I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「宗教」の記事一覧

ナチスのシンボル多用

 アドルフ・ヒトラーは国家社会主義運動を始めるにあたって,ドイツ国民が超自然の力を信じやすいという特性を利用した。ナチスのシンボルである鉤十字は,それまでも世界各地で,幸運のお守りから豊穣の祈りまで,いろいろなシンボルに使われてきた。赤,白,黒の党カラーは,オカルトを基本としたマニ教の祭司の外衣に使われたものだ。ナチスのエリート兵士がつけた”SS”の文字は,謎めいたルーン文字風にデザインされており,ナチスの強制収容所の将校たちはどくろマークの記章をつけた。


 こういったシンボルの多用は,ひとえに党幹部の信仰を反映したものだった。ナチス親衛隊の恐るべき隊長ハインリヒ・ヒムラーは,ナチスドイツ内で二番目に権力を持っていたが,自分は十世紀のドイツ王,ハインリヒ一世の生まれ変わりだと信じていて,就寝中に王と話ができると言い張った。彼は1937年に王の遺骨を発掘し,精霊の発出を行った後で,それをまたクウェドリンブルク聖堂の地下室に埋葬し直した。王の命日である6月2日には,毎年聖堂の地下室で真夜中の儀式を行った。



デヴィッド・フィッシャー 金原瑞人・杉田七重(訳) (2011). スエズ運河を消せ:トリックで戦った男たち 柏書房 pp.96


ドイツの魔術

 ヒトラーの雇った占星術師についてはほとんど知られていないが,そういうチームがあったことは驚くに値しない。魔術や超常現象は,古くからドイツの歴史の一部に組みこまれていた。十六世紀には神聖ローマ帝国の三百の領邦で,十万人以上の人々が魔法を使ったかどで,拷問を受け火刑に処せられた。拷問のひとつに,“祈りの腰掛”という,とがった鋲をびっしり打った長方形のベンチを使うものがある。囚われたものたちはこのベンチの上にひざまずかされ,耐え切れなくなって罪を告白した。一度罪を問われると,抵抗しても無駄だった。バンベルク市の役人は,娘に宛てて,身を案じてくれた看守の勧めにしたがって,ありもしない罪を告白してしまった旨の手紙を書いている。


 「とにかく自分が魔術を使ったと認めない限り,あらゆる拷問が続く。耐えられるはずがない……嘘でもいいから罪を告白したほうが身のためだ」そう看守に言われたという。



デヴィッド・フィッシャー 金原瑞人・杉田七重(訳) (2011). スエズ運河を消せ:トリックで戦った男たち 柏書房 pp.94-95


無自覚の宗教心

 よく日本人は宗教に対して無頓着で,特定の宗教を信じていない,あるいは無宗教といわれる。だが,キリスト教の長い歴史を持ちながらも近代合理主義的な科学を生み出してきた西洋人と比較してみると,日本人の多くは無自覚のうちに魂の不変を信じ,魂が物に宿るというアニミズムが浸透している。つまりオカルトブームには,日本人独自の民族性が色濃く反映されているのである。


 人間というものは,物質的に目覚ましい進歩を遂げても,精神的にはなかなか変わらないものなのだろう。特に日本人に根強く残る不可視な領域,つまり霊の世界とでもいうべきものに対する信心はまったく変わっていないのではないだろうか。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.232-233


大文字焼き

だが,私のおさないころは,それらを「大文字焼き」と言っていた。嵯峨の鳥居もふくめ「大文字焼き」であると,そうよびならわしていたものである。「大文字焼き」の日は,鳥居も山にえがかれる,などと言いながら。
 「大文字焼き」の呼び名をきらうのは,そこに見世物めいたひびきを感じるせいだろう。あれは,ほんらい祖霊をおくる盂蘭盆のしめくくりとなる行事,つまり「送り火」である。娯楽用の花火めいたもよおしなんかでは,ぜったいにない。「大文字焼き」とは言うな,「五山の送り火」とよべ。それももっともだと,このごろは考えられているのである。
 じっさいには,もう花火と似たような,夏をいろどる風物詩のひとつになっている。むらがる見物人のなかには,とりわけ若い人には,盂蘭盆の意味がわからぬ者も多かろう。そんな御時勢に危機感をいだくから,「送り火」であることを強調したくなってくる。「五山の送り火」という呼称のおしつけは,信仰心のおとろえを,逆説的に物語ろう。

