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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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数学の天才

 ジョン・ナッシュはゲーム理論に関する初期の論文をみな,プリンストン大学の博士課程に在籍していたときに発表している。彼は学部生時代の指導教官が書いてくれた,二文から成る以下のような推薦状のおかげで奨学金を与えられ,1948年に同大学の大学院に入学した。「ミスター・ナッシュは19歳で,6月にカーネギー工科大学を卒業します。彼は数学の天才であります」
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 197-198

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自動の報道と取引

 市場の深刻な混乱は,きっかけとなる1つの出来事にたどれることがよくある。2013年の場合は,ホワイトハウスに関するでたらめのツイッターの速報が発端だった。ボットは競争相手を出し抜いて情報を利用しようとして,オンラインで配信されるニュースを漁り回っているので,おそらくこのデマを見つけて取引を開始したのだろう。この話には興味深いおまけがついている。翌年,AP通信が企業の収益に関する報道を自動化したのだ。これは,アルゴリズムに各社の報告書を詳しく調べさせ,業績をAP通信の伝統的な文体で200単語程度の文章にまとめさせるというものだった。この変更は,今や金融報道のプロセスから人間がさらに撤退することを意味している。報道機関のオフィスでは,アルゴリズムが報告書を普通の文章に変換するし,証券取引所の立会場ではロボットがそれらの文章を取引の意思決定に変えるのだ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 179-180

59ミリ秒のアドバンテージ

 それ以上に極端なことをわざわざやる企業さえある。2011年にはアメリカのハイバーニア・アトランティック社が,3億ドルをかけて新しい大西洋横断電信ケーブルの敷設に乗り出した。完成した暁には,これまでにないほどの高速でデータが大西洋を越えることになる。従来のケーブルとは違い,新しいケーブルはニューヨーク=ロンドン間の飛行経路の真下を通る。それが両都市を結ぶ最短経路だからだ。現在,大西洋をメッセージが横断するのには65ミリ秒かかるが〔1ミリ秒は1秒の1000分の1〕,新しいケーブルはそれを59ミリ秒まで縮めることを目指している〔2015年より運用開始した〕。人間が瞬きするのにかかる時間が300ミリ秒であることを考えると,それがどれほどの短さか見当がつくだろう。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 168-169

情報の速さと投資

 電報が発明されたおかげでトレーダーたちは,二つの場所で価格が食い違っている場合にはそれにつけ込み,安い方の価格で買って高い方の価格で売ることができた。経済学ではこの手法は「アービトラージ(裁定取引)」という。電報が発明される前でさえ,いわゆる「アービトラージャー(裁定取引をする人)」たちは,価格の違いを追い求めてきた。17世紀には,金融業者を兼ねていたイギリスの金細工師は,銀の価格が銀貨の価値を上回ると,銀貨を鋳潰した。わざわざ金を携えてロンドンからアムステルダムまで出向き,交換レートの差で儲ける人さえいた。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 164

スポーツに賭ける

 マイナーなスポーツでは,(モデルが導き出したものであれ,専門家がもたらしたものであれ)新たに得られた知識は,きわめて高い価値を持ちうる。決定的な役割を担う変数についてはあまり知られていないので,頭の切れるベッターと一般のギャンブル客の腕前には,雲泥の差がつきかねない。テクノロジーの進歩は,ギャンブラーがより精度の高い予測モデルを構築するのに役立っているばかりではなく,賭けの方法に変化をもたらしてもいる。スーツケースに札束を詰め込んで持ち運ぶ日々は,まもなく終わりを告げる。今ではオンラインで賭けることが可能で,ギャンブラーは同時に何百件もの賭けを行なえる。このテクノロジーは,新しい種類の戦略への道も拓いた。スポーツベッティングではこれまでずっと,結果を正確に予想することに重きが置かれてきた。だが,科学的ベッティングはもはや,たんなる得点の予測という問題ではなくなっている。場合によっては,結果について何も知らないのに賭けることさえ可能になりつつあるのだ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 161-162

予想しやすいスポーツ

 さまざまなチームスポーツのなかには,他より予測しやすい競技がある。その違いの一端は得点率にある。アイスホッケーを例に取ろう。NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)に所属するチームならば,一試合の平均スコアは2,3点だ。これをバスケットボールと比べてみるといい。NBA(全米バスケットボール協会)のチームは頻繁に,1試合で100点もの得点をあげる。ホッケーのように1試合で入る点が少なければ,1点が試合に与える影響はより大きくなる。これはつまり,ゴールに嫌われて跳ね返されたり,運良くパックがゴールに飛び込んだりといった偶然の出来事が,最終結果に影響する可能性が高まることを意味する。得点の少ない競技では,取り扱う得点データも少なくなる。素晴らしいチームがろくでもないチームを破っても,1対0であれば,分析対象となる得点シーンはたった1度しかない。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 129-130

