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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

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プラセボ効果が大きくなる時

 プラセボ効果は,条件付け説と期待説のどちらか一方,またはその両方と結びついているのかもしれない。あるいは,未知の重要なメカニズムが存在する可能性もあるし,既知のメカニズムではあっても,十分に解明されていないものがあるかもしれない。科学者たちは,プラセボ効果の科学的基礎はまだ解明していないが,ヘイガースの初期の仕事にもとづいて,プラセボ効果をできるだけ大きくするにはどうすればよいかは突き止めた。たとえば,患者に薬を投与するときは,錠剤よりも注射のほうがプラセボ効果は大きく,患者が薬を飲むときには,一錠よりも二錠のほうがプラセボ効果が大きい。さらに驚いたことに,不安を和らげるためには,錠剤が緑色のときにプラセボ効果は最大になり,抑鬱を改善するためには,錠剤が黄色いときに最大になる。また,錠剤をもらう相手は,白衣を着た医師のときにプラセボ効果は最大になり,Tシャツを着た医師からもらうとこの効果は小さくなり,看護師からもらえばいっそう小さくなる。大きな錠剤は小さな錠剤よりもプラセボ効果が大きい——ただし,非常に小さい錠剤はそのかぎりではない。また,予想されるように,高級感のある箱に入った錠剤のほうが,質素な箱に入った錠剤よりもプラセボ効果が大きいことがわかっている。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.87-88
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パブロフの業績

 プラセボ効果はときに劇的なものになるため,科学者たちは,実際どういうメカニズムで患者の健康に影響が出るのかを明らかにしようと努めてきた。一説によれば,プラセボ効果は,イワン・パブロフにちなんで「パブロフ反応」と呼ばれる無意識の《条件付け》と関係があるという。パブロフは1890年代に,犬はエサを見てよだれを垂らすだけでなく,いつもエサをくれる人を見ただけでもよだれを垂らすことに気づいた。そこで彼は,エサを見てよだれを垂らすのは自然な反応(無条件の反応)だが,エサをくれる人を見ただけでよだれを垂らすのは,不自然な反応(条件づけられた反応)であり,犬がエサをくれる人物と,エサがもらえることとを結びつけなければ起こらないと考えた。そしてパブロフは,犬にエサを与える前にベルを鳴らすなどすれば,条件付けられた反応を引き起こせるという仮説を立てた。実際にやってみると,条件付けられた犬は,ベルを鳴らしただけでよだれを垂らすようになったのだ。これがいかに重要な発見だったかは,パブロフがこの仕事により,1904年のノーベル医学・生理学賞を受賞したことからもわかるだろう。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.85

引用者注:パブロフが条件づけの研究でノーベル賞を受賞したというのは誤りである。パブロフは「消化腺」の研究でノーベル賞を受賞しており,条件づけの研究の多くは受賞後に行われたはず。

冷たくて難しくて威嚇的

 しかし,医療の主流派の外部にいる人たちは,《科学的根拠にもとづく医療》というアプローチを,冷たくて難しげで威嚇的だと感じるようだ。もしもあなたが多少ともそう感じているなら,《臨床試験》と《科学的根拠にもとづく医療》が登場する以前の世界が,どのようなものだったかを思い出してみよう。医師たちは,何百万という人びとの血を流させることでどれほどの害をなしているかに——ジョージ・ワシントンをはじめ多くの患者を死に至らしめていることに——気づいてすらいなかった。しかし医師たちは愚かだったわけでも,邪悪だったわけでもない。彼らには,臨床試験が盛んに行われるようになって得られた知識がなかっただけなのだ。
 たとえばベンジャミン・ラッシュを思い出そう。ラッシュは精力的に瀉血を行い,ワシントンが死んだまさにその日に,名誉毀損の裁判に勝訴した人物だ。彼は聡明で,高い教育を受け,思いやりもあった。依存症は治療すべき病気であることを明らかにし,アルコール依存症になれば飲酒をやめられなくなることにも気づいた。また,女性の権利のために声を上げ,奴隷制廃絶のために戦い,死刑反対の運動をした。だが,知性があり,立派な人柄だというだけでは,何百人という患者を失血死させ,学生たちに瀉血を奨励するのをやめることはでいなかったのだ。

