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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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農業ではなく園芸

 明治以来,こうした日本農民の重労働を見て,欧米諸国の農学者は,よく,日本の水田耕作は農業(agriculture)でなくて園芸(gardening)であると指摘した。かれらの観念によれば,犁耕・施肥によって耕地をととのえてから種子をまき,あとは収穫までほっておくのが農業である。播種と収穫のあいだにやたらと手間がかかるのは,園芸だけである。かれらによれば,日本の水田耕作は,まさにそうした範疇に入るものであった。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 38-39


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生産力のため

 徳川時代というと,すぐ五公五民とか六公四民といった調子で,ひどくしいたげられた農民の姿が浮かぶが,考えてみれば,その原因の一半は,水田のこうした異常な生産力の高さにある。いくら政治権力が暴虐でも,生産力の低いところでは,とても,収穫物の半分以上を横取りすることはできない。もし,そんなことを強行すれば,支配の対象となる農民が死にたえて,結局,とも倒れになるだけである。日本の農民は,生産力が高いがゆえにいじめられるという,妙なジレンマにおいこまれていたわけである。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 35-36


意思疎通

 何とも珍妙な対話である。当事者は真剣かもしれないが,お互いの意志はさっぱり疎通しない。ハリスの申し出を受けた日本側にしても,牛の乳は牛の仔が飲むものとばかり思っていたところ,人間が,しかも人間の大人がそれを飲むと聞いては,開いた口がふさがらない。いわんや,アメリカ政府の代表に,自分で牛乳をしぼってもよいといわれては,まともな返事のしようがない。また,家畜は小舎で飼うと決まっているのに,そこら辺の野山に放し飼いしてもよいか,とたずねられては,びっくり仰天せざるをえない。相手の身になって考えてやろうにも。相手の真意がすこしもわからない。


 その後もこのようなことがつづき,ハリスはすっかりまいったらしい。日記を見ると,身体の変調をさかんに訴え,強いられた粗食をなげいている。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 23


主食と副食

 したがって,日本とヨーロッパの肉食率を大きくへだてるのは,食生活パターンが,主食と副食を区別するか,しないかの一点につきる。日本人が主食観念に固着するかぎり,いくら表面上の洋風化がすすんでも,高い穀類・いも類依存率,したがって低い動物性食品依存率という状態は,そうかわらない。主食だけであるていど満足するから,結構,ままごと肉食でやっていけるのである。


 もちろん,主食の内容は無理に米飯でなくともよい。米飯をパンに切りかえても,パンを主食ないしはそれに準ずるものとして扱うかぎり,事態は同じである。ただ,主食としてみれば,両者の優劣ははっきりしている。水分のすくない,カサカサしたパンは,とても,米飯のような調子で,大量にのどを通すわけにはいかない。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 11-12


主食が不明瞭

 ところが,肉食率の高いヨーロッパでは,主食的なものがどれか,あまりはっきりしない。パンの役割は日本の米飯とまるでちがう。このことは,いわゆる西洋料理のコースのすすめ方をみてもわかる。パンを食べるのは,ポタージュ(スープ)がおわってから,肉・魚・チキン料理が出ているあいだだけである。サラダを食べはじめたら,残っているパンはもっていかれてしまう。あとで日本の漬物のかわりにチーズをつまむことがあるが,このときにもパンはない。全体からみれば,パンはいわばおそえものにすぎない。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 10-11


因子スコア

 一般に,因子分析を経て選定された尺度上での評定値から当該尺度の帰属因子に関する概括値を導く過程を因子スコア化と呼び,概括値自身を因子スコアと呼ぶ。要は,各尺度上での評定値から次元ごとの値を求めることに他ならないが,概括の仕方としてさまざまなものが提議されており因子スコアなる概念を用いて語り合っているうちにやがて互いが全く異なる内包を指していた点に気づくといった例も稀でない。特に頻繁に生ずるのは,(1) 因子分析の結果から或る因子の代理者として特定の複数尺度を選んだことに重点をおき,当該因子の代理者と見做された複数尺度上での評定値を単純に平均する因子スコア概念,(2) 各尺度上での評定値へ当該尺度に関する因子別負荷量を乗じていったん因子ごとに値を按分し,その後因子別に按分された値を累積していく因子スコア概念,の両者間での喰いちがいである。



