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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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能力の低さと自信の高さ

研究によれば,わたしたち人間は,自分の感情を理解することにかけては,能力の低さと自信の高さが奇妙な形で絡み合っているという。あなたは,今の仕事に就いたのはやりがいがあったからだと信じているかもしれないが,実際には,もっと大きな名声を手に入れることのほうに興味があったのかもしれない。あの友達を好きなのはユーモアのセンスがあるからだと断言するかもしれないが,実際には,あなたの母親を思い起こさせる笑顔が好きなのかもしれない。自分があの消化器専門医を信頼するのは,かなりの専門家だからだ,と思っているかもしれないが,実際には,話をよく聞いてくれるからかもしれない。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.18
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時代背景

イェール大学の心理学者ジョン・バーが言うには,1970年代後半にミシガン大学の大学院生になった当時は,人間の社会的知覚や判断だけでなく,行動さえもが,意識的で意図的なものであると,ほぼ誰もが決めつけていたという。この思い込みを脅かすような主張はすべて嘲笑の的となり,バーも,専門家として成功した近しい親戚に,人間は自分が気づかない理由から行動することを示した初期のいくつかの研究について話をしたところ,そのような反応が返ってきた。その親戚は,それらの研究が間違っている証拠として自身の経験を持ち出し,自分に気づかない理由で何らかの行動をとっているような瞬間を,一度たりとも意識したことはないと言い張ったのだ。
 バーいわく,「わたしたちはみな,自分の魂の指揮者は自分であって,自分がその責任を負っているのだという考え方を尊重し,そうでないときにはとても恐ろしい感情を抱く。それが精神病というものであり,それは,現実から乖離して自分を制御できないという感情であって,誰にとってもきわめて恐ろしいものである」。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.13

意志があるように見える

わずか1000個ほどの細胞からなるC.エレガンスという線虫でさえ,意識的な意図を持って行動しているようにみえる。たとえば,食べることのできる細菌の塊をやり過ごして,培養皿の別の場所に置かれた餌へ向かっていったりする。ちょうどわたしたちが,気が進まない野菜や高カロリーのデザートに手をつけないのと同じように,線虫も自由意志を行使しているのだと結論づけたくなるかもしれない。しかし線虫は,「腹回りを気にしたほうがいいな」などと考えることはない。単に,探すようプログラムされている栄養分へ向かって移動するだけだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.7

擬人化

意思に基づく意識的な行動と,習慣的あるいは機械的な行動とを見分けるのは,ときに難しい。わたしたち人間は,行動は意識的に動機づけられたものだと信じる傾向があまりに強いため,自分自身の行動だけでなく,動物界に見られる行動にも意識の存在を読み取ってしまう。もちろん,ペットに対してはとりわけそうする。これを「擬人化」という。あのカメは捕虜と同じくらい勇敢だし,ネコは飼い主が出かけようとすると怒ってスーツケースにおしっこをかけるし,イヌはちゃんとした理由があって郵便屋を憎んでいるにちがいない,といったように。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.6

予想外のとき

人は,晴れの予報だったのに雨が降ったというような間違いに注目するものだ。もし予想外に雨が降ったら,せっかくのピクニックが台無しになったと天気予報をなじるだろう。一方,予想外に晴れたらラッキーだと思う。科学的にはどうかと思うが,とローズ博士は前置きしてから言った。「予報が客観的なものであれば,つまり降水予想にバイアスが一切なければ,たぶん我々は困ったことになるだろうね」

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.149-150

人間のあり方そのもの

世界が偶然の寄せ集めととらえられることに気づいたとき,そういう偶然性を,なんとか必然性へと読みかえようとするこころみ,その1つが占いなのではないだろうか。われわれの人生,また世界に起きることに,理由や根拠をあたえ,世界を秩序づけられたものとしてみることを,占いはおこなおうとしているのだと考えられるのである。その意味で,占いは,人間というもののあり方そのものに根ざしており,それゆえ,はるか昔から今にいたるまで,人間は占い行為をおこなうのであり,おそらく,このあとも,どんなに科学が進歩しようと,占いに頼る人がいなくなることはないだろう。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.216

