I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

私立専門学校の位置づけ

専門学校令の公布を機に高等教育機関として整備を進め,「大学」として実質の構築に向けて先頭を走っていた早稲田にして,現実はこのようなものであった。私立専門学校と官立諸学校との間で教育条件,ひいては社会的威信の格差は依然として大きかった。中学校卒業者の間では,まずは高等学校か官立の専門学校・実業専門学校をめざして受験を繰り返し,数年の予備校通いや浪人の後に(あきらめて)私立専門学校へ,というのが支配的な進学のパターンだったのである。

天野郁夫 (2009). 大学の誕生(下) 中央公論新社 pp.12

大学の序列

このように大学の階層化が進んだことによって,現在では,三流公立大学には全米平均レベルの学生ばかりが集まり,一方,名門校には認知能力が90センタイルを下回る学生など一人もいないという状況になっている。大学によっては,90センタイルどころか99センタイル以上,場合によっては99.9センタイル以上の学生がうようよいるところもある。どこを卒業しても,学士号さえあれば同じ「大学卒」だが,逆にいえば「大学卒」というレッテル以外にもはや共通点はない。大学の知的序列は誰の目にも明らかであり,就職希望者の履歴書を見る採用担当者も,子供の進学先に悩む親も,立身出世を夢見る高校生も,みなその序列を念頭に置いている。

チャールズ・マレー 橘 明美(訳) (2013). 階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現 草思社 pp.93

子供の教育にこだわる

新上流階級の親たちが最もこだわるのは子供の大学進学である。子供が10代になると,彼らの頭は大学入学制度のことでいっぱいになる。これは一般のアメリカ人にはまず見られない現象である。アメリカの大学で入学が難しいのはごく一部でしかなく,それ以外の大学は,願書に高校の一定水準以上の学業成績証明書と大学進学適性試験(ACTあるいはSAT)の結果を添付して提出すれば,それだけで入れる。もちろん一般の親たちも,子供が第一志望の州立大学に入れるだろうかと気にかけはするだろうが,それ以上に悩むことはない。子供の進学先が『USニューズ&ワールド・リポート』誌の大学ランキングでベストテンに入っていないからといって,眠れぬ夜を過ごしたりはしない。

チャールズ・マレー 橘 明美(訳) (2013). 階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現 草思社 pp.70

初等教育の義務化から

19世紀後半は,精神病・精神障害者の問題が,社会的に急に重みを増しはじめた時代であった。そのきっかけの1つは,初等教育の義務化であった。1870年,イギリスでは教育法が成立し,大量の極貧層の子供たちが初等教育を受けることになった。ところが多くの子供たちが授業についていけず,肉体的・精神的な欠陥があることが問題となった。1885年に王立障害者学級委員会が設置され,ここが5万人の小学生を対象に教師から報告を集めたところ,9186人の精神・神経系の障害児がいることがわかった。これによって特殊学級の設置が勧告され,貧困家庭の子供には無償の補習授業と住宅費補助が支払われることになった。98年からはイギリス各地で特殊学級が開始され,翌年には特殊学級法が成立した。
 19世紀のロンドンは,おびただしい数の極貧層をかかえており,別の人種とみえるほど肉体的にも精神的にも衰弱した集団を形成しているようにみえた。世紀末になると,これらの極貧層の一部の人びとは,精神障害(当時の表現では精神薄弱)という医学的な課題として把握しなおされることになった。1904年に,「王立精神遅滞保護抑制委員会」が設置され,1908年には報告書がまとめられた。この委員会がまず行ったのは,精神障害の区分と定義であり,そのうえでイギリスの精神障害者の全体像を把握することであった。そこで浮かび上がってきたのが,精神障害の女性の出産・育児の問題である。この時代,精神障害は遺伝によると漠然と考えられており,しかも一般の女性より多産であると信じられていた。このことは非摘出子と精神障害の子供が増えることを暗示しているとされ,社会に倫理的危機をもたらす恐れすらあるとされた。調査を行ったA.F.トレドゴルドは,一般の女性は平均4人子供をもつのに,「劣悪家族の女性は平均7.3人の子供をつくる」と結論づけた。この論法こそ典型的な優生学的主張である。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 26-27