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.41-42

グルコサミンの効能って

 そのようなパターンが意味をもっている場合もあるし,もっていない場合もある。が,そのいずれであれ,われわれのパターン認識は非常に説得力をもっていると同時にきわめて主観的であるという事実は,深刻な意味を有している。それは一種の相対性を,つまり,ファラデーが見いだしたように,リアリティは見る目の中にあるという,1つの状況を意味している。
 たとえば2006年の『ザ・ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌は,変形性膝関節症の患者についての1250万ドルの研究結果を載せた。その研究は,グルコサミンとコンドロイチンという栄養補給サプリメントの組み合わせによる関節炎の痛み軽減効果は,プラシーボ[偽薬]と変わらないことを明らかにした。しかしある高名な医者は,そのサプリメントが効果的であるという自身の思いをなかなか捨て去ることができず,あるラジオ番組でその研究結果を分析し,つぎのように言って,その治療法が効果をあげる可能性があることをふたたび主張した。「私の妻のかかりつけのお医者さんの1人がネコを飼ってて,その女医さん,このネコ,グルコサミンとコンドロイチンの硫酸塩を少量飲まないと朝起きられないと言ってますよ」。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 p.257
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)

ステロイド推進派vs.否定派

 しばらく前から,日本の皮膚の学界ではアトピー性皮膚炎の治療にステロイドを用いることを認める「ステロイド派」と,ステロイドには副作用があるとして,その使用を認めない「アンチステロイド派」の争いが凄まじい様相を呈しています。主流派ステロイド容認派です。事の発端は「アンチステロイド派」の中に金儲け目的のインチキ療法が少なからず存在したことのようです。ストレイドが危険であると主張し,そのかわりに自前の治療法を売り込む。その中にはかえって肌荒れを引き起こす療法もありました。これはいけないことであり,患者の苦しみは十分理解できます。私はそういうインチキの被害を受けたことはありませんが,それにつけこむ輩は許せません。もっとも最近はタクロリムスという免疫反応を抑える薬もアトピー性皮膚炎に使われるようになり,争いは鎮まってはきています。
 ただ,以上を前提に言いますが,それでも代替療法の中には個人的に効果があるな,と認識できたものも確かにあったのです。これは私個人についてのみ特異的に起きたことかもしれません。一方,これも私の経験ですが,ステロイド外用剤の連用にそれほど神経質になる必要はないと思っています。ただし,ステロイド剤は炎症を抑える薬剤であって,今だ正体不明のアトピー性皮膚炎そのものの治療薬ではないことを申し添えておきます。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 pp.155-156

代替医療を贔屓する理由

 昨今の大病院の医者は何かにつけ「検査」を行い,患者そのものをろくに診もしません。私自身,それでひどい目にあったことがあります。結果として単なる坐骨神経痛だったのが,近所の大学付属病院の整形外科に行ったら,いきなりCTスキャンから始めて心臓カテーテルで足の血管造影までやらかし,数万円の検査料を取られ,結果は「よくわからない,治療する気もない」。複雑怪奇な検査の結果としてはあまりにあっさりと匙を投げられました。やむなく知り合いの神経生理の教授に紹介されたカイロプラクティックに出向いてみると,その先生は私の背中をじっと観察して,「あなたの背骨は曲がっています。それで神経が圧迫されて坐骨神経痛になっているのです。曲がっている反対側にストレッチしなさい」と言われ,実行したら数年来の痛みがケロリと治りました。ひたすら「観察する」ということは,病気を治す技術者である医師の務めでしょう。こうした事情も,私が東洋医学,あるいは代替医療を贔屓にする理由の1つです。

