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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

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なまえ,コトバ

 なまえあるいはコトバというのは恐ろしいものである。なまえがいかに人々をとりこにするかは,ブランド品志向や有名大学志向の人が大勢いるし,官名詐称などという罪があることからも明らかである。もちろん,なまえを崇拝している人々はなまえではなく実質を重んじているのだ,と言うにきまっている。
 「やっぱり本物は違いますよ」「なんといったって東大生ですからね。やっぱりココ(と言って頭を指す)が違いますよ」「やっぱり大学の教授ともなれば,たいしたものですよ」とまあこういうわけである。現代のなまえ崇拝者は,二言目には「やっぱり」と言うのですぐに見分けることができる。

池田清彦 (1992). 分類という思想 新潮社 pp.15
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わがまま

 科学者は自分の専門について本質的にわがままであり,また社会から科学研究への資源投入には制約があることから,社会は科学の進化について何らかの調整機能をもつ必要がある。しかし,この調整機能は,西欧および米国に観るように,科学者社会が責任をもつべきであろう。国家が調整を行なうことは発展途上国がすることである。科学者社会にも責任がある。研究費ほしさに研究費の出やすい方向に向けて尻尾を振ることは自殺行為である。
 とくに大学という社会の知性を担うべき組織においては,たとえ政府からの資金が短期的に経済的利益を追求する方向にあっても,独自に長期的・発見的な方向に研究資源を振り向けることが必要になる。これから,大学の管理者の見識が後世に問われる時代に入る。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.105

矛盾を含む世界

 日本社会が科学を生まなかった本質的理由は,世界は矛盾を含む存在であるとする矛盾世界観をもつことにあると考える。日本社会は多神教社会であり,この当然の帰結として矛盾の存在を容認する社会である。科学の必要条件である整合的世界観をもたなかった結果として,文化の成熟が対応する時代の西欧キリスト教社会と同等あるいはそれ以上であったにもかかわらず,科学を生まなかった。


市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.101-102

日本語は科学に向いていない?

 識者の一部には,日本語の表現が曖昧であることをもって,論理的でなく科学の記述に向いていないと称える人がいる。これは問題の把握が適切でない。「日本語の表現が曖昧である」のではなく,「日本語では曖昧な表現が可能である」と考えるべきである。このことは,日本語による厳密な論理的表現が可能であり,科学論文が書けることから明らかである。このことの証左の第1は,厳密であるとするラテン語の系譜にある英語,フランス語,ドイツ語などインドヨーロッパ系言語を日本語に翻訳できることにある。曖昧な表現しかできないならば翻訳はできないはずである。逆についても同様である。日本語をインドヨーロッパ系言語に翻訳しようとするとき,表現が曖昧なために困難を感じる,という。これは日本語の表現を曖昧にして使っているからである。ここに,現在の日本語の使い方,遡れば日本語の教育の問題があると私は考える。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.100-101

人間原理

 目的論を避けて目的を求めると,言い換えにすぎない説明が生まれる。その例に「人間原理」がある。現在の物理学において,電子の電荷,光の速度,プランクの定数などの基本定数が現在の価から少し異なると,あるいは,基本定数の値は同じであってもビッグバンを起こした真空のエネルギーが少しでも異なると,宇宙がまったく違ったものとなり,人も発生しないことがわかっている。そこで,宇宙はなぜ現在見られるような存在なのかという問いが生まれ,これへの答えとして人間原理が唱えられた。これには,弱い形と強い形の2つがある。弱い形では次のように説明する。空間的時間的に広大無辺な宇宙において知的存在が生まれるような条件は極めて限られた領域にしかない。その領域にいる知的存在はそれが存在する条件を満たしている宇宙を見るのは当然である。たとえば,宇宙が138億年前にビッグバンで始まったのは,知的存在が生命の発生とその進化により現れるのに138億年かかったからである。太陽系が46億年前に生まれたのも同じ理由である。強い形ではもっと踏込む。なぜ宇宙が現在のような存在か。もし違っていたら人間が存在しなかったからである。
 現在では,人間原理を科学的成果とする人はいない。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.41

