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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

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言葉は一般的

 この論理的,哲学的な問題は深刻だ。言語は一般論なのに,図は特定のものになってしまう。特定の性質を持たない図を描くことなどできない。先ほどの証明で,直角でも鋭角でも鈍角でもない,単に「一般的な」角度の三角形を描きたかったとしたらどうだろう。そんなことは不可能だ。どうしても具体的な三角形を描くしかなく,具体的な三角形であるがゆえに,どうしても具体的な角度になってしまう。一方,言語はもっと寛大だ。「三角形があるとする」と言えば,どの三角形かを特定しているわけではなく,ただ漠然と「三角形」と言っているだけなので,直角三角形でも鋭角三角形でも鈍角三角形でも,好きなように思い浮かべられる。だからこそ,近代の哲学者や論理学者は,証明を最大限に一般化して完全に論理的に進めるには,けっして図をよりどころにせず,言語だけを頼りにしなければならないと力説するわけだ。

リヴィエル・ネッツ,ウィリアム・ノエル 吉田晋治(監訳) (2008). 解読!アルキメデス写本:羊皮紙から甦った天才数学者 光文社 pp.134-135
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この本の特徴

 こんな言い方をしてもわかりづらいと思うので,語源の説明を交えて解説しよう。これは手書き本であり,より専門的にはコーデックスと呼ばれる手書きの冊子写本だ。写本は手書き(マニュスクリプト),つまりラテン語のmanu(手によって)とscriptus(書かれた)を語源とし,すべて人の手によって書き写されたものである。印刷本と大きく異なるのは,ひとつの版として大量に印刷されたうちの一冊ではないという点だ。同じものはほかにない。別の写本に同じ文章の一部が収録されていることはある。この時点で私が自信を持って言えたのは,ギリシャ語で書かれたアルキメデスの『方法』,『ストマキオン』,『浮体について』が収められた写本はほかにないということだ。つぎに,この写本がパリンプセストであること。これはギリシャ語のpalin(再び)とpsan(こする)から派生したことばで,その本を書くにあたって使われた羊皮紙が,少なくとも一度はこすり取られたという意味だ。のちほど説明するが,羊皮紙は動物の皮を削って作る。すでに本になった羊皮紙を再利用したければ,新たに文字を書く前に皮をもう一度削り,元の文字を消す必要がある。このパリンプセストは百七十四のフォリオ(紙葉)からなる。フォリオの語源はラテン語のfolium(葉)。フォリオは表(レクト)と裏(ヴェルソ)とに呼び分けられ,現代のページ番号と同じ役割を果たす。この写本のフォリオには1から177まで番号がつけられているが,不可解なことに3つの番号が欠けている。ミスター・Bがこの不足を承知していればいいのだが。

