I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「宗教」の記事一覧

不道徳な人が創る音楽

この音楽に関して,私を非常に悩ますもう1つの事柄があった。証人たちにとってゲイは不道徳の最たるものである。だからそんな不道徳な人が創る音楽は,不道徳である,というレッテルを貼られる。また歌詞も,クリスチャンから見て不適切な内容になるので罪になるという。困ったことに,私が大好きだったエレクトロ音楽の多くは,ゲイ・アーティストによるものだった。しかし私にはどうしても,ペット・ショップ・ボーイズ,ジョージ・マイケル,ボーイ・ジョージの音楽がサタンのものだとは思えなかった。そこで,こういう音楽を好む自分は,霊的でないのではなかろうか,とかなり深く悩むハメになる。自分の嗜好や感性に問題があると思い込まされてきた。
 組織の幹部は,クラシックのような健全な音楽を聴きなさいと言っていた。しかし私には,これも謎であった。私の知っている限り,モーツァルトは女好きで不道徳であった。ゲイはダメだけど,女にだらしないモーツァルトの作曲する音楽は良しとする理屈が分からなかった。しかし,こういったことが次第に私の中に大きな葛藤をもたらすようになった。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.179-180

真理,真実,本当の答え

一番の問題は,自分たち自身が,外からそう見られていることに気づいていないことだ。だから私には分かる。洗脳されている側には,「洗脳されている」という自覚が全くない。他のカルト教団を見て,「自分たちはカルト教団でなくてよかった」と強く思うのだ。鏡を見て我が身を直せという言葉はカルト教団には通用しない。鏡を見てもうっとりするだけなのだ。興味深いことに,エホバの証人もオウム真理教も「真理」という言葉を使っている。「真理,真実,本当の答え」といった言葉を使う団体は,宗教にかかわらず,ビジネス・セミナーでも,自己啓発本でも,臭いと思った方がいい。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.142-143

広告塔

フェアに言うと,ものみの塔は有名人である信者を看板に使わないという態度を貫いている。有名人ではなく聖書で人に関心を持ってもらうべきだという姿勢だ。組織はどの著名人が証人になったかは告知しない。だから,どの有名人が証人になったのかを確実に確かめる方法は,実際に会わない限りない。それとは反対に,多くのミュージシャンが属していると噂される教団は有名人を看板に立てている。私の知り合いのセレブが教えてくれた。
 「のりちゃん,あそこの教団の人からお金をあげるから広告塔にならないか,って連絡がきたよ」
 どちらの教団がいいか議論をするつもりはさらさらないが,どちらがピュアかは言えると思う。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.139-140

訪問拒否

元信者の立場として言えば,証人たちが家に来ることや記録をつけること自体に害はない。別に高いツボを売りつけにくるわけでもないし,強引に勧誘してくることもない。また,個人情報がよその業者に売り渡されることもない。だから彼らの伝道活動を恐れる必要はない。ただし,自分の身内が聖書研究を始めてしまったらそれは問題になる。外にいれば害のない人たちだが,自分の家庭に入り込まれると様々な問題が起きる。それに関してはこの本で語っている通りである。
 もし絶対に証人たちに家に来てほしくなければ,「訪問拒否にしてくれ」とキツイ態度で直接強く言うといい。すると区域カードに「訪問拒否」と記録される。すると1年は家にやってこない。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.109

会話パターン

この頃から母親は映画でもテレビでもいちゃもんをつけるようになった。何を見ていても横で捨て台詞を吐いていく。例えば戦争映画を見ればこう言う。
 「この人たちは,聖書を知らないからこうなるのよ」
 「暴力はクリスチャンらしくないわ」
 「どうせ楽園がこないと,解決されないのよ」
 私が「だって映画じゃん」というと,「やっぱり世の娯楽はね……」で終わる。
 実際問題,証人である母親たちの会話は投げやりだ。どんな問題でも全て楽園か,サタンか,ハルマゲドンの3つの言葉で片付けてしまう。
 政治問題であれば,「結局サタンの支配だからね」。
 戦争報道を聞けば,「楽園がこないと解決しないのよ」。
 環境問題であれば,「どうせハルマゲドンが来るからね」。
 経済格差であれば,「楽園じゃないと無理よ」。
 こんな調子で全ての問題を安易に片付ける。そして最後に,同じ調子でこう言う。
 「どうせ全ての娯楽は,サタンの産業が作り出すのだから,何も見ない方がいいわ」

