I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

誤ったモデルの当てはめ

 戦場の人間心理が誤解されてきた根本原因をあげるとすれば,ひとつには戦場のストレスに闘争・逃避モデルを誤って当てはめたせいだ。闘争・逃避モデルとは,危険に直面した生物は,生理的・心理的な一連のプロセスを経て,闘争または逃避にそなえて態勢を整えるという考えかたである。この闘争か逃避かという二分法は,危険に直面した生物の選択肢としては適切ではあるが,ただ例外がある。その危険が同種の生物に由来する場合だ。同種の生物から攻撃された場合の反応には,威嚇と降伏という選択肢が加わるのである。動物界に見られるこの同種間の反応パターン(すなわち闘争,逃避,威嚇,降伏)を人間の戦争行為に応用するというのは,私の知るかぎりではまったく新しい試みである。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.46


背景に基づく空想

想像力豊かな人はよく夢のなかでひらめきを得るが,だからといって夢を見ること自体を創造的な活動と考えるのは正しくない。教育論について著書のある教師のデイジー・クリストドゥルは,生徒に「デザイナーのように考える」ことを求め,空想にふけるように指導する学校の取組を紹介して支持している。彼女が指摘するように,専門家と素人では空想にふけるといってもその中身はまるでちがう。熟練デザイナーの場合,膨大な量の背景知識と身に染みついた経験が蓄えられているため,それが空想へと流れ込んでくるのだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.239-240

無知なのに満足しやすい状況

インターネットはますます使いやすくなっているが,必ずしも私たちの好奇心をかき立てるものには進化していない。好奇心は答えの見えない疑問によって支えられているが,グーグルにはあらゆる答えがある。「わからない」とは決して言わない。情報という観点から見るなら,私たちはそのせいで「無知なのに満足」しやすい状態に,つまり自分がまだ知らないことにまるで無関心でいることが多くなっている。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.140

パズルとして考える人々

私たちはこのような文化的圧力に抵抗しなければならない。パズルは完全に的が外れているときでさえ,問題を解決する満足感をもたらす。物事をパズルとしてしか考えられない社会や組織は自らが設定したゴールによって視界をさえぎられ,将来の可能性に意識を向けることができない。人生のあらゆる問題をパズルと考えようとする人々は,単純明快な解が得られないと当惑し,フラストレーションを感じるだろう(そんなときは自己啓発の権威も助けにはならない)。ミステリーはパズルより難しいが持続性がある。ミステリーによって持続的な好奇心が刺激されると,私たちは自分の知らないことに意識を集中し続けることができる。そして好奇心は,暗闇のなかで手探りしているときも,「充実感と意欲」を保つ原動力になるのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.103-104

空白の自覚

好奇心を抱くには,つまり情報の空白を埋めたいという衝動に駆られるには,その前提として自分の知識に空白があることを自覚しなければならない。ところが困ったことに,人は自分が何でも知っていると思い込んでいることが多い。心理学者はこれを「過信効果」と呼ぶ——私たちはたいてい,自分が車のドライバーとして,親として,あるいはパートナーとして平均以上だと自負している。自分の知識に関する自己評価についてもそうだ。人は自分のもつ情報に空白があるという事実になかなか気づかない。そのため,もっと好奇心をもつべき状況であっても,無関心になりがちなのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.86

知れば好奇心が出てくる

私たちはある事柄について知れば知るほど,知らない領域について強い好奇心を抱くようになる。ダニエル・バーラインは被験者に動物に関する質問を投げかけ,それぞれの質問について,どのくらい答えを知りたいか聞いた。その結果,もっとも関心が高いのはもともと知識のある動物だった。ローウェンスタインもまた,示唆に富む実験結果を示している。被験者はアメリカの州のうち3つの州都を知っていると,自分には知識があると考える傾向がみられるという(「私は州都を3つ知っている」)。ところが47の州都を知っている場合,3つの州都を知らないと考える。そして残りの3つを知りたいと思い,実際に知る努力をすることになる。好奇心は知識に連動して高まる性質があるようだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.84-85

ちょうどいい場所

確かに,何も知らないことについて頭を働かせるのは難しい。それが面白いことだと想像できないからだ。あるいは,学び始めたら壮大さや難しさのせいで挫折するのではないかと怖じ気づいてしまうこともある。反対に,すでに知り尽くしているという自負がある事柄については,さらに知りたいとは思わないだろう。これら2つの領域の中間にあるのが,学習意欲を研究する専門家たちが「学習の最近接領域」と呼ぶものである。ここではわかりやすいように「好奇心の領域」と呼ぶことにしよう。好奇心の領域はすでに知っている領域の先と,十分に知っていると感じている領域の手前にある。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.83

