忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

一酸化炭素中毒

 一酸化炭素は,赤血球に対して酸素の200倍以上の吸着力があり,一度吸着すると容易に離れない。そして一酸化炭素を吸い続ければ,一酸化炭素中毒でガス交換できない赤血球が体内で急速に増えていき,やがていくら肺呼吸してもガス交換できない状態に至る。こうした赤血球レベルでの窒息を「内窒息」,肺呼吸レベルでの窒息を「外窒息」という。いずれにしろガス交換できないわけだから,同様に死に至るのだ。

上野正彦 (2010). 死体の犯罪心理学 アスキー・メディアワークス No.612-613/2162(Kindle)
PR

2色のパレット

 私たちの肌の色はさまざまだ。パレットには2種類の絵の具,つまり色素しか載っていない。1つはユーメラミンで,皮膚や毛髪や瞳を褐色や黒色にする暗い色素。もう1つはフェオメラニンで,より色の薄い部分,つまり金髪や赤毛にある明るい色素だ。画家が三原色を混ぜてすべての色をつくるように,肌の色もこの2つの色素を混ぜることによって出来上がる。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.220

プロテウス症候群

 こうしたがんは死に至ることが多い。だがPTEN遺伝子変異を1つ受け継ぐということは,こうしたがんの発症よりもはるかにひどい結果を招きうる。もし2つ目の遺伝子の変異が,幼児期の終わりではなく胚の初期の細胞で起きると,子どもの体のかなりの部分,ひょっとしたら半分までも, PTENタンパク質をまったく持たないことになる。その結果,このタンパク質を持たない部分は1つの大きく広がった腫瘍になる。
 この病気は「プロテウス症候群」として知られる。ギリシャの神々の中で頻繁に姿を変える神の名前だ。「海神プロテウスのように/さまざまなものにくり返し変身できる能力を持つ者がいる/ときには若者に,ときにはライオンに/ときには触れるのをためらわれるヘビに/ときには突進するイノシシに,さもなくば鋭い角の牛に」とオウィディウスは書いたが,ほかの作品ではこの海神を「あいまいなもの」と呼んでいる。プロテウス症候群はきわめてまれで,これまで世界じゅうでたったの60人しか知られていない。この症候群の子どもは誕生時には正常に見えるが,大きくなるにつれて顔や手足がだんだんと歪んでくる。骨や柔らかい結合組織が好き勝手に大きくなり,それが体じゅうに広がるが,体の片側だけということが多い。皮膚一面にひだ状の凹凸ができたり,とくに足の裏がざらざらしたりし,たいていは5歳になる前に死んでしまう。2つの大脳半球が不均衡に発達して神経発作を起こしたり,肋骨が大きくなりすぎて呼吸困難になったり,たくさんの奇妙な腫瘍の1つが悪性に変わったりするからだ。1890年に28歳で亡くなった,いわゆる「エレファントマン」ことジョゼフ・メリックは,プロテウス症候群だったといまでは考えられている。もしそうならば,彼の一生は短かったが,28歳まで生きられたのは幸運だと言える。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.178-179

病気ではない

 ピグミーの背が低いのは既知の何らかの病気のせいではない,ということはエミン・パシャが収集した骨格標本から明らかだ。ピグミーの四肢は見事に均整がとれていたからだ。もっとも,普通の背丈の人の均整のとれ方とは微妙に異なるが。これは,何万年にもわたる自然選択によってゆっくりと形成された体型なのだ。臨床遺伝学者にはなじみ深い,急激な変異ではない。ピグミーの女性と長身のアフリカ人農夫とのあいだに生まれた子どもたちを研究した結果,ピグミーの背の低さは1つの変異によるものではないだろうということがわかった。子どもたちの身長は両親の身長の中間に位置していたからだ。ということは,数種類の遺伝子がピグミーの背の低さに関わっているのだろう。その遺伝子が何なのかはわからないが,どんな働きをするのかは想像がつく。ピグミーの体型を詳しく測定してみると(数千人を測定),普通の背丈の人たちとくらべて足がやや短く,手がやや長い。また頭と歯は胴の大きさからするとやや大きい。実際,身長だけでなく,体全体の均整が一律にイギリスの11歳児のサイズになっている。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.161

