I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

瀉血の容認

数千年にわたる医学の歴史の中で,瀉血はほとんどすべての時代を通して治療として行なわれてきたのであるが,まことに不思議なことである。確かに瀉血によって病態が改善することもあったであろうが,私たちの現代医学を学んだものにとっては,考えられないことである。
 しかし,古代はもちろん,ガレノスの時代は瀉血が唯一の治療法であったのである。中世,アラビア,近代の医学においても,瀉血が占める医療の役割は大きく,さらに僧侶や一般大衆の健康法としてまで普及していたのであるが,これは医学の錯誤としかいいようがない。医学が大きな過ちを堂々と繰り返していたのである。当時も瀉血が人間に決して良好な結果を与えていないと信じていた医師もいたのだが,社会全体が瀉血を容認しているものだから,それに立ち向かうことはできなかったのである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.111

日本の瀉血

江戸末期,わが国においては刺絡といわれて,西洋の瀉血と比べると,その採血量は少なく,採血のために患者に与える影響は限られていたと思われる。西洋において,瀉血は数100mlから1000ml以上に及ぶこともあり,これが有効であると報告されていたが,わが国の場合はせいぜい数10mlであったと思われる。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.104

血液循環説の障壁

ハーベイ自身,瀉血に関して,それを支持し,瀉血は「当時の医療の中で最も卓越したものと考えていた」と表明している。ハーベイの仕事は医学の近代化がもたらした巨大な烽火であったが,それが人の病気を治すうえで直接響くことはなかった。多くの保守的な医師はハーベイを冷たくあしらい,血液循環は不逞の思想であり,医学の諸問題を解決するには無意味である。現実に伝統的な瀉血や投薬の方針を決める上で何の役にも立たなかった。
 血液循環説がたやすく一般に受け入れられなかったのは,古来ガレノスの学説があまりに深く根を張っていたからである。9年後にようやく世に認められたが,率先者はデカルトである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.55

専門職業としての医者

大学が正規の教育を受けた医師を社会に送り出し,そこに医業という専門職業が独立したことは医学が進み社会的な進歩と見ることができる。ドクトルの社会的地位は貴族に準じ市医は免税特権をもっていた。しかしボローニャのように外科を内科に加え,外科医の資格を正式に認定した大学は例外で多くは外科を締め出してしまった。そして外科医は大学の理論に通暁した医者の命令と監督のもとにあるのが普通だった。

 こんな中で15世紀のドイツ・チュービンゲン大学のカリキュラムを見ると1学年はガレノスとアヴィセンナ,2学年はアヴィセンナとラーゼス,3学年はヒポクラテスとガレノス更にアヴィセンナ,マサーウェー,コンスタンチヌス,アフリカヌスであってアラビア医学全盛であった。ギリシャ医書,アラビア化したギリシャ医書を侵すべからざるものとして尊び,科目には占星術も加わっていた。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.39-41

瀉血の手順

瀉血が必要なときは詳細な処方箋が渡され,空腹時に瀉血が行なわれなければならない。食事をすると血液は体内を強く流れ,血液と体液が混合して分離できなくなり,瀉血の効果がなくなる。瀉血の様式と技術のすべては図示されており,ふつう患者は椅子に座り,血液の流れを良くするために,手で棒を握り,腕に瀉血帯を巻き,肘静脈を切開して血液を器の中へ噴出させる。器の中の血液は色や凝固やその他の基準によって判断され,治療への手がかりとなる。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.36

瀉血のポイント

中世全体を通じて瀉血は特に高く評価された治療法であった。体液学説により,過剰な血液は排出するべきであり,損なわれた体液はきれいにしなければならない。熱すぎる血液をさまし,血流をゆるやかにして有害な体液を排出することができる。この際常に考えなければならないことは,年齢,性別,気候,季節,風向き,患者の生活様式,病気の段階であった。血液排出できる静脈は三十を超え,占星術が流行し,大宇宙の天体の運行が小宇宙の人体を支配するという大宇宙,小宇宙説が信じられていた。そのため占星術と瀉血が結合し,血をとる月や日が問題となり,瀉血カレンダーが作られた。9,10,12月は瀉血によく,1,2,4,7,8月は不良だなどといわれた。星座の位置がよくない時は瀉血を避けなければならなかった。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.36