イメージ

 他にも,経験を分類しラベル付けすることがある。経験そのままでは記憶量が膨大となり取り扱いが難しい。イメージを作ることにより,膨大な記憶を分類しラベルをつけて取り扱いを容易にする。ヒトの記憶に残るのはイメージだけではない。ヒトの記憶の能力はきわめて高く,かつて経験した事象についてイメージをきっかけにその事象にまつわる具体的経験の詳細を思い起こす。この思い起こされた経験は,イメージからの予測結果を補正するために使われる。他人への贈り物はこのことの応用である。贈り物により自分のイメージを呼び起こしてもらい,それを通じて自分にまつわる詳細を思い出してもらおうとする。
 ヒトは,このようにして経験した事象のすべてについてイメージをもち,それにまつわる具体的事象を記憶に蓄積してその後の利用に備えている。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.35

真理に漸近する過程

 2つ以上のモデルが同じ観測・実験結果を予測するならば,それらのモデルを併存させればよい。観測・実験結果の蓄積とその後の科学の進歩への寄与の大きさによりいずれ勝負がつく。ある時点で無理矢理に優劣を判定する必要はない。プトレマイオスの体系とコペルニクスの体系はこれにより選択された。この意味では,モデルは簡単で美しいのがよいとする「オッカムのカミソリ」の基準も必要ない。どれだけよく対象と一致するモデルであるか,それだけが科学におけるモデルの選択基準である。
 これが「真理に漸近する過程」としての科学がもつ本質である。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.18

成功の理由

 たしかに,作られるモデルもそれを検証するために行なわれる観測・実験もそれまでにヒトが獲得してきた科学の知識を基盤にしている。その意味で,科学の知識は絶対的ではなく相対的であるといえる。しかし,それまでに獲得した知識を超える絶対的視点をヒトはもち得ない。それができるのは神のみである。ヒトが立つ基盤はこれまで獲得した知識以外にない。このことが,パラダイム論とその延長である科学相対主義による批判にもかかわらず,科学が宇宙へ生命へと着実に知識を拡大することに成功している理由である。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.17-18

科学の客観性・信頼性

 科学者たちは,いまのモデルについて反例を見いだしモデルを作り直し,そして反例を含めてモデルが観測・実験結果を予測することを示す,というループを回す営みに参加している。この意味で,科学者たちは無意識のうちに連携協力して科学という知識を獲得している。これは,ホッブズ流にいえば,科学は科学者の間の「万人の万人に対する闘争の場」となる。ただ,他の「万人の万人に対する闘争」と異なるところは,モデルからの予測と観測・実験結果との一致という勝敗の客観的基準があることである。
 このことが科学という知識に客観性と信頼性を確保している。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.13-14

仮説検証法

・モデルから出発して演繹的推論を行なって,これまで確かめられていないことを予測する。ここで,演繹的推論とは,論理式「AならばBである」の集まりについて,排中律「Aであることは,非AであることとAと非Aの間にあることを意味しない」と推移律「AならばBかつBならばCであるとき,AならばCである」を用いて推論することをいう。この推論は一本道で枝分かれはない。
・この予測を確認できる観測・実験を行なう。
・予測と観測・実験結果が誤差の範囲で一致すれば,モデルは偽でなく「モデルは検証された」とする。
・予測と観測・実験結果とが誤差の範囲を超えて一致しないとき,「モデルは反証された」とし「モデルは偽である」として,反例を取り込んでモデルを作り直して予測に戻る。
 この枠組みを「モデル形成とその検証のループを回す」方法,あるいは簡潔に「モデル検証法」または「仮説検証法」という。

