I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

クーリッジ効果

 クーリッジ大統領夫妻は,とある農場にたびたび姿を見せていた。ただし二人いっしょではない。それぞれ好きな場所があって,ちがう日に訪れては案内してもらっていたのだ。養鶏場にやってきた大統領夫人は,雄鶏がさかんに雌鶏にのしかかる姿を目の当たりにした。交尾が1日数十回にもなると知って驚いた婦人は,大統領が来たらその話をしてくれと冗談で頼んだ。そのことを聞いた大統領の切り返しは,シンプルでありながら実に鋭かった。相手はいつも同じ雌鶏かとたずねたのだ。ちがうという答えに,大統領はこう言った――家内にその話をしてやってくれ。


 さて,クーリッジ効果という言葉がある。もちろん合衆国第30代大統領にちなんで名づけられたわけだが,工業や経済に関するものではないし,優れた指導力の代名詞でもなく,実は性行動の一現象を表わす用語だ。交尾を繰り返して消耗し,いままでのメスでは無反応になったオスでも,新しいメスの登場でがぜんよみがえるというものである。専門的に言うなら,相手が変わることで不応期(交尾終了後,ふたたび交尾可能になるまでの時間)が短縮されるということになる。この現象は,1960年代にカリフォルニア大学の研究で確認された。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.34


顔と個性

 「顔は体の中で最も情報が密集した部分だ」と,ドン・サイモンズがある日私に語った。そして左右対称でない顔ほど魅力に欠ける。しかし,左右対称さが醜さの共通した理由ではない。完璧に均整のとれた顔でありながら,それでもなお醜い人は多い。美貌のもう1つ注目すべき特徴は,平均的な容貌は極端な容貌より美しいという点である。1883年にフランシス・ゴルトンは,数人の女性の顔を合成した写真は,合成に使用したどの個人の顔よりも美しいとみなされるということを発見した。最近になって同種の実験が,女子大生の写真をコンピュータで合成して行われた。イメージに投入する顔が多ければ多いほど,美しい女性が出現するのである。確かにモデルの顔は,驚くほど記憶に残らない。雑誌の表紙で毎日お目にかかったとしても,ほとんどのモデルの顔は覚えられないのだ。政治家の顔は,定義上,平均的な顔ではまずない。個々の要素が平均的で,欠点のない顔ほど美しいが,そうであるほど持ち主の個性を語らない。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.468


条件づけによる訓練

 今日の(そしてベトナム時代の)アメリカ陸軍および海兵隊で兵士の訓練に用いられている方法は,まさに条件づけ技術の応用そのものだ。これによって養われるのは,反射的な<早撃ち>の能力である。とはいえ,この方面での兵士の訓練に,だれかが意図的にオペラント条件づけや行動修正技術を応用したとは考えられない。これはまずまちがいないと思う。私は20年軍籍にあるが,兵卒,軍曹,将校のだれひとり,あるいは官民とわず関係者のだれひとり,射撃訓練で条件づけが行われていると口にした者も,あるいは理解していた者もいない。しかし,歴史学者であり職業軍人でもある心理学者の立場から見ると,そこで行われているのがまさに条件づけなのは火を見るより明らかだ。そのことは,時とともにいよいよはっきりしてくる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.393-394


自分の正しさを信じる必要性

 この残虐行為はたんに正しいというだけではない。殺した相手よりも自分のほうが,倫理的社会的文化的に勝っている証拠なのだと,兵士はそう信じなければならない。残虐行為は相手の人間性を否定する究極の行為であり,殺人者の優越を肯定する究極の行為である。これと相いれない考え,すなわち自分は過ちを犯したのだという考えを,殺人者は力づくで抑えこまねばならないそしてさらに,この信念を脅かすものには,それがなんであれ激しく攻撃を加えねばならない。殺人者の精神の健康は,自分の行いが善であり正義であると信じられるかどうかにかかっているのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.337