岩下豊彦 (1983). SD法によるイメージの測定 川島書店 pp. 123-124


因子の回転

 ここで「なぜこうした回転が行なわれるか」についての問を想定するのが妥当というものであろうが,事柄は至極簡単なことに留まる。つまり,相関行列を数学的に共通性をもった因子へと分解するのが因子分析であり,その結果得られた因子と各尺度との関係に着目しながら因子のもつ意味を探ろうとするのが因子軸の回転なのである。因子分析があらゆる尺度間の相関関係を配慮に入れて数学的に因子へと分解していく過程であるのに対し,因子軸の回転は,因子分析結果で得られた因子と各尺度との関係の強弱(因子負荷量)を資料として因子の意味が鮮明になるようアクセント付けを行なう作業であるといってさしつかえなかろう。



岩下豊彦 (1983). SD法によるイメージの測定 川島書店 pp. 97-98


因子分析の起源

 因子分析は,スピアマンが知能の研究(Spearman, 1904)において,「複数のテストに共通する知能の一般因子<g-factor>の存在」を主張した際採られた数学的処理を起源とする。スピアマンによって報告された6つの相関行列は表2-3のようなものであり,各種テスト間で決して低いと判断し得ぬ相関を示していることに拠って,「(1)どのテストも何か共通した知的能力を幾分かずつ測定している,(2)それぞれのテストが共通の知的能力以外に当該テスト特有の知的能力を測定しているためこれらの相関係数が1.0にならない」との示唆を得,当該テストが他の共通した知的能力を測定している部分を一般因子,測定している程度を一般因子負荷量,また,当該テストが特有の知的能力を測定している部分を特殊因子,測定している程度を特殊因子負荷量と呼ぶと共に各々の負荷量を算出するに至ったのが,それに他ならない。仮にスピアマンが表2-8のような結果(おれは全く架空の値である)を得ていたとしたら,彼は「知能には2つの主要な共通因子がある」と結論づけたであろう。



岩下豊彦 (1983). SD法によるイメージの測定 川島書店 pp. 63


対極の置き方

 尤も,対極性に関しては,或る程度まで辞典に記載されている反意語などが参考になるので,とりあえずそうした資料を利用すればよい。「明るい」の反対が「暗い」であるといったことは,かなりの適切さを以て判断し得るといえよう。問題は,反意語が何とおりもある場合である。たとえば,「しみじみとした」の反対が「浮き浮きした」なのか,それとも「わくわくした」なのか,簡単には決められない。また,或る2つの形容語が仮に座標軸上の原点を中心として両側に位置づけられる関係にあるとしても,原点からの距離が相互に等しいかどうかという段になると,事は一層厄介となる。こうした場合,一体,どのような解決方法が考えられ得ようか。



岩下豊彦 (1983). SD法によるイメージの測定 川島書店 pp. 50


概念把握方法

 人が或る刺激の認識に伴って表象する概念を直接的に把握する手法は,それまでにも数多くあった。(1) 自由連想法,(2) 制限連想法,(3) 評定法,等々である。しかし,たとえば「オートバイについてどんなことを思い浮かべますか」と問う自由連想法は,オートバイをめぐるさまざまな先行経験の中から特にそれらが想起されるに至ったという意味での自発性と重要性とをもつ反応が得られる反面,同一対象をめぐる他者の反応結果と比較したり,同一人物における他の対象への反応結果と比較したりする場合の共通項が得がたいといった難点を抱え,たとえば「オートバイについてどんなことを思い浮かべるか,次の中から該当するものを選んでください」と問う制限連想法は,反応結果を相互比較する際の共通項が揃えられる反面,それぞれの選択肢がその者のオートバイに対する反応の可能性をどの程度網羅していたかに関し保証し得ないといった難点,および,選択された反応項目ごとに当人該当性の程度がちぐはぐとなる危険が伴うといった難点を抱え,たとえば「オートバイについての次の諸反応がそれぞれあなたにとってどの程度ぴったりしているか,各反応項目ごとに用意されている‘非常にそう思う’から’全くそう思わない’の7段階尺度上で判断してください」と問う評定法は,反応項目それぞれに対する当人該当性の程度を知り得る反面,反応項目の網羅性に関する保証の点で何ら改善がなされていない難点を抱えていた。SD法が或る対象をめぐる表象内容の測定法として広く普及をみたのは故なきことではない。SD法は,いったん,夥しい数の反応項目を用意したうえで因子分析に拠りそれらを整理し,次に,整理された各群から代表的な反応項目を選びそれぞれへの評定を求める場へ臨む,という2段構えの手続をとることで,“或る対象をめぐる連想反応の主要な範囲を網羅した項目を設け,そのうえで各反応項目についての当人該当性を調べる方法”を確立したのである。



