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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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限界を感じる

できないことは捨てるという戦略は,できないことにとらわれて時間を無駄に費やすよりも何倍も良いだろう。人は身体的能力についてはその限界をすぐに感じるのに対して,知的能力については,その限界をすぐに感じないようである(知能的限界を感じないことの良い例としては,○○学院,○○予備校のような「だれでも○○大学に入れる」信仰みたいなのもそのひとつだ。知的能力は身体的能力に比べて,その限界を感じにくいようなのだ。このあたりも研究テーマにできそうだ)。だから,万能研究者を目指し続ける人も多いのだが,それはすっぱりあきらめて,得意なところに特化した研究者になれればいいのではないかと思う。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.172-173
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バートの追悼文

権威ある科学雑誌『ネイチャー』は知能の研究で知られる心理学者のシリル・バートに追悼文を頼んだ。10月28日に彼はフロイトの「大胆な憶測とさらに大胆にそれを表現したものは,当初反発を招いた」が,第一次世界大戦の外傷体験によって「リヴァース,マイヤーズ,マクドゥーガルなどの研究者は,フロイトが進めた新しい教義には重要な真実の礎があることをすぐに納得するようになった」と記した。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.355

重要なプロジェクト

嘘をつくのは人間の性である。正直な社会など存在した試しがないし,これからもありえない。そして,嘘や偽善の程度をはかる方法はないのだから,どこかの社会がほかより不正直だと見なす根拠もない。むしろ,文化のちがいが表れるのは,嘘にどう対処するかであり,どのような嘘を批判し,どのような制度を作って嘘を暴くかである。嘘を暴くために科学技術に目を向けたのはアメリカだけである。ポリグラフは医療技術を利用した平凡な機械にすぎず,使われている生理学機器はどの先進国でも1世紀前から入手できた。にもかかわらず,それに尋問という新た目的を与えた国はアメリカ以外にない。
 嘘発見器がアメリカで歓迎されたのは,この装置が20世紀の重要なプロジェクトのひとつで一定の役割を果たせると期待されたからである。そのプロジェクトとは,集団生活の根幹にかかわる道徳的な問題を——どうやって公正な社会を実現するかという問題を——法的に解決することが目的だった。これを実現するにあたって,われわれの市民生活に関するふたつの高尚な真実が——しかし一部しか真実ではない思い込みが——プロジェクトの正当化に使われた。民主主義には社会生活の透明性が欠かせず,正義には万人に対する平等な扱いが欠かせないとする思い込みである。共通の歴史や民俗的な近似性ではなく,明確な政治的契約によって誕生したアメリカという国の人々は,人々の対立も明確な公的ルールによって解決したいと——裏では汚い手が使われるにせよ——願ってきた。そしてこのルール自体が公正ではないと抗議されないよう,最も客観的で最も透明性に富む形でルールを決めてくれるはずの科学によってそれを正当化しようとした。社会契約の原罪たる嘘を,アメリカ人が科学という薬を大量に用いることで治療したがるのは,ここから来ていると言える。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.362-363

DISC理論

それでもめげなかったマーストンは,1930年代末には一般大衆に取り入る新たな手段を見つけ,女性誌に「大衆向け心理学」の記事を書いて自分の理論を売り込み,向上と適応を説く科学者兼伝道師になった。「人生に挑戦しよう」がキャッチフレーズだった。マーストンが開発し,いまも根強く残っているものに,誌上心理検査がある。マーストンの検査は,支配欲と服従欲を分析し,読者が家庭や職場にうまく順応できるようにするためのものだった。今日,それはDISC理論と呼ばれており(主導[ドミナンス]のD,感化[インフルエンス]のI,安定[ステディネス]のS,慎重[コンシエンシャスネス]のC),販売元はいまでもこんなふうに大々的に宣伝している。「世界で最も長い歴史を持つ最も信頼性に富む独自のアセスメントツールで,5000万人以上が利用し,生活や人間関係や仕事の能率やチームワークやコミュニケーションを改善するのに役立てられています」。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.263-264

