I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

新しい習慣が生まれるとき

新しい習慣が生まれる過程はこうだ。きっかけとルーチンと報酬が結びつき,その後,欲求が生まれてループを作動させる。
 喫煙を例にとってみよう。喫煙者がきっかけ(たとえば,マルボロのたばこ)を見ると,脳がニコチンの直撃を期待し始める。たばこを目にするだけで,脳はニコチンを求めてしまうのだ。それが得られないと欲求はふくれ上がり,喫煙者は無意識にマルボロに手を伸ばすことになる。
 次にメールを考えてみよう。コンピュータがメールの新着を告げる音を出したり,スマートフォンが震えたりすると,メールを開くことによる束の間の気晴らしを脳が期待し始める。それが満たされないと期待はふくれ上がり,ミーティングの場が,テーブルの下で振動する携帯を確認する落ち着かない社員たちの集まりになってしまう。たとえそれがオンラインゲームの結果のお知らせにすぎないとわかっていても,チェックせずにはいられないのだ(振動を消して,きっかけさえ取り除けば,受信箱を確認しようと思うこともなく,ずっと働くことができる)。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.81-82

神経学的欲求

このことから,習慣がなぜ強力なのかがわかる。習慣は神経学的欲求を生み出すからだ。
 こういう欲求はたいてい徐々に生まれるため,私達はその存在に気づかず,その影響にも気づかない場合が多い。しかし,きっかけがある種の報酬と結びつくと,無意識の欲求が脳内で生まれ,習慣のループが作動し始める。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.79

複雑な習慣

習慣になってしまうのが驚異的に感じるほど複雑な行動もある。たとえば運動の初心者にとって,車をスタートさせてドライブウェーから外に出るときは,大きな集中力が必要だ。それにはもっともな理由がある。まずガレージを開けて車のロックを解き,シートを調整してキーを差し込み,それを時計回りに回し,バックミラーとサイドミラーを動かし,障害物がないかどうか確認し,ブレーキに足を載せギアをリバースに入れたらブレーキから足を離し,頭の中でガレージから道路までの距離を予測し,そのあいだにもタイヤをまっすぐに保ちながら,道路を行き交う車に目を配り,ミラーに映る像からバンパー,ごみ箱,生け垣の距離を計算し,しかもこれらすべてをアクセルやブレーキを軽く踏みながら行い,そしてたいていの場合,同乗者にラジオをいじるのはやめろと頼まなくてはならないのだ。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.39-40

習慣の集まり

「私たちの生活はすべて,習慣の集まりにすぎない」
 1892年にウィリアム・ジェームズはそう書いている。私たちが毎日行っている選択は,よく考えた末の意思決定だと思えるかもしれないが,実はそうではない。それらは習慣なのだ。1つ1つの習慣はそれほど重要ではない。しかし長期的に見ると,食事で何を注文するか,毎晩子供たちに何を言うか,お金を貯めるか使うか,運動をどのくらいするか,考えをどうやってまとめるか,そしてどんな手順で仕事をしているかといったことが,その人の健康や効率,経済的安定,幸福感などに大きな影響を与えている。デューク大学の学者が2006年に発表した論文によると,毎日の人の行動の,じつに40パーセント以上が,「その場の決定」ではなく「習慣」だという。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.7-8

重いと重要

要するに,私たちは重いものを持つと,ものごとを重要と感じる。科学者らしい言い方をすれば,物理的な重さの感覚が重要度という抽象概念を呼び起こし,その結果として,人はものごとに重要性を見いだすと言える。では,そのような連想は双方向に作用するものなのか?つまり,私たちはものごとを重要と感じているとき,物体を物理的に重く感じるのか?この点を実験したオランダの研究グループがある。1つ目の実験では,被験者に本を1冊持たせ,重さを推定させた。すべての被験者に,これは大学の先生が使う本だと説明する。ただし,半分には「重要な」本だと伝え,あとの半分には重要性に関してなにも言わなかった。重要な本だと教えられたグループは,そうでないグループに比べて,本の重量を重く答えた。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.58

