忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

客観性と文脈

また,心理学の研究は客観性が求められますが,それを突き詰めすぎると,三人称的なかかわりで,文化社会的な要素を一切排除した脱文脈的なものとなります。それを防ぐ一つの方法として,実験だけに限らず,観察との併用が有益と思われます。観察される知見と実験での課題通過の年齢があまりに食い違うようであれば,実験そのものに問題があることも視野に入れるべきでしょう。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 39
PR

フット・イン・ザ・ドアと洗脳

同じ原則が,マイナス行動へ人を駆り立てる原動力にもなる。たとえば1970年代のはじめに,ギリシアの軍事政権は新兵たちを残酷な拷問執行人に鍛え上げようと考えた。フット・イン・ザ・ドアのテクニックを使い,新兵を少しずつ囚人の虐待に加担させていったのだ。まず最初に,兵士たちは監房の外で囚人たちが虐待される場面を見せられた。つぎの段階では,監房の中に入って虐待の場面を眺めさせられた。そのつぎの段階では,監房の中で少しだけ虐待を手伝うように言われた。笞で打たれるあいだ囚人の体を抑えつけている,などだ。そして最後の段階では,自分の手で囚人を笞で打つように命じられた。そして虐待執行人となった彼らの姿を,新たに入隊した兵士の一団が監房の外で眺めた。フット・イン・ザ・ドアのテクニックが,ゆっくりとながらも着実に効果を発揮し,最初はまったく受け入れられなかった行動を,兵士がみずからおこなうようになったのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.188

ワトソンと広告業

アルバートの実験は,ワトソンの私生活に大きな変化をもたらした。妻帯者だったワトソンは,実験にあいだに共同研究者のロザリー・レイナーと恋に落ちた。2人の関係を知ったワトソンの妻は離婚訴訟を起こし,それを耳にしたジョンズ・ホプキンス大学の学長はワトソンに辞職を求めた。ワトソンは学究生活と決別して大手広告会社に就職し,行動主義心理学の知見を活かしてデオドラント,ベビーパウダー,煙草の売上拡大に貢献した。最大の功績は,マクスウェルのキャンペーンの一環として,アメリカに”コーヒーブレイク”の発想をもたらしたことである。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.138

ワトソンvs.フロイト

行動の観察と計測を中心に据えたワトソンの考え方はたちまち注目を集め,世の学者たちがますます沢山のネズミに,ますます複雑な迷路を走り回らせるようになった。ある新聞記事には,こんな言葉が残っている。「かつてダーウィンに魂を奪われた心理学は,いまやワトソンにうつつを抜かしている」
 勢いをえた行動主義者は,学習原則にとどまらず心理学のその他の領域にまで手を広げた。なかでもワトソンが強い興味を抱いたのは,恐怖症の原因解明と治療法の開発だった。行動主義者の例にもれず,彼はジークムント・フロイトの「えせ科学的なたわごと」に代わるものを見つけたいという欲求に駆られていた。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.134-135

ジェームズvs.フロイト

フロイトが渡米したころ,ウィリアム・ジェームズは67歳で,深刻な心臓病に悩まされていた。体調がすぐれなかったにもかかわらず,彼はクラーク大学まで出かけて,フロイトの公演を聞いた。彼はその内容に不快感を示した。そしてのちにはフロイトの夢分析を,「危険な方法」であり,偉大な精神分析学者であるフロイト自身が「固定観念に取り憑かれ」,惑わされていると指摘した。
 ジェームズとフロイトは,さまざまな点で意見が分かれていた。激しい怒りの原因とその解消法に関わる問題も,その1つである。フロイトは,激しい怒りは暴力的思考が抑圧されるために生じるのであり,安全な代償行動で激情が解放され,浄化(カタルシス)がおこなわれれば解消できると考えた。たとえば,サンドバッグを叩く,叫ぶ,悲鳴を上げる,足を踏みならすなどである。かたやジェームズは,人が怒るのは怒ったかのような行動をするためであり,フロイトのカタルシス療法は,怒りをかえって増大させると考えた。2人のあとに続く心理学者たちは,どちらの説が正しいかを見極めるべく,長年にわたって研究をおこなった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.126-127

