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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

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わんわん

 心理学では,魔法のように見える直観も魔法とは見なさない。この点に関する最高の名言は,おそらくあの偉大なハーバート・サイモンによるものだろう。サイモンはチェスの名手を調査し,彼らが盤上の駒を素人とはちがう目で見られるようになるのは数線時間におよぶ鍛錬の賜物であることを示した。サイモンは次のように書いたが,この1文からも,専門家の直観を神秘化する傾向にむかっ腹を立てていたことがうかがえる。
 「状況が手がかりを与える。この手がかりをもとに,専門家は記憶に蓄積されていた情報を呼び出す。そして情報が答を与えてくれるのだ。直感とは,認識以上でもなければ以下でもない」
 2歳の子どもが犬を見て「わんわんだ」と言っても,私たちは驚かない。ものを認識し名前をつけることにかけて子どもが信じられないような学習能力を発揮することをよく知っているからだ。サイモンが言いたかったのは,専門家の信じられないような直感も,根は同じだということである。初めて遭遇する局面の中に慣れ親しんだ要素を見つけ,それに対して適切な行動を起こすことを学んだとき,いざというとき役に立つ直感が育まれる。すぐれた直感的判断は,まさに「わんわん」と同じように,すっと浮かんでくるのである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.22
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アンケート

 ちなみに以前自分が見せてもらった,ある企業が新卒採用のために作った「適性検査」は,まさしく「ただのアンケート」だった。ストレスに強くて根性がある人が欲しいんだろうなぁということだけはわかったが,それを直接尋ねたところで正直に「自分は根性ないです」と答える学生はいないだろう。実際にこの「適性検査」は,ほとんど採用の役には立たなかったそうだ。統計家としてはぜひ入社後の業績と,この「適性検査」の相関を分析させてほしいところである。おそらくこの企業は,1人ぐらい根性がなくても心理統計学を勉強してきた学生を人事部に採用したほうがよいのではないか。
 社会調査や疫学研究の質問紙に「あなたの親しい人にタバコを吸っている人はいますか?」と書いていた場合,単純に「受動喫煙してる人って何%いるんだろうか」とか,「受動喫煙してるかどうかと健康状態って関連してるんだろうか」という興味で質問しているだけだが,心理統計家たちはそう単純には考えない。
 質問に対する回答は必ず回答者の主観というフィルターと無関係ではないし,心理統計家たちは100年間,人間の主観を含む心の扱いについて議論を重ねてきたのだ。
 「同じように喫煙者の友人がいる人の中にも,その存在を意識している人としていない人がいる」とか,「喫煙に嫌悪感のある人は,友人が喫煙者でも『親しい』という単語に引っかかってNoと答えるのではないか」といった可能性を考え,同様の質問項目を何パターンか用意し,因子分析を行ない,そこから得られた何らかの因子に対して意味を見出すべき,というのが彼らのやり方だろう。

西内 啓 (2013). 統計学が最強の学問である ダイヤモンド社 2480-2498/3361(kindle)

年齢と印象

 桑田の妻,真紀さんが,こんな話をしていたことがある。
 「若い時に言っていることと,今,言っていることは同じなのに,みんなは変わったと言うんですよ。確かにある程度は丸くなったとは思いますけど,本当は何も変わっていないんです。野球に対してもその都度,真剣なところは何も変わってないし,何かを言うとナマイキだって言われちゃうところも変わってない(笑)。でも歳を重ねていくと,同じ言葉でも生意気だって言われたことが立派だって言われたりするんですよね。20年たつと,同じ人がこれだけ違って受け取られるんですから,不思議ですよね(苦笑)」
 飲みに行こうと誘われて,「練習があるから」と断る20歳は生意気だと叩かれ,「練習があるから」と断る40歳は自分を律していると尊敬される。自分を貫くために発していた言葉が,周りよりも若いときには生意気だといわれ,周りよりも歳を重ねると勇気だの男気だのと言われて賞賛される。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.282