硬いか柔らかいか

学問分野には,「硬い」イメージの分野と「やわらかい」イメージの分野がある。硬いのは自然科学,やわらかいのは社会科学だ。前者は「ハードサイエンス」,後者は「ソフトサイエンス」と呼ばれる。私自身は,この二分法的な発想が好きになれない。私の専門である心理学は,生命科学や物理学と同じように対照実験や定量データの測定をおこなうが,ソフトサイエンスに分類されることが多い。
 一方,アメリカの二大政党のうち,共和党は,経済政策と外交政策,そして人工妊娠中絶や同性婚などの社会的な問題で強硬,つまりハードな立場を取ることが多い。それに対し,民主党のほうがやさしくて温情があり,ソフトというイメージをもたれている。
 ある研究グループは,人が他人の政党支持(共和党か,民主党か)と学問専攻分野(物理学=ハードサイエンスか,歴史学=ソフトサイエンスか)をどう判断するかに,硬い/やわらかいという物理的な触感が影響を及ぼすかを実験した。1つの実験では,被験者に硬いボールとやわらかいボールのいずれかを握らせ,男女4人ずつの顔を見せて,それぞれの人物が共和党と民主党のどちらを支持していると思うかを尋ねた。結果は,男女の識別の場合と同様だった。やわらかいボールを握った人のほうが,多くの顔を民主党支持者と判断したのだ。もう1つの実験では,被験者に大学教員たちの顔を見せ,それぞれの人物の専攻が物理学か歴史学かを予想させた。この実験でも,硬いボールを握った人はやわらかいボールを握った人より,多くの顔を物理学者と判定する傾向があった。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.42-43

触れるとチップが増える

触覚に大きく影響されるのは,子どもだけではない。大人がルールを守るかどうか,利他的に振る舞うかどうか,リスクの大きな行動に踏み出すかどうかも,他人に触れられるかどうかに影響される。こんな実験がある。スーパーマーケットで販売員が客を呼び止め,新しいスナック菓子の試食を勧める。その際,一部の客の腕に軽く手で触れるようにした。すると,腕に触れられた客は,試食を受け取り,さらには商品を購入する割合が大きかった。別の実験では,被験者の肩に軽く触れると,経済的にリスクの大きな行動を取る確率が高まった。おそらく,触れられることにより,安心感が増すからだろう。また別の研究では,レストランのウェイトレスが客の肩や手に1秒触れると,そうしなかったウェイトレスより,多額のチップを受け取ることができた。しかし,肩や手に触れられた客がウェイトレスや店の雰囲気に関して高い評価をくだすことはなかった。この点から考えると,体に触れられることがみずからの行動に影響を及ぼしていることに,客自身は気づいていないようだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.36-37

短時間の効果

暖かさが他人に対する信頼感や親近感を高め,気前よく振る舞わせる効果は,長くは続かないようだ。私たちの心理が物理的感覚の影響を受けるのは,ごく短い時間に限られる。しかし,効果の持続時間が短いからといって,それが重要ではないということにはならない。人が瞬間的にくだす判断は,先々まで大きな影響を及ぼす場合もある。だから,環境やほかの人たちからの影響をコントロールし,それをうまく活用することが重要だ。そのためにはまず,そうした影響の存在を認識する必要がある。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.29

こころと温感

これらの実験結果から考えると,人が寒く感じるか暖かく感じるかは,部屋の温度だけでなく,その人の心理状態にも明らかに左右される。仲間はずれにされたり,同席している人たちと考え方や価値観が異なったりして,孤独感をいだいているとき,その影響は肉体と心理の両方に及ぶ。また,部屋の中でほかの人から離れた場所にいるときも,人は孤独を感じ,部屋の空気を寒く感じる。逆に,ほかの人たちに受け入れられていると感じたり,意見や嗜好が近い人たちと一緒にいたり,誰かのそばに座っていたりすると,部屋が暖かく感じられる。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.26

同性愛者を見つける

そこでフロムとフーカーがとった戦略は,実に挑発的なものでした。ただ「同性愛を心理学的に研究しました〜」だけでは,学界でスルーされるのは目に見えています。ですから,学界の権威が無視できないよう,こんなステップを踏むことにしたのです。

・フロムの人脈を生かし,男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
・続いて,男性異性愛者も30人集める。
・合計60人の被験者に,ロールシャッハ・テストなど,当時主流であった心理検査を受けてもらう。
・その結果をまとめたうえで,被験者のプロフィールだけ隠して心理学界の権威に提出し,「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。

 そんな挑戦状を叩きつけられ,心理学界のお偉いさんたちも黙っていませんでした。「私なら間違いなく同性愛者を見分けてみせる」と,学者たちは自信満々。中には自らのプライドを賭けて,60人分の検査結果を検討するのに半年もかけた学者もいました。ですが,みんなみんな不正解。「もう1回やらせてくれ!」と食い下がった学者だって,やっぱりまた不正解でした。同性愛を異常扱いしていた心理学者たちは,60人のうち誰が同性愛者なのかということを,ちっとも見分けることができなかったのです!

