I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

ちょうどいい場所

確かに,何も知らないことについて頭を働かせるのは難しい。それが面白いことだと想像できないからだ。あるいは,学び始めたら壮大さや難しさのせいで挫折するのではないかと怖じ気づいてしまうこともある。反対に,すでに知り尽くしているという自負がある事柄については,さらに知りたいとは思わないだろう。これら2つの領域の中間にあるのが,学習意欲を研究する専門家たちが「学習の最近接領域」と呼ぶものである。ここではわかりやすいように「好奇心の領域」と呼ぶことにしよう。好奇心の領域はすでに知っている領域の先と,十分に知っていると感じている領域の手前にある。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.83

内部妥当性・外的妥当性

これは重大な問題だが放置されている,本当に恐ろしい問題である。そもそも私が実験心理学に魅了されたのは,内部妥当性と呼ばれる厳密さのためであった。内部妥当性の判断基準は対照実験を行うことにある。実験を通して何が何を引き起こすかが分かるからだ。
 火によって水は沸騰するか?火をつければ水は沸騰する。火(対照群)がなかったら水は沸騰しない。制御不能な,悪い出来事によって腫瘍の成長が促されるのか?ラットのグループに逃避不可能なショックを与え,もう1つのグループに同様の逃避不可能なショックを与えて,これら2つのグループとショックを受けないグループとを比較してみる。逃避不可能なショックを受けるラットの腫瘍は大きな割合で成長する。したがって,逃避不可能なショックがラットの腫瘍を増殖させた,というわけだ。だが,この結果は,人間のガンの原因について何を教えてくれるだろうか?無力感が人間のガンにどう影響するかについては?これは,外的妥当性の問題だ。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.338-339

兵士の健康度

うまくいけば,基礎研究と応用研究は共生する。両戦争の後,心理学が大きく急成長を遂げたのはおそらく偶然の一致ではない。第一次世界大戦中のアセスメントは一般的な能力に注目したもので,第二次世界大戦中のアセスメントは態度と特定の能力とに注目したものだった。総合的兵士健康度プログラムは強みに注目する。そしておそらく,このプログラムによって,どの兵士が優れた働きをするかを測定して予測することに成功すれば,かつての心理学に似た急発展が望めることになるだろう。そのようなことになれば,GATが企業,学校,警察,消防署,病院など,業績のよい,ありとあらゆる現場で活用されることが予想される。そのような現場は,業績の悪さを完全に排除したり,矯正したりするのとは対照的に,そのよさを認められ,賛美され,奨励されることになるだろう。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.227

新たな繁栄のあり方

従来の繁栄は経済的富と同一視された。この定式に基づき,富裕国では一般的に,私たちの世代が,親の世代よりも暮らしぶりがよくなる最後の世代であろうと言われている。これはお金に関しては当てはまるかもしれないが,はたして,すべての親が子どもに望むのはもっとお金を稼ぐことなのだろうか?私はそうは思わない。親が自分の子どもに望むのは,自分よりもウェルビーイングを多く享受することであろう。ここに,子どもが親よりもよい生活を享受できるという希望が生まれる。
 新たな繁栄のあり方を考えるべき時代に来たのだ。教育や育児の目標として,持続的幸福について真剣に考えてみるべきときが。持続的幸福を重視し,実現することを学ぶためには,早期,すなわち学校教育における学童の人格形成期に始めなければならない。ポジティブ教育によって可能となるこの新しい繁栄こそが,世界が今選択することのできる道である。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.173

PERMA

ウェルビーイング理論についてまとめてみよう。ウェルビーイングとは構成概念である。そして,幸せではなく,ウェルビーイングこそが,ポジティブ心理学のテーマである。ウェルビーイングでは5つの測定可能な要素(PERMA)が考察対象となる。

 P: ポジティブ感情(Positive Emotion)(幸福と人生の満足度が要素として含まれる)
 E: エンゲージメント(Engagement)
 R: 関係性(Relationships)
 M:意味・意義(Meaning)
 A: 達成(Achievement)