共通テスト

しかし,わたしの両親の生まれ故郷であるイギリスでは,こううまくはいかなかっただろう。イギリスでは,小学6年生の時に,共通テストを受けることになっている。その成績が悪い子は,Aレベルに進むことができず,それは大学に進学しないことを意味する。イギリスでは,教育は権利ではなく,むしろ特権なのだ。誰もが大学へ行くわけではないので,教育は階級制度の一部となっている。イギリスや他の多くの国々で,子どもたちが思春期も迎えないうちにテストされ,高等教育を受けるに値する知的能力を持っているかどうかを評価されるというのは,実に残念なことだ。もしわたしの息子たちが11歳や12歳,あるいは15歳や16歳で,このような人生を決める「選別」を受けたとしたら,今そうなっているように,良い大学を出て社会で成功できていたかどうかはわからない。ティーンには不確定要素が多い。そんな彼らの将来が,未成熟の脳の評価で決められるのは,理不尽と言えるだろう。

フランシス・ジェンセン エイミー・エリス・ナット 渡辺久子(訳) (2015). 10代の脳:反抗期と思春期の子どもにどう対処するか 文藝春秋 pp. 258-259
(Jensen, F. E. & Nutt, A. E. (2015). The teenage brain: A neuroscientist’s survival guide to raising adolescents and young adults. New York: Harper.)

自己分析

そして「変わらなさ」の例として,「自己分析」も挙げておきたい。もちろん,自己分析の語が広く就職活動全般に広まったのは,ここ20年くらいの動きであろう。しかし,アメリカ心理学から輸入された「自己分析」の語は,1950年代にすでに日本でも用いられていた。日本応用心理学会・日本職業指導協会編『職業指導講座第4巻技術編II』(中山書店,1955年)には,東京大学教育学部教授の心理学者・沢田慶輔による「自分分析」の章があり,「シカゴ・プラン」と呼ばれる取り組みが紹介されている。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 111

駅弁大学

戦後,全国各地に雨後の筍のようにできた新制大学を指して,「駅弁大学」という言い方があった。急行が停まり,弁当を売っているぐらいの駅のある地方には必ず大学が存在する,といった事態をやや揶揄するような表現である。これは大宅壮一の造語であり,大宅発の流行語にして他には,テレビによる「一億総白痴化」や,大阪出身のネットワークを指す「阪僑」などが有名。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 78-79

いつも同じ

現在,「学長の推薦状」などは通常必要とされないし(ただし,ゼミ担当教員などの推薦状は,時として要求される),学業成績表の類いも提出はさせられるが,成績そのものは参考にされる程度であろう。しかし,大学での学業成績ではないにしても,ウェブテストなどによる学力考査での「粗選び」は,今日の就職活動のプロセスにおいて一般的なものとなっている。体育会系学生の就職における相対的な強さの一方で,最低限の学力の担保も求められる点などは,昭和恐慌期も平成不況期も変わるところがないのである。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 53

大学は出たけれど

大卒者を迎え入れようにも,その空き枠はない,経済の先行きが不透明な状況で,幹部候補生ばかりにいられても,どうにも使い勝手が悪いし,人件費もばかにならない…。それが,1920年代の全般的な情勢であった。そうした時代を象徴するサイレント・ムービーが,小津安二郎監督の「大学は出たけれど」(1929年)である。このタイトルは当時の流行語となり,その後も今日に至るまで,不況(就職難)のたびごとに「大学は出たけれど」はマスコミに重宝されるフレーズとなっている。
 1970年代頃から,「大学は出たけれど」定職に就かない(就けない)若者たち—「遊民」や「プー(タロー)」,後に「フリーター」「ニート」,さらには「新卒無業」や「非正規雇用」「プレカリアート」などと呼ばれる(もしくは称する)—が問題視され,ここ数年では「大学は出たけれど」奨学金が返還できない事態の広がりが取りざたされている。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 38-39

スーツの色

この記事のラストは,「ほかの人に差をつけようとユニークな格好ででかけたという面接武勇伝をよく耳にしますが,個性とはその人の人柄や発想力や知的レベルなど,内面からきらりとでてくるもの。服装や見かけで奇をてらうと,しくじる可能性が大」と締めくくられている。この結論自体は,今日でも通用する正論であろう。
 だが,紫やピンクのスーツ,からし色のブレザー,プリント柄のワンピース,ポロシャツなどでの就職活動は,いまの常識からすればじゅうぶん「奇をてらう」行為だし,「面接武勇伝」どころか立派な暴挙である。「白い金ボタンのダブルのジャケットに,ボックスプリーツのスカート」姿への「ダークな色が多い中で「白」が明るい印象に<博報堂・中氏>」といったポジティブなコメントには,そのあまりの時代の隔たりゆえに,ただただ呆然としてしまう。
 もちろん,雇用機会均等法以前の話なので,女子新入社員の位置づけも,今とは若干異なっていたのであろう。しかし,平成の時代に入っても,1990年代前半だと,さすがにダブルのスーツはまずいが,明るいグレーやベージュなどはまだありうる選択肢だった。だが,失われた10年や就職氷河期などとささやかれる中で,「紺→濃紺→黒」と,世の中の暗さを象徴するかのように,この20年間で就活生の色合いは,どんどんモノトーンとなっていったのである。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 10-11