リヴィエル・ネッツ,ウィリアム・ノエル 吉田晋治(監訳) (2008). 解読!アルキメデス写本:羊皮紙から甦った天才数学者 光文社 pp.31-32

月の種類

 月の満ち欠けのサイクルは「新月」から始まる。英語で新月を「new moon(新しい月)」と呼ぶのはそのためだ。新月のとき,月は真っ暗だ。新月になるのは,空で月が太陽の近くにある時期である。大洋が非常に明るく,それに対して月が暗いので,新月はとても見つけにくい。たとえば,イスラム暦[ヒジュラ暦とも。月の運行を基準にした純粋な太陰暦]の1ヵ月は,新月を最初に確認できたときに始まる。そのため,イスラム教徒は非常に慎重に記録をつけ,極力早く新月を発見できるように目のいい観測者を待機させていた[今でも断食月の初めと終わりは,肉眼による新月の観測で決定している]。
 「上弦月」とは,月が半分光っているときだ。英語で上限月を「first quarter」[「最初の4分の1」の意]と呼ぶのは,太陽に近い点をスタートとして,月が地球を4分の1周したときの月だからだ。。これは新月からほぼ1週間後にあたる。北半球から見れば,月の右半分(太陽に面した側)が光り,左半分が暗い。南半球から見れば,この逆になる。北半球から見れば,南半球の人は上下が逆だからだ。
 その1週間後には「満月」になり,月面全体が等しく照らされる。満月は夜空で太陽の反対側にあり,太陽が沈むと満月が昇ってくる。
 その1週間後が「下弦月」だ。上弦月と同じように,下弦月も半分が光っていて,さらに上弦月と同じく,太陽に近い半分が光っている。しかし,下弦月では,上弦月と反対側が光っている。北半球から見れば,左側が光っていて,右側は暗い。南半球では逆だ。
 最終的に,1週間後には再び新月となり,満ち欠けのサイクルが繰り返される。こうした4種類の月のあいだの月にも,名前がある。月の明るい部分が広がりつつあることを,月が「満ちる(waxing)」という。新月と上弦月のあいだの月はまだ三日月型だが,徐々に大きくなって,上弦月に近づいていく。このときの月を英語では「waxing crescent(満ちていく三日月)」と呼ぶ。上弦月を過ぎて満月に近づいているとき,月は「ギッボス(gibbous)」,あるいはもっと正確に言えば,「waxing gibbous(満ちていくギッボス)」である。満月を過ぎると,月は小さくなっていく。これを月が「欠ける(waning)」という。「waning crescent (欠けていく三日月)」である[これらに対応する日本語の名称はない。ただし,「小望月」(満月の前夜),「立待月」(満月の2日後)などと,特別な呼び名がある月もある]。

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.87-88

流星のように

 ある日私は,ある大手新聞を読んでいた。そこには,ロシアの政治体制の中で,ある役人が「流星のように出世した」と書いてあって,笑ってしまった。もちろん,この記事の記者は,その役人が突然現れて,あっという間に華々しく組織のトップに上り詰めたことを言いたかったのだ。しかし,この表現の本当の意味は,まったく逆だ。文字どおり読めば,その役人は,政治の世界に突如現れて人目をひいたが,すぐに燃え尽きて,失脚したことになるのだ。彼は流星のように痕跡を残したかもしれない。それに,最後はかなり激しい衝撃を与えたかも!

フィリップ・プレイト 工藤巌・熊谷玲美・斎藤隆央・寺薗淳也(訳) (2009). イケナイ宇宙学:間違いだらけの天文常識 楽工社 pp.50

それは霊媒でしょう

 チャネリングと言えば,何か新鮮な響きがあるが,あれは古代からある霊媒ではないか。日本では,イタコが知られている。宇宙からお告げを受けたチャネラーは,霊能者を横文字に置き換えたにすぎなかったが,自己啓発セミナーに飽き足らなくなってニューエイジ思想や精神世界に興味をもつようになった松崎のような者たちに強い影響を与えたのだ。
 <自分が一番ワクワクすることをしてください>
 バシャールが発するメッセージは,多くの人々を魅了していった。やがて日本人の中からも,バシャールと交信するチャネラーと呼ばれる霊媒師が誕生した。ニューエイジ系のセミナー会社が志望者から受講料をとって,チャネラーを養成していたからである。公開チャネリングでは,チャネラーが宇宙意識とつながると,音声が変わったり,体を痙攣させながら宇宙や地球の「真実」を語ってゆく。そうした興行的な面白さがもてはやされた。
 チャネリングに魅了されたのは,好奇心旺盛な人々だけではなかった。本来ならば,カウンセリングを受けなければならないような悩みを抱えた者が,バシャールのメッセージを真に受け,問題解決の指針にするようになった。やがて程度の低い人生相談の様相を呈していったのである。

福本博文 (2001). ワンダーゾーン 文藝春秋 pp.176

カッコばかり付けやがって

 こういう本を見ると,読む前から,「ああクズ本ね」と思うことにしている。頭があまり良くない。要するに,カッコばかり付けやがってとなる。
 だってそうでしょ。7つも8つもカッコを使い分けるってことはだよ,数学でもあるまいに,それぞれの意味を事前に理解したうえで,読んで判る者は読みなさいってことでしょ。わたしたちは外国の難しい学問をここまで解きほぐして紹介するのだから,あなたがたも努力してお勉強するのですよと,エラそな講釈を聞かされる気分になる。
 声を大にして言いたい。カッコばかり付けたがる学者は,論文でも何でも,ものを書くとき,「  」と『  』と(  )だけにしろと。その制約と自己規制だけでずいぶん違うんじゃなかろか。


