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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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合理的行為者という幻想

 自分が最高の合理的行為者だという考えは,一度よく検討すれば,ばかげていると感じるはずだ。それにもかかわらず,その魅力は根深い。もう1人の現代心理学の父ハーバート・サイモンはこのばかばかしさを指摘したことに対してノーベル経済学賞を受賞した。20世紀前半の経済学では,想像上の経済人が可能な選択肢を評価し,富を最大にする最適の選択をするとされた。それに対して1950年代という,現代的なコンピュータの使用および決定の基礎として情報がどのように用いられているかについての現代的考察の夜明けの時代に,サイモンは実際の経済的決定は,そんなやり方で行われていないことを指摘した。現実の問題では,一般的に言って,どの選択肢が最適かを決めるために情報は利用できないし,利用できるとしても,それを評価するための計算資源あるいは心的資源を欠くだろう。最良の選択肢を選ぶ代わりに,私たちが現実の意思決定においてするのは充分良い選択肢を選ぶことだ。サイモンの用語では,最適化するのでなく満足化するのであり,包括的合理性の概念は,限定合理性に置き換わる。すなわち,利用できる情報と,それを利用できる能力の制約の範囲内での合理的選択である。その気になれば,ほとんどどんなことでも利用できたが,サイモンは要点を示すためにチェスを用いた。コンピュータ・プログラムでは,起こりうる結果をある程度詳しく調べて,選択可能なすべての手を評価し,最も有望な手を選ぶことによって,実際にチェスができる。明らかに,人間は,このようなことはまったくしない。その代わりに,満足化する。つまり,充分良い(受け入れ可能な程度の,有利さあるいは勝利の確率が得られる)手が見つかるまで選択肢を考えて,その手を使う。サイモンのノーベル賞受賞に示されているように,人間の現実の合理性に基づく経済学は,抽象的で,包括的で,理想的な選択肢の評価に基づく経済学とは大いに異なる。

ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.35-36
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マインドコントロール4原則

 ジム・ジョーンズのような人物がおこなうマインドコントロールには,催眠術による昏睡状態や,暗示にかかりやすい人につけ込む行為は含まれていない。そこに働いているのは4つの原則だ。
 1つは,段階的に少しずつ帰依の度合を深めていくこと。カルト教団のリーダーは相手に対して最初の1歩を踏み入れると,しだいに要求を強めていく。そしてふと気づくと,信徒はどっぷり教団にはまり込んでいる。2つ目は,グループから不協和音をすべて排除すること。懐疑的な者を排除し,グループはしだいに外界から孤立していく。そして3つ目は奇跡の力。カルト・リーダーは不可能を可能にするかのように見せかけることで,自分は神と直接つながっている,だから疑いをいだいてはならないと人々に思い込ませる。4つ目は,自己正当化である。人に奇妙な儀式や苦痛を伴う儀式を強いるグループは,敬遠されるはずだと思うかもしれない。だが実際には,その逆である。これらの儀式に参加した信徒は,自分の苦しみを正当化するために,このグループには価値があると前向きに捉えるのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2012). 超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか 文藝春秋 pp.245-246

信じる者は

 1980年代のはじめに,カリフォルニア州立大学の心理学者バリー・シンガーとヴィクター・ベナッシが,有名な実験でこの原則の威力を実証した。シンガーとベナッシはクレイグという若いマジシャンに,紫の衣にサンダル,そして大袈裟なメダルを着けさせ,学生グループの前でマジックを実演してもらった。実験者は片方のグループにはクレイグをマジシャンと紹介し,もう片方のグループには本物の霊能者と紹介した。どちらの場合も,クレイグは読心術や金属曲げの技をふくむ簡単な手品をいくつか披露しただけだった。終わったあと,実験者は学生全員にクレイグに超能力があると思うか訊ねた。すると「クレイグは霊能者」と紹介された学生の77パーセントが,正真正銘の超能力を見たと答えた。それ以上に驚くべきは,「クレイグはマジシャン」と紹介された学生の65パーセントも,彼を超能力者と答えた点である。心のなかでありえないことに対する受け入れ態勢ができている人たちには,紫の衣,サンダル,メダルが大いに効果を発揮するようだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2012). 超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか 文藝春秋 pp.106-107

