忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

選択の結果か

しかし,肥満は見かけほど,当人たちがきちんと向き合った選択の結果ではないとしたらどうだろう。研究によって,人間は生物学的な命令に従って食べるように「配線」されていることが示されつつある。過食は,手に入る食べ物の種類,宣伝,文化的なメッセージ,小遣いの多寡,運動ができる安全な場所の有無などの条件に影響される場合が多い。つまり食べ物に関する個人の選択は文脈に大きく依存する。要するに『ニューヨークタイムズ』紙のコメンテーターが指摘するとおり,「環境が問題」だといえる。ファストフード産業は,これらのことをよく心得ており,低所得者層地域,幹線道路の休憩所,空港のコンコースなど,脂肪が多く不健康な商品を販売するのに都合のよい環境や状況を利用することに,恐ろしく長けている。

ケント・グリーンフィールド 高橋洋(訳) (2012). <選択>の神話:自由の国アメリカの不自由 紀伊國屋書店 pp.34-35
PR

なんでもべき乗則

どういう種類の人間行動を調べても,つねにバーストのパターンがあらわれた。長い休止期間のあとに,短い集中的な活動期間が続く——それはあたかも,ベートーヴェンの傑作を奏でるバイオリンの音色にうっとりしていたら,いきなり大きな太鼓の音でびっくりさせられるようなものである。バーストは自然界のどこにでもある。各個人がウィキペディア上で行う編集から,為替ブローカーが行う取引まで,あるいは人間や動物の睡眠パターンから,ジャグラーが棒を地面に落とさないようにする微細な動きまで。それは,もはや電子メールやウェブ閲覧という問題ではなかった。私たちは,人間行動と密接に結びついた何か——「誰もランダムになど行動しない」と,はっきり告げている何か——を目撃していたのである。人間がランダムに行動しないこと自体は,さして驚くことではなかった。自分が偶然に支配されているとは誰だって思っていないからだ。人間はみな自由意志を持っていて,それがあらゆる行動を——電子メール送信も,文書印刷も,ウェブ閲覧も——複雑にしている。だが,何をするにせよ,われわれは無意識に同じ法則,ベキ法則にしたがっていたのである。簡単なことのようだが,じつはこれが驚くべきことなのだ。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.155-156

貸出のバースト

さらに私のチームはノートルダム大学のヘスバーグ図書館の厚意により,学生や教員がいつ本を借りに来るかについての詳細な記録も手に入れることができた。私たちはFBIではないので,誰が何を読んでいるかはどうでもよかった。知りたかったのは,各利用者がいつ図書館を訪れるか,それだけだった。そしてバーストはここにも存在していた。典型的な図書館利用者は何冊かの本を,前の本を借りてから数時間以内に借りている。おそらく講義の準備のためか,研究課題の資料を読むためだろう。そして,そのあと長期間,各利用者は図書館のことをすっかり忘れたようになってしまうのだ。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.154

バーストのパターン

エックマンが調べた電子メールのデータから導き出される結論は,いたって明快である。彼のデータベースにおける電子メールのユーザーは,誰ひとりとしてランダムに発信していない。いずれのユーザーも同じパターンを示しており,短時間に集中して多くのメールを出したあと,今度は一通もメールを出さない時期が長きにわたり,ときには数日にもわたって続くのである。もちろん,これは不思議でもなんでもない。われわれは会議に出たり,映画を見たり,外出したり,食べたり,寝たり,そのほかさまざまな活動に従事して,その間はコンピュータにさわれなくなる。そしてようやくメールのチェックをしたとき,短期間に幾つかのメッセージを一気に送って,電子メールの発信パターンに「バースト」を起こす。それから,また別の用事が入ってコンピューターから離れると,電子メールの流れにまた休止が挟まれることになる。

アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫(監訳) 塩原通緒(訳) (2012). バースト!人間行動を支配するパターン NHK出版 pp.152

寂しい奴

たぶん,友達がいないと悩んでいる人は,その友達がいない状況が,すなわち寂しい状態だと思い込んでいる。ときどき,気に入らない他人の状況を「寂しいね」と非難する人がいるくらい,この言葉は悪い意味にしか使われない。「私は嫌いだ」と言えば良いところを,「あいつは寂しいね」などと言うのである。まだ,「可哀相」の方が幾分良いが,上から目線だと言われるだろうか。「可哀相」も「寂しい」も,そう感じるのは発言している本人であり,まったく余計なお世話というほかない。だから,「寂しい奴だ」というもの言いは,完全におせっかいというか,意味もよくわからず使ってしまう表現としか思えない。おそらく,言っている本人が「寂しい奴」なのではないか。

