I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

理由などない

しかし,私は思う。そもそも差別に理由をもうける時点で,決定的に間違っている,と。差別を肯定するための理由などを認めていたら,世界中のすべての差別が許容されてしまうではないか。
 国家や指導者を批判することは一向に構わないが,私たちの目の前にいるマイノリティを差別し,排除し,嘲笑する理由など何一つない。
 いや,あってはならないのだ。

安田浩一 (2015). ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力 文藝春秋 pp.132-133

熟慮ではない

社会のマジョリティとして,マイノリティの殺戮を煽ったのだ。「軽はずみ」であることなど,何の言い訳にもなるまい。世界中の歴史を紐解けば,あらゆるジェノサイド(虐殺)は,それこそ「軽はずみ」から始まっている。熟慮に熟慮を重ねた「虐殺」などあっただろうか。

安田浩一 (2015). ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力 文藝春秋 pp.130-131

不快語や罵詈雑言とは違う

「ヘイトスピーチとは,人種,民族,国籍,性などのマイノリティに対して向けられる差別的な攻撃を指す」
 これが師岡の見解だ。私もそれに倣いたい。
 自身の努力だけでは変更することのできない,けっして抗弁することができない属性や,性的マイノリティに対し,差別に基づいた扇動・攻撃を加える行為そのものが,ヘイトスピーチと位置付けられる。しかもそれらの攻撃は社会的な力関係を背景におこなわれる。
 また,人種差別研究で知られるハワイ大学のマリ・マツダ教授は,ヘイトスピーチは「マイノリティに対して恐怖,過度の精神緊張,精神疾患,自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛をもたらす」としたうえで,その定義を以下の3点に簡潔にまとめている。
(1)人種的劣等性を主張するメッセージであること
(2)歴史的に抑圧されてきたグループに向けられたメッセージであること
(3)メッセージの内容が迫害的で,敵意を有し相手を格下げするものであること
 要するに,ヘイトスピーチは単なる不快語や罵詈雑言とは違うということだ。
 この点は世間にはまだ正確に伝わっていない。「言葉遣いが汚い」ということだけで「ヘイト」だとする風潮の方が,日常社会やネット言論の世界では一般的だ。

安田浩一 (2015). ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力 文藝春秋 pp.77-78

だから害悪

カタルシスや娯楽のためにマイノリティが存在するのではない。ヘイトスピーチを全身に浴びてきた人間が,そう簡単に「痛み」から解放されるわけがないのだ。
 何度でも言う。ヘイトスピーチは暴力そのものだ。生身の人間を傷つける。そして,人を抱える社会そのものを傷つける。
 だから害悪なのだ。

安田浩一 (2015). ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力 文藝春秋 pp.62

暴力そのもの

ヘイトスピーチは単なる罵声とは違う。もちろん言論の一形態でもない。一般的には「憎悪表現」と訳されることも多いが,それもどこか違うように感じられてならない。
 憎悪と悪意を持って差別と排除を扇動し,人間を徹底的に傷つけるものである。言論ではなく,迫害である。
 言葉の暴力——ではない。これは「暴力」そのものだ,と。人間の心にナイフを突き立て,深く抉るようなものだ。

安田浩一 (2015). ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力 文藝春秋 pp.19-20

トートロジー

「これは私のおふくろです。なぜなら,私の母だからです」という表現は,最も厳密な論証で誤りがありません。しかし,このような論証は結論が必ず真理なので内容的に意味のない表現になっています。吟味するまでもなく意味内容が絶対に真理となるような表現内容を,「トートロジー」とか「同語反復」と呼びます。トートロジーでは前提や根拠から主張への飛躍はありません。つまり,確実な結論を導けますが,生産的なことは何も言っていないに等しいのです。ですから,なにか生産性のある論証をする場合には「Aという前提・根拠」から「Aという前提・根拠以外のなにか」を導く必要があります。言いかえるなら,飛躍をともなわない意見は主張にはなりえないのです。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.91

