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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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繰り返し逐次的に活性

 二つのニューロンが繰り返し同時に活性化されるなら,それらのあいだの接続は双方向に強化される。
 可塑性に関するこのルールは,ポップシンガーとそのボーイフレンドの場合のように,繰り返し同時に起こる二つの観念を結びつけるときにはうまく当てはまる。逐次的に現れる場合については,コネクショニズムの支持者たちは次のルールを提案した。
 二つのニューロンが繰り返し逐次的に活性化されるなら,第一のニューロンから第二のニューロンへの接続が強化される。
 ところで,これら二つのルールでは,接続の強化は永続的なものであるか,あるいは少なくとも長期的なものであり,その結果として連想は記憶にとどめられるものと仮定されている。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 149-150

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シナプスの生成と除去

 1960年代にはほとんどの神経科学者が,子どもが成長して大人になってしまえば,もはやシナプスは生成されることも除去されることもないと考えていた。この考えは,経験的事実というよりはむしろ理論的思い込みだった。おそらく当時の神経科学者たちは,脳の発達プロセスを,電子装置を組み立てるようなものと考えていたのだろう。電子装置を組み立てるためにはたくさんの配線が必要だが,いったん装置が動き出してしまえば配線を変更する必要はない。あるいは神経科学者たちは,シナプスの強度を変えることは,コンピュータのソフトウェアを変えるのと同じように簡単だが,シナプスそれ自体は,ハードウェアのように変化しないと考えていたのかもしれない。
 しかしこの10年間に,神経科学者たちはその考えを180度転換した。今日では,大人の脳でもシナプスは生成されたり除去されたりするということが広く受け入れられている。二光子顕微鏡という新しい生体イメージングの手法を使って,ついに説得力のある証拠が直接的に得られたのである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 144-145

観念と観念の結合

 ここで,記憶を想起するメカニズムに関するこの説をまとめておこう。観念はニューロンによって表され,観念と観念との連想による結びつきはニューロンの接続によって表され,記憶は神経細胞集合またはシナプス連鎖によって表される。記憶は,断片的な刺激でどれかのニューロンが発火し,そこからニューロンの活動が拡がったときに想起される。神経細胞集合の接続やシナプス連鎖は,時間が経っても安定している。子ども時代の記憶が大人になってからも残っているのはそのためだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 136-137

電気信号と化学信号

 要するに,ニューロンは化学物質によるものと電気信号によるものという,二つの方法で互いにコミュニケーションを取っているということだ。では,これら二種類のコミュニケーションの方法のあいだに,何か関係はあるのだろうか?その関係をひとことで言えば,つぎのようになる。通過する活動電位のスパイクが引き金となってシナプスが活性化され,神経伝達物質が放出される。シナプスの受信側では,レセプターがその神経伝達物質を感じ取り,それが引き金となって電流が流れる。これを少し抽象的に言うと,「シナプスは電気信号を化学信号に変換し,さらに電気信号に戻す」のである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 100

スパイク

 樹状突起と軸索とでは,電気信号の性質も異なる。軸索では電気信号は鋭いパルス状になっている。そのような一過性の電位の変化を《活動電位》という。それぞれのパルスの持続時間は1ミリ秒(1000分の1秒)ほどである。活動電位はとがった形をしていることから,研究者はこれを「スパイク」と言うので,以下ではそう呼ぶことにしよう。神経科学者たちは,ニューロンが活性化することを,「ニューロンがスパイクした」と言うことがある。経済面のニュースでは,「銀行が大きな利益を出したというニュースが市場を活性化させて,株価が急騰した(スパイクした)」などと言うが,ニューロンが活性化されて電位が一時的に急上昇(スパイク)することを,縮めて「ニューロンがスパイクした」と言うわけだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 99

ブロードキャスト

 ホルモンを血液中に分泌することは,あらゆるコミュニケーションの中でもっとも無差別的なもので,「ブロードキャスト(放送)」と呼ばれる。テレビ番組が多くの家庭で受信されたり,香水の匂いが部屋の中のすべての人に嗅げたりするように,ホルモンは多くの器官のさまざまな細胞で感知される。それに対してシナプスでのコミュニケーションは,関係する二つのニューロンだけに限られ,むしろ電話によるコミュニケーションに似ている。そのような点から点へのコミュニケーションは,ブロードキャストよりもはるかに限定的だ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 96

