I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

浣腸王国

フランス王ルイ11世はペットの犬に浣腸させ,ルイ13世は1年に212回の浣腸,215回の嘔吐療法,47回の瀉血を受けた。ルイ14世は浣腸王ともいうべき王様で,生涯で2000回,ときには1日4回の浣腸を受けた。たしかに効果はあったようだ——ルイ14世は72年間王位にあり,スペイン継承戦争をなんとか戦いぬき,封建制の名残りを一掃したのだから。
 ヴェルサイユの豪壮な宮殿で,侍女たち——浣腸剤をこっそり持ち出すことは厳しく禁じられていた——はご主人様のために浣腸剤を配合し,色や香りをつけるのだった。ご主人様の箪笥は特別注文の銀製肝腸管でふくらんでいる。肝腸管は紐のついたヴェルヴェットの袋に入っている。鋭い頭と健康的な肌のつやを保つため,王家につらなる人々は最低でも1日1回は浣腸するよう勧められていた。夕食後の寝酒がわりの1回は別として。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.126

顕微鏡で見えるのは内側

「イギリスのヒポクラテス」と呼ばれるトーマス・サイデンハムも顕微鏡にはまったく興味を示さず,解剖学にもほとんど関心がなかった。自然は決してその秘密を明かしてはくれないし,いずれにしても医学研究は「物の外側」だけに限るべきだというのが彼の見解だった。みずからも研究に顕微鏡を使った先駆者だったヤン・スワンメルダムも,神の御業をあまりに間近から見ることは,自然に対する人間の畏敬の念を減ずることにつながると考えた。そして彼も手を引いてしまった。
 構成の医学史家は,初期の顕微鏡は完成度が低く,あまり使い物にならなかったのではないかと主張した。この仮説の真偽をめぐり,1989年にレーウェンフックの9台の顕微鏡がテストされたが,どれも現代の初心者向けモデルに勝るとも劣らない性能であることが証明された。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.118-119

ノスタルジーという病気

1688年,不安感が世界中に広がり,郷愁がつのったあまり涙するということが多くの人に起こった。
 この感情のうねりを最初に発見したのはスイスの医師ヨハネス・ホーファーである。彼は,ベルンで学びながらも,ふるさとバーゼルが恋しくてたまらないという青年の治療に成功した。もうひとりの患者はベルンに出てきた田舎の少女で,激しく転倒して昏睡状態に陥っていた。目を覚まして見慣れないベッドに寝ていることに気づくと,彼女は両親に会いたいと言い続け「家に帰りたい。家に帰りたい」と訴えた。
 たまたま類似した出来事が続いたことから,「ノスタルジア」という新しい病名が生まれた。ノスタルジアとは「ふるさと」を意味するギリシア語の「ノソス」と「悲嘆」を意味する「アルゴス」から作られた言葉である。この病気は,1700年までには世界中の医師たちに受け入れられ,その原因と治療について医学書や医学雑誌で激しく議論されていた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.94-95

解剖ショー

死体でさえ舞台にあがることができた。16,7世紀,公開解剖の場に立ち会うのは,時代の最先端を行くお楽しみだった。チケットを手に入れた幸運な人々にとって,解剖の日はスピーチ,行列,音楽を楽しむ祝祭の日だった。1597年のイタリアの広告ビラには,リュート奏者と「陽気に騒ぎ,足を踏み鳴らす」観客たちの行列について書いてあった。
 高まる需要にこたえて,解剖「劇場」はヨーロッパ全土に広まった。解剖のラスベガス,イタリアのパドヴァでは,解剖学者のヒロエニムス・ファブリキウスが大いに人気を集め,もっと広い劇場を作る必要が生じたほどである。そうした劇場自体も上等の材木を使い,高価な装飾を施して入念に作られていた。案内係が秩序を保ち,チケットを持たずに来て,窓からのぞいたり柱の後ろから見たりする人々は,専門の係員によって追い出された。チケットを持つ人は,視察にきた高官でも医学生でも塩漬け魚の売り子でも,ユダヤ人でさえ歓迎された。
 観客は質問を許されていたが,大声で笑うことは遠慮しなければならなかった。よく見るために体の部分を観客にまわすこともあったが,土産に持ち帰ることは禁じられており,地域によってはべらぼうな罰金が科された。チケットの売上金は豪勢な宴会の費用になったり,死刑執行人への支払いに当てられたりした。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.91-92

