I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

たこつぼ心筋症

いくつもの心臓を持った生物だからか,タコは人間の心臓病の名前にまで借り出されている。“タコつぼ心筋症”という一過性の病気で,心臓の左心室が肥大し,タコつぼに似た形になるところからそう呼ばれている。欧米では“傷心症候群”という名称のほうが一般的だろう。タコが失恋するかどうかは知る由もないけれど。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.78

距離の基準

「危険そうなものからは離れる」は誰にでも直観でわかる,原始的なリスク管理法である。しかし,では「どのくらい距離をとればよいか」と具体的な数字を追求すると,とたんに決めることが難しく感じられる。距離に関する基準値を調べてみると,多くの人が「なんとなく」合意で決めたのであろう,と推察されるものが少なくなかった。そのなかで比較的,根拠が追えるものについて取りあげたつもりである。
 「携帯電話と植込み型医療機器の距離」の例では,リスク(避けたい影響)は定義されていたものの,国の指針も鉄道会社の運用も,安全への余裕を根拠なしに大きくとったために,どんなリスクを避けるための対応などかがわからなくなってしまった。「危険物施設との保安距離」の例では,そもそも受け入れられるリスクのレベルが曖昧であり,「ゼロリスク」の想定のもとでしか議論されていなかった。このような考えでは「想定外」に対応することはできない。
 将来にわたって,明確な根拠を持って距離の基準値を決めるにはどうすればよいのか,ぜひみなさんも考えてみていただきたい。これからは,“○○cm”などと距離が示された基準値を見つけたら,その根拠について探ってみてはいかがだろう。専門家や行政に直接,尋ねてみるのも面白いかもしれない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.246

メタボの基準

1999年にWHOが初めて作成したメタボの診断基準では,必須条件は腹囲ではなくインスリン抵抗性(インスリンによって血糖値を下げる効果が弱い状態)だった。内臓脂肪については必須条件ではなく,(1)ウエスト/ヒップ比(男性<0.9,女性<0.85),(2)BMI(≧30),(3)腹囲(≧94cm)のいずれかを満たす場合としている。ところが米国のコレステロール教育プログラム基準では,腹囲(男性≧102cm,女性≧88cm,ただしアジア系では男性≧90cm,女性≧80cm)を含む5項目のうち3項目以上を満たす場合と定義された。さらに2005年に発表された国際糖尿病連合(IDF)基準では,腹囲(地域別の基準値が適用)を必須項目とするほかに,4項目のうち2項目以上を満たす場合として定義されている。
 日本でのメタボの基準も,独特のものとなった。とくに腹囲の基準値では男性の「85cm」が厳しすぎること(成人男性のほぼ半数が該当!),世界で唯一,女性のほうが大きな値となっていることが批判の的となった。やや肥満気味の人のほうが痩せた人よりもむしろ長寿であるという統計データが多数存在することから,医薬品業界のマーケット戦略であるとも非難された。
 そもそも腹囲と内臓脂肪面積には,相関はあるが,ばらつきも大きい。内臓脂肪面積100cm2以上に相当する腹囲は,男女とも75cm〜95cmと非常に範囲が広いのだ。そのため2009年には腹囲を必須としない新国際統一基準ができ,腹囲(地域別の基準値を適用)を含む5項目のうち,3項目以上を満たす場合と定義された。ところが——この新国際統一基準において,日本人に対して適用されるべき腹囲の基準値はいま,なんと「男性≧90cm,女性≧80cm」と「男性≧85cm,女性≧90cm」が併記された状態になっていて,いまだに決着がついていないのだ。はたしてお腹ぽっこり=メタボなのか,論争はまだまだ収まりそうにない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.152

化学物質の基準値

化学物質の基準値には,もともとは大きく分けて「環境基準型」の基準値と「残留農薬型」の基準値の2種類があった,ということを覚えておくとよいだろう。言い換えれば,「無毒性換算型」の基準値と「ALARA型」の基準値の2種類である(「ALARA」とは「できうる限り低く」=As Low As Reasonably Achievableという意味)。両者はともに化学物質の基準値としては歴史が古く,いわば「基準値の基礎」とも呼べるものである。
 また,これらは両者とも「受け入れられるリスクの大きさにもとづく」という考え方が生まれる以前の考え方で決められた基準値であり,その意味では古典的な決め方の基準値ともいえる。無毒性換算型は「無毒性=ゼロ」であるから文字どおり,ゼロリスクを目指す考え方であるし,「ALARA」にしても,健康影響とは無関係にわずかでも毒物が入っていたら感覚的に「イヤ」なので,できるかぎり減らす努力をしましょうという考え方だ。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.130-131