ボトックス実験

ボトックス(科学者のあいだでは「ボツリヌス・トキシン」と呼ばれている)の注入は,世界できわめて人気の高い美容整形法の1つである。もともとは顔の筋肉痙攣の治療用に開発されたボトックスは,顔の筋肉の収縮に関わる神経を麻痺させる効果がある。1990年代のはじめに,研究者たちは眉間のしわにボトックスを注入すると,額の動きが部分的に麻痺し,しわが大幅に消えることを発見した。その結果顔つきが前より若々しくなるが,同時に表情がやや固くなり,能面のようになる。
 コロンビア大学バーナード校のジョシュア・イアン・デイヴィスとそのチームは,この若返り法がジェームズ理論の実証に役立つのではないかと考えた。デイヴィスは,実験のために2通りの女性参加者グループを集めた。片方はボトックス注入の施術を受けたグループ,もう片方は額にある種の”詰めもの”を注入するなど,べつの方法による施術を受けたグループである。どちらの方法も目的は若々しい外見を作りだすことだが,顔面筋肉を麻痺させるのはボトックスのみである。デイヴィスは,女性たちにビデオを何本か見せた。男が生きた毛虫を食べるおぞましいビデオ,最高に笑える愉快なアメリカのビデオ,ジャクソン・ポロックについての深刻なドキュメンタリービデオなどである。1本見るごとに,女性たちはビデオに対する感想を点数で評価した。結果を見ると,フィラーで施術を受けた女性たちに比べ,ボトックスで施術を受けた女性たちは感情反応が鈍かった。というわけで,動かないこと(この場合は顔の表情)が,感情体験を衰弱させるというジェームズ説の正しさが実証されたのだった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.119-120

ナンパ実験

ハトフィールドとクラークは,女性5人と男性4人に頼んで,大学内で見ず知らずの相手にこう話しかけてもらった。「前からあなたのことが気になっていたんです。とても魅力的な人だと思って。今晩,一緒に寝てくれませんか?」。彼らは相手の反応をチェックシートに記録したあと,じつはこれは社会心理学の実験であり,話しかけたのは純粋に科学的な調査のためだったと被験者に説明した(この部分に対する相手の反応は記録されていない)。『セックスの誘いに対する男女の反応差』と題する論文で,クラークとハトフィールドは男女の反応がどのようにちがうか報告した。男性に声をかけられた男性の場合は,なんと75パーセントが「君のところで,それともぼくのところで?」の項目にチェックが入った。
 当然ながらというべきか,ハトフィールドの実験結果は様々な議論を呼んだ。これを見れば社会的強者が,弱者につけ込もうとする事実がひと目でわかると主張する者もいれば,これは「男=軽薄」説を裏づけるゆるぎない証拠だと決めつける者もいた。実験結果はまた,ポップカルチャーの世界に思いがけない影響をあたえた。1998年に,イギリスのジャズバンド,タッチアンドゴーが,ハトフィールドの実験用台本を女性に読み上げさせて,オリジナル曲<今晩一緒に……>に挿入したのだ。この曲はイギリスでシングル盤トップチャートの3位に入り,ユーチューブでは200万回のアクセスを記録した。
 この実験成功に気をよくしたハトフィールドは,仲間とともに恋愛心理に関してべつの実験をいくつかおこなった。
 その結果,友情も愛情もつきあいが長くなるほど強まることがわかった。理屈からすれば,誰かにつきまとえばつきまとうほど,相手はあなたに好意をもち,やがて愛へと発展する可能性が高まることになる。この理論は,人が身近な相手と結婚することが多い理由や,ゲッツィンガーの学生たちがしだいにブラッグバッグと仲よくなった理由の説明にも使われた。そしてこの理論にしたがってある男性が恋人に700通手紙を出したところ,彼女は郵便配達員と結婚してしまった(というのは冗談)。
 細々と続けられた愛に関する研究はしだいに勢いを増し,1970年代なかば以降は,何百人もの学者が人間の心の神秘を探るため,何千件もの実験をおこなった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.62-63