コールドリーディング

 コールドリーディングの手法を理解すれば,占い師が科学的な実験で能力を実証できない理由も見えてくる。客から遮断されると,占い師は相手の服装やしぐさから情報を集めることができない。そして実験の参加者たちに全員の占い結果を見せてしまうと,参加者は占い師の言葉にみずから意味づけする機会をあたえられていないため,自分に対する占い結果と,ほかの参加者に対する占い結果を識別できない。そこで占い師の日頃の実績はもろくも崩れ,事実が浮かび上がる——彼らの成功は心理学のみごとな応用のおかげであり,超能力のせいではないのだ。この裏技を知ると,占い師に実際に見てもらうときや,テレビで占いを目にしたときに,受け取り方がこれまでとはがらりと変わってくるはずだ。音楽ファンがモーツァルトやベートーベンの音色を楽しむように,あなたは占い師の探りの入れ方や,話の広げ方,客自身に考えさせる話法などに耳を傾けはじめるだろう。
 演奏会を,お楽しみください。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2012). 超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか 文藝春秋 pp.57

外れたときは

 ミスターDがエディンバラ大学で占いを披露したとき,彼の占いがはずれたと表立って口にした参加者は1人もいなかった。だが,はずれた例はたしかにあった。そんなとき,占い師は失敗を目立たなくいするための“抜け道”をいくつか用意している。最もよく使われるのは,はずれだった内容を広げていく方法だ。たとえば,「ジーンという名前の人を感じます」が当っていなかった場合は,「ジーンでなければ,ジョーンか……ジャックかもしれない。Jではじまる名前,いや,ひょっとするとJに近いアルファベットの,Kかもしれない。カレン?ケイト?」
 あるいは,客自身にもう1度よく考えてみるように頼んだり,あとで家族に聞けば答えが見つかるかもしれないと言ったりして,自分以外の誰かに問題の解決をゆだねる方法もある。そしてもう1つは,「私が言ったのは,たとえです」という抜け道である。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2012). 超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか 文藝春秋 pp.51-52

当たるか

 1980年代のはじめに,ユトレヒト大学の心理学者ヘンドリック・ベーレンカンとシーボ・スカウテンは,オランダの有名な占い師12名の超能力を5年がかりで調べた。
 2人は占い師1人1人を,年に数回ずつ自宅に訪ねた(はたして彼らの訪問を,占い師は予知しただろうか)。そして占い師が知らない人物の写真を見せ,その人物について何が見えるか訊ねた。そのかたわら対照グループとして,自分に超能力があると思っていない被験者を無作為に選び,まったく同じことをしてもらった。そのようにして集めた1万種の占いの結果を記録し分析してみると,占い師が正解した割合は,占い師ではない対照グループがまぐれで当てた割合以上にならず,どちらのグループも正解率が低かった。
 こうした結果は例外的なものではなく,ごく一般的である。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2012). 超常現象の科学:なぜ人は幽霊が見えるのか 文藝春秋 pp.26-27

