I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「金融・経済」の記事一覧

なんでもやれば

仕事に決まったルールはありません。ほんとうに入りたいと思う会社なら,たとえ求人していなくても,社長に直接手紙をだすなり,行きつけの店を調べて顔見知りになるなり,考えられることはなんでもやればいい。
 そこまでするのは面倒だとか,怒られたらどうしようとか,行動をためらうのは,その会社に入りたい気持もその程度だということです。
 履歴書ひとつとっても,ただ郵送するだけの学生がほとんどです。これから書類選考をしてもらうのに,なぜ手紙のひとつもつけないのでしょう。
 先方は役所ではなく,自分がこれから働こうとしている会社です。ただ履歴書を送りつけるのではなく,ひとことくらい添えるのが社会人としてのマナーです。
 ちょっとした便せんに,はじめましてのあいさつと,お手数をおかけしますがよろしくお願いしますと書くだけで人事担当者の印象が変わります。なぜ変わるかといえば,そのくらいのことさえ誰もやらないからです。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.61-62

まずは正社員

ブラック企業を恐れるあまり疑心暗鬼になって,就職をためらう若者も大勢います。
 ただ会社は人間の集まりだけに相性があります。難関をくぐり抜けて一流企業に入っても,上司や同僚と性格があわなくて退職するケースはすくなくありません。
 新卒での就職は一度きりのチャンスですから悩むのは当然ですが,特に目的もないのに無職のまま卒業してしまうのはもったいない。いったん就職してから会社を辞めようと,何年かフリーターですごそうと,新卒でないというハンデがつくのはおなじです。
 正社員を経験できるだけでも,ひとまず就職したほうが得です。そのまま腰を落ちつけられたらいうことはないし,仕事になじめなかったとしても,社会経験を積んだことで,ほんとうにやりたいことが見えてくるかもしれません。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.48-49

様々な要素

ここでいったん整理しておくと,年功序列と終身雇用制度の崩壊,市場のグローバル化にともなう成果主義の台頭,商品やサービスのコモディティ化,会社を私物化する経営者とそれにともなう富の寡占化,長引く就職市場の低迷がブラック企業を生み出しているといえます。
 さまざまな要素がからみあっているだけに,会社の責任だけを追求しても問題は解決しません。厳密な意味でのブラック企業は,労働法に抵触する行為が常態化している会社ですが,そこまでいかなくても社員は十分に苦しんでいます。
 低賃金の長時間労働で,昇進昇給もないのに結果だけ求められる。
 何年働いても転職できるようなスキルは身につかず,なんの成長も実感できない。
 すなわちワーキングプアの状態で,そうした日々が果てしなく続きます。ストレスと疲労は癒やされぬまま蓄積し,将来への不安が重くのしかかってきます。
 そのせいで体調を崩して深刻な病気にかかってしまうことも珍しくありませんが,ブラック企業で休職を申しでるのは,辞めるのとおなじです。なんのかんのと理由をつけて自己都合で退職させられます。といって無理を続ければ,過労死が待っています。

福澤徹三 (2013). もうブラック企業しか入れない:会社に殺されないための発想 幻冬舎 pp.34-35

何が本当の回復なのか

経済を立て直す必要に迫られたとき,わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは,持続的で人間的な回復であって,経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず,それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても,それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら,それに何の意味があるだろう?1968年にロバート・ケネディが指摘したとおりである。
 今回の大不況について次の世代が評価するときがきたら,彼らは何を基準に判断するだろうか?それは成長率や赤字幅削減ではないだろう。社会的弱者をどう守ったか,コミュニティにとって最も基本的なニーズ,すなわち医療,住宅,仕事といったニーズにどこまで応えられたかといった点ではないだろうか?
 どの社会でも,最も大事な資源はその構成員,つまり人間である。したがって健康への投資は,好況時においては賢い選択であり,不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.243-244

