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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

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抽象語の特徴

言語学によれば,抽象語には以下のような3つの特徴がある。(1)抽象語は,多様性をふくみ不分明な境界しか引かれていない対象領域を柔軟に描写し捕捉する力をもつ。(2)抽象語は凝固した文である。(3)抽象語は目標とする対象領域の実体化あるいは擬人化に向かう傾向がある。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.113
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抽象作用

たいてい抽象語は,いかなる感覚印象も呼び起こさない表現として定義される。知的作業の結果は,具体的な経験と感覚の世界から抜け出して,出会った対象を「一般化」する。それは個別の歴史的状況を捨て去り,一般的なものとして残るものだけに注目する。「サトウカエデ」ではなく「カエデ」,「結婚」や「友情」ではなく「関係」,「教育」ではなく「情報」といったぐあいだ。これこそ,抽象作用の歩みが向かう方向である。日常言語においてぼんやりとしか存在しなかった概念の段階は,科学において正真正銘の梯子に改造される。その梯子を登るにつれて,事物の特性が消え去っていくのと同時に視界が開けていき,ついには最高度の普遍性に到達するのである。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.113

ことばの奴隷

科学者というものは,基本的に自分の言語の主人である。研究の結果,新しい概念を導入し,必要とあらばそれに新しい名前を付けるのが,科学者たる者の仕事なのである。そこで使われる語や記号は,なによりもまず,曖昧さを残さず物事を手短に伝えるためのものである。こうした記号は,適用範囲が制限されていた方がよく,無用な意味の含みがあってはならない。だからこそ科学者は,日常言語の音声や意味の場に埋め込まれていない言語的素材を好むことが多いのである。科学者が用いるのは省略記号であり,固有名詞であり,ギリシア語やラテン語の単語である。これらは,できるかぎり概念を傷つけずに,自由に定義された内容と結びつくことができるのである。
 他方,無定形のプラスチック・ワードを使う者たちは,ことばの奴隷となりやすい。プラスチック・ワードを手にとって調べることはできない。その代わりに,幅広い領域を見渡しているような幻覚をもつことができるのだ。プラスチック・ワードが備えているのは,何よりもまず社会的機能であり「威光」である。ギリシア文字のエプシロンでさえ,アインシュタインの有名な方程式でエネルギーを表わすとなると,日常言語のなかで人を圧倒する威光を獲得することができる。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.107

プラスチック・ワードの基本特徴

プラスチック・ワードは,次のような本質的特徴をもつことになるだろう。

A 科学に端を発し,科学を組み立てる部品に似ている。それはステレオタイプである。
B 包括的な使用領域をもつ。それは何にでも効く万能薬である。
C 内容が貧弱で切り詰められた概念である。
D 歴史を自然として把握する。
E コノテーションと機能が優位を占める。
F 欲求と統一性を生み出す。
G ことばを階層化し植民地化する。それによって少数の専門家集団が成立すると,これらの語は「資源」として利用される。
H まだかなり新しい国際的コードに属する。
I ことばをコンテクストから引き離し,表現ゆたかな身振りを締め出す。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.70-71

観念の残骸

「セクシュアリティ」という概念のおかげで,それまであった人間どうしの結びつきを表わす単語——友愛,友情,愛,情熱——が,いかにも古くさく時代遅れのものにされてしまう。なぜなら,「セクシュアリティ」の観点からすれば,それらすべてはただひとつのエネルギーから派生するものとされるからである。プラスチック・ワードの光のもとで,日常言語はあたかも使い古しの観念の残骸のように見えてくるのだ。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.55

忘れられたこと

「セクシュアリティ」というフロイトの概念には,もともとイメージを喚起するところがあった。フロイトは「精神(Psyche)」を,測定しうるか,あるいはいずれにせよ量として把握可能なエネルギーが内部で循環する装置のようなものと考えていた。精神のなかでエネルギーが,そのつど分散したり,抑圧されたり,転位したり,増大したり,減少したりするわけである。「精神」を一種のエネルギー分配装置と見なすことは,物理学から借りてきた考えであり,最初は新しい地平を切り開く思考モデルとしての価値があった。フロイトは彼の心理学において自然科学のイメージをことのほか好んでいた。なぜなら,フロイトは,自然科学は物事が実際に起こるありさまを最も忠実に表わすと考えていたからである。フロイトは「精神」を自然科学の観点から解釈したわけである。フロイトの著作に端を発し,19世紀の物理的エネルギーの概念に支えられたことばが,日常言語のなかで使われるようになって久しい。こうして,緊張が「蓄積」したり「発散」したりするようになったのだ。こうしたことばが慣れ親しんだイメージと結びついて,しだいに広く用いられるようになったために,それが当初もっていた絵画的内容は色あせてしまった。
 こうしたことばの作用は,だからこそますます強まるのである。「セクシュアリティ」は二重の意味でメタファーである。というのは,それが科学から借りてきた概念であると同時に,物理的なイメージ言語がそこに結びついているからである。ところが,それがメタファーであることは,もはやほとんど気づかれなくなっている。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.50-51