これでいいんだ

どうしてぼくは,そこまで悪くなってしまったのだろう。
 振り返ると,一つの理由に突きあたる。調子を崩した原因は,勝手に薬の量を調節してしまったことだ。ぼくは,本当にいけないことをしていた。
 「調子いいからこれ二錠でいいや」
 「眠れないからこれ三錠に,これ一錠プラスして……」
 主治医が処方してくれた薬の分量を守らず,自己判断で,気分に応じて飲む。少なすぎることもあれば,死にたいのかというくらい多すぎることもある。
 ぼくのしていたことは,きつい言葉を使うと,「薬物濫用」だ。
 薬をシートから出して,テーブルの上に大量に集める。それを手にとって,「これでいいんだ」と口の中に投げ込む。過剰に摂取して,安心を得ようとする。嘘の安心を手に入れてしまうと,摂取する分量を増やすことで,さらに大きな安心を求めてしまう。バランスが崩れ,反動は仕返しのように必ず襲いかかってくる。感情のコントロールは,完全に利かなくなってしまう。
 個人で分量を変えることは,絶対にしてはいけない。

ハウス加賀谷・松本キック (2013). 統合失調症がやってきた イースト・プレス pp.119

治るんじゃないか

「そんなにたくさん薬を飲まなくても大丈夫だよ」
 「薬なんか,早く止められるように頑張れよ」
 うれしくなったぼくは,先生にも告げず,自分一人の判断で飲むべき薬の量を減らしていった。
 昼の分量をまるまる減らして大丈夫。朝の分量を半分にしてもやっていける。このままいけば治るんじゃないか。ぼくは完全に勘違いし,調子に乗っていた。
 最終的にぼくは,一日一回,それも極少量の薬しか飲まなくなっていた。
 外からどんなふうに見られていたか知らないけれど,自信はあった。薬に頼らなくても,ぼくは普通にやれるんだ,と。ただの過信だったのに,ぼくは間違った方向に舵を切っていた。

ハウス加賀谷・松本キック (2013). 統合失調症がやってきた イースト・プレス pp.96

生まれつきと考えるかどうか

けれども,こうして「同性愛者は生まれつき体の一部が違う」っていうことにしてしまうと,「じゃあそこを手術して治せばいいじゃん?」という話になってしまうんですよね。「それならば犯罪者扱いをやめましょう」じゃなくて。シュタイナッハのきんたま移植手術に始まり,後世には,同性愛者とされた人を無理矢理去勢したり,脳を手術して廃人状態に追いやったりと,「同性愛治療」と称した恐ろしい手術が続いていってしまうことになりました。
 このような事態は,同性愛者を「生まれつき他とは違う種類の人々」と考えることの危険性として,すでにケルトベニが指摘していたことです。けれども,「人間はみんな異性愛者として生まれつく」という前提にある限り,同性愛が「やめさせるべき犯罪行為」とか「正常な状態にあれば異性を愛せるはずの人間の逸脱行為」だと言われてしまうことは避けがたいことでした。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.65-66

優生学の説得力

優生学が医学的にも説得力をもつようになった1つの歴史的道筋は,おおよそ次のようなものだ。まず,細菌学の発達によって多くの伝染病が克服可能なものとなる。外科手術の進歩,新薬の開発なども,さまざまな病気の克服に大きく貢献した。さらに社会環境の整備を通じて,罹病率や死亡率を引き下げる努力がなされた。しかし,それでもいくつかの病や障害は克服できないものとして残った。少なくとも今世紀初頭において,「遺伝」という概念は,厳密な科学的概念としてよりも,克服できないこれらの病や障害を説明する1つのマジック・ワードとして多分に機能した。肺結核の発症を遺伝に結びつける,グロートヤーンの先のような主張が,特効薬のペニシリンによって肺結核が十分治療可能なものとなる30年代以降,影をひそめるようになるという事実は,かつて遺伝概念が担っていたそうした機能をよく物語っている。
 そして,優生学の課題は,遺伝として説明された不治の病や障害をもつ人々がその生命を再生産する回路を,何らかの方法で遮断することによって,彼らの病や障害そのものを将来,社会から根絶することに,求められたのである。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 61-62

