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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

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シグナリング

 経済学でいう「シグナリング」とは,コストのかかる行動を選択することによってメッセージを伝えることを指す。バレンタインデーに妻に花を買うのは,シグナルを送っているのであって,真冬に妻が花を欲しがっていると本気で思っているわけではない。しまり屋のみなさんに,これを言うのは憚られるが,シグナリングはどれだけコストをかけたかがすべてだ。立派なダイヤの指輪なら,花束よりも効き目があるだろう。口先だけで済むアドバイスは,たとえそれがどれほど貴重であっても,同じ効果はあげられない。

タイラー・コーエン 高遠裕子(訳) (2009). インセンティブ:自分と世界をうまく動かす 日経BP社 pp.114
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君らしくない

 だいたいにおいて,「それ,君らしくないね」などという言葉は,それを言う人間の思惑どおりではない,というだけの意味で使われる。単に,「そいういうの,俺は気に入らない」という言葉と置き換えても良い場合がほとんどだ。「君らしくないね」と言えば,「自分らしくあらねばならない」と考えている人間にはダメージになる,と考えて発言しているわけだが,「何故,自分らしくなければならないのか」という理由が皆無であるから,効力がない。「君らしくない」と言われたときには,「僕はね,実は僕らしくないんだ」くらいに答えておけばよろしい。

森博嗣 (2011). 自分探しと楽しさについて 集英社 pp.31

伽藍とバザール

 伽藍というのは,ひとの集団が物理的・心理的な空間に閉じ込められている状態で,学校のような外部から遮断された世界のことです。それに対してバザールは開かれた空間で,店を出すのも畳むのも自由です。伽藍とバザールでは,「評判」をめぐってまったく異なるゲームが行われています。
 バザールは参加するのも出ていくのも本人の勝手ですから,相手に悪い評判を押し付けようとしてもなんの効果もありません。悪評ばかりの業者は,さっさと廃業して,別の場所や名前で商売を再開すればいいだけだからです。
 その一方でバザールでは,悪評と同様に,いったん退社すると良い評判もゼロにリセットされてしまいます。よい評判は立派な「資産」ですから,それをたくさん持っている業者は,同じ場所にとどまってさらによい評判を増やそうと考えるでしょう。顧客は評判のいい業者から商品やサービスを購入しようとしますから,これがいちばん合理的な戦略なのです(ネットオークションがその典型です)。
 このようにしてバザール空間でのデフォルトのゲームは,できるだけ目立って,たくさんのよい評判を獲得することになります。これが「ポジティブゲーム」です。
 それに対して閉鎖的な伽藍空間では,押し付けられた悪評はずっとついて回ります。このゲームの典型が学校でのいじめで,いったん悪評の標的にされると地獄のような日々が卒業までつづくことになりますから,できるだけ目立たず,匿名性の鎧を身にまとって悪評を避けることが生き延びる最適戦略になります。こちらは,「ネガティブゲーム」です。

橘 玲 (2011). 大震災の後で人生について語るということ 講談社 pp.139-140

スコットランドの羊

 「スコットランドの羊」という有名なジョークがある。沢山の本で紹介されているし,ネットでもさまざまなバージョンを読むことができ,登場人物もそれぞれに違っている。どれがオリジナルなのかはわからないが,だいたいこんな感じである。

 天文学者と物理学者と数学者の3人が,スコットランドで鉄道に乗っていた。すると,窓から草原にいる1匹の黒い羊が見えた。
 天文学者がこう呟く。「スコットランドの羊は黒いのか」
 それを聞いて,物理学者が言った。「スコットランドには,少なくとも1匹の黒い羊がいる」
 すると,数学者がこう言った。「スコットランドには,少なくとも1匹の羊がいて,その羊の少なくとも片面は黒い」

 僕なら,ここに,子供を1人登場させ,最後にこう言わせたいところだ。

 子供「あれは本当に羊なの?」

 このように,人間は大人になると(たとえ,科学者であっても),自分が観察したものから,ついつい「勝手に」決めつけようとする。数々の疑問をスキップして,結論へジャンプしてしまうのだ。経験を積み重ねるほど,むしろこのジャンプは頻繁になるし,また距離も遠くなるようだ。たいていの場合は,その着地点は正解であり,結果的にジャンプによって正解にいち早く到達できる。正解を早く見出すことが,社会で生きて行くうえでは重要視されるので,自然にみんながジャンプするようになるのだ。