筆跡鑑定士

筆跡鑑定士は法廷ではじめて「専門家」という輝かしい称号で呼ばれた証人であり——それはルネサンス期にさかのぼる——嘘発見器の研究者を含め,のちの法科学者の原型になった。どんな法科学者も,人間の身体活動は特定の痕跡を残すという考えを基本的な前提にしている。たとえば,筆跡鑑定士によれば,文字の書き方には書き手の性格がはっきり表れる(性格[キャラクター]ということばは,刻印に用いる先のとがった棒を意味するギリシャ語が語源である)。やがてこの癖は——先天的なものであれ後天的なものであれ——体に深く染み込み,完全に隠したりまねしたりするのは不可能になる。実際,近代初期の筆跡鑑定士たちは,この深く染み込んだ癖こそ文章の偽造を防ぐ最良の武器であると忠告していた。つまり筆跡鑑定士は,逆説的な言い方になるが,書き手の無意識の癖に頼って,最も意識的な行動であるはずの署名を本物かどうか確認するのである。これはポリグラフの検査技師が,無意識の生理的反応によって,意図的に発したことばの真偽を見極めるのとよく似ている。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.203

自白させるコツ

これは大きな意味を持っている。心理学の研究によれば,たとえ空の箱であっても,その装置にかかれば自分の感情が見抜かれると思い込んだ被験者は,反社会的な考えを持っていることを認めてしまうという。これはどんな取調官の手引きでもすすめられている方法である。相手に告白させるためには,何をしたかこちらがすでに知っていると思わせ,非難を控えることによって,抵抗感をやわらげてやるといい。ローマ・カトリック教会が聴罪師に匿名での懺悔を認めているのもそれが理由だし,信者は神が自分のおこないを知っていて,すべての罪をお許しになると教えられる。容疑者も同じように,嘘発見器の前で自白するのは,人に対してではなく,すべてを知り理解している科学に対して自白するのだと信じるように仕向けられる。もちろん,裁判官と陪審団はそこまで親身になってくれないと思い込まされる。
 だからといって,すべてのアメリカ人が嘘発見器に全幅の信頼を置いていたわけではないし,否定派もけっして少なくはなかった。キーラーやその支持者の努力にもかかわらず,装置をいんちき呼ばわりする声は早くもバークレーの時代からつねにつきまとった。しかし,どれだけ強く疑おうと,疑うという行為そのものを疑う余地は残る——興行師のP.T.バーナムはこの手の自己不信につけ込むのが実に巧みだった。ひょっとしたらこんな機械でもほんとうに役に立つのかもしれない。後ろめたいことがあると顔が赤くなって鼓動が早まるというのはありえる話では?椅子に縛りつけられたら,だれでも動揺するのでは?そして検査技師にいきなりカードをあてられたら……。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.187

客観的な測定方法のひとつ

嘘発見器も,同じアメリカの流れに属するものであり,個人の主観的な判断にかわりに客観的な方法を持ち込み,政治的対立を科学で解消しようとする啓蒙運動の一種だった。知能検査が「G因子」という単純なことばで知能をとらえなおし,テイラー・システムが労働を一連の動作としてとらえなおしたのとちょうど同じように,嘘発見器は尋問をイエスかノーのどちらかで答えさせて嘘を追求する作業だととらえなおした。アメリカ人は,人間の優劣や労使の対立をめぐる問題に客観的な機械が答を出してくれるのではないかと夢見ていたが,ヴォルマーらも嘘発見器が公平な機械として正義の裁きをもたらしてくれるだろうと考えていた。実際,アフリカ系アメリカ人のコミュニティーには,嘘発見器が刑事裁判での偏見をなくす手段になるとして歓迎する向きもあった。アメリカで嘘発見器が期待を集めたのはそれが大きな理由だった。実情はともかく,被験者の信頼性を評価するのは検査機器であって検査技師ではないとされたからである。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.159-160

