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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

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石鹸

 シンプルで,測定可能で,効果が拡散する。これらの必要条件を満たしている,私のお気に入りの研究をもう1つ紹介しよう。パキスタンの大都市カラチのスラム街に住む子供の死亡率の改善を目指している慈善団体「HOPE」と,アメリカ疾病予防管理センター(CDC)との共同プログラムだ。カラチには,400万人以上が非常に込み入った状態で暮らしている。道には汚水が流れ,汚染されていない飲み水などほとんどない。貧困と食糧不足のせいで子供の3割から4割が栄養失調だ。子供の10人に1人は5歳になる前に亡くなる。下痢と急性気道感染症が主な死因だ。
 問題は多様で根深かった。水道も汚水処理のシステムも不充分なうえ,教育が不足しているので基本的な健康や衛生の知識がない。地元の企業への投資がもっとあれば,雇用が増えて,人々が生活環境を改善できる。だが,腐敗した官僚政治と不安定な政情がそれを阻害していた。世界的に農作物の価格が低く,農業で生計を立てるのは無理なので,数十万人が仕事を求めて田舎から押し寄せ,都市はますます混雑した。政府と社会を一新しないと,子どもの健康を向上させるのは無理に思えた。
 だが,CDCの若き職員,スティーブン・ルービー氏には1つのアイデアがあった。彼はネブラスカ州のオマハで育った。彼の父はクレイトン大学の産婦人科の主任教授で,彼自身もテキサス大学サウスウェスタン医学部を卒業した。彼は昔から公衆衛生に興味を持っていたので,サウスカロライナ州の疫病を調査するCDCの仕事に就いたが,CDCのパキスタン事務所に空きができるとすぐに志願した。学校の先生をしていた妻と一緒にカラチに移り,調査を始めたのは90年代後半のことだった。
 彼は私にこう語った。
 「もしも僕の故郷のオマハのような水道と下水処理のシステムがあれば,問題は解決されるだろうね。でも主要なインフラを作るのには十年単位の時間が必要なんだ」だから彼はシンプルな解決策を探し,同僚に笑われてしまうほど地味な答えにたどり着いた。石鹸だ。
 ちょうどその頃,一般消費財メーカーのプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)がセーフガードという抗菌石鹸の有効性を示したがっていた。それを知ったルービー氏は,P&Gと交渉し,研究の予算と,抗菌剤入りと抗菌剤なしの石鹸をそれぞれ数箱もらえることになった。同僚たちには懐疑的な目で見られたが,彼はそれをものともしなかった。次に,カラチのスラム街の家庭を無作為に25か所選んだ。HOPEの職員は,各家庭に石鹸を週1回配り,6つの状況で石鹸を使うように奨励した。1日1回体を洗う時,排便の後,子供のお尻を拭いた後,食事前,料理をする前,食事を幼児などに与える前に,そして各家庭の子供の病気の発生率を追った。比較対象として,石鹸を与えていない11家庭のデータも集めた。
 ルービー氏たちは結果をまとめ,2005年に『ランセット』誌に発表した。各家庭は週に平均3.3個の石鹸を1年間受け取った。石鹸を与えられた家庭では,与えられなかった家庭に比べ,子供の下痢の発生率が52%も低かった。肺炎の発生率は48%低く,膿痂疹という皮膚の病気の発生率も35%低かった。驚くべき結果だ。貧困,低い教育水準,混雑などの諸問題は相変わらずあった。石鹸は使っていたが,飲み水も手を洗う水も汚染されたままだった。それでも,これだけの成果が出たのだ。
 皮肉なことに,P&Gは研究結果に失望していた。P&Gは抗菌剤の有効性を示したかったが,抗菌剤の有無は効果に影響がなく,普通の石鹸で充分なことがわかったからだ。

アトゥール・ガワンデ 吉田 竜(訳) (2011). アナタはなぜチェックリスト使わないのか?:重大な局面で“正しい決断”をする方法 晋遊舎 pp.110-112
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専門化

 専門化は現代医療の根本理念だと言っても過言ではない。20世紀の初頭ならば,高校を卒業し,医学学校に1年間通えば医者になれた。だが現在では,4年制の大学と4年制のメディカルスクールを卒業し,小児科,外科,神経内科などの専門を1つ選んで3年から7年の研修を修了しなければならない。さらに最近の若い医者の多くはフェローシップに進む。そこで専門トレーニングを1年から3年受け,内視鏡手術,小児代謝疾患,乳がんの画像診断,集中治療などの超専門家になるのだ。だから最近の「若い医者」はあまり若くない。30代半ばまで独り立ちできないのが普通だ。
 現代は超専門家の時代なのだ。医者は特定の狭い分野で訓練に訓練を重ね,超専門家になる。超専門家たちは普通の医者よりも細かい知識を持ち,より複雑な問題にも対応できる。だが,医療はあまりに高度化し超専門家でさえも日常的にミスを完全に防ぐのは不可能になってきている。