内部妥当性・外的妥当性

これは重大な問題だが放置されている,本当に恐ろしい問題である。そもそも私が実験心理学に魅了されたのは,内部妥当性と呼ばれる厳密さのためであった。内部妥当性の判断基準は対照実験を行うことにある。実験を通して何が何を引き起こすかが分かるからだ。
 火によって水は沸騰するか?火をつければ水は沸騰する。火(対照群)がなかったら水は沸騰しない。制御不能な,悪い出来事によって腫瘍の成長が促されるのか?ラットのグループに逃避不可能なショックを与え,もう1つのグループに同様の逃避不可能なショックを与えて,これら2つのグループとショックを受けないグループとを比較してみる。逃避不可能なショックを受けるラットの腫瘍は大きな割合で成長する。したがって,逃避不可能なショックがラットの腫瘍を増殖させた,というわけだ。だが,この結果は,人間のガンの原因について何を教えてくれるだろうか?無力感が人間のガンにどう影響するかについては?これは,外的妥当性の問題だ。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.338-339

兵士の健康度

うまくいけば,基礎研究と応用研究は共生する。両戦争の後,心理学が大きく急成長を遂げたのはおそらく偶然の一致ではない。第一次世界大戦中のアセスメントは一般的な能力に注目したもので,第二次世界大戦中のアセスメントは態度と特定の能力とに注目したものだった。総合的兵士健康度プログラムは強みに注目する。そしておそらく,このプログラムによって,どの兵士が優れた働きをするかを測定して予測することに成功すれば,かつての心理学に似た急発展が望めることになるだろう。そのようなことになれば,GATが企業,学校,警察,消防署,病院など,業績のよい,ありとあらゆる現場で活用されることが予想される。そのような現場は,業績の悪さを完全に排除したり,矯正したりするのとは対照的に,そのよさを認められ,賛美され,奨励されることになるだろう。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.227

新たな繁栄のあり方

従来の繁栄は経済的富と同一視された。この定式に基づき,富裕国では一般的に,私たちの世代が,親の世代よりも暮らしぶりがよくなる最後の世代であろうと言われている。これはお金に関しては当てはまるかもしれないが,はたして,すべての親が子どもに望むのはもっとお金を稼ぐことなのだろうか?私はそうは思わない。親が自分の子どもに望むのは,自分よりもウェルビーイングを多く享受することであろう。ここに,子どもが親よりもよい生活を享受できるという希望が生まれる。
 新たな繁栄のあり方を考えるべき時代に来たのだ。教育や育児の目標として,持続的幸福について真剣に考えてみるべきときが。持続的幸福を重視し,実現することを学ぶためには,早期,すなわち学校教育における学童の人格形成期に始めなければならない。ポジティブ教育によって可能となるこの新しい繁栄こそが,世界が今選択することのできる道である。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.173

PERMA

ウェルビーイング理論についてまとめてみよう。ウェルビーイングとは構成概念である。そして,幸せではなく,ウェルビーイングこそが,ポジティブ心理学のテーマである。ウェルビーイングでは5つの測定可能な要素(PERMA)が考察対象となる。

 P: ポジティブ感情(Positive Emotion)(幸福と人生の満足度が要素として含まれる)
 E: エンゲージメント(Engagement)
 R: 関係性(Relationships)
 M:意味・意義(Meaning)
 A: 達成(Achievement)

 どれ1つとして単独でウェルビーイングを定義する要素はないが,各要素がウェルビーイングに寄与する。これら5つの要素には,自己報告で主観的に測定される側面と,客観的に測定される要素とがある。
 対照的に,幸福理論では,幸せがポジティブ心理学の最重要項目として扱われる。幸せは実在するものであり,人生満足尺度によって定義される。幸せには,ポジティブ感情,エンゲージメント,意味・意義の3つの側面があり,それぞれが人生の満足に関係し,すべて主観的な自己報告によって測定される。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.48-49