三浦衛 (2009). 出版は風まかせ—おとぼけ社長奮闘記— 春風社 pp.92-93

バカみたいな単純化

 「そうだろうよ。敵味方なんて言葉は,莫迦な侍の言葉だぞ。苦呶いようだが戦いは莫迦のやることだ。敵と戦う,世間と戦う,どれもこれも詭弁だ。いいかな,勝負なんてのはな,モノゴトを莫迦みたいに単純化しないとつけられぬものであろうが。違うか」
 違わない。
 白黒明瞭しているものなど,世の中にはない。

京極夏彦 (2009). 前巷説百物語 角川書店 pp.122

ネッシーのアナグラム

 博物学者のサー・ピーター・スコットは,ネス湖の恐竜,ネッシーの存在を信じて疑わない。実際,その信念が高じて,彼はネッシーに「ネシテラス・ロンボプテリクス(Nessiteras rhombopteryx)」というギリシャ語名をつけ,その名前を広げようとしたくらいだ。この名前はサー・ピーターと水中写真家のロバート・ラインズが1975年12月に考えだしたもので,おおざっぱに翻訳すると「ダイヤモンド型のヒレを持つ,ネス湖の恐竜」とでもなるだろうか。ところが,この名前を発表したとたん,ロンドンの新聞に,ネシテラス・ロンボプテリクスという名前は「サー・ピーター・Sによるでっちあげ竜(Monster Hoax by Sir Peter S)」のアナグラム(訳注 文字の並べ替え)だ,と指摘されてしまった。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.292

クラップの語源

 「クラップ(糞)」という語の語源については,学者同士でも酒場のうんちく好き同士でも,嫌というほど長い間,激論を闘わせてきた。そろそろはっきりさせたほうがいいだろう。
 「クラップ」という語はトマス・クラッパーの名前から生まれた,というのが通説である。クラッパーは19世紀のイギリスで大成功した便器業者で,水洗トイレを発明したのも彼だと言われている。「クラップ」とクラッパーとの関連は,純然たる偶然にすぎない。
 「クラップ」は,中期英語のcrappeまたはchaffに由来するらしい(オランダ語のcrappenとも関連があり,そこから細分化した可能性もある)。「クラップ」が,他の望ましくない残留物を指すのに使われるようになったのは,ここからだ。
 トマス・クラッパーが生まれる1836年にはすでに,この単語が定着していた。「クラップ」が初めて俗語辞典に登場したのは1846年で,彼はまだ10歳だ。いくら有能だといっても,トイレ業界の伝説的人物になるには幼すぎる。

マーティン・プリマー,ブライアン・キング 有沢善樹(訳) (2004). 本当にあった嘘のような話:「偶然の一致」のミステリーを探る アスペクト pp.219

自分の弱いところを攻める

 ところで,人間というのは,自分が弱い部位を,相手に向かった時も攻める傾向がある。自分が言われたら腹が立つ言葉を,相手を攻撃するときに使う。その言葉にダメージを与える効果があると感じているからだ。したがって,悪口を言ったり,苛めたりする人間は,自分が悪口を言われたり,苛められたりすることを極度に恐れている。苛める方も,苛められて傷つく方も,この点で共通している。苛められても気にしない人は,人を苛めない。悪口を言わない人間は,悪口を言われても腹が立たないのである。こういう人間の「傾向」というのも,「リアル」な世界を創り上げる基本になるものであり,すべてが現実の観察から導かれる。