アトゥール・ガワンデ 吉田 竜(訳) (2011). アナタはなぜチェックリスト使わないのか?:重大な局面で“正しい決断”をする方法 晋遊舎 pp.38

毎日ミスが

 50年前には,ICUはほとんど存在しなかった。だが,現在の多くの病院では,ICUは主要な部門だ。私の病院を例に取れば,1日あたりの患者約700人のうち,155人がICUに入れられる。平均滞在日数は4日,生存率は86%もある。危険な状態なのは間違いないが,人工呼吸器を取り付けられ,多数の管や電極を繋がれても,大半は助かる。ICU入室は必ずしも死の宣告ではないのだ。
 だが,ICUケアを成功させるためには,メリットがリスクを上回っていることが肝要だ。これは非常に難しい。15年前にイスラエルの科学者たちが出した論文がある。ICUを24時間観察して得たデータをまとめたものだ。それによれば,患者1人あたり,1日に平均178もの手順が必要だった。投薬から痰の吸引まで様々な手順があり,それぞれにリスクがある。医者や看護師はこれらの手順のわずか1%でしかミスをしなかった。だが,わずか1%でも,178の1%は約2となり,患者1人あたり1日に約2つのミスが起きる計算になる。

アトゥール・ガワンデ 吉田 竜(訳) (2011). アナタはなぜチェックリスト使わないのか?:重大な局面で“正しい決断”をする方法 晋遊舎 pp.32

複雑性への対処

 もしかしたら,私たちは医療に過剰な期待を抱いてしまったのかもしれない。ペニシリンのせいで勘違いしてしまったのかもしれない。1928年にアレクサンダー・フレミングが発見したペニシリンは,それまで治療法がなかった様々な病気に有効だった。1つの薬で多種多様な病気を治せた。ならば,きっと様々ながんに効く特効薬も見つかるはずだ。やけどを消してしまう薬,脳梗塞や心臓病を治せる薬も見つかるに違いない。将来はどんな病気や怪我も薬1つで治せるようになる。ペニシリンはそのような幻想を作ってしまった。
 だが,現実にはそうならなかった。1928年から現在までに数々の発見があり,多くの病気は独自の特徴を持っていて,治療も難しいということが判明した。ペニシリン1つで全て治せると思われていた感染症でさえ,亜種には効かなかったり,今まで効いていた種類にも耐性ができてしまったりすることがわかった。現在では感染症の治療法は細分化されている。菌の抗生物質への耐性,患者の容態,感染している器官などを考慮したうえで治療法を選ぶのだ。現代の医療はペニシリンのようなシンプルな特効薬から遠ざかり,溺れた少女の救命のように複雑なものとなっているのだ。だから,複雑性にいかに対応するかは現代医療の命題だ。私たちが身につけられる知識と技術の限界が試されているのだ。

アトゥール・ガワンデ 吉田 竜(訳) (2011). アナタはなぜチェックリスト使わないのか?:重大な局面で“正しい決断”をする方法 晋遊舎 pp.27

現状…

 もし嘘や隠し立てがなければ,流行病はとっくの昔に防げていたかもしれない。長期的な転帰が一般に公開され議論されていれば,社会に警鐘を鳴らすことができただろう。ところが精神医学界が薬のイメージを守る筋書きに固執したので,とんでもなく大きな惨禍を生む結果になった。現在,アメリカでは,65歳未満の成人400万人が精神病による障害によって,SSIまたはSSDIの給付を受けている。また若年成人(18歳から26歳)の15人に1人に,精神病による「機能的障害」がある。そして毎日,約250人の子どもたちが精神病を理由に,新たにSSIに登録されている。こうした衝撃的な数字にもかかわらず,流行病を生むシステムは相変わらず稼働し続けている。今やこの国では2歳児が双極性障害の「治療」を受けているのだ。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.532-533