反論を許す

主張をこのように考えてみますと,単に主張が「自分が一番言いたいこと」では済まない場面がありそうです。要するに,自分の主張は誰かへの反論になっているのですから,こんどは自分の意見は誰かから必ず反論される対象となっているはずです。そうであるなら,「誰かからの反論を十分に許す(これはいいことです)だけの議論構造をあらかじめ用意してから主張すること」が議論の順番ということになるでしょう。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.90

的を射ていない

ある質問が「的を射ていない」と即断できるということは,同時に「的を射た質問とはなにか」を知っていることを意味します。つまり,「的を射た質問とはなんであるか」がわかっているからこそ,それとの対比で「的を射ていない質問」が定義できるのです。このことを事前におさえているためには,議論が開始される以前に周到な思考上の準備が必要なばかりか,議論になっている内容についての明確な考えを持っている必要があります。そして,そうした準備があるならば,この学生の質問をきっかけにして面白い議論が展開できそうな気がします。
 すべての大学教員に議論スキルが欠けているとは思えません。より正確には,議論スキルのない人が,またはそのような認知技能を身につけるためのトレーニングを受けていない人が,または議論を実践していないような人が,大学の教員をしている「場合がある」ということになるのでしょう。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.33-34

アイデンティティの核心

集団に対するヘイト・スピーチの被害が,個人に対するそれに比べて小さい(希釈化・希薄化する)とする主張は,マイノリティ集団と個人との関係については当てはまらない。マイノリティに属する人々にとって民族性などの属性はアイデンティティの核心を占めることが多く,その属性に向けられた言葉の暴力は,特定人に向けられても,集団に向けられても,属性を同じくするすべての人の存在価値を否定するメッセージとなりうる。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.156-157

深刻な人権侵害

まずヘイト・スピーチは,単なる「悪い」「不人気」「不適切」「不快」な表現ではないことを確認したい。脅迫や名誉毀損が他人の人権を侵害して許されないのと同様,ヘイト・スピーチは人権を侵害する表現であり,許してはならないものである。「不快」「不適切」などと軽く扱うこと自体,ヘイト・スピーチのもたらす取り返しのつかないほどの深刻な人権侵害と社会の破壊の害悪を認識していないと言わざるを得ない。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.151

表現の自由

最初に議論の共通の前提である,表現の自由の意義について確認しよう。表現の自由は,日本国憲法の保障する様々な自由の中で,もっとも重要なものの1つとして位置づけられている(優越的地位)。それは,表現の自由の保障が,「自己実現」と「自己統治」に不可欠だと考えられているからである。
 つまり,人間は誰しも,自己の意見を形成し他者に伝え,他者の意見にも触れて,自己の意見を再形成する過程で,その人格を形成していく。このような個人の人格の実現のための過程に着目するのが,表現の自由の「自己実現」における価値である。
 また,独裁を否定して平等を建前とし,社会の構成員らが協議して統治する民主主義社会の実現には,政治に関するあらゆる情報が社会全体に流通し,誰もが政治に関する自己の意見を主張できる自由,とりわけ権力に対する批判的な見解を述べる自由が不可欠である。このような民主主義の過程に着目するのが,表現の自由の「自己統治」における価値である。
 これら表現の自由の「自己実現」と「自己統治」における異議は,現在の世界の共通認識といってよい。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.146-147

差別構造の強化

ヘイト・スピーチのもたらすもう1つの害悪は,偏見を拡散しステレオタイプ化し,差別を当然のものとして社会に蔓延させ,差別構造を強化することである。社会心理学者のゴードン・オルポートによれば,それは憎悪を社会に充満させ「暴力と脅迫を増大させる連続体の一部」であり,究極的にはジェノサイドや戦争へと導く。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.61

ヘイト・スピーチがもたらすもの

批判的人種理論の論者であり,自らも民族的マイノリティであるマリ・マツダは,ヘイト・スピーチはマイノリティに対し,「芯からの恐怖と動悸,呼吸困難,悪夢,PTSD(心的外傷後ストレス障害),過度の精神緊張(高血圧),精神疾患,自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛」をもたらすと指摘する。社会心理学者クレイグ・ヘンダーソンは,被害者に共通する心理的影響として,(1)継続する感情的苦悩,(2)自信喪失,(3)逸脱感情(自分は「普通」とは違いマイノリティであるから狙われたという自己認識),(4)自分を責める,などを具体的に挙げている。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.53

