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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会心理学」の記事一覧

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役に立たない

 対人関係においても,自尊心はあまり役に立たないとボーマイスターらは結論づけています。自尊心の高い人ほど,「自分は人に好かれている」と感じ,「対人関係もうまくいっている」と感じるのですが,自尊心の高い人ほど,実際,他者に好かれ,良好な対人関係を築いているわけではないようです。たとえば,学校で人気のある生徒とそうでない生徒の自尊心には差がなく,クラスメイトが評価する生徒の人気度と自尊心には相関がないそうです。
新谷 優 (2017). 自尊心からの解放:幸福をかなえる心理学 誠信書房 pp. 24

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嘘の徴候

 残念ながら,人は,相手が嘘をついているときに特有の兆候を特定するのがあまり得意ではない。2006年に58に及ぶ国々で調査が行なわれ,参加者は,「あなたは人が嘘をついているときに,どうしてそれがわかりますか?」と質問された。すると,ある回答が圧倒的に多かった。どの国の人もその回答をし,大半の国でそれが回答リストの1位を占めた。嘘をついている人は目を合わせようとしない,というものだった。これは嘘を見抜く一般的な方法ではあるが,とりたてて良い方法でもなさそうだ。嘘をついている人のほうが正直者よりも目を逸らしやすいことを裏づける証拠はない。これ以外に嘘をついている証拠だと思われているものにも,怪しげな根拠しかない。嘘をついている人のほうが見るからに活発だとか,話しながら姿勢を変えやすいなどというのも確かなことではない。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 268

平均を取るのがよい

 何らかの値を求めるという問題(磁針が指す方角とか,瓶の中のゼリービーンズの個数という古典的な問題とか)の場合は,それについて出されたすべての答えの平均をとることが最善の方策であり,科学者はこうした種類の問いを状態推定問題と呼んでいる。一方,いくつかの選択肢から正解を選ぶ問題の場合には,多数決が有利になる。だがいずれの場合でも,集団の知恵を最大限に活用するには,満たさなければならない条件が三つだけある。
・集団内の各人は,自ら選んで考えようとし,また実際にそれが可能で,様々な独立した結論にたどり着かなければならない。
・問題には明確な答えがあり,最終的には現実と照合できなければならない。
・集団内の全員が同じ問題に答えなければならない(当然のことに思えるかもしれないが,「同じ問題」だと思っていても,解釈が人によって違う場合は多い)。
 この三条件が満たされたとき,複雑性の数理から次の三つの特筆すべき結論が導かれる。
・状態推定問題に答えるとき,集団は個々のメンバーの大半より必ず成績が良い。そういう場合があるというのではなく,必ずそうなる。
・複数の解答がありうる(ただし,正解は一つだけの)問題に関連する諸事実について,集団のメンバーの大多数がある程度知っている場合,多数決はほとんど必ず正解になる。たとえば,100人からなる集団の各メンバーが,それぞれ60パーセントの確率で正解を得られたとすると,厳密な数式から,多数派の答えが正解になる可能性は99パーセント以上あることが分かる。
・事情によく通じている人が集団内に少ししかいないときでも,たいていの場合はそれで十分であり,多数派の意見が正解となる。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 101-102

過酷な環境と再犯率

 M・キース・チェンとジャセ・シャピロという2人のエコノミストは,連邦裁判所が用いる明確な分断線を利用して,状態の悪い刑務所が再犯率に及ぼす影響を調べた。米国では連邦刑務所の収監者は罪状と犯罪歴に基づいて点数を与えられ,この点数によって収監体験が決まる。高得点者は高度警備矯正施設に送られ,ひいては他者との触れ合いや移動の自由を限られ,刑務官や他の収監者からの暴力を受ける可能性も高まるのだ。
 ここでも高度警備の施設に送られる収監者全体と低警備度の施設に送られる収監者全体を比較するわけにはいかない。高度警備度施設の収監者は殺人者やレイプ犯が多く,低警備度ではドラッグ関連や軽度窃盗犯が多いからだ。
 だがそれらの施設を分ける分断線ぎりぎりの収監者は,罪の重さや犯罪歴の点でほぼ同一と言える。しかしごくわずかな点の違いが,非常に異なる収監体験に続くのである。
 研究の結果,より過酷な環境に置かれた収監者は,出所後の再犯率が高かった。過酷な環境は,犯罪を抑止するのではなく,むしろ収監者の態度を硬化させ,シャバに出た後に,より暴力的にしていたのである。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 267-268