 どれ1つとして単独でウェルビーイングを定義する要素はないが,各要素がウェルビーイングに寄与する。これら5つの要素には,自己報告で主観的に測定される側面と,客観的に測定される要素とがある。
 対照的に,幸福理論では,幸せがポジティブ心理学の最重要項目として扱われる。幸せは実在するものであり,人生満足尺度によって定義される。幸せには,ポジティブ感情,エンゲージメント,意味・意義の3つの側面があり,それぞれが人生の満足に関係し,すべて主観的な自己報告によって測定される。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.48-49

Well-being

ウェルビーイングとは,まさにその構成からして「天気」や「自由」のようなものだ。1つの尺度だけでは完全には定義しきれない(「完全に定義する」を専門用語では「操作可能」と言う)。だが,いくつかのものがウェルビーイングに関係しているのであって,それらがウェルビーイングの要素であり,それぞれ測定できるものだ。
 対照的に,幸福理論では,人生の満足度が幸せを操作するが,それはちょうど気温と風速が体感温度を決めるようなものだ。ここで肝要なのは,ウェルビーイングの要素そのものが異なる種類のものだ,ということだ。ウェルビーイングの要素の場合には,最初の幸福理論のように,ポジティブ感情,エンゲージメント,意味・意義をめぐる思考や感情についての自己報告にとどまらない。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.32

ポジティブ心理学の目標

ポジティブ心理学の目標は,地球上で人生の満足量を増やすという基準に依っている。だが,結果的に分かったのは,人々が報告する人生の満足度とは,質問されたまさにその瞬間に,“自分がどれくらいよい気分でいるか”に左右される,ということだった。多くの人に平均して見られることだが,人生の満足度をどう報告するかは,その70パーセント以上がそのときどきの気分で決まるのであり,頭で“判断”する割合は30パーセントにも満たない。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.28-29

全身全霊で聴く

一般的にほとんどの人は,注意が思考で占められ,実は聴いていない。相手の話よりも自分の考えに気持ちがいってしまい,言葉の奥底にある相手の存在というような,本当に重要なことにはまったく注意が向けられていない。
 そこで私は,頭だけで聞こうとせずに,全身全霊で聴くようにと訴えてきた。そうすることで注意は自分の思考を離れ,いろいろな思いに邪魔されることなく本当に聞くことができる静かな空間が生まれる。すると,相手に場所を作ってあげられる。それはただ,存在するためだけの場所だ。そしてそれこそが,自分が与えられるもっとも貴重な贈り物であり,他者とのつながりに気づく始まりなのである。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.200

ラベルへのしがみつき

ラベルにしがみつくのは破壊行為である。それは,自分を互いに分離する壁を打ち立てる行為である。それなのに私たちは各々のやり方で,世界を「私たち」と「彼ら」に分けている。これは非人間的プロセスで,恐れや暴力へと通じかねない。私にとって「彼ら」とは軍隊的なものだった。軍隊を邪悪で間違った,世界の破壊者だと考えていたのである。
 私が軍隊のために働くようになった経緯についてはすでに述べたが,それはまったく人生観を変える出来事だった。いかに「彼ら」が自分と同じ普通の人間であるかを教えられたのである。彼らは生き延びる方法,人々を助ける方法について違う考えを持っていた。私はその考え方には賛成できなかったが,理解しようと励み,共感しようと努めた。そして,力による問題解決を試みることへとつながりかねない,同じような感情や考えは私自身の中にもあることを知った。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.153-154

確証バイアス

他者の評判や自分の偶然体験にもとづいてお守りの効果を信じてしまったり,認知的不協和の解消のために効果を信じたくなったりすると,「確証バイアス」が生じる。効果があると確証できるような事例ばかりが,見えてくるのである。これは認知の偏り(バイアス)であって,実態を覆い隠してしまう。
 さらに問題なことには,効果がないと反証できるような事例でさえも,確証として解釈されることもある。たとえば,お守りを身につけていたのに交通事故にあった場合,「身につけていなければもっと大けがになっていたところを守ってくれた」と解釈し,効果の確証になってしまうのだ。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 68-69

