I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

ほとんどが異常に

近ごろの医学では,何でも病気にしてしまう傾向がある。これは現代社会が抱える大きな問題だ。たしかに運動をすれば病気や若死にのリスクが減るというのは事実であり,それを裏づける信頼できる調査結果も存在する。運動をすれば太りすぎが解消されたり血圧が下がったりして,それが健康につながるからだ。
 そこで医学界は,正常と異常をわける基準を作り出した。たとえば血圧という数字は,病気を決める基準になりうる。たしかに血圧が高いほど心臓病や脳卒中のリスクが高くなるからだ。そのため正常値とされる数字がどんどん低くなる傾向にあり,最近では上が120で下が80が正常で,それより高い数字は高血圧だと主張する専門家までいるほどだ。
 かつては,血圧の上が160以上になると危険なサインと考えられていた。それがいつしか150以上になり,次に140以上の時代が長く続くことになる。そしてついに,130か120を超えると血圧を下げる薬を出されることもある時代に突入した。「高血圧」という新しい病気の誕生だ。
 もちろん,非常に高い血圧を下げることで,助かった命がたくさんあることは間違いない。実際,高血圧の治療は,現代医学がなしとげた大きな勝利の1つでもある。とはいえ,最近の風潮は少し行きすぎではないだろうか。もはや病気の治療というよりも,新しい病気を生み出していると言ったほうが近いかもしれない。
 何かおかしなことが起きているようだ。すべての人に理想的な数字を押しつけるということは,つまり大多数の人が「異常」に分類されてしまうことでもある。ほとんどの人が異常になるという状況は,やはり何かが間違っていると言わざるをえないだろう。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.142-143

無菌状態

20世紀初頭の医学会では,超がつくほど清潔で,無菌状態で覆われた赤ちゃんが病気予防上の理想とされており,それ以上を望むなら安全な子宮へ戻すしかないと言われていた。ドイツでは医師のマーティン・クーニーが,未熟児のためにガラス製の保育器を開発した。彼の「子ども孵化器」には,製造業者も医者も興味を持った。当時,未熟児はいずれ死んでしまうのが常だったので,親の多くは子どもを手放し,医者に渡していたのである。そうした医師はクーニーに未熟児を譲り渡すようになった。保育器を宣伝するために,クーニーはガラス製の箱に入った赤ちゃんをずらりと展示する世界ツアーに乗り出し,手始めにイギリス,それからアメリカへと向かった。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.55

死にゆく場所

いつの時代もそうだった。18世紀のヨーロッパの記録がそれを物語っている。フィレンツェにあったオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(無垢の家)という孤児院では,1755年から1773年の間に1万5000人以上の赤ちゃんが収容されたが,1回目の誕生日を迎えるまでに3分の2が死亡した。同じころのシチリアでは,あまりに多くの孤児が死ぬので,孤児院の門に「ここでは子どもたちが公費で殺されている」という標語を彫刻すればどうか,と近隣のブレシアの住民が提案している。19世紀のアメリカの孤児院の記録からも同様のことが読み取れる。たとえば,ニューヨーク州バッファローにあった,寡婦や孤児や乳幼児を保護する聖メアリー救護院の記録によれば,1862年から1875年の間に2114人の子どもが収容されたが,半数以上の1080人が到着から1年以内に死亡している。生き延びた子どもの大半には,母親が一緒にいた。「子どもたちを養育するために,シスターたちは食べものを与え,換気し,清潔にするなど,可能なかぎり注意を傾けて世話をした。しかし,大半の子どもたちは死んでしまった」

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.51-52

医師免許のあるなし

医者のなかには,医者以外の医療職などを下にみる人が多い。看護師や薬剤師,臨床検査技師などに横柄な態度をとる医者は多い。同じように,医者にとって,医師免許のない研究者は,身分が下の使い勝手のよい労働力となる。
 それが証拠に,どんなに業績があっても,医師免許のない研究者を出世させない教授も多い。医学部などで医師養成教育に携わるのは医者でなければならない,という論理はもっともらしい。けれど,それは事実上身分の差をつけていることになるのではないか。
 また,医者は医者ではない研究者のキャリアの現状を理解できない。ある大学の医学部出身の学長が,ポスドクの就職難の問題のことを「詳しくは知らない」と言っている場面に遭遇したことがある。医者は条件を選ばなければ,職にあぶれることはない。だから,若手研究者の就職状況が厳しいことをあまり理解できないのだ。
 だから,ピペドとして搾取されるだけされて,置かれている厳しい状況を理解もされず,指導もされず,そして,キャリアアップの講座への出席が許されないなど配慮もされず放り出される医学部や医者が主催者の研究室のピペドは,上司が医者でないときよりも深刻な状況に陥る。

