I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「文化」の記事一覧

悲劇と喜劇

おとぎ話や神話,魂を表す神々の喜劇のハッピーエンドは,人類の普遍的な悲劇と矛盾するものとしてではなく,それを超越するものとして読むべきである。客観的な世界は過去の姿のままだが,主体の中で重要視するものが変わると,形を変えたように見えてくる。以前は生と死が争っていたのに,今では永続するものが見えてくる。鍋で煮立つ水が泡の運命に無関心だったり,宇宙が銀河の星々の出現や消滅に無関心だったりするのと同じように,時の偶然性とは無関係なのである。悲劇とは形あるものを壊し,形あるものに対する私たちの固執を壊すことである。喜劇は荒々しく無頓着で無尽蔵の,自分ではどうにもならない人生の喜びである。したがって悲劇と喜劇は,両者を内包し両者によって区別される。ひとつの神話的主題と経験を表す言葉となる。つまり下降と上昇(カトドスとアノドス)であり,ともに命という啓示の全体性を形作る。そして罪(神の意志に従わないこと)と死(死すべき形態と同一化すること)の毒から清められる(カタルシス=浄化[プルガトリオ])には,人はその両方を理解して受け入れなければならない。

ジョーゼフ・キャンベル 倉田真木・斎藤静代・関根光宏(訳) (2015). 千の顔をもつ英雄[新訳版][上] pp.50-51

暴君と英雄

この暴君という怪物は,世界中の神話や民間伝承,伝説,悪夢の中に現れる。その性格は基本的にどこも同じである。皆の利益を独り占めにし,なんでも「自分のもの」と貪欲に権利を求める怪物である。暴君がもたらす暴力や破壊は,神話やおとぎ話の中で,暴君のいるところでは必ず起こるものとして描かれている。それは,怪物一家の話や,暴君自身の苦悩する精神(プシケ)の話,または,ほんの少し暴君が友情を示したり手を差し伸べたりするだけで枯れてしまう命の話にすぎない場合もある。または文明そのものの話にまでなることもあるだろう。暴君の大きく膨らんだエゴは,周囲の事柄がうまくいっているように見えても,当人やその住む世界にとっては災いである。そして自ら独立を獲得した大物の暴君は,自ら怯え,恐怖に取り憑かれ,周囲からの予想される攻撃——主に自分が抱えるものに対する抑えられない衝動が投影されただけなのだが——に立ち向かうためにあらゆる手段を講じようと構えるので,心の中では人間らしい意図を持ってひとり満足していても,世界に大惨事をもたらす使者になる。暴君が手をつくところでは,必ず泣き声が起こる(世間に広がる声でなくても,一人ひとりの心の中でもっと悲惨に)。それはここから救ってくれる英雄,光る剣を持つ英雄を求める声である。英雄が起こす風だけで,英雄が地に触れるだけで,英雄がいるだけで,そこに住む人々は解放されるだろう。

ジョーゼフ・キャンベル 倉田真木・斎藤静代・関根光宏(訳) (2015). 千の顔をもつ英雄[新訳版][上] pp.32-33

どちらが使い捨て

「若者向けヒット曲は使い捨てだが,演歌は1曲の寿命が長い」といった物言いは,現在の「演歌」を積極的に評価する際の決まり文句となっています。つまり,「演歌」は,「手作り」の地道なプロモーションを通じて聞き手の「生の」生活心情に訴えかけることで長く愛される「真の流行り歌」になるのであって,華々しい宣伝やタイアップによって人為的に仕掛けられ,すぐに忘れ去られる「流行らせ歌」ではない,というわけです。それに付随して,苦節何年を経ての成功という美談が,「演歌歌手」の真正性の重要な根拠となります。
 歌の寿命についていえば,確かに「昔は1曲のヒットの寿命が長かった」というのは間違いではないでしょう。昭和20年代には「1曲ヒットがあれば10年実演で食える」と言われていました。しかし,それはヒットが出た後の話であって,1曲だけの持ち歌を何年もかけてヒットさせようとすることではありません。
 美空ひばり,三橋美智也,島倉千代子,フランク永井,橋幸夫といった大スターはもとより,《愛ちゃんはお嫁に》の鈴木三重子や《バナナ・ボート》の浜村美智子,《東京ドドンパ娘》の渡辺マリなど,現在では1曲しかヒット曲がないかのように思われている歌手であっても,当時の芸能雑誌付録の歌本を見ると毎月のように新曲を発表しています。つまり,1曲を長く売るのではなく,大量にレコードを吹き込む中で,半ば偶然にヒットした1曲が長く流行り続けたということだったのです。
 その意味で,出す曲ごとに膨大な経費をかけて綿密な宣伝戦略を立てタイアップを仕掛け,数十万枚売れないと赤字になるような「J-POP」のアーティストに比べ,かつての歌手のほうがよほど「使い捨て」的にレコードを量産していたともいえます。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.99-100