外見の違いと殺人への抵抗

 この現象はまた正反対の方向にも働く。自分と外見がはっきり違う人間は,非常に殺しやすくなるのである。組織的なプロパガンダによって,敵はほんとうは人間ではなくて<劣った生命形態>であると兵士に信じさせることができれば,同種殺しへの本能的な抵抗感は消えるだろう。人間性を否認するため,敵は<グック(東洋人の蔑称)>,<クラウト(ドイツ兵の蔑称)>,<ニップ(日本人の蔑称)>などと呼ばれる。ベトナムでは,<ボディカウント(敵の戦死者数)>的思考回路がこの現象を助長していた。敵をたんなる数として呼び,また考えるのである。あるベトナム帰還兵によれば,そのおかげで北ベトナム軍兵士やベトコンを「蟻を踏みつぶす」ように殺すことができたという。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.269


匿名性が殺人を可能にする

 義務感の発生に加えて,集団また匿名性の感覚を育てることで殺人を可能にする。この匿名性の感覚はさらに暴力を助長する。場合によっては,この集団匿名性という現象は,先祖返り的な一種の殺人ヒステリーをうながすようだ。このような例は動物界にも見られる。1972年のクラックの研究には,無意味で不気味な殺生が動物界でも現実に起きていることを示す例があがっている。たとえば,必要以上の,あるいは食べられる以上の数のガゼルを殺すハイエナ,嵐の夜の飛べないカモメを<いいカモ>として,食べきれないほどに殺すキツネなど。シャリットはこう指摘する。「人間界でもたいていそうだが,動物の世界に見られるこのような無意味な暴力は,個ではなく集団によって行われる」。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.255-256


処刑を行いやすくする

 ナチやコミュニストや暗黒街の処刑は,伝統的に後頭部に銃弾を撃ち込むという方法で行われてきたが,その理由も右に述べた現象で説明できる。絞首刑や銃殺刑を行うとき,囚人に目隠しをしたりフードをかぶせる理由もわかる。1979年のミロンおよびゴールドスタインの研究によれば,フードをかぶせられているとき,誘拐の犠牲者は殺される危険性がずっと高くなるという。これらの例からわかるのは,フードや目隠しの存在は処刑を行いやすくし,死刑執行人の精神の健康を守るのに役立つということだ。犠牲者の顔を見なくてすむことが一種の心理的な距離をもたらし,そのことが銃殺の執行を可能にし,同種である人間を殺したという事実の否認,合理化,受容という事後のプロセスを容易にするのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.225


銃剣戦の心理要素

 銃剣戦には重要な心理的要因が3つ関わってくる。第1に,銃剣距離まで敵に接近した場合,兵士のほとんどは敵を串刺しにしようとはせず,銃床またはその他の手段によって敵を戦闘不能にしたり,負傷させたりする。第2に,銃剣を使用した場合,それが近距離で生じる行為であるために,その状況には深刻なトラウマの可能性がひそんでいる。そして第3に,銃剣で人を殺すことへの抵抗感は,そんな殺されかたにたいする恐怖と完全に等価である。銃剣突撃の際には,実際に銃剣と銃剣を交える前にどちらかの側がかならず逃げ出してしまうが,それはこの嫌悪感と恐怖のためなのだ。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.215


重大さを否認する用語

 兵士の使うことばにさえ,自分たちの行為の重大性への否認が満ち満ちている。兵士は「殺す」のではなく,敵を倒し,やっつけ,片づけ,ばらし,始末する。敵は掃討され,粉砕され,偵察され,ぶっ飛ばされる。敵の人間性は否定され,クラウト(ドイツ兵),ジャップ,レブ(南軍兵),ヤンク(北軍兵),ディンク(広く有色人種への蔑称。とくにベトナム兵),スラント(東洋人の蔑称),スロープ(東洋人の蔑称)という奇妙なけだものに変わる。戦争では武器さえおとなしい名称を与えられる――パフ・ザ・マジック・ドラゴン(ベトナム戦時の戦闘ヘリの愛称),ウォールアイ(初期のスマート爆弾),TOW(対戦車有線誘導ミサイル),ファットボーイとシンマン(どちらも原子爆弾)など。そして個々の兵士の武器はただの<もの(ピース)>か<豚(ホグ)>になり,銃弾は<たま(ラウンド)>になる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.171-172


