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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「宗教」の記事一覧

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宗教が先

前述したとおり,もし言語が儀礼の質を高める力を持ちながら,じつのところ必要不可欠ではないとすれば,言語はおそらく宗教の土台となるもろもろの行動のあとから加わったのだ。とすると,言語が発生した背景には儀礼があったのではないだろうか。これは興味深い可能性だ。言語は強力なので,もし早くから進化していたら,まちがいなく宗教行動を支配していたはずである。言語が宗教行動にとって必要不可欠な要素でないということは,そこにあとから来たことを示唆している。したがって,仮にではあるが次のような発生の順番が考えられる。(1)舞踏,(2)音楽,(3)儀礼に基づく原宗教,(4)言語,(5)超自然的存在への共通の信仰にもとづく宗教。この一連のプロセスにおいて,それぞれの進化の開始と完了が広く重なり合っていたことは疑いない。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.101
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宗教は適応的か

ドーキンスは,宗教を持つ社会が持たない社会を全滅させたときに宗教行動が選択された,という説明は成り立ちうると認めている。ただこれは,自然淘汰が個体ではなく集団に作用しうるかという,生物学者のあいだでも意見の分かれる問題を提起する。この問題についてはのちほど論じる。ここで注目すべきは,集団選択は生じうるが何ら重要性はないとドーキンスが論じている点だ。したがって彼の見解では,集団間の競争を通して宗教が適応的になった可能性はない。
 彼は人々が信仰のために死んだり殺したりすることについて,みずからの誘導システムによって火に飛び込む蛾の誤った行動を引き合いに出す。そんな蛾の行動が非適応的なのだから,宗教もまた非適応であると論じ,“宗教を誤って生み出す初期の優位な形質は何か”と問う。そして“年長者の言うことを何でも受け入れるという単純なルールを持つ子どもの脳に,選択的優位性がある”と仮説を立てる。ドーキンスによれば,宗教的信念は親から影響を受けやすい子どもに受け継がれ,ウイルスのように広まる。これはすべての世代でくり返される。したがって宗教は,親の言うことを信じる子どもの性質から偶然かつ副次的に生じたものである。
 この議論は少々こじつけに思える。意味のない情報なら生存競争に役立たず,アフリカを出て以来すべての人類社会で2000世代にわたって受け継がれてきたとは思えないからだ。宗教は大きな負担を強いる。オーストラリアのアボリジニの儀礼からも明らかなように,その実践には膨大な時間を必要とする。もし宗教になんの利点もなかったら,それに多くの時間を費やした部族は,軍備にすべての時間をつぎこんだ部族に対して非常に不利になっただろう。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.76-77

ピンカーとドーキンス

宗教行動を非適応とする有名な生物学者に,スティーブン・ピンカーとリチャード・ドーキンスがいる。偶然ながら,ふたりとも宗教を痛烈に批判している。
 ピンカーは,宗教行動を適応と考える3つの理由を考察して退けたうえで,宗教が普遍的である理由について独自の仮説を唱えている。ピンカーはすぐれた心理学者であり,尊敬に値する著述家であるが,宗教には進化的利点がないという彼の立場には疑問の余地がある。
 ピンカーが退けた3つの議論とは,(1)宗教は死や不安に直面したときに知的安らぎを与える,(2)宗教は共同体を結束させる。(3)宗教は道徳的価値の源泉である。
 ピンカーが(1)を否定したのはまちがっていないだろう。どうして精神的な安らぎが多くの子孫を残すこと(自然淘汰の唯一の尺度)につながるのか。たしかにこれはわからない。(3)については,聖書は“強姦と虐殺と破壊の手引書である”として批判している。良書は“多くのアメリカ人が信じているのとは逆に,道徳的価値の源泉などではない。宗教がわれわれに与えるのは,石投げの刑,魔女の火刑,撲滅運動,異端審問,ジハード,ファトワー,自爆,同性愛者襲撃,中絶をおこなう医院への銃撃,わが子を溺死させる母親などだ。これらはみな,天国でひとつにまとまって幸せになるためだという”。
 たしかに,確立された宗教はたえず分裂に直面し,それを過剰に抑圧する傾向があるけれども,だからといって宗教が道徳的価値の源泉であるという事実は変わらない。ほぼすべての宗教は,「自分がしてもらいたいことをせよ」という黄金律を,ほかの道徳的制約とともに,なんらかのかたちで符号化している。これらが社会構造を強化するなら,それは適応と考えられるだろう。
 宗教は集団を結束させるので適応たりうるという(2)の議論について,ピンカーは“宗教はたしかに共同体を結束させるが”それはほかの手段でもなしとげられると反論する。“進化に,共通の敵と戦うために人々を結束させるというサブゴールがあるとしても,なぜ霊的な存在への信仰や,儀礼によって未来が変わるという信念が,共同体を強固にするために必要なのか。なぜ信頼や忠誠や友情や連帯といった感情では足りないのか。霊魂や儀礼を信じることが,人々の協力をいかに取りつけるかという問題を解決すると考えるべき,アプリオリな理由はない”。
 しかし,どれほど奇妙な宗教行動であろうと,進化はそれを効果的であると見なしたのだ。歴史の大部分において,信頼や忠誠といった感情は共通の宗教から育っていった。すでに述べたように,懲罰神への信仰は,社会利益のために人々を協力させる手段として非常に効果的だ。そうして実現された結束が,共同体同士の生存競争のなかで適応的だったと考える理由は充分にある。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.73-74

