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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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利己的な生き物

人間の行動は,その「快」を志向し「不快」を回避することで生じる。(理性でなく)感情や感覚によって行動が決まるこの過程は,われわれに,自分の利益に向けた行動を自然に起こさせる仕組みになっている。こうした仕組みを通じて,人間は,自分ではいちいち利害損得を考えていなくても,意識しないまま自分の利益に向けた行動をとる。言ってみれば,われわれは,自分の利益に向けて働くように「できている」のであり,自らが意識している以上に「利己的」な生き物である。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.46-47
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都市伝説

それはともかく,エスキモーの雪を表わす言葉は,すっかり都市伝説になってしまった。1911年に最初にこの話に言及した言語学者フランツ・ボアズは,エスキモーには雪を表わす4つの異なった言葉があることがわかったとしている。ウォーフがこの数を7つに増やし,報道関係者たちがこれをさらに膨らませ,オハイオ州クリーブランドの天気予報では,雪を表す100種類の言葉と語るまでになった。現在では専門家は,より真実に近い数字として,10種類程度と考えている。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.198

スタンレーという名の重荷

数少ない証人の一人が,ミルグラムの研究助手で,現在はカリフォルニア大学の心理学教授をしているアラン・エルムスである。彼があの実験にかかわったということを知ると,未だに多くの人たちが,強い興味と強い嫌悪感の入り混じった複雑な反応を示すと,彼は語っている。
 人間自体にまつわる不都合な真実を暴いてしまったことで,ミルグラムは高い代償を払う羽目になった。ハーバード大学で彼はその後助教になったが,長くとどまることはできなかった。1967年にはかるかに格下のニューヨーク市立大学へと移り,そのまま1984年に心不全のため51歳で亡くなった。死の直前,孫が生まれた。孫のセカンドネームはスタンレーだと語った彼の妻に,記者がなぜファーストネームにしなかったのかを尋ねると,彼女はこう答えた。「スタンレー・ミルグラムという名前は,人生を送るのに重荷になるだろうと思いますから」

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.160-161

サブリミナル

一方で,サブリミナル知覚研究は,科学分野の一分野として花開きつつある。今日では,人々がそれと気づかずに情報を得たかどうか,またその情報が行動に影響したかどうかを,単純な実験によって明らかにできる。しかし,行動に与える効果はごく小さいことが明らかになっており,ともかく,ポップコーンの売り上げが60パーセント近くも増えるようなことにならないのは確かである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.136

スキナーの娘

実は「スキナー箱」という名はスキナーがつけたわけではなかったが,この名はすぐに世間に広まった。彼が次女のデボラをスキナー箱に入れて育てたという話まで出て,やがて,「デボラは最後には精神科の施設に入り,自ら命を絶った」という噂が広がり始めた。この都市伝説のもとになったのは,女性誌『レディース・ホーム・ジャーナル』の1945年10月号に載った記事だった。スキナーがデボラのためにつくった暖房付きの防音保育器に関する記事で,運の悪いことに「箱入り娘」という題がつけられていた。これが読者に,デボラもスキナー箱に入れられ,ラットやハトと同じように父親の実験の対象にされていたのだという誤った印象を与えたのである。現在,デボラはロンドンでアーティストとして活動しながら,「彼女は自殺した」というしつこい噂に終止符を打とうと,ときどきマスコミに登場している。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.86