森博嗣 (2013). 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 新潮社 pp.88

思い込み

子供や若者の中には,「友達ができない」という悩みを抱えている人が多い。その種の相談を受けることも実際に頻繁である。そういう人には,「どうして,友達がほしいの?」と尋ねることにしている。「友達がいないと寂しいから」と答える人がほとんどであるが,「では,どうして寂しい状態がいけないの?」と問うと,これにちゃんと答えられる人はまずいない。不満そうに黙ってしまうのだ。
 彼らは,「寂しいことは悪い状態だ」と考えていて,「友達がいれば寂しくない」と勝手に信じている。なんの根拠もなく,そう思い込んでいるのである。だから僕は,「寂しくても悪くない」こと,そして「友達がいても寂しいかもしれない」ことを説明するようにしている。そんなことは信じられない,と反発する人もいるが,つまり自分の思い込みが悩みの原因だということに気づいていない(気づけない)状態といえる。さて,貴方はどう思うだろうか?

森博嗣 (2013). 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 新潮社 pp.87-88

共感の欠如

もう1つ,男性たちが女性に向ける性的な視線で気になることがある。それは,これまで述べてきたセクハラを“男性問題”として捉え直すという認識とも重なるが,性的なトラブルなどに現れる男たちが著しく他者への共感能力を欠いているという問題である。相手の人格を否定してでも自らの欲望を遂げようとする。それは,多くの男性たちが抱え込んでいると言われる強姦願望のなかにその典型が見られる。
 相手の苦しみや痛みを,相手の願望や快感に読み替えてしまう身勝手な解釈である。そこには,自らの閉塞感を他者に転嫁して痛みを感じない差別的な姿勢が見える。

金子雅臣 (2006). 壊れる男たち 岩波書店 pp.198

無自覚

男性の側は,こうした勢力を自分が持っているとは,あまり認識していません。というのも,新人の女性社員,初学者の女子学生にとっては,男性が抜群のやり手,優秀な学者に映っているとしても,客観的に見れば,さえないオヤジではないにしろ,フツウの中年サラリーマン,単なる教師。日常的には,社長や取引先にヘイコラ頭を下げ,家ではあまり存在感もありません。そんな自分が相手に対して,イヤなことでも黙って言うことを聞かせることができるような力を持っているとは,あまりピンと来ないものです(というより,「俺様にはそんな力がある」と日ごろから意識しているような人は,社会人失格のジコチュウでしょう)。しかも,若く可愛い女性がそんな気持ちを自分に持ってくれているとは思わないものです。そこに,合意をめぐる食い違いが起こってきます。

牟田和恵 (2013). 部長,その恋愛はセクハラです! 集英社 pp.120

構造的に

でも,彼らであっても,相手が若い女性巡査やアルバイトの女子大生ではなく,署長や後援会長の娘さんなら,そんなことはしなかったはず。いくら鈍感な男性でも,目下の若い女性ではなく女性上司や社長夫人になら,太ももを触るどころか,しっかりと相手の感情に配慮します。鈍感でいられるのは,相手の女性を軽く見る気持ちがあるからです。
 そう考えると,ある程度の年代や地位にある男性たちにとっては,鈍感さは構造的にビルトインされている,つまり組み込まれていると言っても過言ではありません。間違ってもセクハラ男になりたくなければ,そのことを自覚しておいた方がよさそうです。

牟田和恵 (2013). 部長,その恋愛はセクハラです! 集英社 pp.115

想像できない

男性にしてみれば,女性の「感じよい沈黙」は,男性のアプローチを女性が「恥じらいながらも受け止めた」か,「まったく気付いていない」ということであって,まさか「内心の不快感を押し殺してにっこりしているだけ」「無視することでノーの意思表示をしているつもり」とはなかなか想像がつかないでしょう。というのも,自分はどこかの変な男ではなく,よい上司,頼りになる先輩社員,よい指導教授としてそもそも彼女に信頼をされているはずなのですから。
 男性からすれば,もし彼女が自分に対してとくに好意を持っていないとわかったとしても,それはしょうがないこと,「恥をかかされる」ことでもない限り,仕返しなどするつもりはない。まさか女性が自分からの報復を恐れて不快感や苦痛を押し殺してガマンしているなどとは想像できないでしょう。ましてや機会があれば女性にアプローチしてやろうという気満々な男性なら,女性の「感じよい沈黙」は,次の自分の押しを待っている,女性らしい控えめさと映るでしょう。