財政刺激策か財政緊縮政策か

この相反する2つの政策——財政刺激策か財政緊縮策か——のどちらをとるかという選択は,イギリス以外のヨーロッパ諸国でもそれぞれに葛藤を生んだ。結果から言えば,ECBやIMFからの圧力を受けて厳しい緊縮政策を推し進めてきた国では,住宅危機による健康被害もひどかったことが明らかになっている。そして最も深刻な被害を受けたのは,やはり社会的弱者であるホームレスや障害者だった。
 典型的な例がギリシャである。ギリシャはIMFの緊縮プログラムに従い,ヨーロッパでも最大規模の住宅支援予算削減を強いられた。その結果,ホームレス人口が25パーセント増加し,アテネの下町に路上生活者があふれて薬物が横行し,HIV感染者が急増した。また,2010年7月と8月にはウエストナイルウイルスも蔓延したが,これはヨーロッパでは1996年と1997年のルーマニア以来の大規模なものだった。
 ヨーロッパでも国によって統計のとり方が異なるので,ホームレス人口を単純に比較することはできない。しかしながら,事実上,住宅支援予算を削減した国ではいずれもホームレス人口が増加しており,この点は特筆に値する。アイルランドもギリシャに次いで大幅な住宅支援予算削減を実施したが,その結果,それまで下がってきていたホームレス率が一気に68パーセントも上がった。スペインとポルトガルも不況になってからかなりの予算削減を行い,ホームレス率が上昇した。バルセロナのホームレス人口は2008年が2013人,2011年が2791人と推定され,3年間で39パーセント上昇している。ポルトガルも同様で,2007年から2011年の間に25パーセント上昇した。
 対照的だったのはフィンランドで,この国では住宅支援予算を削減するどころか,2015年までにホームレス人口をゼロにするという目標が掲げられ,さっそく2008年に1250戸の住宅がホームレスの人々に提供された。この政策はとにかくまず住まいを提供しようという考え方——サンフランシスコの「ハウジング・ファースト」と同様——によるものだが,住宅供給にとどまらず,ソーシャルワーカーがホームレスの人々の社会復帰を支援するというところまで踏み込んだものとなった。こうした積極的な政策ははっきりと数字に表れた。イギリス,アイルランド,ギリシャ,スペイン,ポルトガルでホームレス人口が増加した2009年から2011年の間に,フィンランドではホームレス人口が減少の一途をたどった。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.230-231

不況と自殺

このように,不況が自殺増加の主要因の1つであることは間違いないが,不況でなくても自殺が増えることはあるし,逆に不況だというだけで自殺が増えるわけでもない。イタリアとアメリカの例のように,政府が失業による痛手から国民を守ろうとしなかった場合には,だいたいにおいて失業の増加と自殺の増加にはっきりした相関が表れる。しかしながら,政府が失業者の再就職を支援するなど,何らかの対策をとると,失業と自殺の相関が低く抑えられることもある。たとえば,スウェーデンとフィンランドは1980年代から1990年代にかけて何度か深刻な不況に見舞われたが,失業率が急上昇した時期にも自殺率はそれほど上がらなかった。それは,不況が国民の精神衛生を直撃することがないように,特別の対策がとられたからである。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.195

保険会社は得をした

一方,この状況で得をした人々もいた。保険会社である。2009年にアメリカの健康保険会社の上位5社は,合わせて122億ドルの利益を上げた。これはなんと前年比56パーセント増である。2009年には290万人が保険を失ったのだが,その同じ年に大手保険会社は56パーセントも利益を伸ばしていた。しかも利益の伸びは単年度にとどまらず,2010年9月までに平均でさらに41パーセント伸び,大不況のなかにありながら,保険業界の過去最高記録を更新した。この利益増は保険会社の営業努力によるものではなく,一部の人々の犠牲の上に成り立った“濡れ手に粟”のもうけである。保険料をつり上げたり条件を厳しくしたりして,自社にとって得にならない顧客を「パージング」したことで,保険料の支払いが減り,利益が増えたのである。保険業界では,かつては加入者の多さが成功の鍵とされていたが,それはもう過去のものとなった。ウェルポイント社のCEOアンジェラ・ブレイリーなどは2008年にこう言い切った。「加入者を増やすために利益を犠牲にすることはない」
 金持ちはますます金持ちになり,病人はますます追い詰められて症状が悪化する——これが大不況期にアメリカの医療が置かれていた状況だった。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.178-179

インドネシアの場合

東アジア通貨危機から10年後に,今度は世界第不況の波がインドネシアを襲った。だがこのとき,インドネシアは過去の教訓を生かし,貧困層への補助金の一部を増額した。そのおかげで,2008年と2011年に食料と燃料の価格が高騰した際も,貧困層への打撃を和らげることができた(食料価格が高騰したのは,サブプライムローン問題が顕在化したあと,投資家が不動産から食料へと投資先を切り替えたからである)。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.107

不況対策の自然実験

このように,通貨危機後の東アジアは複数の不況対策論の真偽を問う自然実験の場となり,その結果次のことが明らかになった。貧困に陥る危険性が高まった原因は不況そのものにあった。しかしそれが公衆衛生上の大惨事へと発展したのは,食糧費補助や失業者支援の予算が削られたからである。つまり不況の影響をどの範囲で食い止められるかは政策次第ということであり,そのことをマレーシアが示してくれた。マレーシアはIMFや諸外国からの政治的圧力に屈することなく,投機的な資本の流れから国内経済を守り,社会保護政策への支出を増やした。そのおかげで,国民はそれほど苦しまずにすんだ。一方,IMFの処方箋に従って緊縮政策という強い薬を飲んだタイ,インドネシア,韓国では,国民がその副作用に苦しめられた。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.98

