I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

色の温度

 もちろん,こうした特殊な例は別として,我々は赤,オレンジ,黄を暖色として,青と紫を寒色として認識している。緑は「ぬるい色」,つまり暖色でも寒色でもない色とみなされる。人間の目に見える光スペクトルの中央に位置するからだ。ただし,知っておいてほしいが,これは我々の感覚であり,物理的な観点からは間違っている。


 色の温度についてのこの概念は,非常に重要である。なぜならば,脳による色の認識は,温度によって異なるからだ。我々は日頃から,ろうそくの光と電球の光と「陽の光」を区別している。いや,より正確に「晴れた日の昼間の光」と定義することも可能だ。朝の美しい色だの,冬の美しい色だのといった表現を聞くこともあるだろう。決して誇張ではなく,レモンは赤い光の中では白く見えて,緑色の光の中では茶色に見える。レモンが「レモン色」に見えるのは「白い」光の中で見たときだけなのだ……。



ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.28


理性の教育を

 言い換えれば,現代的な心の習慣は,単に現代生活に適応するのに役立つだけでなく,成熟した道徳的推論によって現代世界を改善することにも役立つのである。心の習慣はマーティン・ルーサー・キングと共に自由に向かって行進することの意義や,ベトナムやイラク・アフガニスタンで外国人を殺害したことの見返りとして受けたダメージを真剣に受け止めることの大切さを教えてくれる。「ベトナムを爆撃して石器時代にしてやる」と言う将軍は,今時いないであろう。もちろん私は,すべての人が人種差別やナショナリズムや残酷さから脱却するための最初の一歩を踏み出したわけではないことを知っているし,多くの要因が偏見を見えにくくしていることにも気づいている。しかしながら,道徳哲学の研究と教育に人生のすべてを捧げ,1957年に南部でその仕事を開始した者として,私は偏見を減らすためには理性の教育こそが重要であることを知っている。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.


個人と社会の増幅器

 バスケットボールのスキルの上達に及ぼす遺伝子と環境の影響力は,2種類の増幅器の作動の仕方に依存している。まず,個々人の生育史におけるスキルの向上は,個人的増幅器の作動によって生じる。つまり,平均より少しだけ優れた遺伝子が,それと適合する優れた環境因子を取り込むことによって,次第にスキルが向上する。一方,時代に伴う集団としてのスキルの向上は,社会的増幅器が作動することによって生じる。つまり,同じ集団内の成員が互いに切磋琢磨することによって,集団全体の平均的なスキルの水準を,より高い水準へと向上させる。


 私は,この増幅器のアナロジーは本質を明確に捉えていると思っている。別々の環境で育った一卵性双生児が,何らかの点で平均よりも少し優れた認知的能力の遺伝子を持っていたとしよう(もちろん劣っている場合もあり得る)。そして,もし平均よりも優れていれば,その一卵性双生児の少し優れた遺伝子は,その遺伝子と適合する優れた認知的環境を取り入れるように働き始める。すなわち,個人的増幅器が作動し始めることによって,それに気づいた教師との出会い,優れた仲間との相互作用,優秀な能力別クラス,より優秀な高校や大学への進学などの優れた環境要因が,彼らの認知能力を向上させるのである。だが時代とともに,様相は違ってくる。学校教育の期間が8年から12年へ,さらに12年以上(大学)へと長くなったことは,社会全体としての人知的能力の水準を向上させるだろう。すなわち,社会的増幅器が作用し始めたのである。


 要するに2つの増幅器は,どちらも働いている。別々の環境で育った一卵性双生児のIQの一致度が高いことは,決して環境の影響を否定しているわけではない。他方,環境の影響によって時代とともに集団としてのIQが向上したことは,決して遺伝子の影響を否定しているわけではない。なぜなら遺伝子と環境は,どちらもIQの個人差を説明するためにも,時代とともにIQの集団差が出てくることを説明するためにも,重要な役割を果たすからである。つまり,親族研究の研究者たちがこぞって否定する環境の影響は,常に存在しているのである。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.11-12


保守と独創

 以上の実験結果からすると,秩序は前例を優先させる保守的な傾向と,いっぽう無秩序は新しいことに重きを置く独創的な傾向と結びついているようだ。もしあなたが十年一日のごとく同じことを繰り返していて,そんな状況を打破したいと思っているのなら,家でも職場でも思いきって日課をさぼり,何もしない時間を過ごしてみてはどうだろう。その結果まわりが散らかってくれば,持ち前の創造性が目を覚まし,習慣から自由になって新しいことが発見できるかもしれない。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.212