井上章一 (2015). 京都ぎらい 朝日新聞出版 pp.157-158

拝観料

同じことは,いわゆる拝観料の収入についても,あてはまる。これも,いちおう参拝客からの寸志,つまりは宗教的な献金だとされてきた。税務署が介入できない,神聖な金銭として,みとめられている。
 いわゆる観光寺院は,これで台所がうるおうようになる。寺の経済にしめる比重は,写真掲載の許諾をめぐる利鞘,いや志納金をはるかに上まわる。そのおおきな収入が,非課税だとされているのである。
 寺を見にくる来観者に,拝観料のことを宗教的な出費だと思っている者は,まずいない。だいいち,入口の料金所には,大人何円,学生何円などと,書いてある。しはらうべき金額が,寺から一方的にきめられているこの経費を,お布施だとは思えまい。テーマパークへはいる時の入場料めいた支出として,うけとめられているはずである。

井上章一 (2015). 京都ぎらい 朝日新聞出版 pp.110-111

進化論教育への反対

テネシーをはじめ諸州の根本主義者が進化論教育に反対したのは,子どもたちの宗教——ひいては家族すべての信仰——を進化論者,知識人,コスモポリタンの害から救おうとしたためである。この点で,根本主義者にも同情の余地があるといえるだろう。彼らがこの論争を,家庭や家族を守るためと考えていた——この点は現代でも変わらない——とすれば,彼らの過激さも理解することができる。そのいい例が,原始バプティスト派の信者でテネシー州議員でもあったジョン・ワシントン・バトラーである。彼はテネシー州に進化論教育に反対する法律を導入したが,それは,彼の出身地の若い女性が大学へ行き,進化論者になって帰ってきたという話を聞いたからだった。この話で自分の5人の子どもたちの将来を案じはじめたバトラーは,1925年にみずからの願望を州の法律とすることに成功した。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.110-111

信仰に引き戻す

理由はともあれ,人びとは伝統的な宗教のいかなる拘束力によっても保持できない存在になり,礼拝形式やくわしい信条とも無縁になっていた。諸教派はこうした人びとに教会への忠誠を誓わせようとしていたのだ。もはやかつての形式や信条をとおして訴えても,ふたたび人びとを惹きつけられるとは思えなかった。有効手段と考えられたのは,人びとを最初にキリスト教に帰依させたもの,つまり一種原始的で情緒的な訴えを復活させることだった。復興運動は伝統手技が失敗した部分で成功した。情緒的高揚が,宗教的エスタブリッシュメントの強制的規制に取って代わったのだ。単純な人びとは,単純な思想によって信仰に引き戻された。力をもつ説教師は複雑さを排除し,人々にもっとも単純な二者択一の選択——天国か地獄か——を迫ったのだ。救済もまた,選択にかかわる問題だとされた。罪深き者は「宗教を掴む」ものだとされ,宗教が彼を掴むのではなかった。どのような方法であれ,人びとを信者の群れに引き戻せればよかった。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.74

自発的な活動

アメリカの教派主義の本質は,教会が自発的な組織になったことである。アメリカの信徒はいかなる教会にも加入を強制されることはなく,親から継承する伝統的な信仰も有名無実と化していることが多かった。そのため平信徒たちは,どの教派に忠誠を捧げるかを自由に選択できた。従来の教会では,信徒は生まれながらに属する教会が決まっており,国家がその教会への帰属を強制することも多かった。宗教的経験も,所属する教会の礼拝形式どおりだった。しかしアメリカの信徒には,生まれつき決まった教派も代々継承する宗教儀式もなかった。教派は往々にして自己を変革するような宗教的経験をした後に,自分の選択で加入できる自発的な団体だった。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.72