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.68-69

妥協なし

日本人的な「郷に入れば郷に従え」といった考え方は一神教には通用しない。神の言葉に対して妥協があってはいけないのである。一神教の強い西洋人から見れば,日本人は宗教的に節操のない国民だ。逆に日本人から見れば「なんでイスラムもキリストもそんなに頑固なんだ?」という話になる。私の母親の「クリスチャンだからできないルール」は親族に一種の緊張感をもたらした。
 しかし広島の地元の会衆の兄弟姉妹たちは母親をこう言って励ます。
 「佐藤姉妹,信仰が試されているのよ!」
 「そうよ,サタンが親族を用いて邪魔をしているのよ」
 こうして証人たちは仲間からの後ろ盾を得て,家族内分裂を推し進めていく。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.63-64

いい加減で緩い

もし道をゆっくりと歩く年配の女性が2人いたら,それは間違いなくエホバの証人である。通常は伝道スタイルと言われる日よけの帽子をかぶっている。80年当時は,創価学会も同じように熱心に布教活動をしていたので,創価学会と証人たちが道でいがみあったというエピソードが残っている。もっとも証人たちからすれば,「そうかがっかり会」はサタンに惑わされている新興宗教だという見方になる。
 他に熱心に伝道をしているのはモルモン教徒である。彼らも聖句を適用して足から足で布教活動をするべきだと信じている。だから車は使わずに自転車を使っている。もし2名の若い男性が白いシャツと黒いズボンで自転車に乗っていたら,それはモルモンだ。日本でも,通常は白人の伝道者が自転車に乗っている。モルモンの場合は,すべての信者にこの伝道活動が課せられているわけではない。だから証人たちの意見では,「モルモンもいいかげんで緩い」ということになる。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.52

叩く

こういった光景は日常的であった。日本の会衆ではムチ用にゴムホースが会衆に置かれていたところもあった。この懲らしめも子供を愛していればこそである。箴言22章15節の聖句には,『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』と書いてある。さらに,箴言13章24節では『むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり,子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』と宣言している。
 だから子供を叩かない親は,「子を愛していないわよ」と姉妹たちから諭される。子供が叩かれると,集会の終わりに姉妹たちが嬉しそうにその母親のもとにやってくる。
 過去にはこの体罰が過度に行われて,子供が病院に運ばれて問題になったケースもある。しかし全ては神と自分の子を愛するがゆえに起きたこととされている。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.42-43

宗教の多様性

アメリカでは,エホバの証人の歴史が長く社会的にも知られていた。だから,先生たちもこういった事態には自然に対応していた。エホバの証人にかぎらず,アメリカでは様々な宗教の人が独自のルールを持っている。ユダヤ教徒はイエスの誕生日は当然祝わないが,ハヌカという独自の休みは取る。またイスラム教徒と同様に,豚肉を食べない。ゆえに日本みたいに,エホバの証人の規則が学校と正面からぶつかることはなかった。それでも子供ながらに普通にみんなとパーティーをできないのは寂しかった。でも子供だったので,それ以上考えることはなかった。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.38

聖書の真理

母親は聖書研究を始めたので,地元の教会の神父さんに褒められるだろうと思って話をした。
 「最近エホバの証人と聖書のお勉強をしているんですよ」
 すると神父さんとシスターの顔つきが険しくなった。「エホバの証人とは!」といった顔だった。それを見て母親は司会者に報告した。
 「エホバの証人の名前を出しただけであの人たち,サタンみたいな怖い顔をしたのよ」
 すると宇野さんはとても嬉しそうに興奮して言った。
 「そうでしょ!だってあの人たちは聖書の真理を持っていないんだから。カトリックは自分たちが聖書の何も知らないことを暴露されたくないの。ちゃんと聖書を研究して理解しているのは証人たちだけだから怒るのよ!これが他の教会とのお勉強だったら彼らもそこまで怒らないわ。だって脅威にならないから」
 確かにそうだ。聖書に書いてある「エホバ」という名前を出すだけで,あの神父は険しい顔をしたのだから。たぶん,彼らは本当にサタンに惑わされている教団かもしれない。母親は証人たちこそが真理を持っているという確信を強めた。そして,週に1度の研究を2度に増やしてくれと頼んだ。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.33