Well-being

ウェルビーイングとは,まさにその構成からして「天気」や「自由」のようなものだ。1つの尺度だけでは完全には定義しきれない(「完全に定義する」を専門用語では「操作可能」と言う)。だが,いくつかのものがウェルビーイングに関係しているのであって,それらがウェルビーイングの要素であり,それぞれ測定できるものだ。
 対照的に,幸福理論では,人生の満足度が幸せを操作するが,それはちょうど気温と風速が体感温度を決めるようなものだ。ここで肝要なのは,ウェルビーイングの要素そのものが異なる種類のものだ,ということだ。ウェルビーイングの要素の場合には,最初の幸福理論のように,ポジティブ感情,エンゲージメント,意味・意義をめぐる思考や感情についての自己報告にとどまらない。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.32

ポジティブ心理学の目標

ポジティブ心理学の目標は,地球上で人生の満足量を増やすという基準に依っている。だが,結果的に分かったのは,人々が報告する人生の満足度とは,質問されたまさにその瞬間に,“自分がどれくらいよい気分でいるか”に左右される,ということだった。多くの人に平均して見られることだが,人生の満足度をどう報告するかは,その70パーセント以上がそのときどきの気分で決まるのであり,頭で“判断”する割合は30パーセントにも満たない。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.28-29

全身全霊で聴く

一般的にほとんどの人は,注意が思考で占められ,実は聴いていない。相手の話よりも自分の考えに気持ちがいってしまい,言葉の奥底にある相手の存在というような,本当に重要なことにはまったく注意が向けられていない。
 そこで私は,頭だけで聞こうとせずに,全身全霊で聴くようにと訴えてきた。そうすることで注意は自分の思考を離れ,いろいろな思いに邪魔されることなく本当に聞くことができる静かな空間が生まれる。すると,相手に場所を作ってあげられる。それはただ,存在するためだけの場所だ。そしてそれこそが,自分が与えられるもっとも貴重な贈り物であり,他者とのつながりに気づく始まりなのである。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.200

ラベルへのしがみつき

ラベルにしがみつくのは破壊行為である。それは,自分を互いに分離する壁を打ち立てる行為である。それなのに私たちは各々のやり方で,世界を「私たち」と「彼ら」に分けている。これは非人間的プロセスで,恐れや暴力へと通じかねない。私にとって「彼ら」とは軍隊的なものだった。軍隊を邪悪で間違った,世界の破壊者だと考えていたのである。
 私が軍隊のために働くようになった経緯についてはすでに述べたが,それはまったく人生観を変える出来事だった。いかに「彼ら」が自分と同じ普通の人間であるかを教えられたのである。彼らは生き延びる方法,人々を助ける方法について違う考えを持っていた。私はその考え方には賛成できなかったが,理解しようと励み,共感しようと努めた。そして,力による問題解決を試みることへとつながりかねない,同じような感情や考えは私自身の中にもあることを知った。

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.153-154

確証バイアス

他者の評判や自分の偶然体験にもとづいてお守りの効果を信じてしまったり,認知的不協和の解消のために効果を信じたくなったりすると,「確証バイアス」が生じる。効果があると確証できるような事例ばかりが,見えてくるのである。これは認知の偏り(バイアス)であって,実態を覆い隠してしまう。
 さらに問題なことには,効果がないと反証できるような事例でさえも,確証として解釈されることもある。たとえば,お守りを身につけていたのに交通事故にあった場合,「身につけていなければもっと大けがになっていたところを守ってくれた」と解釈し,効果の確証になってしまうのだ。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 68-69

金縛りと体脱体験

以上のことをふまえると,金縛りのときに体脱体験が起きやすいのは,実際に手足が動かない状態で「自分」の感覚だけが明晰になっているからにちがいない。肉体の位置に「自分」を想定しても,肉体は動かないので意味がないのだ。いっそのこと,肉体を抜け出した位置に「自分」を想定しよう。そのほうが自由に動ける気がして何かと便利だ,と「自分」が思うのだろう。そしてそれが,体脱体験として実感されるのだ。
 さらに,体脱体験の根源は,非常時のための脳活動にあるとも推測できる。体脱体験は金縛り時だけでなく,交通事故で瀕死の重傷を負ったときや,重大な病気になり病院のベッドで苦しんでいるときにも起きやすい。あれこれ悩んでもしかたがないときに,「自分」という意識を肉体から解放する脳活動が存在しているようだ。これは,もはや原始的な肉体の治癒能力にゆだねるしかないという,脳の高度な状況判断なのかもしれない。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 37-38

