I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「医療・医学・薬学」の記事一覧

うつ病の多様化?

過剰診断に関連して,近年,うつ病が多様化したといわれることがある。しかし,これは誤解を招くいい方であると私は考えている。うつ病という病気の表現形が多様化したのか,うつ病という症状群を引き起こす要因が多様化したのかが明らかでないからである。さらには,これまではうつ病と診断されなかった多様な症状群まで,うつ病と診断されている可能性もある。
 うつ病が多様化したという場合に,私たちは,うつ病という本体があって,その症状がさまざまな形で現れているというイメージを持っていることが少なくない。うつ病という実体があるという前提にたっているためだが,実際にはうつ病の実体はまだ解明されていない。そのために,DSMでは,ある特定の症状の一群をうつ病と呼ぼうという約束ごとをしている。それが診断カテゴリーである。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.63-64

訳語の問題

中でも議論になったのが,disorderの訳語である。精神科病名検討連絡会では,disorderを「障害」ではなく「症」と訳すという提案が議論された。「障害」という用語に伴う偏見を和らげようという意図からで,「障がい」や「障碍」などの用語も検討された。最終的には不安障害など一部の疾患で「症」が採用されることになったが,反対意見も根強かったために「症」と「障害」が併記されることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.61

精神分析学の失墜

さて,精神力動的もしくは精神分析的な考え方が米国の精神医学の中で力を失っていった原因はいくつかある。最も大きな要因として,医療経済的制約が強まる中,高価で時間がかかるにもかかわらず効果の検証が行われていなかったことが挙げられる。
 もう1つの大きな要因として考えられるのが,80年代に入って急速に強まった生物学的精神医学の流れである。その頃から精神疾患は,脳の疾患であるということが強調されるようになり,精神的な苦痛を心理的要因から理解しようとする精神分析的ないしは精神力動的立場は急速に弱まっていった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.47-48

分割論者と包括論者

DSM-IIIでは,それまでの診断分類に比べて多くの診断カテゴリーが取り入れられ,それによって併存診断が増えることになった。診断分類を作成する際には,細かくカテゴリーを分けようとする“splitter”(分割論者)と呼ばれる立場のグループと,あまり細かく分けないで大きくまとめて取り扱おうとする“lumper”(包括論者)と呼ばれるグループとの間での葛藤が生じることが多い。DSM-IIIの作成過程では,“splitter”の力が強く,多くの細かい診断分類が追加されることになった。しかも,実際に診断を下す際には,見落としのないようにできるだけ多くの疾患カテゴリーを診断するように勧められている。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.42-43

神経症

理論的に中立の立場をとって症状記述に徹することに対しては,病因を無視することになるという批判が出された。とくに,精神内界の葛藤に病因を想定する「神経症(neurosis)」という用語が使われなくなったことに対しては,精神力動的な立場の精神科医が強く反対した。しかし,立場が異なるさまざまな研究者や臨床家が共通の土壌で議論することを可能にするというプラスの面が大きかったことから,病因を想定しない分類システムが米国だけでなく世界的に広く受け入れられることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.40-41

絶え間ない拷問の生活

手術後にフロイトは口の中に義歯をつけねばならなくなった。これは痛みを伴ったが,つけないときちんと話したり食べたりできなかった。ずっとつけていると痛かったが,しかし長い時間はずしていると縮んできちんとつけられなくなるという重大なリスクがあった。アパートには小さな消毒室があって,旅行でもしていないかぎりアンナは義歯をはずしてきれいに洗い,口に戻すことを毎日行っていた。フロイトは常に誰かがもっとよい義歯を作ってくれることを望んでいた。しばらくフロイトはペンで書きものをすることができなかったので,続く半年間の彼の手紙はタイプ打ちであり,「うまく話ができないかもしれませんが,家族や患者はわかると言ってくれます」とサムに書いている。
 しかしフロイトは喫煙を辞めなかった。続く16年の間にフロイトは前ガン状態の病変を切除する手術を30回も行わねばならなかったのだが,最新の技法を常に心得た優秀で献身的な外科医に恵まれていた。それでも「その結果は,たえまのない拷問の生活であった」とフロイトの最後の主治医であったマックス・シュールは『フロイト 生と死』で記している。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.100-101