タブー

1960年代以前,心理学の世界では友情や恋や愛情を,実験で解明することはタブーとみなされていた。人間心理をあまりに性欲と結びつけて解釈したがるフロイトの非科学的な姿勢と一線を画したかったためか,各地の大学は実験の中で被験者のプライバシーに立ち入ることを奨励しなかった。禁止領域に立ち入った場合は,実際に処罰もおこなわれた。「性欲をそそる目的で誰かの耳に息を吹き込んだことはありますか」と被験者に質問し,謹慎処分になった教授の例もある。
 1960年代に入っても,科学の世界では人がたがいに好意をもったり愛しあったりする過程について,ごく初歩なことしか解明されていなかった。そしてブラックバックの謎が解き明かせない現実に直面して,心理学者は自分たちの知識不足をあらためて思い知った。それが1つのきっかけとなり,何人かの研究者が学問の未開の地に踏み込み,友情や恋愛の心理について調べはじめた。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.61

歩き方から情動へ

フロリダ州アトランティック大学の心理学者サラ・スノドグラスは,歩き方が感情にどのように影響を与えるか調べることにした。運動が心拍にあたえる影響を調べるという名目で,スノドグラスは2日間に分けて参加者に3分ずつ歩いてもらった。参加者の半数は大股で,腕を振り,背筋をのばして歩くよう指示された。もう半数は小股で,のろのろと,うなだれて歩くように指示された。そして参加者の全員が,歩いたあとに感じた幸福度を点数で答えた。結果には,アズイフの法則の威力が示された。大股で歩いた人たちのほうが,のろのろ歩いた参加者より幸福感を感じる度合いがはるかに高かったのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.37

表情から情動へ

写真の撮影で,人を笑顔にさせたい場合に「チーズ」と言わせるのにならい,ミシガン大学の研究者は笑顔を作らせるときは被験者に「イー」と言ってもらい,嫌な顔をしてもらうときは「ユー」と言ってもらった。
 ワシントン大学の心理学者は,左右の眉頭にゴルフティーを取り付け,2つのグループにそれぞれちがう表情をしてもらった。片方のグループには,ゴルフティー同士が触れ合うように両眉を寄せて不機嫌顔を作らせた。もう片方のグループには,眉頭のゴルフティーをたがいに引き離すようにして,穏やかな表情を作らせたのである。
 同じ主旨の実験でおそらく一番有名なのが,首から下が麻痺した人に筆記を可能にする方法を開発するためという名目で,ドイツの研究者たちがおこなったものだろう。集められた被験者の半数は,鉛筆を横にして上下の歯のあいだでくわえるように頼まれ(表情は笑っているようになる),もう半数は鉛筆を上下の唇のあいだにはさむように頼まれた(表情は不満げになる)。
 「イー」と言い続けた被験者,眉頭のゴルフティーを左右に引き離すようにした被験者,上下の歯で鉛筆をくわえた被験者は,それまでより気分が明るくなった。さまざまな実験が繰り返し何度もレアードの実験結果を裏書きし,ジェームズの理論の正しさを証明した。人の行動はたしかに感情に影響する。言い換えれば,アズイフの法則が暗示しているとおり,行動しだいで思うがままに感情を生み出すことも可能なのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.31

ジェームズvs.ヴント

そしてジェームズとヴントは,実験のやり方もまったくちがっていた。ヴントはみずからが綿密に準備した実験を,大人数の学生を集めておこなった。そして実験に先立って,集めた学生たちを整列させ,列に沿って歩きながら1人1人にこれからおこなう実験の注意書きを手渡した。実験が終了するとまるで審判員か陪審員のように振る舞い,彼の理論を裏づけない結果を報告した学生は,落第の憂き目に遭いかねない雰囲気があった。かたやジェームズは自分の考えを押しつけるのを嫌い,学生たちに自由に考えることを奨励し,同僚の教授から「学生にまでいい顔をしたがる」と,非難されたこともあった。
 この2人の偉大な学者は,たがいに敵意を隠そうとしなかった。論文に詩的な表現を取り入れたジェームズは「心理学の論文を小説家のように書く」と評され,かたや彼の弟ヘンリーが「小説を心理学者のように書く」と評されることもあった。だがヴントは彼を認めようとせず,ジェームズの論文について「文章はきれいだが,あれは心理学ではない」と語っている。そしてジェームズのほうも,ヴントが論文を書くたびに自説を変える点を,こう嘆いている。「残念ながら,彼に負け戦はない……ミミズのようなもので,切っても切っても切れ端がそれぞれ動き出す……息の根を止めることはできないのだ」