否定すると

 アイルランドの精神科医デビッド・ヒーリーのキャリアの頓挫は,どこかモッシャーの失脚を思い起こさせる。1990年代のヒーリーは精神医学史研究の第一人者と目されており,主に薬物療法時代に焦点を当てた著作があった。ヒーリーはイギリス精神や栗学会の事務局長を務めていたが,2000年初めにトロント大学中毒・精神保健センターから気分・不安に関するプログラムの責任者に誘われた。その時まで彼はモッシャーと同様,精神医学界の主流派のど真ん中にいた。一方,彼は数年来,SSRIが自殺を誘発する可能性に関心を寄せており,「健康なボランティア」による研究を完了したところだった。20人のボランティアのうち2人にSSRI服用後,自殺傾向が現れ,薬が自殺念慮を引き起こす可能性があるのが明らかになった。トロント大学への就職が決まってまもなく,彼は研究結果をイギリス精神薬理学会の会合で発表した。そこで彼は,あるアメリカ精神医学会の重鎮から,この研究から手を引くよう忠告された。「もしこういう結果を発表し続けるなら,キャリアを潰すことになると警告されました。私には薬の危険性を公表する権利はないというのです」とヒーリーは言った。
 2000年11月,トロントでの新しい仕事が始まる数カ月前,ヒーリーは同大主催のセミナーで精神薬理学の歴史について講演した。この講演で,ヒーリーは1950年代に神経遮断薬が導入されてから発生した問題を取り上げ,プロザックや他のSSRIが自殺のリスクを高めるというデータを簡単に紹介し,ついでに,現代の感情障害の転帰が1世紀前よりも悪いことにも触れた。もし「今日の薬が本当に有効なら」,そうなるはずはないと言ったのである。
 講演は,そのセミナーで最も優れた講演として参加者から評価されたが,ヒーリーがウェールズに帰り着く前に,トロント大学は彼の採用を取り消した。「貴殿の現代精神医学史の研究者としての業績を高く評価しておりますが,貴殿のアプローチは本学の学究的および臨床的リソースの構築という目標と相容れないと感じております」という電子メールが,センターの精神科医長デビッド・ゴールドブルームから届いていたのである。これを見て,精神医学に携わる者が引き出せる教訓は1つしかない。「批判的発言をすれば,ろくなことにならない。治療の効果を疑うとか,医者に任せておけば安心とは限らないなどと言うのは,もってのほかです」とヒーリーはインタビューで語った。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.454-455

癒着

 製薬会社にとって,この新しい協力関係の一番おいしい部分は一流医大の精神科医を——医師自身は「中立」のつもりかもしれないが——「スピーカー(講師)」に迎えられることだった。この関係は,年次総会の有料シンポジウムを通して深まった。シンポジウムは「教育的」プレゼンテーションで,製薬会社は専門家の言説を「統制」しないという約束にはなっていたが,プレゼンテーションにはリハーサルがあり,もし講師が台本から逸れて薬の欠点を指摘したりすれば,二度と講演を頼まれないことは,誰もが承知していた。業界後援のシンポジウムでは,「過敏性精神病」やベンゾジアゼピンの中毒作用,抗うつ薬と陽性プラセボの効果に差はないことなどは,決して取り上げられなかった。講演をした精神科医は「オピニオン・リーダー」として名声を博すようになり,シンポジウムのパネルに入れば精神医学界での「スター」のステータスを獲得できた。1回の講演につき2000ドルから1万ドルもの謝礼が支払われた。「今のシステムは高級売春に近づいている案ずる人もいた」とE.フラー・トーリーは言った。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.412-413

精神医学の反撃

 精神科治療薬が一般社会で名誉を挽回する行程は,1970年代に始まった。精神科医は「医師」の機能を果たしていないというサズの批判に脅かされたことを契機に,APAは,精神科医はもっと誰の目にも明らかな形で医師の役割を果すべきだと主張するようになった。1977年,APAのサブシンは「医療としての精神医学を復権するための積極的努力を,強力に支援すべきである」と訴えた。それが何を意味するのかは,American Journal of Psychiatryや他の専門誌に掲載された多くの論文から,窺い知ることができる。ケンタッキー大学の精神科医アーノルド・ルドヴィグは,「医学モデル」は「精神科医の第一のアイデンティティは医師であるという前提」を土台にしていると述べた。テキサス大学のポール・ブラニーは,精神障害は「器質的疾患」としてとらえるべきだと書いた。またワシントン大学のサムエル・グーズは,精神科医は「病気の症状や兆候」の分類に基づいて適切な診断をすることに力を注ぐべきだと主張した。そして「今日,精神病患者にとって最も有効な治療,つまり積極的な投薬と電気ショック療法を最適なかたちで施すのに必要な医学的訓練」を受けているのは,精神科医だけだと付け加えた。
 彼らが想定したのは,内科学から直輸入した治療モデルだった。内科医は患者の体温を測り,診断のために血糖値やその他の検査をする。そして病名を突き止めたら,それに適した薬を処方する。精神医学の「医療としての復権」は,フロイト流の精神分析をお払い箱にすることを意味した。そうすることにより精神医学のイメージは回復すると,彼らは期待したのだ。「一般人の頭のなかで,科学的真理と最も強く結びつくのは医学モデル」だからだと,タフツ大学の精神科医デビッド・アドラーは言った。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.400-401