プリコミットメント

 プリコミットメントは効果がある。だからカーランは世界の誰もが利用できるstickK.comというウェブサイトを創設した。このサイトはインターネット上のプリコミットメントのスーパーストアと言っていい。カーランがエアーズと一緒に始めたベンチャー企業で,ここで参加者はそれぞれの行動をコントロールする契約を結び,もし違反したら自分で選んだ罰金を支払う。原理的には,作家のトロロープが言うような破ることのできない規則を自分に科すサイトである。もとは勉強家の大学院生の思いつきだが,このサイトには「あなたの契約,請け負います!」というしゃれたキャッチフレーズがつけられている。
 考え方はきわめてシンプルだ。stickK.com(2つ目のKは契約を意味する法律用語の略語だが,野球好きはこの文字が三振を意味することを思い出すかもしれない)には,減量,禁煙,毎日運動することなどのできあいの合意事項がいくつかある。自分で別の契約内容を作成してもいい。そういう登録者も4万5000人いる。条件は自分で決め(20週にわたって毎週1ポンド[450グラム]ずつ減量するというように),違反した場合の罰金を送金し,もし望むなら審査員の名前も登録する。違反するとstickK.comがお金の一部を指定した慈善事業に寄付する。登録者が失敗してもしなくても,stickK.comは一切お金を取らない。
 もっと強いインセンティブを望むなら,stickK.comが「アンチ・チャリティ」と呼ぶ方法を選んでもいい。たとえば,自分が決めた約束を守れなかったら,がんばって働いて貯めたお金をジョージ・W・ブッシュ大統領図書館に寄付しなければならないとすれば,これは約束を守る強烈な動機になるのではないか。stickK.comによると,成功率は85パーセントだという。「stickK.comがやっているのは,良くない行動のコストを高くすることです。あるいは良い行動のコストを低くすること,と言ってもいい」。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.331-332

ホット状態とコールド状態

 コールドな状態のわたしたちは,ホットな状態がどれほどのパワーを持ち,どんな行動をとらせるかがわからず,大幅に過小評価してしまう。それどころか,コールドなときには,誰かの行動を見てもホットな状態がどれほどのパワーを持っているか想像がつかない。事実,コールドな人は過去の自分の「熱に浮かされた」行動ですら理解できない。同じことはホットな状態にも言える。ホットになるとコールドな自分にまったく聞く耳をもたなくなる。このことは,食べ物やセックス,ドラッグに関する実験で再三,裏づけられている。
 オデュッセウスにもわかっていたのだろう。彼は夜のうちは自らの情熱の炎に照らされてカリプソにうつつを抜かし,昼になると海辺で故郷を懐かしんで泣く。その故郷では妻のペネロペが言い寄る求婚者たちをしりぞけていた。美しい女神のそばで「ホット」になっているオデュッセウスは,昼の冷静な彼とは事実上,別人だった。
 セックスに関する限り,ほとんどの男性にこのことがあてはまるのはたしかだ。ローウェンスタインとアリエリーは35人の男子大学生にお金を払って,性的興奮状態のときとそうでないときに質問に答えてもらい,両者に大きな違いがあることをつきとめた。(オーガズムに至らない自慰行為によって)性的興奮状態にある男子大学生は,男性とでも,太った女性とでも,大嫌いな人とでもセックスしたいと答える割合が高かった。さらに緊縛や打擲,アナル・セックスにも同意し,喫煙はとても魅力的だと答える者が多かった。さらにセックスするためなら悪事も厭わないという傾向が強かった。たとえば愛していると嘘をつくのも,女性に酒を飲ませるのも平気だ,と大多数が答えた。さらに女性にはっきりと「ノー」と言われてもつきまとう率は2倍,こっそりドラッグを飲ませる率は5倍にも昇った。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.166-167

意志力を鍛える

 心理学者は最近よく意志力を筋肉にたとえ,どのように鍛えるか,いくら強力な意思でも疲弊してしまうのはどんな状況かということまで推測しているが,しかしこの2つには重要な違いがある。不愉快な隣人を殺したい思いにはいつまででも抵抗できるだろうが,トイレが見つからなければ,いくら固い意志でがんばってもいつかは漏らしてしまうだろう。道義心と筋肉組織の共通点は限られている。ジョン・デューイが言ったように,「肉体的な問題と倫理的な問題は分けて考える必要がある」。