榎木英介 (2014). 嘘と絶望の生命科学 文藝春秋 pp.41

旋回病

旋回病は,発生地であるヨーロッパから誤って持ち込まれた。1958年にデンマークからペンシルヴェニア州のある養殖場に輸入された魚が,後日,この病気に感染していたと判明したのだ。現在,この病気はアメリカ西部のほぼ全域に広がっている。鳥を媒介とする感染経路もあるが,感染した魚が(公共機関,私設の養殖場を含め)人間の手で湖や河川に放流されたことが大きい。この寄生虫は,いったん水域に入り込んでしまうと根絶が不可能になる。この病気が原因で,モンタナで最も有名なマスの棲処マディソン川では,1994年までにニジマスの個体数の減少率が90パーセントを超えてしまった。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社

健康という目標

健康は,世界的に見ると文化によって表され方は多少違っても,普遍的に(不完全にせよ)理解され望まれる,何より大事な目標であり続ける。だが,この健康という理想がいつも私たちから抜け落ちているように思われるのは,なぜか?誰がどこでとか,糞問題と地域の飢餓とか,赤ん坊か老人かとか,気候変動かやりがいのある仕事かというような細かい問題に引き戻されてしまうのだろうか?
 旧来の技術的・科学的な知は,目的にどう達するかは関係ないと私たちに思わせるかもしれない。問題なのは分析と技術的な処置だけだと。それでも私たちはたいがい,この考えがうまくいかないことを知っているのだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館

ジアルジア

ジアルジアが引き起こす病気は軽いものではなく,下痢,鼓腸,腹痛,食欲減退などを伴う。その治療自体も楽なものではない。「国境なき医師団」カナダ支部の事務局長で獣医師のエリン・フレーザーは,ホンジュラスで小規模養鶏の調査をしていた。私が彼女の住む辺鄙な村を訪ねたとき,エリンはほとんど消耗しきっているようだった。おそらくジアルジア症だろうとエリンは言った。そして治療もやはり手荒なものと聞いていたので,何とか「乗り切る」つもりだった。健康な人ではたいてい,ジアルジアは「自己限定的」——しばらくすると自然に消滅する病気を表すのに獣医や医者が使う面白い言い回し——だろうと。でもそれならすべての病気は自己限定的じゃないだろうか?それどころか私たちも自己限定的じゃないだろうか?エリンの指導教官として,私は正直なところ少なからず心配だった。だが彼女は切り抜けることができた。
 この病気は「ビーバー熱」と呼ばれてきた。野生のビーバーが持っていることがある——イヌや,ネコや,ウシや,子どもと同様に——のが知られているからだ。「ビーバー熱」という言葉は元々,ハイカーが山の渓流の澄んだ水を飲んで発病したことから造語されたものだ。おそらくビーバーの糞便で水が汚染されていたのだろうと。ほとんどの人は保育園に通う子どもからこれを移される。この年頃の子どもたちは,うんちのあとで手を洗うとは限らないからだ。保育園は大人にとってA型肝炎の大きな感染源でもある。これもまた糞口感染する病気で,北米で拡大を続けている。A型肝炎の影響は,機能免疫系が感染した細胞を攻撃することで引き起こされるが,子どもは免疫系が完全に機能していないので,A型肝炎ウィルスは子どもには必ずしも害を与えない。だが子どもたちがそれを家に持ち帰ると,ママやパパが重症になることがある。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.98-99