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.17

些細な行動の蓄積

あるスポーツ選手が繰り返し行う練習が,その選手のパフォーマンスを1日あたり1%の100分の1(1万分の1)だけ向上させると考えてみよう。そのような改善は小さすぎるので,どんな研究手法を用いても,数日や数週間という短期間で統計的な違いを検出することはできない。たとえば国際大会出場レベルのスプリンターが100mを10秒で走ったとすると,1%の100分の1の向上とは,1000分の1秒,つまり1ミリ秒である。1ミリ秒とは距離にして1cm進む程度(!)の非常に短い時間である。それにもかかわらず,この小さな改善をもたらす練習法を200日間継続したとすると,この選手のパフォーマンスは200ミリ秒,つまり0.2秒速くなることになる。この違いは,世界記録保持者と,注目されない落選者の走りとの違いに十分匹敵する。男子100m走では0.2秒は2mほどの差であり,2002年以降の男子100mの6つの世界記録の差を包含するほどの違いである。
 この例と同様に,差別における多くの些細な行動は,それが起こったときには小さすぎて気にもとめないようなものであるかもしれないが,何度も繰り返された場合には,同様に蓄積して大きな影響をもたらし得るのである。差別の場合,その影響はネガティブなもののみであり,差別の対象者に甚大な損害を与えるのである。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.302-303
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

「教授?」

カーラ・カプランは1980年代後半,イェール大学のアメリカ文学を専攻する真面目な若い助教授だった。彼女は20代後半だったが,実際の年齢よりも若く見えた。カーラはキルト制作に熱を入れていた。布のパッチワークをしていると,パタンと色との夢のような世界にのめり込み,その創作の世界以外見えなくなってしまうくらいであった。
 ある日の夕方,キッチンでクリスタルのボウルを洗っているとき,うっかりと手を滑らせてボウルが落ちた。ボウルをつかもうとしたが,ボウルは流しに落ちて割れて,そのとき,かけらの鋭くとがった角が彼女の手のひらから手首にかけて切り裂いた。血が床一面に吹き出し,ボーイフレンドが急いで包帯をあててから,大学と提携しているイェール・ニューヘブン病院の救急ルームに車で連れて行った。
 救急ルームでカーラのボーイフレンドは,当番でいた研修医に,キルトづくりは彼女にとって非常に大切なことなので,彼女が大好きなキルトづくりに必要とされる精細な手の動きをこの傷が損なわないか心配だと念を押して伝えた。医師はこの懸念を理解したようで,すばやく縫合すれば大丈夫だとの確信を述べた。
 医師がカーラの手の縫合の準備をしていたとき,近くで作業していた学生ボランティアがカーラに気づいて声を上げた。「カプラン教授!こんなところで何をしているんですか」と。すると,この声によって医師の作業が止まった。「教授?」医師は尋ねた。「あなたはイェール大学の教授なんですか?」たちまち,カーラは搬送台に乗せられて,病院の外科部局に連れて行かれた。コネチカット一優秀な手の外科医が呼ばれて,何時間にもわたる手術で医療チームはカーラの手を完全な状態に復元した。幸い,カーラの手は完全に回復して,タイプを打つこともキルトづくりをすることも,他の何でも以前と同じように精細に動かすことができるようになった。
 それほど明らかではないかもしれないが,このカーラの救急処置での「われわれ/彼ら」の差別を見出すことができるだろうか。マーザリンが初めてこの話を聞いたとき以来,これは日常に潜む非意識のバイアスの複雑で象徴的な例として頭にこびりついて離れない。ここにあるのは人を傷つける例ではなくて,人を助ける例であるので,医師が「イェール大学教授」と認識したところから引き起こされた差別行為を見つけにくい。このキーワードが触媒となって,医師と患者とで共有される集団アイデンティティの認識が生じ,キルトづくりの血まみれの手からエリート的治療の資格を備えたイェールの内集団メンバー仲間へと急な転換が生じたのである。
 この話を確かめるため,最近カーラに手紙を書いて尋ねた。すると,カーラは次のように詳しく教えてくれた。「突然彼らは,ニューイングランドの有名な手の専門家に救援を求めた。全く180度の方向転換だった。私がキルトをつくる人だということは,私の右の親指の神経を修復することが必要だということについて,彼らには何の意味ももたなかった。だけど,イェールの教員であることが高価で複雑な手術に値することだった」