差異と多様性

大学に本当に必要なのは「差異」と「多様性」である。自分とは異なる価値観や世界観,過去や遠い地域の文明や文化,人間の知性の奥深さや広がりを学ぶことによって,私たちは自分たちがいまどういう世界の中に生きているのかをよりよく知ることができる。そして,よりよく知るとは,つまりは人間としてよりよく生きるということでもある。このような差異と多様性に開かれた自由な知をこれからも大学の中で守っていかなくてはならない。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 203

顔色をうかがう

運営交付金の配分も,各大学の定員数も,学部や大学院の設置や改組も最初から既定の路線通りすべて文科省が統制しているというのが現実で,各大学の自主性とか自立性とかを主張できる可能性はほとんど残されていないのだ。なぜなら6年ごとに作られる中期目標・中期計画も文科大臣名で最終的には文科省が決めているからだ。つまり,国立大学は元々自由に競争するための手足を完全に縛られている中で,運営交付金や競争的資金を獲得するために文科省の顔色を窺いながら生き残りを図らなくてはならないのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 83-84

お金の集中

国立大学の場合,競争原理はほとんど関係ない。文科省は良い改革案やプランを出す大学を支援するといっているが,それは文科省の求める施策に適合したプランに対してだけであって,実際には旧帝国大学をはじめとして特定の大学に集中的にお金が流れている。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 82-83

改革と転落

要するに91年の大学設置基準の大綱化以降,日本の国立大学および,やはり私学助成金の減額を恐れて文科省の指導の下に似たような「改革」を行ってきた私立大学は,どんどん頽落の道を転がり落ちていっているのである。そのことは大学の内部にいる者たちにははっきりと見えているのだが,残念ながら大学の外の人たちからはまったく見えないようなのである。外側から見れば,まだまだ国立大学はひだまりの中で特権を謳歌している,改革努力の足りない遅れた組織なのだ。そして,惰眠をむさぼる大学と大学人を覚醒させるためには,国家が強力にコントロールしていかなくてはならないと本気で思っているのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 75-76

自主的?

たとえば,平成28年度からは運営交付金の重点支援の枠組みであるところの,地域のニーズに応える人材育成・研究を推進するとされる「地域貢献型」,分野ごとの優れた教育研究拠点を目指す「特定分野型」,世界のトップレベルの大学と伍して卓越した教育研究を推進する「世界水準型」の3つの類型のどれかでなければ,運営交付金を3割も減らされるということが告知されている。各大学は自分たちの大学がこの3類型のどれであるかということを自ら受け入れて,その目標に沿った「改革」を「学長のガバナンス」を通して推進しなくては生き残れないのだ。
 こうした状況のどこに「自主的な大学改革」の余地が残されているだろうか?国によってはんじがらめに縛られ,経営陣にも常に国の監視が向けられ,文部科学大臣の名前で公表されている中期目標・中期計画をやらなければ運営交付金を減らされると脅かされる中で,そして実際に毎年1%ずつ,年によってはさらに運営交付金が減額されている中で,学長や執行部が自主的にできることなどほとんどないのである。また,トップダウンで学長が強権的な大学支配を行ったりすれば,その学長を応援して支えている教職員たちの反乱が起きることは目に見えている。
 つまり,学長という立場は大学の構成員と文部科学省の板挟みになってしまい,結局は両方の根回しをすることくらいしかできないのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 71-72

混乱の極み

国立大学法人化以降の大学の人事システムは変化が激しすぎて混乱を極めていると言っていい。終身雇用制の教授,准教授,講師は,公務員ではなくなったとはいえ実質的にはそれまでとほとんど変わらない形に縛りつけられている。いわゆる「見なし公務員」である。給与水準も公務員と同じく人事院勧告に準拠しなければならない。
 2011年に震災復興のために国家公務員の給与が平均7.8%引き下げになったときにも,もはや公務員ではないのだからと傍観していたら,国から厳しく給与引き下げを迫られ,従わなければ次年度から交付金を減らすと脅かされた。結局は年収が低い若い教職員は可哀想だからと,私たちのように年齢が上の者から10%程度の削減が行われ,大変苦しい思いをした。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 63-64