金縛りと体脱体験

以上のことをふまえると,金縛りのときに体脱体験が起きやすいのは,実際に手足が動かない状態で「自分」の感覚だけが明晰になっているからにちがいない。肉体の位置に「自分」を想定しても,肉体は動かないので意味がないのだ。いっそのこと,肉体を抜け出した位置に「自分」を想定しよう。そのほうが自由に動ける気がして何かと便利だ,と「自分」が思うのだろう。そしてそれが,体脱体験として実感されるのだ。
 さらに,体脱体験の根源は,非常時のための脳活動にあるとも推測できる。体脱体験は金縛り時だけでなく,交通事故で瀕死の重傷を負ったときや,重大な病気になり病院のベッドで苦しんでいるときにも起きやすい。あれこれ悩んでもしかたがないときに,「自分」という意識を肉体から解放する脳活動が存在しているようだ。これは,もはや原始的な肉体の治癒能力にゆだねるしかないという,脳の高度な状況判断なのかもしれない。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 37-38

科学と疑似科学

間違った法則にのっとって地面を掘るとおいしいイモはとれない。しかし,おかまいなしに掘ってもおいしいイモはとれないので,結局どちらでも同じである。つまり,失敗は常につきものなのであって,正しい法則を見つけられれば儲けもの,ということだ。
 こうして人類は,過剰に法則をつくるようになったのだ。進化生物学の言葉で厳密に表現すれば,過剰に法則を作る人が現れた集団が食料調達能力を向上させ,その集団が生きのびる確率が高まったのである。
 これが疑似科学信奉の起源である。
 生き延び続けた集団の末裔である私たちも,過剰に法則をつくる傾向をひきついだ。規則的なパターンらしきものを見出し,その知恵をなるべき早く仲間に伝えようとする衝動を,私たちの多くがもちあわせている。
 すなわち,科学と疑似科学はともに先史時代に発祥したのだ。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 7

簡単に誤る

バーナード大学の心理学者であり動物行動学者でもあるアレクサンドラ・ホロウィッツによると,その答えはノーだ。ホロウィッツは,イヌが後ろめたそうなそぶりを見せるのは,イヌが「実際に」粗相をしたときなのか,それともイヌが粗相をしたと飼い主が「考えた」ときなのかを判別する,独創的な実験を考え出した。
 この実験ではまず,イヌのすぐ目の前にイヌ用ビスケットを置き,飼い主がそれを食べないようイヌに命じる。次に,飼い主はイヌとビスケットを残して部屋を離れる。飼い主がいないあいだに,,ホロウィッツはイヌにそのビスケットを食べさせてしまったり,取り上げたりしておく。飼い主たちはなにも知らずに部屋に戻ってくる。するとその半数は(イヌの表情を見て)誤解し,イヌたちは自分の言うことを聞かなかったとホロウィッツに訴えた。実際には,イヌは何も間違ったことをしていないのに(これが不正なやり方なのはわかっているけれど)。
 こうして,イヌが悲しそうなそぶりを見せるのは,飼い主が自分のイヌが言うことを聞かなかったと「考えた」ときだけであって,イヌが実際にビスケットを食べてしまったときではないことが明らかになった。この実験はもちろん,イヌが道徳感を持ち合わせていないことを証明するものではない。そうではなく,わたしたちがいかにたやすくイヌの表情や行動を誤って解釈してしまうかを示すものだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.91-92