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.158-159

近親者と友人

進化論者は,血のつながりのある近親者と血のつながりのない友人とを,理論の上でしっかりと区別している。近親者たちは同じ遺伝子を高い比率で共有しているので,近親者の繁殖の成功に繋がる行動はすべて,間接的に自分自身の適応度を高めることになる。進化生物学者は,これを包括適応度という専門用語で説明している——簡単に言えば,個体が自分の遺伝子を残すことに成功する度合いのことだ。要するに,私が息子の繁殖成功に対して貢献をすれば,それは自分自身のためにもなるわけだ。この包括適応度という考え方によって,ヨーロッパ旅行中,どうして私が元妻(息子の母親ではない)に比べて,息子のティーンエイジャー特有の不満に対してずっと寛容だったかを説明できるだろう。
 一方,友人同士の助け合いは,一般的には互恵的利他行動という言葉で説明される。これは相手が自分のために何かしてくれる限り続く助け合いのことだ。互恵的利他行動は大きな効力をもつルールである——集団のメンバーに1人では不可能なことを成し遂げさせ,状況が厳しいときには,それがあるかないかで生死が分かれることもある。だが,これには包括適応度とは少しばかり違った計算方法が適用される。包括適応度の考え方によれば,私が息子に何かを与えるたびに,自分自身の遺伝子にも何かを与えていることになり,しかも,このつながりは常に存在する。でも,血のつながりのない友人のリッチの場合,これは当てはまらない。だからもし彼と私が,不運なヨーロッパ旅行のときのように,相互の関係から利益が得られなくなってしまうと,結びつきが脅かされることもある。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 133-134

信用と欲情

心理学者のリサ・デブラインは,この問題に違った手法でアプローチしている。彼女はコンピュータのモーフィング・ソフトを使って,見知らぬ人の顔を親族らしく変えてみた(見知らぬ異性の顔と,被験者自身の顔をブレンドしたのだ)。すると被験者たちは,人工的に親族関係を思い起こさせる顔に対して,「信用に値するが,欲情には値しない」と判断した。つまり顔を自分と似せると,信頼できる相手だと思う可能性は高まるが,ゆきずりの性的関係をもつ相手としては見なくなるのである。
 ある水準で考えれば,私たちは近親者にことのほか惹かれてもいいはずだ。なぜなら近親者は,自分とよく似ていたり,自分がよく知っていたりというような,好ましい仲間としての基準の多くを満たしているからだ。だとしたら,なぜ私たちは近親者とのセックスを考えただけで胸くそが悪くなるのか?遺伝的に見れば,その行為は自分のクローンを作ることに限りなく近い。ちょっと考えただけだと,クローニングに近いということは,遺伝子の利益にかなっているように思える。親と子のあいだの遺伝子の重複が最大化するからだ。でも,あまりに同じすぎると失われるものもある。有性生殖の主な利点のひとつは,遺伝子を別の遺伝子とシャッフルできることだ。これをやるからこそ,すごい速度で進化し続けるウイルスやバクテリアなどの寄生者を出し抜ける。だが一親等の血縁者との交配は,シャッフルが不十分なのに加えて,ブリーダーが「近交弱勢」と呼ぶ結果までもたらしてしまう(近交弱勢とは,有害な遺伝病の原因となる劣性遺伝子が結びつく機会が増えることを意味する生物学用語だ)。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 131-132