シグナル

宗教行動もシグナルとして機能する。厳しい儀礼を通してのみ学ぶことができ,膨大な時間を要求するからだ。このシグナルは共同体のほかのメンバーにとって重要だ。メンバーは四六時中,互いの行動を観察しているわけにはいかないが,儀礼のなかで各人の忠誠心を確かめることができる。
 シグナルは象徴であり,ことばよりはるかに効果的にメッセージを伝えられる。これは注目すべき点だ。人は「信用してください」と言うが,なんであれ共同体の宗教が要求する儀礼に参加するほうが,ことばよりはるかに信用を得やすい。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.70

神と心の理論

多くの宗教にあるもうひとつの興味深い面は,超自然界の代理者は全知全能であり,人間の考えも細部までくわしく知っているとされることだ。この代理者の能力が,他人の考えを推察する人間の能力(いわゆる「心の理論」)と似ていることに注目する研究者もいる。
 進化心理学によれば,脳は汎用計算機ではなく,むしろ神経システムの集合体であり,それぞれのシステムが,生存にとって重要な問題を解決するために進化した。たとえば人間は,一度しか見なかった他人の顔を何十年もたったあとで思い出せる。これは驚くべき能力だ。もし生きているあいだに網膜に映ったものすべてを記憶しなければならないとしたら,汎用記憶システムはまちがいなくパンクする。脳はそのように作られていないと想定すべきだ。脳には顔認識モジュールが備わっており,これは疑いなく霊長類時代の初期に進化した。小さな社会では,他者の顔を認識することがきわめて重要だったからだ。このモジュールは顔を巧みに認識するだけでなく,脳のほかのシステムと共同して,保存に値する記憶の選別にもたずさわっている。
 「心の理論」モジュールは,推定されるもうひとつの脳内回路で,その存在は証拠によってほぼ確認されている。これの有用性と生存上の利点は明らかだ。ほとんどの社会状況において,人は自分のことばや行為に対して他人がどう反応するかを予測する必要があるからだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.65

自然淘汰と宗教

人類が言語と他人の噂話をする能力を発達させた時期,信仰はとりわけ有益になったかもしれない。小さな社会で悪い評判が立つのはよくない。何かの技術に秀でることさえ,妬みの原因になりうるし,妖術師とみなされて処刑されるかもしれない。神の明らかな望みに几帳面にしたがい,慎重に行動した人たちは,より多くの子孫を残せただろう。このため,自然淘汰は宗教行動に有利に働いた,とジョンソンは推察する。ジョンソンと心理学者のジェシー・バーリングは次のように書いている。“われわれは万人に共通する宗教の雛形を受け継いできた。というのも,初期の人類において,超自然界の代理者がいるという考えを捨てたり,道徳的なことがらにかかわる能力のなかった者は,同じ集団のメンバーによって早々に殺されるか,少なくとも子孫を残す可能性を減らしただろうからだ。他方,道徳を説く神がいる可能性に同意し,そのような代理者を恐れて生きた者は,生き延びてわれわれの祖先になった”。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.64-65