マルコフ連鎖

 1907年,マルコフは記憶も取り込まれたランダムな事象についての論文を公表した。そうした事象の一例がカードシャッフルだった。数十年後にソープも気づくのだが,一度シャッフルした後のカードの順序は,直前の順序に依存している。さらに,その記憶は長続きしない。次のシャッフルの結果を予測するために必要なのは,現在の順序だけだ。数回前のシャッフル時のカードの配列に関する情報を加えたところで,まったく意味がない。マルコフの研究にちなんで,この一段階限りの記憶は「マルコフ性」として知られることになった。このランダムな事象が数回繰り返される場合,それは「マルコフ連鎖」と呼ばれる。マルコフ連鎖は,カードシャッフルや,すごろくなどの偶然性が支配するゲームで広く見られる。また,隠された情報を探るときにも役立つ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 101

男女平等と優生学

 現代の視点に立てば,ピアソンは少々矛盾した人物だったように思われる。彼は当時の多くの人とは異なり,男女は社会的にも知的にも等しく扱われるべきだと考えていた。だがその一方で,統計的手法を利用して人種の優劣を主張したり,児童労働を禁じる法律のせいで子供たちが社会的・経済的重荷となっていると訴えたりもした。こうした見解はどれも,今日では道徳にもとるように聞こえる。それにもかかわらず,ピアソンの研究は大きな影響力を振るい続けてきた。1911年にゴールトンが没してまもなく,ピアソンはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに世界初の統計学科を創設した。また,ゴールトンが『ネイチャー』誌に送った図をもとにして,「重回帰」の手法を構築した。つまり,影響を与えうる要因が複数あるとき,それぞれが結果とどのような相関関係にあるのかを明らかにする方法を編み出したのだ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 83-84

回帰と国民の改良

 ゴールトンは長期にわたって,子の体格に代表されるような結果に対して,さまざまな要因がどのように影響するのかについての考察を重ねた。また,細心の注意を払って,この研究を裏づけるデータを収集した。だが残念なことに,彼の限られた数学的知識では,この貴重な情報を十分に活用できなかった。ピアソンに出会ったときのゴールトンは,ある特定の要因の変化が結果にどれほど影響するのかを正確に計算する方法など,知るべくもなかった。
 ゴールトンがまたしても新天地を指し示したのを受けて,数学の厳密さでその地を埋めたのがピアソンだった。二人はほどなく,こうした発想を遺伝の問題に適用してみることにした。二人とも平均への回帰は問題を孕んでいると考え,「優れた」人種的形質が次世代以降に確実に継承されるために,社会は何をするべきかと思案した。ピアソンの見るところでは,「その構成員の大多数を優秀な血筋から確実に集めること」によって,国民は改良可能だった。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 83

ピアソンとゴルトン

 カール・ピアソンはモンテカルロのルーレットホイール(回転盤)に関する研究を行った二年後,フランシス・ゴールトンという名の紳士と出会った。チャールズ・ダーウィンのいとこであるゴールトンは,科学や冒険,そしてもみあげに対する一族の情熱をダーウィンと共有していた。だがピアソンはほどなく,二人にはいくつか違いがあることに気づいた。
 ダーウィンは進化論を練り上げるにあたって,この新分野を整然とまとめることに時間を費やし,骨組みや方向性を幅広く示したので,彼の足跡は今なおはっきりと見て取れる。このようにダーウィンが建築家だとすれば,ゴールトンは探検家だった。ポアンカレとよく似て,ゴールトンも新奇なアイデアを世に公表するだけで満足し,すぐ次のアイデアの探求に向かうのだった。「彼はけっして,誰が後に続いてくるのかを見届けようとはしなかった」とピアソンは語った。「彼は生物学者や人類学者,心理学者,気象学者,経済学者らに新天地を指し示したが,彼らが後に続こうが続くまいが,お構いなしだった」
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 80-81