アメリカで融合

精神(マインド)と心情(ハート),情緒(エモーション)と知性(インテレクト)のあいだの緊張関係は,いずこでもキリスト教徒が常態として経験することである。それゆえ,宗教的反知性主義を特別にアメリカ的なものとするのは誤りだろう。アメリカが発見されるずっと以前から,キリスト教社会は長いことふたつのグループに分裂していた。ひとつは,知性が宗教のなかにきわめて重要な地位を占めなければならないと信じる人びと。もうひとつは,知性は感情の下位に置かれ,または感情の命令の下に,実質的に放棄されるべきだと信じる人びとである。つまり私が言いたいのは,新世界で新しい,さらに悪質な反知性主義が発見されたということではない。むしろアメリカ的条件の下で,片や既成の権威と,片や信仰復興論や熱狂者の運動とのバランスが大きく後者に傾いてしまったのである。その結果,学識ある職業的牧師は地位を失い,彼らの気性に合った理性的なスタイルの宗教も,当然影響を受けた。歴史の早い時期に,プロテスタントと異議申し立ての精神とを継承したアメリカでは,宗教の性格をめぐる普遍的な歴史的闘争が極端に極地的な色彩を帯びて展開した。そして宗教的熱情と信仰復興運動が,もっとも鮮やかな勝利をおさめた。アメリカの反知性主義の強さと浸透力の大半は,その宗教生活の特異性に由来する。とくに知識人を受け入れる確固たる制度の欠如,福音各派の競合する教派主義は大きな影響をあたえた。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.49

反知性主義の指導者たち

私が知っている反知性主義の指導者にはつぎのような人びとがいる。福音主義の聖職者——その多くは高い知性をもち,なかには学者もいた。自分の神学を明確に説明できる原理主義者,きわめて洞察力に富んだ人物をふくむ政治家。実業家や,アメリカ文化の日常的な要請についてのスポークスマン。知的な主張と確信にみちた右翼の編集者。さまざまな作家のはしくれ(ビート族の反知性主義をみよ)。反共主義者の識者——知識人社会の大部分がいだいていた過去の異端思想に怒っている。そして共産主義の指導者もいた。彼らは知識人を利用できるときだけ利用するが,知識人の関心事をことさら軽蔑している。これらの人びとにきわめて顕著な敵意は,もろもろの思想自体にも,知識人自体にも向けられてはいない。反知性主義のスポークスマンはほとんどつねに,なんらかの思想に傾倒しており,同時代人のなかで陽があたっている知識人を憎むのとおなじぐらい,とうの昔に死んだ知識人に——アダム・スミスや,トマス・アクィナス,ジャン・カルヴァン,さらにカール・マルクスにさえ——傾倒しているのである。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.19

アメリカの宗教

アメリカの宗教界を取り巻く環境は他国と異なる。その特殊な性格は,憲法修正第一条で定められているとおり,政府公認の宗教がない点によるのかもしれない。このため,経済学者や社会学者のことばを借りれば,宗教の「自由市場」が発展する余地があった。学者たちは,市場での企業の浮き沈みを左右する経済法則を当てはめれば,宗教についても多くのことがわかると信じている。
 その説によると,宗教制度のある国では聖職者の給与が保証されているし,公認された宗教は市場を独占しているか,少なくとも優位な立場を脅かされずにすむ。したがって,聖職者にはブランドを高める意欲も,商品のシェアを増やそうとする意欲もない。その結果,イギリスやスゥエーデンのほかほとんどのヨーロッパ諸国で,教会にかよう信者は減りつづけてしまった。
 反対にアメリカでは,宗教が生き延びるためには伝道が欠かせない。伝道を怠れば,競合する宗教に信者を奪われてしまう。宗教という商品の市場規模は,競争がない国よりはるかに大きい。さまざまな宗教ブランド間の絶えざる競争によって,消費者の需要が掘り起こされるからだ,と社会学者のフィンクとスタークは主張する。結果として,どこかの教会に属しているアメリカ人の数(「あなたの宗教はなんですか」と尋ねるより,信仰の指標になる)は,国の歴史をつうじて確実に増えつづけている。フィンクとスタークの調査によれば,1776年,協会に属する信者数は人口の17パーセントにすぎなかったが,以降着実に増加して,1980年には62パーセントのピークに達し,2000年も同じ割合だったという。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.294-295