単純接触効果

 繰り返しの接触は高感度を引き上げる。この傾向は心理学では「単純接触効果」と呼ばれ,顔だけでなく写真や音,形状,名称,さらには造語まで,以前に接したことがあるものは好ましく感じる。シェフィールド・ハラム大学が行なった実験では,ユーロヴィジョン・ソング・コンテストのような権威ある催しでも,この効果が見られることがわかった。


 ユーロヴィジョン・ソング・コンテストは参加国が年々増えている人気イベントだ。規模が大きくなりすぎて,2004年からは参加回数の少ない国だけで準決勝が実施されることになった。長い出場歴を誇る国は準決勝が免除され,いきなり決勝に進むことができる。そのため審査員は,一部の参加国の演奏を準決勝と決勝の二度にわたって聴くことになった。審査結果を分析したところ,準決勝出場国ほど得点が高くなる傾向が明らかになった――まさに単純接触効果だ。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.153-154


スピードを出さなくても面白い運転とは

 スピード走行がたまらない魅力に感じるのは,衝突事故の危険に対する認識がなく,退屈なドライブをもっとおもしろく,楽しくしたいと思う運転者だ。とすれば,スピードの出しすぎが危険であるという知識を普及させ,同時に運転をおもしろくする別の方法を考案すれば,楽しさを損なわずに公道の安全性を高めることができそうだ。だが,運転者の興味と挑戦意欲をかきたてる斬新かつ安全な方法はあるだろうか。それをひねり出すのも挑戦だ。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.138-139


クーリッジ効果

 クーリッジ大統領夫妻は,とある農場にたびたび姿を見せていた。ただし二人いっしょではない。それぞれ好きな場所があって,ちがう日に訪れては案内してもらっていたのだ。養鶏場にやってきた大統領夫人は,雄鶏がさかんに雌鶏にのしかかる姿を目の当たりにした。交尾が1日数十回にもなると知って驚いた婦人は,大統領が来たらその話をしてくれと冗談で頼んだ。そのことを聞いた大統領の切り返しは,シンプルでありながら実に鋭かった。相手はいつも同じ雌鶏かとたずねたのだ。ちがうという答えに,大統領はこう言った――家内にその話をしてやってくれ。


 さて,クーリッジ効果という言葉がある。もちろん合衆国第30代大統領にちなんで名づけられたわけだが,工業や経済に関するものではないし,優れた指導力の代名詞でもなく,実は性行動の一現象を表わす用語だ。交尾を繰り返して消耗し,いままでのメスでは無反応になったオスでも,新しいメスの登場でがぜんよみがえるというものである。専門的に言うなら,相手が変わることで不応期(交尾終了後,ふたたび交尾可能になるまでの時間)が短縮されるということになる。この現象は,1960年代にカリフォルニア大学の研究で確認された。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.34


顔と個性

 「顔は体の中で最も情報が密集した部分だ」と,ドン・サイモンズがある日私に語った。そして左右対称でない顔ほど魅力に欠ける。しかし,左右対称さが醜さの共通した理由ではない。完璧に均整のとれた顔でありながら,それでもなお醜い人は多い。美貌のもう1つ注目すべき特徴は,平均的な容貌は極端な容貌より美しいという点である。1883年にフランシス・ゴルトンは,数人の女性の顔を合成した写真は,合成に使用したどの個人の顔よりも美しいとみなされるということを発見した。最近になって同種の実験が,女子大生の写真をコンピュータで合成して行われた。イメージに投入する顔が多ければ多いほど,美しい女性が出現するのである。確かにモデルの顔は,驚くほど記憶に残らない。雑誌の表紙で毎日お目にかかったとしても,ほとんどのモデルの顔は覚えられないのだ。政治家の顔は,定義上,平均的な顔ではまずない。個々の要素が平均的で,欠点のない顔ほど美しいが,そうであるほど持ち主の個性を語らない。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.468


条件づけによる訓練

 今日の(そしてベトナム時代の)アメリカ陸軍および海兵隊で兵士の訓練に用いられている方法は,まさに条件づけ技術の応用そのものだ。これによって養われるのは,反射的な<早撃ち>の能力である。とはいえ,この方面での兵士の訓練に,だれかが意図的にオペラント条件づけや行動修正技術を応用したとは考えられない。これはまずまちがいないと思う。私は20年軍籍にあるが,兵卒,軍曹,将校のだれひとり,あるいは官民とわず関係者のだれひとり,射撃訓練で条件づけが行われていると口にした者も,あるいは理解していた者もいない。しかし,歴史学者であり職業軍人でもある心理学者の立場から見ると,そこで行われているのがまさに条件づけなのは火を見るより明らかだ。そのことは,時とともにいよいよはっきりしてくる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.393-394