アルバート坊や

ワトソンが制作した悪名高い「アルバート坊や」の映画のおかげで,この実験は広く知られて心理学の伝説の一つとなり,いくつも不正確な話が伝わるようになった。たとえば,一部の教科書にはワトソンがアルバートにネコ,マフ(手を入れる円筒形の毛皮の防寒具),白い毛皮の手袋,テディー・ベアを見せたと書かれている。またアルバートの反応も,それぞれの理論に合うよう好き勝手な解釈がなされている。さらに一部の本の著者たちは,ワトソンがどのようにして,アルバートに条件づけした恐怖を実験を終える前にすべて消去したか,詳しく説明している。しかし実際には,ワトソンはそんなことは全くしなかった。アルバートと母親がいつ小児病院を離れる予定になっているかをワトソンが前もって正確に知っていたことを考えると,これには非常に驚かされる。しかも,彼は自分の実験がどのような結果をもたらす可能性があるかを十分承知していたのに,である。実験結果を発表したときに,ワトソンは「これらの反応は,それを除去するような偶然の状況に出会わないかぎり,家庭環境にあっても永久に持続する可能性が高い」と書いている。
 それからほどなく,ワトソンは別の実験でレイナーと親密すぎる関係になり,大学を追放された。その後彼は,子供の教育についての有名な本を書いた。そのなかで彼は,子供に愛情や関心を持ちすぎないようにと,親に対してアドバイスしている。アルバート坊やの実験から40年経って,心理学者のハリー・ハーロウがサルで一連の冷酷な実験を行い,ワトソンのアドバイスがいかに誤りであったかを実証した。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.74-75

誰がやったのか

ところで,中心となってこれらの実験を計画し,進めたのは本当にプングストだったのだろうか。ドイツの心理学者ホルスト・グントラッハは事の真相に疑問をもち,従来いわれていた経過にいくつか矛盾があるのを指摘している。たとえば,プングストは何年も博士論文に取組んできたのに,結局は論文を仕上げなかった。どうして,「賢馬ハンス」についての研究を論文として提出できなかったのだろう。そもそも,研究助手でさえないプングストが,どうして単独で本の著者になったのだろうか。教授が学生の著作に名前を連ねるのは,ごく当たり前の慣習である。彼はその後一冊も本を書かなかったし,論文すらほとんど発表しなかった。グントラッハは,この本の大部分を書いたのは実はプングストではなく,彼の教官のカール・シュトゥンプだと考えている。だがシュトゥンプは,それ以上ハンスとかかわりたくなかったのだ。ハンスの秘密が暴露されたときに,シュトゥンプと同じ心理学者たちや報道機関が,何カ月間もハンスの奇跡的能力を信じていたシュトゥンプを馬鹿にしたからである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.61

賢いハンス

プングストの研究によって,あらゆる実験の結果を台無しにする恐れのある最も重大な要因の1つが明らかになった。それは,「実験者の期待」である。その後多くの研究で実証されているように,研究者は無意識のうちに,自分の仮説に有利なように実験の結果を曲げてしまう。プングストも,叩くのをやめてほしいと思ったときに,ハンスに無意識に合図を送っていたのだ。現代心理学では,この現象は「実験者効果」とよばれ,実験計画を立てるときには必ずこれを考慮に入れなければならない。プングストの研究は非常に有名になり,今日でも「賢馬ハンス現象」を論じるシンポジウムが開かれるほどである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.60-61

自動的である条件

何かが「自動的」というのは,どういう意味でしょうか。心理学者の多くは,行動が「自動的」とされるためには4つの条件が満たされるべきだと考えています。

 (1)本人が気づかないうちに起こる
 (2)意識的な意図なしに起こる
 (3)特に努力を必要とせずに起こる
 (4)完全にでなくても,ほとんどコントロール不能である

 長年の心理学研究によって,他社の行動に意味づけをしてその人に対する判断を下すときの認識者の脳の働きは,以上の4つの要素をすべて満たしていることがわかっています。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.66

安全地帯から

安全地帯から抜け出し,新しい体験をしなさいとよく言う。しかし,これほど抽象的なアドバイスはないと常々思う。私にとっては,安全地帯を抜け出すといえば,8時間ずっとデスクに座って画面を見つめるとか,コーヒーを飲むことかもしれない(コーヒーはどうも苦手なのだ)。
 安全地帯からの本当の脱却とは,新しい物事に挑戦し,新しい人々に出会うことだ。そのメリットは十分に実証されている。では,安全地帯から抜け出すのも,凝集性の高いネットワークを築くのも,おおむね良いことだとすれば,どちらを選ぶべきか?多くの研究者は反論するだろうが,「白か黒かではない」というのが答えだ。大半の時間を一緒に過ごす密な集団を築くと同時に,多様なネットワークにも属して,ときどき新しい情報を仕入れることもできるのだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.117