暴力は宗教よりも社会に

当然ながら,ほとんどすべてのイスラム教徒は平和な人々だ。しかし,ドイツ,イギリス,スペイン,オランダといったヨーロッパの移民受け入れ先でのイスラム教徒による近年のテロ行為は,イスラム教が暴力的な宗教であるという認識を助長している。宗教行動そのものは社会を結束させ,共通の目的を定めるだけである。しかし,指導者はそれを攻撃に用いることができる。アステカの宗教が一例だ。キリスト教が多様であるように,イスラム教もさまざまだ。ある宗派の信仰を形成する者は,信者がその宗派の名においてすることについて,ある程度の責任は負うだろう。言い換えれば,暴力は宗教より社会に起因すると考えるべきだ。社会は宗教を用いて暴力を正当化することもあれば,あおることもある。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.270-271

高い出生率

高い出生率を維持することは強力な人口戦略となる。人口の多い集団に脅かされている少数宗派にとってはなおさらである。たとえばモルモン教会は,現在の増加率はおそらく横ばいではあるものの,創設後100年間は10年ごとに40パーセント増加し,1980年代の10年間は70パーセントと一時的に増加したこともあった。高い出生率と精力的な伝道プログラムによって達成されたこのいちじるしい増加は,教会の存続を揺るぎないものにした。モルモン教の初期,預言者ジョセフ・スミスが殺害されて信徒たちがユタ州の未開の荒野へ追放されたころは,とても楽観できる状況ではなかった。信徒たちは数で勝れば安全であることを理解し,信徒増加に努めてきたにちがいない。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.243

一神教の歴史

3つの一神教の誕生を振り返ると,ひとつのプロセスがあるのは明らかだ。すなわち,歴史を通して,宗教は社会が変わるたびに生じる新しい要求に応えるために,何度も作り変えられてきた。そして,大きな文化的刷新がもたらすこの作り変えは,宗教的行動を志向する性質という,きわめて柔軟な遺伝的枠組みのなかで起きた。
 狩猟採集民の宗教は,共同体のメンバーに結束を命じる,超自然的存在との暗黙の交渉にもとづいていた。超自然界との交信のおもな形式は舞踏とトランスであり,それを通して別世界の代理者と遭遇することができた。
 次の定住社会は,試行錯誤を重ねながら初期の農業をおこなっていた。人々は宗教を季節の周期に合わせ,作付けと刈り入れを忘れないようにした。過ぎ越しの祭とローシュハシャナ(新年祭)の起源である初期のカナン人の祭りに見られるように,舞踏は農業祭に取り込まれた。
 1万年前に始まる新石器時代では,人口が増加し,社会は狩猟採集民の平等主義から階層制へと変化した。聖職者が宗教行事を取りしきり,超自然界との交信を独占することによって,権力を強化した。それまでよりはるかに多くの人々が,宗教の支配下に入った。
 5000年前に文字が発明されると,超自然的存在の観念は文字化され,聖典が都市宗教の標準的な要素となった。紀元前7世紀ごろ,儀礼と歴史と民族統一という政治課題を担うユダヤ教が,最初の近代的宗教となった。さまざまな目的を持つ多神教に一神教が取って代わり,超自然的存在との直接交信は,現在の体験ではなく,過去の歴史の事実になった。
 この新しい宗教は,祖先の狩猟採集民の宗教と同じくらい,共同体を結束させる効果があった。この場合の共同体は,狩猟民の集団ではなく,ひとつの小国家である。ユダヤ人は自らの宗教に鼓舞され,繰り返しローマの支配に反逆した。そして1900年ものあいだ,ユダヤ人の共同体は故国を持たず,信仰の結束によって生き延びてきた。
 それほど強いにもかかわらず,ユダヤ教には厳しい限界があった。それは部族の宗教であり,割礼と律法によって単一の民族性を帯びていた。キリスト教とイスラム教が相次いで出現すると,宗教行動がそれよりはるかに大きな働きをすることが明らかになった。宗教以外にほとんど絆を持たない人々をひとつにまとめる働きだ。
 ユダヤ教の厳格さを緩和したヘレニズム的ユダヤ人は,最初の普遍宗教となるキリスト教を創造した。それはローマ帝国内の多様な民族と,のちにキリスト教徒となる人々を束ねた。
 イスラム教も似たような成功を収めた。ムアーウィヤとアブド・アルマリクは,アラブ帝国内の論争の絶えないキリスト教諸宗派をまとめ,さらにビザンチンの教義に対抗できる普遍宗教を必要としていた。
 3つの一神教の誕生により,宗教の樹はほぼ1500年間変わらぬ完成形になった。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.212-123

