忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

鉄道遺産

 鉄道遺産(ヘリテージ・レイルウェイ)とは,経済的な理由などで廃止された路線や機関車を保存し,一般に公開するものである。日本では「保存鉄道]と呼ばれることが多く,イギリスでも同じ言い方(ブリザーブド・レイルウェイ)をすることもある。しかし,鉄道は人類共通の「遺産」なのだから,保存するだけにとどまらず,より多くの人々に知らしめるべきである,という認識がイギリスでは強い。
 日本においても,「産業遺産」「近代化遺産」というカテゴリーで,工場やインフラなどの産業分野の遺産を認識する動きも出てはいるが,鉄道車両や線路を1つのカテゴリーとし,しかも大規模かつ全国的に保存しているという点では,イギリスにははるかに及ばない。

秋山岳志 (2010). 機関車トーマスと世界鉄道遺産 集英社 pp.28-29
PR

職業由来

 アメリカ人の姓の多くは「職業的」なものだ——つまり祖先の職業に由来している。「フレッチャー」は矢を作り,「クーパー」は樽を作り,「ソーヤー」は木を切っていた,という具合である。まったくの偶然で,姓と職業がぴったり一致する場合もある——たとえば,ポーカーのチャンピオンであるクリス・マネーメーカー(金を作る人),短距離の世界記録保持者ウサイン・ボルト(電光),イギリスの神経学者コンビで共著書もいくつか出ているヘンリー・ヘッド(頭)とラッセル・ブレイン(脳)など。このように,その人物の職業に偶然ぴったりの姓は「アプトロニム」と呼ばれていて,この単語は僕のお気に入りの1つである。

ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.255

定跡

 手紙は「序盤定跡」と「終盤定跡」が人間関係にも起こりうることを示す好例だ。どの学校でも,手紙の頭語と結語を子どもたちに教えている。これらはきわめて定型的で儀礼的であり,コンピュータにも簡単に真似できる。MSワードで改行したあとに「Your」と打てば,すぎに黄色い小さなボックスが現れて,そのなかに「Yours truly(敬具)」と書かれている。ここでエンターキーを押せば,自動で補われて全文が入力される仕組みだ。「To who」と打てば,自動で補われて「To whom it may concern(関係各位)」と入力される。「Dear S」と打てば,自動で補われて「Dear Sir or Madam(拝啓)」が,「Cord」と打てば自動で補われて「Cordially(敬具)」が入力される,といった具合である。
 学校では,このような「序盤定跡」と「終盤定跡」を一字一句教え込まれる。ところが社会に出ると——意識的かどうかはともかく——,言外の意味や文脈や流行について,微妙な傾向や兆候に耳を澄ませることになる。僕は子どもの頃,「What’s up(やあ元気)」というあいさつが苦手だった。他人の真似をしているだけで,不自然だし,本物ではない——このあいさつを口にするときは,いつも心のなかで引用符のようなものをつけていた——ところが,やがて「Hi(やあ)」と同じように自然に言えるようになっていた。それから数年後,僕の両親も同じ経験をした。両親が最初に「What’s up?」と言いはじめたとき,僕には2人が「流行に乗る」ために涙ぐましい努力をしていると思えたが,次第にほとんど気にならなくなった。僕の中学時代には,「What’s up」を省略した「What up」や「Sup」がそれまで流行していたあいさつに代わってクールな同級生のあいだで広まると思われたが,そうはならなかった。大学や大学院に進学して,形式的でありながらも形式張らない,下手でありながらも対等という微妙なメールを教授たちと交換するようになると,僕は直観的に「Talk to you soon(近いうちに話しましょう)」という結語を使っていたが,そのうちにこれでは返信を催促しているのではないかと気になりはじめ,失礼な言い方かもしれないと思えてきた。僕は他人のメールを見て,それを真似して「Best(では)」という結語をすぐに使いはじめたが,数か月もすると,言葉が短すぎると感じはじめた。やがて,「All the best(ではごきげんよう)」という言葉に切り替えて,最近ではこれが僕の定番になっている。礼儀作法はどこかファッションに似ている。最先端に追いつこうと思えばきりがないのだ。

ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.157-159

一生の仕事

 有数の蓄音機会社の提供する音楽が,60代の偏った好みの男性の遠くなった耳によって選ばれていたことはいかにも皮肉なことである。エジソンは演出家としての仕事を楽しみ,録音と音楽家との契約を取りしきった。音楽に対する彼の独断が,ウォルター・ミラーやジョージ・ワーナーら部下たちに押しつけられ,彼らは音楽録音に関するエジソンの偏った方針に従わざるをえなかった。エジソンの音楽の趣味は平凡なものだったけれども,彼の野心は大オーケストラで演奏されるクラシック音楽を録音することだった。さらに多くの音楽家たちの録音が可能になるよう,エジソンの指示に従って新しいスタジオがウェストオレンジ研究所の4号棟に建てられた。彼は完全で本物そっくりの音を再生しようと,何千もの実験を繰り返し研究を続けた。エジソンは,電灯という脅威を世にもたらした人物として多くの人に記憶されているが,蓄音機の実験に費やされた時間の長さを考えれば,むしろ何年にもわたって音楽の明瞭で忠実な再生ができるよう努力した人物として記憶されるべきであろう。これこそ彼の一生の仕事だった。

アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.265-266

「好き」じゃなく「いいね」

 みんながみんな「メタ的」で「評論家的」のようになってしまいました。そこでは,あらゆる物事に対して「良い/悪い」という「評価」をします。日本ではフェイスブックでも「好き!」ではなく「いいね!」です。評価をしているわけです。しかし,この「評価目線」は息苦しさを増長させる方向にしか作用しないのではないかと私は考えます。
 あらゆる物事に対して「良い/悪い」という評価をするのではなく,もっと「好き/嫌い」という感情を表現してみてはどうでしょうか。
 多くの人は,何かを「好き」あるいは「嫌い」と表明しているようで,あまりしていません。「嫌い」とは言わずに「ダメ」と言う。「良い/悪い」や「アリ/ナシ」もそう。最近では「これはひどい」なんていう便利な言い方もあります。
 私は「これは良い」「これは悪い」と言うのではなく,あえて「これは好き」「これは嫌い」と言っていきたいのです。「良い/悪い」というような超越的な言葉,評論的な言葉,神のような上から目線の言葉というのは,メタ視点的な言葉です。
 普通の人にとって「好き/嫌い」を表明することは,実は怖いことです。なぜなら,「好き/嫌い」を語ることによって,自分自身が剥き出しになるからです。
 一方,「良い/悪い」「アリ/ナシ」などの表現は,自分の嗜好はいったん脇に置いておいて,誰かの評価や大して根拠のない判断基準を借りてジャッジをしているだけなのです。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.132-133

自分を笑う

 日本人がこれだけお笑いというものが好きな国民なら,もう少し自分を笑うことを覚えるべきなのではないでしょうか?他者,弱者にツッコミの目線を向けるのではなく,自分にツッコミを入れる。そこで見つけた「しょうもない自分」「致し方のない自分」を愛してあげてほしいのです。
 「人間なんてものは,しょうもないところも持っていますよ。自分だってそうでしょ?」
 こういう目線を持つことができれば,とたんにユーモアにも深みが出るはずです。
 他人にツッコミを入れ続けたり,他人をイジり続けたりするだけで,自分のことに関しては極端にディフェンシブな人は,やっぱりどこかいびつに見えます。
 ましてや,そんな人ばかりが集まっていたら,社会はギスギスするに決まっています。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.119-120

自己愛の強い人

 自我が肥大して,自意識過剰になっている人は,「本当に自分を好きになるナルシシズムに転がる人」と,逆に「自分を嫌いになる方向に転がる人」がいると思います。自分を嫌いになってしまうと風邪をこじらせたような状態になり,八方塞がりになって本当に生きづらい状態になってしまいます。
 それに比べたら,他人に「アホだなぁ」と思われるような自己愛の強い人の方が生きやすいでしょう。私は今,そのような人になりたいと思っています。
 「自分嫌い」については,一度怖気づいてしまっているからです。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.95

自我のダイエット

 自らの芸に対しては,容赦無いツッコミとダメ出しが飛んできます。お笑いは「工業製品的」です。自我だけで勝負できない世界なのです。芸人は,楽屋などでツッコミを受けることによって,自我の不要な部分を削っていきます。そういう意味で,ツッコミを受けることによって救われたことも少なくありません。
 翻って一般の人に置き換えてみると,仕事でも何でもそうですが,上司からダメ出しをくらったり,叩かれて修正されたり,自我を削られたりすることは喜ぶべきことでしょう。「自分らしさ」がなくなってしまうのではないかと思う人もいるかもしれませんが,そうではありません。むしろ,叩かれたり,削られたりすることによって「自分」が形作られていくと思うのです。
 今は,誰もが自我を肥大させてしまっています。みんながツッコミをしたいと思うのは,ツッコミをすることによって肥大した自我を守ろうとしているわけです。しかし,ツッコミを受けることで,自我をシェイプアップしていくことも覚えておくといいでしょう。
 一度,自分の「しょうもない部分」を認めてあげたほうが楽になるのです。そこからさらに進んで「しょうもない部分」を持つ自分を「ボケ」として周囲に提示し,周囲からツッコミを受けてみる。
 これが「自我のダイエット」です。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.72-73