森 博嗣 (2011). 科学的とはどういう意味か 幻冬舎 pp.114-116

ややこしいカメの分類

 さらに話を進める前に,用語法のうんざりするような問題点と,「英国と米国は共通の言語によって分割されている2つの国だ」というジョージ・バーナード・ショウの考察が遺憾ながら正当であることについて,触れずにすますことはできない。英語ではタートル(turtle)は海で生活するもの,トータス(tortoise)は陸上で生活するもの,テラピン(terrapin)は淡水または汽水域で生活するものを言う。米国では,陸上にすんでいようが,水中にすんでいようが,これらの動物はすべて「タートル」である。「陸ガメ(land turtle)」という言い方は,私には奇妙に聞こえるが,アメリカ人にとってはそうではない。彼らにとってトータスは,タートルのうちで陸にすむ下位グループなのである。一部のアメリカ人は,「トータス」を厳密な分類学的な意味でもリクガメ科(Tetudinidae)に対して用いる。リクガメ科は現生の陸ガメ類を指す学名である。英国では,リクガメ科のメンバーであるかないか(あとで見るように,陸上で生活するがリクガメ科のメンバーでない化石「トータス」が存在する)にかかわらず,あらゆる陸生のカメ類(chelonian)をトータスと呼ぶ傾向がある。

リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2009). 進化の存在証明 早川書房 pp.267

月とドブ

 「陰性と陽性」はもちろん,すべての言葉には由来や意味がある。それは頭でわかっていても,間隔だけでいうと,やっぱり違和感を覚える言葉っていっぱいあります。
 例えば「親を切る」と書いて,親切とか。親を切っといて,どこが親切やねんと(笑)。
 あと「轢き逃げ」。ほとんど「轢き逃げ事故」ぐらいにしか使わない漢字に,車偏に“楽しい”は絶対アカンやろ!
 また「月とすっぽん」という言葉がありますけど,今やすっぽんは高級食材ですから,かなり月側です。これだと,幅がめっちゃ狭くなってますから。本来持っている「天と地ほど違う」という意味を成してないんですよ。
 というか,なんでそもそも「すっぽん」やねんと。今だったら,例えば「月とドブ」とか。こっちのほうがすっきりします。

千原ジュニア (2011). すなわち,便所は宇宙である 扶桑社 pp.198-199

農薬野菜と書け

 よくスーパーとかで,「無農薬野菜」と書かれて売られていますが,あれに凄い違和感があるんですよ。だったら,それ以外の野菜にはちゃんと「農薬野菜」と書けよと。なんか,良くないほうを隠して,いいことだけを言うみたいなことが,僕はあんまりいい風潮じゃないなと思うんです。僕は別にオーガニック主義じゃないですけど,無農薬野菜じゃないほうが名乗れと。

千原ジュニア (2011). すなわち,便所は宇宙である 扶桑社 pp.116

病んでる芸人

 あと「もうええわ!」でネタが終わってんのに,そこからもうワンアクションある芸人も,だいぶ病んでると思います。「もうええわ!」の後に深々とした,笑いに結びつかないようなおじぎでもしだしたら,それこそ,ちょっと宗教に走ってたりとか。「そのおじぎは客に対してなのか,どこぞの神様に対してのものなのか?」って,勘ぐってしまいます。

千原ジュニア (2011). すなわち,便所は宇宙である 扶桑社 pp.55

平均点の高さ

 笑いってボウリングと似ていて,誰でも1回はストライクを取ったことがるから,「できる」って思ってしまうんですよ。でも,アマとプロの差は,コンスタントにストライクを出せる,その平均点の高さなんです。そういうことを,わかってない人が多いんですよね。

千原ジュニア (2011). すなわち,便所は宇宙である 扶桑社 pp.30

科学・宗教・超自然現象

 ならば,信念全般はどうなのか?科学,宗教,超自然現象のいずれにも信念が関与している。科学者,聖職者,霊媒がそれぞれに信念を抱いているなら,正しいのは誰か?彼らが扱うのは揃って観測不可能なものであるのだが,足掛かりにする証拠の出所はそれぞれに異なっている。科学には科学的な実験手法と観察手法がある。超自然現象の根拠となるのは個人の体験と直感だ。宗教の基盤には文化,信仰告白(訳注:神に対する自分の信仰を公に宣言すること),そして個人的な体験がある。完璧な説明ではないが,三者の大きな相違をある程度把握できているはずだ。科学と宗教と超自然現象は普通,別物として扱われているが,この3つがひとつの同じ心の中でいかにして共存しているか,時には重複することもあるかという点を考える必要がある。私は,超自然現象を信じている信心深い科学者たちを知っている。彼らのことを考えると,信念を表す3つの円が重なったベン図(訳注:イギリスの数学者ジョン・ベンが考案した,全体集合を四角形で表し,その中に部分集合を円で示した図)が思い浮かぶ。自分はどれかひとつの円にきっちり収まっていると信じて疑わない人もいるが,たいていは3つの円すべてにまたがっている。信念体系として見ると,科学,宗教,超自然現象は柵できちんと仕切られているわけではなく,境界が不鮮明に融合しているため,必要とあれば,異なる信念体系から気に入ったところだけつまみ食いできるのだ。近年生じてきた信仰を巡る縄張り争いや緊張関係を理解しようとするなら,この点をしっかり認識しておくことが大切である。