骨形成不全症

 骨のコラーゲンが働かなくなる変異は,「骨形成不全症」という疾患を引き起こす。この病気は少なくとも4種類に分けられるが,なかには幼少期に死亡するものもある。最も特徴的なのは,骨が極端に脆いことだ。このため「ガラスの骨の病」として知られる。コラーゲンは階層的に作られているので,この変異は破壊的な影響を与える。コラーゲンのタンパク質は,3種類のペプチドからなり,このペプチド——アミノ酸の鎖——が寄り合わされて三重らせんを作っている。そしてこの三重らせんが集まって膨大な数の線維になり,織り合わさって,結合組織や軟骨を作る。それぞれのペプチドは別々の遺伝子にコードされているが,変異した遺伝子がたった1つあるだけで,かなりの数の三重らせんを破壊し,ひいては線維を,そして骨をめちゃくちゃにする。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.139

サリドマイド

 サリドマイドは,どんなふうにその破壊的な効果をもたらすのだろうか?サリドマイドとそれがもたらす薬害に関する広範囲にわたる文献を総括しようとすれば,およそ5000の専門論文にも及ぶだろう。にもかかわらずサリドマイドについてはいまだにほとんど解明されていない。だが,わかっていることもある。サリドマイドは催奇物質であって,突然変異原ではないということだ。つまりサリドマイド被害者の子どもは通常と比べて,先天的疾患になる危険が大きいわけではないということだ。サリドマイドは変異を起こすのではなく,細胞の増殖を抑える。つわりがいちばん辛い時期(妊娠39日から42日)に妊婦が服用すると,母親と胎児の体を循環し,細胞分裂を阻止する。じつはこの時期は,胎児の将来の四肢となるごく初期の細胞集団が,みずからを形成する時期なのだ。だからサリドマイドの影響を受けた期間によって異なるが,1つか,それ以上の骨の前駆細胞が増殖できなくなる。その結果,四肢の一部が失われることになる。サリドマイドは肢芽の形成に不可欠なFGFの働きを直接妨害するという説もあるが,これはまだ推測の域を出ていない。サリドマイドの手口がどんなにひどいものであろうとも,強力な薬であることに間違いはないので,いつまでも使用を断念できないようだ。さまざまな病気に対して効能が指摘され,役立てようという声が高まるにつれ,サリドマイドをめぐるタブーは破られつつある。南アフリカでは,ハンセン病の治療に使われている。妊娠に気づいていない女性にも投与されてしまうため,再び四肢に異常のある子どもの出生が報告され始めている。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.105-106

単眼症

 単眼症の子どもの1つしかない眼は,頭蓋骨の奥深くまで異常があることを示すサインのようなものだ。正常な脊椎動物の脳は,2つに分かれている。ヒトの場合はもちろん,「左脳」とか「右脳」とかの話をするときに出てくる,左と右の大脳半球をもっている。ところが,単眼症の子どもは違う。大脳半球と視葉と嗅葉が2つずつないのだ。前脳部分が融合して,見かけ上分割できない1つのものになっている。だから臨床医たちは,この先天的疾患を「全前脳症」と総称する。これはよく見られる脳の奇形で,1万6000人に1人の割合で生まれ,流産した胎児の200体に1体がこの障害をもっている。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.64

位置関係が反映

 結合性双生児の結合方法の多様さは,円盤のような形の発生中の胚が,共通の卵黄嚢に浮かんで接触するときに,相手とどういう位置関係にあるかで決まるようだ。リッタ=クリスチーナの場合は,2つの胚の円盤は側部と側部で接触し,脊柱が閉じてから下部の内臓器官が形成されるまでのあいだに融合した。顔の融合している結合性双生児の場合は,胚の端と端(頭部と頭部)で接触したのだ。結合性双生児の最も極端なものは「側部結合二顔体」で,あまりにも密接に融合しているので,1部分だけ二本になっている脊柱や2つの鼻,ときには3つの眼からしか,外見的には双子と判断できない。ここまでくると,1人の人間とするか,2人の人間とするかという議論は意味がなくなる。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.47-48