先入観

 「ピッチャーは普通,ホームベースを広く使うために外側へ逃げていくボールを好んで投げるんです。インコースは近くへ,アウトコースは遠くへ逃げていく。コーナーを突く時は,そういう球で勝負するのが当たり前だったんですけど,僕は外から真ん中へ,近めから真ん中へ入ってくる,逆にスライドするボールを使うんです。バッターは,逃げていくボールが厳しくて,中へ入ってくるボールが甘いんだと決めているけど,打ってこない初球とか,ワンストライクを取るときにわざと中へ入るボールを使うんです。そうすると,ストライクゾーンをすごく広く感じてしまうものなんです。だから,左打者の外側からのスライダーやカーブを,僕はよく投げるでしょ。時にはシュート回転して真ん中に入ってしまうストレートも,その後の組み立てには役立ったりするんですよ。ストレートでも,シュート回転はダメとかいうでしょ。そうじゃない。シュート回転のストレートで初球ストライクが取れれば,それでもバッターには残像が残ってる。で,ちょっと内側を見せといて,最後は初球の真っすぐと同じところへスライダーを投げる。同じところだから,甘く中へ入ってくるもんだと思って打ちにいくでしょ,スライドして逃げていくんですよ。これはもうついていくだけで精一杯ですよ」

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.79

つい100かゼロかで

 人間というのは何かを考える時,つい100かゼロかで考えちゃう。
 「彼が好きなの。彼とつきあうにはどうすればいいの?」
 「つきあえないのは絶対イヤなの」
 こう考えてる人,多いです。
 そこでメーターです。
 つまり「絶対イヤ」を「100イヤ」と言い直して,50とか60だとどうだろうかと考えてみる。
 完全解決を望むと,達成は非常に難しくなる。
 自分の感情や価値観について,メーター表現すると,急に客観的になれます。

岡田斗司夫・FREEex (2012). オタクの息子に悩んでいます:朝日新聞「悩みのるつぼ」より 幻冬舎 pp.153

環境を変える

 なので,何か行動する時には環境を変えるのがコツです。
 学級委員長とか社長ができるのは,環境を大きく変えることぐらいだからです。
 入院するとダイエットがうまくいく。入院する環境にいれば,おやつが入手できにくい=食べにくい。だから痩せるというだけなんです。
 要はこの原理の応用です。
 社長とか学級委員長のできることは,計画的に「行動する環境そのもの」を大きく変えてしまう。
 その結果,行動が変わる。社員たちも徐々に「社長の言うこともわかるよな」とか,「あんがい成果が出てるよな」というふうに実績が積み上げられていくと,ようやっと納得していく。
 すると心の中の「小さな自分」たちが,重い腰をあげてようやく一致団結して,1つの目標に向かい出す。
 これが「決心が長続きする」,すなわち「モチベーションが高い」という状態です。

岡田斗司夫・FREEex (2012). オタクの息子に悩んでいます:朝日新聞「悩みのるつぼ」より 幻冬舎 pp.134

統一がとれていない中小企業の社長

 「強い意志があれば,自分の中で意思統一ができるはず」というのは幻想なんですよ。
 もっと現実的に,リアルに自分を観測してみる。
 僕らの心のモデルとして,自分の中に複数の自分がいる。で,その1人がたとえばしょっちゅう食べたがるとか,「決心」社長の監視を盗んで食べたがる。
 「決心」社長の監視がゆるい時,つまり理性がふっとゆるんだ時に,こっそりとポテチの袋開けてパリパリパリパリ食べる。社長に見つかった瞬間に,「いえいえ」とか言って,あっという間に隠れるんですよ。
 どうですか?みなさんが「自分の決心をつい破っちゃう時」って,こんな感じじゃないですか?
 同じように,何かルール違反をついついしちゃう人というのは,多分,そのルール違反を自分でやってる意識があまりないんですね。心の中に,「いや,それぐらいいいじゃないか」という自分がいる。よく海外アニメに出てくる「頭の両側で天使と悪魔がささやく」,あれと同じです。
 学級委員会と言ってもいいんですけども,自分というのは所詮,統一がとれてない中小企業の社長にすぎない。
 だから,自分が決心したからといって思い通りに何かできないのは当たり前。
 「どういうふうに決心すればいいんですか」とか,「どういうふうに決意すればいいんですか」って聞く人もいるけれど,決心や決意ではどうにもならないんです。
 それは社長が決心して社員に大号令かけてるのとまったく同じで,社員は社員でその時は「そうだな」と思うかもしれないけど,それだけなんです。
 家へ帰る途中で「社長,何言ってんだよ」と思うかもしれないし,飲みに行ったら,社員の中の有力なやつが,「社長が言ってることもわかるけどさあ」
 この「さあ」と言った瞬間にみんなが「やっぱり?」「そうだよね?」ってなるわけですね。
 なので,「決心」というのは長持ちしない。