似たものが効く

「特徴説」によれば,神の思し召しによりこの地上を災禍や病苦が襲うこともあるが,慈悲深い神はそれを癒やす秘密の手がかりを用意されており,時期が来れば手がかりが発見されて人は救われる。神からのこの尊い贈り物について,ある神学者は,神は人間に「みずから与え給うた病気を癒す術をくださった」と,感謝をこめて書いている。
 この説の中心となっているのは,病気になった体の部位に似た外見を持つ植物は,病人や医師が患部と植物の外見との類似に気づくことができれば,その病気を治すことができるという考え方である。たとえばクルミは「頭部の完璧な似姿であるから」頭痛を治すために神によって作られ,肝臓の形に似たスハマソウは肝臓の治療のために作られたのだ。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.83-84

見たら生む

『体内感応説』によれば,ジャンプする猫にせよお気に入りの絵画にせよ,妊娠中の女性が見たものは生まれてくる子供に刻印される。そして母親から胎児へ向かう感応は良いことではないのが普通だった。
 13世紀,ローマのある貴婦人が獣のような毛と鉤爪をもつ男の赤ん坊を産んだ。専門家は,この異形は居間に飾られていたクマの絵画を貴婦人がことさら愛でていたせいだとした。ローマ教皇マルティヌス4世は,クマの絵画や像をすべて破壊するよう命じた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.79

抜きすぎ

イングランド王チャールズ2世が1685年に突然亡くなったとき,廷臣たちは説明を要求した。王の侍従団はなんとか責任を逃れたいとの思いから,多くの日誌類を公表した。これらの記録は,王が当時としては最高の治療を受けていたことを明確に証明するものだった。
 2月2日,お目覚めの際,王は気分がすぐれなかった。髭剃りを中断し,1パイント(約500cc)の血液を採取。使者を出して精鋭の医師団を招集し,吸盤を使用してさらに8オンス(約240cc)の血液を採取。
 陛下に有毒の金属であるアンチモンを嚥下していただく。嘔吐される。一連の浣腸を実施。有害な体液を下降させるため,頭皮に発泡薬を塗布。
 下降した有害な体液を吸収するため,ハトの糞などの刺激物質を足の裏に塗布。さらに10オンス(約300cc)の血液を採取。
 気力回復のため砂糖飴を摂取いただいた後,灼熱した鉄棒で突く。その後「一度も埋められたことのない男—非業の死をとげたことは確認済み—」の頭蓋骨から滲出した液を40滴投与。最後に西インドのヤギの腸から採取した砕石を王の喉に押し込む。
 チャールズ王は1685年2月6日に亡くなった。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.68

尿うがい

ヤギの尿でうがいをするのは,うっかりヒルを飲み込んでしまった人の治療法のひとつだった。それでうまく行かなかったら,水をのむのをやめてヒルを水不足にする。そこですかさずブロンズの管を喉に押し込む。続けて灼熱した鉄を管に押し込む。そして最後によく冷えた水をグラスに入れて患者の前に置く。そうして水欲しさにヒルが出てきたところを引っつかむのである。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.62

歯痛に瀉血

歯痛には瀉血が勧められた。神経を酸や熱した鉄で焼いて,溶かした金の液ですすぐ方法もあった。「虫歯の虫」は,患者の口の中に火をつけたろうそくを入れたり,薔薇を燃やした煙でいぶしたりして追い出した。耳の後ろの皮膚を燃やす方法を勧めることもあった。
 無理もないことだが,中世の人々は歯医者へ行かずにすむためなら何でもした。歯を清潔にする「噛み小枝」は広く使われていたし,爪楊枝も普及していた。遅くとも中世末期には,裕福な家庭では家族全員が共用する歯ブラシがあったようだ。もっともブラシの豚毛がとれて喉に入ることもあったようだが。ある女医が12世紀に書いた一連の本『トロトゥーラ』では,女性は「口がにおう」のを防ぐために,上等のワインで口をすすぐようにとアドバイスしている。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.52