攻撃性の薬

攻撃性の緩和には,さまざまな薬物の有効性が認められている。もっとも効果的なのは新世代の抗精神病薬で,効果量は0.90と大きい。メチルフェニデートなどの刺激薬もきわめて有効で,効果量は0.87である。気分安定薬は中位の0.40,抗うつ薬は低〜中位の0.30の効果量を持つ。青少年にも子どもと同じことが言える。青少年の攻撃性を対象とする薬物治療に関する2つのメタ分析に加え,子どもや青少年に対する薬物の効果を調査したその他の検証やメタ分析でも,類似の効果が報告されている。これらを総括すると,明らかに薬物治療は,ADHD,自閉症,双極性障害,精神遅滞,統合失調症などのさまざまな精神障害にともなう,子どもや青少年の攻撃性を緩和する。
 では,攻撃性や暴力的な行動に対する薬物治療は,それ以外の介入方法と比べてどれほど効果的なのか?ペンシルベニア大学の同僚ティム・ベックは,多岐にわたる臨床障害に有効な,独自の認知行動療法を開発した。この療法は,攻撃性に対する介入手段としてはもっとも効果的なもので,広く採用されている。効果量は控えめに見積もって0.30である。つまり全体の効果量という点で言えば,薬物治療は,もっとも有効な心理・社会的介入方法に匹敵する。というより,新世代の抗精神病薬や刺激薬は,効果量において,最良の非薬物的介入方法を凌駕する。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.433-434

マウスと人間

同じたんぱく質を作る遺伝子でもヒトとマウスでは働き方や働く場面が違う場合はいくらでもある。先に統合失調症の症状を示す遺伝子改変マウスの例を紹介したが,逆にヒトで特定の病気の原因となっている遺伝子の働きをマウスで止めても,人間と同じような症状を起こすとは限らない。結局のところ,病気になったとき,ヒトとマウスで働き方の違う遺伝子を薬の標的にしてしまうと,マウスで効果があるのに人では効かない,ということが起こり得る。でも,両者で働き方が共通している遺伝子を見出すことさえできれば,マウスはヒトのモデルとして十分ふさわしい,というのが2人の見立てである。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.108

遺伝子と薬

ただ,遺伝子や遺伝情報をめぐる取材をしていると,互いにやや方向の異なったベクトルがあると感じる。
 1つは,遺伝情報や技術をうまく使えば,病気の予防や治療を根本的に変えられるのではないかという期待だ。遺伝学の進歩と分子生物学的なアプローチとで,病気が起きるメカニズムの解明は確実に進みつつある。病気の発症にかかわる遺伝子は,今や特定の変異で起きる先天性の疾患に限らず,がんや糖尿病,心臓病,アルツハイマー病といった,人生の終盤で起きるような病気でも次々見つかっている。薬の効きにも個人の遺伝的な要因が深くかかわっていることがわかってきた。こうした遺伝情報を利用すれば,一人ひとりの体質にあわせた病気の治療が可能になると言われている。