ジレンマ

水泳は体の線をなめらかにし,確実に脂肪を燃焼してくれるけれども,体重減少に直接役に立ちはしない。インディアナ大学運動療法学科の副学長ジョエル・ステイガー博士によると,それは「体重減少は効率,すなわち行った運動量をその運動の代謝コストで割ったものが問題」だからなのだ。「ところが,体重を落とさなければならない大半はあまりに太っていて,効果が出るほど長い距離を泳げない。反対に,上手に泳げる人ほど効率のよい泳ぎをしているので,代謝運動の量は少ない。つまり,もし体重を減らすために泳いでいるとすれば,泳ぎが上達することは,むしろ目的を頓挫させているのです」。浮力のせいですよ,と彼は言う。「浮力がスイミングのエネルギー消費を減らしているのです」。それはジレンマだが,ステイガー博士は気にしない。体重は体型の重要な指標にはならないと指摘する。筋肉は脂肪より重いというのが,その大きな理由である。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.70-71

触れずに診察

19世紀の医師は,女性の患者に触れることはもちろん,間近に見ることさえ躊躇していた。「検査」とは,きちんと衣服を身につけた女性がゆったりした椅子に腰かけて自分の病気について語り,医師はその女性の「顔つきや全体の雰囲気を観察する」ものだった。体に手を当てるなどもってのほか,ほんの一瞬軽く触れることさえあってはならないことだったが,体温を測ったり脈を取ったりすることは許されていた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.205

それも病気

1851年の『ニューオーリーンズ・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナル』で,コレラの研究で名高いサミュエル・カートライト博士は新種の疾患「ドラペトマニア(家出狂)」を発見したと報告した。その主な症状は「逃亡という多くの黒人が行うやっかいな行動」だった。それと関連する疾患「ディザエステジア・アエティオピカ(怠惰病)」は過度の自由が原因だと考えられた。
 南部の医師たちの多くは,黒人は痛みを感じるとしてもごくわずかだと信じていた。1854年の『ヴァージニア・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナル』に,ある医師が奴隷の肺炎を治療するため,奴隷の背骨に20リットル近い熱湯をかけたと書いている。この医師は,治療が「いくぶん感覚を呼び覚ましたらしく,奴隷は叫び声をあげようとした」ことに驚いた。『メンフィス・メディカル・レコーダー』は「奇妙な特性」に関する記事で,アフリカ系アメリカ人は聴覚,視覚,嗅覚は優れているが,痛みの感覚は非常に弱いと決めつけている。「彼らは驚くべき従順さで,ときには陽気にさえ見える態度で鞭打ちに耐える」ということだ。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.194-195

不遇

1846年にゼンメルヴァイスがウィーン中央病院の主任研修医になったとき,この病院で子供を産んだ母親があまりにも早く,またしばしば死んでしまうため,賢明な母親たちは自宅での出産を選ぶようになっていた。
 病院で亡くなった母親が分娩室から遺体安置所へ運ばれるとき,遺体には「どろりとしたミルク」がぎっしり詰まっていることが多かった。今ではこの「ミルク」が感染による膿だとわかっているが,当時は病院を雲のように覆う「霊気」あるいは「大気の作用」によって生じると考えられていた。
 ゼンメルヴァイスは細菌についての知識はなかったが,午前中に死んだ母親を解剖した同じ医師が,そのあと手などを洗浄することなく,午後には新しい赤ん坊をとりあげることは知っていた。そして患者たちを殺しているのは謎の霧などではなく,医師たち自身なのではないかという疑いをいだいた。
 ゼンメルヴァイスは手の洗浄を行うよう訴えたが,医師たちは不愉快そうに拒否した。年長の権威ある医師たちにとって,血の染み付いた薄汚れたスモックを着て,いわゆる「病院臭」をぷんぷんさせならが歩くことは彼らの誇りだったのだ。
 旧来のやり方に固執しない若い研修医たちが手の洗浄を実行し始めると,母親が死ぬことはなくなった。しかし病院の古参の医師たちと『ウィーン・メディカル・ジャーナル』誌はゼンメルヴァイスを町から追い出し,また多くの母親が死んだ。
 1865年,ゼンメルヴァイスは拘束服を着せられ,幽閉された。彼はおそらく感染が原因で死亡し,やっと病室を出たのだが,彼の母国であるハンガリーの医師会は彼の死亡記事と略歴を掲載することを拒否した。彼の悲しくみじめな最期は,いかにも彼がずっと気が狂っていたことを示すかのようだった。
 現在,ゼンメルヴァイスの家は博物館になっている。オーストリアのコインのひとつには彼の肖像がついている。そしてウィーンの女性たちはゼンメルヴァイス・クリニックで安全に出産している。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.169-171