カルトは大変だな

最初は,自分がカルト教団に属しているとは夢にも思っていなかった。1995年のオウムの地下鉄サリン報道があった時も「カルトは大変だな」と思ったぐらいだ。証人たちは聖書の預言にある偽キリストが出てきたと言って騒いでいた。
 「私たちは真の宗教だけど,世の人からオウムと一緒にされなければいいね」
 「サタンも,人間を惑わすのに必死ね」
 「ハルマゲドンが近いと,こういう危険なカルト教団が増えますね」
 「みんな,あんなに出家して。ニュース見てやめようと思わないのかしら」
 「私たちは,エホバと組織に守られているからよかった」
 証人たちは神の真の組織に属しており,真理を持っていると信じて疑わなかった。そして,サタンの罠であるカルト教団から身を守ってくれる組織に感謝した。

佐藤典雅 (2013). ドアの向こうのカルト:九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録 河出書房新社 pp.13-14

思想の反復

大川もまた,シュタイナーと同様,レプタリアンの依拠する原理を動物的進化と捉え,それに対抗するために,エル・カンターレ信仰に基づく愛と調和による霊性進化の重要性を説いている。総じて言えば,動物的進化と霊的進化の対立というこうした二元論の枠組みは,ダーウィンの進化論に抗して霊性の進化論を構築することを企図したかつてのブラヴァツキーの着想を,飽くことなく反復したものなのである。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.238

爬虫類型異星人

古来,悪魔や悪霊といった存在は,不安・恐怖・怨念といった否定的感情,あるいは過去に被った心的外傷を,外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは,前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが,しかし言うまでもなく,それらを生みだしてきた人間の負の心性自体が,根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日,社会システムの過度な複雑化,地域社会や家族関係の歪み,個人の孤立化などによって,むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところあまりに荒唐無稽なアイクの陰謀論が,少なくない人々によって支持されるのは,「爬虫類型異星人」というその形象が,現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.178

アダムスキーの背景

このようにアダムスキーは,母船の内部で「スペース・ブラザーズ」や「指導者(マスター)」と出会い,彼らから宇宙の真相を教示されるのだが,構造的に言えばその物語は,神智学の教説において「イニシエーション」と呼ばれてきたものに等しい。神智学によれば,霊的なメッセージを聞き取ることができるようになった修行者は,隠された聖域に招き入れられ,そこで「大聖同胞団」と「大師(マスター)」が執り行う秘儀に参入するとされる。そして,アダムスキーの語る経験は,その過程にSF的な装いを施したものと考えられるからである。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.131

フリーメーソン

ブラヴァツキー,オルコット,リードビーターといった初期の神智学の代表者たちは,その多くが何らかの仕方でフリーメーソンの組織と接触しており,ある側面において神智学協会は,「神秘主義的フリーメーソン」の一種であったと見ることもできるだろう。両者の共通点としては,従来の宗教の垣根を超えた普遍的真理の探求,「同胞」相互の自由で対等な友愛,秘儀的なイニシエーション,各支部が「ロッジ」と呼ばれること,等が挙げられる。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.61-62

霊性進化論の中心要素

霊性進化論の中心的要素と考えられるものを,ここで列挙しておくことにしよう。

(1)霊性進化——人間は,肉体の他に「霊体」を持つ。人間の本質は霊体にあり,その性質を高度なものに進化させてゆくことが,人間の生の目的である。
(2)輪廻転生——人間は,霊性を進化させるために,地上界への転生を繰り返す。地上での行いは「カルマ」として蓄積され,死後のあり方を決定する。
(3)誇大的歴史観——霊体は永遠不滅の存在であるため,個人の歴史は,天体・人権・文明等の歴史全体とも相関性を持つ。これらの集合的存在もまた,人間と同様に固有の霊性を有し,円環的な盛衰を繰り返しながら進化を続けている。
(4)人間神化/動物化——人間は霊的な成長を遂げた結果として,神のような存在に進化しうる。しかし,霊の成長を目指さず,物質的快楽に耽る者は,動物的存在に退化してしまう。
(5)秘密結社の支配——人類の進化全体は,「大師」「大霊」「天使」等と呼ばれる高位の霊格によって管理・統括されており,こうした高級霊たちは,秘された場所で結社を形成している。他方,その働きを妨害しようと目論む悪しき低級霊たちが存在し,彼らもまた秘密の団体を結成している。
(6)霊的階層化——個々の人間・文明・人種は,霊格の高さに応じて階層化されている。従来の諸宗教において「神」や「天使」と呼ばれてきた存在の正体は高級霊であり,それとは反対に,「悪魔」や「動物霊」と呼ばれてきた存在の正体は低級霊である。
(7)霊的交信——高級霊たちは,宇宙の構造や人類の運命など,あらゆる事柄に関する真実を知悉しており,必要に応じて,霊媒となる人間にメッセージを届ける。
(8)秘教的伝統・メタ宗教——霊性進化に関する真理は,諸宗教の伝統の中に断片的な形で受け継がれている。ゆえに,それらを総合的に再解釈し,隠された真理を探り当てる必要がある。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.45-47