牟田和恵 (2013). 部長,その恋愛はセクハラです! 集英社 pp.99-100

妥当性

 妥当性の概念は社会科学,行動科学において,特に計測と診断を行う心理学者にとって重要な概念である。分類とは,洗練されたものではないが,1つの計測法であり,現象が1つの類型として特徴づけられるかどうかを判定する行為を言う。精神の病気という概念に意味があるかという問いには,知性や不安など抽象的な概念の意味について問うことと同様,科学的構築物の妥当性についての問題が含まれてくる。DSMは診断を症状のチェックリストによって決めるわけだが,現象がある1つの類型にあてはまるかどうかを操作的手順で決めるからといって,その構築物や類型が実体的なものであることにはならない。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.40

適応能力の維持

レジリエンスを向上させるということは,好ましい谷からはじきだされないように抵抗力を強化し,いざというときに備えて許容性の幅を広げておくことだ。これはレジリエンスの研究者たちが「適応能力の維持」と呼ぶものである。つまり,状況の変化に適応しつつ自己の目的を達成する能力を維持することであり,予測不能な混乱や変動が頻繁に発生する現代においては欠かせない能力だ。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.11

論理的に考えれば

 論理的に考えれば,そこで嫌悪感をいだかずにすむかもしれない。私たちに嫌悪感をいだかせることの多くには,回避しなければならないようなきちんとした理由などない。つまり,本当は恐れるに足らないものなのだ。また,嫌悪感をいだかせるのに充分な理由があったとしても,私たちには影響を及ぼさないものもある。自分たちの文化と考え方が,それを許容できるものに変えていくからだ。たとえば,ゴキブリやヘビは,パソコンや,いま流行りのペットである外来種の爬虫類に比べたら,人間に実際に危害も加えないし気分を悪くさせることもはるかに少ない。現在アメリカでは,保険会社の魅力的な広告のおかげで,可愛らしい緑色のヤモリ(gecko)が大人気のペットになっている。ところが,ヤモリにはこれまで研究された爬虫類のなかでも最も数多くのサルモネラ菌がいる。アメリカではサルモネラ菌が原因で年間約500人が死亡している。特に乳幼児が,爬虫類が運ぶサルモネラ菌に感染しやすい(肉や卵にいるサルモネラ菌とは対照的に)。アメリカでは,サルモネラ菌が原因となる疾病が急速に増加しており,明らかに爬虫類ペットの売り上げ増加と密接に関連している。低温動物の家庭用ペットの売り上げの急激な伸びは,独創的なマーケティングの影響がどれだけ効果的だったかの表れかもしれない。それにしても,カリスマ人気のヤモリにいとも簡単に騙されてしまうなんて,あまりにもおめでたいではないだろうか。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.321-322

道徳的パニック

 ある行動を道徳観に欠けるとみなす論理的な根拠がないにもかかわらず,単にタブーと嫌悪感の許容範囲を超えたという理由だけで,間違っていると罰したくなる抑えがたい気持ちを「道徳的パニック」という。何かに嫌悪感をいだいたら,私たちはその気持ちを裏付ける理由を探す。たとえば,ホモフォビアや文化的な保守派は,ホモセクシュアルは「家族の価値」と従来の結婚の概念にダメージを与えるという根拠からよく議論する。道徳的に間違っていることが裏づけられると,次に,感情的反応が正当化され,そこからは堂々巡りである。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.279-280

死から守るために

 人類は,肉体的にも心理的にも死の問題からわが身を守るために,何かを苦手に思う感情を生み出したのである。そのせいで私たちは,かさぶたに覆われた傷やブタに似た食べ方や自分の生活を脅かす人々を避けようとする。誰かに嫌悪感を催すとその人を蔑んだ態度をとる。こうした人々によって免れられない死を思い起こさせられたり,いつか死ぬという真理を寄せつけずにいてくれる社会構造や幻想が脅かされたりすると,反発心が生じる。嫌悪感は死に対する拒絶反応だといわれてきた。嫌悪感こそが「今,目の前にあるこれを拒絶する」,あるいは「あなたを拒絶する」と訴える。そうすることによって,拒絶された「これ」が象徴的にも実際にも予感させる,破滅の道に向かう可能性から私たちは守られる。拒絶とは,すべての嫌悪感の裏に隠れている原則的な姿勢なのである。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.184

