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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

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予測精度の向上

このように,ランダム性と予測とのあいだの境界は突破できるものだと考えると,ポパーの多大な権威と影響力をもってしてもなお,彼が正しいのは自明だなどとは決して言えないことに気づかなくてはならない。ポパーがなんと言おうと,社会的な系が予測不可能だという確固たる証拠はないのである。となると,未来にはふたつの可能性がある。ひとつは,新たなハイゼンベルクが登場し,新たな不確定性原理を提示して,ポパーの正しかったことを告げ,未来を見通すことはただ難しいだけでなく,根本的に不可能であることを立証するという可能性だ。
 一方,もうひとつの可能性は,おもに商業上の目的に供するために,予測ツール,とりわけ個人の行動を定量化するツールが,どんどん改良されるというものだ。予測の正確性を高めるために,やがてそれらのツールの焦点は個人から,その個人の含まれる集団へと移っていく。人が規則的なパターンから外れるのは(まっすぐ家に帰らずパブに寄ったりするのは),たいてい,お仲間のせいだからである。時間的にも,これらのツールの効力範囲は分単位から時間単位へと延びるだろう。人間の行動における慣性の持続時間が短いことを考えても,それぐらいならありえる飛躍である。時間単位の予測から日単位の予測に延ばすのは容易ではないので,最初は不正確な予測しかできないだろう。数十年前の天気予報もそうだった。しかし,その予測力はいずれ向上し,いつかはわれわれの未来もかつてのような謎のままではなくなっているかもしれない。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.376
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時間がかかるもの

一般に,基礎科学からその応用への発展は,いらだたしいほど時間がかかるのが普通である。たとえば量子力学は,20世紀の輝かしい科学の勝利だったにもかかわらず,トランジスタが発見されるまでの約半世紀,なんら具体的な恩恵をもたらさなかった。同様に,ヒトゲノムの解読に触発されて医学革命が起きたにもかかわらず,10年経っても市場に出ているほぼすべての薬剤は,いまだにゲノム解読以前の薬を試行錯誤した結果の産物である。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.348

研究とプライバシー

残念ながら,調査研究とプライバシーのあいだにどうしても存在する固有の軋轢についてとなると,私はいまだその難題の解決方法を見いだせていない。学術的な研究を放棄したところで,人間力学を秘密主義の政府研究機関や非公開主義の民間部門に譲り渡すことになるだけで,それこそ誰も監視できなくなる。実際,今日では人間行動についての研究は,大学よりも民間企業でおこなわれているほうがよっぽど多い。グーグルのドル箱である「アドセンス」プログラムなどは,人間行動についての壮大な実験以外の何物でもない。ただし,その目的は,四半期所得を最大限にできるように広告収入を上げることなのである。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.324

研究のジレンマ

私たちが人間の移動に関する研究論文を出したあと,それについてのニュース記事が書かれたことで,各個人についての情報がすでにどれだけ無数に集められているかに,ようやく気づいた人が大勢いた。なかには最初の本能的な反応として,私たちの発見について知ったとたん,いきなりただの伝令に突っかかってくる人もいた。その知らせを伝えた私たちを,オーウェルの『1984年』の「ビッグブラザー」呼ばわりしたのである。その後は何日も眠れない夜が続き,私はこう自問せざるを得なかった——いったい研究者の役割とはなんなのだろう?これはとくに目新しい疑問でもない。核エネルギーから遺伝学にいたるまで,あらゆる専門家の科学者が何十年も前から悩まされてきた問題である。人間力学と同様に,それらの分野は新薬からクリーンエネルギーまで,さまざまな利益をもたらしている。だが一方で,それらには核兵器から遺伝子組換えのおぞましい産物「フランケン・バグ」まで,さまざまな暗い面も付き物なのだ。
 今日,人間力学の研究をしている人はみな,そうしたジレンマにますます悩まされるようになっている。監視国家や監視コングロマリットの誕生に知らず知らず手を貸すのをどうしたら避けられるのか?このままいけば,それこそ『1984年』の再来ではなかろうか?