アドレナリンラッシュ

 シナプスを介したコミュニケーションが持つこれらの特徴——速さ,特異性(特定の物質に対して選択的に働きかけること),そしてタイミングの正確さ——は,わたしたちの体内で起こる,それ以外のタイプの化学物質によるコミュニケーションにはないものだ。道を歩いていてぶつかりそうになった車から飛びのいたとき,あなたの心臓は早鐘を打ち,息が荒くなり,血圧が跳ね上がる。そうなるのは,あなたの体内の副腎からアドレナリンが血中に出て,あなたの心臓,肺,血管の細胞によって感知されるからだ。この「アドレナリンラッシュ」の反応は,瞬時に起こっているように思えるかもしれないが,じっさいにはかなり遅れがある。それらは,あなたが車から飛びのいた後で起こっているのだ。なぜなら,アドレナリンが血流を介して広がる速度は,ニューロンからニューロンへの信号の伝達に比べて時間がかかるからである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 96

幻肢

 パレは,足や腕を切除された患者が,あたかも手足がまだ元の場所についているかのように痛みを訴えるという事例を初めて報告した人物となった。それから数世紀を経て,アメリカの医師サイラス・ウィア・ミッチェルが,南北戦争の兵士たちに起こった同じ現象を記述するために,「幻肢(phantom limb)」という言葉をひねり出した。彼は数多くの症例研究を行い,幻肢は例外的な現象ではなく,むしろそれが通例であることを明らかにした。しかしなぜこの現象は,それほど長いあいだ記述されないまま見過ごされていたのだろうか?おそらくパレが外科手術を革新する以前は,切断術を受けて生き延びる者はめったにおらず,生き延びた人たちの訴えは,単なる妄想として真面目に受け止めてもらえなかっのだろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 71

外科手術の父

 近代的な切断術を発明したのは,16世紀のアンブロワーズ・パレだった。パレはフランス軍の外科医として,その技術に磨きをかけた。パレが生まれた当時,外科手術はもっぱら床屋の仕事だった。なぜなら外科手術は,荒っぽい屠殺行為のようなもので,医者の仕事としては下賤すぎると見なされていたからだ。パレは戦場で働きながら,切断術を受けた兵士が失血死しないよう,太い動脈を縛るという方法を身につけた。彼は結局何代かのフランス王に仕え,「近代外科手術の父」として歴史に名を残すことになる。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 71

現代の骨相学者

 新骨相学者たちは,IQと,前頭葉および頭頂葉の大きさとのあいだに相関があることを示した。この相関は,IQと脳の全体としてのサイズとの相関よりもわずかながら大きく,知能に関しては,これらの領域が特に重要だとする説とも合致する(それに対して後頭葉と側頭葉は,主に感覚的な能力,たとえば視角や聴覚のような能力をつかさどっている)。とはいえその相関は,がっかりするほど弱いのだが……。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 51

ブローカとウェルニッケ

 ブローカとウェルニッケ二人の研究から,話すことと理解することとは切り離されているという,いわゆる「二重乖離」が示された。ブローカ野が損傷を受けた場合,言葉を発することはできなくなるが,理解することは問題なくできる。ウェルニッケ野が損傷すると,理解することはできなくなるが,言葉を発することはできる。このことは,心が「モジュール(機能部品)」から組み立てられていることを示す重要な証拠となった。言語能力は,他の動物にはなく,人間だけが持つ能力だから,それ以外の心的能力とはっきりと区別されていても不思議はないと思えるかもしれない。しかし言語能力がさらに,言葉を生み出す能力と,言語を理解する能力とに分割されるかどうかはそれほど自明ではない。あるいはブローカとウェルニッケ以前は自明ではなかった。二人はそれら二つの能力が,確かに分割されていることを明らかにしたのである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 47-48