恋の治療

恋の病を治療するには何がいちばんいいか。高名な医師たちは7世紀までこの問題について論争を続けていたが,脳の水分を十分保つことが肝要だという点では一致していた。必要な水分を与えるため,医師は恋の病を訴える男性に,愛する人の経血を含んだ布の匂いを嗅いだり,彼女の便を燃やした臭い煙を吸い込んだりさせた。
 その200年後,ペルシアのアル・ラーズィーが恋の病の進行を非常な精密さで書き記した。まず患者の目がうつろになる。次に舌にできものが生じ,それから体が縮こまる。病人はわけの分からないことを言ったり,水疱が吹き出したりする。末期になり,いよいよ命運尽きた患者はオオカミのような吠え声を発し,死んでしまう。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.47-48

液体の窓

中世になると,「液体の窓」とも呼ばれた尿は,人体の秘密を真に解き明かす唯一の鍵だと信じられるようになっていた。中世の医師は,採取した尿を明るい日なたでじっくりと3回ながめ,その色が黄色か緑か赤か紫か,はたまた腹の中にとどまりすぎて黒くなっているかを見極めた。それから風や天候や惑星の配列も考慮に入れて,患者の健康状態を判断するのである。いちばん正しい結果が得られるのは,人間の膀胱の形をして高価な宝石で装飾されたフラスコに入れた尿だった。
 何だかんだ言っても,尿を調べることで実際に患者の体に触れること,あるいは見ることさえしないで診断が下せるというのは,医師にとって好都合だった。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.43

まれな治療法

これから記すのは例外で,普通に行われていたことではない。アルブカシスは傷の治療のため,切り裂いたカエル,切り刻んだカニ肉とトカゲで軟膏を作った。傷を縫合するためにジョン・オブ・マーフィードはクモの糸を使った。アルブカシスは,飢えたサスライアリに腸の傷口を噛ませ,その頭部だけを残すことで縫合を行った。この3つの治療方法はすべて効果があったそうで,アリを使う方法は今もある。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.41

治療より学問

中世の医師はみな,古い時代の医療や書物を崇め奉っていた。特に崇拝されていたのがヒポクラテスとガレノスである。彼らの著作には,時代を越えてすべての医師が知っておくべき医療のすべてが記してあると信じられていた。医学理論は古代から一歩も前進しないままだった。
 中世の医師はとりわけ学問を重んじ,実践を見下していた。彼らの仕事は患者にああだこうだと蘊蓄を傾けることで,治療することではないのだった。伝染病であろうとなかろうと,患者の体に触れるのは避けるべきだとされていた。
 実際,中世の医師は口先でうまいことを言うのは得意だった。12世紀の著作家ソールズベリーのヨハネスは「彼らが熱弁を振るうのを聞くと私はうっとりしてしまい,彼らは死人を起こすことさえできると信じそうになる。私がそれをためらう理由はただひとつ,さっき言ったことと今言ったことが食い違っているからだ」と書いている。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.28-29

毒を盛るな

医師の倫理規定である「ヒポクラテスの誓い」には,医師が人に毒を盛ることをわざわざ禁ずる項目がある。これは私たちの目には奇異に映るが,ローマ人にとってはそうではなかった。ローマ人は医師は好きではなかったが毒は好きだったし,毒の使い方をよく知る医師も重宝されていたのだ。ローマの上流階級の人々を鋭く観察していた詩人ユウェナリスは,何かを得ようと思うものは誰でも毒殺の名手でなければならないと書き,その証拠として,ある女性の失敗をあげている。彼女は夫を毒殺しようとしたが,夫があらかじめ解毒薬を飲んでいたため,結局刺殺しなければならなかった。もちろん,妻に毒を盛った夫もたくさんいたし,母親たちは恩知らずの子供を毒殺したものだった。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.26

ヒポクラテスの頭蓋開口術

より深刻な頭部の傷や頭蓋骨折に対しては,ヒポクラテスは「頭蓋開口術」を行った。患者を椅子に座らせ,錐やのみを使って頭蓋骨に穴をあけるのだ。摩擦熱で工具が熱くなるため,冷水を入れたバケツが近くに置いてあった。穴の周囲と骨の破片をきれいにして元にもどすと,墨汁かハトの血で隙間をふさいだ。この手術をしなければ死んでいたはずの患者が回復することも多かったらしい。
 それに比べると,てんかんについてのヒポクラテスの見解はあまり実用的ではない。彼は,てんかんは脳が溶け,心臓の中の粘液が固まって起こると考えていた。子供の脳は特に溶けてぐちゃぐちゃになりやすく,日なたや火の近くに長時間たっていると一層溶けやすいということだった。さらに,精神病の原因は脳がふやけることだと信じており,胆汁が過剰な人は興奮しやすく,粘液質の人はむっつりして引っ込み思案だと考えていた。ガレノスは,脳を「粘液の大きな塊」と呼んだこともあったが,脳の神経のいくつかは意志の力を運ぶために硬いと考えた。これがよく言われる「鋼鉄の神経」である。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.18-20