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.216-218
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

自動的な連合

バラク・オバマの大統領選挙から引き続く数週間,数か月の間に出生疑惑主義者(birthers)として知られるようになった集団が大きく成長してきてメディアの注意を惹くことになった。単純に言って,出生疑惑主義者はバラク・オバマがアメリカの生まれではなく,それゆえ法的に大統領の資格にあてはまらないと信じている者たちだ。そんな人々は無視して,ばかげた狂信者たちだとラベルを貼ることもたやすい。しかし,何らかの自動的なレベルでは,「アメリカ人=白人」というステレオタイプをもつその程度において,多くの者たちが出生疑惑主義者と似たようなものであるといった心地良くない可能性を指摘しておきたい。出生疑惑主義者である人とそうでない人との違いは,意識的な信念の部分にある。オバマに票を投じて,出生疑惑主義者でない人は「アメリカ人=白人」の自動的連合を無視する能力を示し,自らの意識的思考によって自身の行動を司令することを可能にしてみせた。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.177
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

ステレオタイプは不幸な副産物か

ステレオタイプ化の広がりに対する現代のおもな説明は,「不幸な副産物」タイプというもので,カテゴリーを用いて世界を認識するという非常に有用な人間の能力の不幸な副産物なのだという理解である。社会心理学者の多くは,この説明をもっともらしいものと考え,私たちもそう思う。
 「現在適応的だ」と考えるタイプの説明もある。この理論では,ステレオタイプ的に他集団(外集団)を見ることによって,自分の所属する集団をそれよりも優れているとみなすことで,自尊心を効果的に上昇させることができるのだと考える。多くの他集団に対して好ましくないステレオタイプをもっていることによって,こうした自尊心高揚はかなり行いやすくなる。しかし,この理論は次の点でそれほど説得的ではない。1つには,自尊心を上げるなら人は他のさまざまな方法をすでにもっているからであり,もう1つは,それはとても真とは言えそうにない予測に結びつくはずだからだ。つまり,ステレオタイプを利用して比べるなら,社会のなかで高地位を占める人たちやデフォルトの特徴を有する人たちにおいて,階層が下の人たちよりもステレオタイプ化をよく行うはずだという予測になる。
 私たちは,「現在適応的である」タイプのステレオタイプ化の利点についての新たな理論を提示する。「ステレオタイプ化は初対面の人たちを異なった個々人としてすばやく認識する助けを提供する効果をもつ」というものだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.149-150
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

カテゴリーの助け

「人の心はカテゴリーの助けを借りて考えざるを得ない」というゴードン・オルポートの指摘は認めざるを得ないし,彼の言うように,カテゴリーを用いることなしに秩序ある生活は不可能であるけれども,それでも私たちはカテゴリーをつくる活動,カテゴリーを用いる活動の究極の帰結について案じるのである。オールポートはさらに言う。「いったんつくられたら,カテゴリーは通常の先入観のもととなる」。言い換えれば,私たちの脳がつくり上げるカテゴリーは,たやすくステレオタイプを引き起こす。こうして私たちは,あるカテゴリーとある偏見的な属性とを結びつける——たとえば,アフリカ人はよりリズム感をもち,アジア人は数学に優れ,女性は不注意なドライバーでうんぬんと。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.148
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

抵抗は不可能

高齢者,皮膚の色の濃い人々,同性愛者,何であれ,IATが心に潜むバイアスを明らかにするときの示唆の1つは,「外」にある社会や文化と「内」にある自分の心を分ける境界線には透過性がある,ということである。私たちが望むと望まざるとにかかわらず,分化で共有されている態度は私たちのなかに染みこんでくる。先述した同性愛活動家の例にあったように,ネガティブなレッテルを貼られている人たちの権利のために闘っている人であっても,文化からの一貫したネガティブな情報には影響を受けるのだ。高齢者自身も弱齢者への選好をもつということは,外の世界の価値観が心のなかに染みこんでくることのさらなる証左である。私たちの心は,外界にあるものの多くを身につけるので,分化に根ざしたステレオタイプの方向に引かれるのに抵抗することはほぼ不可能なように思える。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.118
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