岩下豊彦 (1983). SD法によるイメージの測定 川島書店 pp. 16-17


受験勉強の意義

 大学進学経験のない親にとって,大学受験や大学そのものは未知の世界であり,受験勉強を含めた大学進学のプロセスを自らの経験としては有していない可能性が高い。そこで,高校または大学を併設するなど,「その後の受験勉強をしないで済む」小学校を選択,合格すれば,その時点で将来の学歴が保証されると確信しているのだろう。つまり,同一学校法人内で小学校から大学まで進学できれば,父親はじめ家族が大学進学に求められる情報や経験を子どもに提供する必要がなくなり,父親の大学非進学経験が小学校受験以降の子どもの教育や進学においては無化されることになる。それとは対照的に,高学歴のホワイトカラー層に就く父親ほど,高校あるいは大学進学時の受験勉強の経験や受験学力の意義を是認する傾向が読みとれる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 208

縁故者の入学

 私立小学校が自発的結社である以上,その運営には,授業料負担能力など入学者や在学者の家庭背景に大きく異存せざるを得ない。それのみならず,入学者は私立小学校の教育理念の理解者または支持者であることが望ましい。それは,保護者自身が卒業生,学校関係者(教職員や卒業生など)であったり,兄弟が在校生・卒業生などと重なることも少なくない。そのような「縁故のある」子どもを入学させることは,子どもを取り巻く家庭背景・環境をあらかじめ想定できるばかりか,入学後にともすれば起こりうる退学や問題行動など,諸々のリスクを回避ないし軽減できるという点では,有効な選抜手段の一つであるともいえるのである。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 172

入学準備教育

 私立(小)学校,中でも大正新教育運動を背景に誕生した新学校の多くは,知識の詰め込み主義や受験体制,学歴社会の問題を痛烈に批判し,その代わりにリベラルな教育を目指した。しかし,入学選抜考査の導入によって,入学選抜は幼児期にまで低年齢化し,考査で求められる知識や技能の詰め込みを子どもに強いることになった。私立小学校の多くは児童中心主義の新教育を理念として標榜・実践し,中等学校の入試に向けた知識の詰め込み教育を否定・批判する一方,小学校の入学選抜考査の導入・実施を通じて,幼児期の子どもに,入学準備教育という「詰め込み」を強いることになってしまった。さらに,それが学歴主義の強化につながった側面も否定できない。ここに新教育や新学校における逆説の一つを見いだすことができるのである。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 130

入試への知能検査の活用

 そのなかでも知能研究は,当時の医師や心理学者がビネやシモンらの開発したメンタルテストを日本に移入・翻訳して以降,研究あるいは学校や家庭での実施・導入をめぐって,様々な論争を呼んだ。彼らは,実年齢以上の発達課題をクリアしている子ども,すなわち<標準>以上に属する「早熟児」または「優秀児」と,他方で<標準>以下に分類される「低能児(ママ)」や「未熟児」の発生要因を様々な方法で考究した。それのみならず,彼らはそれぞれの子どもの学校教育現場での処遇についても積極的に発言し,時には大論争を引き起こしたこともあった。
 医学者,教育学者,心理学者たちは,市販の婦人雑誌やメンタルテスト問題集を通じて,家庭における子どもの知能の測定を奨励するだけではなかった。それとほぼ同時期の教育雑誌や育児書の一部には,師範学校附属小学校や私立小学校の入学選抜考査においてメンタルテストが導入されている現況とその重要性を伝達するようになる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 118