ブルース・M・フード 小松淳子(訳) (2011). スーパーセンス:ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている インターシフト pp.92-93
(Hood, B. (2009). Supersense: Why We Believe in the Unbelievable. London: HarperCollins.)

教皇よりもカトリック

 南米では「(誰々は)教皇よりもカトリック」という表現がよく使われる。そしてこれは,宗教的・経済的・社会的原則をその本家本元である国よりも厳格に適用しようとする思想的後発国をも意味する。

ハジュン・チャン 田村源二(訳) (2010). 世界経済を破綻させる23の嘘 徳間書店 pp.282

ワイズマンが好きなジョーク

 取材を受けているときに,何人もの記者から,しょっちゅう同じことを訊かれた。「1年間,これだけたくさんのジョークと接してきて,いちばん気に入っているジョークは何ですか?」私は,いつもこう答える。

 犬が電報を頼みに行き,申し込み用紙に,次のように書いた。
 「わんわんわん。わん,わん。わん。わんわん,わん」
 職員は用紙を受け取ると,親切に教えた。
 「これだと23文字ですね。あと1回,『わん』と入れても,料金は変わりませんよ」
 犬は困ったような顔をして答えた。「それだと意味が通じなくなっちゃう」

 なぜ,このジョークが好きなのか,わからない。ただおかしくて笑ってしまう。

リチャード・ワイズマン 殿村直子(訳) (2008). Qのしっぽはどっち向き?:3秒で人を見抜く心理学 日本放送出版協会 pp.247

言葉が流行っただけ

 なぜ,ジェイムズ・ヴィカリーは,ポップコーンとコークの売り上げを増加させたのに,デフロアーとペトラノフは,ベーコンの売り上げを増やせなかったのだろう?その謎は,1962年にやっと解けた。ヴィカリーが「アドバタイジング・エイジ」誌のインタビューで語ったところによると,サブリミナル効果と購買行動の関係は,まだ発表段階ではなかったのに,マスコミにリークされてしまったらしい。実際は,特許申請に必要な最小限のデータはそろったものの。あまりに少なすぎて効果を確認できたとは言いがたかった。国民も政界も,事実ではなく,虚偽の報告をもとに議論していたのだ。ヴィカリーは,インタビューの最後にこう言った。「私がしたことは,結局,新しい言葉を一般の人に知らせたっていうか……もうあのことは考えないようにしています」ヴィカリーは,人びとのあいだに「サブリミナル」という言葉をはやらせただけではない。彼の虚構の研究は都市伝説になり,一部の人は,今もサブリミナルメッセージで品物を買わせることができると信じている。

リチャード・ワイズマン 殿村直子(訳) (2008). Qのしっぽはどっち向き?:3秒で人を見抜く心理学 日本放送出版協会 pp.153-154

何でも起きうる

 これほど多くの人間が密集して行動したり,それに反応したりしているのだから,どんな出来事の組み合わせだって起きて不思議はない。小さな問題もたくさん起きるだろう。びっくりするような変なことかもしれないが。

 この考えが当てはまるのが,アナグラムである。あたかも隠れたメッセージを含んでいたり,ある人や出来事について簡潔に言い当てていたりするかのように見える。‘US president Ronald Reagan’(アメリカ大統領ロナルド・レーガン)は,‘repulsed and ignorant arse’(拒絶された無知な最低男),‘President Clinton of the USA’(アメリカのクリントン大統領)は,‘to copulate he finds interns’(性交相手に研修生を選ぶ)となる。