自分の正しさを信じる必要性

 この残虐行為はたんに正しいというだけではない。殺した相手よりも自分のほうが,倫理的社会的文化的に勝っている証拠なのだと,兵士はそう信じなければならない。残虐行為は相手の人間性を否定する究極の行為であり,殺人者の優越を肯定する究極の行為である。これと相いれない考え,すなわち自分は過ちを犯したのだという考えを,殺人者は力づくで抑えこまねばならないそしてさらに,この信念を脅かすものには,それがなんであれ激しく攻撃を加えねばならない。殺人者の精神の健康は,自分の行いが善であり正義であると信じられるかどうかにかかっているのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.337


外見の違いと殺人への抵抗

 この現象はまた正反対の方向にも働く。自分と外見がはっきり違う人間は,非常に殺しやすくなるのである。組織的なプロパガンダによって,敵はほんとうは人間ではなくて<劣った生命形態>であると兵士に信じさせることができれば,同種殺しへの本能的な抵抗感は消えるだろう。人間性を否認するため,敵は<グック(東洋人の蔑称)>,<クラウト(ドイツ兵の蔑称)>,<ニップ(日本人の蔑称)>などと呼ばれる。ベトナムでは,<ボディカウント(敵の戦死者数)>的思考回路がこの現象を助長していた。敵をたんなる数として呼び,また考えるのである。あるベトナム帰還兵によれば,そのおかげで北ベトナム軍兵士やベトコンを「蟻を踏みつぶす」ように殺すことができたという。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.269


匿名性が殺人を可能にする

 義務感の発生に加えて,集団また匿名性の感覚を育てることで殺人を可能にする。この匿名性の感覚はさらに暴力を助長する。場合によっては,この集団匿名性という現象は,先祖返り的な一種の殺人ヒステリーをうながすようだ。このような例は動物界にも見られる。1972年のクラックの研究には,無意味で不気味な殺生が動物界でも現実に起きていることを示す例があがっている。たとえば,必要以上の,あるいは食べられる以上の数のガゼルを殺すハイエナ,嵐の夜の飛べないカモメを<いいカモ>として,食べきれないほどに殺すキツネなど。シャリットはこう指摘する。「人間界でもたいていそうだが,動物の世界に見られるこのような無意味な暴力は,個ではなく集団によって行われる」。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.255-256


処刑を行いやすくする

 ナチやコミュニストや暗黒街の処刑は,伝統的に後頭部に銃弾を撃ち込むという方法で行われてきたが,その理由も右に述べた現象で説明できる。絞首刑や銃殺刑を行うとき,囚人に目隠しをしたりフードをかぶせる理由もわかる。1979年のミロンおよびゴールドスタインの研究によれば,フードをかぶせられているとき,誘拐の犠牲者は殺される危険性がずっと高くなるという。これらの例からわかるのは,フードや目隠しの存在は処刑を行いやすくし,死刑執行人の精神の健康を守るのに役立つということだ。犠牲者の顔を見なくてすむことが一種の心理的な距離をもたらし,そのことが銃殺の執行を可能にし,同種である人間を殺したという事実の否認,合理化,受容という事後のプロセスを容易にするのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.225


銃剣戦の心理要素

 銃剣戦には重要な心理的要因が3つ関わってくる。第1に,銃剣距離まで敵に接近した場合,兵士のほとんどは敵を串刺しにしようとはせず,銃床またはその他の手段によって敵を戦闘不能にしたり,負傷させたりする。第2に,銃剣を使用した場合,それが近距離で生じる行為であるために,その状況には深刻なトラウマの可能性がひそんでいる。そして第3に,銃剣で人を殺すことへの抵抗感は,そんな殺されかたにたいする恐怖と完全に等価である。銃剣突撃の際には,実際に銃剣と銃剣を交える前にどちらかの側がかならず逃げ出してしまうが,それはこの嫌悪感と恐怖のためなのだ。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.215


重大さを否認する用語

 兵士の使うことばにさえ,自分たちの行為の重大性への否認が満ち満ちている。兵士は「殺す」のではなく,敵を倒し,やっつけ,片づけ,ばらし,始末する。敵は掃討され,粉砕され,偵察され,ぶっ飛ばされる。敵の人間性は否定され,クラウト(ドイツ兵),ジャップ,レブ(南軍兵),ヤンク(北軍兵),ディンク(広く有色人種への蔑称。とくにベトナム兵),スラント(東洋人の蔑称),スロープ(東洋人の蔑称)という奇妙なけだものに変わる。戦争では武器さえおとなしい名称を与えられる――パフ・ザ・マジック・ドラゴン(ベトナム戦時の戦闘ヘリの愛称),ウォールアイ(初期のスマート爆弾),TOW(対戦車有線誘導ミサイル),ファットボーイとシンマン(どちらも原子爆弾)など。そして個々の兵士の武器はただの<もの(ピース)>か<豚(ホグ)>になり,銃弾は<たま(ラウンド)>になる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.171-172