皮質の分け方

 皮質をどう分けるかという問題が初めて持ち上がったのは,19世紀のことだった。それまでは,皮質には脳を覆うという役割しかないと思われていたのだ(「cortex(皮質)」という言葉は,樹皮などの「皮」を意味するラテン語に由来する)。1819年のこと,ドイツの医師フランツ・ヨーゼフ・ガルが「臓器学」を提唱した。ガルが着目したのは,人体の器官はいずれも,独自の機能を持っているということあった。胃は食べ物を消化するためにあり,肺は呼吸をするためにある。だが,脳はひとつの器官と見なすには複雑すぎるし,頭の働きもひとつの機能というには複雑すぎる。そこでガルは,その両方をいくつかに分けることを提案した。とくに彼は皮質の重要性に気づいており,皮質をいくつかの領域に区分し,まとめて「心の諸器官」と呼んだ。
 後年,ガルの弟子であるヨハン・シュプルツハイムは「骨相学」という言葉を導入したが,今ではこちらのほうが,ガルが与えた臓器学という言葉よりも普及している。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 43-44

大脳の話

 大脳は果物で,脳幹はそれを支える茎,小脳は両者の分かれ目を葉っぱのように飾っている,とイメージしてみよう。小脳は,体をスムーズに動かすためには重要だが,これを取り除いても知能にはほとんど影響がない。脳幹に損傷を受ければ人は死ぬこともある。なぜなら脳幹は,呼吸をはじめとして,生命に直接かかわるいくつもの機能を制御しているからだ。それに対して大脳は,大きく損傷しても生存に支障はないが,意識はなくなる。おおざっぱに言って,これら三つの部分の中で,人間の知能にとってもっとも重要とみられるのは大脳である。大脳は,われわれの知的能力のほとんどすべてを決定していると言ってよい。また,大脳はこれら三つの部分の中でサイズ的にも最大であり,脳の容積の85パーセントほどを占めている。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 42

個人差はなぜ

 差異は人の心を魅了する。脳はどのように機能しているのかと尋ねるとき,人がまず知りたいと思っているのは,脳の働きはひとりひとり,なぜそれほど違うのかということだ。なぜ自分は,社交的な友人のように,人の輪に入って行けないのだろう?なぜうちの息子は,ほかの子どもたちのように本をすらすら読めないのだろうか?なぜティーンエイジャーの従兄弟は,頭の中で人の声の幻聴を聞くようになったのか?なぜ自分の母親は記憶を失いはじめたのだろうか?なぜうちの妻は(夫は),もっと思いやりの心を持ってくれないのだろう?
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 18

ラムゼーの定理

 このアイデアは,今ではラムゼーの定理と呼ばれている。ラムゼーが証明したのは,ある集団が大きくなると,必ずその集団内にパターンが生じるということだった。たとえば,パーティに招かれた6人の客がいるとしよう。この場合,その6人がどのような人物であっても,互いに知り合いの3人か,あるいは互いに全く知らない3人を必ず見つけることができるというのだ。
 信じがたい話のように聞こえるかもしれないが,単純な場合については常識を使って簡単に証明することができる。6人のパーティ客から誰か1人を選び,それを仮にAと呼ぶことにしよう。Aは他の5人のうち3人を知っているか,知らないか,いずれかである。
 Aが3人を知っていて,その3人のうち2人が互いに知り合いの場合,その2人とAとで知り合い関係の三角形ができる(つまり,互いに知り合いの3人を見つけることができる)。反対に,3人のうち誰も互いに知り合いではない場合,その3人はまったくの他人どうしと考えられる。
 Aが5人のうちの3人を知らない場合でも,同じ論理を裏返して当てはめることができる。Aが知らない3人のうち,いずれか2人が互いに知り合いでなければ,Aを含めて互いに知らない関係の三角形ができる(つまり,まったく知らない3人を見つけることができる)。反対に,互いに知り合いがいる場合は,3人の知り合いの輪ができる。
 まわりくどく感じるかもしれないが,少なくとも理解はできる。とはいえ,もっと大きい数字を扱う場合は,問題そのものは単純なままであっても,推論の過程はさらに複雑になるので,どんなに優れた数学者でも苦労をすることになる。この問題はグラフ理論(点とそれをつなぐ線で構成されるネットワークについての理論)の一例だ。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 228-229