好悪と役立ち

人類動物学者のジェームズ・サーペルは,わたしたち人間の他の生物種に対する考え方が文化によってどう違うかを,簡単かつ手ぎわよく把握する方法を開発した。サーペルによると,人間の動物に対する考え方はつまるところふたつの側面に分けられるという。ひとつは,その生物種について感情的にどのように感じるか(「感情 アフェクト」)。そのうちポジティブなものに愛や同情があり,ネガティブなものには恐れや嫌悪がある。もうひとつは,わたしたち人間の立場から見て,その生物種に使い途があるか,役に立つか(食用になるとか,移動手段として使えるとか),あるいは有害か(たとえば人間を食うとか)という側面だ(「有用性 ユーティリティ」)。
 ここで,直角に交わる二本の線で区切られた四つの領域を想像してほしい。垂直な線は感情の側面をあらわしていて,上が「愛/好意」,下が「嫌悪/恐れ」を示す。その線は有用性の側面をあらわす水平な線によって二分され,左側は「人間にとって無益/有害」で,右側が「有益」を示す。これで四つの区分からなる分類法が完成したことになる。区分はそれぞれ,愛されていて役に立つ動物(右上),愛されているが役に立たない動物(左上),嫌われているが役に立つ動物(右下),嫌われていてしかも役に立たない動物(左下)を意味する。この分類法は,わたしたちの生活のなかで動物たちがどんな役割を果たしているか,わたしたちが動物たちをどのように分類しているのかを考えるのにかなり役に立つ。
 人間の最良の友であるイヌに対する態度の,文化による違いを考える上でも,この分類法は有効だ。盲導犬やペットセラピー犬には明らかに「愛されていて役に立つ動物」のカテゴリーがふさわしい。一方,標準的なアメリカのペット犬は,伝統的な意味で愛されているけれど,とくに役に立っているわけではない。サウジアラビアでは,イヌは一般的に嫌悪の対象となっている。これは「嫌われていて役に立たない動物」に分類される典型的な例だろう。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.66-67

ヘビ恐怖症は生まれつきか

科学者たちは,ヘビ恐怖症が広がっていく上で生まれと育ちのどちらが重要なのか,200年間にわたって議論してきた。ノースウエスト大学の心理学者スーザン・ミネカによると,サルの場合,ヘビに対する恐怖は学習によって身につくという。捕獲された野生のアカゲザルがヘビを怖がるのに対し,オリのなかで生まれたサルはヘビを怖がらないことを彼女は発見した。ただし,ヘビを一度も見たことのない研究室育ちのサルでも,捕獲された野生のサルがヘビに対してどう反応するかを目の当たりにすると,ヘビ恐怖症に早変わりしてしまうという。
 でも,ほかの研究者たちは,霊長類がヘビについて「空白の石版」(=生まれつきの性向を持たないことを指す。心理学者スティーブン・ピンカーの著作タイトルに使われた)だとは考えていない。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.57

もともと似ているのか似てくるのか

ロイとクリステンフェルドは,飼い犬が飼い主に似る理由についてふたつの可能性を考えた——収束説と選択説だ。収束説は,飼い主と飼い主と飼いイヌが年を経るにつれて本当に似てくるというものだ。一見するとこの考えは馬鹿げているように見える。とはいえ,人間どうしについて言えば,夫婦の結婚生活が長くなるにつれて顔が似てくるという収束が起こることが,すでに明らかになっている。そこでロイとクリステンフェルドは,もしも収束説が正しいのなら,飼い主と飼いイヌがいっしょにすごす時間と,両者の似具合とのあいだには,なんらかの相関があるはずだと考えた。
 それに対して,選択説は,そもそもペットを選ぶとき,わたしたちは知らず知らずのうちに自分に似た動物を選んでいると考える。ロイとクリステンフェルドは,もしこちらの説が正しいのなら,雑種よりも純血種のイヌを飼っている人のほうがよりイヌに似ているはずだと推論した。というのも,雑種の子イヌが成犬になったときにどんな見た目になるかを予測するのは(純血種のイヌがどんな見た目になるかを予測するより)むずかしいからだ。
 ふたつの説を検証するために,ロイとクリステンフェルドはいくつものドッグパークをうろついて,飼い主とそのイヌの写真を撮ってまわった。ふたりは次に,撮ってきた飼い主の写真,飼いイヌの写真,それに別の無関係なイヌの写真をそれぞれひとまとめにして学生たちに見せ,飼い主とその飼いイヌの写真を正しく組み合わせるよう求めた。もし偶然だけが作用しているなら,学生たちが飼い主の写真と飼いイヌの写真を正しく組み合わせることができる確率は50%になるはずだ。でも,もしも飼いイヌが飼い主に似る傾向があるなら,学生たちはもっと高い確率で正しい組み合わせを選ぶことができるに違いない。ふたりは,収束説よりも選択説のほうが,飼い主とイヌの見た目が似る理由をうまく説明できると考えていた。したがって,飼い主と飼いイヌの見た目が似るのは(成犬になっても見かけがあまり変化しない)純血種のときだけにかぎられ,いっしょに住んでいる時間の長さと,どのくらい似ているかにはなんの関係もないと予想された。
 ロイとクリステンフェルドの予想はあらゆる点で正しかった。学生たちは,飼い主の写真とその純血種の飼いイヌの写真を,3分の2の確率で正しく組み合わせることができた。これはただやみくもに組み合わせを選んだ場合に予想される結果に比べて,かなり高い正解率だった。また,選択説から予想された通り,学生たちは(飼いはじめは似ていても,成犬になると見かけがガラリと変わる)雑種については,その飼い主と正しく組み合わせるのにはあまり成功しなかった。結局,選択説が予想していたような,飼い主は長くいっしょに住めば住むほど飼いイヌに似てくるなんて証拠はどこにも見当たらなかった。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.33-35