検索データ上の偏見

 検索データ分析には,何がヘイトを起こし,また減らすのかを学ぶ別の有意義な使い方もある。たとえば黒人のクォーターバックがドラフトされた際の,あるいは女性が公職に当選した際の,人種差別的,性差別的な検索数を調べることができる。地域の警察活動と人種差別主義が,あるいは新しい反セクハラ法と性差別主義が,どのように呼応しているかも調べられる。
 意識下の偏見について学ぶことも有意義だ。たとえば,少女を励まし,あまり容姿を気にしなくてすむよう,誰もがもっと努力できるかもしれない。グーグル検索データやネット上の真実の泉は,人間の心の闇をかつてないほど明らかにする。これは時として認めにくい事実だ。だがそれが私たちを強くもする。データを持って心の闇と戦うことができるのだ。世界の問題に対するデータを豊富に集めることは,問題解決への第一歩なのだ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 188

Facebookの意味

 フェイスブックはデジタル自白剤ではなく,「自分はこんなにいい暮らしをしていると友人にデジタル自慢させる薬」なのだ。フェイスブック上では,平均的なユーザーは幸せな結婚生活を送り,カリブ海に休暇旅行に出かけ,『アトランティック』の記事を追いかけている。現実には多くの人はいらいらとスーパーのレジ前に並びながら『ナショナル・インクワイアラー』を横目で立ち読みしつつ,もう何年も一緒に寝ていない伴侶からの電話を無視している。フェイスブック上では,家族生活は完璧に見える。現実には悲惨なもので,そのあまり子供を持ったことを後悔する人もいるくらいだ。フェイスブック上では,あたかもすべてのヤングアダルトが週末にはいかしたパーティーで楽しんでいるかのようだ。実際には彼らの多くは自宅に引きこもり,ネットフリックスばかり見ている。フェイスブック上では,彼女は彼氏との息抜き旅行での26枚の幸せな写真を投稿する。現実には,この写真を投稿するや否や,彼女は「彼氏がセックスしてくれない」とググる。そして彼氏はおそらくそのとき「グレート・ボディ,グレート・セックス,グレート・ブロウジョブ」を見ているのだ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 176

検索自体が情報

 言い換えるなら,人々が情報を求める検索は,それ自体が情報なのである。人々が何かの事実,発言,ジョーク,場所,物事,あるいはヘルプについて検索するとき,それは彼らの本当の考え,望み,あるいは恐れについて,どんな推測よりも性格に明かすものとなる。人々が時に何かを調べるというよりむしろ告白するかのようにグーグルを利用するのは—「上司が嫌いだ」,「私はアルコール依存症だ」,「父に虐待された」など—まさにその恒例だ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 15

集団的知性の基礎

 何が集団的知性の基礎となるのだろうか?これは予想外だったのだが,集団のパフォーマンスを上げると多くの人びとが一般的に信じている要素(集団の団結力やモチベーション,満足度など)には,統計学的に有意な効果は認められなかった。集団の知性を予測するのに最も役立つ要素は,会話の参加者が平等に発言しているかどうかだったのである。少数の人物が会話を支配しているグループは,皆が発言しているグループよりも集団的知性が低かった。その次に重要な要素は,グループの構成員の社会的知性(相手のシグナルをどの程度読み取れるかで測定できる)だった。社会的シグナルについては,女性の方が高い読み取り能力を持つ傾向にあるため,女性がより多く含まれているグループの方が良い結果を残した。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 110

エンゲージメント

 一連の研究の結論として言えるのは,エンゲージメント(繰り返し行われる協調的な交流)は信頼を醸成し,他人との関係の価値を高め,それが結果として協調行動に必要な社会的圧力の土台となるという点である。言い換えれば,エンゲージメントは文化をつくるのだ。さらに研究によって,ソーシャルネットワーク・インセンティブがこのプロセスを加速し,個人的なインセンティブよりもはるかに効果的である場合が多いことが証明された。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 95