罰を与える者

複数の分野の研究者たちによれば,協力しない者は厳しく罰せられるという想定がなければ,これほどレベルの高い自然な協力関係は生まれなかった。
 しかし問題は,誰が罰を与えるかだ。小さな社会では,法の執行役を引き受ける者はまわりの敵意を買う。犯罪者やその親族からの復讐がありうることは言うまでもない。狩猟採集社会は逸脱者の懲罰に慎重である。たいてい事前に全員の同意を得,復讐を避けるためになるべく血縁者に殺させる。
 進化心理学者のドミニク・ジョンソンは,最近の一連の論文のなかで,どの共同体にも,超自然界の代理者という形式の,非常に効果的な懲罰システムがあると指摘している。世界じゅうの社会で,神や祖先の霊は人々が法やタブーを守っているかどうかを注視しているとされる。現世,来世,またはその両方で,神はかならず違反者を罰する。先進社会においても宗教は厳格だ。ヘブライ書(訳注——旧約聖書)は,罪は罰されると明示している。キリスト教は,神の法にしたがえば天国に行ける,したがわなければ永遠の地獄が待っていると約束する。ヒンドゥー教と仏教では,人として恥ずべきおこないをした者は,下等な生物に生まれ変わる。
 超自然の懲罰システムは,原始社会に多大な利益をもたらした。懲罰というありがたくない仕事を誰も引き受ける必要がなくなり,逸脱者やその親族から殺される危険を背負わなくてすんだ。代わりに神が念入りにこの仕事をするようになったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.62-63

神の存在

以上のようなことから,世界のさまざまな宗教が,いくつかの共通の行動にもとづいているのがわかるだろう。なかでももっとも重要なのは,社会の恐ろしい支配者に対して道徳規範の執行者である神の存在を信じることだ。超自然的世界にいるとはいえ,神はこの世のすべての出来事を見ており,祈りや供犠や儀礼がそのふるまいを左右すると信じられている。こうしたことを信じる人々の社会は,平時であれ戦時であれ,困難な目標を達成しようとするときに強く団結したはずだ。宗教への本能が生存率を高めた結果,初期の人類にそのような本能を発現させる遺伝子が広まったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.50

共通基盤

宗教行動は人間性の進化した部分と考えるおもな根拠は,宗教の普遍性にある。あらゆる社会になんらかの宗教がある。世界じゅうに存在する宗教は,文化によって大きく異なるとはいえ,共通点も多い。宗教行動が持つそういったほぼ不変の特色には,遺伝的基盤があると考えられる。
 すべての宗教の中心には儀礼があり,儀礼は音楽をともなう。原始社会ではよく舞踏も含まれるが,多くの定住社会の宗教に舞踏はない。
 すべての社会は通過儀礼をおこなう——誕生,成長,結婚,そして葬送の儀礼だ。そこで演奏される音楽は躍動的なものが多い。ドラムやリズムカルなビートは,神秘の世界と交流するための方法と広く考えられているからだ。思春期におこなわれる通過儀礼は多くの場合,痛みと恐怖をともなう。それによって未来の戦士の心に勇気と忠誠を芽生えさせるのだ。
 たとえ神が別の世界に住んでいるとしても,すべての宗教には神と接触するなんらかの方法がある。また,儀礼や供養や祈りによって神の行動に影響を与える方法もある——たとえ取るに足りない人間の心配事に,永遠なる存在がほとんど関心を持たないとしても。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.47

道徳的判断

この行き詰まりを打開したのは,バージニア大学の心理学者ジョナサン・ハイトの2001年の論文だった。ハイトは「嫌悪の感情」に注目し,彼が「道徳的絶句」と呼ぶ現象に関心を抱いた。車に轢かれて死んだ飼い犬を料理して食べた一家の話や,国旗で便所を掃除した女性の話を読み聞かせると,彼らはみな嫌悪感を抱き,そのような行為はまちがっていると断じた。が,なぜそう考えるのかを説明できない人もいた。それらの例では誰も危害を加えられていないからだ。
 自分の道徳的判断について説明できないのなら,論理的プロセスを経て判断しているのではない,とハイトは思った。
 ここから彼は,人が道徳的判断をおこなう方法について新たな考え方を打ち出した。ほかの研究者の調査も参考にしつつ,人の道徳的判断には2種類あると論じたのだ。まず「道徳的直観」は無意識から生じ,ただちに判断が下される。もうひとつの「道徳的推論」による判断はそれより遅く,意識が事実を検討したあとで下される。“道徳的判断は,道徳的直観の結果として,自動的にたやすく意識に現れる……道徳的推論は努力を要するプロセスであり,道徳的判断が下されたあとに働く。そのプロセスで,人はすでに下した判断を支える論拠を探す”。
 何世紀ものあいだ,哲学者と心理学者だけが注目していた道徳的推論による判断は,ハイトの見方によれば,たんなる概観にすぎない。正しい判断をしたことをまわりに印象づけるためのものだ。じつのところ,道徳をどう直感的に判断しているのかは,当人にはわからない。それらは無意識におこなわれ,意識的に知りうるものではないからだ。だから人は,なぜそう判断したのかと問われると,論理的に説明できる理由を探し,もっとも回答にふさわしそうなものを選んで,弁護士のように論じる。このために道徳をめぐる議論はたいてい激しく,決着がつかない,とハイトは指摘する。論争のどちらの側も,相手の主張に対して弁護士のように反論し,考えを改めさせようとする。が,どちらも,主張する論理的な理由ではなく,直観によってそれぞれの結論に達しているので,当然説得されない。要するに,相手の考えを論理で変えようとしても,実を結ばないのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.25-27