リチャード・ワイズマン 殿村直子(訳) (2008). Qのしっぽはどっち向き?:3秒で人を見抜く心理学 日本放送出版協会 pp.127

素早い仕事

 矛盾しているように聞こえるかもしれないが,ソフトウェアでは腕の良さは素早い仕事を意味する。ゆっくりと念入りに仕事をしていると,出来上がるものは当初のアイデアを精密に実現したものになるだろう。ただし,そのアイデアは間違っているだろうけどね。遅く念入りな仕事は早すぎる最適化だ。むしろプロトタイプを素早く作り上げて,それによって新しいアイデアを得てゆくほうがよい。
 映画の製作過程も,どうやらソフトウェアのそれと似たようなものらしい。どの映画も一種のフランケンシュタインだ。欠陥は一杯だし,最初に思い描いていたものからは程遠い。でも面白いし,素早く作られる。完璧な映画を作ろうとしたら,決して終わることはないだろう。

Paul Graham 川合史朗(訳) (2005). ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち オーム社 pp.2

塞翁が馬

 「塞翁が馬」のことわざの通り,当初は悪いと思われたことが,後になって良いことになる可能性もあります。
 ある心臓外科手術で,間違えて1桁多いモルヒネを患者に与えるというミスがありました。執刀医は10ミリグラム投与すべきと考えて,「モルヒネを10投与」と言ったところ,それを聞いた助手は「10単位」与えてしまいました。これは100ミリグラム,つまり10倍の量に当たります。
 劇薬であるモルヒネを大量に投与されて,患者の心臓は止まるかと思いきや,意外にも良好な挙動を示しました。これが心臓外科手術のモルヒネ大量投与麻酔の発明につながったのです。「モルヒネは危険だから,必要最小限の量だけ使うこと」という,正誤の基準自体がそもそも間違っていたわけです。
 行為が間違いであるか否かは,結果論でしか語れないものなのです。


中田 亨 (2011). 「事務ミス」をナメるな! 光文社 pp. 47

余計な気持ち

 トークを行う場合,自分が聞いた,見た,体験した内容を,聞き手に伝えてあげることが大事なのですが,そこに余計な気持ちが入ってしまうと,緊張して失敗しがちです。
 その余計な気持ちとは,「面白く思われたい」とか「ウケなかったらどうしよう」といった感情です。これらが前面に出てしまうと,トークの内容を相手に伝えたいという気持ちが隠れてしまいます。
 家族や友達にはウケるトークができるのに,知らない人や異性の前では緊張して話ができない——そういった人も多いのではないでしょうか?これも,すべて余計な気持ちが邪魔しているからです。
 もちろん,こうした余計な気持ちも,「慣れ」によって,「余計な気持ち」に変化することがあります。プロの芸人さんは慣れているからこそ,トークを口説くときのテクニックに使ったり,一番注目されている場面で笑いを取ることができるんです。

田中イデア (2009). ウケる!トーク術:昨日起こった出来事を面白く話す方法 リットーミュージック pp.67-68

ウソつき

 ウソや作り話は,どうしても細かい部分にリアルさがないため,すぐにバレてしまいます。さらに,聞き手が不信感を抱くため,話がすんなり入ってきません。
 芸人さんなどのプロは別として,私たちのような素人は,完全な作り話はしない方が良いでしょう。作り話だと分かると,笑わせる以前に,「ウソつき」のレッテルを貼られてしまいます。

田中イデア (2009). ウケる!トーク術:昨日起こった出来事を面白く話す方法 リットーミュージック pp.38

コンピュータの世界を理解する

 コンピュータにとって何が得意で何が不得意かをきちんと把握しようとするなら,連想は禁物です。極端にいえば,それはヘリコプターが存在するから,ドラえもんのタケコプターも実現可能だろうと思うのと同じ過ちなのです。ヘリコプターに似た構造であっても,竹トンボのような大きさのタケコプターでは,人間の体を持ち上げる揚力は生み出せません。同じように,コンピュータに効率よく仕事をさせようと思うなら,コンピュータの仕組みをざっとでも知り,コンピュータに何ができるのか,現実世界とは微妙にずれているコンピュータの世界を理解する必要があります。

新井紀子 (2010). コンピュータが仕事を奪う 日本経済新聞出版社 pp.22

「格」

 これまでの議論をひとまずまとめるならば,格とは厳然とした境界でありながら,しかしなかなか目にはみえにくく,越えやすいようで容易には越えることができない上下関係であるということになるでしょう。きわめて日本的なこの境界区分は,人びとに意識されているようで意識されていない,愛されているようで疎まれてもいる,不思議な存在なのです。
 そして現代日本では,この格にポジティブな光が当てられるとき「品格」となり,ネガティブに扱われるとき「格差」となって現代の諸現象の核となっています。さらに学歴や教育に連なる言葉である「資格」「合格」,消費生活における「格安」など,多くのホットなキーワードの平仄を整えているのです。

吉川 徹 (2009). 学歴分断社会 筑摩書房 pp.65-66

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