アイデアの流れ

 結論を言おう。健康習慣,政治志向,消費活動というこれら3つの例において,周囲の人々の行動に接することは,直接的なものかどうかを問わず,アイデアの流れに大きな影響を与えていた。その力の大きさは,遺伝子が行動に及ぼす影響や,IQが学業成績に及ぼす影響とほぼ等しい。さらにすべての研究において,周囲の行動への接触が,アイデアの流れを規定する最大の要因となっていた。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 71

知人と体重変化

 私たちが特に注目したのは体重変化で,それが友人の行動と,周囲のコミュニティ内にいる同窓生のどちらからより大きな影響を受けるかを調査した。一般的に,人々が普段から接している人物の中で友人と呼べるのは数人だけで,残りはそれほど交流することのない「知人」といった程度の存在である。知人と友人が重なりあうことはごくわずかで,この2つのグループはまったく異なる存在である。
 研究の結果,調査対象となった学生の体重変化と,体重が増えた同窓生の存在との間に強い関連性が認められた。しかし体重を減らした同窓生の存在との間には,関連性は認められなかった。また体重の変化した友人がいても,彼らと交流することは体重変化には何の影響も及ぼしていなかった。同じ傾向は食事習慣においても確認され,同窓生との接触が影響を与えていた。
 この場合では,問題となるのは直接的なやり取りだけではなかった。体重が増加した人々の行為に,直接的な交流もしくは間接的な観察を通じて,合計でどのくらい接したのかという量が重要だったのである。言い換えれば,他人の行動がたまたま目に入ったり,あるいは他人の行動に関する話が耳に入ってきたりするだけで,アイデアの流れが発生し得るのだ。場合によっては,それは会話や電話,ソーシャルメディア上でのやり取りのように,より直接的な交流が生み出す場合以上の流れになる。またアイデアの流れは,他人から「私はこう行動している」という話を聞くよりも,彼らが実際にどのような行動をとっているかを目にした方が生まれやすくなる場合がある。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 64-65

双方向の会話

 そこから判明したのは,他人との深い関わりを精力的にこなす人々は,より双方向型の会話をする傾向にあり,結果としてソーシャルネットワーク上でのアイデアの流れに重要な役割を果たしているという点だ。これは私が世界で最も生産性の高い人々を観察してきた結果とも一致している。彼らは常に他人と関わり,新しいアイデアを集めており,こうした探求行為が良いアイデアの流れを生み出すのである。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 51-52


アイデアの流れるスピード

 アイデアの流れにおいても同じことが起こる。社会的学習では,行動を示す人物(ロールモデル)と示される人物の間で多くの交流が発生し,行動を示される人物が他人の影響を受けやすい(受容性が高い)場合,新しいアイデアが受け入れられて行動変化が起きる可能性が高くなる。他人からどの程度の影響を受けるかは,ロールモデルが自分と近い人物で,新しい行動が有益なものになりそうか,ロールモデルに対して信頼感を抱いているか,新しい行動とこれまでに学習した行動が一貫したものであるかなど,いくつかの要因によって決まる。広告業界の人びとはよく「バイラルマーケティング」に期待するが,アイデアの流れるスピードは極めて遅くなる場合もあるのだ。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 49


現在バイアス

 1年後に1万円をもらうか,1年と1週間後に1万100円をもらうか,という選択なら,多くの人は1年と1週間後にお金をもらうことを選ぶ。しかし,今日1万円もらうか,1週間後に1万100円をもらうか,という選択なら今日の1万円を選ぶ。どちらも同じ1週間あたり1パーセントという高金利であるにもかかわらず,今のことになると忍耐力が低下するのだ。健康を考えてダイエットや禁煙を来週からするという計画を立てることはできても,来週になると,その計画を先延ばししてしまうというのも現在バイアスの例である。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 187


きょうだいと競争

 迷路の問題を135人の高校生に,計算問題(2桁の数字の足し算)を232人の大学生に解いてもらって,競争的報酬制度を選択する程度が,性別や兄弟姉妹の構成で異なるかを検証した。まず,性別については,男性の方が女性よりも競争的な報酬制度を選ぶ傾向が高いことが明らかにされた。これは,多くの先進国で共通に観察されることだ。


 興味深いのは,兄弟姉妹の構成の影響である。高校生のサンプルでも大学生のサンプルでも,姉をもった男性は,他の男性よりも競争的報酬を好まないことが明らかになった。また,高校生のサンプルでは,弟をもった女性は,競争的報酬を他の女性より好む傾向が見られた。さらに,大学生のサンプルでは,姉をもった女性が他の女性よりも競争的報酬を好むという傾向が観察された。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 149