殺人への抵抗と顔を見るストレス

 戦闘経験者と戦略爆撃の犠牲者は,どちらも同じように疲労し,おぞましい体験をさせられている。兵士が経験し,爆撃の犠牲者が経験していないストレス要因は,(1)殺人を期待されているという両刃の剣の責任(殺すべきか,殺さざるべきかという妥協点のない二者択一を迫られる)と,(2)自分を殺そうとしている者の顔を見る(いわば憎悪の風を浴びる)というストレスなのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.133


殺人への抵抗

 グレイは言う。「良心に反する行為を命じられた兵士が抱く疑問,そこに始まる戦争にたいする感情の論理は,ついにはここまで達するのである」。このプロセスが続けば,「良心に従って行動することができないという意識から,自分自身に対する嫌悪感にとどまらず,人類全体に対するこの上なく激しい嫌悪感が生じる場合がある」。


 人間の身内にひそんで,同類である人間を殺すことへの強烈な抵抗を生み出す力,その本質を理解できるときはこないのかもしれない。しかし理解はできなくても感謝することはできる。この力があればこそ,人類はこれまで存続してきたのだ。戦争に勝つことが務めである軍の指揮官は悩むかもしれないが,ひとつの種としては誇りに思ってよいことだろう。


 殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが,本能的,理性的,環境的,遺伝的,文化的,社会的要因の強力な組み合わせの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在する力の確かさが,人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.96-97


「単純で重要な問題ほど問われることが少ない」

 人間は基本的に,自分に最も身近なことを認識できない。哲学者と心理学者はこのことを早くから知っていた。サー・ノーマン・エンジェルはこう述べている。「単純で重要な問題ほど問われることが少ない。これは,人間の奇妙な知の歴史とじつによく符合している」。哲学者にして軍人でもあったグレン・グレイは,第二次大戦での個人的な体験に基づいてこう述べている。「自分自身について,そしてまたわれわれのしがみついているこの回転する地球について,あくまでも自分を見失うことなく追究し,ついに真実に到達できる人間はほとんどいない。戦争中の人間はとくにそうである。偉大なる軍神マルスは,その領域に足を踏み入れた者の目をくらませようとする・そして出てゆこうとする者には,寛容にも忘却の川(レーテー)の水を手渡してくれるのだ」。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.87-88


殺しを避けようとする

 ごくふつうの人間は,なにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。このことはしかし,戦場の心理的・社会的圧力の研究ではおおむね無視されてきた。同じ人間と目と目が会い,相手を殺すと独自に決断を下し,自分の行動のために相手が死ぬのを見る――戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで,これこそ最も根源的かつ基本的な,そして最も心的外傷(トラウマ)を残しやすい体験である。このことがわかっていれば,戦闘で人を殺すのがどんなに恐ろしいことか理解できるはずだ。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.84


実際の発砲は一部

 第二次世界大戦中の資料にかぎらず,無数の歴史資料が伝えているのはこういうことだ。すなわち,先填め式マスケット時代,ほとんどの兵士は戦闘中にせっせと別の仕事をしていたのである。ずらりと並んだ兵士が敵に発砲するというイメージは,南北戦争に従軍した兵士の生々しい証言にひっくり返される。これはグリフィスが著書に引いているもので,アンティータム(南北戦争激戦地)の戦いについて語ったことばである。「さあ大変だ。こうなったら兵卒も将校も……そのへんの烏合の衆と変わりやしない。早く銃を打とうとあわてまくって,みんながてんでに弾薬包を破り,弾丸を填め,銃を仲間に渡したり,発砲したりする。その場に倒れるやつもいれば,まわれ右してとうもろこし畑に逃げ込むやつもいる」。


 これが,記録に繰り返し現れる戦闘の姿なのだ。マーシャルの第二次世界大戦の研究でも,この南北戦争の描写でも,実際に敵に発砲しているのはごく一部の兵士だということがわかる。ほかの兵士たちは弾薬をそろえたり,弾丸を装填したり,仲間に銃を手渡したり,あるいはどこへともなく消え失せたりしていたのである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.69


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