違和感と拒否

よく知られているように,藤山,淡谷,東海林らは,昭和40年代以降「ナツメロ歌手」として復活後,現役の若い歌手たちの技術の欠如に対して厳しい非難を繰り返しますが,それはむしろ昭和30年代から40年代を通じて流行歌手に必要な素養が,旧来の西洋芸術音楽に基盤をおいたものから決定的に変質してきたことを意味しています。
 藤山の「古賀メロディー」,淡谷の「和製ブルース」,東海林の「股旅調」のように,彼らは現在の「演歌」の原型といえる諸曲調を確立した歌手であるにもかかわらず,淡谷の「演歌嫌い」や「歌屋」発言にはっきりと示されているように,「クラシックに準ずる楽曲」を歌っていると自認していた彼らにとって,西洋芸術音楽の歌唱法に依拠しない「戦後派」の歌手の歌唱(それは現在の「演歌」を最も強く特徴づけているものですが)は,強い違和と拒否をもたらすものであったのです。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.74-75

誤り

具体的な検討に入る前に,ありがちな誤解を解いておきましょう。
 誤解とは「日本のレコード歌謡は,元々の日本的なものから,徐々に西洋風(アメリカ風)になっていった」というものです。
 そのような歴史観は「日本的な演歌が洋楽的なポップスに変化していった」とパラフレーズできるものですが,それを肯定的に「ダサいものがカッコよくなっていった」ととらえるか,逆に「民族的な伝統が外来文化によって侵略された」ととらえるかはさておき,日本のレコード歌謡に関する一般向けの書き物などで,かなり広範に認められています。しかしこれは端的に申し上げて,誤りです。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.67-68

演歌の時期

歴史的に見れば,「演歌」と明示的に呼ばれた新作歌謡が商業的に一定の成功を収めた時期はきわめて短く,長く見積もって1960年代後半から1980年代後半までの20年です。「演歌」という呼称に注目するならば,それは「ニューミュージック」や「アイドル」と同様に,一時的な現象であったとみなすべきでしょう。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.48

いつから

結論だけを言えば「演歌」とは,「専属制度時代の諸特徴を引き継ぐレコード歌謡スタイル」や「専属制度時代に登場した歌手の楽曲」を指す,専属制度解体後の用語です。
 音楽評論家の北中正和は,戦後のレコード歌謡の優れた通史『にほんのうた』において,「フォークや和製ポップスやGSやフリーのソングライター」の台頭によって「それまでの専属制の中で主流を占めてきた歌謡曲とのちがいが目立」つようになり,「都会調,日本調,浪曲調などと形容されてきたやや大人向けの音楽は,次第にジャンルのようにみなされ,60年代末には演歌とよばれはじめ」たとしています。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.46