キーラー・ポリグラフ

解決しなければならない重要問題がもうひとつだけあった。装置の名称である。新聞記者たちは「嘘発見器」の呼び名をすでに使っていたが,装置は嘘そのものを発見するわけではないので(実際にはまさにそのために使われていたのだが),専門家たちはこの呼び名をきらっていた。キーラーが代案を求めると,チャールズが単純明快な名称として「感情(エモト)グラフ」という名称を提案した。キーラー自身はずっと前から,いろいろな意味合いを読みとれる「反応(レスポンド)グラフ」という名称に愛着を持っていた。最終的には「キーラー・ポリグラフ」に落ち着いた。「ポリグラフ」はこれまでも,体のさまざまな反応を記録する装置にたびたび使われてきた名称である。のちにラーソンは,この決定が転落のはじまりだと考えるようになった。人間の精神の健常な状態と病的な状態を探る研究が,「金儲けをねらった,機械を作るだけの」ベンチャー事業に成り果てた瞬間だったからである。ラーソンがやがて述べるように,「多くを記録する装置」という意味のごくありふれた名称は「なんら特別な意味を連想させない」巧妙なもので,キーラーの個人的な技量を際立たせるだけだった。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.130

心理学者の態度

簡単に言うと,こうした正統派の心理学者たちが否定的な見解を示したのは,嘘発見器が最近になって認められた心理学の科学的権威に挑戦すると同時に,それを利用していたからである。この権威の源となっていたのは,教養のある実験者のほうが素人の被験者よりも優位にあり,物理学や化学や生物学の研究者と同じく,精神の性質を自然の物体のように扱えるという考えだった。行動主義心理学研究の中心だったワトソンの学派などは,この考えをさらに推し進め,研究に値するのは被験者の行動であって意識ではないとまで見なしていた。そのため,嘘発見器の根本的な前提を受け入れるのは——被験者の中には意図的に嘘をつく者もいるという前提を受け入れるのは——心理学の研究がほかの科学研究とはちがうものであると認めることにほかならない。つまり,被験者には被験者の思惑があって,実験者を出し抜いてしまう場合もあるということを受け入れなければならなかったのである。すでにハーヴァード大学の研究者は,実験の目的を被験者が知っていると,嘘を見抜けないときがあることを発見していた。賢い被験者だと,「嘘を見抜かれまいと妨害する」ときまであるという。妻と協同で研究していたマーストン自身も,嘘つきにはさまざまなタイプがいることに——男と女,黒人と白人,嘘が上手な者と下手な者といった具合に——気づきはじめていたが,どんな人物が検査するかによって被験者の反応がちがってくるという衝撃的な事実も発表していた。たとえば,実験者が男(マーストン本人)か女(マーストンの若い妻)かによって,結果が左右されるのである。これは容易ならない報告だった。マーストンは認めていたが,心理学がほかの科学と別物だということになってしまうからである。
 今日のわれわれは,この「発見」を聞いても当たり前すぎて別に驚かないし,むしろこれを認めようとしなかった心理学者たちの態度に驚かされる。だがよく考えれば,このような心理学者の態度も理解できないわけではない。被験者が実験者をあざむくということを認めれば,実験者も被験者をあざむくことで対抗しなければならなくなる。被験者から正直な答えを引き出すために,心理学者が実験で嘘を言うことも辞さなくなるのは,30年も先のことである。当時はまだ,嘘発見器を否定することと,心理学者たちが科学にとって最も大切だと見なしているものを肯定することは同じだった——研究者は正直であらねばならなかった。

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.96-97

費用対効果は

健康になるための専門家のアドバイスを真剣に聞いて,毎日ジョギングをしている人がいるとしよう。その人は,本当なら他にやりたいことがあるけれど,健康のためだと自分にむち打って走っている。身支度をして,準備運動をして,ジョギングをして,クールダウンをするまでトータルで1時間。まあ運動量としては普通ぐらいだろう。
 ほぼ毎日走っているので,1年で360時間をジョギングに費やすことになる。この日課を,21歳から61歳までの40年間続けたとすると,ジョギングに費やした時間はトータルで1万4400時間だ。1日のうち起きている時間が16時間だとすれば,900日をジョギングに費やした計算になる。900日といえば,2年半だ。そこまでの時間をジョギングに費やした人は,そうでない人と比べ,はたして寿命が何年長くなるのだろうか?