無頭蓋症

 器官原基が互いに相手を見つけて融合し,全体を形成する能力は,まさに胚発生の驚異の1つだ。こうしたことは,細胞の表面にあるさまざまな分子の働きで起こる。これらの分子には,ほかの細胞が自分たちと同種だと認識できるように取り決めておいた信号のようなものがある。これらは細胞接着分子——生物学者のいう「体のマジックテープ」——であり,1つ1つは弱いが集まると強い。とは言え,機関原基の融合はデリケートな仕事で,とくに神経管の融合はむずかしく,失敗しがちだ。1000人の1人の割合で,神経管の少なくとも1部が閉じていない「二分脊椎」という症状の子どもが生まれる。重度なのは,将来の脳に当たる部分の神経管が閉じそこなった場合だ。むき出しの神経組織は壊死して壊れてしまい,後頭部を肉切り包丁でざっくり切られたように,脳幹の残骸しかないような子どもが生まれる。
 このような無頭蓋症の子どもは,1500人に1人の割合で生まれる。前から見ると閉じかかった眼は頭部から突出したように見え,舌が口から突き出ている。こうした子どもは誕生後,数時間,あるいは数日で死亡してしまう。名前からわかるように,二分脊椎は神経管が閉じそこなっただけなく,脊柱が閉じそこなったため,神経索は骨で保護されずにむき出しのままだ。このような障害が見られるのは神経管だけに限らない。心臓原基も閉じそこなうことがある。その結果,1つになるはずのものが2分されて,それぞれ半分しかない2つの心臓を持つことになる。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.46-47

どこでくっつくか

 結合性双生児は胚の部分的な分裂の結果生まれるわけではないと考えるべき最大の理由は,彼らの体軸だ。彼らは頭どうしや胸どうし,腹部あるいは臀部どうしで結合している。つまり腹と腹,脇と脇,背中と背中が結合した形だ。どんな器官も共有できないほど結合が弱いものもあれば,すべての器官を共有するほど強いものもある。となると,この素晴らしい肉体的な配置は1つの胚が2つに分裂したことによって生じた,と考えるのには無理があるだろう。
 それでは,胚の分裂以外のいかなる方法で結合性双生児は生まれるのだろうか?サー・トマス・ブラウンは,子宮のことを「不可解な世界」と呼んだ。たしかにそのとおりだし,結合性双生児が生まれる原因を説明しようとするとき,とくにそう思える。しかし分裂か融合かというアリストテレスの二分法は人を惑わすだけだ,とする考えも出てきた。結合性双生児が生まれるには,まず1つの胚から2つの胚が作り出され,それから結合するが,1つの胚から2つの胚ができる方法は,機械的に分かれるような大雑把なものではなく,かなり繊細で興味深いものだ,と言うのだ。実際,結合性双生児は奇形の最たるものととらえられているが——つい最近も(1996年)『ロンドンタイムズ』は,ある結合性双生児を「形而上学的な侮辱を受けたもの(“metaphysical insults”)」と表現した——彼らがいたからこそ,子宮の中で私たちの体が秩序立って形成されるには,ある装置が働いていることが解明されたのだ。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.30-31

自信の連鎖

 医療の世界では,自信の連鎖はかぎりなく続いていく。医師は修行の1つとして自身をもった話し方を学ぶ(もちろん,生来自信のある人が医師になる場合もあるが)。そして患者は医師を,見かけほどの権威はないとは思わず,神のごとき明察力をもった聖職者のように扱う。その患者のへりくだりが,医師の振る舞い方に影響をあたえ,彼らの自信をさらに強める。危険なのは,自信が知識や能力を上回ったときだ。キーティングは言う。「医師に求められるのは平常心ですが,その境地にいたるには,技術力を磨くことが必要です。そして,つねに“不明”な要素がなければ,学び続けることはできません。医師という仕事には,謙虚であるべき部分が沢山あるのです」医師には,事実に耳を傾ける姿勢が欠かせない。知らないことは正直に認め,患者から学ぶ必要がある。だが,すべての医師が自信過剰を克服できるわけではない。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.136-137

学校のトイレ

 便器のほとんどは壊れているため,子どもたちは床を使用する。床がどうしようもなく汚れたら,学校の近くで利用できるトイレを探す。たいていそれは,もぐりの酒場や非白人用居住指定地にあるバーのトイレで,子どもたちはそこでビールを飲む。さもなければ,我慢して苦しい思いをすることになるか,だ。その結果,子どもたちは学校嫌いになる。トレヴァーはそのことに憤りを感じていた。「学校に行ったら,おしっこをする場所がないと,彼らにはわかっているのです。運転中にトイレに行きたくなった場合を想像してみてください。まったく集中できなくなるでしょう。そんなときに,先生の話を聞けるでしょうか?」
 これは,トレヴァー流の誇張などではない。学校のトイレ施設と出席率の因果関係は,数多くの研究で取り上げられている。ユニセフの統計によると,サハラ砂漠以南のアフリカに住む少女の3人に1人が,生理中の期間に限って,あるいはそれ以外のときもずっと学校に行っておらず,それは劣悪なトイレ施設のせいなのである。タンザニア,インド,バングラデシュでは,学校にきれいなトイレを設置したところ,入学者が最高で15パーセントも増加した。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.127-128