演歌は日本の心か

小林が正当に指摘するように,現在「演歌」と呼ばれているものは,1960年代のある時点まで,それまでは広い意味での「流行歌」ないし「歌謡曲」に含まれ,必要に応じて「民謡調」「小唄調」「浪曲調」,あるいはそれらをひっくるめて「日本調」の流行歌として「洋楽調」(「ジャズ調」,あるいは「ポピュラー調」)と区分されていました。
 現在「演歌」の下位ジャンルとみなされる「ムード歌謡」を構成する「和製ブルース」や「ラテン風」の曲調は,「都会調」としてどちらかといえば「洋楽調」側に分類されていました。
 それがいつの間にか,「演歌」が独自のジャンルとして認識されるようになり,「日本の心」といった物言いと結びつけられるようになり,この言葉が存在していなかった過去の流行歌に対しても当てはめられるようになってゆくのです。その過程で,「演歌」誕生以前から活動してきた美空ひばりや春日八郎などは,新たに誕生した「演歌」イメージに添うような形で自らの活動を「演歌歌手」として鋳直してゆきます。

輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.14-15

生まれながらの才能

「才能」や「素質」と呼ばれてきたものの正体が,遺伝学や分子生物学の進歩で具体的に見えてきたことは間違いない。それらは親から受け継がれたものであり,後からお金や努力では決して獲得できない。わたしが子どものころ,スポーツを題材にしたマンガの世界では「背が低い」といったスポーツ選手としては不利な生まれつきの性質を抱えた主人公が,人並み外れた意志と努力で一流選手になるという一種の成功モデルがあったように」思う。最近のスポーツマンガは,もともと才能をもった主人公が何かのきっかけで自らの潜在性に目覚め,適切な指導のもとに成長していく,よりリアリティーのあるストーリーが多い印象を受ける。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.111

グラムロック

このグラム・ロックの美学というものを改めて考察するに,それはブリティッシュ・ロック,というかロック・ミュージックそのもののエッセンスを体現したものではないだろうか。ロック自体がそもそも官能性を刺激する音楽である。ロックビートであるエイトビートは,身体の芯そうに働きかけ,官能の世界へと聴くものを向かわせる。またロックサウンドがもたらす陶酔感や崇高感は,いわばナルシシズムを刺激し,さらに日常意識からの超出を企図して異相へと導いてゆく。つまり派手な化粧を施すことをためらわせないのである。ロック界きっての知性のひとりであるブライアン・イーノが,ロキシー・ミュージック時代には強烈な化粧をしていたのが象徴的である。70年代になってグラム・ロックが登場したのは,ロックの展開過程の必然だったと言えるのではないだろうか。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.196-197

神秘主義

まずジミー・ペイジが,鑽仰するあまりにそのひとがかつて住んだことがある館を購入した,というエピソードも残るのが,アレイスター・クロウリー(1875〜1947)である。クロウリーはイギリス人の神秘主義者だが,魔術師を自称しドラッグやセックスをとりいれた秘密儀式を行ったりするなど,その人物像にはややいかがわしいところがある。そのために現在ではコミックやアニメ,ゲームなどの世界で人気のあるキャラクターともなっている。またクロウリーには,ヨーロッパの儀式魔術の古典的文献とされる代表作の『法の書』をはじめ『神秘主義と魔術』など何冊かの著作があって,日本語にも訳され図書刊行会から出版されている。ただし『法の書』は,たとえば「わが預言者に従うがよい!私を知るという試練を最後までくぐり抜けんことを!われのみを探求せよ!されば私の愛が授ける歓びが,汝らをあらゆる苦痛から救い出してくれよう」とか,「私に向かって狂気を呼ぶ愛の唄を歌いかけてくれ!私に向けて香料を燃やしてくれ!私のために宝石で身を飾ってくれ!私に乾杯するがよい」とかいった激越な調子のマニフェストとも言えるが,そこには体系だった教義や宗教思想が述べられているわけではない。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.97-98