正義の問題

これは科学のみならず,正義の問題でもあった。司法システムは医療と同じく,被験者を個別に扱うよう求めている。腸チフスの患者の90パーセントが死ぬとわかっていても,医者は患者ひとりひとりに生き抜く力があると考えなければならない。それと同じで,たとえ10パーセントの確率でも,無実の人間を誤って犯罪者としてしまう可能性があるのなら,嘘発見器で有罪かどうかを決めてはならない。アドルフ・マイヤーのもとで研鑽を積んだとき,ラーソンは人間がだれしも同じではなく,それぞれが自然の実験装置であると教えられた。「われわれはこれまでも誤りを犯しましたし,きっとこれからも犯しつづけるでしょう」とヴォルマーへの手紙に書いている。嘘発見器も陪審団に誤った情報を伝えてしまうかもしれず,誤審を招きかねなかった。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.192-193

健康と長寿の誤解

健康政策を作る人たちも,私たち一般人も,健康と長寿に関しては2つの大きな誤解をしている。
 1つは,家系を必要以上に重視することだ。たしかに背の高さは両親から受け継いだ遺伝子でほぼ決まっているだろう。また,ある特定の病気になりやすい家系も確実に存在し,遺伝が原因だとはっきりしている病気があるのも事実だ。だから,家族の病歴を知っておくのは,どんな検査を受ければいいか,どんな症状に注意すればいいかを判断するうえで,とても大切なことだと言えるだろう。しかし家族の病歴からは,心臓発作を起こすかどうか予測することはできないし,寿命を予測することもできない。やはりいちばん大切なのは,自分自身の生き方である。
 もう1つの誤解は,健康にいいことをリストにすれば,健康状態を向上させられると考えることだ。
 医師たちは,よくこんな愚痴を言っている。「バランスのとれた食事,喫煙,減量,充分な睡眠,運動などなど……これが健康にいちばんいいのはよくわかっていますよ。でも患者が言うことを聞いてくれないんです。だからどうしても薬に頼ってしまうんです」
 たしかに医師たちの言うとおりなのだろう。健康になるためのリストを渡されて,それを忠実に実行する人などまずいないからだ。ところが,健康長寿を実現したターマン研究の男女はそんなリストなんて見たこともなかったが,それでも健康的な生き方のパターンを確立していた。
 現代の健康政策は,健康リスクや病気にばかり注目している。そして医師たちは,健康政策で指摘された問題を修復しようとする。もちろん何度も言っているように,実際に病気の症状が出ているのなら,そのための治療は大きな助けになる。現代医療が最も効果を発揮するのはこの分野だろう。
 しかし問題の修復は,本来は健康政策のほんの一部であるべきだ。それなのに現在では,この一部にだけ注目が集まり,健康で長生きできる生き方のパターンという,より包括的な視点が完全に欠けてしまっている。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.243-244

健康に悪いもの

健康に悪いとはっきり証明されていることは,じつはそんなに多くない。ここで,健康に直接悪い影響を与えるとわかっているものを種類に分けて見ていこう。
 1つは,一定量以上の毒物だ。タバコの煙,鉛などの重金属,農薬,汚染された大気は,体内に摂取すると細胞が死滅して内蔵がダメージを受けることがわかっている。
 そして2つ目は放射線だ。放射線を浴びすぎると,気分が悪くなるだけでなく,実際に亡くなってしまうこともある。放射線の発生源は,地下室のラドンかもしれないし,核爆弾の死の灰や核廃棄物かもしれない。または医療用のX線も浴びすぎるのも危険であり,特にCTスキャンには気をつけなければならない。放射線の被曝量は蓄積していくので,被曝するたびにリスクが大きくなっていく。
 3つ目は,悪性の感染病だ。ある種のウィルス,バクテリア,菌は,感染すると体の免疫機能を打ち負かしてしまう。じつは,医療がいちばん力を発揮するのがこの分野だ。ワクチンや薬は,感染症の治療で実際の効果を上げることができる。
 交通事故で頭蓋骨を骨折する,溺れて窒息する,銃で撃たれて動脈が切れるなどの外傷も,健康に直接的な悪影響を与える。ここでも外科手術や救急救命医療が大きな助けになってくれる。
 しかし,はっきりと悪影響があるとわかるのもこれぐらいだ。ここから先は,とたんに白黒がはっきりしなくなっていく。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.237-238