キレ芸

 「キレ芸」の始祖は松本人志でしょう。いらだちのあまりイーッとなった後,「僕は○○が許せないんですよ!」といったフレーズで笑いを取る。
 「キレ芸」は,とても他罰的です。「自分の思う通りにならない」ということを強く言っているわけです。
 松本さんは,普段からすごく細やかな神経でいろいろ人間の心理,心の綾を見つめているのだと思います。神経過敏と言ってもいいぐらいです。
 「Aをしたら,Bにならないといけないのに,なんでCになんねん!」とキレる。そこには「Aをしたら,Bになるはずだ」という彼が想定した「あるべき姿」があります。それはとても細やかな神経から生み出されているのです。
 また,松本さんが広めた言葉に「逆ギレ」があります。
 「逆ギレ」とは,自分と他人が関わったとき,どちらがキレるべきなのか,論理的に突き詰めて考えているからこそ生まれる発想です。手続き上,そちらがキレるのはおかしいし,正当性がない。そのことを怒りながら「逆ギレか!」と言う。これはつまり「思う通りにならないさま」を笑いに転化しているわけです。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.47-48

過剰防衛

 誰もがツッコミのスキルを搭載している以上,常に誰もがツッコミの標的になる可能性があります。絶対に安全な領域はありません。
 ツッコミを入れられたくない。ツッコミを入れられたときの自分の打たれ弱さを隠すために,あえて自分からツッコミをすることも多いと思います。自意識を守るためのツッコミです。
 弱さを隠すために,過剰防衛になってしまう。ケンカ慣れしていない人が,過剰に人を殴り続けてしまうのと同じような感じです。そうやって集団でツッコミを浴びせて,炎上させてしまう。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.45

メタなセリフ

 今の人は,日常会話の中で「そこはツッコまないと」という言い方もします。なんと高度なセリフでしょう!これはどういうことかというと,加工されたコミュニケーションを先回りして想像し,そこにはツッコミが入らないと成り立たない。そう言いたいのです。「そこはツッコまないと」というセリフは「メタ」が行き過ぎた,いい例だと言えるでしょう。

槙田雄司 (2012). 一億総ツッコミ時代 星海社 pp.37

「だから何なのだ」

 長身崇拝はジレンマを生む。身長をコントロールする分子のメカニズムがさらにわかってくれば,私たちが,いやむしろ子どもたちが望む身長をミリ単位まで操作することができるようになるだろう。そうなると,いったいどれくらいの身長が適正なのだろうか?身長に関して正常と異常との境界をはっきり定めることはできない。それは臨床的な可能性,もしくは便宜上決められたあいまいな境界なのだ。もちろん,背が低いことが症候になる病気は遺伝的なものを含めたくさんある。だが,もともとは遺伝的なものであっても,小柄なことは必ずしも——むしろほとんどの場合——病気ではないのだ。現在アメリカではおよそ3万人の子どもが,背が伸びるようにとサプリメント(遺伝子組み換え型成長ホルモン)を与えられている。こうした子どものほとんどは成長ホルモンが不足しているので,適切な治療法と言える。だがこのうち3分の1は,「突発性低身長」と呼ばれるものだ。栄養不足とか,虐待とか,臨床的に同定できる病気とかが原因で背が低いわけではなく,単に背が低いだけのことだ。だが両親が背が高くなってほしいと望むあまり,成長ホルモンのサプリメントを服用している。
 これは正しいことなのだろうか?大型犬や小型マウスからわかるように,成長ホルモンは体に影響を与える。だがどんなふうに与えるのかはまだ完全に解明されていない。ならば,十分な医学的理由がないときは子どもの身長に手を加えるべきではない,と言っても過激でも時代錯誤でもないはずだ。しかも成長ホルモンだけが問題なわけでもない。私たちのサイズを決める分子装置について知れば知るほど,それを利用したいという誘惑にますます駆られるだろう。正常と異常との境界は曖昧なだけでなく,可変で,つねに変動しており,医療技術の進歩によってもつねに動いている。ある意味,当然のことだ。生物学上の思いがけない出来事が,病いとして理系できて治癒できるものに変わることは,医学の歴史そのものだからだ。だが身長についても同じことが言えるのだろうか?背が高いことは,あらゆる種類の望ましいことと相関があり,背の低い人で米大統領になったのは数えるばかりだが,だから何なのだ,と言いたい。背の低い子どもに関する研究は,私たちが直感的に知っているとおりの結果を示したからだ。人生において幸福や成功を手に入れられるかどうかには,本人の知性や健康,両親から受けるきめ細かい心配りのほうがはるかに重要な役割をはたしており,身長は最もとるに足りない要因の1つだ。これこそが,子どもの成長を誇らしげに,あるいは不安げに柱に刻むときに,私たちが肝に銘じておかなければならないことだ。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.185-186