ロックの細分化

ロックの巨大産業化と,それに伴うロックジャーナリズムの隆盛は,必然的にロックのジャンル分けという細分化をもたらした。とりわけ1980年代からオルタナティヴ・ロックすなわち「型にはまらない」という意味でのオルタナティヴなロックという言葉が登場してきて以来,ロックのサブジャンル化はさらに加速したようでもある。そもそもこのオルタナティヴ・ロック自体どんな音楽を指すのか不明確でもあったが,現在ロックファンの間でひとまずの共通理解とされているのは,1980年代の中心を占めるMTV的なヘヴィ・メタル系ではないロックのこと,というあたりだろうか。具体的には,ニルヴァーナに代表されるグランジ系のものと,レッド・ホット・チリ・ペッパーズに代表されるロックとヒップホップの融合したサウンドを指していよう。ともあれ1990年代以降,グランジやガレージ・ロック,パワー・ポップ,ブリット・ポップ,トリップ・ホップ,インダストリアル,ノイズなど様々なサブジャンルを表す言葉があたかも雨後のタケノコのように誕生し,いっぽうのヘヴィ・メタル系でも,スラッシュ・メタル,パワー・メタル,デス・メタル,ゴシック・メタル,インダストリアル・メタル,ジャーマン・メタルなどの呼称が林立する。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.57-58

パンクロック

巷間よく言われることだが,イギリスで勃興したパンク・ロックは,経済政策の不振によって景気がどん底だった70年台のイギリスの社会状況が生んだものとされる。失業して未来に希望を持てない若者のフラストレーションがパンク・ロックに共鳴した,というわけである。確かに,79年に「鉄の女」マーガレット・サッチャーが保守党内閣の首相に就任して新自由主義の経済政策を打ち出すことになったのは,イギリスの当時の時代背景が招いたもので,パンク・ロックの勃興という現象と表裏の関係をなすと言えるのかもしれない。ただし,経済問題への不満や現実社会への絶望感がそのままストレートに過激な音楽を要求した,というだけでは,パンク・ロックの発生を考究したことにはならないだろう。70年代に理念型が形成されてその姿を見せたロックが,いわば価値概念として生命を保つには,内部からの浄化作用としてロック・スピリットを先鋭化させる必要があったのだ。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.49-50

British Invasion

ロックの歴史のなかで見逃せないのは,1960年代半ば以降の「ブリティッシュ・インヴェイジョン British Invasion」と呼ばれる出来事である。「イギリスの侵略」という意味の通り,巨大な音楽市場であるアメリカにおいてイギリスのバンドの音楽が次々にヒットチャートを独占したのである。皮切りは1964年のビートルズだった。続いてローリング・ストーンズ,キンクス,アニマルズ,ザ・フーなどがヒット曲を送り込む。彼らイギリスのバンドの楽曲が,アメリカのヒットチャートを席捲した時,ロック・サウンドがポピュラー音楽の世界に確実に市民権を得た,と言えるのではないだろうか。
 エレキギター,エレキベース,ドラムスの使用を不可欠の要素としたバンドスタイルで,バンドの主体性が尊重され,バンドメンバーがオリジナル曲を自作する。これがそれまでのいわゆるポップスとは違う,ロック音楽固有の性格となった。そして右に挙げたバンドにほぼ共通するが,ヴォーカルは黒人のソウルフルな歌いぶりに倣い,テンポの速い楽曲はどこか攻撃的な匂いをまき散らす。電気信号を通して増幅された楽器音は,当然大きな音量だ。こうしてロックは誕生したのである。

林 浩平 (2013). ブリティッシュ・ロック:思想・魂・哲学 講談社 pp.14-15

洗練のレベルに達していない

アメリカ人は「アイ・アム・ソーリー」とは絶対に言わないぜ,という話がある。私もよくきいたものだ。訴訟社会で,すぐ裁判沙汰になるアメリカでは,「アイ・アム・ソーリー」という,自分の非を認める発現をしてしまっては裁判で不利だから絶対にそうは言わない,という説だ。 
 だが,あれは嘘である。確かに,自動車事故をおこしてしまった時は,その理由から「アイ・アム・ソーリー」とは言わないだろう。だけど,肩が軽くふれあってしまった時には反射的に「ソーリー」と言うのだ。人の前を横切る時には「イクスキューズ・ミー」や「パードン」と言う。人が何人も集まっている場所では,そのような衝突を避ける言葉を互いにかけあうのがあちらの分化なんだなあ,と思うほどだ。いろんな国や民族の人が混じって生活しているからだろう。
 ところが,日常生活の中では外国人を見ることもあまりない日本人は,無言で,時にはテレ笑いで,その場を切り抜けるのだ。そして外国では,言葉が通じないという思いからますます何も言わなくなり,ニヤニヤ笑ってごまかすことが多い。
 それはまだ,日本人が洗練のレベルに達していないことの一例だと私は思う。