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.322-323

問題は

予測にも,できるものとできないものがあると思うのはもっともだ。われわれはさまざまなパターンを頭に入れており,自然法則にしたがう出来事ならば正確に予測してのける。テニスボールの動きもそうだし,走っている自動車の進路もそれにあたる。一方,国王や枢機卿やサルタンや諸侯などの相反する利害によって情勢が変動する中で,何万もの農民を巻き込んで行われる戦闘の結果を予見するのははるかに難しい。この場合には,人間の意志が絡んでくるからだ。だが,「難しい」と「不可能」は同じではない。したがって,人間行動の科学を追求していくなら当然問われるべき重要な問題は,われわれの未来は原理的には予測できるのか,ということだ。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.97

人間行動の予測は

今日,イリノイ州を本拠とするある会社は,あなたの愛する人の遺灰をたった2万4999ドルで1.5カラットのダイヤモンドに変えてくれる。私自身は,ダイヤの指輪になった祖母に会いたいと思うかどうかわからないが,このテクノロジーの快挙を前にすれば,夜の商売人の大胆さには感嘆するしかあるまい。厳密に言えば,これは変性ではない。灰とダイヤモンドはともに炭素からできているからだ。とはいえ,悪い話ではない。1980年に,科学者グレン・シーボーグは,ラザフォードの例にならって化学元素のビスマスから金を作り出すことに成功した。この偉業を知ったら,ニュートンもきっと喜んでくれるだろう。しかし,そのシーボーグの手順はあまりにもエネルギーを消費するものだったため,経済的には明らかに成り立たなかった。
 それでも,このシーボーグの成功により,科学では長らく疑問視され,いかがわしい幻想とさえ言われてきた分野にも,定量的方法,すなわち物理法則に反しない方法を適用できることが実証された。だとすれば,いずれ科学的手法がさらに洗練されていけば,人間の行動についても同様の進歩を実現できるのだろうか。人間行動の性質を,正確で予測可能な科学に変えられるのだろうか。ウイルスの経路を予測して,感染を避けるためには明日この道を通ってはならないと正確に助言することにより,流行病の蔓延を阻止できるようになるのだろうか。夜のニュース番組は過去の出来事を伝えるのをやめ,むしろ気象予報士のように,これこれの日には人間がらみの問題でこういうことが予測されると知らせるようになるのだろうか?
 これらは根本的な疑問だとはいえ,学問的にはあまりに現状の理解を越えているため,ほとんどの科学者は完全に棚上げにしている。これらの問いに答えるのに,科学のどの分野が——可能かどうかはさておき——最適なのかさえ明らかでない。物理学か?生物学か?経済学か?コンピュータ科学か?心理学か?はたまた各種の社会科学か?そんな状態だから,人間行動の予測は目下のところ,もっぱらビジネスコンサルタントや手相占い師に任されているのだ。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.80-81

切手収集のようなもの?

ラザフォードは,よく引用される,こんな傲慢な言葉を発したことで知られている——「科学には物理学しかない。あとはみな切手収集のようなものだ」。たしかに,物理学の究極の目標である基本原理や方法の探索は,トランジスタから宇宙旅行にいたるまで,今日の多くの目覚ましい進歩の土台となっている。とはいえ,このアプローチではうまくいかない分野も,科学には数多くある。細胞の悩ましいまでの複雑さに直面した生物学者や,人類の神経回路の不思議さに恐れ入った脳科学者,あるいはバブル経済にもなれば恐慌にもなる迷宮のような社会経済の変遷を前にして途方にくれる社会科学者や経済学者は,これまでしばしば,自分たちの分野には基本法則など存在しないのかもしれないと論じてきた。その意味で,普遍法則を執拗に探し求める物理学者のやり方は,よく言っても見当違い,悪く言えば失敗するに決まっていると,そう見なす人も多いのである。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.78-79