細分化された心

食物嫌悪の研究には,機能的な面でもうひとつ意外な発見があった——吐き気の条件づけは,どんなきっかけでも起こるというわけではない。どんな関連づけを学習するかは,その動物がもつ固有の進化史に左右されるのだ。たとえば,ネズミは視力が弱く,夜に餌をさがすときには味覚や嗅覚に頼っている。だから変な味の食物にはすぐに嫌悪を生じさせても,見た目がおかしな食物には嫌悪を発達させない。また別の研究チームは,うずらの学習パターンがまったく違うことを実証している。この鳥は,食物を味ではなく,鋭敏な視覚を頼りにさがす。よってウズラの嫌悪は,新しい食物の味よりも色に関連づけられやすい。つまり動物は,1つか2つの領域一般生の規則で働く脳をもっているのではなく,細分化された心をもっているのだ。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 123

心はぬりえ帳

私はこれまで,空白の石版のかわりに,心をぬりえ帳として考えてみてはどうかと提案してきた。ジュークボックスと同様,ぬりえ帳もインタラクティブなもので,内部にある構造(キリンやシマウマやロケットを区別するべく前もって引かれている輪郭線)と,外部からの入力(クレヨンで巧みに色を塗り分ける若きアーティスト)との相互作用で色が塗られる。しかも,この喩えには他にもちょっとした利点がある。まず第1に,ぬりえ帳のほうが柔軟性が残る余地があるし,予測していなかった結果も出やすい——キリンを塗るのに黄色と茶色ではなく,紫色と緑色を選ぶ子供もいるかもしれないのだ。またこれに加えて,(矛盾しているようだが)柔軟性を残しておける一方で,制約を増やすこともできる。ぬりえ帳にあらかじめ引かれた輪郭線は,外部に対して,ジュークボックスのボタン以上に強力に,特定の入力を要求するからだ(キリンに色を塗る子どもの多くは紫色,青色,緑色ではなく,黄色,茶色,黄褐色をさがすよう促される)。要するに,ぬりえ帳の塗り方は無限だが,実際には各ページごとに輪郭線によって特定の色を使うように強く促されるため,完全に受動とは言えないのだ。
 ぬりえ帳の喩えは,実際の人間の脳をありのまま表現しようとするものではないが,空白の石版というイメージに対する,わかりやすい対比にはなっているはずだ。この対比で,空白の石版というお馴染みの強力な喩えを概念的に拡張して,心と文化の相互作用をもっと鮮明に視覚化できるだろう。実のところ,この喩えは空白の石版に立脚するものだが,心が外部からの入力によって満たされる巨大な空白ばかりでなく,あらかじめ書き込まれた輪郭線ももっていることを想起させるのである。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 109-110

好みの年齢

この考えを検証するには,年齢についての好みを違う角度から見る必要があった。それまでの研究は,恋人募集の広告を出した人たちを年齢を問わず一緒くたに扱って,男女の平均年齢の違いを報告しただけのものだった。そこでキーフと私は広告を年齢別に分類し,その結果,男は少し年下の女を,女は少し年上の男を求めるというだけではない,もっと複雑なパターンを明らかにした。驚くべきことに,そのパターンは,男女のそうした行動について社会科学が行っていた標準的な説明とは,根本的に違うものだった。
 女性の好みの年齢については問題がなかった。女性は,いくらか年上の男性を求め,その一般的な傾向は生涯を通じて変わらない。これは研究者たちがそれまで説明してきたとおりだ。この傾向は,意外なことに,対象となる年上の男性が少ない60代の女性でも変わらなかった。
 でも男性の好みは年齢によって劇的に変化していた。たとえば,とくに若い男性たちは,優位に立つために自分より若い女性を求めると社会的には考えられていたが,実際にはそれに反して,幅広い年齢層の女性に興味を抱いていた。標準的な25歳の男性は,年下の20歳と年上の30歳の女性の両方に関心をもっていた。その後の研究で,10代の少年の多くは,自分よりも少しだけ年上——大学生くらいの年齢——の女性に惹かれていることがわかった(同時に彼らは,自分が相手にされないだろうとも考えていた)。しかし年をとるにつれ,好みのパートナーは自分よりも5歳から15歳年下の女性へと移る。55歳ともなると,若い女性に対する欲望はさらに極端になる。この1980年代末の分析では,エルヴィス・プレスリーを聞いて育った世代の男性たちが,U2のライブに向かう少女たちに色目を使っている一方で,同じロカビリー世代の女性たちは,フランク・シナトラ世代から求婚されることを望んでいた。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 97-98