清水義範 (2003). 行儀よくしろ。 筑摩書房 pp.133-134

言葉による不条理の世界

でも落語の行き着くところはそこではないのです。
 言葉による不条理の世界。
 映像を頭に浮かばせるだけならば,講談もあるし浪花節もある,朗読だっていい。落語が今日まで生き延びてきたのは,落語のどこかにこの不条理があったからです。
 人間は不条理を求める。それは常識の世界で生きているから,不条理を欲するのです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.198

落語とメロディ

メロディとは演者の個性。歌謡曲でいうところのひばり節であり,三橋美智也節。落語の名人は例外なくこのメロディを持っています。メロディのない人,薄い人は人気は出ません。聴いていても魅力に乏しく,もう一度その人の噺を聴こうと思えないからです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.25

平等の達成

アメリカ社会において人種差別的態度が根強く残っているのは事実だが,だからといって現代のアメリカ社会を人種差別的だと見なすのは間違いであろう——少なくとも,現代のアメリカ社会は,「人種差別主義」という言葉が長きにわたって理解されてきたのと同じ意味で形容されるものではない。ほとんどのアメリカ人は人種の平等を支持している。アフリカ系アメリカ人やその他のマイノリティの人たちに政府が援助をすることに反対するアメリカ人のなかには,彼らの潜在的や顕在的な人種バイアスのいずれかを表現している人もいれば,そうでなくこの付録の最初に示した2つの引用のように,平等主義の原則の考えに基いてアメリカ人は人種的平等をすでに達成していると信じている人もいるだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.278
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

ノミのサーカス

演技するノミの歴史は古い。コーワンは1745年にロンドンでビングリー氏なる人物によって書かれた文章を紹介している。「ストランド街の発想豊かな時計師が陳列したるは……装飾をすべて備え,御者台に人形を座らせ,これすべてを一匹のノミだけで引いている象牙の四輪馬車」。1830年のイングランドはケント州の縁日で,三匹で軽々と荷車を引くノミ,二匹で荷馬車を引くノミ,真鍮の大砲を引っ張るノミを見世物にしていた男性がいたという。「興行師はまず見世物すべてを拡大鏡で見せ,その後肉眼で見せた。そうすると見物客もみんな,だまされていないと納得したものだ」とコーワンは記している。
 1877年,W.H.ドールはニューヨーク東16丁目付近のブロードウェイの門口に,「訓練を積んだノミの見世物」という表示が出ているのに目を留めた。ドールは少年時代,訓練を積んだというノミの驚くべき演技に,「不信の念の混じった特別な関心」を寄せたことを思い出した。そこで彼は中に入って見世物を見物した。ノミの演技をつぶさに観察したドールは,ノミはいかなる意味でも訓練されているわけではなく,演技はすべて,虫がなんとかして逃れようと試みている結果であると結論づけた。

ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.246

残酷なドレス

フランク・コーワンは,1865年に発表した『昆虫史の愉快な事実(Curious Facts in the history of Insects)』で,カリブ諸島では「ククジュ(蛍)を装飾とすることが女性たちの間で最新の流行となっている」と記している。
 「舞踏会のドレス一着に,50から100匹の蛍が使われる。スチュアート大尉は,ご婦人の白い襟元に,少し離れたところからはまるで英国王室の王冠にきらめく100カラット以上のコヒノール・ダイヤモンドかと見まがうほど,見事なまでの美しさで輝く蛍が留まっているのを見たことがあると語ってくれた。蛍は体をピンで刺し貫かれてドレスに留めつけてあり,生きている間だけ飾られる。死ぬと光を発しなくなるからだ」
 こんな残酷な流行はすぐに廃れたことを祈るばかりだ。

ギルバート・ワルドバウアー 屋代通子(訳) (2012). 虫と文明:蛍のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 築地書館 pp.93

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