緊縮財政をとるかどうか

アジア通貨危機の直撃を受けた国々では貧困率が上がった。しかし社会保護政策の予算を削減した国とそうでない国を比べると,後者の貧困率の上昇は前者ほどではなかった。韓国,タイ,インドネシア,マレーシアで34パーセント下がった。しかし貧困率を見ると,前述のようにインドネシアでは1997年の15パーセントが1998年には33パーセントと急上昇し,韓国でも11パーセントから23パーセントへと上昇したのに対し,マレーシアは7パーセントから8パーセントと小幅な上昇にとどまり,しかもその後は下降した。もともと社会保護政策が弱かったこれらの国では,IMFの勧告に従って緊縮財政をとった国とこれを拒否した国の間ですぐに貧困率の差が現れたと考えられる。
 また,緊縮財政による貧困率の上昇は精神衛生面でも国民の大きな負担となった。韓国では失業率が急増し,IMFはI am fired(くびになった)の略だと言われるほどになり,そのあおりで自殺も急増した。韓国の男性の自殺率はその10年前から少しずつ上がっていたが,アジア通貨危機後には一気に45パーセント上昇した。タイでも60パーセント以上上昇し,他の死亡率のなかでも突出して上昇幅が大きかった。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.95-96

ショック療法をとるかどうか

何度も繰り返すようだが,ショック療法には共産主義時代の国の統制構造を壊すという狙いがあった。というのも,欧米諸国はこれを“腐敗”と考えていたからである。ところが意外なことに,急激な民営化によって腐敗は悪化してしまった。そもそもロシアの民営化のなかには,内部関係者が裏取引で国有企業を引き継ぎ,事業に投資することもなくただ資産を剥奪し,スイスの銀行口座の残高を増やしただけというお粗末な事例が多かったのである。わたしたちは実際に企業がどうなったのか知りたくて,旧東側24カ国の3550の企業経営者を対象にした調査データを詳しく調べた。すると,外資が入った民営化に成功例が多いことがわかった。チェコのフォルクスワーゲンとの提携のように,企業がうまく再編され,競争力がついて,結果的にその国の投資と雇用の促進に一役買うというケースである。一方,自国のノーメンクラトゥーラが国有企業を引き継いだだけだったロシアでは,期待されていたような民営化の成果は上がらなかった。いや,それどころか経済は悪化し,民営化以前よりも贈収賄や資産剥奪が増えた。結局のところ,急ぎすぎた民営化は経済の停滞を長引かせたばかりか悪化させたのであり,ショック療法を選択した国々の1人当たりGDPは民営化断行によって平均16パーセント落ち込んだと試算される[民営化以外の価格自由化,民主化等による影響を除いた試算]。今回の世界大不況の直撃を受けた国々と同程度の落ち込みである。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.77-78

政府債務と個人債務

政府債務と個人債務を同列に語ることはできない。個人の場合,たとえば住宅ローンの返済を怠れば信用格付けが下がるし,場合によっては家を失うことになるかもしれない。借金があるなら,できるかぎり早く返済する方法を考えなければならない。しかし政務債務の場合は,あわてて一気に返済する必要はない。むしろそんなことをしたら危ない。経済とは運命共同体のようなもので,誰かの消費がほかの誰かの収入につながっている。つまり政府が急激に支出を抑えれば,国民の収入が減り,ものが売れなくなり,企業のもうけが減り,ますます収入が減り……と悪循環が生じて経済が失速する恐れがある。
 国の債務管理にとって肝心なのは,債務を持続可能な状態に保つことである。そのためには,国際の名目利子率が名目経済成長率より低いか等しくなければならない。景気刺激策によって税収が増えれば,債務を徐々に減らしていくことも可能になる。しかしイギリスの場合,大規模な歳出削減によって経済が失速してしまった。そしてまさにそのせいで,最新のデータが示すように,支出を抑えたにもかかわらず債務残高は増え続けている。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.33-34

不況は体にいい?