傳田光洋 (2007). 第三の脳:皮膚から考える命,こころ,世界 朝日出版社 p.109

それは寄生虫の影響

 もちろん寄生者には,宿主の行動を都合のいいように操作する以外にも,宿主に対して影響をおよぼす手段がある。病気にかかった動物が,動きが鈍くなって捕食者に捕まりやすくなった場合は,自然淘汰の結果,病原体が宿主の走るスピードを変えるようになったとは,必ずしも言えない。宿主の行動の変化の中には,単に病気の症状の一部というものもあるからだ。寄生者が宿主の行動に与える影響を研究するほとんどの科学者は,本当の適応(寄生者の遺伝子に有利になるような進化で生じた変化)と,ドーキンスが呼ぶところの「つまらない副産物」とを見分けることが重要だとしている。
 たとえば,風邪をひいて頭がぼうっとしているからといって,クロスワードパズルを解きにくくなるのは,風邪のウイルスが感染を広げるための「策略」ではない。もちろん,その可能性はないわけではない。風邪をひいてパズルが解けずに悩んだ人が「ヨコのカギの8」の答えを相談しに隣の家に行って風邪をうつすかもしれないし,鉛筆を置く回数が多くなり,その鉛筆を通してほかの人がウイルスに感染して,風邪が広まることだってないわけではない。それを証明できれば,風邪の策略であることを示せるだろう。だが,こうしたシナリオは,日常生活における進化の役割を熱心に信じている人でさえも,ひどいこじつけだと思うだろう。頭がぼうっとするのは,体のほかの部分に対する風邪の影響で生まれた副産物だと考えるのが自然だ。これと同様に,宿主が食料を探すのは寄生者のためにもなるが,宿主自身のためにもなるから,通常,寄生者側の操作であるとはみなされない。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.324-325
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

異食症について

 異食症の病理学的な説明に話を戻すと,土は天然のサプリメントのようなもので,ふだん食べ物からからは得られないミネラル分を摂取できると考えられる。妊娠している女性は,胎児に栄養分をとられて栄養不足になりやすい。そのことを考えると,お腹の大きな女性が土を食べる理由は,このあたりにあるのかもしれない。一方で,土食は単に病原体の影響を抑える手段として進化してきたとも考えられる。ここにひとつ,土食のメリットを探った大胆な研究がある。この研究では,ガラスとプラスチックでできた腸の模型と,消化液に似た液体を使って,カオリンの粘土がキニーネやタンニンといった毒素を簡単に吸収できることがわかった。
 人間以外の動物や,ケニアのルオ族のような大きな集団に土を食べる習慣があることを考えると,土食が精神的混乱の兆候だという見方には,私は疑問を抱く(ほとんどのコンゴウインコが精神的に不安定だというのなら別だが)。ルオ族の実験で,土を食べる子どもの寄生虫への再感染率が高かったという結果は,現代生活の産物なのかもしれない。かつては,遊牧生活を送ることが多かったので,食用とする土の中で寄生虫の卵が成長する前に,すみかを変えていたとも考えられるし,ある程度の寄生虫に感染するのは,土食によって症状が抑えられているかぎり許容できたとも考えられる。いずれにしても忘れないでほしいのは,私たち,そしてほかの生き物が寄生虫をもつべきでないという考え方は,現代になって生まれたものであり,自然の状態ではない。体内に寄生虫をもち,病気とともに進化してきた時代には,駆虫するという行為は考えられなかった。そして,寄生虫の卵を1,2個食べてしまう害よりも,土を食べるメリットのほうが大きかったのだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.255-256
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

人間の場合には#2・・・

 食べ物に含まれているカロテノイドなどの抗酸化物質が,病気の予防を助けてくれるのは確かだ。カロテノイドに富んだ食事をした人たちが,がんなどの病気にかかりにくくなったという研究結果はたくさんある。また,特にベータカロチンのサプリメントは,細胞性免疫の反応を助ける。特に免疫系が弱っている高齢者や,食事で十分な栄養がとれないことが多い人には,効果があるだろう。
 だが,これが美しさを増すことにつながるかというと,疑問に感じる。ましてや自分が健康であることを見かけで異性に伝えるのは,さらにありそうにないことだ。オウゴンヒワやヤケイとちがって,人間には,黄色い羽毛や赤い肉垂のような,カロテノイド由来のはっきりした形質はない。カロテノイドがしわに効くかどうかは定かでないが,進化の観点からすると、しわなどはどうでもいいことだ。しわができるのは,生殖に最も適した時期に入ってかなりたったころか,その時期を過ぎてからのことがふつうだ。特に初期の人類は,子づくりにつながる配偶相手の選択は,生涯のかなり早い時期に行われた。だから,恋人を見つけるときに「しわがない」という基準だけで選ぶのは,子づくりの能力が高い相手を選ぶことにはつながるかもしれないが,候補者の絞り込みにはあまり役立たないだろう。年齢よりも若く見せて相手をだますのが有効なのかどうかは,また別の問題だが。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.234-235
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