ほとんどが異常に

近ごろの医学では,何でも病気にしてしまう傾向がある。これは現代社会が抱える大きな問題だ。たしかに運動をすれば病気や若死にのリスクが減るというのは事実であり,それを裏づける信頼できる調査結果も存在する。運動をすれば太りすぎが解消されたり血圧が下がったりして,それが健康につながるからだ。
 そこで医学界は,正常と異常をわける基準を作り出した。たとえば血圧という数字は,病気を決める基準になりうる。たしかに血圧が高いほど心臓病や脳卒中のリスクが高くなるからだ。そのため正常値とされる数字がどんどん低くなる傾向にあり,最近では上が120で下が80が正常で,それより高い数字は高血圧だと主張する専門家までいるほどだ。
 かつては,血圧の上が160以上になると危険なサインと考えられていた。それがいつしか150以上になり,次に140以上の時代が長く続くことになる。そしてついに,130か120を超えると血圧を下げる薬を出されることもある時代に突入した。「高血圧」という新しい病気の誕生だ。
 もちろん,非常に高い血圧を下げることで,助かった命がたくさんあることは間違いない。実際,高血圧の治療は,現代医学がなしとげた大きな勝利の1つでもある。とはいえ,最近の風潮は少し行きすぎではないだろうか。もはや病気の治療というよりも,新しい病気を生み出していると言ったほうが近いかもしれない。
 何かおかしなことが起きているようだ。すべての人に理想的な数字を押しつけるということは,つまり大多数の人が「異常」に分類されてしまうことでもある。ほとんどの人が異常になるという状況は,やはり何かが間違っていると言わざるをえないだろう。

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.142-143

無菌状態

20世紀初頭の医学会では,超がつくほど清潔で,無菌状態で覆われた赤ちゃんが病気予防上の理想とされており,それ以上を望むなら安全な子宮へ戻すしかないと言われていた。ドイツでは医師のマーティン・クーニーが,未熟児のためにガラス製の保育器を開発した。彼の「子ども孵化器」には,製造業者も医者も興味を持った。当時,未熟児はいずれ死んでしまうのが常だったので,親の多くは子どもを手放し,医者に渡していたのである。そうした医師はクーニーに未熟児を譲り渡すようになった。保育器を宣伝するために,クーニーはガラス製の箱に入った赤ちゃんをずらりと展示する世界ツアーに乗り出し,手始めにイギリス,それからアメリカへと向かった。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.55

死にゆく場所

いつの時代もそうだった。18世紀のヨーロッパの記録がそれを物語っている。フィレンツェにあったオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(無垢の家)という孤児院では,1755年から1773年の間に1万5000人以上の赤ちゃんが収容されたが,1回目の誕生日を迎えるまでに3分の2が死亡した。同じころのシチリアでは,あまりに多くの孤児が死ぬので,孤児院の門に「ここでは子どもたちが公費で殺されている」という標語を彫刻すればどうか,と近隣のブレシアの住民が提案している。19世紀のアメリカの孤児院の記録からも同様のことが読み取れる。たとえば,ニューヨーク州バッファローにあった,寡婦や孤児や乳幼児を保護する聖メアリー救護院の記録によれば,1862年から1875年の間に2114人の子どもが収容されたが,半数以上の1080人が到着から1年以内に死亡している。生き延びた子どもの大半には,母親が一緒にいた。「子どもたちを養育するために,シスターたちは食べものを与え,換気し,清潔にするなど,可能なかぎり注意を傾けて世話をした。しかし,大半の子どもたちは死んでしまった」

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.51-52

医師免許のあるなし

医者のなかには,医者以外の医療職などを下にみる人が多い。看護師や薬剤師,臨床検査技師などに横柄な態度をとる医者は多い。同じように,医者にとって,医師免許のない研究者は,身分が下の使い勝手のよい労働力となる。
 それが証拠に,どんなに業績があっても,医師免許のない研究者を出世させない教授も多い。医学部などで医師養成教育に携わるのは医者でなければならない,という論理はもっともらしい。けれど,それは事実上身分の差をつけていることになるのではないか。
 また,医者は医者ではない研究者のキャリアの現状を理解できない。ある大学の医学部出身の学長が,ポスドクの就職難の問題のことを「詳しくは知らない」と言っている場面に遭遇したことがある。医者は条件を選ばなければ,職にあぶれることはない。だから,若手研究者の就職状況が厳しいことをあまり理解できないのだ。
 だから,ピペドとして搾取されるだけされて,置かれている厳しい状況を理解もされず,指導もされず,そして,キャリアアップの講座への出席が許されないなど配慮もされず放り出される医学部や医者が主催者の研究室のピペドは,上司が医者でないときよりも深刻な状況に陥る。