ゲームと記憶喪失

ある種のコンピュータ・ゲームに,記憶喪失というモチーフを導入することには利点がある。なぜならゲームを最初にプレイする人間にとって,そのゲームの世界は未知のものであり,プレーヤーは一種の記憶喪失者だからである。ただしそれは,ゲームの世界がどの程度「物語」を必要としているかによる。たとえばアクション・ゲームのように主としてプレーヤーの反射神経が中心となるゲームでは,記憶喪失というモチーフはほとんど必要とされないだろう。
 これに対してRPG(ロール・プレイング・ゲーム)のように物語性の強いゲームの場合,主人公が存在する世界の外にさらに別の世界があるという空間的な拡張を行うだけでなく,記憶を失った主人公(とその仲間)あるいは敵の過去(および未来)を問題にすることによって,物語の世界を時間的に広げることが可能になる。もちろんゲームの中で本当に過去や未来を行ったり来たりできるわけではないので,そこで拡張されるのは「過去」や「未来」という符牒(タグ)の付いた「空間」である。ただしこの空間は,時間によって相互に関係づけられるので,そこには必然的に何らかの物語が生じることになる(物語の原型は,相互に独立して起こった出来事を時間的な前後関係によって結びつけることだからである)。

小田中章浩 (2013). フィクションの中の記憶喪失 世界思想社 pp.129-130

戦争と内田クレペリン検査

次に戦時下の研究活動についてみると,昭和14年以降,内田勇三郎,戸川行男,外岡豊彦。横田(浜野)象一郎,谷村冨男の諸氏等により,心理検査としての標準化が進んでいた内田クレペリン精神作業検査は,昭和16年12月にわが国が第二次世界大戦に全面的に突入した事に伴い,陸軍・海軍の各種戦闘要員選抜検査として全面的に採用され,航空兵操縦・通信・偵察要員,対潜水艦要員,防空監視哨要員等々の他,軍需工場での適正配置,徴用令による徴用工員中の不適応者の選別にまで活用されていた。従って,この検査を育てた本教室関係者はもちろん在学生も,いつ応召し兵役に服しても直ちに心理学専攻者として内田クレペリン精神作業検査の実施と結果判定が,標準に正しく従って模範的に行われるように特別授業課程が心理学演習として組み込まれ,かつ判定技術をあげるための研究が,特に開戦当時から昭和18年末までの主要課題であった。また,昭和18年春には,教室として産業報国会の青少年読書調査の整理を行ったりした。

(佐伯 克記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.15-16

嘘発見器研究

戦前の心理学教室の仕事としてはいわゆる嘘発見器の研究を言及しないで終えるわけにはゆかない。この試みは内田先生が神田の学士会館でアメリカの雑誌ライフに載っていたキーラーの嘘発見器の記事を読んでこられて,これをやってみようといわれたのがふり出しである。ライフの記事には,被験者にトランプのカードを1枚ぬきとらせてそれをキーラー・ポリグラフで当てるということが書いてあるだけだったが,内田先生が思い出されたのは寺田寅彦さんの随筆に,GSR(皮膚の電気抵抗の変化であるが,はじめはPGRとよばれた)の測定で相手の心の中のことが当てられるかもしれないとあったことで,それをやってみろというわけである。もちろん教室にそんな器具があったわけではないので理工科に行って,いろいろと教えてもらい,ミラー・ガルバとブリッジとU字管と硫酸亜鉛とを借りてきて組立てたのが早稲田式嘘発見器といわれた皮膚抵抗の測定器であった。硫酸亜鉛の溶液を2つのU字管に入れ,片手の親指と中指とをそれに入れて1.5ボルト程度の直流電流を通電しブリッジに接続して抵抗器を操作するとガルバノメーターの鏡が正面を向くようになるので,そこで,「あなたの持っているのはハートですか」といった問いを与え,これにすべて「ノー」と答えさせていると,ある問いに際してガルバノメーターの鏡が大きく動く。それがその時の「ノー」という答えが嘘であること,すなわちその人の持っているトランプがそれであることを示す。しかけはこれだけである。ところで後にわかったことはキーラーがポリグラフで計っていたのは呼吸と血圧であってGSRではなかったのであって,内田先生の寺田寅彦崇拝がわれわれの嘘発見法の発見にとどまらずGSR研究の振り出しになった次第である。

