚姫』の20世紀版だったからです。アイズナーは,自分の会社のトップになって初めてヒットした映画なので,これまた自分がディズニーにやってきてから初めてオープンする新しい大型アトラクションのどこかに,この映画の成功の記念を残したかったのです。
 しかし,どう考えてもこれは無理な注文です。ウサギさんやキツネさんやクマさんの話に人魚がでてくるのは,どういう風にもっていっても不自然になります。しかも,名前を「スプラッシュ・マウンテン」にしたのでは,このアトラクションと『南部の唄』のつながりがわからなくなってしまいます。
 ですが,相手は会社のトップです。バクスターは彼の顔をつぶすわけにはいきません。そこで,人魚をどこかに出すというほうは譲歩してもらうかわり,名前のほうはアイズナーに譲ることにしました。こうして1989年,「スプラッシュ・マウンテン」はディズニーランドにオープンしました。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.177-178

南部の唄

 まず,なぜ『南部の唄』は現在見ることができないのかということなのですが,これはアメリカの黒人団体が1946年に初上映されたときから,この作品に黒人差別が含まれていると抗議し続けたからです。
 たしかに,この作品のヴィデオ・ソフト(アメリカ版)を見直してみると,キツネさんやクマさんは黒人のように描かれ,話す英語にも南部の黒人特有の言葉づかいとアクセントが認められるのに対し,ウサギさんは白人的に描かれ,話す言葉にも黒人のようなクセはありません。
 黒人団体がとりわけ問題にしたのは,主人公のリーマスおじさん役である黒人の召使が,かなり誇張されて描かれているという点でした。つまり,不自然に皮膚が黒く,汚く見えるうえ,目もやたらとぎょろぎょろしているというのです。
 さらに実際に黒人奴隷がいた南部プランテーションでは,白人農場主が黒人に一方的に非人道的な労働と生活を強いていたのに,この映画では白人と黒人がそれなりに仲良くやっていたように描かれているという理由がこれに加わります。
 この抗議に対して,ディズニー側は,こう答えてきました。
 「アメリカの民話をたどり,それを映画によって保存することのほうが,表明されている懸念(黒人差別のこと)より重要だと考えています」
 この考えにしたがってディズニー側は,この作品が1946年に初上映されたあとも,1956年,1972年,1980年,1986年と再上映してきました。ところが1986年以降は再上映せず,ヴィデオ・ソフトの製造もしませんでした。
 このあと,1992年からは日本でこの作品のヴィデオ・ソフトの販売が始まりました。この年,東京ディズニーランドに「スプラッシュ・マウンテン」が新しいアトラクションとしてオープンしたからです。このヴィデオ・ソフトは,約30万本を売ったのち,1995年に製造を止めます。30万本というのは今では途方もない大ヒットですが,当時でもかなりのヒットです。このころの関係者によると,売れているのに製造を止めたのは,日本では問題になっていないが,アメリカで問題になっているので自粛したということです。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.172-173

スプラッシュ・マウンテンのストーリー

 1989年7月19日にディズニーランドにオープンして以来,「スプラッシュ・マウンテン」は,「ビッグサンダー・マウンテン」と並んで人気が高いアトラクションです。ライドが滝を急降下し,最後には大きな水しぶきをあげ,ゲストはびしょ濡れになりながらも歓喜の声を挙げます。
 しかし,このアトラクションのストーリーとなると,日本人は,よほどアメリカ文学と映画に詳しくないかぎり,思い浮かべることができないでしょう。
 実際,このアトラクションではゲストは最後にライドごとイバラの茂みに落ちて水を撥ね散らし(スプラッシュ)ますが,なぜイバラの茂みにスプラッシュするのか,なぜ,ウサギ,カメ,クマ,カエル,キツネが出てくるのか,なぜクマが縄でぶらさげられているのか,なぜウサギがキツネに縄で縛られているのか,なぜウサギが「笑う場所」のことをいっているのか,天井に蜂の巣がたくさんついているのか,そもそも「スプラッシュ・マウンテン」のモデルはなんなのか,知っている日本人はまずいないでしょう。
 ということは,日本人が気に入っているのは,最後に乗り物の丸太が45度の角度で滝を落ちていってスプラッシュするスリルだけだということです。これは「スリル・ライド」としてだけ楽しんでいるということで,とても残念です。
 ところがアメリカ人にとっては,ディズニーランドで,これほどストーリー性豊かなライドはありません。このライドは『南部の唄』というディズニー映画をテーマとしているのですが,この映画もアメリカ人によく知られたあるストーリーに基づいているのです。
 それは,ジョエル・チャンドラー・ハリスという人が書いた『リーマスおじさんのお話』です。これはほかのものと一緒に9冊シリーズになっています。動物を擬人化して教訓的な内容を語るのでアメリカのイソップ物語と呼ばれます。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.164-165

