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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「科学・学問」の記事一覧

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インパクトファクターの誤用例は限りない

 2004年5月に,朝日新聞の視点欄に「研究評価/誤った指標の活用を改めよう」ということで,インパクトファクターについて発表するチャンスがあった。そこでは,研究評価にインパクトファクターを利用することを強く批判する内容の提言をした。この記事がきっかけかどうか確証はないが,文部科学省内でインパクトファクターを誤用した研究評価のしかたを誰が提唱したのか,問いただす動きがあったという。これを聞いて「マッチポンプ」という言葉が,脳裏に浮かんだ。研究評価指標としてインパクトファクターの誤った使用を提言した側の人間が,そのことを忘れ犯人探しをしている姿だ。政策的に助成資金が増大し,研究費の比重が競争的資金へとシフトするなかで,きちんとした定性的な評価に時間をかける体制をつくれないまま,安易な定量的指標の使用を助長したのは助成側ではなかったのか。また,7章で触れたように学会を代表する研究者が,自分たちの発行する雑誌を意図的に引用し,自誌のインパクトファクターを高めるよう公式ページや学会で述べていた事例もあり,誤用例は限りないのが現状である。
 インパクトファクターの計算式を知っている人は,多くても10名に1人であろう。インパクトファクターが,雑誌を評価するための指標として生まれた経緯や,創案者のガーフィールド博士が研究者の業績評価に使うことを強く否定していることも知られていない。インパクトファクターについて講演会などで話してみると,研究者は最初からインパクトファクターを個人業績評価指標として認識している人ばかりであった。科学コミュニティ全体で,インパクトファクターの正確な理解が欠けているだけでなく,一部の指導者や政府機関が誤用や不正を奨励してきたのではないだろうか。有用な指標であるが,注意深い応用が求められる。

山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 Pp.157-158
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インパクトファクターの問題点

 IF(インパクトファクター)をめぐる話題はさまざまに論じられてきた。その最大の問題点は,個人の業績評価指標として応用されるようになったことである。これは,雑誌の評価を専門家の意見に依るだけでなく,定量的に,分野を越えて比較するための指標として開発された元の意図から,大きく逸脱した応用である。IFの定義を理解すれば,誰でも不適切な利用と言い切れるものである。
 IFについて語る人々と話した経験から,半分以上の人々はその定義を知らないことに気づいた。被引用数を各雑誌の出版論文数で割った値であることを理解している人はいるが,算出データを直前の2年間に限定していることは知られていない。さらに,分母にあたる出版論文数は,原著論文,レビュー,短報などの研究論文に限定しているが,分子になる被引用数には,すべての記事への引用をカウントしている事実はほとんど理解されていない。

山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 p.97

インパクトファクター

 1963年にユージン・ガーフィールド博士が,数年間にわたる実験研究をへて,彼が設立したThe Institute for Scientific Information (ISI) 社から引用索引を創刊した。引用関係をたどることで,必要な文献を探し出す独創的な方法であり,コンピュータ技術の優れた応用であると多くの人々が認めた。同時に,引用索引から副産物として生成された,被引用回数についての雑誌別の順位リストは,科学界で頻繁に引用された回数の総計だけでなく,各雑誌の1論文あたりの平均被引用回数を意味するIF(インパクトファクター)によるランキングも提示した。博士が最初にIFの考え方を提案したのは,1955年の『サイエンス』においてである。科学界がいかに重要誌を識別するために,さまざまな試行を蓄積してきたかをたどりながら,当時世界の主要科学誌の引用文献データを集約することで構想された引用索引の有用性が,IFのアイデアとともに示されていた。なお,忘れられがちであるが,IFを含む引用データによる雑誌評価を生み出した当初の動機は,ISI社内において,引用索引や目次速報誌(Current Contents)に収録するための重要誌を識別するための内部的なものであった。