岡田斗司夫・FREEex (2012). オタクの息子に悩んでいます:朝日新聞「悩みのるつぼ」より 幻冬舎 pp.131-133

生きているからこそ

 これ読んでイライラしている人もいると思います。
 なんでそこまで弱いのか,って。
 そんなの騙されてるだけ,買わされてるだけじゃないか,って。
 でもねぇ,これって本当に否定されるようなものなのかなと思っちゃうんです。
 僕たちだって「本当に欲しいモノ」を買っていますか?
 「一度も後悔してない買い物」を最後にしたのは,いつですか?
 深夜にピザのCMや通販のCMが多いのは,ちゃんと統計的マーケティングに基づいているんですよね。僕たちは普段ダラダラとしてるんですけども,ピザーラお届けのCMが流れた瞬間に,何か生きてる実感が湧いて,思わず電話してしまったり。
 人間ってそんな程度のバカなもんだと思うんです。
 で,そのバカさの源は何かというと,生きていることによる迷いや夢ですよ。
 生きているいからこそ,そんなCMの口車に乗って買わされる。生きるエネルギーがあるからこそ,「寂しいかな?」と自覚するんです。

岡田斗司夫・FREEex (2012). オタクの息子に悩んでいます:朝日新聞「悩みのるつぼ」より 幻冬舎 pp.117

そのまま伝わらない

 行動遺伝学を学ぶなかで,「遺伝」という概念が,私たちが素朴に使う意味と,実際に遺伝子が働くときの意味と,ずいぶん異なることもわかりました。
 最も陥りやすい誤解は,遺伝が「親の特徴をそのまま子どもが受け継ぐこと」と考えてしまうことです。「知能には遺伝が関わっている」と聞くと,決まって「ああ,頭のいい子は両親もいい大学出てるもんね」というような話になってしまいます。無理もありません。「遺伝」とは「遺し伝える」と書くのですから。
 しかしそれが誤解なのです。遺し伝わっているのは,親の持つ遺伝子の半分だけです。子どもには父親の半分の遺伝子と母親の半分の遺伝子,つまりまるごと伝わって来るのではありません。しかもそれが2万個以上あって,それぞれ2つのうちのどちらが受け継がれるかはババ抜きのようなものです。そして今までに一度もなかった新しい組み合わせが生まれます。

安藤寿康 (2012). 遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である 筑摩書房 pp.78

グールドのバート批判

 確かに人種差別が科学の名のもとに正当化されてはならないのは言うまでもありません。しかしグールドのバート批判は,バート批判を通り越して,統計学の一般的テクニックとして確立した因子分析という手法の考え方や技法そのものを批判の対象とするという無謀な試みになっており,残念ながら作戦失敗としか言いようがありません。ところが,このことを知らない専門家以外の人や,専門家であっても彼のイデオロギーに賛同する人は,相変わらずこの本の主張を,称賛をこめて引用しようとします。そこに筆者は大きな当惑の念をいだかざるを得ないのです。

安藤寿康 (2012). 遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である 筑摩書房 pp.37