ロートレックの身長

 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック[1964-1901]の身長が低いのは,軽い大理石骨病のせいだと考える人たちがいる。だがこれは,この高名なフランス人画家についていままで後付の診断によって言われてきた,いくつかの病名(何骨形成不全症や骨形成不全症など)の1つにすぎない。この中にとくに説得力のある候補はないが,骨の疾患は山ほどあり,その症状も千差万別,かつ違いは軽微で,簡単に間違えてしまう。とくに患者の情報が,伝記や数枚の写真や選り抜きの自画像(ほとんど戯画化したもの)だったりするとそうだ。それでも,ロートレックの病名探しは続いている。彼の魅力の一部は——とくにフランスの医師たちにとっては——トゥールーズ=ロートレック伯爵家というフランスの名門貴族の出であるという事実だ。トゥールーズ=ロートレック伯爵家は南仏の名家だが,やわな貴族などではない。ルエルグ地方,プロヴァンス地方,ラングドック地方の大半を支配し,十字軍遠征ではエルサレムを略奪し,異端説に手を出して教皇に破門され(10回ほど),13世紀にはフランス国王の怒りを買い,攻撃された。だがアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの病名を突き止めたいと願うのは,何よりもこの天才画家が自分の奇形を芸術の一部にしたと考えられているからだ。
 そう考えるにはそれなりの根拠があるのだろう。フランスのオルセー美術館や,アルビ(トゥールーズ市からそれほど離れていない)のトゥールーズ=ロートレック美術館で彼の作品を眺めると,鼻孔に目がいってしまう。ムーランルージュの踊り子ラ・グリュー,シャンソン歌手イヴェット・ギルベール,社交界の花メイ・ミルトン,その他大勢のパリの無名の高級売春婦たち。どれを見ても,目に入るのはぽっかり開いた暗い洞窟のような鼻孔だ。実物以上にきれいに見せようとはまったくしていない。ロートレックにとっては,ごく自然なことだったのだろう。彼は背が低かったからだ。成人しても,150センチしかなかった。批評家たちは,ロートレックの疾患は彼の芸術に微妙な影を落としていると主張した。1893年以降,モデルたちの手足を描かなくなり,絵の中は頭部と胴体だけになった。絵の枠は,彼自身の体の忘れてしまいたいだろうあの部分,つまり両脚を排除する道具となった。
 脚のせいでロートレックはずいぶんと辛い思いをした。幼いころはかなり健康そうだが,7歳のころには母親に連れられて聖地ルルドに行っている。足の病気を治す方法はないものかと母親は願ったのだろう。彼は膝がよく曲がらず,歩き方がぎこちなく,転びやすかった。1年しか学校に通わなかったのは,繊細すぎて乱暴な男の子たちとうまくやっていけなかったからだ。10歳のころには,足と太腿に絶えず鋭い痛みが走ると訴え,13歳のときはちょっと転んだだけで両大腿骨を骨折した。杖で体を支えていた期間から判断すると,治るのに約6ヵ月かかったようだ。大人になってからはほとんどいつも,杖を使っている。実際,彼はどんな距離でもいやいやながら,ぎこちなく歩いているように友人たちには見えた。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.141-142

陰謀論の出処

 陰謀論は,ゆがんだパターン認識から生まれる——聖母マリア・チーズサンドの認知版である。陰謀論の信奉者は,9・11の事件を,予定していたイラク侵攻計画を正当化するためのブッシュ大統領の画策と,頭から思い込んだ。そして,タワーに衝突した最初の飛行機に関する大統領の記憶の誤りを,彼が前もって攻撃を知っていた証拠と考えた。ヒラリー・クリントンは選挙に勝つためなら,どんな発言でもすると思い込んでいた人々は,ボスニアの空港で狙撃されたという彼女の誤った記憶を,選挙に有利になるようについた嘘だと即座に考えた。どちらの場合も,人びとは相手に対する自分のパターン化した見方を,事件にあてはめた。それに沿って裏にある原因を推理し,自説の正しさに確信をもつあまり,もっと理にかなったべつの説明を見落とした。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.208