山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 Pp.94-95

ハードマネーとソフトマネー

 大学からの資金(ハードマネー)と外部の研究助成で得られる資金(ソフトマネー)の比率は,一般的には80パーセントがハードマネーで,20パーセントがソフトマネーというのが,研究活動には適切と考えられている。しかし,大学の研究者が,自分の得た助成金で給与をまかなっている事例もある。研究者が受領した助成金は,研究者でなく所属機関へ支払われるので,機関へは財政的な支援をもたらす。政府助成の場合,機器,化学物質・薬品,技術員の給与といった直接経費と,光熱費,事務経費,図書館費用などの間接経費からなる。このうち,間接経費は,大学の運営経費に寄与し,研究助成の増加ととともに,大学予算の重要な部分を占めるようになっている。大きな研究助成を得た研究者は,大学経営者にとって頼りになる。日本でも,研究に占める競争的資金の比率が高まる傾向にあるが,米国はより厳しい競争状況にあるといえる。成果をあげ,論文を発表することは,彼らへのプレッシャーとなっている。そのため,意図的に発表論文数を増やしたり,謝辞で済むものを著者にいれたり,そして盗用やねつ造などの不正行為につながる場合もある。忘れてならないのは,このような逸脱行為に関与していない人々も,同様の厳しいプレッシャーのもとで研究活動を持続していることである。

山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 Pp.12-13

最小出版単位症候群

 論文や著書の発表を強調する結果,研究能力を中心とした評価に傾き,教育活動を省みない状況が生まれた。研究者は,学術世界での成功を目指し,昇進やよりよいポスト,助成金の獲得のために,できるだけ多くの論文を生産しようとする。その結果,バレットも指摘したように,業績至上主義がはびこり,誰にも読まれないような論文が大量に出版される。重複発表が編集者の悩みとなり,一流誌さえも論説記事で注意を促す必要が生じた。学術機関が教員の採用や昇進にあたり発表論文数に重きを置く結果,不適切な出版が広まる。ひとつの論文で済むにもかかわらず,小さな断片的な論文に分割する最小出版単位症候群(Least Publishable Units Syndrome),まるでサラミソーセージのように,同じような論文をいくつも発表する(サラミ論文)などが,情報洪水を助長してしまう。また,研究テーマも,長期的に追跡する研究よりも,短期的に決着するような研究や,流行のトピックスを追うことになりやすい。オーサーシップの視点からみると,実際的な寄与のない人を著者に含める結果,多数著者による論文が増大することになる。こうして,1970年代になると,数多く出版するのを優先することからくる,負の側面が目立つようになった。

山崎茂明 (2007). パブリッシュ・オア・ペリッシュ:科学者の発表倫理 みすず書房 Pp.9-10

人々は一度その気になってしまうともう引き返せない

 イタズラの張本人がいくら後で懺悔や告白をしようとも,一度その気になってしまった人々が頑強に彼らの告白を否定し,とにかく超常現象ということにしてしまおうと圧力をかけてくる事態は,超常現象研究の歴史の上ではたびたび起きてきた。人々が一度その気になってしまうともう引き返せない,ということがいかに恐ろしいかがよくわかるだろう。「あんなに素晴らしい巨大なサークルを,お前らみたいなジイサンたちが作れるわけがないだろう」と批判され傷ついたダグとデイブは,サークルの作成から今後一切手を引くと発表した。だがダグとデイブがサークル作りを止めてからでも,英国南部に発生するサークルは一向に減る気配を見せず,その姿はさらに複雑に進化を続けてみせた。
 「ホラ見ろ,ジイサンたちがサークルを作るのを止めてもサークルは消えないじゃないか。やはりサークルは宇宙人からのメッセージだったんだ」
 一部のサークル研究家は,きっとこう思ったに違いない。だがそれは,今度は逆にサークル研究家らが,ダグとデイブを甘く見すぎた結果だった。ダグとデイブは公にはサークルをもう作らないと発表してはいたが,実はその裏で他人の畑に出かけていって,前と同じように毎週末に,せっせせっせとサークルを作り続けていたのだ。
 ただ以前と違うのは,今度は自分たちがそのサークルを作った張本人だという確実な証拠を残すよう工夫をしたということだ。
 つまり2人は,「サークルは宇宙人からの賜り物」などと信じている輩は,そもそも宇宙人が作ったサークルと人間の作ったサークルの違いなどまたく区別ができもしないのに偉そうなことを言っているだけなのだ,ということを証明してみせようとしたのだ。


皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.168-169

常識に反する研究をした時の例

 「脳が可塑的であると宣言しはじめたら,どうなったと思います?敵意をもたれましたよ。ほかに言いようがないんだ。論評にはこんな言葉がおどった『これが真実でありうるなら,たいそう興味深いことになるであろう』。まるで,こっちが作り話をしているみたいな扱いだった」
 おとなになってからも,脳マップが境界や場所を変更し,機能を変化させることが可能であるというのがマーゼニックの主張だった。これに対し局在論者たちは食ってかかった。マーゼニックは言う。
 「神経科学の主流にいた研究者で,ぼくが知っている人はほとんど全員が,これはまともに取りあげる問題ではないと思っていた。実験はずさんで,記述されている効果は不確実だと考えた。実際には,実験は十分な回数やっていたから,主流派の意見は傲慢な決めつけだった」
 疑問の声をあげた研究者のなかには,有名なトーステン・ウィーゼルもいた。臨界期に可塑性があることを明らかにしたウィーゼルだが,成人にも可塑性があるという考え方には反対だった。彼は,ヒューベルと自分は,「皮質の結合が成熟した形で確立したら,その場所に永遠にとどまると固く信じている」と書いた。ウィーゼルは,視覚処理の場所を明確にしたことでノーベル賞を受賞し,彼の発見は,局在論の大きな拠りどころとなっていたのだ。いまではウィーゼルは,成人にも可塑性があることを認め,自分は長いことまちがっていたし,マーゼニックの草分け的な実験のおかげで,自分も同僚の研究者たちも信条を変えるにいたったと,潔く認めている。ウィーゼルほどの研究者が意見を変えたことで,それまで局在論に固執していた研究者も考えを改めた。
 「もっとも不満だったのは」とマーゼニックは言う。「神経可塑性は,医学の治療にいろいろな可能性をもっていたのに----つまり,神経病理学とか精神医学の解釈が変わる可能性も秘めていたのに,だれも注意を払わなかったことだ」。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.87-88.

あたりまえではなかった頃

 彼らの発見したことは,今日では広く学校で教えられているため,それがまだ驚異的なことであったころに戻るのは難しい。ラザフォードが気づいたのは,頑丈で破壊できない原子が,実はほとんどがらんどうだったということだった。ここで1つの比喩を使ってみよう。隕石が大西洋に落下したと想像していただきたい。しかしこの隕石の旅は,どぶんと海に沈んで,そこでお終いとはならない海底に激突して,轟音が響く。そしてなんと,跳ね返ってビューンと海の外に飛び出してくる。この奇妙な現象を説明するには,大西洋の海面の下は,なめらかな海水がずっと続いているのではないとみなすほかない。考えてもみていただきたいが,先入観を打ち破ってこのことに気づくというのは,なかなかできることではない。実はこの隕石の比喩は,ラザフォードが理論的に導き出したことを,大西洋の構造になぞらえて表現するために創造したものだ。ラザフォードの原子構造のモデルを,この喩え話の架空の大西洋の構造に置き換えて説明すると,次のようになる。つまり,海面はごく薄い水からなる弾性を持った膜なのだが,その下はというと,深い波と海流と何トンもの水が存在するのだろうという長年のわたしたちの憶測とはうらはらに,何もなかったのである。

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 p.110

エネルギー概念の斬新さ

 ファラデーが確立に貢献したエネルギーの概念がいかに斬新であったかを,人は忘れがちである。彼はこのように言っている。あたかも神が宇宙を創造したときと同じように,わたしはわたしの宇宙を創造するにあたり,Xという量のエネルギーをそこに置こう。わたしは恒星を成長させて爆発させ,惑星を軌道に乗せる。人々に大都市を築かせ,その大都市を破壊する戦いが起きると,生存者に新たな文明を築かせる。火が生まれ,荷馬車を引く馬や牛が現れる。石炭や蒸気機関,工場,さらには強力な機関車までもが登場する。しかし,その一連の出来事を通じて,たとえ人々の目に見えるエネルギーの形態が変わったとしても,たとえ人間や動物の筋肉から放出される熱となっても,滝の飛沫や火山の噴火というかたちをとったとしても,種類に関係なくエネルギーの総量は常に一定である。わたしが最初に創造したエネルギーの量は変化しない。当初あった量からわずかたりとも減ることはない。