行方史郎 (2015). IQは金で買えるのか:世界遺伝子研究最前線 朝日新聞出版 pp.8-9

ヘロインシロップ

少年が登場するのは,1912年のスペインの新聞広告。これは,ドイツの製薬会社バイエルが打った広告で,咳,風邪,そして”炎症”に効くという触れこみで,ヘロインシロップを宣伝している。別の広告では,品のいい服を着た主婦が,愛情を込めて,幼い娘の口にヘロインをスプーンで流し込んでいる。「ラ・トス・デサパレセ」と広告は謳う。「咳が消える」という意味だ。この広告キャンペーンは,大手製薬会社を批判する者が掘り出して2011年にネット上で公表するまで,完全に忘れ去られていた。これらの広告は,子どもを製品の使用者に想定していたが,他に1つ,同じ主婦が,気管支炎を起こしている夫にヘロインシロップを飲ませる広告がある。夫は,首に厚手のスカーフを巻いて,家に帰ってきたところだ。だれかがふざけて,こんなジョークを書きくわえている。「お帰りなさい,ハニー。ほら,スマックよ!」(スマックには「キス」と「ヘロイン」の意味がある)

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 130-131

地域環境と健康

人的な環境だけではない。地域環境も肥満・健康な食生活,身体活動などと関連している。人口250万人の住民がいるリスボンの7669人を対象に,この人たちの特徴(ライフスタイルや教育年数,年収,就労状況など)とともに,どの地域に暮らしているかを調べ,その地域の特徴も調べて,それらの関連を分析した研究がある。まず個人レベルに着目すると,肥満は身体活動が少なく,教育年数が短い者などに多い。健康的な食生活は,教育年数が短く,離婚していて,失業中,低所得の者などでは難しい。身体活動は教育年数が短く,低所得の人で少なかった。
 次に,地区の特徴としては,犯罪の多さ,人口密度や運動施設(体育館やプール)の有無,ソーシャル・キャピタル(社会的統合の強さ)などを調べ,個人の特徴も考慮(統計的に調整)して分析した。その結果,犯罪が多い地域では健康な食生活,身体活動が少なく,肥満が多い。運動施設がある地域,ソーシャル・キャピタルが豊かな地域では身体活動が多かった。つまり,同じ個人の特徴をもつ人でも,どのような地域環境に暮らしているのかによって,食生活や身体運動料が違ってきてしまうのだ。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 184

生死という評価軸

もう1つ,健康格差を問題にする意義には,生死が,評価尺度および価値としてもっている特徴によるものだ。才能や努力や成果を評価するのは意外に難しい。報酬面でも,お金以外に名誉や権力をはじめ非金銭的な報酬もいろいろある。評価すべき尺度がいろいろあって,どれが「絶対」とも言い切れない。つまり,何をもっとも重視するかは,「価値観しだい」で「相対的」になってしまう。
 しかし,生死となると,これまた話は違う。死は,測定上の価値の面でも,「絶対的」である。死んでしまえば「おしまい」だから。お金が増えてうれしいのも,勝ち負けも,その前提は「生きていること」だ。世論調査をみても,「最後はお金よりも健康」という声は多い。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 33-34

毛生え薬の変遷

髪の悩みあるところ,毛はえ薬あり。ヒポクラテスもハゲの治療薬を開発した。アヘンとバニラエッセンスを,ワイン,オリーブ,アカシアの汁などで作った軟膏に混ぜ合わせて塗りつけたのである。もっと深刻な患者には,クミン,ハトの糞,ビートの根,そしてわさびで作った湿布を処方した。月桂樹をかつら代わりにしてハゲを隠していたローマのカエサルは,そのハゲ頭を心配する愛人のクレオパトラからエジプトに伝わる軟膏をもらっている。その軟膏は焼いたネズミ,馬の歯,熊の脂,シカの骨髄で作られたものだった。同じくローマ時代の博物学者プリニウスはハゲを恥辱と感じ,ネズミの糞や,小ロバの小便とオミナエシ科のスパイクナードを混ぜ合わせたものに毛髪回復の力があると考えていた。
 特に臭いのきついものに回復能力があると考えられていたようだ。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 90-91

