I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

内田クレペリン精神検査の3特性

 特定受検者の作業曲線から,受検者の行動・性格3特性を主観判定する試みがされてきた。発動性・可変性・亢進性である・それぞれについて簡単に説明する。
 1)発動性:前期作業および後期作業の初頭部2〜3行の突出の程度による。突出が適度に大きい場合は,外向的かつ積極的な性格と判定する。反対に,突出の極端に小さい場合は,内向的かつ消極的で非社交的な性格と判定する。
 2)可変性:作業経過に伴う曲線の動揺の程度による主観判定である。適当な動揺と変動の場合は,落ち着きがあり親切で情緒的に安定した性格と判定する。反対に,過度の動揺と激しい変動の場合は,気分の変動が激しく自己中心的で情緒的に不安定な性格と判定する。
 3)亢進性:前期作業および後期作業の後半部の上昇および下降傾向の程度による。前記の場合は緩やかな上昇傾向が望まれるが,後期の場合は,緩やかな下降傾向が望まれる。前期作業の適度な傾向は終末努力が示唆され勤勉的性格と判定する。後期の激しい下降傾向からは頑張りの利かない怠惰な性格が示唆される。
柏木繁雄 (2018). 内田クレペリン精神検査の客観判定 日本・精神技術研究所 pp. 7-8

想定外だった

 ところが,私たちの悪い癖の一つとして,過去に一度も起きていないことであれば,おそらくこれからも起きないであろうと,潜在的なリスクはとことんスルーしておきながら,いざ起きてしまうと「想定外だった」と後悔することがままあります。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 235

掛け捨て

 生命保険を例に取れば,保険期間中,元気に生活できれば保険料は掛け捨てで終わります。その場合,はじめから保険に入らないでおけば無駄なお金を支払わずに済んだわけですが,それではいざというときの備えになりません。それをいっても仕方がないとみんな割り切っています。
 これと同じ発想を「住まい」に対してしてみたらどうでしょう。家賃を一種の保険料と考えて賃貸生活を送れば,一定のコストの掛け捨てにはなりますが,家を買った後に予想外の事情で負債や追加出費が膨らんだり,回収可能と見込んでいた利益を喪失したりするリスクからは逃れられます。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 196-197

隠れ家賃

 マンション広告ではよく「ローン返済は月◯万円から。今の家賃と比べてください」なんていうキャッチコピーが出ていますが,たとえ家賃12万円がローン支払い12万円に変わっても,実はそのほかに,支払っても返ってこない3万〜4万円の「隠れ家賃」が加わるのだとしたら,それでもあなたは家を買いますか?という「不都合な真実」を,不動産会社は積極的には教えてはくれないということを,肝に銘じておく必要があります。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 188

精神的満足度

 つまり,「住みたいまち」ナンバーワンである吉祥寺とは,実際の利便性よりも,住むこと自体,あるいはそれを人に自慢できることによる精神的満足度などを加味した,住めたらいいね,住んでいる人がうらやましいね,といった感覚が雪だるま式に膨らみ,独り歩きした結果であって,アンケートで回答した人さえも,本当にそこまで住みたいと思っているから答えたわけではなく,彼らがみな実際に吉祥寺の物件探しをするとは限らないと考えられます。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 145

ごみの出し方

 それこそ,20年以上前に当地に住んでいた人と話すと,多くの人が口々に「川崎は昔,日曜日以外は毎日ごみ収集車が来たのでごみ出しが楽だった」と回顧します。しかも,なんと分別なしで。何でも一緒に出せたのだといいます。生活者としてはこれほど楽なことはありません。
 一方,東京都多摩地区出身の人と話すと,街角に置かれた蓋つきダストボックスに生活ごみを捨てられた時代を懐かしがります。これであれば,24時間365日の投棄が可能で,カラスなどの被害からも守られ,当時は利便性と衛生面を両立した画期的な方法とされていました。全盛期には,府中市,日野市,多摩市をはじめ10市以上で導入されていました。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 103