歯ブラシの細菌を殺す意義

 この過剰な清潔志向の行く末に,どんなおそろしい事態が待ち受けているのか。ひとつ考えられるのは,病院で発生するブドウ球菌のような一般的な細菌が,現在使われているほとんどすべての抗生物質への耐性を増すことだ。だが,ここまでおそろしい予測ではなくても,私たちの細菌に対する不安は,まったく事実無根である場合もある。新聞や雑誌でよく見るのが,歯ブラシが汚い微生物の繁殖の温床になっていて,特に病気の時に使った場合は再感染を防ぐためにも,こまめに歯ブラシを替えるべきだという記事だ。2週間ごとに取り替えるべきだと勧める消費者団体も多数あるし,抗菌歯ブラシの清浄器を売る業者は,現代の洗面所のことを,有害なばい菌がうようよいる「屋外便所」と呼んで,そんなところに歯ブラシを置かないようにと警告している。そのウェブサイトを見ると,歯を磨くたびに口の中に入る細菌についてのおそろしい説明がたっぷり書いてある。「細菌は歯ブラシで育つ」と,ある記事は警告している。
 でも,ちょっと考えてみてほしい。たとえば風邪にかかったとすると、悪いウイルスが口の中の細胞だけでなく、体の表面のさまざまな場所にいることは確かだ。病気に対抗するために、免疫系がウイルスを無害にする抗体を生産する。抗体はその風邪に対する記憶をもっているので、再び同じ病気にかかった場合に、同様の抗体がすぐに出動し、敵を撃破してくれる(戦争にたとえるのは嫌だと前に書いたのはわかっているが、こう表現するほうが伝えやすいので)。風邪の場合、最初の免疫反応は1週間ほどで現れる。つまり,幸いにして,歯ブラシなどから同じ病原体に再感染することはできないのだ。もし再感染できるとなると,口から出たウイルスなどの微生物が,病気の無限のサイクルをつくってしまうだろう。ほかの病気に感染したとすると,病原体は歯ブラシの助けを借りなくても,体の随所にある入口から簡単に入ってこられる。そもそも体内には無数の微生物がすんでいる。歯ブラシに付いているのはそこから出たわずかな数の細菌なのに,それらを殺す意味はあるのだろうか。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.80-81
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

清潔な方がアレルギーが多い

 ドイツの医療研究者,エリカ・フォン・ムティウス博士は1989年,ベルリンの壁が崩壊したすぐ後に,東西ドイツでぜんそくとアレルギーの発症率を比較する調査をした。調査前の博士の仮説は,環境汚染がひどく,生活水準が低く,医療サービスが悪い東ドイツのほうが,比較的清潔な西ドイツよりもアレルギーの発症率が高いだろうというものだった。だが,ここまで読んでくれた方なら予想できるだろうが,調査結果は仮説と逆だった。東ドイツの子どもたちのほうが,アレルギーやぜんそくにずっとなりにくいことがわかったのだ。
 博士は,同じような現象に気づいたほかの数人の科学者とともに,この結果を説明するための「衛生仮説」を発表した。衛生仮説によれば,ぜんそくやアレルギーは,清潔すぎる環境から生まれるという。こうした環境では,幼児期に通常受けるはずの刺激を免疫系が受けないので,本物の病原体にはふつうに反応し,花粉のような無害の物質は無視する能力が低くなってしまう。つまり,細菌やウイルスなどの微生物に日常的に触れることで,適切な防御反応が発達して,無害なほこりの粒子が体内に入るたびに免疫系が過剰反応しないようになるわけだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 p.58
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

古代の人がスニッカーズを食べないのはそれがなかったから

 そして3つ目の結論は,次のようなものだ。ありし日の姿と現代の生活に不一致があるからと言って,太古の食の本能にしたがったり,狩猟採集民の遺伝子には古代の知恵が詰まっていると信じたりするのがいいというわけではない。古代の食生活がベストだと考える人々は,体の声に耳を澄ませば,正しい食べ物を適量食べるように告げられていて,その食べ物はフライドポテトやスニッカーズではないとわかるという。
 だが実際には,その逆が本当なのかもしれない。そもそもなぜこんな食生活になってしまったかというと,人間は本来,栄養価の高いものを好むからだ。それらは,進化の歴史の中では手に入りにくかった。私たちの祖先は,熟したフルーツや蜂蜜といった糖分を含む食料を探すことで,良質なエネルギー源を確保し,熟していないフルーツに含まれる植物毒素を避けてきた。石器人が食べた栄養をどうしてもほしいということなら,別に食べてもかまわない。ただし,もし石器時代にキャンディバーやソフトドリンクがあったら,当時の人々も好んで飲み食いしただろうという考えを受け入れられればの話だ。これまで,私たちがいちばん食べたい食べ物が,体にいちばんよい食べ物であったことは一度もなかった。これは,体と食生活が一致しなくなってしまったからではなく,単にキャンディバーのようなお菓子が,過去のほとんどの時代に存在していなかったからだ。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.46-47
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