イェオウァ・サンクトゥス・ウヌス

今日,イェオウァ・サンクトゥス・ウヌスという名前はあまりおなじみではないかもしれないが,彼はその時代,並ぶもののない最高の知識人だった。これを書いたときすでに自然界の暗号を解読していて,その名声は,アインシュタインをして,彼を「われわれが深く尊敬するに値する」「天才的な発明家」と呼ばしめるほどだった。では,この「聖なる神エホバ」とはいったい何者なのか。モーセから代々ピュタゴラスやプラトンといった輝かしい継承者たちに伝わっていった秘密の知識,いわゆる「古代の知恵(プリスカ・サピエンティア)」を持つこの男は……。
 時を経て1936年,老舗競売会社のサザビーズから329口の手書き原稿の束が売り出された。その3分の1以上には,賢者の石を作る試みが詳述されていた。1727年の筆者の没後,これらの手稿は「印刷に値せず」と書きつけられたまま,ずっとしまい込まれていたのだが,それは賢明な判断だった。この文書はイェオウァ・サンクトゥス・ウヌス,すなわち,ありふれた金属を純金に変えることに生涯取りつかれていた男の正体を明らかにしていたからである。彼はほかでもない,サー・アイザック・ニュートンだった。
 われわれの知るかぎり,ニュートンはアンチモンや鉛を——もちろん,ほかのどんな金属も——黄金に変えることには成功していない。とはいえ,彼の生涯のこの時期はきわだって生産的だった。錬金術の実験のあいまに,深い数学的洞察を示した『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』を著し,自らの発見した万有引力の法則について解き明かした。しかし彼の生涯の研究目標であった卑金属から貴金属への変性の方法は,ついにとらえることができなかった。その謎が解き明かされるには,さらに200年近くがかかった。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.74-75

構造で決定

これまで見てきたように,システムの脆弱性とレジリエンスはその構造によって決定する。システムの脆弱性を増幅するのは複雑さ,集中度,同質性であり,レジリエンスを高めるのは適正な単純さ,局所性,多様性である。レジリエンスの視点から,例えばレジリエントな金融システムというものを考えると,それは小規模で,単純で,説明可能で,分離可能であり,なおかつ市場参加者の多様性が保証されていなければならない。さらに,その動作原理は,最新の金融工学という魔法で富を創造するようなものではなく,金融の本来の目的——企業と個人に流動性を供給する——に根ざしたものでなければならない。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.77

固執

「私たちは世界を個別に分析できる構成要素の集合体であると考えがちです」とスギハラは説明する。「実際にそうであるときは,個々の分析結果を単純に足し合わせれば全体像が浮かび上がることになります。研究者たちは,この考えに基づいて数多くの分析手法や統計手法を開発し,人間が創造した単純な仕掛けに関する研究では大いに成果をあげてきました。問題は,関心対象であるシステムが非線形で複雑であるときも,私たちは同じ線形的ツールやモデルに固執してしまうことです。いわば,鍵を落とした場所が暗がりだとわかっているのに,よく見えるからという理由で街灯の下ばかり探しているようなものです」

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.49

主張する側が証拠を

 まず,なんらかの主張をする際には,主張する側が根拠を提示しなければならないという点だ。ある主張を信じない人たちは,その主張が間違いであることを証明する義務などない。例えば,地球のまわりをティーポットが回っていないことをちゃんと証明することは私にはできないが,回っているときみが主張するからといって,回っていないことを私が証明する必要はない。万が一回っているときみが信じていて,私にも同じことを信じさせたいなら,証明するのはきみの仕事だ。私はおそらく,「回っているって直観でわかっている。だから信じているんだ」という説明よりもまともな証拠を要求するだろう。私の言っていることが間違っていると思うなら,無いものを証明してみてくれ。そんなことが不可能なことは,きみにもすぐにわかるだろう。
 きみの家に緑色のねずみがいると,私がきみに信じさせたがっているとしよう。そのねずみを見つけ出し,きみに見せるのは私の仕事だ。緑色のねずみなどいないことをきみが証明するのは,どうやったって不可能だ。緑色のねずみを探し回り,家の中の物をすべて外に出しても,ねずみはきみがまだ見ていない場所に隠れているかもしれない。緑色のねずみが家の中にいると人に言われたからではなく,そういうねずみがいるという確かな証拠が得られたときにはじめてねずみの存在を信じる人が,“そんなねずみはいないだろう”と予測したり,“いるという証拠を見せてくれ”と要求することは,心が狭いわけではない。健康的な懐疑心だ。突拍子もないことを主張する,その現実的な証拠を見せてくれ。そうすれば信じるから。