どこに使われるか

 実際,最新のベストセラー本が図書館に納入されると,貸出予約待ちが何十人もついて,半年待ちなんてことはザラ。たかが1000円ちょっとの本なのだから,それくらいなら買えばいいのにと思いませんか?
 このように,一冊千数百円の本も買わずにタダで読もうとする一部の人のリクエストにより買われた本が地元の図書館に入っていることを考えると,人によっては,実は図書館が充実しているまちほど,自分が望まないことにお金が投じられているまちだという逆説が成り立つことになります。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 100-101

メディアからの影響

 それなのに,私たちの頭の中には事実とまったく逆のイメージが焼き付いているのはなぜなのでしょうか。おそらくテレビ,新聞,週刊誌といったメディアが進化して,少年犯罪の報道がセンセーショナルに取り上げられ,人々の目と耳に届きやすくなった結果,私たちは犯罪数自体が多くなったと錯覚してしまっているのではないでしょうか。
 結局,私たちがまちのイメージを作り上げていく過程も同じで,こうしたメディアの影響から無縁ではいられないということは自覚しておくべきなのです。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 70

医療費補助

 現在,医療費の自己負担分を市区町村が肩代わりするのは,国の方針と異なる上乗せをしたいという市区町村独自の制度なので,国からの補助がなく,都道府県からの補助を除いた部分は独自の財源からの持ち出しになります。したがって,小児医療助成が充実していればいるほどモラルハザードも広がって,本来,別の目的に使えるはずのお金が医療費に回って,別の施策に取り込む予算が不足するということが起こってしまうのです。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 42

認可外保育施設

 まず,一口に認可外保育施設といってもピンキリであるということをみなさんはご存じでしょうか。著者にいわせれば,そもそも「認可外」なんて呼び名をしている時点で,風評被害を起こしかねないひどい差別だなと思っています。だって,正規の許可がない「モグリの施設」であるかのような誤解を招きかねないですから(実際,世の中には「認可外」のことを「無許可」と呼ぶ人もいます)。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 21

一発逆転

 宝クジを購入する動機には,このような資産蓄積の仕組みが背景にある,と思われる。購入者にとって重要なのは,平均還付という仮想的な金額(期待値)ではなく,このような資産蓄積が不可能な状況下での生存中における「一発逆転の可能性」なのではないだろうか。つまり,不確実性下の選択というのは,各自の生きている社会の構造と不可分なのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 215

多数の商品メニュー

 貨幣を保有することは,将来手に入れることのできる「多数の商品メニュー」を手にしているのと同じである。もちろん,他にも多少融通の効く商品はある。デパートの商品券を保有すれば,デパートで売っている商品とは何でも交換できる。そういう意味では商品券も流動性を持っている。しかし,デパートにない商品とは交換するのが困難である。チケットショップで換金すればいいが,時間がかかるうえ,額面をディスカウントされてしまう。だから商品券の流動性は貨幣に比べて限定的なのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 207

フィードバック・メカニズム

 つまり,「倒産確率10%」は,それが人びとに知られたとたん,すでに正確さを欠いてしまうわけである。これは,「倒産確率10%」という告知内容が,自らの表現の内部にある「倒産確率」という概念に外側からフィードバックし,影響を与えるに等しい。「倒産確率」というのは,いわばフィードバック・メカニズムを持っているのである。
 したがって,「倒産確率」を当局が公表することは,そのこと自体が倒産確率を変化させるので,つねに嘘を述べることになってしまう。はじめから嘘となるのがわかったうえで公表するのは政治家として勇気のいることだろう。
 これは経済現象というのが,さまざまな要素が密接にリンクするかたちで成り立っているものであり,特定の部門だけに固有の言及をすることが難しいことに依存しているのだ。金融機関が予期できぬ破綻をするのは,このような経済現象の相互関連性と心理が確率を左右するメカニズムによるのであって,公表しなかった政治家を,「悪辣な卑怯者」呼ばわりするのは,少しお門違いだといえるのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 165-166

データに親しむ

 「データに親しむ」ということは,簡単にいえば,「人間社会や自然環境に関心を持つ」ということである。世の中には,いろいろな固有現象がある。法則や特徴がある。しかし,社会や自然をそのまま「生」で眺めていても,「なにかあるな」ぐらいにしか直感できない。そこでまず,「数字に直す」という作業が必要なのだ。まさに「データ化」の作業である。次の段階は,それらの数字に潜む特徴を引き出すことである。これがいわゆる「データ解析」。その初歩ができるようになるだけでも,世の中を見る眼の解像度はずいぶん変わるし,解像度が高まれば,見ること自体が楽しくて仕方ない,という風になる。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 79-80