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.12-13

scienceの意味の変遷

 「science(以後「科学」)」の意味の変遷をOEDは次のように記している。括弧内はその意味での使用の初出年を示し,初出の文は省略する。
 (1)知っているという状態または事実。陰に陽に決まっている事柄についての知識または認識。やや広い意味で,個人の属性としての知識。(1340)
 (2)学習によって獲得できる知識。ある学習分野を知っていること,または習得していること。いろいろな種類の知識と訓練により獲得できる技能の意味がある。(1390)
 (3)知識または学習の特定の分野。認知されている学習分野。中世においては,「7つの科学」は「7つのリベラルアーツ」,すなわち3教科(文法,論理学,修辞学)および4教科(算術,音楽,幾何学,天文学)と同義語としてしばしば使われていた。(1386)
 (4)(より限定された意味として)明示的に示される真理,あるいは一般法則の下で組織的に分類され観察される事実の集まりであって,真理を発見するための信頼に価する方法を含む学問領域。(初出文はワット(1725),ハットン(1794))
 (5)近年は,「自然科学,物理科学」の同義語として用いられる。この場合は,物質的宇宙の現象と法則についての研究に限定され,純粋数学は科学から除外される。この使い方は,現在では通常の使い方として最も多い。(1867)

市川惇信 (2008). 科学が進化する5つの条件 岩波書店 pp.4-5

原因とは

 原因は様々な特色を持って現れる。あるものは,拷問,いじめ,禁止法のように,明らかに対外的であり,かつ自分の行動を選択する自由に対して明確に抑止的である。あるものは内的で,脳の疾患や薬物の影響のような,自分自身の外部のものと考えられるものではない。しかし,われわれの原因とは,われわれが行動を選択する理由である。それらはわれわれの自由を制限するものではなく,それらが無ければ,自由は無意味なのである。洗脳が恐れられるのはこのためで,それは,われわれを翻弄して,新し信念が実際に自分のものであるとする定義はさまざまである。「もしあなたが<自分>の範囲を狭めると,実際にはすべてが外部のものになる」ので,自分の欲求でさえ外的になり,もはや自分のものではなく,自由に対する制限になってしまう。嗜癖と,食思不振のようなある種の病気は,このように考えられることが多く,自己が縮小して自由は放棄され,それによって責任回避が起こる。この縮小過程が誇張される危険性は,自己がデカルト的立場にまで減少し,運命に左右されてほとんど自ら行動することのない見当違いに至ることにある。しかし,必ずしもそのようになるとは限らず,決定論の原則には,われわれを強制的にデカルト的二元論者に変えるものはない。

キャスリン・テイラー 佐藤敬(訳) (2006). 洗脳の世界——だまされないためにマインドコントロールを科学する 西村書店 pp.259
(Taylor, K. (2004). Brainwashing: The Science of Thought Control. London: Oxford University Press.)

論文のネットワーク

 この問題を研究するために,ウッツィは「最高の」科学研究の指標として引用数を用いた。科学の世界では,引用は称賛,あるいは少なくとも注目の表れだからだ。ウッツィは,1945年から2005年までに世界各国で発表された科学論文2100万本と,ある15年間に出願された特許190万件のデータを収集した。そして,個人で書かれたものとチームで書かれたものを比較した。引用数を質の目安にしたところ,総じて個人の業績よりもチームの業績のほうが優れていて,科学的にも重要だと判断できた。

ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー 鬼澤忍(訳) (2010). つながり:社会的ネットワークの驚くべき力 講談社 pp.211-212
(Christakis, N. A. & Fowler, J. H. (2009). Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives. New York: Little, Brown and Company.)

生命はあるが…

 宇宙に生命がいると思っているか,そしてエイリアンがわれわれの地球を訪ねてきているかどうか,私はいつも質問される。それについてはこう答えている。「宇宙に生命はいるとおもう。だが,エイリアンは地球を訪ねてきてはいない」。それを聞くと,ほとんどの人は面食らってしまう。どうしてUFOを信じていないのにエイリアンを信じているのか,と。
 実際,簡単なことだ。宇宙は広い。とんでもなく広い。われわれの銀河には何千億個もの星々が存在し,そのうち多くの——ほとんど,とまでは言わないにしても——星が惑星を持っていることが次第に明らかになりつつある。宇宙にはわれわれのような銀河が,さらに数十億個もある。私の考えでは,われわれの惑星が,生命を育むのにちょうどよい環境である唯一の惑星だ,と考えるのはおかしいと思う。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.302

なぜ天文家はUFOを見ない?