ビッグサンダーマウンテン

 「ビッグサンダー・マウンテン」の基本的モデルは,アリゾナ州とユタ州にまたがって広がるモニュメント・ヴァレーです。アメリカの西部劇では,よく草がところどころ生えた広大な砂漠の向こうに岩山がそびえている景色がでてきますが,その多くはこのモニュメントです。西部劇はもちろんのこと,『未知との遭遇』や『フォレスト・ガンプ』など現代を舞台にした映画にもしばしば出てきます。
 アメリカ的景色としてアメリカ人のあいだに定着していながら,どことなく神秘的で,この世ならぬところがあって,いろいろいわくや伝説がありそうに感じるからです。なにせ,ナバホと呼ばれるネイティヴアメリカンの部族の聖地なのですから。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.153-154

モノレール

 こんにちモノレールは新しい乗り物でも,珍しい乗り物でもありません。日本でもいくつかの都市で走っています。このため,私たちはディズニーランドのモノレールに乗ってもそれだけで心を動かすということはありません。ただの乗り物というだけです。
 しかし,ウォルトが1959年6月14日にモノレールをディズニーランドに導入したときにはかなり先進的な乗り物でした。同じ日にオープンした「サブマリン・ヴォヤッジ」の原子力潜水艦と同じくらい先進的だったといってもいいほどです。ディズニーの宣伝文句によると,この当時「毎日運転されているものとしては西半球で最初のもの」だったそうです。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.131

鉄道へのこだわり

 このようにウォルトはオリジナル・ディズニーランドを作るにあたって鉄道の存在に徹底的にこだわりました。鉄道が交通の主役だったころの古きよきアメリカを再現し,そのなかで開拓時代の蒸気機関車を走らせたい。そのノスタルジアのなかで,おじいさんから自分にいたるまでの時代をもう一度追体験したい。それがこのテーマパークで彼がしたかったことなのです。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.75-76

開拓時代のイメージ

 ウォルトがこのテーマパークを計画したとき,彼の頭の中にあったのは,彼および彼と同時代のアメリカ人が,開拓時代を中心とするアメリカの象徴的シーンを機関車に乗ってめぐっていき,それによって過去を「生き直し」,明日に向かっていく気力を取り戻す機会にしたいということでした。
 だからこそディズニーランドには,パークを一周する鉄道があるのです。パークへの入り口こそこの駅の横にありますが,パーク全体の構造としては,ディズニーランドは入り口のそばのこの駅を基点とする円になっているといえます。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.34-35

いくらかけたか

 オリジナル・ディズニーランドがオープンしたとき,アトラクションの数は22でした。ウォルトがこの世を去ったときには,その数は倍以上の48になっていました。
 もっと驚くのは,それにかけたお金です。オリジナル・ディズニーランドは建設するのに1955年当時のお金でだいたい1700万ドルかかっています。この時期1000万ドルあれば,日本と韓国全土にテレビ放送のネットワークを建設することができたのですから大変な大金だといえます。
 それにとどまらず,ウォルトは開園後もアトラクションを増設したり,改造したりしています。そのためにかかった費用は,10年間で3600万ドルにのぼりました。建設費の2倍以上を建設後にパークを充実させたり,改善させたりするためにかけたことになります。
 これはこの当時のこの業界の常識を超えているだけでなく,現在の常識さえ超えています。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.15

アメリカの遊園地

 ウォルトは,ディズニーランドを作ったとき,それがのちに日本やフランスや香港に作られるなどと思ってもみませんでした。実は,彼は,生前に日本からディズニーランドを作りたいという申し出があったとき,反対したのです。その理由は,外国人(アメリカ人から見て)が,アメリカ人と同じようなストーリーをつむぐことはむずかしいからというものです。とくに,日本人のように,ヨーロッパではなくアジアにあって,文化も伝統もまったく違う場合,むずかしさは大きくなります。

有馬哲夫  (2011). ディズニーランドの秘密 新潮社 pp.10

アメリカンドリーム

 たしかにこれまで多くの人がアメリカンドリームに鼓舞されて,偉業を成し遂げている。しかし,アメリカンドリームが夢のままで終わってしまった人も数知れない。アメリカは昔から「チャンスの国」と呼ばれている。そんな時代も,たしかにあったのだろう。だが今日のアメリカでは,スウェーデンやドイツなどの西ヨーロッパ諸国に比べて,親子の所得に強い相関が見られることが,最近の研究で報告されている。つまり,アメリカで成功できるかどうかは,努力よりは,生育環境に負うところが大きいということになる。このような研究報告を,アメリカ人が自国の独自性を過信していること,またはそれ以外の国の人が自国での機会を悲観視しすぎていることの証拠と受け取るかどうかは,意見が分かれるところだ。しかしそれは,人びとの価値観や信念が,重大かつ永続的な影響をおよぼしていることを,たしかに実証している。
 結局のところ,アメリカンドリームが実現可能な夢なのかどうかは,それほど重要ではない。どんな世界観もそうだが,アメリカンドリームは,全国民の理想を形作ったという点で,これ以上ないほど現実的な力なのだ。アメリカでは,アメリカンドリームの語りが,国民1人ひとりの人生の物語の礎になっている。アメリカンドリームの力を本当の意味で理解して初めて,なぜほかの夢を掲げる国や文化が,選択,機会,自由についてまったく異なる考え方を持っているのか,その理由を理解することができるのだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.102
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