水銀薬

アブラハム・リンカーンは「うつ病」だった。医師や歴史家は,19世紀の医師がうつ病を含むあらゆる病気に効くとして処方した「青汞丸」をリンカーンが飲んでいたと考えている。この丸薬には神経毒である水銀が含まれていた。普通に1日2,3回飲んでいたら,今日考えられている許容量の1万倍もの水銀を摂取していたことになる。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.163

それでも血を抜く

1799年12月13日,ジョージ・ワシントンは喉がとても痛いと訴え,翌朝には呼吸が苦しくなった。彼は嫌がる召使いに無理やり500ccほどの血を抜かせた。「怖がることはない……もっと,もっとだ」。そこへ選りすぐりの名医が3人到着した。第1の医師は,甲虫の分泌液を乾燥させて作った発泡剤を使ってワシントンの皮膚に水疱を作り,1か所600ccずつの瀉血を2か所で行った。そして念のためさらに1200cc瀉血した。
 次の医師は960ccの血を採った。結局10時間ほどの間に合計4リットル近くの血がとられた。これはワシントンの体内にあった血液のほぼ半分である。午後10時10分,ワシントンは死亡した。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.162-163

それでも血を出すか

1830年代には,血友病は血液が凝固できないという損傷のせいで起こることを専門家が突き止めていたが,医師はこの単純な事実を75年間も見逃していた。その間,血友病患者は,ちょっとした不便を解消するための手術——たとえば膝の手術——を勧められては,それが命取りになることもあったのである。
 多くの医師は,患者に出るだけの血を出しつくさせるのがいちばんいいと考えていた。「血が止まらない患者を治療するいちばんいい方法のひとつは放っておくことだ」とある主要医学誌は書いていた。ある病院は,したに切り傷を負った3歳の少年にまさにその方法をとった。「彼の口から血が噴き出た……出血は7日間続き,少年は蝋人形のようになった……」。そして少年は死んだ。
 もっと積極的な治療を試みた医師もいた。有名なパリのサルペトリエール病院の医師たちはある血友病患者の肛門に25匹のヒルを吸い付かせた。この患者も命を落とした。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.152-153

大量のヒル

フランス人は1年に400万匹のヒルを消費していたので,多くの医師はヒルの絶滅を恐れていた。需要に応じるため,女性たちはヒルがうようよする池に入り,足に吸い付かせた。
 プロのヒル売りが病院を巡回し,各地の薬局は1樽いくらでヒルを販売していた。イギリスの有名な司法改革者サー・サミュエル・ロミリーは2匹のヒルをペットとして飼育していた。毎日「食事」を与え,名前もつけていたということだ。
 ある医師はヒルに絹糸をつけ,患者の喉の奥に下していった。ヒルが血を吸って重くなると,魚を釣るように糸を巻き上げた。男性の睾丸から血を抜くときは,数日の治療期間で100匹以上のヒルを使った。イギリスの偉大な外科医アストレー・クーパーの報告によると,多くの男性は,ヒルが鼠径部に吸い付くのは不快だとしてランセットによる瀉血を選んだ。
 肛門にヒルを吸い付かせることもよくあった。しかしその場合は,患者が異常な収縮や痙攣を起こすことがないよう注意が必要だった。1818年,ウィリアム・ブラウン博士は,座面に穴があり下にバケツを置いた椅子を使うよう提案している。博士はヒルを首の長いびんに入れて患部に向かわせた。オズボーン博士は溝のついた棒をしっかり上向きに押し込む方法を推奨している。彼はその棒に装飾的な皮革製の柄をつけていた。
 子宮の病気,性的興奮,そして「イライラ」全般の軽減のために,主な教科書や雑誌類は膣へのヒル使用を勧めていた。イングランドでは「それなりの地位」の男性は,2週間に1回は奥方にヒル治療をさせていた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.147-148

速さ勝負

19世紀の外科医は手術をする際,学生にストップウォッチを持たせた。スピードは彼らの誇りだったが,急ぐのは腕を見せびらかすためだけではなかった。過ぎていく1秒1秒がショックや感染のリスクを高め,麻酔以前の時代には血も凍るような悲鳴を長引かせたのだ。優秀な外科医は片脚を90秒で切断できた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.145