短期記憶と長期記憶

私や同僚たちがヘンリーを研究した数十年にわたって,ヘンリーは数唱課題では正常範囲の成績を維持した。結果として明らかになったのは,ヘンリーは重い記憶喪失に見舞われながらも,短いあいだなら数個の数字を記憶として復唱できるという,くっきりとした対比だ。このことからは,ヘンリーの短期記憶は損なわれておらず,彼の障害は短期記憶を長期記憶に変換する過程にあるらしく思われた。15分間の会話でモレゾン家の出自について同じ話を三度しても,彼は自分が何度も同じ話を繰り返していることには気づかない。ヘンリーの脳内では,情報をホテルのロビーに導くことはできるが,部屋にチェックインすることができないのである。
 この二種の記憶をはじめて区別したのは,有能な心理学者にして哲学者のウィリアム・ジェイムズだった。1890年,彼は頻繁に引用される二巻の傑作『心理学の諸原理』を著わし,その中で一次記憶と二次記憶について述べた。ジェイムズによれば,一次記憶は私たちに「いま起きたばかりのこと」を思い起こさせる。一次記憶の内容はまだ意識の中にあり,「いま現在」と考えられる時間範囲に入る。この文章を読んでいるとき,私たちは頭の中ですべての言葉をその瞬間瞬間に取り入れているだけで,積極的に過去から掘り起こしているわけではない。
 これに対して,ジェイムズが唱える二次記憶は,「そのとき考えてはいなかった出来事や事実の知識であり,過去にそれについて考えるか体験したという意識が付随している」という。こちらの記憶は「貯蔵庫に保存された無数の他の項目に埋もれて視界に入らない状態から,蘇生され,想起され,掘り出される」。二次記憶では,情報はすでにホテルのロビーをうろつかずに客室で休んでいるため,発見して取り出さねばならない。
 驚くことに,ジェイムズの記憶分類は彼自身の内観によって生まれたらしい。彼は実験を行なった心理学者と話をしたかもしれないが,彼自身は自分や他人に実験を行なってはいない。ところが彼がこの記憶分類を提唱すると,科学者たちはこれらの記憶過程を区別しようと研究室で行動実験を実施した。その結果,現在は短期記憶——ジェイムズの一次記憶——と,長期記憶——ジェイムズの二次記憶——と呼ばれる概念が生まれた。

スザンヌ・コーキン 鍛原多惠子(訳) (2014). ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯 早川書房 pp.85-86

10分の手術

モニスが成果を上げると,精神外科は人気を博すようになった。彼の施術は前頭葉切截術(ロボトミー)という新しい名称を与えられ,1930年代末から40年代にかけて広く行なわれた。この手技がこれほど歓迎されたのは,おもにモニスの弟子で,若くて野心に満ちたアメリカの神経学者ウォルター・フリーマンのおかげだった。有能な神経外科のジェイムズ・W・ワッツと共同で,フリーマンはモニスが開発した手法を1936年9月にはじめて実施した。不安とうつに苦しんでいたある中年の女性患者は,手術後には症状が和らぎ,世話が楽になった。それからの3年というもの,フリーマンとワッツはますますその数を増していく症例を各種の科学会議で発表し,この術法はメイヨー・クリニック,マサチューセッツ総合病院,ラヘイ・クリニックなど権威ある医療機関でもしだいに定着していった。
 フリーマンとワッツは施術の微調整を重ね,脳を持ち上げて目的の箇所にうまく到達するための新しい器具を作り,これをモニスのロイトコームに代えて使用した。このロイトコームの柄には彼らの名前が刻まれていたという。患者の症状次第では,前頭葉の対象領域に処置を行なうため,彼らはこめかみから器具を入れたりした。手術にはより過激なものもあった。経眼窩式ロボトミーと呼ばれる術式は,脳に入ってくる情報を伝える主要な部位である視床を破壊することによって,前頭葉の損傷を最小限にとどめようとするものだった。こちらの術式では,フリーマンは台所で見つけたアイスピックを目とその上の骨のあいだから脳まで差し入れた。この手法は10分もあればすみ,患者は歯医者の椅子に座ったままでいい。この手術の結果として,眼の周囲の黒あざ,頭痛,てんかん,出血,死亡といった合併症が生じた。ワッツはこの「アイスピック」を使う手技に術法としては賛同しなかったため,長きにわたったフリーマンとワッツの協力関係は終わりを告げ,この手技を採用するのはフリーマンのみになった。
 フリーマンが医師であった期間に行った手術数はすさまじい。彼は23州で3000人以上にロボトミーを施し,そのなかには成人の精神病患者のみならず,重罪人や統合失調症の児童もおり,うち1人はまだ4歳だった。フリーマンの患者の大半は女性で,なかでももっとも有名なのがローズマリー・ケネディである。ウェストヴァージニア州スペンサーで,彼が1日に25人の女性にこの手術を施したという記録があるが,真否は疑わしい。ヒポクラテスの誓いを立てたはずのフリーマンだったが,彼の関心は自身の手技にあり患者にはなかった。