榎木英介 (2014). 嘘と絶望の生命科学 文藝春秋 pp.41

旋回病

旋回病は,発生地であるヨーロッパから誤って持ち込まれた。1958年にデンマークからペンシルヴェニア州のある養殖場に輸入された魚が,後日,この病気に感染していたと判明したのだ。現在,この病気はアメリカ西部のほぼ全域に広がっている。鳥を媒介とする感染経路もあるが,感染した魚が(公共機関,私設の養殖場を含め)人間の手で湖や河川に放流されたことが大きい。この寄生虫は,いったん水域に入り込んでしまうと根絶が不可能になる。この病気が原因で,モンタナで最も有名なマスの棲処マディソン川では,1994年までにニジマスの個体数の減少率が90パーセントを超えてしまった。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社

健康という目標

健康は,世界的に見ると文化によって表され方は多少違っても,普遍的に(不完全にせよ)理解され望まれる,何より大事な目標であり続ける。だが,この健康という理想がいつも私たちから抜け落ちているように思われるのは,なぜか?誰がどこでとか,糞問題と地域の飢餓とか,赤ん坊か老人かとか,気候変動かやりがいのある仕事かというような細かい問題に引き戻されてしまうのだろうか?
 旧来の技術的・科学的な知は,目的にどう達するかは関係ないと私たちに思わせるかもしれない。問題なのは分析と技術的な処置だけだと。それでも私たちはたいがい,この考えがうまくいかないことを知っているのだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館

ジアルジア

ジアルジアが引き起こす病気は軽いものではなく,下痢,鼓腸,腹痛,食欲減退などを伴う。その治療自体も楽なものではない。「国境なき医師団」カナダ支部の事務局長で獣医師のエリン・フレーザーは,ホンジュラスで小規模養鶏の調査をしていた。私が彼女の住む辺鄙な村を訪ねたとき,エリンはほとんど消耗しきっているようだった。おそらくジアルジア症だろうとエリンは言った。そして治療もやはり手荒なものと聞いていたので,何とか「乗り切る」つもりだった。健康な人ではたいてい,ジアルジアは「自己限定的」——しばらくすると自然に消滅する病気を表すのに獣医や医者が使う面白い言い回し——だろうと。でもそれならすべての病気は自己限定的じゃないだろうか?それどころか私たちも自己限定的じゃないだろうか?エリンの指導教官として,私は正直なところ少なからず心配だった。だが彼女は切り抜けることができた。
 この病気は「ビーバー熱」と呼ばれてきた。野生のビーバーが持っていることがある——イヌや,ネコや,ウシや,子どもと同様に——のが知られているからだ。「ビーバー熱」という言葉は元々,ハイカーが山の渓流の澄んだ水を飲んで発病したことから造語されたものだ。おそらくビーバーの糞便で水が汚染されていたのだろうと。ほとんどの人は保育園に通う子どもからこれを移される。この年頃の子どもたちは,うんちのあとで手を洗うとは限らないからだ。保育園は大人にとってA型肝炎の大きな感染源でもある。これもまた糞口感染する病気で,北米で拡大を続けている。A型肝炎の影響は,機能免疫系が感染した細胞を攻撃することで引き起こされるが,子どもは免疫系が完全に機能していないので,A型肝炎ウィルスは子どもには必ずしも害を与えない。だが子どもたちがそれを家に持ち帰ると,ママやパパが重症になることがある。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.98-99