ダレン・ブラウン メンタリストDaiGo(訳) (2013). メンタリズムの罠 扶桑社 pp.358-359

CCDカメラ

 天文学の分野で育った技術が生活の中で使われているという意味では,CCDカメラもそうです。軍用の技術としても開発されてきましたが,もとは天文学の分野で技術発展してきたものです。暗いものを見る技術は,天文学の要請でつくられたものなのです。
 デジタルカメラがわずかな期間にどんどん性能がアップしたのは,そうした技術的な下地がしっかりあったからです。

懸 秀彦 (2012). オリオン座はすでに消えている? 小学館 No.1563/1700(Kindle)

ベテルギウスが爆発したら

 すでに述べたように,ベテルギウスは爆発後,3時間後にはマイナス10等星になり,満月の100倍の輝度で輝きます。これが3〜4か月ほど続きます。一般に遠くの銀河内で超新星が爆発すると,もっとも明るいときは,その銀河全体の明るさにほぼ匹敵する明るさで観測されます。このように超新星爆発は,宇宙の現象の中でもっとも劇的なものなのです。
 その後はオレンジ色に変わり,さらにもとの赤色に変わっていきます。400日後にはマイナス4等星になり,このころになると昼間には見えなくなります。2年後には2等星となり,現在のベテルギウスより暗くなり,4年後には夜でも肉眼では見えなくなります。望遠鏡で見れば,かに星雲のように残骸がひろがっている様子が見えることでしょう。
 冬の大三角もなくなってしまい,小中学生が使う理科の教科書を書き換えなくてはならなくなります。ちょっとさびしい気もしますが,それも自然の摂理と思えば,超新星爆発を肉眼で見ることができることを期待してしまうのは私だけではないでしょう。

懸 秀彦 (2012). オリオン座はすでに消えている? 小学館 No.278-286/1700(Kindle)

学問的な視座の違い

 だから疫学者や生物統計家は,「ランダムサンプリングによる正確な推定値」よりも,「ランダム化による妥当な判断」を大事にする。そしてたまに社会調査を中心とした統計を教育された者(あるいは単に聞きかじった者)から「ランダムサンプリングでないからこの結果は信用ならない」という批判をもらうと,終わりのない論争に突入する。たとえば以下の様なやり取りになるだろう。

 「全国民からのランダムサンプリングじゃないから信用できない」
 「確かに解析したのは若者だけのデータですが,年齢と喫煙リスクの間によっぽど強力な交互作用が存在していない限り,喫煙がリスクとなるという結果に変わりはないと思います」
 「その交互作用が存在しているかしていないか,わからないじゃないか」
 「何か高齢者だと喫煙が体にいいと考えられる根拠はあるんですか?」
 「それはないけど,結局タバコが体にわるいのか,一般化して言えるわけじゃないだろう」
 「だから今回の研究はあくまで若者に偏ったデータなので,他の年代については今後の課題だと言ってますよね」
 「じゃあなんでそんな結果をもとに喫煙の害を一般化して訴えたりできるんだ」
 「だからよっぽどの交互作用が存在してない限り喫煙が体に悪いことに変わりないじゃないですか」

 なお,社会調査の分野で発展した欠測に対する補完方法を疫学的な推定に持ちこむこともできるのだが,こうした補完方法は社会調査系の統計家にとっては,「ベストを尽くしたランダムサンプリング調査に付け加える最終手段」であり,そもそもキレイなランダムサンプルにする気ゼロのデータ自体がかなり気持ちの悪いものらしい。
 そんなわけでこの両者が議論をすると,しばしば疫学者や生物統計家は内心「いくら正確なデータと推定値でも,関連性を分析しないんじゃ意味ないじゃねぇか」と毒づいている。一方,社会調査の専門家は「偏ったデータだけしかないのに何を偉そうなことぬかしてやがる」と腹を立てる。
 だが両者のうちどちらが正しいか,と言われれば,それは単に学問的な視座の違いによるというだけの話であり,状況によって適した考え方はどちらなのかきちんと考えられることが重要なのである。