浣腸王国

フランス王ルイ11世はペットの犬に浣腸させ,ルイ13世は1年に212回の浣腸,215回の嘔吐療法,47回の瀉血を受けた。ルイ14世は浣腸王ともいうべき王様で,生涯で2000回,ときには1日4回の浣腸を受けた。たしかに効果はあったようだ——ルイ14世は72年間王位にあり,スペイン継承戦争をなんとか戦いぬき,封建制の名残りを一掃したのだから。
 ヴェルサイユの豪壮な宮殿で,侍女たち——浣腸剤をこっそり持ち出すことは厳しく禁じられていた——はご主人様のために浣腸剤を配合し,色や香りをつけるのだった。ご主人様の箪笥は特別注文の銀製肝腸管でふくらんでいる。肝腸管は紐のついたヴェルヴェットの袋に入っている。鋭い頭と健康的な肌のつやを保つため,王家につらなる人々は最低でも1日1回は浣腸するよう勧められていた。夕食後の寝酒がわりの1回は別として。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.126

顕微鏡で見えるのは内側

「イギリスのヒポクラテス」と呼ばれるトーマス・サイデンハムも顕微鏡にはまったく興味を示さず,解剖学にもほとんど関心がなかった。自然は決してその秘密を明かしてはくれないし,いずれにしても医学研究は「物の外側」だけに限るべきだというのが彼の見解だった。みずからも研究に顕微鏡を使った先駆者だったヤン・スワンメルダムも,神の御業をあまりに間近から見ることは,自然に対する人間の畏敬の念を減ずることにつながると考えた。そして彼も手を引いてしまった。
 構成の医学史家は,初期の顕微鏡は完成度が低く,あまり使い物にならなかったのではないかと主張した。この仮説の真偽をめぐり,1989年にレーウェンフックの9台の顕微鏡がテストされたが,どれも現代の初心者向けモデルに勝るとも劣らない性能であることが証明された。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.118-119

ノスタルジーという病気

1688年,不安感が世界中に広がり,郷愁がつのったあまり涙するということが多くの人に起こった。
 この感情のうねりを最初に発見したのはスイスの医師ヨハネス・ホーファーである。彼は,ベルンで学びながらも,ふるさとバーゼルが恋しくてたまらないという青年の治療に成功した。もうひとりの患者はベルンに出てきた田舎の少女で,激しく転倒して昏睡状態に陥っていた。目を覚まして見慣れないベッドに寝ていることに気づくと,彼女は両親に会いたいと言い続け「家に帰りたい。家に帰りたい」と訴えた。
 たまたま類似した出来事が続いたことから,「ノスタルジア」という新しい病名が生まれた。ノスタルジアとは「ふるさと」を意味するギリシア語の「ノソス」と「悲嘆」を意味する「アルゴス」から作られた言葉である。この病気は,1700年までには世界中の医師たちに受け入れられ,その原因と治療について医学書や医学雑誌で激しく議論されていた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.94-95

解剖ショー

死体でさえ舞台にあがることができた。16,7世紀,公開解剖の場に立ち会うのは,時代の最先端を行くお楽しみだった。チケットを手に入れた幸運な人々にとって,解剖の日はスピーチ,行列,音楽を楽しむ祝祭の日だった。1597年のイタリアの広告ビラには,リュート奏者と「陽気に騒ぎ,足を踏み鳴らす」観客たちの行列について書いてあった。
 高まる需要にこたえて,解剖「劇場」はヨーロッパ全土に広まった。解剖のラスベガス,イタリアのパドヴァでは,解剖学者のヒロエニムス・ファブリキウスが大いに人気を集め,もっと広い劇場を作る必要が生じたほどである。そうした劇場自体も上等の材木を使い,高価な装飾を施して入念に作られていた。案内係が秩序を保ち,チケットを持たずに来て,窓からのぞいたり柱の後ろから見たりする人々は,専門の係員によって追い出された。チケットを持つ人は,視察にきた高官でも医学生でも塩漬け魚の売り子でも,ユダヤ人でさえ歓迎された。
 観客は質問を許されていたが,大声で笑うことは遠慮しなければならなかった。よく見るために体の部分を観客にまわすこともあったが,土産に持ち帰ることは禁じられており,地域によってはべらぼうな罰金が科された。チケットの売上金は豪勢な宴会の費用になったり,死刑執行人への支払いに当てられたりした。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.91-92

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS /  /