科学と疑似科学

間違った法則にのっとって地面を掘るとおいしいイモはとれない。しかし,おかまいなしに掘ってもおいしいイモはとれないので,結局どちらでも同じである。つまり,失敗は常につきものなのであって,正しい法則を見つけられれば儲けもの,ということだ。
 こうして人類は,過剰に法則をつくるようになったのだ。進化生物学の言葉で厳密に表現すれば,過剰に法則を作る人が現れた集団が食料調達能力を向上させ,その集団が生きのびる確率が高まったのである。
 これが疑似科学信奉の起源である。
 生き延び続けた集団の末裔である私たちも,過剰に法則をつくる傾向をひきついだ。規則的なパターンらしきものを見出し,その知恵をなるべき早く仲間に伝えようとする衝動を,私たちの多くがもちあわせている。
 すなわち,科学と疑似科学はともに先史時代に発祥したのだ。

石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 7

簡単に誤る

バーナード大学の心理学者であり動物行動学者でもあるアレクサンドラ・ホロウィッツによると,その答えはノーだ。ホロウィッツは,イヌが後ろめたそうなそぶりを見せるのは,イヌが「実際に」粗相をしたときなのか,それともイヌが粗相をしたと飼い主が「考えた」ときなのかを判別する,独創的な実験を考え出した。
 この実験ではまず,イヌのすぐ目の前にイヌ用ビスケットを置き,飼い主がそれを食べないようイヌに命じる。次に,飼い主はイヌとビスケットを残して部屋を離れる。飼い主がいないあいだに,,ホロウィッツはイヌにそのビスケットを食べさせてしまったり,取り上げたりしておく。飼い主たちはなにも知らずに部屋に戻ってくる。するとその半数は(イヌの表情を見て)誤解し,イヌたちは自分の言うことを聞かなかったとホロウィッツに訴えた。実際には,イヌは何も間違ったことをしていないのに(これが不正なやり方なのはわかっているけれど)。
 こうして,イヌが悲しそうなそぶりを見せるのは,飼い主が自分のイヌが言うことを聞かなかったと「考えた」ときだけであって,イヌが実際にビスケットを食べてしまったときではないことが明らかになった。この実験はもちろん,イヌが道徳感を持ち合わせていないことを証明するものではない。そうではなく,わたしたちがいかにたやすくイヌの表情や行動を誤って解釈してしまうかを示すものだ。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.91-92

好悪と役立ち

人類動物学者のジェームズ・サーペルは,わたしたち人間の他の生物種に対する考え方が文化によってどう違うかを,簡単かつ手ぎわよく把握する方法を開発した。サーペルによると,人間の動物に対する考え方はつまるところふたつの側面に分けられるという。ひとつは,その生物種について感情的にどのように感じるか(「感情 アフェクト」)。そのうちポジティブなものに愛や同情があり,ネガティブなものには恐れや嫌悪がある。もうひとつは,わたしたち人間の立場から見て,その生物種に使い途があるか,役に立つか(食用になるとか,移動手段として使えるとか),あるいは有害か(たとえば人間を食うとか)という側面だ(「有用性 ユーティリティ」)。
 ここで,直角に交わる二本の線で区切られた四つの領域を想像してほしい。垂直な線は感情の側面をあらわしていて,上が「愛/好意」,下が「嫌悪/恐れ」を示す。その線は有用性の側面をあらわす水平な線によって二分され,左側は「人間にとって無益/有害」で,右側が「有益」を示す。これで四つの区分からなる分類法が完成したことになる。区分はそれぞれ,愛されていて役に立つ動物(右上),愛されているが役に立たない動物(左上),嫌われているが役に立つ動物(右下),嫌われていてしかも役に立たない動物(左下)を意味する。この分類法は,わたしたちの生活のなかで動物たちがどんな役割を果たしているか,わたしたちが動物たちをどのように分類しているのかを考えるのにかなり役に立つ。
 人間の最良の友であるイヌに対する態度の,文化による違いを考える上でも,この分類法は有効だ。盲導犬やペットセラピー犬には明らかに「愛されていて役に立つ動物」のカテゴリーがふさわしい。一方,標準的なアメリカのペット犬は,伝統的な意味で愛されているけれど,とくに役に立っているわけではない。サウジアラビアでは,イヌは一般的に嫌悪の対象となっている。これは「嫌われていて役に立たない動物」に分類される典型的な例だろう。

ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.66-67

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