解熱剤は必要か

 子どもが熱を出したときに解熱剤を与えるということをよくやるが,これについてはどうなのだろうか。治療方法は,少しづつではあるが変わってきている。子どもの熱が上がり始めると,たいていの親や医師は不必要にあわててしまうが,医師の中にはこうした「熱恐怖症」に対して警告している人もいる。WHO(世界保健機構)の広報誌に載ったある論文では,子どもへの解熱剤の投与に関する多数の研究を調べていた。その結果は驚くべきもので,解熱剤を飲んでも飲まなくても,病状やそれの続く日数,子ども自身の気分にちがいはないことがわかった。ある研究では,よく効く薬と偽薬(プラセボ)のどちらを子どもに与えたか親に告げないという実験が行われた(親には事前に実験の了承を得ている)。病気が治った後,子どもが飲んだ薬がどちらだったかを親が当てる。結果は,正解者が5割ほどと,偶然当たったといわれても納得できる正答率だ。治療を受けている子どもは,活動量と覚醒度がやや高かったが,重視するほどのものではない。論文の著者は,これが研究の結論というわけではないが,とても興味深い結果だとしている。

マーリーン・ズック 藤原多伽夫(訳) (2009). 考える寄生体:戦略・進化・選択 東洋書林 pp.36-37
(Marlene Zuk (2007). Riddled with Life: Friendly Worms, Ladybug Sex, and the Parasites That Make Us Who We Are. Orland: Houghton Mifflin Harcourt.)

シビレエイ治療

 ウナギのように電気を授かった魚が電気治療の最初の例となった。ローマ帝国クラウディウスの宮廷医スクリボニウス・ラルグスは痛風の治療に大西洋産の黒いシビレエイ(Torpedo nobilana)を推奨した。<生きた黒いシビレエイは,痛みがはじまったときに脚の下に置くといい。患者は彼に洗われる湿った岸辺に立って,つま先から膝までが無感覚になるまで,そのままに留まらねばならない。これは今ある痛みを取り除き,来るべき痛みが襲うのを防ぐ……>
 百年後には有名な医師ガレノスが生きたシビレエイを頭痛の治療に用いるよう推薦した。効き目があったように思えるが,私自身としてはシビレエイの50ないし60ボルトを両耳のあいだに送り込もうとは思わない。もし治療に効果があったとしたら,痛みの信号を伝達する能力が混乱させられたためだろう。痛みの信号は規則的な一連のパルスによって伝えられ,(痛みレセプターの刺激で)パルスが頻繁になればなるほど,われわれの経験する痛みは強まる。しかし神経は1秒あたり千個かそこらのパルスしか伝えることができず,これを超えると逆説的な結果を引き起こすとみられている。すなわち信号は混乱に陥り,もしくはその通路を塞がれ,痛みの感覚は遠のく。この原理は今でも関節炎の痛みどめに応用されており,カプサイシン(生の唐がらし粉の活性成分)を幹部にほどこすことで神経を「過剰に刺激」するのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.175

水銀による梅毒治療

 ニュートンが晩年に患った「深刻な神経障害」は,錬金術の実験のために引き起こされた慢性の水銀中毒によるものと見受けられるが,ほかに水銀の蒸気を故意に浴びる場合もあった。17世紀に一般的だった梅毒の「治療」は,患者を仕切られた小部屋に入れて頭だけを外に突き出させ,水銀の入ったお椀を火にかけた上で患者の陰部をぶらぶらさせたのである。