期待利益がプラスに

 2003年,マサチューセッツ州営宝くじはまさにこの問題に直面した。メガミリオンズでまる一年にわたって当選者が出なかったのだ。運営者側は,キャッシュ・ウィンフォールではこの厄介な状況を避けるために,ジャックポットを制限することに決めた。もし当選者が出ないまま賞金が200万ドルに達したら,ジャックポットは繰り越されるかわりに,数字を3つか4つか5つ的中させたプレイヤーたちに分配される。これがいわゆる「ロールダウン」だ。
 宝くじの運営者は抽選の前には毎回,前回の抽選でのチケット売上に基づいてジャックポットの金額を推定して公表した。その推定値が200万ドルに達すると,6つの数字を的中させる人がいなければ,ロールダウンになることがプレイヤーにはわかる。人々はまもなく,ロールダウンのときのほうが賞金を獲得する可能性がはるかに高まることを見抜いた。その結果,そのような回にはいつも抽選前にチケットの売上が急増した。
 ハーヴィーはキャッシュ・ウィンフォールを調べていて,このゲームのほうがプレイヤーにとって他の宝くじよりもお金を稼ぎやすいことに気づいた。それどころか,期待利益がプラスになることさえあった。ロールダウンが起こると,2ドルのチケット売上あたり少なくとも2ドル30セントの賞金が支払われることになっていたのだ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 57-58

手抜きの記録

 赤と黒がそれぞれ連続して出た回数を,ホイールがランダムだった場合に見込まれる頻度とピアソンが比べると,どうもおかしかった。同じ色が二回か三回続けて出ることが,本来あるべき頻度を下回っていた。そして,色が交互に(たとえば赤,黒,赤という具合に)出ることがあまりに多すぎた。ピアソンは,ホイールが本当にランダムだと仮定した場合に,少なくともこの頻度まで極端な結果が出る確率を計算した。この確率(彼はそれを「p値」と名づけた)は,ごく小さかった。実際,本当に小さかったので,地球の歴史が始まって以来ずっとモンテカルロのルーレットテーブルを眺め続けていたとしても,それほど極端な結果を目にすることはとうてい見込めないとピアソンは述べている。それは,ルーレットが偶然性に左右されるゲームではないという決定的な証拠だと彼は考えた。
 この発見に彼は激怒した。ルーレットのホイールがランダムなデータの格好の供給源になってくれればと願っていたのに,彼の巨大な「カジノ実験」が生み出す結果は信頼できないのだから腹が立った。「科学者は半ペニー銅貨を投げたときの結果を誇らしげに予測するだろう。しかし,モンテカルロのルーレットは彼の理論を混乱させ,法則を馬鹿にするように振る舞う」とピアソンは述べた。ホイールが自分の研究にはほとんど役に立たないのが明らかになったので,カジノは全部廃業にし,その資産は科学に寄付させるべきだとピアソンは提案した。ところが後日,ピアソンが得た異常な結果は,本当はホイールに欠陥があったせいではなかったことが判明した。『ル・モナコ』紙は記者たちにルーレットテーブルを見守って結果を記録するようにお金を払っていたのに,彼らは手抜きして数をでっち上げていたのだった。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 27-28

仮説駆動型とデータ駆動型

 この「仮説駆動型」の方法,もしくは演繹的方法に代わるアプローチがある。それは「データ駆動型」の方法,もしくは帰納的方法である。このアプローチも,やはり三つのステップから構成される。(1)膨大な量のデータを集める,(2)データを解析してパターンを検出する。(3)これらのパターンを使って仮説を立てる。
 研究者の中には,個人的な好みの問題として,どちらかのアプローチに心惹かれる人もいる。しかしじつをいえば,これら二つのアプローチは対立するものではない。データ駆動型のアプローチは,直観だけに頼るより,探究の価値のある可能性の高い仮説を立てるためのアプローチと見るべきなのだ。そうして良い仮説を立てたのち,仮説駆動型の研究を行えばよい。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 340

平和的解決を

 脳の分割は,長らく科学というよりはむしろ技芸(アート)だった。医者が患者の多種多様な症状からぴたりと病気を言い当てたり,裁判官が多くの判例を整合的に解釈するのと同じく,脳の分割が,シンプルな方式ですっきり片付いたためしはない。脳を領域に切り分ける境界線の中には,明らかに恣意的なものもある。そのような境界線は,歴史的な偶然によって引かれたか,または神経解剖学者たちの誤りによって引かれてしまったのだろう。地球儀や地図帳に引かれた線と同様に,われわれの脳地図もまた,時間が経っても変わらない,客観的な真実を表しているわけではないのだ。新たな領域が作り出されることもあれば,領域を区切る境界線が変わることもある。境界をめぐって意見が対立し,研究者のあいだで辛辣な論争が起こることもある。理想を言えば,そのような論争は,関係者の粘り強い交渉によって平和的に解決されるべきだろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 292-293