「中程度の相関」の意味

「中程度の相関」が日常生活でも重要な意味をもつということをご理解いただくために,人種差別とまったく関係のない例でご説明しよう。あなたは銀行の支店長で,多数の借入申込者のうちの誰に融資するかを考える仕事をしていると想像してほしい。多くの借り手はきちんと返済するし,人によっては全額でなくとも何割かを返済する場合もある。しかしなかには銀行にとって利益をもたらし得る十分な額を支払わない者もいる。ただ,幸運なことに,あなたには各々の借入申込者について,信用評価という,支払い能力の適性を判断する材料があると考えてほしい。
 この例を使うにあたり,もう1つ前提が必要になる。前提として以下を推測してみよう。それは,あなたは銀行の支店長として,一般的銀行にとって利益になるのに十分な返済ができるのは借り手のうち半数であることを知っている,というものである。この場合,申込者の信用評価が彼らの実際の返済額と完全に相関するなら,あなたの課題はすべて解決したことになる。つまりあなたは,借入申込者を支払い能力の信用評価順に並べ,上位50%の人にまで融資をすればよいのだ。それによって,あなたは銀行にとって利益になるのに十分な額の返済をするとわかっている人にのみ融資をすることになる。そしてあなたは銀行の利益を最大化することができるのだ。
 しかし当然ながら,信用評価は完全ではない。信用評価スコアと融資の返済額の相関は,1という完全な値になることはない。ここで,あなたの手元にある信用評価と,期待される返済額の相関が中程度(.30)であると仮定しよう。この場合,あなたが申込者のなかで信用評価の高い人から順に50%の人に融資をしたとすると,銀行にとって利益となるレベルまで返済する人は,そのなかの65%となる。もしも低い方から順に半数の人に融資をした場合,返済する人の率は35%である。当然ながらこれは明らかに完全な結果ではないが,信用評価スコアを全くもっていない状況と比べると,はるかに望ましい状況であることはおわかりだろう。情報がまったくない場合,確率的に,融資した半分は利益を生むが半分は損失となる。これは,銀行は利益がほとんどないか全くない事態になることを意味する。中程度の「予測的妥当性」の相関をもつ信用評価スコアは,可能な限り最大の利益とはいかなくとも,かなりの利益を得ることを可能にするのだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.91-92
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

現代の無意識概念

その概念に代わり,現代的な無意識の概念は,フロイトの概念に比べて知名度ははるかに低いものの,新たな歴史的重要事項として功績があると考えられている。19世紀のドイツ人の物理学者であり生理学者のヘルマン・フォン・ヘルムホルツは,「unbewußter Schluß」または「無意識的推論」という語を提出し,シェパードのテーブル天板のような錯覚がどのようにして起こるのかを説明した。つまりヘルムホルツは,心が,物理的データをもとに意識的な知覚をつくり出す方法を説明しようとしたのだ。意識的な知覚とは,「見る」という私たちの日常的で主観的な経験を説明するものである。私たちの視覚システムが単純な2次元画像にだまされ得るのは,網膜に映った2次元の形のイメージを,それが示唆する形へと意識的に知覚する3次元のイメージへ,無意識的な心的活動が入れ替えるからである。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.27
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

憎しみ・復讐心

以上はいずれも,誰かとの間でポジティブに「利益」交換関係を築くための感情だが,その裏返しとして,こちらが「恩」をかけたのに「お返し」をしてこない相手や,こちらに害をもたらした相手に対しては,関わりを断ち切る,あるいは反撃や報復をして相応の不利益を「お返し」しようとする感情も人間にはある。それが「憎しみ」や「復讐心(報復心)」で,そういう相手と関係を持つのは「損」なので,はっきり関係を断ってこちらに寄ってこないようにするのが得策である。何かの拍子に一,二度親切な振る舞いを受けることがあっても,過去に大きな害を受けた相手であればそれでは割に合わないし,いつまたこちらに不利益なことをしてくるか分からない。そこで,そうした相手をはっきりマーキングし,攻撃的な態度をとって今後自分に寄ってこないようにする。場合によってはこちらからも相手に不利益を与えて「自分の利益」を守る。そのための感情が「憎しみ」や「復讐心」である。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.93-94

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]