精神医学への攻撃

 最初に降りかかった問題は,精神医学の正当性に対する知的レベルの反論だった。1961年,ニューヨーク市立大学シラキュース校の精神科医トーマス・サズが,その最初ののろしを上げた。彼は著書The Myth of Mental Illnessで,精神障害は医学的問題ではなく,「生の問題」に苦しむ人,あるいは単に社会的に逸脱した行動をする人に貼られたレッテルに過ぎないと主張した。精神科医は,他の分野の医者との共通項よりも牧師や警察官と共通項が多いというのだ。サズの批判に精神医学界は騒然とした。『アトランティック』や『サイエンス』のような主流誌までもが,彼の訴えを説得力のある意義ある主張として受け入れ,『サイエンス』は,サズの論文は「非常に勇気のある啓発的な発言で……大胆で卓越している」と評価した。サズは後に『ニューヨーク・タイムズ』に,「タバコの煙のたちこめる部屋で,私は何度も,サズが精神医学を殺したという見解を聞かされた。もっともそれは私の望むところだったが」と語っている。
 彼の著書は「反精神医学」運動の火付け役となり,アメリカやヨーロッパの学者たち——ミシェル・フーコー,R.D.レイン,デビッド・クーパー,アーヴィング・ゴフマンなど——がそれに加わった。皆,精神障害の「医学モデル」に疑問を投げかけ,狂気とは抑圧的な社会に対する「正気」の反応ではないかと問題提起した。精神病院は治療というより社会的統制が目的の施設だという考え方は,1975年にアカデミー賞の各章を総なめにした『カッコーの巣の上で』によって見えるかたちをとり,一般の人々にまで広がった。この映画では看護師長ラチェッドが悪役として描かれ,物語の最後にはジャック・ニコルソン演じるランドル・マクマーフィーが秩序を乱したことを理由にロボトミー手術を施されてしまうのだ。
 精神医学が直面した第2の問題は,患者をめぐる競争の激化である。1960年代から70年代にかけて,アメリカでは心理療法が大きく発展した。フロイトが精神分析をアメリカに導入して以来,精神科医の縄張りだったはずの「神経症」患者に,たくさんの心理療法士やカウンセラーがサービスの提供を始めたのである。アメリカでは1975年までに,医師資格を持たないセラピストの数が精神科医よりも多くなっていた。またベンゾジアゼピンが人気を失うと,1960年代に「幸せの薬」に満足していた神経症患者は,傷ついた魂の癒しになるというプライマル・スクリーム療法(原初療法)やエサレン研究所のワークショップ,その他いろいろな「代替」療法に目を向けるようになった。こうした競争も手伝って,1970年代後半のアメリカの精神科医の所得のメジアンは,わずか7万600ドルだった。もちろん当時としては高給だが,それでも医療職では最底辺に近かった。「精神科医以外の精神保健の専門家が精神科の領域の一部,あるいは全部を自分たちの領域だとして権利を主張していた」とタフツ大学の精神科医デビッド・アドラーは言った。「精神医学の死」を憂えるのはそれなりの根拠があったと,彼は言う。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.395-396