ダニエル・アクスト 吉田利子(訳) (2011). なぜ意志の力はあてにならないのか:自己コントロールの文化史 NTT出版 pp.131

コレクションの定義

 コレクションを定義するための主な特徴は,それがひとつのモノに限られず,他のモノと関連づけられ,それらが一定の方法で集められなければならない点だ。つまり,私の机の引き出しに入っている12,3本のペンや鉛筆はコレクションではない。なぜなら,私は新しいペンか鉛筆を手に入れると引き出しに放り込み,必要があれば出して使うからだ。しかし,もし私がわざわざそれらを探して手に入れ,きちんと整頓して,けっしてあるいはほとんど使わず,他の誰にも使わせなければ,それらはコレクションとなるだろう。そしてコレクションを持つ人なら,誰でもコレクターとなる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.72
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

所有すること

 科学者がこうした理論を実験によって証明するようになったのは,やっとここ30年ほどのことだ。所有や所有物といった分野での研究の先駆者であるリタ・ファービーは,人々に自分の所有物について説明してもらい,あらゆる年齢の人々の間で3つの主な傾向があることを発見した。ひとつ目の,そしてもっとも多く見られるものは,所有することによって持主がなんらかの行動をする,または成し遂げられるというものだ。つまり所有することで,個人的なパワーあるいは権力が生まれるのである。所有物には道具としての価値があり,何かをしたり,周囲の状況をコントロールしたりするために必要な道具となるのだ。このことは,私たちが以前行ったホールディングの調査の結果を反映している。私たちが調べたホーダーそして非ホーダーの人々は,自分がモノを所有するのはそれらの使い道があるからだと述べた。つまりホーダーとそうでない人の違いは,彼らが「使い道がある」と考えるモノの数とその種類の多さなのだ。たとえば,ある年配のホーダーは,缶やビンのラベルを文房具として使おうと溜めこんでいた。
 2つ目の傾向は,所有物によって安心感を得られるというものだ。これはウィニコットの「移行対象」の名残である。このテーマを主張した分析医アルフレッド・アドラーは,古典的な精神分析学とたもとを分かち,人は誕生時から抱く劣等感を埋め合わせるために所有物を集めるのだと考えた。一方,無生物が気持ちを慰めてくれることを示したのが,ハリー・ハーロウである。彼の有名な実験では,猿の赤ん坊に柔らかい布製の代理母と,ワイヤーメッシュ製の代理母を与えたところ,ワイヤーメッシュ製の母親が食べ物をくれ,布製の母親はくれないにもかかわらず,子猿たちは柔らかい代理母の元へ走り,その手触りから落ち着きや安心感を得たのである。このようにモノによって慰められることから,たとえばアイリーンはモノの要塞を造ったし,私たちの患者の多くは自宅を「繭」や「隠れ家」と表現する。最近スティーヴン・ケレットが打ち出した理論では,ホールディング行動は動物の巣作りのように,維持するための試みから発達したのだという。
 3つ目の傾向は,ちょうどサルトルが考えたように,所有物が持ち主の一部として感じられることだ。本人にも説明することが難しい感覚だが,こうした強い愛着によってその人の自己認識や自分の力の感覚が強まり,潜在的な能力が広がるのである。たとえばピアノを手に入れることでピアニストになる潜在的な可能性が生まれ,そのことによって自己認識が広まるというわけだ。モノはまた個人誌をそこに閉じ込めて保管することにより,その人の自己同一性(アイデンティティ)を維持する役目を果たす。ほとんどの人は自分の過去の思い出の品を取っておく。そのような思い出の品は,以前の経験のときに抱いた感覚,考え,感情を保存する容器のようなもので,過去の音楽を耳にしたり,香りをかいだりしたときに思い出が圧倒的な強さでよみがえるのを助けることになる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.68-70
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