ホルムアルデヒドの基準のつくり方

ホルムアルデヒドの基準値は,動物実験の結果から算出されている。この実験は,280匹のオスのラットを4つのグループに分け,ラットの体重1kg当たり,それぞれ0mg,1.2mg,15mg,82mgのホルムアルデヒドを飲み水に混ぜて与えて,2年間継続して観察したものである。
 この結果,82mg投与したグループにのみ,体重の減少や胃粘膜壁の異常などが観察されたことから,閾値は1日当たり15mg/kgと82mg/kgの間にあるものとみなし,低いほうの1日当たり15mg/kgまでなら毒性影響はないものと判定された。なお,このような毒性影響が見られないと判定されたレベル(この場合は1日当たり15mg/kg)のことを,専門用語では「No Observed Adverse Effect Level」(NOAEL)という。日本語では「無毒性量」と訳すことが多いが,正確には,毒性が「観察されなかった量」を意味する。いわば日本語は「誤訳」であり,この訳のためにNOAELを「ゼロリスクとなる量」と誤解している人も多い。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.83-84

急性毒性と慢性毒性

化学物質の毒性は,急性毒性と慢性毒性に分けることができる。
 急性毒性とは,その物質を短い期間だけ摂取しても影響が生じる毒性で,著しく重篤な場合,たった1度の摂取で死を招くこともある。
 慢性毒性とは,長期間にわたってその物質を摂取することで影響が生じる毒性で,たとえば歯や骨,内臓に異常をきたす。慢性毒性を示す物質には,発がん性があるものとないものがある。さらに発がん性がある化学物質にも,その発がんメカニズムによって,遺伝子を直接傷つける形で発がんを引き起こすものと,そうでないものとがある。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.78-79

高血圧の基準

「なにが安全か?」という線引きは絶対的なものではない。今後の研究次第では,現在は「健康」とされている血圧が「要治療」に突然変わってしまうかもしれないし,その逆もあるかもしれない。たとえば2014年4月に,日本人間ドック学会が「健康な人」の収縮期血圧は「〜147mmHg」,拡張期血圧は「〜94mmHg」と発表し,これを同学会の独自の新基準とする,などの動きが起こっている。基準というものはそういうものだと考えておいたほうがよい。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.66-67

経済危機に強い医療制度

これに対し,他の多くの先進国の医療制度はもっと経済危機に強いものだった。カナダ,日本,オーストラリア,そしてほとんどのヨーロッパ諸国は,医療を市場任せにするのではなく,国による国民皆保険制度を土台にしてきた。これらの国々では,医療分野では市場原理がうまく働かず,「さかさま医療ケアの法則」という罠にはまる危険性があることを承知していた。
 そうした国々とアメリカとの違いは,今回の大不況でも大きな差となって表れた。アメリカでは何百万人もの人々が医療を受けにくい,あるいは受けられない状態に陥ったが,イギリス,カナダ,フランス,ドイツなどでは,医者に行くのを控えたり,予防医療を受けるのをやめたりした人はずっと少なかった。これらの国々では医療は市場財ではなく人権の1つと考えられていて,職や収入を失っても受けられる医療サービスにはあまり影響がなかったからである。つまり,経済が打撃を受けても,国民が「破産か健康か」という選択を迫られるようなことはなかった。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.182

医療の市場原理は

かなり前から繰り返し指摘されてきたことだが,医療の世界では市場原理はうまく働かない。ノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローも,1963年に発表した画期的な論文のなかで,市場原理だけに任せておくと,安くて質の高い医療はなかなか提供されないと述べた。医療は主に次の2点で一般的な市場財とは異なる。1つはニーズの予想が難しいこと。もう1つは思いもかけず高額になる場合があること。たとえば,心臓発作を起こして冠動脈バイパス手術を受けるといったことは,いつ起きるのか事前にはわからない。そのためにいつ金を用意しておけばいいのかもわからないし,少々貯金してみたところで,大きな手術を受ければすぐに底をついてしまう。だからこそ保険に入るのだが,それで問題がすべて解決されるわけではない。なぜなら,保険に入るということは,どういう治療は受けられて,どういう治療は受けられないのかを他人に決めさせることを意味するからである。
 一方,民間の保険会社は企業として利益を生むことを求められる。そして利益を増やそうとすれば,方法は2つしかない。売上を増やすか,原価を削るかである。保険会社の売上は被保険者が毎月支払う保険料であり,原価は会社の経費と会社が支払う保険金である。つまり,医療を受けずにすむような人々に加入してもらい,医療を必要とする人々を加入させなければ(前述のパージング),確実に利益が増える。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.179-180