状況と愛着スタイル

進化の文脈で考えると,親が子供の世話をするだけの時間と資源が十分にある環境では効果的な戦略だということがわかる。安全で安定した環境(身体的にだけでなく情動的にも安心な環境)では,子供が大きなリスクを負わずに冒険できる。カラハリ砂漠であれ,パリのスラム街であれ,もっとストレスの多い環境では,親にとって生き延びることが差し迫った課題で,子供を身近に置いておける「不安定な愛着」のほうが優勢になる。しかし,子供の気質が親の側を変化させることもある。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.176-177

社会的環境

孤独な人が健康に良い行動をしなくなるのは,催眠で社会的疎外感を抱かせた人にみられた,実行制御機能の,ひいては自己調節能力の低下が一因になっているのかもしれない。たんにその時点で気持ち良く思えることではなく,自分にとって良いことをするには,規律正しい自己調節が必要となる。ジョギングに行くのは,終えたときに気持ちが良いかもしれないが,ほとんどの人にとっては,そもそもドアから外に出るには意志の力による行動が必要だ。そうした規律に必要な実行制御は孤独感によって低下する。孤独感には自己評価を低下させる傾向もある。他者に無価値だと思われていると感じると,自己破壊的行動をしがちで,自分の体をあまり大事にしなくなる。
 そのうえ,孤独な中高年の人は,孤独感についての苦悩と実行機能の衰えが相まって,気持ちを紛らわそうとして喫煙や飲酒や過食,性的行動に走ることがあるようだ。気分を高揚させるには運動のほうがはるかに良いだろうが,規律正しい運動にも実行制御が必要だ。週に三回ジムやヨガ教室に通うのも,体調を保とうとするのを励ましてくれる友人とそこで会って楽しめるなら,ずっと楽になるだろう。
 つまり,社会的環境は非常に重要なのだ。それは,規範を形作り,社会的制御のパターンを強め,特定の行動をする機会を与えたり与えなかったり,ストレスを生んだり軽減したりすることによって,行動に影響を与える。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.137-138

孤立の影響

1988年,「サイエンス」誌にその後の調査を検討する論文が載り,疾病や若年死の危険因子として,社会的孤立は高血圧や肥満,運動不足,喫煙に匹敵することを,そのメタ分析(「分析の分析」の意味で,複数の研究結果を系統的・総合的・定量的に評価するもの)は示した。しばらくは,このかなり重大な影響は,「社会的制御仮説」によって説明されることがいちばん多かった。この仮説は,物質的援助やよりポジティブな影響を与えるだろう配偶者や親しい友人がいないと,人は体重が増えたり,アルコールを飲み過ぎたり,運動不足になったりする傾向が強まるのかもしれない,というものだ。自分の体にかまわなくなるから健康に影響が出て,それが孤立の研究で発見されるのかもしれない,と考えられたのだ。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.128

決定論

人間が自分ではどうにもならない自然の法則に従う機械装置にすぎず,諸因の海で揺れ動く浮きのようなものである世界に生きるとは,何を意味するのだろう?決定論が正しいとすれば,その帰結は深刻だ。第一に,私たちは道徳的責任の概念を根底から見直さなくてはならない。なにしろ,ある状況におけるあなたの選択が前もって決まっている——そしてそれが唯一「なしえる」選択なのだ——としたら,誰に責を負わせればいいというのか?「固い決定論」と称される考え方によれば,そもそも選択の余地がないのだから,責任もいっさい存在しえない。そして,責めを負うべき者がいなければ,道徳的に刑罰に値する者もいない。あなたが悪事を働いたとしても,それはあなたの過ちではない。また,あなたが聖人のように振る舞ったとしても,それはあなたの功績ではない。人間の行為者性についてのこの説明は,自由意志(あるいは,一部の哲学者が言う「究極の自由」)という考え方を根底から揺るがす。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.196