殺人への抵抗と顔を見るストレス

 戦闘経験者と戦略爆撃の犠牲者は,どちらも同じように疲労し,おぞましい体験をさせられている。兵士が経験し,爆撃の犠牲者が経験していないストレス要因は,(1)殺人を期待されているという両刃の剣の責任(殺すべきか,殺さざるべきかという妥協点のない二者択一を迫られる)と,(2)自分を殺そうとしている者の顔を見る(いわば憎悪の風を浴びる)というストレスなのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.133


殺人への抵抗

 グレイは言う。「良心に反する行為を命じられた兵士が抱く疑問,そこに始まる戦争にたいする感情の論理は,ついにはここまで達するのである」。このプロセスが続けば,「良心に従って行動することができないという意識から,自分自身に対する嫌悪感にとどまらず,人類全体に対するこの上なく激しい嫌悪感が生じる場合がある」。


 人間の身内にひそんで,同類である人間を殺すことへの強烈な抵抗を生み出す力,その本質を理解できるときはこないのかもしれない。しかし理解はできなくても感謝することはできる。この力があればこそ,人類はこれまで存続してきたのだ。戦争に勝つことが務めである軍の指揮官は悩むかもしれないが,ひとつの種としては誇りに思ってよいことだろう。


 殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが,本能的,理性的,環境的,遺伝的,文化的,社会的要因の強力な組み合わせの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在する力の確かさが,人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.96-97


「単純で重要な問題ほど問われることが少ない」

 人間は基本的に,自分に最も身近なことを認識できない。哲学者と心理学者はこのことを早くから知っていた。サー・ノーマン・エンジェルはこう述べている。「単純で重要な問題ほど問われることが少ない。これは,人間の奇妙な知の歴史とじつによく符合している」。哲学者にして軍人でもあったグレン・グレイは,第二次大戦での個人的な体験に基づいてこう述べている。「自分自身について,そしてまたわれわれのしがみついているこの回転する地球について,あくまでも自分を見失うことなく追究し,ついに真実に到達できる人間はほとんどいない。戦争中の人間はとくにそうである。偉大なる軍神マルスは,その領域に足を踏み入れた者の目をくらませようとする・そして出てゆこうとする者には,寛容にも忘却の川(レーテー)の水を手渡してくれるのだ」。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.87-88


殺しを避けようとする

 ごくふつうの人間は,なにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。このことはしかし,戦場の心理的・社会的圧力の研究ではおおむね無視されてきた。同じ人間と目と目が会い,相手を殺すと独自に決断を下し,自分の行動のために相手が死ぬのを見る――戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで,これこそ最も根源的かつ基本的な,そして最も心的外傷(トラウマ)を残しやすい体験である。このことがわかっていれば,戦闘で人を殺すのがどんなに恐ろしいことか理解できるはずだ。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.84


実際の発砲は一部

 第二次世界大戦中の資料にかぎらず,無数の歴史資料が伝えているのはこういうことだ。すなわち,先填め式マスケット時代,ほとんどの兵士は戦闘中にせっせと別の仕事をしていたのである。ずらりと並んだ兵士が敵に発砲するというイメージは,南北戦争に従軍した兵士の生々しい証言にひっくり返される。これはグリフィスが著書に引いているもので,アンティータム(南北戦争激戦地)の戦いについて語ったことばである。「さあ大変だ。こうなったら兵卒も将校も……そのへんの烏合の衆と変わりやしない。早く銃を打とうとあわてまくって,みんながてんでに弾薬包を破り,弾丸を填め,銃を仲間に渡したり,発砲したりする。その場に倒れるやつもいれば,まわれ右してとうもろこし畑に逃げ込むやつもいる」。


 これが,記録に繰り返し現れる戦闘の姿なのだ。マーシャルの第二次世界大戦の研究でも,この南北戦争の描写でも,実際に敵に発砲しているのはごく一部の兵士だということがわかる。ほかの兵士たちは弾薬をそろえたり,弾丸を装填したり,仲間に銃を手渡したり,あるいはどこへともなく消え失せたりしていたのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.69