ヘイト・スピーチとは

代表的論者のチャールズ・ローレンスは,ヘイト・スピーチを「人種的烙印の一形態としての攻撃」であり,標的とされた集団が「取るに足りない価値しか持たない」というメッセージ,「言葉による平手打ち」だと表現している。またブライアン・レヴィンは,ヘイト・スピーチは,それ自体が「言葉の暴力」であると同時に,物理的暴力を誘引する点で,単なる「表現」を超える危険性を有すると指摘,ヘイト・スピーチと暴力の関係を,「人種的偏見,偏見による行為,差別,暴力行為,ジェノサイド」の5段階の「憎悪のピラミッド」で説明している。
 このように,ヘイト・クライムもヘイト・スピーチもこの憎悪のピラミッドの中に位置づけられ,人種,民族,性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指している。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.39-40

エピジェネティックス

そのうちの1つがエピジェネティックスです。エピという語はエピソード(挿話)という言葉にもあるように,「上」とか「外」という意味です。ジェネティックスは遺伝学です。遺伝学の中心はDNAです。そこでエピジェネティックスとはDNAの上または外に生じた変化,つまりDNAの修飾のことを言います。生体内のDNAの特定の部分(CpGアイランドとも呼ばれる,シトシンとグアニンに富む領域)が加齢や食事,化学物質等の外部環境の影響によってメチル化すると,その遺伝子は活性を低下させて少量のタンパク質しか作らなくなりますし,あるいはDNAと結合しているヒストンがアセチル化すると,アセチル化された遺伝子は逆にタンパク質が多く作られるようになります。このように環境の変化で特定の遺伝子が修飾を受け,作られるタンパク質が増減して,そのタンパク質の作用が弱くなったり強化されたりする現象をエピジェネティックスと呼んでいます。そうするとヒトの特定の性格が強調されたり,目立たなくなったりすることもおこることになります。

土屋廣幸 (2015). 性格はどのようにして決まるのか:遺伝子,環境,エピジェネティックス 新曜社 pp.9-10

熱心の意味

とはいえ,当時の人びとが信仰復興という出来事をみな同じように見ていた,というわけではない。「熱心」(enthusiasm)という言葉は,今日なら肯定的な響きをもつが,当時はとても悪い意味だった。「あの人は熱心だ」というのは,「あの人は常軌を逸した危険人物だ」という意味だったのである。信仰復興運動をめぐっては,賛成派と反対派がくっきりと分けられ,伝統的な価値観をもってこれに反対する保守派は「古き光」,賛成派は「新しき光」と呼ばれた。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.87

反知性主義

「反知性主義」(anti-intellectualism)という言葉には,特定の名付け親がある。それは,『アメリカの反知性主義』を著したリチャード・ホフスタッターである。1963年に出版されたこの本は,マッカーシズムの嵐が吹き荒れたアメリカの知的伝統を表と裏の両面から辿ったもので,ただちに大好評を博して翌年のピュリッツァー賞を受賞した。日本語訳がみすず書房から出たのは40年後の2003年であるが,今日でもその面白さは失われていない。訳者の田村哲夫が「あとがき」に記しているとおり,「説得的な歴史観の下で,正確な叙述で表された歴史書は,どんな時代にも古くささを感じさせるものではないし,どんな時代にも有益なヒントをあたえてくれる」ものである。
 だが,もしそんなに名著であるなら,これが40年も訳出されずに放っておかれたのはなぜだろう,とう問いも湧いてくる。理由の一端は,この本の内容が日本人には理解しにくいアメリカのキリスト教史を背景としているところにある。この本に言及する人もあるにはあるが,よく見てみると,引用されているのは冒頭の数頁だけで,内容的な議論の深みへと足を踏み入れる人は少ない。けっして難しい本ではないが,日本人になじみの薄い予備知識が必要なため,本筋のところが敬遠されてしまうのである。その先に続く議論の面白さを考えると,これは実にもったいない話である。アメリカの反知性主義の歴史を辿ることは,すなわちアメリカのキリスト教史を辿ることに他ならない。