新課程

元々は一県に一大学,必ず教員養成系の大学・学部を置くという原則の下に地方の新制大学が作られていたのだが,遠山プランのときにはむしろ教員養成系はそんなに必要がないとされ,新課程だけが残されようとしたのである。この問題は奥が深い。
 その間,新課程は30年近くもの間,それぞれの大学で独自の役割を果たして,成長をし続けてきた。受験生たちからの安定したニーズも生み出してきたし,すでにたくさんの卒業生も生み出してきた。
 それを今回の「通達」では,何の歴史的検討も,将来への洞察もなく,一転して教員養成系だけを残し,新課程を全国一律に廃止するというのである。いかにも乱暴な議論である。たったの1年でこの乱暴な方針がまとめられ,直ちに各大学に押し付けられたのだ。そして,それが文系学部の文理融合学部への統合という,これもまたよくわからない議論へと結び付けられているのだから,いくら「文系軽視ではない」と力説したところで,「社会の役に立たない文系の縮小・廃止」と受け取られるのも当たり前のことなのではないだろうか?

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 43-44

経験でしか語れない

人はだれでも自分の経験を通してしか物事を測ることができない。中学校や高等学校は自分が出たころとそんなに変わっていないと思い込んでいるし,大学もまた自分が大学生活を送ったころから変わっていないだろうと信じこんでいる。
 その大学生活の思い出といえば,遊びやアルバイトに明け暮れ,適当に単位をかき集めただけの記憶しかなかったり,あるいは実験室でずっと先輩の大学院生の共同研究を手伝っていたり,部活やサークルの活動にかまけていたり,就活を終えて卒業旅行を楽しんだりと人によってそれぞれ違うだろうが,いずれにしてもそのころの大学と現在の大学は基本的にはそんなに違っていないだろうと思っている人が多い。だから,一般の人は大学,あるいは国立大学のことについてほとんど知らないし,またそんなに大学の変化には関心を抱いていない。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 4

微妙な二重性

ですから,大学教授間に成り立つのは,独立した主体相互の平等な関係で,両者に命令や指示,あるいは「お仕えする」関係は不可能ということになります。しかし,それでは現実の組織としての大学は成り立ちません。大学が組織として運営されるには,入試,カリキュラム設計,成績評価といった教育上の実務はもとより,研究プロジェクトの遂行,そして大学運営そのものにかかわる多くの実務や事業が不可欠ですし,それらの実施には一般企業と同じように責任者の下での指揮命令が不可欠です。そのため,大学教師は「教授」「准教授」といった独立の立場と共に,学部長や学科長,委員長,室長,室員等々といった組織運営上の職務を兼ねることになります。そして,これらの職務上の立場で大学教師がすることは,企業組織の実務と本質的な差はないのです。事業の成果はもちろん求められるし,効率性や利益も必要で,トップダウン式の意思決定が必須です。
 産業界の人々が見誤りがちなのは,大学のダイナミズムを支えるのがこの微妙な二重性にあることです。もしも,大学を後者の企業的な原理だけで動くものにしてしまったら,大学の根底をなす教授たちの創造性は失われ,そのような大学は徐々に活力を失っていきます。どうやっても,企業のようには大学は動かないのです。

吉見俊哉 (2016). 「文系学部廃止」の衝撃 集英社 pp.137-138

文系の知とは

価値の尺度が劇的に変化する現代,前提としていたはずの目的が,一瞬でひっくり返ってしまうことは珍しくありません。そうしたなかで,いかに新たな価値の軸をつくり出していくことができるか。あるいは新しい価値が生まれてきたとき,どう評価していくのか。それを考えるには,目的遂行的な知だけでは駄目です。価値の軸を多元的に捉える視座を持った知でないといけない。そしてこれが,主として文系の知なのだと思います。
 なぜならば,新しい価値の軸を生んでいくためには,現存の価値の軸,つまり皆が自明だと思っているものを疑い,反省し,批判を行い,違う価値の軸の可能性を見つける必要があるからです。経済成長や新成長戦略といった自明化している目的と価値を疑い,そういった自明性から飛び出す視点がなければ,新しい創造性は出てきません。ここには文系的な知が絶対に必要ですから,理系的な知は役に立ち,文系的なそれは役に立たないけれども価値があるという議論は間違っていると,私は思います。主に理系的な知は短く役に立つことが多く,文系的な知はむしろ長く役に立つことが多いのです。

吉見俊哉 (2016). 「文系学部廃止」の衝撃 集英社 pp.75

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