世界に目を

 衛生の問題に対する世界的な視野の欠如は,国連と開発途上国に限ったことではない。世界には,きちんと組織化されたトイレ協会があるが——たとえばイギリスや日本に——どれも,自国にしか目を向けていない。日本トイレ協会は,11月10日をトイレデーと定め(11/10は,「いいトイレ」の語呂合わせ),中身の濃い会議をおこなっているが,通訳は用意されていない。イギリス・トイレ協会は,トイレ・オブ・ザ・イヤーと名づけたコンテストを開催して大成功したが(このコンテストで最優秀と認められると,トイレの年間売上高が2倍になるほどだ),この協会の会員は,バス・トイレメーカーの関係者ばかりで,世界の公衆衛生の問題を解決しようという熱意は持ち合わせていない。
 ジャック・シムは,世界の不健全な衛生環境を改善するために活動する,地球規模の組織が必要だと考え,1999年に世界トイレ機関を設立した。彼には,この組織について,ある構想があった。世界中に存在するすべてのトイレに関する組織を,1つに取りまとめるサポート組織である。回避を徴収するつもりはなかった。彼の言葉を借りると,この組織は「リーダーではなく,召使い」なのだ。

ローズ・ジョージ 大沢章子(訳) (2009). トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題 日本放送出版協会 pp.104

(引用者注:World Toilet Organaization (WTO): http://www.worldtoilet.org/wto/ なお近年,日本の企業もWTO主催の世界トイレサミットに参加しているようだ)

治療床屋の仕事

 しかし,治療床屋には占星術の知識も求められた。中世の医術は1500年の歴史を持つ偽科学の延長線上にあった解剖学よりも,自然界の要素に関する神秘主義的な理解を基礎としており,ギリシャ時代の医者ヒポクラテスの影響を色濃く受け継いでいた。彼は世界は土と空気と火と水という4つの要素で構成されていると唱え,同様に,こうした性質,つまり“体液(ヒューモア)”の量の違いによって,すべての人の気質を表わすことができるとした。健康な人とは,この4つの体液のバランスが保たれた人のことだった。
 ヒポクラテスの時代から1500年が経過していたにもかかわらず,診断方法に本質的な違いはなかった。患者の体つきや,顔の色つやを観察することによって,その人の気質の中で粘液,血液,黄胆汁,黒胆汁の4つの体液のどれが優勢かを判断した。そのあと患者の尿サンプルを分析し,それをカルテと見比べると,それで初めて,どの体液の調整によってバランスが取り戻せるかを考えることができるのだ。
 治療床屋の仕事が本格的に不快になるのはここからである。中世には,リトマス試験紙も試験所での検査もなかった。患者を診断するときは,その名もジョーダンと呼ばれる湾曲したフラスコに尿サンプルを取った。カルテの助けを借りて尿の見た目や臭い,それに実際味わってみることで診断を下した。
 患者の症状が特定できたら,治療に向かう。ある体液が少なすぎるまたは多すぎる場合は,食事や運動,下剤や利尿剤や吐剤,瀉血といった治療法が,単独であるいは複数組み合わされて指示される。

トニー・ロビンソン&デイヴィッド・ウィルコック 日暮雅道&林啓恵(訳) (2007). 図説「最悪」の仕事の歴史 原書房 pp.75-76

原因を探ると…

 ヴァージニア大学の神経学者の目に留まった40歳の教員のケースほど,英国の詩人フィリップ・ラーキンのこの言葉をよく理解させてくれるものはなさそうだ。その教員は妻と義理の娘と穏やかに暮らしていたのだが,あるとき何かが変化した。彼は禁じられたセックスへの思いに取り憑かれ,その思いがどんどんエスカレートしていった。
 このあとに見るように,厄介な思考はなかなかコントロールできない。だがこの教員の場合は,ふつうの男性が頭のなかで楽しむ他愛ない憧れやちょっと突飛な幻想ではすまなかった。彼の思考はもっと危険で執拗だったので,まもなく教員は,ときに自分自身の意思に反してでも行動するようになった。まずポルノを蒐集し,さらに売春婦とつきあい,マッサージパーラーを訪れるようになり,ついに彼の強迫観念は子どもに向かった。この男性は教員だったことを思い出してほしい。彼の関心が思春期前期の義理の娘に向かったとき,妻は警察に通報した。彼は自宅から引き離され,児童虐待で有罪になった。刑務所行きを免れるための最後の努力として,すっかり人が変わった教師はグループ・セラピーへの参加に同意したが,まもなくセラピーの場で女性に言い寄ったために放り出された。あとは刑務所に入るしかない。自由な身の最後の晩,彼はいくら我慢しようとしても家主の女性をレイプしてしまうのではないかと自滅的な恐怖にかられて過ごした。さらに激しい頭痛に苛まれ,ついに病院に駆け込んだ。
 診断の結果,激しい頭痛の原因は切羽詰まった状況のせいではないことがわかった。たしかに偏頭痛が起こってもおかしくない状況ではあったが,男性の右眼窩前頭皮質に卵大の腫瘍が発見されたのだ。ここは判断や衝動のコントロール,社会的行動に関連する脳の領域と言われている。外科医が腫瘍を取り除くと,小児性愛の傾向もポルノや売春婦,レイプへの興味もすっかり消えた(それらが戻ってくるとまた問題が生じ,再び手術を受けることになった)。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.181-182