レン・フィッシャー 林 一(訳) (2009). 魂の重さは何グラム?—科学を揺るがした7つの実験— 新潮社 p.136

ねらいを定めた対策

 皮肉なことに,たとえばエイズについて言えば,流行を押しとどめるための妙案は,現在実施されているような大勢の人を対象にした治療や教育ではなく,少数の特定の人たちにうまくねらいを定め,特に念入りに選び抜いた対策を施すことなのだ。複雑なネットワーク理論からこのことを洞察して実地に移すのは,たしかに容易なことではないだろう。けれども,少なくともこのことを理解していれば,疫学者や保健衛生に携わる人たちは基本的な作戦と戦略が見えてくるし,それが,エイズの流行だけでなく,将来新たな病気が出現したさいにも,いい結果をもたらしてくれるかもしれない。

マーク・ブキャナン 阪本芳久(訳) (2005). 複雑な世界,単純な法則:ネットワーク科学の最前線 草思社 p.295
(Buchanan, M. (2002). Nexus: Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks. New York: W. W. Norton & Company.)

日本の病院が混む理由

 必要がないのに病院に行く患者さんが多いことも,日本の病院が混む理由です。
 何度も言うようですが,風邪やインフルエンザ,はしかや水疱瘡でも,たいていの人が病院に行きます。ちょっと具合が悪いといって,深夜に救急車を呼びます。
 諸外国と比べて,日本の医療が安価であるのも理由の1つでしょう。医者が良心的で忙しくてもなんとか融通をつけて診療してくれるのも理由かもしれません。でも,そろそろこのような人の良心だけを資本にした医療も崩壊寸前です。このところ,病院で受け入れを断るところが出てきて問題になっています。これ以上は良心だけでは立ちゆかないのです。
 お医者先生に「心配ない」と言ってもらわないと落ち着かない,そういう文化があります。しかし,無用な患者で外来が混めば,結局,その不利益は自分に返ってくるわけです。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.209

風邪と肺炎の区別

 風邪をひいてしまったときの最善の策は,病院に行かないこと。これに尽きるだろうと思います。完治する薬はない,抗生剤は具合が悪い,病院でほかの病気をうつされる……多少の咳・鼻水・鼻づまり,微熱,頭痛ならがまんしてしまいましょう。
 ただし,肺炎だと大変なので,その区別は知っておきたいものです。
 (1)38度以上の高熱がある
 (2)鼻水やくしゃみは出ない
 (3)症状が4日も5日も長く続いて全然改善しない
など,風邪とは少し違うかな,と思われる場合は,医者に診てもらうほうがいいでしょう。「5日後に行ったら手遅れということもあるのでは?」——まあ,どんどん悪くなるようなら,そういうケースもないとはいえませんが,くしゃみ・鼻水・鼻づまりだけにおさまっており,食事も睡眠もそれなりにきちんととれていれば,多くは問題なく自然に治っていくでしょう。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.167-168

重要なのは患者が重症かどうか

 要するに,大事なのは新型インフルエンザかそうでないか,という点ではなく,患者さんが重症かどうか,です。その一点が大事なのです。たとえ新型インフルエンザであっても,比較的軽症で元気ならば,家でじっとしておいたほうがいいのです。病院に来なくてもいいでしょうし,たとえ来院しても入院する必要はないはずです。
 アメリカやオランダの新型インフルエンザガイドラインでも,全員入院,という推奨はしていません。
 日本の問題点は,病気を病原体だけで分類していることにあります。軽症でも重症でも新型インフルエンザなら入院させましょう,という考え方がその最たるものです。でも,感染症でほんとうに大事なのは病原体ではなく患者さんのほうです。患者さんが入院を必要としているかそうでないか。それはその人の体にもっている病原体ではなく,その患者さんが入院治療を必要としているか,重症かどうかが決定するのです。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.84

ワクチンはシートベルトのようなもの

 ワクチンとは,シートベルトのようなものです。シートベルトがなくても事故を起こさない人もいるでしょう。事故に遭ったときに,シートベルトがあっても命を落とす人はいます。しかし,総じてみるとシートベルトのおかげで命が助かったという人のほうが多いのです。備えあれば憂いなし,それがシートベルトです。インフルエンザワクチンも,シートベルトと同じです。打たなくても病気にならない人はいるでしょう。打ってもインフルエンザになる人もいるかもしれません。でも,総じてみれば,ワクチンを打ったほうが得をする可能性が高いのです。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 p.68

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