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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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不遇

1846年にゼンメルヴァイスがウィーン中央病院の主任研修医になったとき,この病院で子供を産んだ母親があまりにも早く,またしばしば死んでしまうため,賢明な母親たちは自宅での出産を選ぶようになっていた。
 病院で亡くなった母親が分娩室から遺体安置所へ運ばれるとき,遺体には「どろりとしたミルク」がぎっしり詰まっていることが多かった。今ではこの「ミルク」が感染による膿だとわかっているが,当時は病院を雲のように覆う「霊気」あるいは「大気の作用」によって生じると考えられていた。
 ゼンメルヴァイスは細菌についての知識はなかったが,午前中に死んだ母親を解剖した同じ医師が,そのあと手などを洗浄することなく,午後には新しい赤ん坊をとりあげることは知っていた。そして患者たちを殺しているのは謎の霧などではなく,医師たち自身なのではないかという疑いをいだいた。
 ゼンメルヴァイスは手の洗浄を行うよう訴えたが,医師たちは不愉快そうに拒否した。年長の権威ある医師たちにとって,血の染み付いた薄汚れたスモックを着て,いわゆる「病院臭」をぷんぷんさせならが歩くことは彼らの誇りだったのだ。
 旧来のやり方に固執しない若い研修医たちが手の洗浄を実行し始めると,母親が死ぬことはなくなった。しかし病院の古参の医師たちと『ウィーン・メディカル・ジャーナル』誌はゼンメルヴァイスを町から追い出し,また多くの母親が死んだ。
 1865年,ゼンメルヴァイスは拘束服を着せられ,幽閉された。彼はおそらく感染が原因で死亡し,やっと病室を出たのだが,彼の母国であるハンガリーの医師会は彼の死亡記事と略歴を掲載することを拒否した。彼の悲しくみじめな最期は,いかにも彼がずっと気が狂っていたことを示すかのようだった。
 現在,ゼンメルヴァイスの家は博物館になっている。オーストリアのコインのひとつには彼の肖像がついている。そしてウィーンの女性たちはゼンメルヴァイス・クリニックで安全に出産している。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.169-171
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