スザンヌ・コーキン 鍛原多惠子(訳) (2014). ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯 早川書房 pp.50-51

チンパンジーから

1930年代になると,精神外科手術が広く行なわれるようになった。この分野の先駆者であるポルトガルの神経学者アントニオ・エガス・モニスは,精神疾患の生物学的治療法を確立しようと試み,のちにノーベル賞を受賞した。モニスが着想を得たのは,意外なことにイェール大学医学部の比較心理学研究室で行なわれた実験だった。ここの研究員たちは脳の前頭葉——額のすぐ後ろにある大脳皮質部位——の機能を調べるためチンパンジー対象に各種の実験を行なった。
 ある実験では,研究員たちは正常な前頭葉をもつ,ベッキーとルーシーという名のチンパンジーを対象に記憶実験をした。実験者は二個のカップのどちらかに食べ物を隠す。次に,チンパンジーとカップのあいだにスクリーンを下ろし,秒または分単位で時間を変えてその状態を維持する。スクリーンを上げたあと,チンパンジーはどちらかのカップを選び,選択が正しければ食べ物をもらえる。正しい選択をするなら,チンパンジーは食べ物がどこに隠されているかを覚えておく能力があることになる。ただ,ヒトと同じく,チンパンジーは個性や情動に個体差がある。ルーシーとは違って,ベッキーは実験そのものを毛嫌いし,協力しようとしなかった。彼女はかんしゃくを起こしたり,床に寝転がって糞尿をまき散らしたり,記憶課題がうまくいかないと不機嫌になったりした。研究員たちは,ベッキーは実験神経症—実験室で動物にきわめて難しい認知課題をさせると起きる異常行動—であると結論づけた。つまるところ,ベッキーは神経衰弱だったのだ。ところが,ルーシーはそのような極端な反応は見せなかった。
 複雑な行動に前頭葉が果たす役割を調べる実験では,研究員たちはベッキーとルーシーの前頭葉を除去した。術後は,どちらのチンパンジーも待ち時間が数秒を過ぎると記憶実験で失敗し,食べ物のありかを記憶するには前頭葉が必要であることを示した。他の認知行動には変化がなかったため,研究員たちはチンパンジーたちの失敗がいわゆる認知能力の破綻のせいではないことを承知していた。ルーシーは手術前と同じく実験に協力的だったが,ベッキーの行動はすっかり変わった。まったく予想に反して,ベッキーは課題に手早く熱心に取り組み,以前のような不機嫌な態度は鳴りをひそめた。そこで研究員たちは,彼女のノイローゼは前頭葉除去によって「平癒した」と結論づけた。
 この偶然の発見がモニスの目にとまった。ベッキーの例,および他の動物実験や数例の臨床報告は,ヒトの前頭葉組織破壊によって情動および行動異常を治療できるという十分な証拠になると彼は確信した。精神疾患患者が見せる異常な思考や行動は,前頭葉と他の脳領域を結ぶ配線の異常に端を発すると彼は考えた。そこで,これらの誤配線を切断すれば,ニューロンどうしが健全な連絡回路を形成し,患者は正常な状態に戻ると主張した。

スザンヌ・コーキン 鍛原多惠子(訳) (2014). ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯 早川書房 pp.47-48

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