ながら運転

 運転中の二重課題の実験によると,ラジオやCDを聞きながらでも運転は損なわれない。しかし,議論を続けるような認知的な負担のある課題の場合は,運転に影響を及ぼすばかりか,普通より2倍も多くシミュレーター盤上の信号を見落としたり,さらにブレーキを踏む反応時間を遅らせることになる。実際,携帯電話で会話しながら運転するのは,違法となる血中アルコール濃度レベルの飲酒運転に等しい。米国の人間工学会は,年間2600件の米国における死亡事故と,33万件の負傷事故は,運転中の携帯電話での会話が原因だと推定している。

ターケル・クリングバーグ 苧阪直行(訳) (2011). オーバーフローする脳:ワーキングメモリの限界への挑戦 新曜社 pp.86

催眠術は有効ですか?

 「催眠術を使うと,証人が事件の細部を正確に思い出せる」この項目に,回答者の61パーセントがイエスと答えた。催眠術によって脳が特殊な状態になり,記憶力が目覚しく向上するという考え方には,簡単な方法で,眠っていた可能性が解き放たれるという思い込みが見てとれる。だが,それは間違いだ。催眠状態にある人の“記憶”は,たしかにふだん以上に活性化するが,その記憶が正確かどうかは別問題だ。催眠状態にある人は数多くの情報を口にするが,それが正しいとはかぎらない。じつは,催眠術の力を信じているために,たくさんのことを思い出すのかもしれない。つまり,催眠状態になると沢山思い出すはずだと信じている人は,催眠術をかけられたときに,できるだけ多く記憶を取り戻そうとするだろう。だがあいにく,催眠状態の人を甦らせた記憶が,正しいかどうかを判断するすべはない——当人が思い出せるはずのことを,私たちが正確にわかっていればべつだが。そして正確にわかっているなら,そもそも催眠術を使う必要はない!

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.252

フィードバックループ

 カード合わせのゲームも,現実世界のデートや恋人探しも,拒絶という形で直接的な(そして痛みもともなう)フィードバックが即座にあたえられる。残念ながら私たちは,人生の中で自分が下した決断について,それが正しかったのかどうか,正確なフィードバックを日ごと,年ごとに手に入れることはできない。翌朝の天気を見れば当たりはずれがわかる,気象予報官のようにはいかないのだ。そこに気象学と,医学のような分野との大きなちがいがある。診断や外科処置の正しさに関する情報は,原則として入手可能だ。だが,実際には情報が気象データのように系統だって集められ,蓄えられ,分析されることはめったにない。肺炎を診断し処置をした医者は,処置が有効だったかどうかわかるまで,しばらく待たされる(あるいは永遠にわからずじまいになる)。結果がわかったあとも,処置の効果と自然治癒の要素とを区別するのはむずかしい。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.188-189

限界を知ろうとしない

 大学で教えていると,私たちの研究室に学生がやってきて,自分はあんなに一生懸命勉強したのに,なぜ試験に失敗したのだろうと嘆くことがよくある。彼らは何度も教科書や授業のノートを読み返し,試験を受ける時点ではすべてよく理解したつもりだったと訴える。おそらく教材の内容のあちらこちらを頭に入れたのだろうが,知識の錯覚から,繰り返し目にして見慣れた感覚を,内容に対する真の理解と取りちがえたのだ。教科書を何度も読み返すと,実際の知識から遠ざかってしまいがちだが,馴染んだ感覚は強まり,理解したという誤解がはぐくまれる。自分自身を試してみて,はじめて自分が本当に理解したかどうかがわかる。だからこそ,教師はテストをあたえるのであり,すぐれたテストは知識の深さを確かめられる。「ロックには,シリンダーがついていますか?」という質問では,鍵の部品に関する記憶を調べることしかできない。だが,「鍵は,どのようにして開くのでしょう」という質問なら,ロックにシリンダーがついている理由と,シリンダーのはたす役割についての理解度を調べられる。
 知識の錯覚でとりわけ驚かされるのは,私たちが自分の知識の限界を知ろうとしない,という点だ——知ろうとすれば,いとも簡単にできるのに。あたかも,「空がなぜ青いのか,私にはわかっている」と誰かに言う前に,まずは自分で「聞きたがり屋の子ども」ゲームをやってみて,本当にわかっているかどうか確かめる方がいい。私たちは,錯覚の餌食になりやすい。自分がもっている知識に,疑問をもとうとしないためだ。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.159-160