自己愛性パーソナリティ障害

話は少しそれるが,DSM-IV作成過程では,自己愛性パーソナリティ障害を診断カテゴリーとして残すかどうかが議論になった。うつ病など,精神症状が重篤な場合には自己愛性が強まる可能性があり,それを診断カテゴリーとすることが妥当かどうかという意見が出されたためである。わが国では疫学的根拠に乏しいまま若い人に自己愛的な傾向の強い若者のうつ病が増えているといわれるが,年齢にかかわらず,うつ状態が強くなると自己愛的になるのである。もっとも,DSM-IVでは最終的に,自己愛性パーソナリティ障害を削除するだけの科学的根拠がないという理由で,それがそのまま残されることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.129-130

自閉症と診断されると

このように増加した大きな理由として,米国では,自閉症と診断されると学校で丁寧に扱われることが挙げられる。米国の普通学級はおおよそ35人で構成されているが,自閉症と診断されると4人学級に入ることができ,手厚く注意を払ってもらうことができる。そのために,知的能力が高く,少し風変わりだったり引っ込み思案だったりする子どもが,教育的なメリットがあるという理由で,自閉症という診断を受けるケースが増えることになった。本来は教育的な配慮をもとに判断されるべきところが,医学的な診断が優先されるためにこのようなことが起きたのである。DSMが力を持ちすぎた結果,このように学校や司法場面で乱用ともいえる形でDSMが使用されることになってしまった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.71-72

うつ病の多様化?

過剰診断に関連して,近年,うつ病が多様化したといわれることがある。しかし,これは誤解を招くいい方であると私は考えている。うつ病という病気の表現形が多様化したのか,うつ病という症状群を引き起こす要因が多様化したのかが明らかでないからである。さらには,これまではうつ病と診断されなかった多様な症状群まで,うつ病と診断されている可能性もある。
 うつ病が多様化したという場合に,私たちは,うつ病という本体があって,その症状がさまざまな形で現れているというイメージを持っていることが少なくない。うつ病という実体があるという前提にたっているためだが,実際にはうつ病の実体はまだ解明されていない。そのために,DSMでは,ある特定の症状の一群をうつ病と呼ぼうという約束ごとをしている。それが診断カテゴリーである。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.63-64

訳語の問題

中でも議論になったのが,disorderの訳語である。精神科病名検討連絡会では,disorderを「障害」ではなく「症」と訳すという提案が議論された。「障害」という用語に伴う偏見を和らげようという意図からで,「障がい」や「障碍」などの用語も検討された。最終的には不安障害など一部の疾患で「症」が採用されることになったが,反対意見も根強かったために「症」と「障害」が併記されることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.61

精神分析学の失墜

さて,精神力動的もしくは精神分析的な考え方が米国の精神医学の中で力を失っていった原因はいくつかある。最も大きな要因として,医療経済的制約が強まる中,高価で時間がかかるにもかかわらず効果の検証が行われていなかったことが挙げられる。
 もう1つの大きな要因として考えられるのが,80年代に入って急速に強まった生物学的精神医学の流れである。その頃から精神疾患は,脳の疾患であるということが強調されるようになり,精神的な苦痛を心理的要因から理解しようとする精神分析的ないしは精神力動的立場は急速に弱まっていった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.47-48

分割論者と包括論者

DSM-IIIでは,それまでの診断分類に比べて多くの診断カテゴリーが取り入れられ,それによって併存診断が増えることになった。診断分類を作成する際には,細かくカテゴリーを分けようとする“splitter”(分割論者)と呼ばれる立場のグループと,あまり細かく分けないで大きくまとめて取り扱おうとする“lumper”(包括論者)と呼ばれるグループとの間での葛藤が生じることが多い。DSM-IIIの作成過程では,“splitter”の力が強く,多くの細かい診断分類が追加されることになった。しかも,実際に診断を下す際には,見落としのないようにできるだけ多くの疾患カテゴリーを診断するように勧められている。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.42-43

神経症

理論的に中立の立場をとって症状記述に徹することに対しては,病因を無視することになるという批判が出された。とくに,精神内界の葛藤に病因を想定する「神経症(neurosis)」という用語が使われなくなったことに対しては,精神力動的な立場の精神科医が強く反対した。しかし,立場が異なるさまざまな研究者や臨床家が共通の土壌で議論することを可能にするというプラスの面が大きかったことから,病因を想定しない分類システムが米国だけでなく世界的に広く受け入れられることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.40-41

絶え間ない拷問の生活

手術後にフロイトは口の中に義歯をつけねばならなくなった。これは痛みを伴ったが,つけないときちんと話したり食べたりできなかった。ずっとつけていると痛かったが,しかし長い時間はずしていると縮んできちんとつけられなくなるという重大なリスクがあった。アパートには小さな消毒室があって,旅行でもしていないかぎりアンナは義歯をはずしてきれいに洗い,口に戻すことを毎日行っていた。フロイトは常に誰かがもっとよい義歯を作ってくれることを望んでいた。しばらくフロイトはペンで書きものをすることができなかったので,続く半年間の彼の手紙はタイプ打ちであり,「うまく話ができないかもしれませんが,家族や患者はわかると言ってくれます」とサムに書いている。
 しかしフロイトは喫煙を辞めなかった。続く16年の間にフロイトは前ガン状態の病変を切除する手術を30回も行わねばならなかったのだが,最新の技法を常に心得た優秀で献身的な外科医に恵まれていた。それでも「その結果は,たえまのない拷問の生活であった」とフロイトの最後の主治医であったマックス・シュールは『フロイト 生と死』で記している。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.100-101