 このことについてちょっと考えてみよう。アマチュア天文家たちはいつも空を眺めているのだ。だが,UFOを見たといって私に会いにきたり電子メールを送ってくる人たちは,みなアマチュア天文家ではない。実際のところ,アマチュア天文家が,空で何か不可解な現象が起きているのを見たという話を,私は聞いたことがない。彼らのほうが,普通の人たちよりもはるかに多くの時間,空を見ている。統計的にみれば,彼らのほうがUFOをより多く発見しそうなものだが!どうしてこうなるんだろう?
 答えは簡単だ。アマチュア天文家は空を研究していることを思い出してほしい。彼らは空に何があり,どんな現象が起こりうるかを知っている。彼らが流星——あるいは金星でも,人工衛星の太陽電池パネルへの太陽光の反射でもいいのだが——を見たとして,それが異星人の宇宙船でないことを,彼らは知っているのである。アマチュア天文家は空についての道理を心得ている。実際,私が話したことがあるアマチュア天文家はみな,UFOがエイリアンの宇宙船であるということについてはきわめて深い疑いを抱いていた。このことは,多くのUFO目撃談を自然現象として説明する,非常に強力な論拠である。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.296-297

空想できるか

 テレビのドキュメンタリー番組では,ビッグ・バンを爆発のようにアニメーションで見せるのがふつうだ。暗黒の中を球形の火の玉が広がっていく。しあkしそれは間違いだ。爆発は空間の膨張そのものなのだから,膨張する外の宇宙は存在していない。宇宙はそこにあったのだ。外側にではない。ビッグ・バンの前には時間も存在しない。北極の北はどこだろう?
 拡大していく巨大の火の玉の中に住んでいるという幻想は残る。私自身それを振り払うのには苦労した。宇宙の中心の方向があって,そちらを見れば中心が見えると考えるかもしれない。問題なのは,爆発はわれわれの周り中にあることだ。われわれがその一部であり,見るところどころにもある。最大の映画館だ。
 まだ混乱しているって?宇宙論の研究者でも,四次元や空間の曲率を考えると頭が痛くなることもあるんじゃないかと思う。彼らは認めないだろうが。天文学者はこう言っている。宇宙論者はしばしば誤りを犯す。しかしつねに確信を持っている。
 それでもわれわれはこの広大な宇宙を理解しようとし続ける。アインシュタインがうまいことを言っている。「宇宙にかんして一番の驚くべきことは,われわれが宇宙を理解可能だということだ」。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.209-210

隕石は冷たい!

 これがまた流星にかんする別の誤解のもとになる。私がこれまでに見てきた映画やテレビ番組はすべて,小さな流星物質が地上に落ちて火災を発生させる。しかし現実にはそうはならない。流星物質はその生涯のほとんどを宇宙ですごし,それゆえにとても冷たいのだ。流星物質は大気を通過する短いあいだ加熱されるだけで,熱が内部に達するほど長時間加熱されはしない。とくに岩石からなっている場合だと,岩石はかなり断熱性が高いのだ。
 実際もっとも高温になる部分は融除されて飛んでいってしまうし,流星物質が地上に届くまでには数分かかるので,表面の部分はさらに冷却される。その上に地表から数キロメートルの高さの冷たい空気の中を通過する。だから衝突のときあるいはその直後には,流星物質の内部の超低温が外側の部分も冷やしてしまっているのだ。だから小さな流星物質は火災を発生しないどころか,その多くは実際に発見されるときには霜で覆われている。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.190-191