キリスト教の特徴

初期キリスト教にはその後の発展に大きく影響するふたつの特徴があった。ひとつは,創始者として記録されている預言者に,新しい宗教を作るという意識がほとんど(あるいはまったく)なかったように見えること。もうひとつは,イエスのことばがアラム語だったのに対して,キリスト教創設のことばはギリシャ語だったことだ。そのころヘブライ語はすでに話し言葉ではなくなっていた。パレスチナ文化からギリシャ文化という移行期に,新しい強力な宗教が生まれたのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.182

キリスト教徒の増加経過

パレスチナ外に住むユダヤ人は“1世紀から2世紀初頭にかけてキリスト教が成長する最初の土台となった”とスタークは考える。紀元400年ごろまで,キリスト教にとってユダヤ人社会は貴重な改宗者獲得先であり,「ユダヤ・キリスト教」はその後1世紀,重要な存在であり続けた。人口400万から500万程度のパレスチナの外の共同体が,どうしてキリスト教の隆盛に大きな影響を与えたのか。キリスト教の数は250年間,非常に少なかった。が,もし紀元40年に1000人のキリスト教徒がいて,10年ごとに40パーセント増えるとしたら(これは20世紀にモルモン教徒が獲得した信者数の10年ごとに平均43パーセント増に近い),スタークによれば信者の増加は次のようになる。

紀元40年  1000人
  50年  1400人
  100年 7530人
  150年 4万496人
  200年 21万7759人
  250年 117万1356人
  300年 629万9832人
  350年 3388万2008人

 この注目すべき初期のキリスト教人口の増加をうながした要素として,キリスト教の結束力と,教義に起因する高出生率のふたつがあげられる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.179

宗教と言語

しかし,宗教の歴史を一瞥すれば,それがいくつかの重要な点で言語に似ていることがわかる。おそらく今日のすべての言語がひとつの樹から枝分かれしたように,宗教もひとつの樹から派生しているのだ。
 人類の祖先の人口は,ある時期,天災によってわずか5000人にまで減った。彼らは同じ言語を話していたと思われる。現代人はみなこの5000人の子孫なので,現存するすべての言語は,彼らが話していたひとつの言語から派生した可能性が高い。
 もしそうなら,少なくとも理論的には,現代のすべての言語を含む系統樹を描くことができる。その幹は,5万年以上前の人類の母語だ。主要な枝は,インド・ヨーロッパ語族,アルタイ語族,アフロ・アジア語族など,14ほどの現存する語族。それらの太い幹からさらに分かれた枝が,世界じゅうで話されている6000種類ほどの言語である。
 言語は変わりつづけるが,どのひとつも先行する言語に由来するので,そのような樹が育つ。そして理論上,世界じゅうの宗教についても同じような樹を描くことができるはずだ。宗教もまた,先行する宗教からゆっくりと派生してきたからだ。まったく新しい宗教が成功する見込みはほとんどない。新しい宗教を始めるのであれば,どこか既存の宗教のセクトとしてスタートするのがもっとも簡単な方法だ。セクトに加わる者は,その宗教のなかで容易に見つけられる。そのようなセクトのリーダーは,宗教の恍惚を人々に思い出させ,正統派の司祭を,創始期の教えからはずれていると批判するかもしれない。彼の教えが,聖典の再解釈を可能にする啓示にもとづいていることもある。まさにこれが,イエスの弟子や,モンタノス,ムハンマド,モルモン教の創始者ジョセフ・スミスがとった方法だ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.162-163