デッサンの達人

 父親の施された英才教育のおかげで,ピカソが少年時代からデッサンの達人であったことは知られています。画家としての地位を確立して以降の,描き殴ったような破天荒な作品は,そうした絵画の写実技法を否定することで誕生した,といわれることも多いのですが,この言い方は必ずしも正確とはいえません。彼の筆力は,むしろそうした前衛的な作品において圧倒的に示されているからです。
 展覧会や画集で,視界のすみにチラッとおそろしくリアルな作品がの目に入り,改めて見直してみるとピカソの絵であった,ということは少なくありません。初期の「青の時代」や「バラ色の時代」の写実的な作品であれば別に不思議ではないのですが,こうしたことは,中期以降の写実描画を捨てたかに見える作品により多く見られます。意識して見直してみると支離滅裂にしか見えない絵が,無意識に視野に入った時にのみ,どきっとするほど写実的な作品に見えるのです。
 改めて見直してみると写実描写のかけらもないはずの画面なのですが,そこに乱暴に引かれた線やべったり塗られた色面が,じつはこれ以上は考えられないように巧妙に配置され,驚くべき写実性を基盤に描かれていることに気づかされるわけです。
 これは,見る側がデッサンに精進すればするほど痛感されるようになりますから,勉強熱心な絵描きほど,ピカソの筆力には脱帽せざるを得ないことになります。この神がかったまでのデッサン力は,釘で引っ掻いたような銅版画の線などでは戦慄的なまでに発揮され,わずか1本の輪郭線で人体に,筋肉や骨格の構造から,それらをうっすらと覆う贅肉までが描き出されています。
 ここまで見事な素描は,ルネッサンスの巨匠による人間離れしたデッサンでも,そうはお目にかかれません。少年時代の彼のデッサンを見ても,その写実描写と存在感の表現には度肝を抜くような迫力があり,現代画家には稀有な筆力を見せつけています。
 絵画に限らず芸事では,幼い頃から身につけた基礎力というものは,いくつになっても容易に抜けるものではありませんから,彼がいかに前衛的な画風を試みたところで,この脅威的なデッサンを抜き去ることはできなかったのでしょう。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.162-163

キュビズム

 キュビズムの作品は,風景を幾何学形体そのままに無機質に描いた上に,人物画では横顔に正面から見た顔のような両目を描き,正面から眺めた顔に横から眺めた鼻を描き込んでいます。おかげで,セザンヌ風の色紙を貼り合わせたような造形がさらに分解と解体を進め,作りかけないしは壊れかけの紙製模型のようにばらばらの面の集積になってしまっています。
 その最大の眼目は,絵画の画面は1つの視点から眺めた画像を描くという,従来の視覚的な文法を破壊することにありました。画面が,横顔に正面顔を合成して,あちらこちらから眺めた姿を合成しているのはそのためです。こうした表現をすることで,画面は見る者に複数の視点からの画像を提供し,あたかも見る者自身が移動して眺めているかのような印象を与えることになります。従来の絵画が,写実的な画像を写真のように静止した状態で描き出していたのに対して,タッチもあらわな形体の描写を,写真のように固定しない視点で集積していたわけです。
 ちなみに,こんなとんでもない手法であるにもかかわらず,題材にヌードが選ばれたのは,アカデミー理論教育としてのデッサンがヌードを題材にしていたからです。つまり,ヌードを描く作品というものは,アカデミーの伝統に照らすならば,そのまま絵画の理論的探求を意味していたわけです。画家にとってヌードを描くことは,論文を書くようなものであり,最新の手法でヌードを描くということは最新の学説を発表することと同じような意味を持っていたわけです。が,さすがにこのピカソの「最新理論」を初めて目にした時には,盟友ブラックも仰天して,「まるで口から火のついたガソリンを吹き出す人を見るようだ」と語っています。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp. 135-136