(戸川行男記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.10-11

早稲田と内田勇三郎

戦前の早稲田大学の心理学教室は内田勇三郎先生の強い影響下にあったと言っていい。前述の増田惟茂先生は東大の助教授であり,ヨーロッパの留学からもどられ学会から嘱望されておられた先生であったが,不幸にして昭和8年に亡くなられたので,先生の教えを受けたのは私のほか数人の人達であったようである。私は仙台で開かれた日本心理学会大会での研究発表についていろいろと教えを受けたのであるが,それが最後であった。さて,増田先生の学風はいうまでもなく実験心理学のいわば主流派ともいうべきものであったが,内田勇三郎先生は今の言葉でいえば生粋の臨床心理学者であり医学的心理学者であった。そのためこの傾向が戦前の早稲田大学心理学教室の学風となり,その影響は筆者らを経て戦後にまで及んでいる。

(戸川行男記)

「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.6

鳥っぽい名前

人類学者のブレンド・バーリンが,多くの研究者のお気に入りの被験者,つまり学部生(この場合はカリフォルニア大学バークレイ校の学生100人)を対象として行った実験がある。それは,魚と鳥の名前をひとつずつ組み合わせた50組のリストを学生たちに見せ,発音を耳で聞いて鳥の名だと思うほうを選ばせる,というものだ。魚と鳥の名は,ペルーの熱帯雨林に住むファンビサ族の話し言葉から無作為に選んだ。アメリカのごく普通の学生である被験者たちは,ファンビサ族については何も知らなかった。100人の学生が,50組の名前から鳥の名を選ぶと,回答数は5000個になる。答えが無作為であれば,正解する確率は,49.9〜50.1パーセントという,きわめて50パーセントに近い値が出るはずだ。
 だが,結果は違った。学生たちは58パーセントという高い確率で,鳥の名を識別できたのだ。比較のために,コイン投げについて考えてみよう。ご存じのとおり,どの回でも表が出る確率は50対50だ。2回投げるだけなら,その結果は読めないが,10回投げれば,表と裏の確率は50対50に近づく。そして5000回投げたら,表と裏はそれぞれ限りなく2500回に近づくはずだ。そうでなければ……表が58パーセントだったら,コインを調べてみるべきだろう。その数字は,何か別の力がはたらいていることを意味するからだ。
 この実験では,原因は学生たちにあった。彼らは名前の「鳥らしさ」,あるいは「魚らしさ」を直感することができたのだ。バークレイの学部生はたしかに優秀だが,それはだれにでも不思議なほど簡単にできることなのだ。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.155-156

細分化の快感

生物を細分化することには,麻薬のような快感が伴うらしい。生物群から選び出した生物に名前をつけ,「この生物は私が何々と名づけた」と宣言して,その存在と自然界における位置づけを世に知らしめるというのは,かなり気分のいいものだろう。その高揚感は,世界で最も文学に通じ,もっとも有名な鱗翅類学者(チョウを専門とする分類学者),ウラジミール・ナボコフのよく知るところだ。細分主義者として知られるナボコフは,小説を執筆する一方で,「ブルー」と呼ばれる中南米のシジミチョウ科のチョウに夢中になり,次々に新種を見つけては命名した。チョウを捕獲するのは愉快だが,新種を発見して世間の科学者を驚かせるのはもっと愉快だと思っていたからだ。ナボコフはインタビューに応えて,チョウの研究でもっとも大きな喜びのひとつは「分類体系におけるそのチョウの位置を決めること」だと語っている。「ときとして新発見によってそれまでの体系が覆され,ぼんやりとしていた老兵は倒され,花火のように派手な論争が始まる。それを見るのはじつに愉快だ」
 つまり,名前のなかったものに名前をつけることには抗しがたい魅力があるため,細分主義者はそれを繰り返さずにはいられないのだ。統合主義者から見れば,細分主義者ほどたちの悪いものはなかった。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.107