自己コントロールと自殺

 自殺が衝動的(自己コントロールの問題)であることをいちばんよく示しているのは,英国で天然ガスが導入されたときの出来事だろう。英国では長年,安くて豊かな石炭ガスが使われていたが,石炭ガスは一酸化炭素が多いので,ドアや窓が閉めきられていると不幸な結果を招いた。1950年代末には自殺者の半数近くがガス自殺だった。1963年には詩人のシルヴィア・プラスがロンドンの自宅で,ガスを出したオーヴンに頭を突っ込んで自殺している。ところが1970年代初めに天然ガスへの転換がゆきわたると,英国の自殺率は3分の1近くも低下し,その後も低いまま留まっている。人々はほかの手段を探して自殺しようとはしなかったわけだ。石炭ガスはあまりにも手軽だったので,ふと何もかもおしまいにしたくなった人たちは,どこかへ出かけたり何かを購入しなくても簡単に自殺を決行できた。これから繰り返し見ていくように,自己コントロールの問題ではスピードが決め手になる。だから,わずかな手間や面倒が生命を救う可能性があるのだ。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.50

自己コントロールと体重

 自己コントロールという難題をなによりもよく表しているのは,世界中の人たちが体重で苦労していることかもしれない。ほんの1世代前には世界最大の食糧問題といえば飢餓だったし,いまでも多くの場所で人々は飢えている。だがやっと豊かになった何億人もの人たち,そして前よりももっと豊かになった何億人もの人たちにとって,ますます大きくのしかかるようになった健康問題といえば肥満しかない。
 とくにアメリカではその傾向が強い。アメリカ人の太い胴回りは過剰な暮らしのシンボルとなり,病的肥満は公衆衛生上の「第2のタバコ」問題と言われている。アメリカ人の肥満が深刻になったのはここ30年くらいで,おおざっぱに言うと現在,成人の3分の1は病的肥満,あとの3分の1は病的とはいかないまでも太りすぎだという。この驚くべき変化の原因は,自己コントロールの問題で毎度登場する技術の進歩,社会的な変化,豊かさである。このすべてを表す驚くべき事実がある。わたしたちはどんどん太りつつあるわけだが,インフレ率調整後のカロリー当たりの価格はたぶんエデンの園の時代以来,最低水準に落ち込んでいるのだ。たとえば1919年,アメリカ人は1.3キロほどのチキンを買うために平均して158分,働かなくてはならなかった。それがいまでは15分程度の労働で内蔵を処理したチキンが買える。ソーダ水や冷凍食品,ファストフードその他の調理済み食品の値段も急落した。ジャガイモはどうか。第二次世界大戦以前,アメリカ人はジャガイモをたくさん食べていたが,フライドポテトはめったになかった。手間暇がかかりすぎるからだ。ところが食品科学の進歩によって,マクドナルドでは冷凍のフライドポテトがいつでも安く手に入るし,家庭で電子レンジで調理するのも簡単になった。当然ながらジャガイモの消費量は激増し,そのほとんどはフライドポテトである。状況はこれほど変化したのに,人間はこの豊かな環境に適応できるほど進化していない。それがアメリカ人の大多数が太りすぎという結果になって現れている。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.42-43