たとえば,ギリシャは大不況以前にはヨーロッパで最も自殺率が低い国だったが,2007年以降そのギリシャで自殺率が急増し,2012年までに自殺率が倍になった。ギリシャにかぎらず,他のEU諸国でも同じ傾向が見られ,大不況以前は自殺率が20年以上一貫して低下してきたのに,大不況によって一気に上昇に転じた。
 その一方で,逆の現象も起きていた。経済危機によって健康が改善した地域や国があったのだ。たとえばアイスランドは史上最悪の金融危機に見舞われたが,国民の健康状態は実質上よくなっていた。スウェーデンとカナダも今回の不況で国民の健康状態が改善したし,ノルウェー人の平均寿命は史上最長を記録した。北方の国ばかりではない。日本も同様で,「失われた10年」いや「20年」と言われるほど不況が長期化して苦しんでいるが,健康統計では世界トップクラスの結果を出している。
 こうした明るいデータを見て,安易に「不況は体にいい」という結論に飛びつくエコノミストもいる。彼らは不況で収入が減ると飲酒量や喫煙量が減るし,車に乗らずに歩くようになるなど,健康にいいことが増えるからだと説明する。そして多くの国や地域で不況と死亡率の低下に相関関係が見られると説く。なかにはまことしやかに,不況が終わったらアメリカでは6万人が死ぬことになると予言する人までいる。
 だが,彼らはその逆を示す世界各国のデータを無視している。今回の大不況の間に,アメリカのいくつかの郡では40年ぶりに平均寿命が短くなった。ロンドンでは心臓麻痺が2000件増えた。自殺も増え続けているし,アルコール関連の死因による死亡率も増加している。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.24

成果主義,実は人物主義

率直なところ「反成果主義」の議論は,私には奇異に感じられる。なぜなら,成果主義自体がほとんど根づいていないにもかかわらず,「反」という概念は起こりようもないからだ。
 では,あれだけ騒がれた「成果主義」の現状は一体どうなっているのか。「成果主義,じつは人物主義」のとおり,実際は日本企業の伝統的な人事概念である「人物主義」が何の変化もなく脈々と生き残っているのである。

渡部昭彦 (2014). 日本の人事は社風で決まる:出世と左遷を決める暗黙知の正体 ダイヤモンド社 pp.115

そういうもの

表面的な仕組みは日系も外資も大きな違いはない。決定的に違うのは,日本の企業がいわば「社長の選抜」をも遠く視野に入れて人事評価を行っている点だ。トップリーダーとなれば,会社の進むべき道を考え,多くの人を引っ張っていけるポテンシャルや素養が重要である。意識・情意・姿勢・見識など数字に表しにくい定性的な評価が必要になる。日本企業の標準的な評価制度において,目標管理にもとづく業績評価に加えて,行動特性やプロセスを見るコンピタンシー評価を重視しているのはこのためだ。
 この結果,どこの会社も似通った人事制度になるが,表面の精密さとは裏腹に,実際の運用は多分に「好き・嫌い」に近い感覚的な評価になりがちだ。たとえば,コンピタンシー評価で考えてみよう。コンピタンシー評価とは,高い業務成績の実現と相関関係が深いと思われる行動特性を何項目かに整理し,対象の社員が各項目についてどのくらい該当するかで評価するというものだ。
 「関係構築力」であれば「積極的に人と関わり,良好な関係を築くことができるか」,「コミュニケーション力」であれば「相手の気持ちを理解し,また自分の意見をわかりやすく伝えることができるか」といった具合だ。この問いに対して5段階で評価しろと言われても,何をもってAなのか,Bなのか,よく判断がつかないというのが誰しも感じるところではないだろうか。言い換えればどの評価をつけてもOKなのだ。となると,お気に入りの部下であれば甘い評価になるのは人情で,逆も真なりである。
 「それでいいのか」と思われるかもしれないが,そういうものなのだ。上司が「好き・嫌い」で評価をしたとしても,その背景には社風が存在し,その暗黙の指示にしたがって同類のDNAを受け継いでいくプロセスと考えられるからだ。
 人事制度は似ていても,実質的な人事評価者は会社ごとに異なる社風であり,いわばその好みで人物を選んでいく以上,会社によって出世タイプが異なるのは当然である。

渡部昭彦 (2014). 日本の人事は社風で決まる:出世と左遷を決める暗黙知の正体 ダイヤモンド社 pp.107-108

戦略の柱ではない

輸出は日本にとってきわめて重要である。国内に食料とエネルギーの資源が不足しているので,輸入に依存しているからだ。輸入代金を支払うために輸出収入を必要としている。だが,輸出重視が行き過ぎている。その結果,日本は「きわめて効率的な輸出産業ときわめて非効率的な国内産業の混合になって,機能不全に陥っている」と,前述の外交問題評議会の報告書は指摘する。
 いまの世界で,これはとくに苦しい状況である。世界が変化したからだ。日本が輸出に頼って「奇跡」を起こしていたとき,韓国,台湾,マレーシアなどのアジア諸国は,世界市場での競争にほとんど参加していなかった。中国は無関係だった。いまでは輸出市場での競争は行き過ぎではないとしても,熾烈になっている。
 このため輸出は日本の将来にとっていまでも重要だが,戦略の柱にはなりえない。日本は輸出産業と変わらないほど先進的な国内経済を築いていかなければならない。成功をもたらした戦略に固執しているわけにはいかない。過去は過去なのだから。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 下 講談社 pp.236-237