タイプに分ける

実を言えば,だれでも似たような経験をしているはずなのだ。あなたは日々の生活で出会う人々を,カテゴリーに分類しようとするだろう。博物学者が生物界を秩序のある組織として捉えるのと同じく,わたしたちは人間の集団を,一種の組織として捉えている。つまり,人間は異なる個人個人の寄せ集めではなく,いくつかのタイプ(型)に分かれることを知っているのだ。実際,人間は自然発生的なカテゴリーに分類できるように見える。優秀だが人づきあいが苦手な学者肌の人,声が大きくきびきび働く食堂のウェイトレスのようなタイプ,というように。誰もがそうしたカテゴリーを意識し,自分なりにつくっている。仮に,あなたがアイオワの小さな田舎で暮らしていて,数百人程度の人と交流があるとしよう。そうした環境では,整然としたわかりやすいカテゴリーをつくることができ,それがぐらつくことはほとんどないだろう。あなたは,人々の年齢,性別,外見,職業,物腰,能力,親切さ,姓名などを総合的に判断し,堅牢なカテゴリーをいくつか作るはずだ。ごく少数の,普通でない人々には,専用のカテゴリーを設けるかもしれない。あなたは人々の特徴を見て,感じ,分類している。あなたが秩序を組み立てているわけではない。そこに存在する秩序,うっすらと透けて見える秩序に気づき,それを見分けているだけなのだ。命あるものは常に,シンプルで明快である。

キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.36-37

離婚率とレイプ発生率

アメリカ本土州を対象に実施された最近の調査では,離婚率とレイプ発生率のあいだに強い相関関係があることがわかった。ちなみに離婚後の再婚率は女性のほうが低い。ということは離婚したあと次のパートナーを見つけられず,不満をくすぶらせる男性が出てくるということだ。これだけでは根拠が弱いと思う読者のために,イギリスでの調査結果を紹介しよう。青年犯罪者の累犯可能性を予測する最も確実なものさしは,刑期を終えたあとに長期的なパートナーを得たかどうかなのである。はっきり言ってしまえば,彼女のいない男の子は社会の脅威なのだ。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.133-134

父親似?

さらに念には念をということで,心理的な側面でも後押しする。新生児に接する機会があったら——できれば自分の子でないほうがいい——,周囲の人たちの感想に耳を傾けよう。カナダのマクスター大学でマーティン・ダリーとサンドラ・ウィルソンが行なった研究では,新生児と母親,母親の両親がいるところに父親が入ってくると,目・鼻・額・あご……がいかに父親似かという話題に急に切りかわるという。メキシコでの研究でも同様の結果が報告されていた。しかし正直なところ,どう見ても新生児に父親の面影などない。もちろん話すほうもそんなつもりはなくて,お父さんにこれからがんばってもらうための動機づけを提供しているのだ。それでいいのである,きっと。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.121

カーネギー・メダル

実生活での勇敢な行動を,進化論の視点から探る研究も行なわれている。そのひとつが,アメリカのカーネギー・メダルの過去の受賞記録を調べたものだ。カーネギー・メダルとは,緊急事態に際して勇敢なふるまいを見せた民間人に贈られるものだが,記録を分析すると興味深いパターンが浮かびあがってきた。男性受賞者が救出した(あるいは救出しようとした)のは若い女性が多く,女性受賞者が救ったのは血縁関係にある子どもだったのだ。言いかえれば,女性はわが子を生かすため,男性は子づくりのチャンスを増やすためにわが身を危険にさらしたということになる。やはり私の学生だったミナ・ライオンズは,さまざまな救出劇を報じたイギリスの新聞記事を分析した。すると救出者はほぼ全員が男性だが,社会的地位には偏りがあった。ヒーローになるのは裕福な男性ではなく,社会経済的に下層に属する男性なのである。ライオンズはその理由として,ヒーローになることで市場価値が高まり,伴侶を見つけやすくなるからではないかと推測している。