小さな数字の方が出やすい

 ニューカムが思いついた説明は1つだけ——1や2といった小さな数で始まる数字の方が,7や8や9といった大きな数で始まる数字よりも多いのだ。一見するとばかげた仮定に思えたが,ニューカムは数字がこのように分布することを説明できる数学的な根拠があることに気がついた。
 その根拠は,何桁にもわたる幅をもつ数の集合があったとき,ランダムに分布するのはその数の対数であって,当の数そのものではないという認識に基づいている。ここから結論へといたる思考過程はかなり難解なものだが,ともかくこのようにしてニューカムは,上1桁の数字に関して,どんな数の集合にでも当てはめることのできる非常に単純な式を導き出した。
Fa = log10(a+1)/a
ただし,Faは上1桁の数字がaとなる頻度を表す。
 この式によれば,日常生活で見られる数を広い範囲から集めてリストをつくると,たいていの場合,上1桁の数字は次のような確率で現れることになる。
上1桁の数字  出現確率
1       30.1%
2       17.6%
3       12.5%
4       9.7%
5       7.9%
6       6.7%
7       5.8%
8       5.1%
9       4.6%
 分布を確かめてみて,ここから無視できないほど外れていたら,そのリストには人の手が加わっていると断言してよい。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 224-225

一発当てようとしない

 実地調査とコンピュータによるシミュレーションの結果から,ワッツらのグループは,バイラル・マーケティングの場合には,あまり一発で当てようとしない方がいいのではないかと提言している。それよりも,伝わるときの再生率が1より小さくても多くの人がメッセージを受け取れるように,「大きな種子」を確保する,つまり最初にメッセージに触れる人たちの集団を大きくするというのである。一回の挑戦で森林全体を燃やそうとするのではなく,よりささやかな広さの区域に火をつけ,それが消えてしまう前に少なくともその周辺だけでも燃えるようにすることだ。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 184-185

19次のつながり

 数は少し異なるかもしれないが,他にも同様に少ないリンクでつながっているネットワークがある。たとえばウェブは19次のつながりでつながっている。つまり平均19回クリックしてリンクをたどれば,どのウェブサイトでも見ることができるというわけだ。19回は一見多いように思えるかもしれない。だが,今や10億以上のウェブサイトがあることを考えれば,小さな数だと言えるだろう。サイト間のリンクがランダムなら,10億はおよそ3の19乗なので,1ウェブサイトあたりのリンクの数は平均してたった3つということになる。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 158-159

グループ・シンク

 イェール大学の心理学者アーヴィング・ジャニスが,1972年に集団思考(グループシンク)という言葉を考え出したとき,その主な特徴は次のようなものだと述べた。
1 画一性への圧力——集団の考え方や決定事項に反すると,脅迫あるいは実際に制裁などが行われ,疎外感を抱くようになる。
2 集団内での閉じた思考——これによって,いかなる疑念も合理化できるようになる。
3 集団の過大評価——自分の属している集団は強くて,賢くて,他の集団に比べ道義的に勝っていて,さらには不滅とさえ考える。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 136

投票制度

 アローがまず調べたのは,理想的な投票方式には何が求められそうかということだった。そこから判明した必要基準をすべて挙げると,次のようなものになる(アローはもっと専門的に定めているが,ここではわかりやすく言い換えた。
1 完備性——選択肢が2つあるとき,かならずどちらか一方を選べるような投票方式であること。
2 全会一致——一方が他方に比べてよいとすべての個人が考えているとき,投票結果もこの選択を反映していること。
3 非独裁性——社会的な選好は,他のすべての好みを無視して,一人の人物の好みだけに基づくことはありえないこと。
4 推移性——社会がYよりXを望み,ZよりYを望んでいることが投票結果からわかったとき,社会はZよりXを望んでいることになること。
5 無関係な選択肢の独立性——三つの選択肢があるとき,そのうち二つの序列は,第三の選択肢の順位には影響されないこと。
6 普遍性——個人が選択に順位をつけるとき,ありうるものであれば,どのような順位でも認められること。
 これらの基準の中には自明に思われるものもあるかもしれないが,民主主義の投票制度としてはどれも明らかに妥当なものである。しかし,アローの不可能性定理(社会選択の逆説とも呼ばれる)が証明したところによると,私たちはこうした基準すべてを同時に満たすことはできない。具体的に言うと,私たちが多数決を選択すれば,コンドルセの逆理によって「推移性」が満たせなくなるし,また私の父のような独裁的な手法を使えば,3番目の基準である「非独裁性」から外れてしまうことになる。
 実際,この逆説から逃れる方法はない。どんなにやりくりをしても,またどんな投票方式を採用しようと,アローの基準のうち必ず1つは捨てざるをえないのである。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 132-133

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