メタファー

科学の表現は,非個人的なもの,客観的なもの,一般的なものの領域に属しており,科学者はなにごとも一般化しようと努めるものである。科学者の言語は,私的で親密なやりとりのために作られてはいない。何かがたいへん個人的で,しばしば一度限りのものであると感じられるときには,柔軟でニュアンスに富んだ日常言語が使われる。したがって,私的な領域では,専門用語が嫌われるのは当然である。専門用語を使うことは,いつでも何かしらメタファー的なところがある。少なくとも,これまで長い間はそうであった。ところが,このメタファー的性格がいまや薄まりつつある。というのは,日常言語にもちこまれた単語から映像的な特徴がなくなってきたからである。メタファーとか比較とかには,そもそも絵画的なところがあって,ときにはイメージそのものを眼前に彷彿とさせることさえある。たとえば,「こそどろ(cat burglar. 直訳は「猫の強盗」)」の背後には「餌を探してうろつく」イメージがあることを見れば,このことがよくわかる。ところが,プラスチック・ワードには,みずからがどこから来たのかを示す跡がまったくないのである。

ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.49-50

富とは

富とはおおまかに定義するなら,経済学で「効用」と呼ばれるものがある何かを,単独でか共有の形で所有していることである。つまり,何らかの形の満足を与えるか,あるいは何らかの形の満足を与える別の形態の富と交換できるものである。いずれの場合にも,富は欲求が生み出すものだ。この点も理由になって,富について考えること自体を嫌う人がいるのである。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.49-50

statistics

なぜ“statistics”という単語に単数形と複数形の両方があるのかを説明した。単数形の“statistics”は1つの学問領域のことであり,複数形の“statistics”は大量の数のことである。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.5

アイム・ソーリー

アレックスはどのようにして「アイム・ソーリー」を使うようになったのか。研究費申請用紙の事件の何日か前に,私とアレックスは研究室でのんびりしていた。私はいすに座ってコーヒーを飲み,アレックスは部屋に作った止まり木で羽づくろいをしたり,満足そうな声を出したりしていた。私は,洗面所に行くときにコーヒーカップを止まり木の台座に置いた。戻ると,アレックスが床にこぼれたコーヒーの中でピチャピチャと歩き回っていた。まわりには,割れたカップの破片が散らかっていた。私は,アレックスがケガをしてしまうのではないかとパニックになり,「何をしたの!」と怒鳴ってしまった。冷静に考えると,おそらくアレックスが止まり木から飛び立ち,その弾みで台座のカップが床に落ちてしまったのだろう。単純な事故である。しかし私は,おろかなのは自分の方だと気づくまで怒鳴り続けてしまった。我に返り,アレックスがケガをしていないかどうかを確認するためにかがんだ。そしてこのときに私が「アイム・ソーリー……アイム・ソーリー」とアレックスに謝ったのだ。このことからアレックスは,誰かが怒って緊張した危険な場面をやわらげるために「アイム・ソーリー」が使われることを学んだのだろう。それを研究費申請用紙事件で私がバカみたいに怒鳴った場面で早速応用したのだ。まったく,どっちがバード・ブレインなのか。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.124-125

ステレオタイプ

「現実の身の回りの環境は,あまりに大きく,あまりに複雑で,あまりにはかないため,直接知ることはできない。……わたしたちはそんな環境のなかで行動しなければならないが,それには,その環境をより単純なモデルに再構成しないと,うまくやっていくことはできない」
 そのより単純なモデルを,リップマンは「ステレオタイプ(固定観念)」と呼んだのだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.219

表層構造と深層構造

言語学者によれば,言語構造には「表層構造」と「深層構造」の2種類があるという。表層構造は,考えたことを表現する具体的な方法,たとえば使う単語やその順序などを指し,深層構造は,考えた事柄の要点を指す。ほとんどの人は,入り乱れる言葉に翻弄されるという問題を避けるために,要点は保持したまま,細部は進んで破棄する。その結果,深層構造,つまり言われたことの意味は長期間保存できるが,表層構造,つまり発せられた単語は,わずか8から10秒のあいだしか正確には記憶できない。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.89

予測と予想

アメリカ地質調査所もある意味,言葉遊びをしている。予測(prediction)と予想(forecast)という言葉は,さまざまな分野でさまざまな形で使われている。同じ意味で使っている分野もあるし,区別している分野もある。しかし地震学の世界ほど,その違いに敏感な分野はないだろう。地震学者は次のように区別している。

・予測(prediction)とは,いつ,どこで地震が発生するか限定したものをいう。(例)6月28日,日本の京都で大地震が起きるだろう。
・予想(forecast)は,長期間にわたる確率論的な事象を表す用語である。(例)この先30年間に南カリフォルニアで大地震が起きる確率は60パーセントである。

 アメリカ地震調査所の公式な立場は「地震は予測(prediction)できない」というものだ。しかし,予想(forecast)はできる。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.164-165