初期の宗教

初期の人々のなかで進化しはじめた宗教は,長期にわたって大きな文化的発展をとげ,初期のものとまったく異なる今日の形態へと変わった。この発展の性質は,後述するとおり,大まかなかたちではあるが今日はじめて解明されうる。
 その第一段階は,生活様式が大昔から変わっていない現代の狩猟採集社会から,初期宗教の一般的形態を推測することだ。対象となる社会は,遺伝子(これによって社会の孤立の度合いがわかる)を基準にして選べる。次に,考古学の助けを借りて,狩猟採集民の宗教が定住社会の宗教に発展した段階をたどる。狩猟採集民の宗教は,神と交流する際,共同体の全員を平等に参加させた。定住社会では,聖職者階級が人々と神のあいだに立つようになった。宗教の力は独占的となり,しばしば祭司の王が支配する古代国家の支柱となった。人々を束ねる宗教の力は,集団行動が必要なほかの仕事にも利用された。たとえば,共同体としては初めて農業を取り入れたときの,慣れない厳しい仕事などだ。そうした宗教のおもな儀礼は,農業暦と結びつき,そのさまざまな行事は,進歩した国家のなかに現れた高度な宗教に吸収された。
 そのような国家のひとつ,紀元前2000年代に近東に住んでいたカナン人と,その子孫の古代イスラエル人の国家から,最初の巨大な一神教が出現した。いまや研究者は,ユダヤ教が生まれた歴史的背景と,作り上げた人々の動機を,ある程度くわしく説明することができる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.19-20

宗教は社会的

宗教の定義を求められると,多くの人は人の信仰の個人的な重要性を語る。たとえば,神聖なものとの交流を感じさせ,希望や慰めの源泉,道徳的行為の指針となり,不運の理由を説明し,人生の意味を明らかにしてくれるなど。『宗教的経験の諸相』のなかで,心理学者ウィリアム・ジェイムズは,宗教の個人的な側面を,ほかの何よりも強調する。彼の定義によれば,宗教とは“孤独な状態にある個々の人間が,なんであれ神的な存在と考えるものとの関係を感じる場合だけに生ずる感情,行為,経験である。この関係は,道徳的でも,身体的でも,儀式的でもありうるので,私たちが理解するような宗教から,いろいろな神学や哲学や教会組織が二次的に育ってくることは明らかだ”。
 しかし,宗教がどれほど強く個人の信念から生じるように見えても,その実践はきわめて社会的である。人はみな同じ信仰を持つ人とともに祈りたい,と個々人が信じているからだ。ひとりで祈りを捧げることもあるが,宗教活動や儀礼は社会的なものだ。宗教は共同体に属し,そのメンバーの社会的行動,すなわち,互いに対する(内部)行動と,信者でない者に対する(外部)行動に大きな影響を及ぼす。宗教の社会的側面は非常に重要である。他者へのふるまいを司るルールこそが,その社会の道徳だからだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.11-12

単独で存在しない

宗教はとりわけ,共同体のメンバーが互いに守るべき道徳規範を示し,社会組織の質を維持する。まだ市民統治機構が発達していなかった初期の社会では,宗教だけが社会を支えていた。宗教は,同じ目的に向けた深い感情的つながりをもたらす儀礼をつうじて,人々を束ね,集団で行動させる。
 したがって,単独で存在する教会はない。教会とは,同じ信念を持つ人々が作る特別な集団,つまり共同体である。その信念はありふれた無味乾燥なものの見方ではなく,深い感情的つながりを持つ。象徴的儀礼や,合唱や一斉行動のなかで共通の信条を表現することによって,人々は,自分たちを共同体として束ねている共通の信仰に深くかかわっているという信号を送り合う。宗教(religion)という語が,ラテン語で「束ねる」を意味するreligareからおそらく派生しているのは,この感情的な結びつきのためかもしれない。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.4-5