もやしてしまえば

 ポール・ロジンに師事し,現在はアリゾナ州立大学教授になったキャリル・ネメロフは,学位論文を書くためにこんな実験をした。まず,新品のセーターが,ヒトラー,イヌの糞,肝炎といった,さまざまな不快な人やものと触れたとする。被験者には,セーターを消毒したり,マザー・テレサのような善人に着てもらうといったさまざまな手続きを経ると,セーターの属性がどれほど更新されるか想像するように指示した。興味深いことに,消毒は,肝炎のようなセーターの物理的な不快感の浄化には有効だった。ところがヒトラーのセーターを着た場合にだけ,その悪徳を薄めることができたものの,だからといってその穢れを完全に消し去ることはできなかった。ヒトラーの不快なエッセンスを完全に消し去る唯一の手段は,セーターを徹底的に破壊すること——燃やすことだった。魔女狩りの不幸な時代や,内容が精神を蝕むとされる本を燃やした事件などにもみられるように,昔から,何かを燃やすことは人智を超えた悪を駆逐する方法だった。燃やすことによって,文字どおり,また象徴的な意味でも,悪を灰に帰してしまうからである。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.155

伝染

 ペンシルヴァニア大学のポール・ロジンと各種研究機関の協力者による多くの実験で,一般に私たちは,人または物の真髄が「伝染する」ことを嫌うと証明された。これらの実験では,被験者に,アドルフ・ヒトラーのものだったセーターをドライクリーニングと衛生処理を施したら着ることができるか,以前殺人者が所有していた車を運転できるか,または大好物のジュースのなかに死後殺菌処理をしたゴキブリを浸したものを飲めるか,といった質問をした。すべてのケースで,多くの人が「汚染された」対象を嫌がり,そのことを想像しただけで気分が悪くなり虫唾が走った,と証言した。ところが,どこが悪いのか原因を尋ねても,なぜそれほど気分を害したのか正当化しようとしても,つじつまが合わず,多くの人がうまく説明できなかった。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.149-150

最新で先進的

 嫌悪は,人間の感情をつかさどる基本感情のなかでも,最新でかつ先進的であると私は確信している。そもそも嫌悪感は,恐怖とは違い,人間を捕食する最たるもの,病原菌に直面した時に役立つよう,独自に進化したのだと思う。病気は緩慢に進行し,不確実なものなので,嫌悪には学習と推論が求められる。そして,人間はこの複雑さを処理するのに充分に発達した脳を備えた唯一の動物である。成熟し,社会に適応した大人でなければ,嫌悪感を充分に知りつくし,物理的にも象徴的にもそれが何を意味するのかを理解できるようにはならない。幼い子供もサルもイヌも,そんな感情は持ち合わせておらず,理解もできない。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.116

嫌悪感の特徴

 ミネソタ州にあるメイヨー クリニックが行った最近の研究では,採血のために病院にやってきた19〜99歳までの3300人の患者に対し,採血についての心身の反応と,過去のいきさつについて答えてもらうアンケートを実施した。回答からは,注射針が「不快だ」と答えた人のなかに採血恐怖症が多いことがわかった。対照的に,3000人以上の患者の中で,採血に恐怖心がなかった人は,針にもまったく不快感を示さなかった。「不快だ」と答えた針恐怖症の人たちはまた,若年層と女性に多いことがわかった。このことは嫌悪感が女性に多くみられ,成長するにつれて薄れていくという数々の見解と一致している。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.57

道徳化

 道徳化というのは,ある対象や活動が,新たに生まれた道徳的な考え方の影響を受けて,倫理的に中立的なものから倫理に反するものに——通常は悪い方向に転じるプロセスをいう。ここ50年間で,北米では喫煙に対する人々の考えが,格好いいことから格下げになったのはその典型である。「副流煙」はその場に居合わせる罪のない人々,特に子供たちにいかに深刻な害を及ぼすか,警告するマスメディアの健康キャンペーンの矢面に立たされ,喫煙者は過失致死を犯した悪人同然であると後ろ指をさされている。道徳化が反対方向に作用し,たとえば昆虫を料理として食べるのを気持ちの悪いことから高潔なことに変えさせる作戦として使える場合もある。「バッタのディナーは母なる地球への恵みとなる」といったスローガンが未来の屋外広告に使われている場面を,私は想像できる。環境志向の広告はこれまで,たとえば,ガソリンを食うハマー(アメリカのSUV車)に乗る人々をあざ笑い,電気自動車シェビー(シボレー)ボルトを欲しがらせるのに成功してきた。似たようなマーケティング的アピールによって,人々が虫料理を切望するように働きかけられるのではないだろうか。

レイチェル・ハーツ 綾部早穂(監修) 安納令奈(訳) (2012). あなたはなぜ「嫌悪感」を抱くのか 原書房 pp.31

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]