作戦

 彼は,画商に対する最良の作戦は,作戦を立てないことだと言っています。
 実際,予想もしていなかったピカソの対応に驚いた画商は,彼が何を望んでいるのかが理解できずに困惑し,冷静な判断力を失ったまま交渉に臨むことになり,気がついた時にはピカソの思惑通りに話を進められてしまっていたといいます。
 予測不可能の言動で相手を幻惑し,相手に事前の対策を講じさせないというのが,ピカソの画商に対する戦略でしたが,彼はこの戦略のために綿密なシミュレーションも欠かさなかったといいます。画商や出版社との折衝,展覧会の準備などのアシスタントとして,ピカソの深い信頼を得ていたフランソワーズ・ジローは,自伝にその様子を面白おかしく書いています。
 彼女によれば,画商がアトリエにやってくる前に,ピカソは決まってフランソワーズを画商に見立て,えんえんと想定問答を繰返したというのです。場合によってはピカソが画商の役を演じることもあり,考えられるやりとりをすべて予習してから本番の交渉に臨んだといい,実際の画商との応酬に,想定した問答が登場した際はピカソがそっと目で合図を送ったといいます。
 予測不可能な言動によるピカソの幻惑作戦は,あらかじめ予測可能な展開を知り尽くしておくことによって成立していたわけです。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.86-87

引用者注:結局,作戦を立てているのでは…?

柔軟な画風

 衣食足りて礼節を知る,という言葉がありますが,この『アヴィニヨンの娘たち』に始まるピカソの前衛手法は,それこそ衣食足りた後に試みられた前衛に他なりません。当時のピカソにとっては,実験作『アヴィニヨンの娘たち』が評価されようがされまいが,当時の生活には影響がなかったわけです。
 絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは,その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
 画風を目まぐるしく変えたことから「カメレオン」の異名もとっていますが,その作風の変遷をつぶさに眺めてみますと,それぞれの時期に彼の絵を扱った画商の顧客の趣味を忠実に反映していることがわかります。
 画廊もそれぞれに路線や得意不得意があり,キュビズムのような先鋭的な作品を売り出すことに情熱を燃やす画商もいれば,印象派のように販路の確定した作品を売るのに熱心な画商もいます。ピカソの作風を見て感心させられるのは,そうした画商の路線にじつに柔軟に対応して画風を変えてみせている点で,こうした姿勢はピカソが画商を描いた肖像画にまで徹底されています。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.45-46

ツバを吐けば

 美術史上,ピカソほど,生前に経済的な成功に恵まれた画家,つまり「儲かった」画家はいません。
 ピカソ自身,「私がツバを吐けば,額縁に入れられ偉大な芸術として売りに出されるだろう」と豪語しているほどです。実際に数十人分のディナーくらいなら,紙のテーブルクロスにサインすれば払えたといいますから,その署名はただの紙を一種の「紙幣」に変える力を持っていたことになります。愛人に手切れ金のように与えた家なども,一晩で描いた静物画と交換に手に入れたといいます。
 作品の値段の高さに加えて,ピカソは制作した作品が多いことでも知られています。彼が生涯に制作した作品の点数は油絵だけで1万3千点,版画や素描や陶芸など,油絵以外の作品は13万点を越えています。このうち版画は,1点の作品が数十枚数百枚の単位で刷られますので,その作品の総数はまさに想像を絶するものがあります。それらのすべてにピカソならではの高額の値段がついているわけですから,彼が生み出した作品の評価額の総計は,それこそ天文学的な数値に達することになります。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.15-16

どうやれば上手くなるのですか?

 よく「漫才というのはどうやれば上手くなるのですか?」と聞かれることがある。それを聞いてきたやつが芸人だとしたら,その時点でダメだな。
 要は客を笑わせればいい。それだけ。そこに至る方法やプロセスはいろいろあるけど,「これが正解」というのはない。芸人の数だけ方法論はあって,それぞれが違って当たり前。
 もし,お笑いや漫才にマニュアルがあったとしても,その通りやって笑いが取れる保証はない。むしろダメなんじゃないかな。とにかく結果がすべて。芸人はその結果が欲しくて欲しくてたまらない。中毒みたいなものだから。それに「客を笑わせる」ことに飢えていなければ,結局何も身につかない。
 「役者と乞食は一度やったらやめられない」というけれど,芸人にもそういうところがあるんだ。けれどそれは半分正しくて半分間違い。
 「芸人になって客を笑わせたことがあるやつは,もう辞めることができない」——これが正解。その代わり客を笑わせることができなかった芸人は,その場で首吊って死のうかと思うぐらい落ち込むけどね。

ビートたけし (2012). 間抜けの構造 新潮社 pp.54-55

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]