試されたことのない方法

フランシス・ベーコンは1620年の著作『ノヴム・オルガヌム』の中で,次のように述べた。
 かつて誰も成し遂げたことのないことを成し遂げようというなら,まだ試されたことのない方法を使わなければならない。誰かが使った方法で成功できると考えるのは,不健全な妄想であり,自己矛盾である。
 わたしはこの格言を強めて次のように述べたい。
 かつて誰も成し遂げたことのない,しかも成し遂げる価値のあることをしようというなら,これまで存在しなかった手段を使わなければならない。
 科学革命が起きるのは,新しい手段が生まれたとき——新しいテクノロジーが発明されたとき——なのだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 229-230

そんな実験があるなら,もう誰かがやっているよ

 効率的市場仮説に関する経験的証拠とされるものは,それを支持するものにせよ反証するものにせよ,込み入っていて一筋縄ではいかないが,理論的な根拠はシンプルだ。もしもどこかの会社の株が割安だということを示唆する情報があれば,それを最初につかんだ投資家たちがその株を買うことで株価を引き上げるだろう。したがって,歩道に20ドル紙幣が落ちていることはない(じっさいにはほとんど落ちていない)のと同様,よい投資のチャンスというものはない,というのがこの仮説の主張なのである。
 さて,この話が神経科学とどう関係するのだろうか? 笑い話をもうひとつ紹介しよう。「すごい実験を考えついたよ!」と,ある科学者が言った。するともうひとりの科学者がこう答えた。「馬鹿なことを言うな。そんな実験があるなら,もう誰かがやっているよ」。このやり取りには真理のかけらが含まれている。科学の世界は,頭のいい働き者であふれている。すごい実験は,歩道に落ちている20ドル紙幣のようなものだ——これほどたくさんの科学者がいるのだから,すごい実験がそうそう残っているわけがないというわけだ。この主張を定式化するために,わたしは《効率的科学仮説》とでもいうべきものを提唱したい。公正で確実な研究方法では,平均的な成果を上回ることはできない,というのがそれだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 228

接続過剰・不足

 自閉症の原因に関するこの説が,骨相学的な証拠にもとづき,骨相学的な言葉で語られているのが,ちょっと気がかりだ。前にも述べたように,自閉症者の脳が大きいのは,平均としてそうなっているという統計的な話でしかない。個々の子どもについて,脳の大きさや表面積にもとづいて自閉症の診断を下すことは,不正確きわまりない。ニューロンの接続について「過剰だ」とか「不足だ」などと言うことも,脳のサイズが「大きすぎる」とか「小さすぎる」と言うのと同じく粗雑な骨相学の観点なのである。もしも自閉症がコネクトパシーのために引き起こされるなら,ニューロンの接続の違いは,接続の数ではなく,接続の組織化のされ方のほうにあるはずだ。そうだとすれば,コネクトパシーは現在のテクノロジーでは観察できないということになる。それゆえ,自閉症に関与する神経病理学的特徴も解明できないだろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 191-192

脳の発達の4段階

 脳の発達には,大きく分けて四つの段階がある。神経前駆細胞が分裂してニューロンができる段階,ニューロンが脳の中のしかるべき場所に移動する段階,枝を伸ばす段階,そしてニューロン同士がつながり合う段階だ。これら四つの段階のどれがうまくいかなくても,脳に異常が起こりうる。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 181

学習の可能性

 換言すれば,シナプスの生成それ自体は,脳に学習の「可能性」しか与えない。ランダムで「知的でない」プロセスだということだ。シナプスが生成されたというだけでは,先に述べた新骨相学の説とは裏腹に,何か新しいことができるようにはならない。シナプス生成を強化するような薬を使っても,脳が不必要なシナプスを速やかに除去できなければ,学習能力が高まることはないと考えられるのはこのためだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 161

まばらな接続

 しかしこの説にとっては残念なことに,すべてのニューロンが他のすべてのニューロンと接続しているという仮定は,目も当てられない大間違いなのだ。現実のニューロンはそれとは逆に,《まばら》にしか接続していない。現実に存在するのは,ありうる限りの接続の,ほんの一部にすぎないのである。ひとつのニューロンは,典型的なところで一万個ほどのシナプスを作ると推測されるが,脳の中には1000億個ものニューロンが存在するのだから,接続されるのはごくわずかのニューロンだ。しかしそれも当然といえば当然だろう。シナプスそのものも場所を取るし,シナプスを作るための樹状突起も場所を取る。もしもすべてのニューロンが他のすべてのニューロンと接続していたなら,あなたの脳は異様なほど大きく膨れ上がっていただろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 156

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