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 pp.29-30

文化的文脈は影響するが・・・

 科学は,人間が行わねばならなくなって以来ずっと,深く社会に根ざした活動である。科学は予感や直感,洞察力によって進歩する。科学が時代とともに変化するのは大部分が絶対的真理へ近づくからではなく,科学に大きな影響を及ぼす文化的文脈が変化するからである。事実とは情報の中の純粋で汚点のない一部分ではない。文化もまた,我々が何を見るか,どのように見るかに影響を与える。さらに,理論というのは事実からの厳然たる帰納ではない。最も独創的な理論は,しばしば事実の上に創造的直観が付け加わったものであり,その想像力の源もまた強く文化的なものである。
 この議論は科学活動にたずさわっている多くの人々にとっては,まだタブーとして感じられるか,ほとんどの科学史家には受け入れられるであろう。とはいえ,この議論を展開するとき,いくつかの科学史家グループに広まっている次のような考えは行きすぎであり,私は同調しない。その考えとは,価額の変化は社会的文脈の変更を反映しているにすぎず,真理は文化的前提を除いたら無意味な概念であり,それ故,科学は永遠の解答を示すことはできない,というものである。まさにこれは相対論的な主張であり,実際に科学活動にたずさわっている1人として,私は同僚たちと次のような信条を共有している。すなわち,「事実に基づく現実(ファクチュアル・リアリティ)」があること,また科学は,ときには風変わりで常軌を逸したやり方ではあるが,その現実を知りうるということ。私はそう信じている。ガリレオは月の運動に関する理論上の争いで拷問台を見せられたわけではない。彼はそれ以前に,社会的,教義的安定のために教会が伝統的にもっていた論拠を脅かした。つまり地球は宇宙の中心に位置しその周りを惑星たちが廻っている。司教はローマ法王に従属し,農奴は領主につかえる。こういう静的世界の秩序という見方をガリレオは脅かしたのである。しかし,間もなく教会はガリレオの宇宙論と和解した。彼らはそうせざるをえなかった。地球は現実に太陽の周りを廻っているのである。


スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.75-76

完全なる公平無私はありえない

 学者は,たいていの場合このようなかかわりを語るのを警戒する。なぜならば,固定観念として,冷静な公平無私は,感情に左右されない正しい客観性にとって必須要件として働くと考えられているからである。私はこの主張が,私の職業に広くゆきわたった最悪でしかも有害な主張の1つであると考えている。公平無私であること(たとえ望ましいとしても)は,避けられない背景,要求,信念,信仰そして欲望などがあるため,人間には達成できるものではない。学者が,自分は完全に中立を保てると思ったとしたら,それは危険である。なぜならば,そうした時,人は個人的好みとその好みがもたらす影響力に目を配るのをやめてしまっているからである----つまり,その人の偏見の命ずるところへ本当に落ち込んでしまう犠牲者になるからである。


スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.44

誤った探究を大目に見るべき

 過去が何らかの指針になるのなら,誤った探究の道は奨励すべきだし,少なくとも大目に見るべきである。経験的なレベルでは,ロンドンの英国学士院の初期の会員の何人かが,今日の基礎科学の一部をなす科学上の発見をしつつあった一方で,他の人びとは,理論や目的がまったくない作業に従事していた。そしてそれゆえ,じつにイヴォン・Xが科学的方法の純粋主義的な唱道者のように思えるのだ。たとえば,1616年7月24日付の学士院の実験ノートに,こんなくだりがある。「一角獣の角の粉で円を描き,その中央にクモを一匹置いた。しかし,それはたちどころに走りでて,何度か繰り返しても同様だった。クモは一度,粉の上でしばらく留まっていた」
 先に触れたとおり,ニュートンは膨大な時間を費やして錬金術に没頭した。彼の実験助手をつとめたハンフリー・ニュートン(血縁関係はないらしい)の報告によると,この偉大な男は,徹夜で秘法の教本を読みふけり,卑金属を黄金に変えようとした——現代の大学カリキュラムに描かれた,きまじめな理性主義のお手本にはほど遠い姿だ。ニュートンは繰り返し言っている。著書『プリンキピア』に出てくる数式は,文明の黎明期の神秘主義哲学者という選ばれた集団に向けて神が啓示した普遍的な真理である,と。彼はその秘法の伝統の継承者を自認していた——現代の科学者たちが都合よく闇に追いやった,彼の思想のもう1つの側面である。