双極性障害と診断される

 薬のせいで精神病を発症した子どもは,たいてい双極性障害と診断される。加えて,ADHDの薬物療法を経て双極性障害へと進むこうした診断名の変化は,精神医学界の専門家の間ではよく知られた現象である。デミトリ・パポロスは,双極性障害の子どもと青年195人を調べた研究で,65パーセントが「刺激薬療法に軽躁,躁,攻撃的な反応を示す」ことを確認した。シンシナティ大学付属病院のメリッサ・デルベロは2001年,躁病で入院した思春期患者34人のうち21人が,「感情エピソード発現前に」刺激薬を服用していたと報告した。この薬が,「通常は双極性障害を発症しなかっただろう子どもたちに,うつや躁を引き起こしている」可能性がある,とデルベロは認める。
 だが刺激薬には,さらに大きな問題がある。刺激薬のせいで子どもたちは,日常的に興奮状態と不安状態を行き来するようになる。子どもが薬を飲むと,シナプス内のドーパミン濃度が上昇し興奮状態が生じる。すると活発になり,集中力が高まり強い興奮状態を示すこともあれば,不安で落ち着きがなくなり,攻撃性や反抗性を示す,眠れないといった状態になることもある。さらに激しい興奮症状として,強迫行動や軽躁行動なども生じる。だが薬が脳内から排出されると,シナプス内のドーパミン濃度が急激に低下するため,疲労,嗜眠,無気力,社会的引きこもり,抑うつなどの不安症状が現れる。患者はたいてい,毎日のように経験する「精神崩壊]を訴える。けれど——この点が重要なのだが——こうした興奮症状と不安症状こそが,NIMHが双極性障害の子どもの特徴とする症状なのだ。NIMHによると,子どもの躁症状は活力増大,目標志向性の活動増加,不眠,イライラ,興奮,破壊的な感情爆発などである。また子どものうつ症状として,活力低下,社会的孤立,活動意欲の減退(無気力),悲嘆などが挙げられる。
 つまり,刺激薬を服用するとどんな子どももいくらか双極的になるのだ。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.349-351

リタリンが?

 子どもの双極性障害の「表面化」は,すぐに加速した。1980年代後半から90年代初めにかけて,リタリンと抗うつ薬の処方件数が飛躍的に増加すると,それに伴って双極性障害が蔓延した。精神科病棟に入院する反抗的,攻撃的で手がつけられない子どもの数が急激に増加し,1995年にはオレゴン研究所のピーター・レウィンソンが,今やアメリカの思春期人口の1パーセントが双極性障害であると結論づけた。その3年後にはカールソンが,自分が勤める大学病院の小児患者のうち63パーセントが躁病(他でもなく,薬物療法以前は子どもにほぼ皆無であったその症状)であると報告した。「躁症状は例外ではなくてむしろ通例である」と彼女は述べた。それどころか,レウィン損の疫学的データはもはや時代遅れとなっている。双極性と診断されて退院した子どもの数は,1996年から2004年の間に5倍に増加し,今やアメリカの思春期前の子どもの50人に1人がこの「恐るべき精神疾患」に罹っているとされる。「双極性障害という病気が実際にあり,過小評価されているのは確かだ。だがそれを除けば,正確な罹患数はまだ分かっていない」とテキサス大学の精神科医ロバート・ヒルシュフェルトは,2002年の『タイム』で語っている。
 双極性障害の流行は最盛期を迎えた。そして歴史を振り返ると,この流行は子どもへの刺激薬や抗うつ薬の処方に呼応して広がりを見せたことが,明らかになる。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.346-347

どこに外的因子が

 まずADHDが爆発的に増大し,ついで小児期うつ病が広がっているというニュースが舞い込んだ。それからまもない1990年代後半には,子どもの双極性障害が広く知られるようになった。新聞や雑誌がこの現象をこぞって取り上げ,またしても精神医学界は,この病気の登場を科学的発見というシナリオに沿って説明した。「精神医学界では長らく,10代半ば以降になるまで子どもが双極性障害と診断されることはなく,子どもの躁病は極めて稀だと考えられてきた」。精神科医のデミトリ・パポロスは,ベストセラーとなった著書The Bipolar Childでこう論じている。「だが最先端の研究により,双極性障害は極めて早期に発生する可能性があり,従来考えられていたよりはるかに広く見られる障害であることが,証明されつつある」。だが双極性障害と診断された子どもの数が驚くべき勢いで増加した——1995〜2003年までに40倍——ため,『タイム』は「若者と双極性」と題した記事を掲載し,何か他の要因が関与しているのではないかと疑問を投げかけた。「双極性障害の存在が新たに認識されたというだけでは,子どもの双極性障害の爆発的増加を十分に説明できない」と同誌は論じている。「一部の研究者は,周囲の環境や現代のライフスタイルの中に,通常なら発症しない子どもに双極性障害の発現を促す要因があるのではないかと懸念している」。
 この推測は,全く理にかなったものだった。重度の精神疾患がこれほど長い間発見されず,今になって初めて数千人の子どもが深刻な躁病だと判明することなど,あり得るのだろうか?だがもし,環境の中にこうした行動を促す新たな誘因があるなら,この病気が蔓延した理由を論理的に説明できるのではないか,と『タイム』は読者に問いかけた。感染因子が病気の流行を引き起こすのだから,子どもの双極性障害が発生した原因をたどれば,その感染因子を発見できるはずだ。果たして私たちは,この現代の疫病を引き起こしている「外的因子」を特定できるのか?
 前に述べたように,精神科薬物療法が登場する以前は躁うつ病は,おそらく1万人に1人という割合で発症する珍しい病気だった。15〜19歳で発症する場合もあるものの,通常は20代まで発症は現れなかった。さらに重要なことだが,躁うつ病が13歳未満の子どもに現れることはほぼ皆無であり,小児科医も医学研究者も必ずこの点を強調した。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.343-345

効果なし?