連続支払い

企業と顧客の間が無線でうまく結ばれ,電子的に支払いを行うようになると,電力会社やガス会社が連続支払いを求めるようになるかもしれない。コンピュータで使用量をつねに監視し,顧客の銀行口座からそのときそのときの料金を連続して引き落としていくことが可能になるだろう。企業は料金を素早く受け取れるようになり,資金をこれまでより早く投資するか使えるようになり,少なくとも理論的には料金を引き下げられるようになる。
 賃金の支払いを給料日まで待つのではなく,働いている時間に1分ごとに電子的に支払うよう勤労者のグループが要求する可能性もある。
 先進的な知識経済は定時型生産から1日24時間週7日の連続型活動に移行しているので,連続支払いへの移行はこれに付随する当然の動きである。そして賃金の受け取りと代金の支払いがどちらも即座に行われるようになっていくと,その結果は直接の現金取引に近づいていく。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 下 講談社 pp.147-148

意味付け

このことを心に留めて,株式分析について考えてみよう。ある銘柄,あるいは株式市場そのものの毎日の上げ下げは,これらのXやOのように,まったくでたらめに起こるわけではない。しかし,そのなかには偶然が関与する部分がかなりある,といっていいだろう。ところが,市場が終わった後でなされる整然とした分析を見ると,そんなことは考えないに違いない。評論家はつねに,どの上げ,あるいはどの下げであっても説明できる。使い古された手口を用意しているからである。つねに,利食い,連邦政府の赤字,その他,弱気の展開を説明するものがあり,会社の収益の向上,利率の上昇,その他,強気の展開を説明するものがある。評論家が,その日あるいは1週間の市場の動きは,主にでたらめな変動によるものである,と述べることはまずないといっていいだろう。

ジョン・アレン・パウロス 野本陽代(訳) (1990). 数字オンチの諸君! 草思社 pp.64-65

タダ飯はない

セイラーの言う「ノーフリーランチ」とは,現実の社会でタダでありつける昼食がほとんどないように,市場で魅力的な機会を見つけて長期にわたって利益をあげ続けるのが不可能に近いことを意味する。たとえ魅力的な機会に遭遇したとしても,取引コストやリスクなどの取引上の制約があるため,実際に利用するのは難しい。フリーランチが幻に終わることは,過去の統計データが示している。
 これに対して,効率的市場仮説の2つ目の主張である「価格は正しい」は,どうも疑わしい。現に,パーム株とスリーコム株の価格の歪みは,市場価格が正しいのであれば起こりえない。ある意味で同じ価値を持つ商品が異なる価格で取引されているのだから,少なくともどちらかの価格が間違っているはずだ。
 市場には不均衡が存在する。バブルは壊すより,見つけるほうが簡単なのだ。これは,ベイズの国における究極の問いかけ——市場が暴落すると本当に思うなら,なぜそれに賭けないのか——が,取引や資金に制約のある現実の世界では,いつも有効であるとは限らないことを意味している。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.399-400

デリバティブはギャンブルか

かつてデリバティブは,刑法上の賭博罪にあたるのではないか,と言われた時期がありました。1980年代のことです。賭博とは,刑法の世界では「偶然の事情により勝ち負けを決め,財物のやり取りをすること」と解されています。「デリバティブが賭博とは,そんなばかな」と,筆者が,当時仕事上の必要もあって,法務省の担当官に確認しにいったところ,やはり賭博罪の構成要件(法律の文言に定められた形式要件)に該当するとのことでした。刑法で賭博罪を定めた趣旨から言って,それはおかしいと強く反論しましたが,彼の意見は変わりませんでした。
 構成要件に該当する場合でも,別途法律で認められた行為であったり,正当な業務上の行為である場合には,違法でなくなります。その後の金融関係の法律改訂で,広くデリバティブが認められることになりました。
 デリバティブに失敗して大きな損失を抱えた,そんな話を聞くたびに,あの時,必ずしも金融の専門家ではない法務省の担当官が示した判断は,ある意味正しかったのではと思います。

植村修一 (2013). リスクとの遭遇 日本経済新聞社 pp.142-143

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