解決策としての宗教

拡大した共同体のなかで,人類は初めて財産と身分を得た。絶え間ない移動をやめ,所有物を持ち運びできる量に限定する必要もなくなったので,みずから消費する以上の作物や物品を作ることができた。そうした余剰物はおそらく交換され,商業が始まったのだろう。日用品,価格,数,定量化,価値,資本といった,それまで狩猟採集民には縁のなかった概念が生活の一部になった。
 すべての男性が狩りに出て,すべての女性が採集に出かける日々は終わった。より複雑な定住社会では労働の専門化が要求された。余剰物を保管し,分配し,近隣集団と交換するために管理人が必要になった。貧富の差も生じた。新たな社会は支配者と非支配者に分かれ,階層が生まれた。しかし,新しい支配者はどうやってみずからを正当化し,古くからの平等主義を捨てるような人々を説得したのだろう。
 解決策の中心となったのは,狩猟採集社会で長年,権威と結束の源泉となっていた宗教だった。聖職が確立され,聖職者が儀礼を取りしきり,人々は彼らを介してしか神と交信できなくなった。宗教的舞踏も徐々に抑圧されていった。定住で生まれた新しい社会や古代国家は,官僚や軍隊など世俗の(民間の)機関を創設したが,それでも統治手段として宗教に依存していた。官僚制にしても,少なくともバビロニアでは最初,神殿に本拠を置き,民間ではなく宗教的な制度だった。古代国家の多くの指導者は,自分は神から指名された,または少なくとも神の承認を得て統治している,と主張した。彼らのなかには最高位の聖職者を兼ねる者もいた。こうした習慣は指導者にとって利用価値が高く,歴史上長く続いた。古代ローマの皇帝は「最高神官」であることを宣言した。イギリスでは今日でも,君主が英国国教会の首長である。多くの統治者が神との密接な関係を主張してきた。日本の天皇は近代に入ってからも,みずからを天照大神の子孫としてきた。ほかにも,古代エジプトの王ファラオは生ける神とされていた。だがローマの皇帝は総じて慎み深かったようで,神格化を死ぬまで延期した。皇帝ウェスパシアヌスは死の床で「いまいましい,私はそろそろ神になる」とおどけたそうだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.140-141

初期人類の宗教

アボリジニ,アンダマン諸島民,クン・サン族,これら3つの民族は,おそらく初期人類の宗教にかぎりなく近いものを実践しているだろう。いずれもほかの文化の影響を受けてしまっているかもしれないが,それらの共通の特徴は,同じ起源に由来すると考えてよさそうだ——5万年以上前,現生人類がアフリカを出るまでその地で実践していた宗教である。
 人類学者たちの記述を見ると,その3つの狩猟採集民の宗教が,西洋諸国でなじみのある宗教と大きく異なっていることがわかる。未開の宗教には司祭もいなければ聖職者の階層制度もない。共同体のメンバー全員が宗教を実践し,人々のあいだに序列はない。教会のような独立組織もない——共同体そのものが教会なのだ。
 彼らの宗教の第2の特徴は,前章で述べたように,歌や舞踏をともなうリズミカルな身体運動だ。そうした歌や舞踏は8時間以上続くこともある。全員が同じリズムに合わせて踊るこの「舞踏マラソン」によって強い感情が生まれ,人々はみな喜びとともに一体感を味わう。この儀礼の重点は,個人の精神的な満足ではなく,共同体の活動と要求にある。
 第3の特徴として,原始宗教の聖なる物語は,共同体の存続にかかわる道徳や実用的な教えを説く(西洋の宗教と同様)。しかし,その物語は宗教実践の中心ではなく,儀礼や儀式と一体になっている。
 第4に,原始宗教は神学の問題にほとんど関心を示さず,実用的な問題を重視する。たとえば通過儀礼や,治療,狩猟,天候のコントロールといった生存にかかわる問題などだ。もうひとつの実用的な目的は,互いに争って反目する者たちをなだめ,関係を修復させることである。これは集団の結束を維持するためにもっとも重要だ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.114-115

トランス状態

トランス状態を装っていることもあるが,多くの場合,トランスは本物の現象であるようだ——どうやって起き,持続し,そこからふつうの状態に戻るのかは科学的に説明できないにしても。なぜトランスは古代の宗教で中心的役割を担っていたのか。ウィリアム・マクニールが説得力のある説明をしている。彼によれば,古代の人々の超自然への信仰は,おもに夢から来た。しかし,夢はもうひとつの世界とつながる方法としては頼りないし,公共の儀礼でも使えない。他方トランスは,共同体でおこなう激しい舞踏によって確実に引き起こされる。誰もがトランス状態になる必要はない。何人かの感受性の強い者がそうなれば,彼らを通して全員が超自然界をうかがい知ることができる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.105

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