心霊主義

ここで示されているのは,次のような構図である。イギリスの生物学者ダーウィンが1859年に公刊した『種の起源』は大きな反響を呼び,その理論は社会に速やかに普及していった。そしてそれは,進取の気性に富んだ国民性を有するアメリカにおいても例外ではなかった。その地において,最新の科学理論として受容された進化論は,キリスト教の「古臭い教会神学」に止めを刺すものと解されたのである。
 しかし他方,ピューリタンによって建国されたアメリカは,実直なキリスト教信仰が息づく場所でもあった。経験なキリスト教徒たちは進化論を,キリスト教の教義に反する邪説として排撃したのである。その際に引き起こされた,生物学的進化論とキリスト教的創造論の対立は,アメリカ社会において今もなお,論争を呼ぶ主題であり続けている。
 ともあれ,進化論の普及によって,純朴なキリスト教信仰をそのまま維持することが困難になったことは,疑いようがなかった。また,アメリカ社会の多くの人々は,従来のキリスト教信仰に飽き足りず,より合理的で腑に落ちる新しい宗教観。死生観を求めていた。そうした欲求に応えるために登場したのが「心霊主義(スピリチュアリズム)」の運動である。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.31-32

種の入れ替え

このようにオウムの世界観によれば,現代における真の対立とは,資本主義と社会主義のあいだに存在しているのではない。先に述べたように,両者はともに物質主義的価値観に立脚しており,その表面上のヴァリエーションが異なるにすぎないからである。
 真の対立はむしろ,「神的種族(神人)」と「動物的種族(獣人)」のあいだにある。近い将来に勃発する最終戦争=ハルマゲドンにおいては,秘められていた両者の対立が顕在化し,それぞれがこれまで積み上げてきた業に対する審判が下される。真理の護持者であるオウムは,最終戦争を生き抜くことによって,世界を支配する主流派を,動物的種族から神的種族へと「入れ替え」なければならない——。これこそが,麻原が口にした「種の入れ替え」という言葉の意味である。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.15-16

二元論

麻原彰晃の世界観,そしてオウム真理教の教義は,その根幹において,きわめて単純な二元論から成り立っていた。その二元論とはすなわち,現在生きている人間たちは,霊性を高めて徐々に「神的存在」に近づいてゆく者と,物質的次元に囚われて「動物的存在」に落ちてゆく者の2つに大別される,というものである。おれをより詳細に述べれば,以下のようになる。
 人間の霊魂は不滅であり,それは輪廻転生を繰り返しながら,永遠に存続する。また,人生における数々の行為は,すべて「業(カルマ)」として霊魂のうちに蓄積される。人間の生の目的は,良いカルマを積むことであり,自らの霊性を進化・向上させることにある。

大田俊寛 (2013). 現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 筑摩書房 pp.14

倫理的一線

 私をはじめとするメンタリストたちの多くは(とはいえ,どうも私はこの肩書きが好きになれないが),メンタルを得意とするようになる前は(おかしくなる前,とも言えるのだが),マジシャンとしてスタートしている。たいていのマジシャンは比較的分かりやすく,何パターンかにタイプ分けできるのに対して,メンタリストは人数も少なく,それぞれの分野も離れていて,極端にタイプが違っていたりもする。テクニックを習得するのもマジックよりずっと難しく,人間性が何より最重要になってくる。
 多くのメンタリストは,私から見れば倫理的な一線を越えており,タロット占い師や,いわゆる“超能力者”になったり,中には死者と会話する者もいる。スピリチュアリストとして,または正統派のキリスト教徒として協会で働いている者もいる。エンターテイナーにとどまりながらも,「本物の超能力を持っている」と,ごく普通に主張する者もいれば,同業者のインチキを暴く輩もいる。一方では,「モチベーションを上げるためのビルダーシップ」などと名付けたセミナーを週末に開催し,自分の能力を100パーセントの精度に鍛え上げた心理学的スキルとして売っている者もいる。現場での実際のスキルは純然たる手品かもしれないし,あるいは,自分が聞きたい答えをいかに相手に言わせるかというテクニックに頼っている者もいるだろう。しかし悪意はなく,人を楽しませ,有益で,そして弁解の余地がないほど人を巧みに操る。儲けやエゴに,あるいは逆に心からの博愛精神に突き動かされているのかもしれない。

ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.32-33

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