客観的

本書では,「客観的」と「主観的」という言葉を注意して使っている。客観的という言葉は定量的という意味で使われることがあるが,実際には違う。客観的とは,個人のバイアスを超えて,問題の真実を見ることを言う。
 客観的であることは理想だが,いつも客観的でいることは難しい。予測にはさまざまな方法がある。世論調査のように定量的な変数だけをよりどころにする方法もあるし,ワッサーマンのアプローチのように定性的な要素を考慮する方法もある。いずれも,予測を導き出すのは人間の判断であり,人間の判断があるところにはバイアスがつきものだ。自分の仮定が予測にどのような影響を与えるかを常に自問しなければならない。とりわけ政治の世界では,どこを向いてもイデオロギー的な傾向が目につくうえに,誰もがノイズの多いデータから整然とした物語を編み出そうとしているので,客観的であろうとするのは容易ではない。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.79-80

道を見失う

人は物語のなかに身をおくと,道を見失う。政治の分野で特に予測が当たらないのは,人間的な要素が強いからだ。巧みな選挙戦は,私たちのドラマに対する感性を刺激する。だからこそ,政治の予測には慎重な態度でのぞまなければいけない。感情を押し殺せとまでは言わないが,せめてキツネのように現実を直視するよう心がけた方がいい。

ネイト・シルバー 川添節子(訳) (2013). シグナル&ノイズ:天才データアナリストの「予測学」 日経BP社 pp.64-65

再編成

占いは,バラバラで,一貫性がなく,その場かぎりとしか思えない過去・現在・未来の出来事,人生,性格などを,たがいに関連づけられたものとして,1つの統一体として見ることを可能にする視点をあたえるのだと考えられる。それが,ある相のもとで人生を見るということなのだろう。性格について言えば,それによって,自分の行動,好き嫌いなどが,たがいに関連づけられ,一貫したものに見えてくるのである。人生は,性格は,占いによって読みとった相のもとで,再編成され,再解釈されるのだ。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.199-200

2分の1

一見複雑な形をとっている答えでも,分解すれば,二者択一の答えの組み合わせにすぎないことが多い。たとえば血液型占いなら,A型は何々,B型は何々と,第1章で言ったように類型として複数の特徴がセットになっているが,1つ1つは,たとえば積極的か消極的か,社交的か内気かなど,二者択一的な答えである。
 そのように答えが二者択一的だから,占いは原則として確率2分の1で当たる。半分が当たるのだ。しかも,当たっていないと思えば,別の占いをすればよい。2つの占いがともに当たらない確率は4分の1でしかない。さらに3つ目の占いをすれば,当たらない確率は8分の1にさがる。当たっていると思われる占いでやめればよい。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.138

二項対立

予兆や占いが対句表現,二項対立を多用するのには理由があると考えられる。それは,予兆や占いが,対象とする事物をある見方でとらえるからだが,それについては次章で述べる。もう1つ,それ以前の理由として,そもそも,われわれが求める答えが,二者択一的だからだ。豊作か凶作か,晴れか雨か,あるいは,待ち人は来るか来ないか,失せものは見つかるか見つからないか,学業はなるかならないか,生まれる子は男か女かなどを知りたいのだ。求められる答えが吉か凶なのだから,何らかの類似性と相違性を同時にもっている2つの事物をとりあげ,その対と吉凶との相同関係を作りあげればよい。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.137

小道具

占いは,どれも,当たらない場合の説明が簡単である。悪い占いが当たらなかったときは,あなたががんばったから結果を変えることができたのだと言い,よい占いが当たらなかったときは,よい占いに安心して怠けていたからだ,と言う。また,朝のテレビの占いでは,今日のラッキーアイテムとかラッキーカラーとかいうものがあったり,その日が悪い日であってもその悪運を変えることができるとされる小物が紹介される。それらが,反証例の説明のための小道具である。それらによってその日の運を変えることができるのなら,その日が吉凶どちらの日になろうと,当たっていたと言えるようになるのだ。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.87

くしゃみ

柳田国男によるとくしゃみはもともとクソハメで,糞を食えという意味だった。それがクサメに変化し,さらにクシャミとなった。クサメについては『徒然草』におもしろい話がのっている。清水寺にお参りする年老いた尼が,「くさめ,くさめ」といいながら歩いているので,そのわけをたずねると,私が世話をした若君がいまは稚児になって比叡山に登っておられる。「ただいまもや鼻ひたまわんと思えばかく申すぞかし」と答えたという。クシャミは,当時は鼻ひと言われていた。ヨーロッパの場合と同じように,日本でも,クシャミをしたときには誰かがまじないの言葉をかけなければならないと考えていたのだろう。そういえば,今でも,クシャミをしたとき「コンチクショー」などと言っている老人がときどきいる。だれもまじないを言ってくれないから,自分で言っているらしい。なかには「クソクラエー」と言う人もいるが,「糞食め」にまでさかのぼることができる,由緒ある呪文だ。

板橋作美 (2004). 占いの謎:いまも流行るそのわけ 文藝春秋 pp.31-32

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