「投げ落とす」

ひどい背骨の湾曲に対するギリシア人の治療法——高い建物から患者を投げ落とす——は,ヒポクラテスの目から見てもさすがにちょっと直截的すぎたかもしれない。

 はしごに布を当て……患者をその上に寝かせ……腕と手を縛りつける……はしごを高い塔か家の屋根の端まで運び上げ……落としなさい。

 この極端な治療法についてヒポクラテスは「はしごでまっすぐになった患者などひとりもいない……こんな方法をとる医者は……みんな大馬鹿だ」と書いている。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.17-18

専門医

王族など一部のエリートは「肛門の保護者」や「腹部の医師」などと呼ばれる専門医をかかえていたが,そうした人々にとってさえ古代エジプトで生きるには多くの困難があり,あまり長生きはできなかった。バビロニア同様,ここでも医師にできることはあまりなかった。せめてもの慰めは癌で苦しむ人が少なかったことだが,これも癌にかかる年齢まで生きる人が少なかったからにすぎない。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.13

四体液説

とはいえ,偉大なるヒポクラテスも大きな間違いを犯すことがあった。何より重大な間違いは,病気は「四体液(血液,黒胆汁,黄胆汁,粘液)」のバランスが崩れることで起こると信じていたことで,この説は19世紀にいたるまで医師とその患者につきまとうことになる。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.9-10

GIGO

コンピュータはとにかく計算が速い。しかも誠実だ。疲れ知らずで,感情的にもならないし,途中で分析方法を変えたりもしない。
 しかし,だからといってコンピュータが完璧な予測をするということにはならない。人間より正確に予測ができるかどうかもわからない。GIGO(garbage in, garbage out=ゴミを入れればゴミしか出てこない)という単語がこの問題を要約している。お粗末なデータをコンピュータに入力したり,意味のない指示を入れたところで,いい結果は出ない。わらを紡いでも金にならないのと同じである。また,コンピュータは戦略を練ったり,世界がどう動くかについての理論を構築するといった,創造性や想像力を必要とするタスクを得意としない。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.316

心臓疾患とベイズ

フラミンガム心臓研究のような長期にわたる研究は,さまざまな変数が発病リスクに単一ないしは合同で及ぼす影響を調べるように設計される。従来疫学者たちは,結果として得られる多重クロス分類のアレイを念入りに調べて——コーンフィールドによれば「熟慮して」——データを検討してきた。たとえば,3つのリスク因子がそれぞれ「低い」,「中程度」,「高い」の3つのいずれかに人々を分類する場合には3×3のシンプルなマス目ができる。ところが変数の数が増えて,しかもそれらの単独の影響だけでなく複合的な影響も考えるとなると,「熟慮」すべきマス目の数はすぐにふくれあがって手に負えなくなる。10のリスク因子をそれぞれ「低い」,「中程度」,「高い」のレベルに分けて行うクロス分類の研究では,検討すべきマス目の数は5万9049[3の10乗]個になる。そこで1つのマス目に10名の患者をあてるとすると,フラミンガムの全人口を上回る60万人の群(コホート)が必要になる。
 ここでコーンフィールドは,「単純な調査ではなく,より探究的な形の分析」が必要だということに気がついた。それには,観察したことを要約するための数理モデルを開発しなくてはならない。そこでコーンフィールドは,心臓血管疾患による死亡率を事前の知識としてベイズの法則を使うことにした。フラミンガムの研究からは心臓疾患で死んだ人とそうでない人の2つのグループに関するデータが得られていた。各グループの,7つのリスク因子に関する情報が手に入っていたのだ。そこでベイズの法則を使って計算したところ,ロジスティック回帰関数の形をした事後確率が得られたので,それを使って心臓血管の疾患のもっとも重要な4つのリスク因子を突き止めた。それによると,年齢そのものはさておき,問題なのはコレステロールと喫煙と心臓の異常,そして血圧だった。

シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.215-216

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