ここにも定義の拡大

 自閉症の発症率が劇的に上昇しているという話がメディアやインターネットで広がっている。自閉症の原因は何か。また,自閉症と診断される人の数が劇的に増えている原因は何か。医学の権威は,自閉症の原因は遺伝的なものだとする傾向があるのに対し,自閉症のアドボケートには,汚染されたワクチン,食事,テレビなどの環境が影響だと指摘する人が多い。
 こうした説明の多くが無視しているが,考慮すべきであるのがもっと明らかなことがある。それは,自閉症の定義が広がったことだ。1980年に米国精神医学会が定めた診断基準では,自閉症と診断されるには6つの症状を示していなければならなかった。1994年には新たな基準が定められ,16個の症状のうち8つに該当すれば自閉症と診断されることになった。しかも,新たに列挙された症状は幅広く,前ほど具体的ではなかったので,基準を満たすのがずっと容易になった。さらに1980年には自閉症は2種類しか認められていなかったが,それが1994年には5種類に増えた。そこには「軽度なタイプ」が2つ含まれており,全診断例の4分の3を占めていた。(ここでもまた,とりわけ深刻な事例はとりわけめずらしい事例だという原理が確認される。)言い換えれば,自閉症と見なされる振る舞いの範囲が今ではかつてよりずっと広いのだ。この病気の定義はこのように変わった。さらに自閉症についての人々の認識が高まっていて,そのことによっても事例が見逃されにくくなっていることを勘定に入れれば,自閉症の症例が本当に急増しているということはなさそうに思われる。

ジョエル・ベスト 林 大(訳) (2011). あやしい統計フィールドガイド 白楊社 pp.140-141

定義の変化で

 1998年に連邦政府が,「太りすぎ」というカテゴリーを定義しなおした。それまでは,男性なら,肥満度を示す体格指数(BMI)が28,女性ならBMIが27より低ければ,正常と判断されていた。ところがこのとき男女とも,BMIの正常な値の上限が25に引き下げられた。肥満度が正常だとされていた米国人のうち2900万人が,この再定義によって突然,太り過ぎに分類しなおされた。つまり今や公式の判断基準によって健康上の問題があることになったのだ。
 この変化——だれ1人として1ポンドも太らないなかで起こった変化は,重大な社会的影響をもたらした。太りすぎの定義を広げたということは,体重の問題を抱える米国人が増え,体重についての医学的研究がもっと重要になるということだった。(なぜなら,より多くの人たちに影響を及ぼすわけだから。)これで,体重の問題に対処しようとする政府機関(たとえば疾病予防管理センター)は,自分たちの仕事にもっと高い優先順位が与えられるべきだと主張することができたし,やせ薬に取り組んでいる製薬会社は,将来の利潤が増えると期待できた。

ジョエル・ベスト 林 大(訳) (2011). あやしい統計フィールドガイド 白楊社 pp.79

医療は成長産業か

 それでも,産業関連表を使って「おかしな経済分析」をする人々,特に医療関係者の中には,「医療産業の波及効果は,その他の産業よりも高いので,医療産業は成長産業である」として,医療産業への公費拡大を「成長戦略」として,正当化しようとする人々がいます。
 しかし,まず第1に,これは事実に反しています。先の日本医師会総合政策研究機構の分析結果ですら,非効率と批判される公共事業のほうが,医療産業への公費投入よりも,波及効果が大きいことを報告しています。しかも,既に述べたように,医療産業のような規制産業の波及効果の推計は,明らかに過大で信用できません。
 第2に,公費への依存率が高い医療産業と,公費にそもそも依存していない「その他の産業」を比較しても,成長戦略としては,あまり意味がありません。既に述べたように,成長産業というのは,公費に頼らずとも自律的に成長する産業のことですから,現在の日本の医療産業が成長産業でないことは明らかです。
 第3に,公費に頼って医療産業を拡大させてゆくということは,その公費拡大を行う分だけ,国民から増税という形で所得を奪い,本来であれば,その他の産業に向かっていたであろう「お金」を縮小させています。公費による医療産業の拡大は,その副産物として,その他の産業の縮小を伴うのです。したがって,医療産業拡大が,国全体の成長率にどう影響するのかを議論するためには,医療産業の拡大と,それによって割を食うその他の産業の縮小を差し引いて,トータルの効果を考えなければ意味がありません。既に述べたように,それはプラスマイナスゼロか,将来的にはマイナスの効果を持っていると考えられます。
 第4に,より根本的な問題ですが,スナップショットの産業関連表の波及効果と,成長戦略にとって重要な「潜在成長率」はそもそもあまり関係がない概念で,産業関連表で成長戦略を議論すること自体に,実は,ほとんど意味がありません。

鈴木 亘 (2010). 財政危機と社会保障 講談社 pp. 92-93

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]