誤ったモデルの当てはめ

 戦場の人間心理が誤解されてきた根本原因をあげるとすれば,ひとつには戦場のストレスに闘争・逃避モデルを誤って当てはめたせいだ。闘争・逃避モデルとは,危険に直面した生物は,生理的・心理的な一連のプロセスを経て,闘争または逃避にそなえて態勢を整えるという考えかたである。この闘争か逃避かという二分法は,危険に直面した生物の選択肢としては適切ではあるが,ただ例外がある。その危険が同種の生物に由来する場合だ。同種の生物から攻撃された場合の反応には,威嚇と降伏という選択肢が加わるのである。動物界に見られるこの同種間の反応パターン(すなわち闘争,逃避,威嚇,降伏)を人間の戦争行為に応用するというのは,私の知るかぎりではまったく新しい試みである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.46


背景に基づく空想

想像力豊かな人はよく夢のなかでひらめきを得るが,だからといって夢を見ること自体を創造的な活動と考えるのは正しくない。教育論について著書のある教師のデイジー・クリストドゥルは,生徒に「デザイナーのように考える」ことを求め,空想にふけるように指導する学校の取組を紹介して支持している。彼女が指摘するように,専門家と素人では空想にふけるといってもその中身はまるでちがう。熟練デザイナーの場合,膨大な量の背景知識と身に染みついた経験が蓄えられているため,それが空想へと流れ込んでくるのだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.239-240

無知なのに満足しやすい状況

インターネットはますます使いやすくなっているが,必ずしも私たちの好奇心をかき立てるものには進化していない。好奇心は答えの見えない疑問によって支えられているが,グーグルにはあらゆる答えがある。「わからない」とは決して言わない。情報という観点から見るなら,私たちはそのせいで「無知なのに満足」しやすい状態に,つまり自分がまだ知らないことにまるで無関心でいることが多くなっている。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.140

パズルとして考える人々

私たちはこのような文化的圧力に抵抗しなければならない。パズルは完全に的が外れているときでさえ,問題を解決する満足感をもたらす。物事をパズルとしてしか考えられない社会や組織は自らが設定したゴールによって視界をさえぎられ,将来の可能性に意識を向けることができない。人生のあらゆる問題をパズルと考えようとする人々は,単純明快な解が得られないと当惑し,フラストレーションを感じるだろう(そんなときは自己啓発の権威も助けにはならない)。ミステリーはパズルより難しいが持続性がある。ミステリーによって持続的な好奇心が刺激されると,私たちは自分の知らないことに意識を集中し続けることができる。そして好奇心は,暗闇のなかで手探りしているときも,「充実感と意欲」を保つ原動力になるのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.103-104

空白の自覚

好奇心を抱くには,つまり情報の空白を埋めたいという衝動に駆られるには,その前提として自分の知識に空白があることを自覚しなければならない。ところが困ったことに,人は自分が何でも知っていると思い込んでいることが多い。心理学者はこれを「過信効果」と呼ぶ——私たちはたいてい,自分が車のドライバーとして,親として,あるいはパートナーとして平均以上だと自負している。自分の知識に関する自己評価についてもそうだ。人は自分のもつ情報に空白があるという事実になかなか気づかない。そのため,もっと好奇心をもつべき状況であっても,無関心になりがちなのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.86

知れば好奇心が出てくる

私たちはある事柄について知れば知るほど,知らない領域について強い好奇心を抱くようになる。ダニエル・バーラインは被験者に動物に関する質問を投げかけ,それぞれの質問について,どのくらい答えを知りたいか聞いた。その結果,もっとも関心が高いのはもともと知識のある動物だった。ローウェンスタインもまた,示唆に富む実験結果を示している。被験者はアメリカの州のうち3つの州都を知っていると,自分には知識があると考える傾向がみられるという(「私は州都を3つ知っている」)。ところが47の州都を知っている場合,3つの州都を知らないと考える。そして残りの3つを知りたいと思い,実際に知る努力をすることになる。好奇心は知識に連動して高まる性質があるようだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.84-85

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