デイヴィッド・ウィークス,ジェイミー・ジェイムズ 忠平美幸(訳) (1998). 変わった人たちの気になる日常 草思社 pp.100-101

科学は複雑さに対応できるか

 ウエブスターはテクノロジーそのものを毛嫌いしているわけではない。科学的な方法が多くの進歩をもたらしたことも理解している。けれども,それが常に最良のアプローチであるとは限らないことも知っている。比較試験では,1種類か2種類の要因を研究することしかできない。そのため,科学的な調査では問題を最小単位にまで分類してから,1度に1つずつとりあげて,その要因をどうしたら操作できるか探ろうとする。その成果は小さなブロックに分けられた細切れの知識だ。
 けれども,無数の要因とフィードバックループを持つ複雑なシステムに関しては,科学的調査は白旗を掲げて降参するべきだ。人間の栄養についてあれだけの関心が寄せられているのに,今でも基礎的な進歩しか遂げられていないし,天気予報も,いつまでたっても不確実だ。科学の目標は,システムを操作したり制御したりするために,あることが機能する理由を解明することにある。私たち人間は,何かを知り,それを制御することにこだわり,世の中と直感的に結びつくことを軽んじる。けれども,システムと調和して生きるには,そのシステムを征服する必要などないこともあるのだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.227-228.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

科学的法則は自然の一部ではなく自然を理解する一方法

 そこで,まず第1に,多くの通俗的な考えの底にある1つの観念を,頭の中から追放する必要がある。科学的概念は実在しているものに関するもので,科学者の頭の良さは,この実在するものをとり出し,測定する点にあるのだと考えられている場合が多い。つまり,物体が長さをもつものとし,科学者はこの事実を発見し,この長さを測定するのだと思われている。これと同様に,人間は知能をもつとし,科学者はこの事実を発見し,ついでこの知能を測定するのだと考えられるのであろう。こうして,われわれは,本来人間から独立して存在し,まじめな研究によって発見される科学的法則や概念をとり扱うということになる。だが,このような世間一般の科学的見解は,全く誤りである。サーストン(Thurstone)は,正しい立場について次のように述べている。
 「無限にある現象が,限りある概念や理念の構造によって理解できるというのが,あらゆる科学に共通した信念である。この信念がなかったら,科学はその成立の動機をもち得なかったであろう。この信念を否定することは,自然についての原初的混乱を肯定し,その結果,科学的努力をむだなことであるとしてしまうことになるのである。われわれが理解しているこの自然現象の構造も,けっきょく,人為的な発明物にすぎないのである。科学的法則を発見するということは,人為的な図式が,ある程度自然現象の理解を統一し,それによって単純化するのに役立つということを発見するにすぎない。科学的法則を,ある科学者が,たまたま運よく見つけ出した独立の存在と考えてはならない。科学的法則は,自然の一部ではないのである。それは単に自然を理解する1つの方法にすぎないのである」。

H・J・アイゼンク 帆足喜与子・角尾 稔・岡本栄一・石原静子(訳) (1962). 心理学の効用と限界 誠信書房 p.18
(Eysenck, H. J. (1953). Usen and Abuses of Psychology. London: Penguin Books.)

ホメオパシーの説明

 ホメオパシーは,健康な人に投与したら同等もしくは類似した症状を引き起こすとされる「レメディ(療剤)」と呼ばれる物質を患者にごく少量投与する。そうすることで,身体の防御機構を刺激して病気の予防や治療をめざすというものだ。ちなみに,これは補完代替医療アメリカ国立センターによるホメオパシーの定義である。アメリカ市民の税金で運営されているこのセンターは,ホメオパシーにきわめて好意的ではあるが,それでも19世紀のいんちき療法のような定義をしている。実際,そのとおりだからだ。
 ホメオパシーの法則を考案したのは,ドイツの医師,ザームエル・ハーネマン(1755-1843)で,彼は慢性病の原因は体内を流れるエネルギーの滞りだと信じていた。彼の唱えた「超微量の法則」とは,レメディは微量であればあるほど効果が大きいというものだ。レメディは元の物質(薬草や鉱物)が消えてしまうぐらい徹底して薄める。たとえば,私の家の近くにある薬局ではホメオパシーの硫黄の錠剤に「30C」と表示している。100倍に希釈し,震盪(よく振ること)を30回繰り返したという意味で,硫黄成分と錠剤の比は,1対100の30乗となる。容器に硫黄成分の表示がないのも不思議ではない。硫黄など入っていないのだから。