ハワード・S・フリードマン,レスリー・R・マーティン 桜田直美(訳) (2012). 長寿と性格:なぜ,あの人は長生きなのか 清流出版 pp.135-136

フェミニストからの攻撃

ハリー・ハーロウもジョン・ボウルビーも,こうした強い反発にうまく対応できなかった。ボウルビーは苛立ち,如才なく振る舞おうとはしなかった。「母親が外へ働きに出るというこの問題全体がひどく物議を醸しているが,私は母親が外で働くのが良いことだとは思っていない。女性が働きに出て,社会的価値もない七面倒臭いガラクタをこしらえている間,子どもは無関心な保育園に預けられるのだから」。ハリーも大げさな表現を使って反撃した。赤ちゃんザルのスライドを大学生に見せたときに起こった出来事について,彼は何度も繰り返し語った。男子学生は興味を持って赤ちゃんの顔をじっと観察した。しかし,女子学生はあまりの可愛さに「ああ」と溜息を漏らしたのである。ハリーは,それが自然な母親の反応であると断言した。「何度も言っているように,母親になるいちばんの方法は,女性に生まれることだ」
 ハリーの最後のコメントは故意に挑発的だった。母子の絆など本当は重要ではなく,女性蔑視のための科学的な作り話だという意見には我慢ならなかった。いずれにせよ,時流に合わせるとか,時宜を得た発言をするなど,彼はそれまで気にしたこともなかったし,今さら迎合する気もなかった。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.307

追い込む

実際のところ,ハリーは男性だろうと女性だろうと同じレベルの仕事をすることを求めた。必死になってがむしゃらに働くことを望んだ。ハリーは女子学生に電話したりしなかった。色気を求めることもなかった。ケージのまわりで女子を追い回したり,良い成績をつける見返りとして猥雑なゲームに興じることもなかった。女子学生に求めたのは,男子学生に期待するのと同じ,精神的な強さと自立だった。「見込があると思えば,彼は学生をぎりぎりの限界まで追い込んだ」とローナ・スミス・ベンジャミンは言う。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.312

クラーク・ハル

当時の流行は,ブラックボックスである脳ではなく,測定可能な行動だった。ソーンダイクやスキナーが主流だった。当時の心理学理論の重鎮だったイェール大学のクラーク・ハルは,刺激と反応が性格を規定するという考えに基づき,行動を予測する包括的な理論を打ち立てた。人々はハルの言葉に耳を傾けた。彼は穏やかな声で明瞭に語る献身的な科学者で,多くの仲間に愛され,尊敬されていた。ある分析によると,学習と動機づけに関する1940年代の全研究のうち,70%がハルの本や論文を引用していたという。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.133

機械仕掛けの動物

愛することも考えることもできない機械仕掛けの動物は,ジョン・B・ワトソンのような初期の行動主義心理学者の教義とうまく合致した。しかし,さらに大きな弾みをつけたのは,ハーヴァード大学を卒業した心理学者で,おそらくハリーの世代でもっとも有名な心理学者であるバラス・フレデリック・スキナーだった。世界的にはB・F・スキナー,友人にはフレッドと呼ばれたスキナーは,動物には感情がないという断固たる信念を持っていた。かつて,彼が愕然としたことがある。木の実を夢中で食べるリスを見た友人が,リスはどんぐりが「好き」なんだねと言ったのだ。言うまでもなく,そんなことはありえないとスキナーは返答した。動物が何かを好きになることはない。好きというのは感情だが,リスに感情などないからだ。スキナーは自らを新行動主義心理学者と称し,それまでの科学を洗練させた新しい心理学の作り手だと自認した。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.131

感情はコントロールすべき

ワトソンは,感情はコントロールされなければならないと信じていた。感情は厄介で,複雑である。感情の制御方法の解明こそが,科学者のなすべきこと,理性的な人間のなすべきことだ。そこで,彼は感情について熱心に研究に取り組み,感情も他の基本的な行動と同様に操作できるということを示そうとした。赤ちゃんを押さえつければ,怒りの感情を引き出せる。それは単純な事実であり,科学に精通すれば,観察し,コントロールすることができる。冷たく聞こえるだろうが,それこそが彼の意図だった。多くの同僚と同様にワトソンも,心理学は正真正銘の科学であり,物理学のような信頼性と冷たいまでの正確さを持つ学問であることを証明しなければならないという思いに突き動かされていた。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.59