原理主義

そもそも,ムスリムに「原理主義」と言っても何のことだか理解できません。なぜなら「イスラム原理主義」というのはアメリカにおける造語だからです。
 「原理主義」(fundamentalism)はもともと,極端なまでに聖書中心の生活を目指し,なかには現代文明を拒否して信仰生活がすべてというような禁欲生活を送る,アメリカの一部のキリスト教徒たちに対する侮蔑のニュアンスを含んだ用語です(ただし,当人たちも好んでこの言葉を使うことがあります)。

内藤正典 (2015). イスラム戦争:中東崩壊と欧米の敗北 集英社 pp.94-95

戦士を生み出す時

イスラムの思想には,アメリカ人を殺害しろとか,ユダヤ人を抹殺しろとか,そんな教えはありません。キリスト教徒やユダヤ教徒を殲滅しろという考えもありません。しかし「テロリスト」や「過激派」を掃討すると称して,爆撃機やドローン(無人攻撃機)による度重なる誤爆で子や母を殺すような残虐なことをした場合には,命を賭けて戦う戦士を生み出してしまいます。
 そういう者が出てきたとき,それを「ジハードだ」と認識するムスリムはかなりいるはずです。西欧的な価値観に絶対的な信を置く人にはこうした反応は理解しがたいかもしれませんし,ムスリムの理路に同調すべきだとも思いません。ただし,最低限,ムスリムはそういうときに激しい反発をするということを知っておくことは,政治のレベルでも個人のレベルでも無駄な争いを避け,共存を実現していくうえで大変大事なことなのです。

内藤正典 (2015). イスラム戦争:中東崩壊と欧米の敗北 集英社 pp.77

基本を知ること

イスラムの基本を知らないと,どうしてもムスリムの人間像を誤認していきます。その果てに,彼らと敵対し,攻撃を正当化し,多くのムスリム一般市民が犠牲となったのです。これはアメリカに限った話ではありません。中国のウイグル問題も,ロシアがチェチェンやダゲスタンに対してやってきたことも構造は同じです。
 こうした大国は,大国すぎてかえって世界が見えない部分があるのでしょう。恐竜然り,巨大な生き物が力を行使するとき,一度動き出してしまうと大きすぎて止められません。象は蟻を踏みつぶしても痛みを感じませんが,踏みつぶされた蟻にも命があります。命には尊い,尊くないという区別などありえません。ムスリムもまた,理不尽に命が奪われること,とりわけ子どもたちの命が奪われることに激しい怒りを覚えるのです。

内藤正典 (2015). イスラム戦争:中東崩壊と欧米の敗北 集英社 pp.48-49

宗教と食生活,寿命

文化的要因,慣習,遺伝子,そのすべてが,わたしたちが何を食べるかを決め,ひいては,菜食主義者になるか,果食主義者になるか,あるいは肉好きになるかを決めているのだ。食生活の違いが長期的に健康にどんな影響を及ぼすかは定量化しにくい。なぜなら,それは通常,喫煙や飲酒といった他のライフスタイルと関連しているからだ。しかし,肉を食べず,魚も少ししか食べないセブンスデー・アドベンチスト(安息日再臨派:プロテスタントの一派)は——ライフスタイル全体が他の人たちよりも健康的という側面はあるものの——アメリカの典型的な食生活をしているカリフォルニアの隣人たちより,平均で7年以上長生きしている。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.209