ジレンマ

水泳は体の線をなめらかにし,確実に脂肪を燃焼してくれるけれども,体重減少に直接役に立ちはしない。インディアナ大学運動療法学科の副学長ジョエル・ステイガー博士によると,それは「体重減少は効率,すなわち行った運動量をその運動の代謝コストで割ったものが問題」だからなのだ。「ところが,体重を落とさなければならない大半はあまりに太っていて,効果が出るほど長い距離を泳げない。反対に,上手に泳げる人ほど効率のよい泳ぎをしているので,代謝運動の量は少ない。つまり,もし体重を減らすために泳いでいるとすれば,泳ぎが上達することは,むしろ目的を頓挫させているのです」。浮力のせいですよ,と彼は言う。「浮力がスイミングのエネルギー消費を減らしているのです」。それはジレンマだが,ステイガー博士は気にしない。体重は体型の重要な指標にはならないと指摘する。筋肉は脂肪より重いというのが,その大きな理由である。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.70-71

触れずに診察

19世紀の医師は,女性の患者に触れることはもちろん,間近に見ることさえ躊躇していた。「検査」とは,きちんと衣服を身につけた女性がゆったりした椅子に腰かけて自分の病気について語り,医師はその女性の「顔つきや全体の雰囲気を観察する」ものだった。体に手を当てるなどもってのほか,ほんの一瞬軽く触れることさえあってはならないことだったが,体温を測ったり脈を取ったりすることは許されていた。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.205

それも病気

1851年の『ニューオーリーンズ・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナル』で,コレラの研究で名高いサミュエル・カートライト博士は新種の疾患「ドラペトマニア(家出狂)」を発見したと報告した。その主な症状は「逃亡という多くの黒人が行うやっかいな行動」だった。それと関連する疾患「ディザエステジア・アエティオピカ(怠惰病)」は過度の自由が原因だと考えられた。
 南部の医師たちの多くは,黒人は痛みを感じるとしてもごくわずかだと信じていた。1854年の『ヴァージニア・メディカル・アンド・サージカル・ジャーナル』に,ある医師が奴隷の肺炎を治療するため,奴隷の背骨に20リットル近い熱湯をかけたと書いている。この医師は,治療が「いくぶん感覚を呼び覚ましたらしく,奴隷は叫び声をあげようとした」ことに驚いた。『メンフィス・メディカル・レコーダー』は「奇妙な特性」に関する記事で,アフリカ系アメリカ人は聴覚,視覚,嗅覚は優れているが,痛みの感覚は非常に弱いと決めつけている。「彼らは驚くべき従順さで,ときには陽気にさえ見える態度で鞭打ちに耐える」ということだ。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.194-195

不遇

1846年にゼンメルヴァイスがウィーン中央病院の主任研修医になったとき,この病院で子供を産んだ母親があまりにも早く,またしばしば死んでしまうため,賢明な母親たちは自宅での出産を選ぶようになっていた。
 病院で亡くなった母親が分娩室から遺体安置所へ運ばれるとき,遺体には「どろりとしたミルク」がぎっしり詰まっていることが多かった。今ではこの「ミルク」が感染による膿だとわかっているが,当時は病院を雲のように覆う「霊気」あるいは「大気の作用」によって生じると考えられていた。
 ゼンメルヴァイスは細菌についての知識はなかったが,午前中に死んだ母親を解剖した同じ医師が,そのあと手などを洗浄することなく,午後には新しい赤ん坊をとりあげることは知っていた。そして患者たちを殺しているのは謎の霧などではなく,医師たち自身なのではないかという疑いをいだいた。
 ゼンメルヴァイスは手の洗浄を行うよう訴えたが,医師たちは不愉快そうに拒否した。年長の権威ある医師たちにとって,血の染み付いた薄汚れたスモックを着て,いわゆる「病院臭」をぷんぷんさせならが歩くことは彼らの誇りだったのだ。
 旧来のやり方に固執しない若い研修医たちが手の洗浄を実行し始めると,母親が死ぬことはなくなった。しかし病院の古参の医師たちと『ウィーン・メディカル・ジャーナル』誌はゼンメルヴァイスを町から追い出し,また多くの母親が死んだ。
 1865年,ゼンメルヴァイスは拘束服を着せられ,幽閉された。彼はおそらく感染が原因で死亡し,やっと病室を出たのだが,彼の母国であるハンガリーの医師会は彼の死亡記事と略歴を掲載することを拒否した。彼の悲しくみじめな最期は,いかにも彼がずっと気が狂っていたことを示すかのようだった。
 現在,ゼンメルヴァイスの家は博物館になっている。オーストリアのコインのひとつには彼の肖像がついている。そしてウィーンの女性たちはゼンメルヴァイス・クリニックで安全に出産している。

ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.169-171

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