偏見の意義

このような偏見にはかつては実用的な意義があった。よそ者は地元の住民に比べて,自分が免疫をもっていない病気を運んでくる可能性が高かったので,見知らぬ人を避けるようにすれば,最新版の天然痘,ペスト,あるいは豚インフルエンザも避けやすいからだ。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を読んだ人は,ヨーロッパ人の持ってきた銃よりも,ヨーロッパ人の運んできた病気によって殺されたネイティブ・アメリカンのほうが多いことを知っているだろう。もちろん,進化の末に身についた傾向には常に長所と短所がある。たとえば,私たちの祖先は他の集団と物品を交換し,地元の外に目を向けることで配偶者を見つけることも多かったので,完全な孤立は,危険を避けるばかりでなく機会も失うことになる。そこでマークたちは,病気を忌避するメカニズムは柔軟なものだったはずだと考えた。
 一見して病気にかかっているとわかる人や,疫病が流行っているという知らせは,見知らぬ人を避ける理由としては十分なものだろう。それと同様に,各個人の病気に対する脆弱性もまた,見知らぬ人を避ける理由になるのではないか?そうでなければ,外国人恐怖症は割にあわないとマークたちは考えた。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 79-80

殺人妄想

アリゾナ州の学生がとくに暴力的ということでは?たぶんそれはない。デヴィッド・バスとジョッシュ・ダントリーがのちにテキサス大学で学生のサンプルを調べたところ,同じくらい多数の男性(79パーセント)と女性(58パーセント)が殺人妄想を抱いたことがあると認めていた。こうした数字は一見高そうだが,おそらく実際はその反対で,普通の人が殺人妄想を抱いている比率を過小に示していると思う。社会心理学者たちは,人々が発言をするときは,自分が最も社会的に望ましいと思っていることを言おうとするのを何度も確認してきた。また人々が,自分が文句なしのよい子ではないという証拠を選択的に忘れがちだということも示している。自慰に関するキンゼイの有名なレポートでもそうだったが,殺人妄想が実際に行われている比率は,人々が公式に認める水準よりもっと高いと想定しても構わないはずだ。
 私たちの多くが人を殺したいと思っているのはわかったが,ではいったい誰を殺したいと妄想しているのだろうか?男女ともに,殺したい相手は男が多い。事実,男性の殺人妄想の85パーセント,女性の65パーセントは男を殺すものだった。とはいえ,この部分はそんなに驚くものではない。実際の殺人統計を見ても,男性のほうがずっと殺人の被害者になりやすいからだ。

ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 48

ゴルトンと優生学

ゴルトンは,人間の才能がどの程度遺伝に因るのかを明らかにしようとして,その研究生活の早い時期から家系に関する資料を集め,統計学的手法でこれを解明しようとした。しかし,優生学を本格的な学問として展開したのは,晩年になってからである。彼は1901年の人類学会で,「既存の法と感情の下における人種の改良の可能性」という論文を発表し,関係者から好意的な感触を得た。これが自信となり,1904年にロンドンで開かれた第1回イギリス社会学会で「優生学——その定義,展望,目的」という講演を行った。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 14

罰の効果は

スキナーははっきりと罰に対して反対した最初の心理学者の一人なのだが,そうした面はあまり注目を得られていない。自由と尊厳のある生活をするためには,罰を無くせば良い。そして報酬に基づく行動形成をすることによって誰もが尊厳をもって生きていける世界を作るべきだ,というのがスキナーの根本的な思想である。ところが,この考え方に反対する人は多い。何が「良い」行動なのかを誰か特定の人が決めるのがケシカランというのである。しかし,罰においてこそ罰を与える人が基準を決めて罰を与えている。
 実際,罰の効果は無いとほとんど全ての心理学者は主張する。この点で意見を異にする心理学者はいない。罰が問題なのは,罰に効果がないだけでなく,人格的なダメージを与えることにもある。さらに,何が良くない行動であるのかということを罰を与える人が決定している点も問題である。まさに自由と尊厳を脅かす手法なのである。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.34-35

自由意志か

誰でも,自分の人生に関わることは自分で決めていると考えたい。しかしこの信念に確たる根拠はない。それは,進化の過程で形成された心という機械のなかを,幽霊のように漂っている。私は自らの自由意志に従ってこの本を書く決定を下したのではなく,書かざるを得なかった。それと同じく,あなたは自らの自由意志に従って本書を買う決定を下したのではなく,買わざるを得なかったのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.469

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