 どんな薬でも効果とリスクを分析すべきだが,通常は,効果がリスクを上回るよう期待される。だが今回の場合,NIMHは長期的にみて効果に算入できるものが何一つないことを確認した。そうなると,残るのはリスクのみである。そこで今度は,刺激薬が子どもにどのような悪影響を与えるのかを見ていきたい。
 リタリンなどのADHD治療薬は,数多くの身体的,情緒的,精神的な副作用を引き起こす。身体的問題として,眠気,食欲減退,倦怠感,不眠,頭痛,腹痛,運動異常,顔面・音声チック,歯ぎしり,皮膚炎,肝臓障害,体重減少,成長抑制,高血圧,心臓突然死などが挙げられる。情緒面の問題には,抑うつ,無気力,全身倦怠感,気分変動,泣き続ける,苛立ち,不安,世界への敵対感などがある。精神的問題には,強迫症状,躁病,妄想症,精神病エピソード,幻覚などがある。メチルフェニデートは,脳内の血流やブドウ糖代謝も低下させ,一般に「神経病理学的状態」に伴う変化を引き起こす。
 刺激薬に関する動物実験も,警告を発するものだ。イェール大学医学部の研究者らは1999年に,アンフェタミンに何度も暴露されるとサルは「異常行動」を示し,その行動は薬の使用を中止後も長期的に続くことを報告した。ラットを用いた様々な研究でも,メチルフェニデートへの長期的暴露により,ドーパミン作動性経路の感受性が恒久的に鈍ること,またドーパミンは脳内の「報酬系」であるため,仔ラットに薬物を与えると「快楽を感じる能力が低い」成ラットに育つ可能性があることが示唆された。ダラス市にあるテキサス大学サウスウェスタン医療センターの研究者らは,「思春期前の」ラットを15日間メチルフェニデートに暴露すると,不安と抑うつを示す「成」ラットになることを明かした。この成ラットは,運動量が少なく新しい環境への反応行動が希薄で,「性行動異常」が見られた。同センターの研究者らは,脳の発達途上で「メチルフェニデートを投与」すると,「成長後の行動適応に異常が生じる」との結論を下した。
 以上が,リタリンをはじめとするADHD治療薬の転帰に関する文献である。こうした薬は,多動な子どもの行動を,短期的には教師や一部の親に望ましい方向へと変えるが,それを除けば薬によって多くの面で子どもの生活が損なわれ,喜びを体験する生理学的な能力が低い大人になってしまうおそれがある。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.337-338

リタリンの物語

 これらの報告は,いずれも同じ事実を物語っている。リタリンを飲むと,これまで教室の厄介者で,先生が黒板に板書している間に椅子の上をもぞもぞしたり,周りの友達に話しかけたりしていた生徒がおとなしくなるのだ。あまり立ち歩かなくなり,友達にちょっかいをだすことも少なくなる。算数の問題などの課題を与えると,熱心に取り組むこともある。チャールズ・ブラッドレーはこうした態度の変化を「社会的見地から見て改善」と捉えており,リタリンや他のADHD治療薬の有効性試験にもこの観点が表れている。教師や他の観察者は,子どもの動きや他者との関わりの減少をプラスと捉える評価尺度にスコアを記入し,その結果を集計した数値に基づき,70〜90パーセントの子どもがADHD治療薬に「良好な反応を示す」と報告されている。NIMHの研究者らは1995年,こうした薬は「課題に無関係な活動(指をトントン叩く,落ち着きがない,細かな動き,直接監視しても課題から外れた行動をとるなど),授業妨害といった,ADHDの様々な中核症状の大幅な軽減」に極めて効果的であると述べた。マサチューセッツ総合病院のADHD専門家らも,学術文献を同様のこう要約している。「現存する文献には,精神刺激薬が多動,衝動性,不注意などのADHDに典型的な行動を低減することが,明確に記録されている」。
 だが,これらはいずれも,薬物治療が子どもに有益であることを示すものではない。精神刺激薬は教師には有用だが,子どものためになっているのか?ここで研究者らは,最初から壁に突き当たる。イリノイ大学の医師エスター・スリーターは,52人の子どもにリタリンに対する感想をたずねた結果,こう記している。「何よりも重要なことに,他動の子どもたちは一様に刺激薬の服用を嫌がっていることが判明した」。テキサス大学の心理学者デボラ・ジャコビッツが1990年に行った報告によると,リタリンを服用中の子どもは「自己満足度が低く精神的により不安定である」との自己評価を下した。友だちづくりや友人関係の維持に関しては,刺激薬に「有意な効果はほとんどなく,悪影響が高い割合で見られた」とジャコビッツは述べる。他の研究者らも,薬を止めれば自分はきっと「悪くなる」「馬鹿になる」と感じるなど,リタリンによる子どもの自尊心低下を詳細に記述している。「子どもは,自分の心身の健康や,学習と行動抑制における自分の成長力を信じるのではなく,『僕をいい子にしてくれる魔法の薬』を信じるようになる」とミネソタ大学の心理学者アラン・スルーフは述べている。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.331-333