森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.5

メリトクラシー

ヤングは怒りを買ったショックから立ち直ると,出版しようという人が出てくるような形に仕上がるまで,考えを深めることにした。彼が書くことにしたのは,『動物農場』と『すばらしい新世界』の精神に沿った,新社会秩序の関する暗黒郷をテーマにした作り話。2030年に書かれた社会学のニセ博士論文の形式にするつもりだった。すぐに出てきた問題は,ヤングの言うところの「人間によるというよりむしろ,最も頭の切れる人間たちによる支配」制度に,どういう名前を与えるかだった。アリストクラシーだろうか。ギリシャ語では,最良の人々による支配を意味したが,1950年代の西側世界全域では,逆の意味,すなわち富の相続人による支配と理解されていた。そこでヤングは代案を考えた。「メリトクラシー」である。
 実際は,最初の音節をギリシャ語からラテン語に変えただけで,同じ単語である。ヤングは,友人の哲学者,プルーデンス・スミスに,「メリトクラシー」という言葉を使ってみた。彼女はぞっとして,ラテン語とギリシャ語の語根を1つの単語の中に組み合わせるのは,品の良さを醸し出す言葉のルールにすべからく反する蛮行だ,と言った。彼女が徹頭徹尾反対したので,ヤングは何十年たっても,そのときの様子を克明に覚えていた。2人はロンドンのゴールダーズグリーン墓地の火葬場の外で,「メリトクラシー」の造語が許しがたい掟破りかどうかをめぐって,議論を戦わせた。
 ヤングはこれ以上ふさわしい単語を思いつかなかったので,「メリトクラシー」にこだわった。プルーデンス・スミス以外,だれも不満を言わなかった。「メリトクラシー」は英語に加わった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.144

自然のアリストクラシー

トーマス・ジェファーソンが1813年に「自然のアリストクラシー」という言葉を用いたのは,「アリストクラシー」という単語がそれまでのあいだに,全面的にではないが,少し変化した証拠だ。コナントが好んで引用したもう1人の提唱者,ラルフ・ウォルドー・エマソンは1848年,「アリストクラシー」という題名のエッセイを執筆し,この単語は,相続で受け継がれた特権を意味するのでなければ,ジェファソンが示したような安心感があると述べた。「上流階級の存在は,優秀さに依存するかぎり有害ではない」実際,エマソンの理想社会は,人選に良い方法があればの条件付きで,プラトンが提唱した正統派の貴族政治であった。エマソンは冗談めかして,だれの優秀さでも測れる「人間測定器」があれば良いのにと表現した。「各人が評価を受け,各人が各成人市民の真の数値や重みを承知し,各人はいるべきところに位置し,実行・使用する強大な権力が各人に委託されるところを見てみたい」

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.57

進化の言葉使用の不用意さ

多くの人は,「進化」という言葉を文化的変化(歴史の変遷)と生物学的変化(世代を経ての遺伝子頻度の遷移)の両方の意味に不用意に使う。たしかに文化的な進化と生物的な進化は互いに作用しあうこともある。たとえばヨーロッパやアフリカの部族が乳汁を得るために家畜を飼う習慣を採用したところ,彼らは大人になっても乳糖(ラクトース)を消化できるように遺伝子変化を進化させた。それでも,この2つのプロセスは別物である。原則として,この2つはつねに区別することができる。たとえば,ある社会で生まれた赤ん坊を養子に出して別の社会で育てる実験をしてみればいい。もしどちらかの社会に特有の文化に対応して生物学的進化が起こっていたなら,養子先の社会で成長した子どもは,その社会で生まれた子どもとは平均して何かが違っているはずだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.430

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