自信は役立つか

 自己啓発書では,自信をもつことが大切だと力説されている。たしかに。自分の考えを自信をもって表明できれば,多くの人を説得して成功を手に入れられそうだ(少なくとも当座のあいだは)。自分の診断に疑問を抱かせず,患者を納得させることを目標にする人は,もちろん白衣を着たほうがいいだろう。装った自信にはご利益がありそうだ(相手を納得させられるほど自信の装いがうまい人は,もともと自信の強い人だとも言えるが)。だが,誰もが自己啓発書の勧めどおりに自信をもって行動すると,すでに信号として限りのある自信の価値がさらに損なわれ,自信の錯覚がより危険なものになる。極端な場合,人は正しい判断にまったくつながらない手がかりを,頼りにするようになる。自信を強めることは当人には役に立つかもしれないが,周囲の人たちを犠牲にしかねない。

チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.139-140

対象になる

 チェスとちがい,ユーモア感覚を測る方法はないが,20世紀の心理学研究で1つ明らかになったのは,人のほぼすべての特徴が,科学的な研究の対象になりえるほど,計量が可能ということだ。といっても,人を笑わせるという,いわく言いがたい特徴が簡単に計量できる,というわけではない。もし簡単であれば,ユーモアのセンスがない人も,コンピュータでうまい冗談を作り上げることも可能だろう。私たちが言いたいのは,おかしいものとつまらないものに対する人びとの判断に,驚くほどばらつきが少ないということだ。同じことが,一見計量不可能に思える数多くの特徴にも言える。美は見る者の目に宿ると言われる。だが,じつはちがう——複数の顔写真で魅力を判断してもらうと,それぞれ趣味も好みも異なる人たちの評価が,みごとに重なり合う。誰もが俳優やモデルになれるわけではないのは,そのためだ。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.116

予想できるものに

 非注意による見落としを少なくするには,証明済みの方法が1つある。予想外のものやできごとを,できるだけ予想のつくものにすることだ。自転車および歩行者が遭遇する事故は,車がバイクを見落としてはねてしまう事故と共通点が多い。カリフォルニアの公衆衛生コンサルタント,ピーター・ジェイコブセンは,歩行者および自転車が遭遇する事故の割合を,カリフォルニアの各都市とヨーロッパ数か国について調べた。2000年の1年間に自転車と歩行者がはねられて負傷や死亡につながった事故の件数を,百万キロメートル単位で都市別に統計をとったのだ。パターンは明確で驚くべきものだった。歩行者と自転車が事故に遭う件数は,この手段による移動がもっとも多い都市部でもっとも少なく,自転車や歩行者が少ない地域でもっとも多かった。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.32

見ていても見えていない

 潜水艦がほかの船に衝突することは,めったにない。だから,あなたも船に乗るのを恐れる必要はない。だが,このたぐいの「目は向けていても,見えていない」ことによる事故は,地上ではひんぱんに起きる。あなたも駐車場や脇道から車を出そうとして,それまで見えていなかったよその車にぶつかりかけ,あやうく急停車した経験はおありだろう。事故のあと,運転者はいつもこんなふうに言う。「ちゃんと前を見て運転していたんだ。でも,いきなり車が現れて……それまでなにも見えなかったのに」こういう状況は,脳の注意力や認知力に関する私たちの直感的理解と矛盾するので,とりわけ厄介だ。私たちは,自分には目の前のものがすべて見えると考える。だが実際には,私たちはどんな瞬間にも目の前の世界のごく一部しか意識していないのだ。目は向けていても見えないという発想は,自分の能力に関する理解とまったく相いれない。そこでこの誤った理解が,自信過剰の軽率な判断を生むことになる。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.26