西内 啓 (2013). 統計学が最強の学問である ダイヤモンド社 No.2349-2365/3361(Kindle)

入力予測

 携帯電話で文章を書いたことのある人なら——いまや,ほとんどの人が当てはまるだろう——情報エントロピーに出くわしたことがあるはずだ。こちらが入力しようとしている言葉を,そして次に入力しようと思っている言葉を携帯電話が常に予測しているのに気づいたことがあるだろう。これがまさにシャノンのゲームである。
 したがって,エントロピー(拡大解釈すればその「文字の」価値と言えるかもしれない)を経験的に測定する手段が欲しいのならば,実はすでに持っていることになる。携帯電話の推奨する単語にどれだけがっかりするか,文章を書き上げるのにどれだけ時間がかかるかが,エントロピーの高さを示している。書く時間がかかればかかるほど,書くときにイライラすればするほど,ほぼ間違いなく面白いメッセージになるだろう。

ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.336-337

情報量

 コイントスを100回してみよう。偏りのないコインであれば,表が50回,裏が50回出ると予想されるが,当然,100回のうち表と裏がどんな順序で出るかはランダムである。次に,1回目から100回目まで,それぞれ表と裏のどちらが出たかをだれかに伝えるとする——口頭で伝えるには長すぎるのは言うまでもない。伝え方は,すべての結果を続けて言うのでもいいし(「表,表,裏,表,裏……」),表または裏が出た回の番号だけを言い(「1回目,2回目,4回目……」),もう一方が出たときは言わないというのでもいい。どちらの場合も,伝える言葉はほぼ同じ長さになる。
 しかし,表裏の出方に偏りのあるコインであれば,話はもっと簡単になる。表が30パーセントしか出ないコインであれば,表が出た方だけを言えば,伝える言葉を短くできる。表が80パーセント出るコインであれば,裏が出た方だけを言えばいい。コインの偏りが強ければ強いほど,伝える言葉は短くでき,この場合の「限界」である完全に出方が偏ったコインであれば,すべての結果を一言——「表」または「裏」——にまで圧縮できる。
 コインの偏りが強いほどコイントスの結果を短い言葉で表現できるとすれば,その場合,その結果に含まれている情報は文字通り少ないと言っていいだろう。この論理を延長すれば同じことが1回1回のコイントスにも当てはまる。直感的でないため不気味に思えるかもしれないが,何回目のコイントスであれ,コインの偏りが強いほど,その回のコイントス自体に含まれる情報は少なくなるのだ。表が70回出て裏が30回出るコイントスは,表も裏も50回ずつ出るコインを使ったコイントスと比べて情報は少ないというのはいいだろう。これが「情報エントロピー」の直感的な意味で,情報の量を測定できるという概念である。

ブライアン・クリスチャン 吉田晋治(訳) (2012). 機械より人間らしくなれるか:AIとの対話が,人間でいることの意味を教えてくれる 草思社 pp.306-307