知能検査の普及

 その一方,大正末期から昭和初期以降,小学校の入学選抜考査に一つの転機が訪れる。心理学者らが,婦人向け雑誌などのメディアを通して,それまでは専ら学術研究の対象であったメンタルテスト(知能テスト)を家庭で行い,子どもの知能診断をするように積極的に呼びかけた。これは「知能による子ども理解」が大学など研究機関における科学研究の枠を大きく超えて,広く一般家庭にも流通し始める契機になった。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 117

知能検査

 当時の成蹊小学校でも,子どもに対し,面接法によるメンタルテスト(知能テスト)を課していた。しかし,子どもの回答の出来/不出来による評価基準のみで合否を判定していたわけではなかった。
 慶應義塾幼稚舎と成蹊小学校の学校関係者がともに入学志願者である家族(特に母親)に要望するのは,子どもに対して余計な手をかけていない,つまり必要以上の入学準備教育を施していないということであった。それは「純粋無垢」な子どもを選抜しようとしているようにも見える。だが,それは「何も知らないこと」(無知)を意味するものではない。成蹊小学校の入学選抜考査では,1から100までの数や図形の名称あるいは時間の概念を問う問題が出題されている。これらは小学校の教育課程に含まれた内容である。入学選抜考査で出題される限り,小学校入学以前の入学考査の時点で,ある程度の理解が前提になっている。ここから,私立小学校は,希望する入学者としての子どもについて,入学準備で親の手のかかり過ぎていない「子どもらしさ」(純粋無垢さ)とともに,小学校入学後に習得する知識の有無までも問うという,相当に矛盾した姿勢で入学希望者を選抜していたことになる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 107-108

申込順

 私立小学校の中には,成蹊小学校のように,創立当初から厳密な入学選考を課した上で入学者を決定していく方法を採用していた学校もないわけではなかった。しかし,多くの小学校は入学希望者を先着順に受け付けて,入学定員に達したところで締め切るか,受付順に個別に面接や知能検査・身体検査を行った上で,順次入学者を決定していった。結果,入学を希望さえすれば,ほぼ全員に対して入学許可を出していた。1918(大正7)年当時の暁星小学校は,「入学申込者多数のため既に二箇月以前本校の予定数に達し,以後の申込者は遺憾ながら謝絶の止む無きに至れり」とあるように,この当時の同校では申込先着順に受け付け,入学者を決めていた。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 99

近代家族

 男親が企業や団体の専門・管理・事務職として賃労働に従事し,女親が専業主婦として家事,育児に専念する性別役割を主体とする核家族は一般に「近代家族」(modern family)と呼ばれている。戦前期の近代家族をモデルにした家族形態は戦後の高度経済成長期に大きく拡大し,幼稚園・小学校を含めた受験競争の拡大と激化に資するところとなった。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 86

社会的評価

 社会的評価に合わせるように,入学者の質も向上するようになった。私立大学の中でも例外的に高い社会的評価を受けていた慶應義塾や早稲田は,様々な諸特権を獲得する過程で,学歴や学力を問わずに入学を許可する「別科」を廃止,代わって,中学校を卒業した者の中から入学選抜を行い,それに合格した者のみを入学者とする「(大学)予科」の充実に力を注いだ。その結果,慶應義塾大学は学力の高い入学者を受け入れ,予科および大学部(本科)の教育によって,質の高い卒業生を輩出することが可能になった。それは企業における慶應義塾大学卒業生の処遇にも反映された。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 71

学歴・学校歴

 明治初期には,学校制度が未整備で混沌としていたこともあり,どんな学校で勉強しようと学力があり,その学力をもって試験に突破しさえすれば,進学の機会や職業資格を手に入れることができた。ところが,1880年代から90年代にかけて,学校制度が整備され,進学の階梯的なルートが確立されると,特定の学校を卒業したことが次の上位段階の学校に進学するうえでの前提条件になった。また,学力はその証明である「学歴」に変換され,さらに卒業した学校のランクや威信を示す「学校歴」を基準に,進学・就職の機会や職業資格が配分された(天野, 1983)。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 67-68

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