ADHD

 研究によってADHDが「脳疾患」と証明されたという話をしばしば耳にするが,実際にはADHDの病因はいまだ不明のままである。「ADHDの生物学的基盤を明らかにしようとする試みは,これまで一貫して失敗に終わってきた」と小児神経学者のジェラルド・ゴールデンは1991年に述べている。「画像研究で示されたように,脳の神経構造は正常である。神経病理的な基質は全く認められない」。7年後には,国立衛生研究所が主催した専門委員会がこれと同じ見解をとり,「ADHDに関する長年の臨床研究および臨床経験を経た今も,ADHDの原因についての我々の知識は,おおむね推測にとどまっている」と改めて表明した。1990年代にはCHADDが一般市民に対し,ADHDの子どもにはドーパミン系の活動低下を特徴とする脳内化学物質のアンバランスが生じているとの見解を示したが,それは単に薬の売上を伸ばすための方便だった。リタリンなどの精神刺激薬はシナプス間隙のドーパミン値を上昇させるため,CHADDは薬が脳内の化学的バランスを「正常化」させると思わせたかったが,アメリカ精神医学会出版が1997年のTextbook of Neuropsychiatryで明らかにしたように,「[ADHDの子どもに]選択的な神経科学的アンバランスを特定しようとする試みは,期待はずれに終わっている」。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.327-328

双極性障害

 現在の双極性障害は,かつてとかけ離れた姿になっている。精神薬理学が登場する以前,双極性障害はおそらく1万人に1人ほどしか罹患しない珍しい病気だった。それが今では40人に1人(統計によっては20人に1人)の割合で発生している。現在の患者の大半は,(初回診断時には)かつての入院患者ほど症状はひどくないものの,その長期的な転帰は不可解なほどに悪化している。バルデッサリーニは2007年のレビューで,この転帰の大幅な悪化を段階を追って詳しく説明してさえいる。薬が登場する以前は,「エピソードの合間に正常気分[無症状]への回復と望ましい機能的適応」が見られた。だが現在は,「急性エピソードからの緩慢または不完全な回復,再発リスクの持続,および病的状態の長期的継続」が認められる。かつては双極性障害の85パーセントが,「罹患前の」機能を完全に回復し仕事に復帰していた。現在,「罹患前のレベルの社会的・職業的機能の完全な回復」を達成しているのは3分の1に過ぎない。かつては,患者に長期的な認知機能低下は見られなかったが,今では統合失調症患者とほぼ同程度の機能低下に至っている。これらは全て,驚くべき医療災害の存在を物語るものである。バルデッサリーニは,薬物療法革命という現象全体に相応しい評価として次のように書き記している。

 双極性障害の転帰は,かつて比較的良好とみなされていたが,現代の知見から,治療法の大幅な進歩にもかかわらず,この障害が蔓延し不良な転帰が広く見られると示唆される。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.283-285