価値のある持ち物

 最近のゼミの学生に,自分の持ち物でなんらかの価値があるものを挙げるよう求めた。するとある女子学生が恥ずかしそうに,コメディアンのジェリー・サインフェルドがかつて着たTシャツだと打ち明けた。彼女はそれをオークション・サイトのイーベイで買ったのだという。サインフェルドが一度袖を通したTシャツには価値があるという彼女の言葉に,全員が同意した。ただし,正確にどのような価値かということは説明できなかった。「でも,ジェリー・サインフェルドが着たんだから」というのが,彼らの唯一の根拠だった。
 「では,ジェリー・サインフェルドがそれを着たことを知らなかったら?」私は尋ねた。「そのTシャツになにか特別な価値があるだろうか?」
 「ない,まったくない」というのが彼らの答えだった。
 「では,価値というのは君たちの頭の中にあるもので,Tシャツ自体にはないのではないか?」
 学生たちは,サインフェルドの本質のようなものがTシャツにつながっているのだ,と言って反論した。たとえそのTシャツが洗濯されたとしても,彼の一部はそこに残っているのだ,と。
 「それが正しいとしても,だから何だ?なぜそのTシャツに価値が生まれるのだろう?」私は重ねて尋ねた。
 「それを着た人がジェリー・サインフェルドとつながるからですよ」学生たちは答えた。
 ゼミの後で,私は思った。これこそ,アイリーンがしていたことではないだろうか。おそらく彼女は自分のモノを通して世界とつながろうとしていたのだろう。そして彼女にとっては,モノ1つひとつがジェリー・サインフェルドのTシャツのようなものだった。それらのおかげで,アイリーンは自分自身よりも大きな何かとつながることができたのだ。自分のアイデンティティを広げ,人生をより意味のあるものにすることが。彼女が価値を置いていたのはモノそのものではなく,モノが象徴する何かだったのだろう。そして私たちが有名人の衣服や,ベルリンの壁の欠片,タイタニック号のデッキチェア,あるいは古新聞を5トンも集めるのは,みな同じことだ。あるモノが象徴する人物または出来事が魔法のようにそこから離れ,私たちの一部になるのである。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.61-62
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

ホーダーが物を捨てるとき

 ホーダーのほとんどがモノを処分できるのは,それが無駄になるのではないこと,良い場所に迎えられること,あるいはそれによるチャンスがもはや手に入らないと確信したときだ。しかし,この確信を手に入れるために必要な時間と労力では,家に持ち込まれる大量のモノに対処できない。そのため,ホーダーのほとんどはただあきらめてしまい,モノが再び積み上がるままにしてしまうのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.58-59
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

意識のレベル

 意識の基盤を分類しようとする試みは数多くあるが,意識の様相を呈する行動要素をみいだそうとする本章の目的からすると,ニューヨーク大学で心理学と認知科学を教える哲学者ネッド・ブロックによって提起された3つのカテゴリーについて考えてみると有益だろう。
 彼は,記憶に結びついた心の状態について考えたり描写したりする能力を「アクセス意識」と呼び,これを第1のカテゴリーとする。私たちは内省を通じて何らかの情報について考え,またそれについて考えている自分の思考の動きに気づくことができる。これは,「一次意識」と呼ばれてきたものに類似し,さまざまな情報の断片を結びつけて心的イメージや心的表象へと統合し,そうして統合された知識を用いて自らの行動と決定を導く能力を指す。たとえば,読者は自分の住む町の詳細な地図を思い浮かべられるはずだが,このメンタルマッピング能力を用いて,これまでめったに訪れたことのない場所から自宅へ帰るためのルートを割り出せるのではないだろうか。
 ブロックの提起する2番目のカテゴリーは「現象意識」である。これは,自分の周りのできごとを感じ取るという経験,そして直面したできごとによって引き起こされる感情や情動を指し,「意識のハードプロブレム」と呼ばれてきた。そう呼ばれているのは,自らの存在を知らしめる感情,すなわち現象意識を生成する脳内のメカニズムを理解することは不可能だと考えられているからだ。この考えはまた,「感覚力」,すなわち環境を主観的に知覚し感じる能力とは,いったい何なのかについての本質をとらえている。
 3番目のカテゴリーは「モニタリングと自己意識」だ。これは自分自身の行動について考え,それを心のなかで実行することで1つの状況を思い浮かべ,その状況のなかで起こりうる,さまざまなシナリオを考慮する能力を指す。これは自己意識と,ヒト同士が言語を通して行う情報交換を可能にする,「より高次の」進んだ能力だと考えられてきた「延長意識」の概念に近い。

ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋 洋(訳) (2012). 魚は痛みを感じるか? 紀伊國屋書店 pp.113-114

言葉で表現

 私たちは「幸福」,「みじめ」などのきわめて単純な言葉によって,動物がどう感じているかを表現しようとする。動物の行動を解釈するのに,そのような言葉を用いるのは不適切かもしれない。だが一般的な表現のなかでは,あたかも遊んでいるかのように,あるいはじゃれあっているかのように振るまっている動物は,ポジティブな心の状態にいるように見えるという事実を示唆する,「幸福」のような言葉の使用が便利な場合もある。あるいは元気がなかったり,隅のほうでじっとしていたりすると,その動物は「みじめ」な心の状態に置かれているようにみえるはずだ。
 通常は人間の情動に関して用いられる言葉を,動物に転用する際には注意が必要なのはいうまでもないが,私たちは,そのときの動物の気分がポジティブかネガティブかをみわけることくらいはできる。心の状態や情動は,痛みの経験のあり方,感じ方に影響を及ぼす重要な要素なのである。

ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋 洋(訳) (2012). 魚は痛みを感じるか? 紀伊國屋書店 pp.52

親愛と非難

 アイブル=アイベスフェルトなどの文化人類学者は,多くの文化に共通する表情として2種類の笑い——親愛の意味を表わす微笑と反対の非難・排斥を表示する嘲笑とが混在することを指摘している。後者は,唇の端がかすかにゆがんでいることで区別される。微笑と嘲笑,先にみたこの対比はかなり普遍的にみいだされるもののようである。
 一見同種の表情が,なぜかくも対立的な意味を帯びるのだろうか。これについて想いだされるのは,いわゆる動物の微笑である。この現象はダーウィンのウマの表情の分析以来動物研究者の注目を惹いてきたのだが,P.レイノルズは,微笑とみられてきたものは実は攻撃—逃避という相反する動機の葛藤の表現であるという。動物の微笑とみえるものは,上唇をまくり上げて前歯を現わし,同時に口の角を引くという2つにより特徴づけられるのだが,これらの先をトゲウオの葛藤反応の例にみたように,歯をむきだす攻撃的欲求と口角を後に引く逃避的動機との同時的表出とみることができる。

藤永 保 (1991). 思想と人格:人格心理学への途 筑摩書房 pp.142

動物と人間

 また動物実験にもとづく研究では,その論文の導入部分で人間の行動にことよせた説明がされることがよくあります。「人間はこのような状況でこのような振る舞いをする。どうしてそうなるのか,そのメカニズムが動物実験で明らかになった」というような説明です。「でも結局のところサルじゃんか。人間の行動がサルと同じなのかなあ。えっ,なんだ,ネズミの実験かよお」。こんな気持ちで論文を読むこともしばしばです。動物実験を行い,これによって人に対する生物学的理解を深めようとする研究には,基本的な神経回路のメカニズムは人でもサルでもネズミでも同じであろうとの認識が背景にあります。そして動物を通してしかなしえない,脳科学の真理に対する厳密なアプローチは,脳と心の関係の理解には必須であるとともに本質的なものです。
 けれども,論文などで時折見かける「だって,ほら,人間のデータでも同じような結果が得られているじゃない」という議論は,動物実験にもとづく研究のレベルの高さを自ら貶めるもののように聞こえます。そしてもし動物実験の結果と人間を対象とした実験結果が異なっていれば,「人間だからね,やっぱりちょっとは違うよ」というお話になってしまうわけです。当然,逆のパターンもあります。人間のデータの論文に,動物実験のデータでうまく合うものだけを引用して自説の根拠とするわけです。動物実験と人を対象とした実験が同じ土俵で正当に議論できるようになるには,まだしばらくかかることでしょう。だからといって議論しないでいるのはもっと悪いことでしょう。