ダミアン・トンプソン 矢沢聖子(訳) (2008). すすんでダマされる人たち:ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠 日経BP社 pp.116-117

医療に対する不信が病気をもたらす

 例をあげてみよう。代替医療の圧力団体のおかげで,近年,イギリスでは何千人もの親が,安全性に何の問題もない3種混合ワクチン(麻疹,耳下腺炎,風疹)を子どもに摂取させることを拒否してきた。ワクチン接種と自閉症との間に何らかの関連があるという偽データを信じたせいだ。そしてこの場合,医療に対する不信が麻疹の大流行を招く結果となった。
 それでも,開発途上国の例にくらべると,これはまだましだと言わざるを得ないだろう。ナイジェリア北部では,イスラム教指導者がポリオワクチンはイスラム教徒の断種を狙ったアメリカ合衆国の陰謀だという裁断を下した結果,ポリオが再び大流行するようになった。さらに,聖都メッカやイエメンへの巡礼者によって,この陰謀説があっというまに広がった。2007年1月には,パキスタンの2万4000人の親が,過激なイスラム法学者から同じ話を聞かされて,子どもにポリオワクチンを接種させるのを拒否した。

ダミアン・トンプソン 矢沢聖子(訳) (2008). すすんでダマされる人たち:ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠 日経BP社 pp.33-34.

疑似科学・非科学信念は寄り集まる

 昔から,社会に受け入れられない信念,つまり知的正統派に認められない信念は,類が友を呼ぶように寄り添ってきた。この傾向は,真偽を検証する科学的な方法が確立される前から見られる。ニューエイジ運動の起源に関する論文の中で,アメリカの社会学者,ロバート・エルウッドは,非正統的な信念の「地下水脈」は古代ギリシャにさかのぼり,ルネサンスの神秘主義,フリーメーソン,スピリチュアリズム,神知学といった形をとってきたと記している。こうした運動の多くで,社会から排斥された教義に対する信仰は,本来とは別の形になることが多かった。一例をあげるなら,中世後期のキリスト教宗派には,聖書の非正統的解釈を神秘的な癒しの儀式へと発展させたり,禁断の性行為と結びつけたりしたものもあった。


ダミアン・トンプソン 矢沢聖子(訳) (2008). すすんでダマされる人たち:ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠 日経BP社 pp.18

論文の多くに誤りがあるという事実

 科学を広範囲にわたって知らない読者は,公表された論文の多くに計画の誤り,統計分析の欠陥,解釈の間違いなどが含まれていると聞いて,びっくり仰天するかもしれない。しかし自分たちの技術の扱い方について賢明な科学者たちは,それほどは驚かないであろう。実験と分析の方法はつねに改良され,評価の数値もだんだん正確になってくる。しかし,そのことは,以前の研究が,それが発表された時期に科学的でも重要でもなかった,ということにはならない。たとえば,近代宇宙論の分野における道標とも言うべきハッブル定数は,マグニチュードの順序に従って長時間のあいだに数値が変わってきている。だが,これは以前の値が非科学的だったという意味ではない。科学とはつねに変化し,前進するものである。科学が絶対的真理に到達するのは世間一般の人びとの空想のなかにおいてだけである。

H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.296
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)

科学を学ぶことで

 科学を学ぶことで,私たちは,なぜ私たちがあれやこれやを信じるべきなのかを学ぶのである。科学は甘言でつることはせず,命じることもなく,何かがなぜそうであるかの事実的,理論的論拠を並べるのである----そして私たちに,それに賛成し,自分自身で理解するように誘うのである。したがって,誰かが科学的説明を理解したときには,彼らはある重要な意味で,それを自分のものとして選んでしまっているのである。

ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.364

間違いがあって,それはそれでよい

 誤解を恐れずに言えば,科学的なプロセスを経た結果だとしても「間違いはあって,それはそれでよい」という考え方があります。そこで重要となるのが,手続きであり「制度」なのです。その結果が正しいかどうかを複数の判定者を立てて検証する。その時点で正しいと思えれば公開されますが,それは完成形ではありません。間違いは含まれますし,何が正しいか,明確にわからないことも少なくない。あえて言えば,信用できるのは結果としての知ではなく,いずれはより確からしい知を生むプロセス,すなわちフローなのです。

坂村 健 (2007). 変われる国・日本へ イノベート・ニッポン アスキー p.141-142

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