基準の広がり

 双極性障害と躁うつ病が初めて区別された当時,双極性障害と診断されるには,躁,うつ各々について入院が必要なほど重篤な発作を繰り返している必要があった。だがその後1976年に,NIMHのグッドウィンらが,躁病でなくうつ病が原因で入院したが軽度の躁エピソード(軽躁)もある患者については,同じ双極性障害でも重篤度が低い双極II型と診断してはどうかと提案した。やがて双極II型の診断基準が拡大し,躁うついずれの症状で入院したこともないが,単に双方のエピソードを経験した患者を含むようになった。ついで1990年代に精神医学界は,軽躁と診断されるには「高揚した,開放的な,または易怒的な気分」が4日間続く必要はなく,単にそうした気分症状が2日続けばよいとの判断が下された。双極性障害は広がりつつあり,診断上の境界線がこのように拡大したのを受け,突如として研究者の間から,人口の最大5パーセントが双極性障害に罹患しているとの発表がなされた。だが,双極性障害の大流行はこれで終わりではなかった。2003年にはNIMHの元所長のルイス・ジャッドらが,多くの人に躁病とうつ病の「診断閾値下」症状が認められるため,この人々は「双極性スペクトラム障害」と診断できると主張した。こうして双極I型,双極II型に加えていまや「双極性障害と正常との間の中間双極性(Bipolarity Intermediate)」が登場したのだ,と双極性障害に詳しいある専門家は説明している。ジャッドの計算では,アメリカの成人の6.4パーセントが双極性症状をもつというが,今では成人の4人に1人が双極性という枠の中にひとくくりにでき,かつては珍しかったこの病気が風邪と変わらぬほどありふれたものになっていると主張する論者もいる。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.269-270

告白

 告白が次から次に飛び出した。むろん精神医学界には,双極性障害への抗うつ薬使用を裏付ける「証拠基盤」が存在したが,ポストによると,製薬会社が実施した臨床治験は「われわれ臨床家には実質的に何の役にも立たない。……それは,われわれが本当に必要とする知識,すなわち予想される患者の反応や,初回治療で反応が得られなければ次の反復治療はどうすべきか,どれくらい治療を続けるべきかといったことを教えてくれない」。実際に「抗うつ薬のような低質な治療法に反応を示す」のは,一握りの患者にすぎない,と彼は付け加えた。抗精神病薬を中止した双極性障害患者の再発率が高いことを示した,製薬企業の助成を受けた近年の臨床知見に関しては,こうした研究は理論的には長期的服用の必要性を示す証拠となるものだが,研究自体が「[プラセボ群の]再発を引き起こすデザインだった」とグッドウィンは語る。「この研究は,薬がやはり必要であることを示す証拠ではない。薬に適応した脳が突然変化に直面すれば,再発するということを示す証拠なのだ」。ポストもそう言い添えた。「抗うつ薬の誕生から50年経った今,われわれはいまだに双極性うつ病の治療法をよく分かっていない。新たな治療アルゴリズムが必要なのに,それがまだ考案されていないのだ」。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.262

治療しなくても?

 最後にもう1つ検討すべき研究がある。2006年に,ブラウン大学の精神科医マイケル・ポスターナックは,「残念ながら,大うつ病を治療しなかった場合の経過について,我々は直接体な知識をほとんど持っていない」と告白した。APAの教科書やNIMHの研究で詳細に記述された長期的な転帰が悪いことは,投薬を行ったうつ病についての話であり,全く性質の異なる問題だと考えられる。現代における無治療のうつ病の経過を調査するため,ポスターナックらは,NIMHの「うつ病に関する精神生物学プログラム」に参加した患者のうち,初回のうつ病発作から回復したのち再発したが,薬物療法に戻らなかった患者84人を特定した。これらの患者は「非暴露」群ではなかったが,それでも彼らが2回めのうつ病エピソードから「治療を受けず」回復した経緯を追跡することができた。結果は,次のようなものだった。23パーセントが1カ月で,67パーセントが6カ月で,85パーセントが1年以内に回復した。かつてクレペリンは,うつ病エピソードは治療しなくても一般に6〜8ヵ月以内に消失すると述べたが,今回の研究結果は「おそらくこの推定に対し,方法論的に最も厳密な形で裏付け」を提供するものだとポスターナックは指摘している。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.245

SSRIの影響?

 他のいくつかの国でも,SSRIの登場以後,うつ病により生活機能が低下した国民の数が大幅に増加していることが確認された。イギリスでは,うつ病や神経障害による「就労不能日数」が1984年の3800万日から,1999年には1億1700万日へと,3倍に増加した。アイスランドでは,うつ病により機能が低下した人の割合が,1976年から2000年の間にほぼ倍増したことが,報告された。アイスランドの研究者らは,もし抗うつ薬が本当に効果的なら,薬の使用を通じて「うつ病障害による障害者の率,罹患率,死亡率の減少による公衆衛生への好影響が想定されるのではないか」と推論した。アメリカでは,うつ病のため生活機能の低下に陥っていると回答した労働年齢人口の割合が,1990年代に3倍に増えた。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.244-245

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