嘘だらけの世界

嘘を検知できないというのは,嘘だらけの世界でははなはだ不都合だ。人は,10分以上続く社会的相互作用の5回に1回で嘘をつくと認めている。これは,平均すると少なくとも1日1回になる。ある人が徹底的に文献を調べたところ,英語の語彙には「collusion(共謀)」「fakery(ごまかし)」「malingering(仮病)」「confabulation(作話)」「prevarication(二枚舌)」「exaggeration(誇張)」「denial(否認)」など,嘘という含みのある単語が112個あったという。イギリスの精神科医で嘘の専門家,故ショーン・スペンスは,どの文化にも,正直を意味する単語よりも嘘を意味する単語の方が多いことに気づいた。欺き方はいくらでもあるが,真実を語る方法は1つしかないからかもしれない。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.130

自滅の理由

中毒問題の核にあるパラドックスは,選択能力があるのに自滅を招くのはいったいなぜか,だ。「中毒になりたくてなった人になど,私は一人として出会ったためしがない」と語るのは,2003年にレシュナーの後任として国立薬物濫用研究所の所長になった脳科学者のノラ・ヴォルコウだ。まさにそのとおり。肥満になりたくてなった人に出会ったことのある人がどれだけいるのだろう?人生で望ましくない結果は,たいてい徐々に訪れる。「中毒者が毎日ハイになることを選択するのは想像できるが,中毒者になることを選択するとは思えない」と心理学者のジーン・ハイマンは言う。「けれども,毎日ハイになることを選択すると,中毒になってしまう」

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.100

ワトソンと広告

20世紀の初頭以来,実業家は消費者心理の謎を解明するために心理学の専門化の助言を求めてきた。1920年代には,絶大な影響力を持つアメリカの心理学者ジョン・B・ワトソンが,広告の基本的な学習理論を提唱した。消費者は製品を購買する動機があるときに購買する,というのがそれだ。購買欲を育てる絶対確実な方法の一つとして,ワトソンは人々の自己像(自分自身について抱いているイメージ)と,それに付随する情動や,関連する文化的事象に訴えるよう,企業に勧めた。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.66

盲目的な心身二元論者

心理学者のポール・ブルームが言及しているように,今日でさえ,たいていの大人は盲目的な心身二元論者で,心はおおむね,あるいは完全に脳の働きとは別個のものと見ていることを,統計データが示している。脳画像研究がこれほどマスメディアの関心を集める理由も,この盲目的な二元論で説明できるかもしれない。そうした研究の結果は,多くの人には意外なもの,いや,魅惑的なものにさえ見える(「すごい。気分の落ち込みというのは,本当は脳の中のことなんですか?それに,愛情も?」)。「私たちは,自分は非物質的なものだと直観的に思っている。だから,思考という行為を行なっている自分の脳を目にするとショックを受け,果てしない興味を掻き立てられるのだ」とブルームは述べている。

サリー・サテル スコット・O・リリエンフェルド 柴田裕之(訳) (2015). その<脳科学>にご用心:脳画像で心はわかるのか 紀伊國屋書店 pp.39-40

無意識と意識

より広い科学的関心になるのは無意識にコントロールされる無意識な行為の社会的抑制の原則だ。あくびは社会の目にさらされることによって抑制されるもう1つの無意識的な行為だ。古いものと新しいもの,無意識と意識的な行為が脳の表現手段を競うときに,より新しい意識的なメカニズムがしばしば優位になり,古い無意識的ライバルを抑制する。これはしゃっくりであろうとあくびであろうと同じことが言える。しかし,予備的な証拠はしゃっくりが笑いとは異なり,新しく進化した発話によって抑制されないことを示唆する。つまりしゃっくりは会話のフレーズ構造に句読点を打たないのだ。しゃっくりは文法の規則に無頓着で,笑いよりもランダムに会話の流れの中に散らばっている。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.147-148

くしゃみは伝染しない

くしゃみにはあくび,そしてことによると咳の顕著な特徴である伝染性がない。くしゃみとあくびの類似点(つまり頭を後ろに傾け,次に前傾させること,口を大きく開けること,目を閉じること)を考えると,観察したくしゃみに間違って反応して,伝染性のあくびをすることが全くないのは不思議なことだ。くしゃみは明らかに別個の知覚カテゴリーとして扱われているが,それは急速な呼気段階のせいかもしれない。くしゃみがうつらないのはかえって幸いなことだ。伝染性のくしゃみの連鎖反応は壮観で,破壊的で,そして非衛生的だろう。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.136-137

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