坂井克之 (2009). 脳科学の真実:脳研究者は何を考えているか 河出書房新社 pp.110

待つ科学

 私が,あえて何か主張するとすれば,それは,知能を導き出す「心の科学」は「待つ科学」であり,待つ科学は,あってよいのかもしれないということです。
 心の科学では,観察対象に「未知の状況」を与えます。これは,多くの場合,対象の待つ適応的行動が,適応的に機能しない状況になっていますので,対象にはある程度負荷がかかります。ただ,その目的は,もちろん対象を再起不能にさせるためでも,どの程度負荷に耐えられるかを見るためでもありません。そうではなく,対象がその負荷を「使って」,予想外の行動を発現させられることを示すことが目的です。

森山 徹 (2011). ダンゴムシに心はあるのか:新しい心の科学 PHP研究所 pp.213

矛盾や不一致

 ここまで見てきたように,ジェームズの中には矛盾や不一致が多くある。ジェームズはその場その場で別のことを言っており,しかもそれをそのままにしているのである。「自分自身を説得することに熱中して,かれは,かれ自身の矛盾をお構いなしに,つぎつぎにこれらの解決を承認した」(Allport, 1943)。しかしながら,これらの矛盾には積極的な意味がある。オールポートは,ジェームズ自身も自分が体系的でないことを十分に承知していたと述べ,「人をあざむく見せかけの正確さに対して私が抱いている強い嫌悪のために,故意にそのままにしておいたのです」というジェームズの手紙を引用している。その背後には,両極端を避けてその中央の道を選ぼうとする彼の気質があるのかもしれない。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.179

ジェームズと心霊研究

 さて,『心理学原理』以後のジェームズと心理学を考えるうえでもう1つ検討しなければならないのは,心霊研究をめぐる問題である。ジェームズがハーヴァード大学の心理学実験室をミュンスターベルクに委ねたのは「精神病理学と心霊研究に集中するため」だという解釈があるくらいである。
 もちろん,ジェームズは決して素朴に心霊研究を信じて擁護していたわけではない。彼はあくまで科学者としての視点で心霊現象を研究したのであって,心霊現象と呼ばれるものを頭から間違いであると決めつけるのでもなく,逆に盲目的に信じ込むのでもなく,「科学的な方法で検証し」,「科学の囲いの中に持ち込もうとした」のである。たとえば,『心理学要論』の「知覚」の章に,偽の霊媒が執り行なう「詐欺まがいの『降霊術の会』を研究すれば,知覚の心理にとっては最も貴重な資料を提供するだろう」とあるように,心霊現象を冷静な目で見ていた。一方で,「自我」の章では,自我の異常な変化として,異常妄想や転換的自我と並んで霊媒と憑依が取り上げられており,「このような恍惚現象のまじめな研究が,心理学にとって最も必要なことの1つであることを私は確信しており,また私の個人的告白が,読者の1人でも2人でもよいから,自称『科学者』が通常開拓することを拒んでいる領域に導き入れることができるかも知れないと考える」と述べている。また,「自然科学としての心理学」では,「近年心理学に入って来た新生命の殆ど全部が,生物学者,医者,心霊学研究者から来ている」と,すでに心霊研究が心理学に貢献しているとする。ジェームズは,このような心霊研究の研究が人間性の理解に役立つと期待していたのである。

藤波尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学:現代心理学の源流 勁草書房 pp.161-162

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