マルチンゲール

 まず,ランダムウォークが「マルチンゲール」という数学的な性質を備えていることを理解するのは,たいへん有意義である。マルチンゲールというのは,「その確率現象が過去にたどってきた足取りをどんな風に利用して推進しても,未来に生起する数値の平均値はいま現在の数値そのものである」という性質のことだ。もっと簡単にいうと,「過去のデータをどんな風に利用しても,未来の自分の結果を有利にすることはできない」ということなのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 36

大数の法則

 まず,いいたいのは,賭けの勝利がどんなに奇跡的に見えても,大量の人間が参加しているならそれは(誰かの身の上には)必然的に起こる,ということだ。これは「大数の法則」の帰結である。「大数の法則」というのは,「同じ条件で,前の結果に依存せず次の結果が起きるような同一の確率現象は,膨大な数の試行が繰り返されると,確率どおりの頻度で結果が起きる」ということだ。たとえば,サイコロが正しく作られたものなら,膨大な回数投げるとどの目も均等に6分の1の頻度で出る,というのである。これは数学法則であり,定理として証明されているのだ。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 25

「上の空」でプレーする

 いわば「上の空」でプレーをしていることが,どうやら大試合のあとのインタビューでプロスポーツ選手が往々にしてあまり有益なことを語らない理由の一つのようだ。何をやったのか選手が語れないのは,自分たちもそれを知らず,神や母親に感謝するはめになっているからだ。こうしたスポーツ選手は,プレーの一部始終について考えていないときに最も力を発揮するので,自分の頭の中を探り直して,いま何をやったのか熟考するのは難しいのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 288

属性を質問紙の裏へ

 会場にいる先生たちは感銘を受けたようだった。私の経験では,教育者は一般に共通テストをさほど好んでいない。多くの教師にとって,生徒がこうしたテストでどのくらい良い点数をとるかに自分の仕事がかかっている,となればなおさらだ。それだけの重圧がかかると,先生たちは試験に合わせて教えるようになり,生徒は全般的に限られたことしか学ばなくなり,テストにおける一度の成績がすべての人の成功を測る尺度としてのしかかるようになる。もし自分の教えたクラスの成績が,自らの指導力の尺度だと教師が感じていなければ,あるいはテストの成績が頭のよさを表すかのように生徒が感じていなければ,生徒はかえってテストでよりよい点数をとれるかもしれない。複数の視点から自分自身を考えるように生徒に仕向けさせることや,性別や人種,家庭の年収に関する情報を問う質問をテストの裏側に移動させることも効果がある。こうしたことはいずれも,テストが重視されすぎるのを防ぎ,一度の点数や成績が生徒の知能や自尊心,あるいは成功に向けた潜在能力を反映するという考えを忘れさせるためのものなのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 204-205

人種ステレオタイプ

 人種に関して報告しなかった場合は,白人と黒人の学生でGREの成績にはなんら違いがないことを研究者たちは発見した。ところが,テストの前に学生が人種を報告したときは,アフリカ系アメリカ人のほうが白人学生よりも悪い成績になった。学生に人種を明らかにさせたことで,彼らは「黒人は白人ほど知的ではない」というステレオタイプについて考えさせられたのだ。こう考えるだけで,知性が試される状況で黒人学生が実力を発揮できなくするのに充分なのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 158

名前と学業

 フィリオによれば,多くの女の子が数学や科学を敬遠するようになる要因の一つは,彼女たちの名前くらい単純なものなのだ。女の子の名前が学業の道に影響をおよぼしうることに気づけば,数学と科学の成績における男女の格差に寄与するほかの微妙な要因も,すぐに探せるようになる。実際,ある環境にいる男女数の不均衡に気づくだけでも,女子生徒がその状況に身を置きたいと思うかどうかに影響するだろう。女子にたいする男子の割合が高ければ,女の子がそこに参加しようとする割合は少なくなる。このことは,その活動に女の子が関心をもっている場合でもやはり当てはまる。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 141-142

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