損が嫌い

 コインを投げて表が出たら2万円,裏が出たら何ももらえないというギャンブルか,確実に1万円もらうという選択肢があれば,多くの人は確実に1万円もらう方を選ぶ。しかし,最初に2万円もらっておいて,コインの裏が出たら2万円を返却し,表が出たら返却しなくてもよい,というギャンブルか,確実に1万円支払うという選択であれば,多くの人はコイン投げに挑戦する。2万円をもらう前から考えれば,最初の選択問題と後の選択問題は全く同じであるにもかかわらず,2万円をもらった状態が参照点になってしまうと,損失を確定することを嫌ってギャンブルしてしまうのだ。


 損を嫌うということは,危険なことをしてでも,努力して参照点にしがみつきたいという行動を私たちに起こさせる。これが行動経済学で損失回避として知られていることである。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 102


リスクに対する認識

 私たちのリスクに対する認識は,そもそも「合理的」なものではない。めったに発生しないリスクを過大に認識し,ほぼ確実に発生するリスクを過小に認識するという特性があることは,行動経済学でプロスペクト理論としてよく知られている。だからこそ,滅多に当たらない上に平均的にも損をすることがわかっている「宝くじ」を買う人が多い。本人は当たると思っているという意味で,リスク(落選確率)を過小に,当選確実を過大に認識しているのである。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 85


怒りと意思決定

 感情が私たちの意思決定に与える影響についての多くの研究結果をまとめたアメリカ国立衛生研究所(NIH)のフェラーらの論文に基づいて,怒りと意思決定の関係を紹介してみよう。怒ってしまうと,私たちは,不確実なことでもより確実に生じるように感じ,周囲のことを自分で統制できるように感じるという。未知の危険や恐ろしい危険をあまり感じなくなり,その結果,リスクのあるものでも受け入れるようになるのだ。また,問題の責任が他人にあるように感じる傾向があるともいう。


 対照的なのは,恐怖の感情であり,不確実性を大きく感じ,自分で統制している感覚が減少する。そのため,リスクに対して回避的な行動をとりやすくなる。一方で,直感的な意思決定よりも論理的意思決定を用いる傾向が強くなるという。


 関連した感情として,悲しみを感じると,自分で統制できる感覚を減らすうえ,利益志向的になり短絡的視野をもつようになる。また,他人を信頼しなくなり他者との協力も減ってしまうという。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 68


属性を質問紙の裏へ

 会場にいる先生たちは感銘を受けたようだった。私の経験では,教育者は一般に共通テストをさほど好んでいない。多くの教師にとって,生徒がこうしたテストでどのくらい良い点数をとるかに自分の仕事がかかっている,となればなおさらだ。それだけの重圧がかかると,先生たちは試験に合わせて教えるようになり,生徒は全般的に限られたことしか学ばなくなり,テストにおける一度の成績がすべての人の成功を測る尺度としてのしかかるようになる。もし自分の教えたクラスの成績が,自らの指導力の尺度だと教師が感じていなければ,あるいはテストの成績が頭のよさを表すかのように生徒が感じていなければ,生徒はかえってテストでよりよい点数をとれるかもしれない。複数の視点から自分自身を考えるように生徒に仕向けさせることや,性別や人種,家庭の年収に関する情報を問う質問をテストの裏側に移動させることも効果がある。こうしたことはいずれも,テストが重視されすぎるのを防ぎ,一度の点数や成績が生徒の知能や自尊心,あるいは成功に向けた潜在能力を反映するという考えを忘れさせるためのものなのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 204-205

人種ステレオタイプ

 人種に関して報告しなかった場合は,白人と黒人の学生でGREの成績にはなんら違いがないことを研究者たちは発見した。ところが,テストの前に学生が人種を報告したときは,アフリカ系アメリカ人のほうが白人学生よりも悪い成績になった。学生に人種を明らかにさせたことで,彼らは「黒人は白人ほど知的ではない」というステレオタイプについて考えさせられたのだ。こう考えるだけで,知性が試される状況で黒人学生が実力を発揮できなくするのに充分なのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 158

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