光が強ければ影も

 そう遠くない将来,あなたの「すべての」DNAの塩基配列,すべての遺伝子のタイプが廉価で読み解かれるようになるでしょう。それによって,あなたの健康にかかわるさまざまな側面について,遺伝子の情報から理解され,予測され,コントロールされるようになるでしょう。そうすることによって病気や不健康で苦しむ人々は減り,今とは比べものにならないほどの健康が維持され,人々の幸福が増進される医学的ユートピア,「すばらしい新世界」の到来が思い描かれます。
 これはとりもなおさず,特定の人物について遺伝情報から理解することが当然のことになる世界です。パーソナルゲノムが当たり前になった時,私が「遺伝情報の人格化」とよぶ状況がおとずれるでしょう。こんにちでも,収入や学歴に関する情報は,それがその人の人格を評価するときに好むと好まざるとにかかわらずついてまわるものです。その意味で資産情報の人格化,学歴情報の人格化は私たちの世界ではすでに進んでいます。それに遺伝情報が加わるというわけです。
 資産や学歴は自分の意志や努力,時代状況や運などによって,ある程度,後天的に変わる/変えることができます。しかし遺伝的組成は一生変わることがありません。ゲノム科学に携わる人たちは,生まれたときにわかるその人の全ゲノム情報をICチップに入れて持ち歩き,いざというときの治療に役立つようにするなどということも考えています。結婚するときに,相手の遺伝情報は,いまの学歴や収入とおなじように,いやそれ以上に,少なからぬ人々にとって「気になる」情報になるでしょう。ユートピアのもつ光は,その光が強ければ強いほど,そこにできる影も暗く濃く深くなる可能性があります。

安藤寿康 (2012). 遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である 筑摩書房 pp.111-112

エジソン最大の発明

 エジソンの最大の発明は,発明工場というアイデア(科学的研究の商業目的への組織的応用)であると主張する歴史家もいる。彼は「10日ごとに小さな発明をし,約6ヵ月ごとに大発明をする」ことを約束し,実際ある時期にはその約束を果たしていた。蓄音機と電気照明とはこのアイデアが有効であることを実証した。今や彼は「現存する中で最もよく装備され最も大きな研究所,そして発明のすみやかで安価な開発にあたってはどの施設よりも優れた設備」をつくり出そうと望んだ。メンローパークの実験施設は1870年代に米国最大の研究所だったが,今やエジソンはさらに大きい施設,かつてない規模での企業内研究が可能で,米国の指導的発明家としての地位を反映した施設の建設を計画した。

アンドレ・ミラード 橋本毅彦(訳) (1998). エジソン発明会社の没落 朝日新聞社 pp.9

 鉄と聞くと,僕たちは混じりけのない元素「Fe」を想像しがちだ。でも,現実の物質は,多かれ少なかれ何かと何かが混じりあっているものだ。僕達が普段目にする「鉄」は,主に鋳鉄,錬鉄,そして鋼鉄という3種類に分けられるけど,これらは,すべて鉄を主成分とした化合物で,それぞれが含む鉄以外の成分(炭素など)の量によって分類されている。もしハンマーで叩いて整形するつもりならば,その鉄は錬鉄,あるいは鋼鉄である必要がある。

トーマス・トゥエイツ 村井理子(訳) (2012). ゼロからトースターを作ってみた 飛鳥新社 pp.66

相対化すべし

 包括的思考様式と分析的思考様式を定義したミシガン大学のリチャード・ニズベット博士は,1980年代まで,アメリカ人のデータをベースにしてわかってきた人間の思考パターンは,文化を問わず,人間すべてに当てはまる普遍的なものという想定で研究を進めてきた研究者である。しかし,90年代に入り,大きな方向転換をして文化とこころの関係の研究に入った。
 ニズベット博士は,人間の普遍性という立場から過去に書いた書籍の内容について,著名な人類学者ロイ・ダンドラーデ博士に,「それは普遍的な人間の行動ではなく,アメリカ文化に生きる人間に見られる独特な行動傾向をうまく描き出した書である」と揶揄された際に腹を立てたそうだ。しかし,博士は,90年代以降,文化心理学研究に携わるようになって,ダンドラーデ博士のいっていたことはもっともな指摘であったと考え直したことを,最近の論文において述懐している。
 これはあくまで一例に過ぎないが,自らのものの考え方の狭さを真摯に受け止め,過去の研究にしがみつかずに,常によりよいものの見え方をアップデートしていかなければ,研究者として一人前ではないという北米のシビアな研究事情を知っていると,なかなか凄みのある話である。
 1つのものの見え方に固執せず,多様なものの見え方によって自らの立ち位置を常に相対化すべしという警句は,文化心理学研究者である筆者自身への戒めの言葉でもある。

増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.215-216

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