神の遺伝子

かつて,科学者たちが「神の遺伝子」を見つけたと発表したことがあった。彼らは,心理テストで判定した信仰心の強さと,遺伝子との相関を解析し,ある神経伝達物質輸送体に関する遺伝子,VMAT2を「神の遺伝子」として同定したのだ。しかし残念ながら,2007年以前の遺伝子分野でなされた多くの「発見」と同じく,後にこれは間違いだったことがわかった。
 わたしのグループは,50万個のDNAマーカーによる全ゲノムスキャンを行い,信仰(あるいは不信仰)の原因遺伝子を追跡し,かなり近いところまで絞った。イギリスの双子4000組のゲノムを調べて,15番染色体上の一連のDNAにはっきりとした印を見つけたのだ。それが見つかるのは,100万回に1回程度だった。この印のついた遺伝子を見つけようと,染色体を調べてみて驚いた。その印の近くに遺伝子は存在しなかったのだ。このエリアは,遺伝子学者たちには「遺伝子砂漠」と呼ばれている。なぜなら,タンパク質をコードする遺伝子がほとんど存在せず,無意味なジャンクDNAばかりが並んでいるからだ。だが,不思議なことに,病気と関係のある配列の多く(4つに1つ)は,こうした「遺伝子砂漠」と呼ばれる領域にあるのだ。その理由は,まだわかっていない。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.119-120

宗教遺伝子率

宗教は信者たちに,より多くの子どもをもつことを奨励する。1984年から2004年までの世界価値観調査の対象となった82カ国において,毎週宗教儀式に出席する女性は,平均で2.5人の子を持ち,そうでない女性の子どもの数はわずか1.67人だった。より厳しい正統派の宗教では,さらに驚くべき数字が出た。オールド・オーダー・アーミッシュの夫婦は,平均で6.2人の子をもうけ,他の厳格な宗教でも,出生率は平均的な女性の3倍にのぼった。しかし,きわめて厳格な宗教のコミュニティで育った人も,そこを離れて世俗に移ろうとする人もいる。
 最近,アメリカで,将来の宗教遺伝子(信仰深い遺伝子)率——厳格な宗教集団の各世代の出生率と,宗教から離れる人の割合から算出する——を予測する研究がなされ,驚くべき結果が出た。小規模な宗教集団の遺伝子は,今後も生き残るだけでなく,増加して,人口に占める割合を高めていくのだ。たとえばアーミッシュや正統派ユダヤ教徒は,現在,アメリカ全人口の0.5パーセントを占めるにすぎないが,出生率が通常の3倍にもなるため(ひとりの女性が平均で6人の子どもを生む),ひと世代ごとに5パーセントの信者が減ったとしても,10世代後にはアメリカの総人口の20パーセントを占めるようになる。たとえその集団の50パーセントが,宗教から離れて世俗の世界に入ったとしても,20世代後にはアメリカの多数派になるのだ。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.118

信仰心は遺伝する

わたしはよく,新聞や雑誌の記者から,これまでの双子研究で最も驚くべき発見は何でしたか,と尋ねられる。そんな時すぐ頭に浮かぶのは,「信仰心は遺伝する」という発見だが,多くの人にとってそれは信じがたく思えるようだ。病気や身長や体重が遺伝することは理解できても,信仰が遺伝するというのは理解できないらしい。おそらく,信仰心——あるいはその欠如——が遺伝する,という見方は,あまりにも遺伝を偏重しており,自分の行動は自分で決めているという信念にそぐわないのだろう。それでも科学は,信仰心の強さと精神性(スピリチュアリティ)は,家庭環境や教育のみならず,遺伝の影響も受けている,と語る。アメリカ,オランダ,オーストラリア,イギリスにおける双子研究によって,信仰に40〜50パーセントの遺伝的要素があることが明らかにされたのだ。
 なかでも驚かされるのは,宗教も礼拝の仕方も大きく異なるアメリカとイギリスで,信仰心と遺伝とのつながりに関して同じような結果が出たことだ。たとえば最近の研究によると,神の存在を信じている人は,アメリカでは調査対象の61パーセントを占めたが,イギリス人はわずか17パーセントで,3倍以上の開きがあった。逆に,神の存在を信じない人は,イギリスでは18パーセントだったが,アメリカでは3パーセントだった。さらに,日曜に教会へ行くかどうかも異なった。毎週礼拝に参加する人の割合は,アメリカのほうが,イギリスの3倍近く多かった。
 なかには,双子の信仰心が似ているのは,文化や家族の影響ではないか,研究の方法がずさんだったのではないか,と疑う人がいるかもしれない。しかし前述のミネソタ双子研究では,シャロンとデビーのように別々の家庭で育てられた数多くの双子の信仰心を調べて,同様の結果を得た。離れ離れに育てられた一卵性双生児でも,信仰心が篤いかどうかはとてもよく似ていたのだ。結論ははっきりしている。信仰心は,明らかに遺伝の影響を受けるのだ。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.104-105

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