ロビン・ダンバー 藤井留美(訳) (2011). 友達の数は何人?:ダンバー数とつながりの進化心理学 インターシフト pp.97

市民権を得ていく

吹けば飛ぶような心理学が,市民権を得ていくには,ここからさらに何十年の月日と心理学のたゆまぬ努力が必要となった。確かに医学とは比べ物にならないほどおくれをとっている学問であり,その臨床応用などとんでもないという感じでもあった。しかし,それだけの学問であっても,心を見つめる視点は精神科の医師たちに比べて決して遅れをとるようなものではなかった。だからこそ,インターン出たての若い医師が我々を一段低く見,軽蔑したように唇をゆがめ,薄笑いを浮かべて,「もっと勉強しなよ」というような不遜な顔を向けてくると無性に腹が立ったものである。
 それに不幸なことに心理学とはフロイトの流れをくむ精神分析学である,という認識がまだ医学の世界に強く流れていた。心を科学として考えようとする関西学院の心理学教室の行き方を理解してくれる医学の世界の光は,まだまだ薄暮の中に埋没していた。心理学の地位を確定しようと社会的にもがけばもがくほど自己嫌悪に陥るのだが,日本の心理学はその怒りと悲しみを切実な問題として受け止める気配は薄く,手も広げていなかった。ただ心ある一握りの人たちが歯ぎしりをしながら,医師への反抗心を燃やし,ときに心ある医学者と熱い語らいをしていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.220

計算能力の進歩

その頃,行動を数値に置き換えていくことが科学的研究の必須であると,自分なりにようやく分かりかけてはきたが,現在のように統計・推計的処理はまだまだ先の話である。それにコンピューターなどという利器は存在していなかった。たかだかデータをパーセンテージで表記することぐらいであった。
 広島文理大学に古賀先生という社会心理学の泰斗のような方がおられた。この古賀先生が何十年かの研究生活の中で分散分析法を使い新しい社会心理学の道を開かれたのだが,その分散分析法が単純な計算ではあるが大量の数式を計算していかなければならない。古賀先生は何十年もかけてタイガー計算機という手回しの機器を使い仕事をされた。しかし,もし現在のコンピューターに計算を任すと,恐らく30分もあれば古賀先生の一生の研究結果が打ち出されてくるのではないだろうか。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.44-45

行動の科学と答えたらええんじゃ

今でこそ心理学は市民権を得た周知の学問として認識されているが,当時は心理学をやっていると言うと,
 「えっ,心理学ってなんや?」
 「ずっと昔,僕も心理学の講座を高等学校(旧制)のとき受講した覚えはあるが,なんか難しい哲学のようなもんかいな。何も記憶に残っとらんな。どんなことしとるんや?」
 という問いが降ってきて,その目の裏に「あんた変人なんやな」という光が漂う。その問いに答えようとしても,4年間学部で心理学の授業を受けたにもかかわらず,自分自身が未だ心理学という研究領域が何をする学問なのかはっきりと分かっていなかった者にとっては答えるすべもなかったように思う。古武先生は「心理学とは?」という質問がきたら「心理学とは行動の科学じゃ,と答えたらええんじゃ」と実にシンプルに言われるものの,心理学に足を踏み入れたばかりの駆け出しにとってはそれも理解の外であった。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.23-24

5つの要素

パスは人々が通常,ある場所から別の場所へと移動するときに使っている線的なルートのことだ。ノードは人々が集まるところ,何かが起こっている場所,リージョンは,ソーホー,ビーコンヒル,アネックスなど,街の中でひとつの区切られたまとまりとみなされる場所である。バウンダリーは線状の要素ではあるが,パスとして使われるのではなく,湖や川の縁,フリーウェー,鉄道の線路などを指す。最後にランドマークについては前に見たとおり,都市のなかのある場所の意味,使い方,気分を象徴するものであったり,街の多くの場所から見えて道案内の役に立つ大きな建造物(シドニーのオペラハウスやマンハッタンのエンパイア・ステート・ビルなど)であったりする。
 都市のちがいはおもに,これら5つの要素のイメージしやすさのレベルのちがいであるとリンチは主張する。そのうえで都市計画のためのツールを使えば,都市をイメージしやすくできるし,ツールはそのような使い方をされるべきだと述べている。都市の要素がどの程度イメージしやすいかの判断あ医療は,リンチが歩いている人に頼んで描いてもらった街の地図に,それらが登場する頻度だった。リンチが選んだ3つの都市にある多くの特徴は,どれもイメージしやすいことが示されたが,街の人々が描いた地図は計量的にはまったく不正確だった。位相的には正確なのだが,距離についてはめちゃくちゃで,とくにイメージしやすい要素が頭の中で拡大されていることがうかがえた。

コリン・エラード 渡会圭子(訳) (2010). イマココ:渡り鳥からグーグル・アースまで,空間認知の科学 早川書房 pp.200-201

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