取り決め婚

 現代の読者にとっては,取り決め婚など,とても考えられないかもしれない。だがこのような結婚の取り決め方は,特異な現象でも,インドに特有の慣習でもなく,過去5千年にわたって世界中で見られた行動規範の重要な一部分だった。古代中国から古代ギリシャ,古代イスラエルの12部族に至るあらゆる世界で,結婚は一般に家族の問題と見なされていた。男女の結婚は,家族間のきずなを生み,強めるための手段だった。近くの見知らぬ部族と婚姻関係を結ぶのも,二国間の政治同盟を強化するのもみなそうだった。結婚の目的は,2人の大人とその子どもで労働を分担する経済的利益のためでもあり,血筋を絶やさず,生活様式の継続性を守るためでもあった。言い換えればこのきずなは,目的を共有することで成り立っていた。結婚した2人を結びつけていたのは,互いに対する義務だけではなく,親族に対する義務でもあった。人々は親族の義務という観念に縛られ,ときには配偶者が亡くなってからもなお拘束された。ヘブライ語聖書[旧約聖書]の申命記には,ある人の兄弟が亡くなったら,その人は兄弟の残した未亡人をめとって養わなければならないと記されているし,インドでは今なおこれに似たしきたりが続いている。前にも述べたように,結婚生活での義務や,結婚を通じた親族への義務が重視された主な理由は,生きていくために親族全員が協力しなくてはならなかったからだ。

シーナ・アイエンガー 櫻井祐子(訳) (2010). 選択の科学:コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文藝春秋 pp.65-66
(Iyengar, S. (2010). The Art of Choosing. New York: Twelve.)

時間という試練

 要するに,コンテクスト(文脈)が重要なわけだが,そこから言えるのは,芸術においての時の試練の結果を予想するのは難しい,ということだ。いまは新鮮な映像も,20年後にはつまらなくなっているかもしれない。現代人にとってフランス印象派の色彩は,不調和なわけでも衝撃的なわけでもなく,保守的できれいなだけが取り柄だ。レッド・ツェッペリンを聴いたら,ジーン・ヴィンセントなど,ハード・ロックのうちにも入らない。スティーヴン・スピルバーグの「ジュラシック・パーク」の恐竜は,映画が公開された当初は,特殊効果で多くの観客を楽しませたが,いまとなっては,予算不足の東欧のコンピュータ・ゲームかと思える。
 逆に,時を経て力をもつ映像や音楽もある。マイルス・デイビスの晩年のアルバムは,フュージョンとファンクをごちゃまぜにしたような音楽で,当時のジャズ評論家には理解されなかった。なぜバップや絹のように滑らかなトランペットの音を捨てて,雑音にしか聞こえない音楽に走ったのか,というわけだ。ところがいまでは,ジャングル,トランス,ラップ,環境音楽の先駆けともてはやされている。19世紀のアメリカの画家,ウィンスロー・ホーマーは,その時代に軽くみられていたが,現代に生きるわれわれは,人権問題の繊細な描写や,人間の尊厳に対するこだわりに感銘を受ける。
 こうした点から,美術館の作品の見方に関する具体的な教訓が導き出せる。ひとつの作品は繰り返し見るべきだが,ほかの作品を見た後でそうするべきだ。ある美術館をより深く理解しようと思うなら,関連のある作品が所蔵されているほかの美術館にも足を運ぶ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.82-83

文化を楽しめるか

 要するに,文化を楽しめるかどうかは,カネの問題ではない。正式な教育の問題でもない。学のある人間は,とかく高尚な文化から「多くのものを得よう」とするが,教育を受けていないからといって,作品を味わえないわけではないし,学べないわけでもない。現代社会では,高校や大学,大学院に進学することと,知性や忍耐といった文化の鑑賞眼を養う資質には相関性がある。だが,常にそうだったわけではない。ベートーベンの演奏に耳を傾けた聴衆のなかにも,ルネサンス期のフィレンツェにも博士号をもっている人間はいなかった。修士号すらなかった。それでも,当時の多くの人々は,大いなる知性と情熱で芸術を愛した。哲学者のジョージ・サンタヤナによれば,歴史的にみると古代ギリシャ人の教育程度は低いという。それでも文化という観点では,大きな仕事をやってのけたのだ。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.71

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