ラット嫌いに

ストーンはハリーの博士論文を指導した。ラットの赤ちゃんの食餌行動に関する170ページに及ぶ論文である。まさにストーンらしい研究で,子ラットが何を,いつ,どこで,どのように飲むことを好むかをあますところなく徹底的に研究していた。ハリーは,ストーンの「心遣いと助言,またこの研究に興味をもつように常に励ましてくれたこと」に対して丁寧に謝辞を述べている。しかし,ハリーの学友で心理学者のロバート・シアーズによると,その博士論文のせいでハリーは生涯変わることのないラット研究嫌いになってしまったのだという。ストーンの指導下で「退屈なラット問題」に何時間も取り組んだせいで,「ハリーはラットと統計解析の両方に嫌気が差してしまった」のだ。

デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.38

見抜ける嘘などない

多くの人は,他人のうそを難なく見抜けると思い込んでいる。だが,実際に見抜ける人はほとんどいない。うそやだましを見抜く訓練を受けた専門家でさえも,百発百中とはいかないものだ。捜査機関の職員を対象に的中率を調べたところ,特別な訓練を受けていない一般人と大差ないことがわかった。したがって,真実をつかむためには,面接の席で応募者のうそに見当をつけるよりも,確かな証拠だけを当てにするほうが賢明だ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.290

3分の1の法則

実際,多数の類縁団体を対象にした非公式の調査によれば,「3分の1の法則」とも呼ぶべき傾向が見られるという。たとえば,エルマー・ガントリーの現代版のブライアン・リチャーズのような男が,無警戒の宗教団体に詐欺を働くと,彼のことを説得力があるとかカリスマ性があると考えるのは全体の3分の1で,3分の1は「あの男を見ていると虫ずが走る」と疑いの目を向け,残りの3分の1は判断を保留する。
 ここで興味深いのは,詐欺行為やごまかしや盗みなどが明るみに出た後でも,多くの加害者に対する意見は,第一印象とほとんど変わらないことだ。その男に最初から感銘を受けていた人々は,自分の判断は正しい,彼が詐欺を働いたのは何かの間違いで,彼は誤解されていると信じて疑わない。最初から疑心暗鬼だった人々は,「何か怪しいと思っていたんだ」と,自分の判断が正しかったことに納得し,判断を保留していた人は「何があったの」と,相変わらずどっちつかずの態度をとる。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.121-122

将来を想像する

私たちが過去の経験から学んでいるのは当然だが,これを一歩先に進めると,記憶の根本的な目的は過去を振り返ることではなく,前を見て将来の可能性を想像することに関わっているのではないか。これは目新しい考えではない。頭の中を描いた14世紀の古い挿絵では,記憶は想像に入り込むヘビとして描かれている。それよりはるか以前,アリストテレスとガレノスが,記憶は生活の保管庫ではなく,想像のための道具であると説明している。スウェーデンの神経科学者デイヴィッド・イングヴァルは,1985年にこの考えの現代版を提唱している。それ以来,将来思考についての研究が次々と行われているが,前述したとおり,記憶に関する研究に比べると注目度はまだ低い。

クラウディア・ハモンド 度会圭子(訳) (2014). 脳の中の時間旅行:なぜ時間はワープするのか インターシフト pp.204-205

これからすること

ラジオ番組でインタビューを始める前に,私は音響レベルを確認するため,ゲストに何か質問をする。古典的なのは「朝食には何を食べましたか?」だが,大半の人が「何も」とか「トースト」とか,ひとことで答えてしまう。短すぎて機械のテストには使えない。そこで私はその日の午後,あるいは翌日の予定について尋ねるようになった。先週,出演してもらったある女性は,まっすぐ家に帰ると答えた。それは家を出る前に,2人の樹木医が庭の木の整理をするためにチェーンソーを持って彼女の家に来たのだが,どうも酔っ払っているように見えたからだという。速く戻って庭がどうなっているか,そして樹木医がどうなっているのか確かめたかったのだ。これほど興味をそそる答えはめったにない。これは簡単な質問だが,あくまで大人だったら,の話だ。3歳の子供にとっては,実ははるかに難しい質問なのだ。ある実験では,翌日何をするかという質問にまともに答えられたのは,3歳児では3分の1しかいなかった。これがあと1年か2年たつと将来を思い描く能力が発達して,3分の2が答えられるようになる。

クラウディア・ハモンド 度会圭子(訳) (2014). 脳の中の時間旅行:なぜ時間はワープするのか インターシフト pp.200-201

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