正義の問題

これは科学のみならず,正義の問題でもあった。司法システムは医療と同じく,被験者を個別に扱うよう求めている。腸チフスの患者の90パーセントが死ぬとわかっていても,医者は患者ひとりひとりに生き抜く力があると考えなければならない。それと同じで,たとえ10パーセントの確率でも,無実の人間を誤って犯罪者としてしまう可能性があるのなら,嘘発見器で有罪かどうかを決めてはならない。アドルフ・マイヤーのもとで研鑽を積んだとき,ラーソンは人間がだれしも同じではなく,それぞれが自然の実験装置であると教えられた。「われわれはこれまでも誤りを犯しましたし,きっとこれからも犯しつづけるでしょう」とヴォルマーへの手紙に書いている。嘘発見器も陪審団に誤った情報を伝えてしまうかもしれず,誤審を招きかねなかった。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.192-193

健康と長寿の誤解

健康政策を作る人たちも,私たち一般人も,健康と長寿に関しては2つの大きな誤解をしている。
 1つは,家系を必要以上に重視することだ。たしかに背の高さは両親から受け継いだ遺伝子でほぼ決まっているだろう。また,ある特定の病気になりやすい家系も確実に存在し,遺伝が原因だとはっきりしている病気があるのも事実だ。だから,家族の病歴を知っておくのは,どんな検査を受ければいいか,どんな症状に注意すればいいかを判断するうえで,とても大切なことだと言えるだろう。しかし家族の病歴からは,心臓発作を起こすかどうか予測することはできないし,寿命を予測することもできない。やはりいちばん大切なのは,自分自身の生き方である。
 もう1つの誤解は,健康にいいことをリストにすれば,健康状態を向上させられると考えることだ。
 医師たちは,よくこんな愚痴を言っている。「バランスのとれた食事,喫煙,減量,充分な睡眠,運動などなど……これが健康にいちばんいいのはよくわかっていますよ。でも患者が言うことを聞いてくれないんです。だからどうしても薬に頼ってしまうんです」
 たしかに医師たちの言うとおりなのだろう。健康になるためのリストを渡されて,それを忠実に実行する人などまずいないからだ。ところが,健康長寿を実現したターマン研究の男女はそんなリストなんて見たこともなかったが,それでも健康的な生き方のパターンを確立していた。
 現代の健康政策は,健康リスクや病気にばかり注目している。そして医師たちは,健康政策で指摘された問題を修復しようとする。もちろん何度も言っているように,実際に病気の症状が出ているのなら,そのための治療は大きな助けになる。現代医療が最も効果を発揮するのはこの分野だろう。
 しかし問題の修復は,本来は健康政策のほんの一部であるべきだ。それなのに現在では,この一部にだけ注目が集まり,健康で長生きできる生き方のパターンという,より包括的な視点が完全に欠けてしまっている。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.243-244

健康に悪いもの

健康に悪いとはっきり証明されていることは,じつはそんなに多くない。ここで,健康に直接悪い影響を与えるとわかっているものを種類に分けて見ていこう。
 1つは,一定量以上の毒物だ。タバコの煙,鉛などの重金属,農薬,汚染された大気は,体内に摂取すると細胞が死滅して内蔵がダメージを受けることがわかっている。
 そして2つ目は放射線だ。放射線を浴びすぎると,気分が悪くなるだけでなく,実際に亡くなってしまうこともある。放射線の発生源は,地下室のラドンかもしれないし,核爆弾の死の灰や核廃棄物かもしれない。または医療用のX線も浴びすぎるのも危険であり,特にCTスキャンには気をつけなければならない。放射線の被曝量は蓄積していくので,被曝するたびにリスクが大きくなっていく。
 3つ目は,悪性の感染病だ。ある種のウィルス,バクテリア,菌は,感染すると体の免疫機能を打ち負かしてしまう。じつは,医療がいちばん力を発揮するのがこの分野だ。ワクチンや薬は,感染症の治療で実際の効果を上げることができる。
 交通事故で頭蓋骨を骨折する,溺れて窒息する,銃で撃たれて動脈が切れるなどの外傷も,健康に直接的な悪影響を与える。ここでも外科手術や救急救命医療が大きな助けになってくれる。
 しかし,はっきりと悪影響があるとわかるのもこれぐらいだ。ここから先は,とたんに白黒がはっきりしなくなっていく。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.237-238

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