似たイヌ

この仮説が正しいかどうかを確かめるために,コレンは異なる髪型の女性に耳のかたちが違う四種類のイヌの写真を見せ,次のような項目について評価してもらった。それぞれのイヌの見た目がどのくらい好きか,それぞれどのくらい親しみやすく見えるか,どのくらい忠誠心がありそうか,どのくらい賢そうに見えるか——。コレンの予想通り,髪の長い女性はビーグルとスプリンガースパニエルをより好み,髪の短い女性はバセンジーやハスキーを好んだ。加えて,髪の短い女性は,ピンと耳が尖ったイヌをより親しみやすく,忠誠心に富み,賢く見えると評価した。コレンはこの結果から人には見た目にかんしてある特定の好みがあると論じた。人は自分自身についてある見た目でありたいと思うとともに,自分が惹かれるイヌにもそういう見た目であってほしいと思うわけだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.32-33

習慣から波及

たとえばここ10年ほどに行われた,毎日の日課に運動を組み込む影響について調べた研究を見てみよう。定期的に運動を始めると,それがたとえ週に1回といった少ない回数でも,他の運動とは関係のない部分も,知らないうちに変わってくる。代表的なのが,運動を始めると食生活が向上し,さらに職場での生産性も上がるという現象だ。喫煙量が減り,同僚や家族に対しても寛大になる。クレジットカードを使う回数が減り,ストレスも軽減する。なぜそうなるのかは,はっきりとはわかっていない。しかし多くの人にとって,運動というキーストーン・ハビットが引き金となり,幅広い変化が引きおこされたと考えられる。
 「運動するようになると,その影響が他の部分にも広がります」ロードアイランド大学の研究者ジェームズ・プロチャスカは言う。「そこには何か,他の習慣を楽にする何かがあります」

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.158-159

習慣を変える方法は?

「習慣」はどうやって変わるのか?
 残念ながら,誰にでも100パーセント効果があると保証できる方法はない。私たちは習慣をなくせないとわかっている。そのため交換するしかない。そして,もっとも簡単にそれができるのは,習慣入れ替えの鉄則が適用できたときであることもわかっている。同じきっかけと同じ報酬を使えば,新しいルーチンを入れることができるのだ。
 しかしそれだけではじゅうぶんではない。つくり替えた習慣を身につけるには,「変われる」と信じる必要がある。そしてたいていの場合,それはグループの助けによってのみ生まれる。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.141

信じることが

大切なのは「神」ではない,と研究者たちは気づいた。「信じること」そのものが差を生むのだ。いったん何かを信じることを覚えると,その能力が人生の他の部分にまで影響を及ぼし,自分は変われると信じ始める。
 信じることこそが,つくりかえた習慣のループを永遠の行動に変える要素だったのだ。

チャールズ・デュヒッグ 度会圭子(訳) (2013). 習慣の力 The Power of Habit 講談社 pp.130-131

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