流星から隕石へ

 流星物質が地球の大気の上層に突入すると,前面の空気を圧縮する。気体が圧縮されると温度が上がり,流星物質が秒速100キロメートルといった高速度になると,通り道の空気に強い衝撃波が発生する。圧縮された空気はきわめて高温になり,流星物質が溶けるまでになる。流星物質の前面,すなわち高温の空気にさらされている側が溶けはじめる。流星物質からはさまざまな成分が放出され,それが熱せられるととても明るい光を放つ。流星物質の表面が溶けると,空を横切る明るい物体として地上から見えることになる。流星物質は光る流星になるのだ。
 これにかんしては私自身がイケナイ宇宙学に荷担してしまった。かつて私は流星物質を熱するのは空気との摩擦だと説明してしまったのだ。これは一般的な説明で,本にも書かれテレビでも言われているが,でも間違いなのだ。実際には流星物質と空気とのあいだにはほとんど摩擦は起きない。きわめて高温の圧縮された空気は,流星物質の前の離れたところに留まるのだ。それを物理学者は「離脱衝撃波」と呼んでいる。この高温の空気は,岩石の本当の表面からかなり離れたところに留まるので,その直後には比較的ゆっくり動く空気のポケットができて,それが岩石と接触する。これは「融除(アブレーション)」と呼ばれる。流星物質から融除されて後方に流れるかけらは輝く長い筋(流星痕)となる。流星痕は何キロメートルもの長さになり,空で数分間も輝き続けることもある。
 これらの過程,空気の激しい圧縮やら流星物質の表面の加熱やら溶けた外側の部分の融除やらは,すべてが数十キロメートルの高度で発生する。運動のエネルギーは急速に発散し,流星物質は急激に減速する。流星物質が音速以下にまで減速すると,空気はもう激しく圧縮されなくなり,流星の輝きは消える。ふつうの摩擦が大きく働くようになり,時速数百キロメートルまで流星物質を減速する。これは自動車よりもそう速くはない速度だ。
 そのため平均的な流星物質が大気の残りの部分を通り抜けて,地上に到達するまでには数分間かかる。流星物質が地上に落下した場合には隕石と呼ばれる。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.189-190

大いなる偶然

 しかしながらわれわれの青い惑星にはたったひとつ特別なことがある。場所の偶然の一致であると同時に時間の偶然の一致であり,太陽系のすべての月と惑星のなかでも地球だけに言えることだ。太陽は月よりもずっと大きい。約400倍は大きいのだが,同時にわれわれから約400倍遠くに離れている。このふたつの数字が偶然にも打ち消し合った結果として,地球上からは,月と太陽は空の上で同じ大きさに見えるのだ。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.163

満月が明るい理由

 しかし,そうではない。天文学のいろいろな問題と同じように,この話もそう簡単ではない。月の明るさを詳しく測定してみると,満月は上弦月の10倍もの明るさになるのだ。
 これには理由がふたつある。ひとつは,満月のときの太陽は,われわれの視線と同じ方向から月をまっすぐ照らしていることだ。地球でも,太陽が真上にあれば影ができないが,低い位置にあると影が長くのびる。月でも同じだ。満月のときには月面に影ができない。一方,上弦月には影が多く,月面が暗くなって,月全体が暗く見えるのだ。満月にはそうした影ができないので,地球から見ると上弦月よりも2倍以上明るいのである。
 もうひとつの理由は,月の表面と関係がある。隕石の衝突や,太陽からの紫外線,さらに昼夜の激しい温度差のために,月の表面数センチメートルは風化している。その結果できた粉末状の土は非常に粒子が細かく,細引きの小麦粉のようだ[この粉末状の土を「レゴリス」と呼ぶ]。この粉末には変わった性質がある。光を光源の方向にまっすぐ反射する性質があるのだ。ほとんどの物体は,光を四方八方に散乱させるのだが,月面のこの不思議な土は,入射した光のほとんどを光源へ集光させるのだ。この効果を「後方散乱」という。
 半月の場合,地球から見ると横方向から太陽光が当たっている。この場合,月の土は太陽光を地球方向ではなく,太陽の方向に跳ね返す。一方,満月のときは,太陽は地球の真後ろにある。月を照らした太陽光は反射され,ほとんどが太陽方向に向かうが,地球も同じ方向にある。そうなると,まるで月が地球に光を向けているかのようだ。この効果と,月の表面に影がないことの両方の効果で,満月は思ったよりもずっと明るくなるのだ。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.92

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