推論の連鎖

 推論の連鎖において,各段階が正しい確率が0.9だとしよう。これはかなり安心できると思われるかもしれないが,いま推論の連鎖がこの種の推論を10段階含むとしよう。2つの段階がそれぞれ正しい確率が0.9なら,両方とも正しい(最初が正しく,続いて2番目も正しい)確率は0.9の2乗,すなわち0.81だ。連続10段階だと,最後の結論が正しい確率は0.9の10乗,すなわち0.35に落ち込む。確率の法則は,個々の推論が完璧でなければ,推論の長い連鎖がよく針路をそれることを示している。連鎖のどこかで間違った結論が引き出されると,全体の過程が誤った方向に導かれる。
 この考えは,どうして現実には驚くべき結論を示す名探偵がほとんどいないのかの説明になるかもしれない。もっともなことだが,私達は最も明白で,簡単に引き出せる結論だけに頼る傾向がある。現実生活では,犬が吠えないという事実から1.0の確率で起きることはほとんどないからだ。

ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.205-206

現実とg

 この問いを異なる方法で調べてみよう。2つのことを例に取ろう。過去100年間にわたって,文字通り何千という実験によって,人が仕事でどれくらい好成績を残すかを予測する方法が調べられてきた。合計何百万もの人が,最も単純で最も熟練を要さないものから最も複雑なものまで,考えうるあらゆる仕事でテストを受けてきた。基本的な狙いは,有能な従業員を雇える可能性を最大にするテスト,または方法を考案することだ。考えうるあらゆる種類の方法が調べられてきた。面接,推薦状,仕事の成績によるテスト,人格測定,基本能力テスト,筆跡学(手書きの字から個人の性格を読み解こうとするもの)などだ。大量かつ幅広い内容のデータは,それらの結果を結びつけ,評価するための統計学の新しい分野の発展を促してきた。現代社会において,これほど徹底的に調べられたものはない。その結果は,明白かつ,実に驚くべき内容となっている。
 なかには,それなりにうまくいく方法もあった。最良の方法は,仕事の能力を直接測ることだった。たとえば,優秀な煉瓦工を選ぶために最もよいのは,煉瓦をどれくらい上手に積めるかを評価することだ。そういった評価は後の生産性と0.5以上の相関があるだろう。役に立たない方法もあった。たとえば筆跡学だ。もっとも,イスラエルなどの国では,筆跡学は誰を雇うかを決めるためによく用いられる根拠となっている。
 実際に仕事の成績を測る方法の次にくるのが,一般認知能力のテストで,これは本質的にはgのテストと言える。このテストは,まったく熟練を要さない仕事に対して,後の生産性と0.2か0.3程度の相関しかない。平均的な複雑さの仕事に対しては相関が0.5で,最も複雑な仕事に対しては0.6に近づく。心理学者はgの力に慣れてしまっているので,このことに驚かないかもしれない。しかし,よく考えてみると,どのようにしてこんなことが可能なのか?煉瓦工を選ぶために,煉瓦を積めるかどうか尋ねてもいいし,あるいは,一見でたらめに集めたような人工のテストを1時間かけてやってもらい,その結果を平均するだけでもいいのか?そして,この2つの方法は同じぐらいうまくいくのか?確かに,これらのことは,人間の心に関して実に驚くべきことを語っている。
 示唆に富む観察がもう1つある。考えうる多くの仕事を集めてリストを作り,それらの仕事がどのくらい望ましいか順位を付けるように一般の協力者に頼む。そして,その人たちがどれくらいその仕事に就きたいかに関して,1位から最下位まで仕事の順位表を作成する。次に,実際にそれぞれの仕事に就いている人たちの平均IQの順位で,もう1つの順位表を作成する。何が分かるかというと,この2つの順位はほぼ完全に一致するということだ。さらに言えば,2つの相関は0.9を超える。ある特定の仕事が,一般の協力者が就きたいものであればあるほど,その仕事は実際にgの点数が高い人が就いている。これが何であろうと,人々の生活に甚大な影響を及ぼすのは間違いない。

ジョン・ダンカン 田淵健太(訳) (2011). 知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源 早川書房 pp.61-63

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