森博嗣 (2010). 小説家という職業 集英社 pp.87

醍醐味

 やはり少年マンガの醍醐味はバトルであり,こういうお膳立てがあると,鳩レースだろうが超人オリンピックだろうが否が応でも盛り上がるというものです。

J君 (2010). なんだ!?このマンガは!? 彩図社 pp.82

主語は明治に輸入された

 読者のなかには,学校で習った文法が,日本語の唯一正しい文法であるかのように思っていた人もいるかもしれないが,実はそうではないのである。日本語の文法の歴史を簡単に見てもそのことがよくわかる。江戸時代には本居宣長による文法があったが,最初の近代的な日本語の文法は,文部省の役人であった大槻文彦が作った。大槻は国語辞典『言海』を編纂したが,その際に英語の文法を基にして日本語の文法を作った。これ以外で代表的な文法は,山田文法,松下文法,橋本文法,時枝文法等である。現在,小学校から高等学校までで教えられている文法(学校文法)は,橋本文法を基にして作られた。
 主語に関しては,三上章に代表されるように,日本語に主語はないという主張もある。これは学校文法と真っ向対立するものである。そもそも,明治以前の日本語の文法書には「主語」という言葉はない。「主語」は明治時代に輸入されたものなのである。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.141-142

理論間の不一致

 さて,日本語の文法における主語について,もう少し見てみよう。

 「月が出た」

 この「月」が主語であることに疑問をもつ読者はいないであろう。それでは,

 「月が見える」

 この「月」はどうであろうか。これは主語であろうか。主語であるという言語学者はいる。しかし「月が見える」という文が示唆する状況は,私が月を見ているということである。したがって,「月が見える」の「月」は「月が出た」の「月」とは違う。それではこの「月」が主語でないならば,いったい何なのであろうか。目的語であるという言語学者もいるし,対象語であるという言語学者もいる。あなたは直感的にどの意見に賛成するであろうか。
 このように,日本語の文法に関してはいくつかの理論が存在し,一致した見解が存在しない。しかも,その不一致は枝葉末節での不一致ではない。「月が出た」の「が」の解釈で見たように,かなり基本的なところで一致していないのである。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.141

音以外も

 ふつう言葉を提示されると,それを解釈して現実の事実に当てはめて,その言葉が合っているかどうかを判断する。たとえば,もしあなたが誰かに「となりの部屋の中に金塊がある」と言われたら,その部屋の戸を開けて,部屋の中に黄金の山があるかどうか調べるであろう。そして,金塊があれば「その部屋の中に金塊がある」は正しいのであり,金塊がなければ,「その部屋の中に金塊がある」は間違っているのである。
 このように,ふつうは言葉より事実のほうが優先される。言葉を事実に合わせるのである。しかしメタファーは逆である。事実より言葉のほうが優先され,事実を言葉に合わせるのである。つまり,メタファーは必ずしも字句どおりに解釈されない。
 たとえば,「彼は社長の犬だ」を字句どおりに解釈すれば,この文は間違っていることになる(「彼」が社長のオスの飼い犬を指していれば別だが)。また「彼女の気持ちは,私に伝わって来なかった」も同様であり,この文を字句どおりに解釈すればこの文も間違っていることになる。このように,メタファーを字句どおりに解釈すれば,メタファーはほとんど間違っていることになってしまう。そうすればわれわれの会話が成立しないので,実質的には不可能である。
 われわれは「彼は社長の犬だ」と言われたとき,そう言った相手の顔を見て,何を言おうとしているか判断する。つまり,このようなメタファーの意味は,音になった部分だけで解釈されず,音以外の顔の表情等で決まってくる。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.87-88

容器のイメージ

 先ほどメタファー表現の例として,2つの抽象的な例文をあげた。あれを見てもわかるとおり,抽象的な表現は一般にメタファー表現でなりたっているのである。抽象的な表現は,現実的な物理世界に対応物がないので,われわれは仮想的身体運動ができない。すなわちイメージを作れない。このような直接的に身体運動できない領域を抽象的領域という。抽象的な領域は,たとえば,文化,経済,政治,理論などである。抽象的領域のイメージは,メタファー表現を通して,具体的領域のイメージを使って作られる。
 容器のメタファーによる抽象的表現を見てみよう。次の文は,先に示した具体的表現と対応する形で作ってみた。

 「私の心は満たされない」(心が容器)
 「彼は選抜チームから外された」(チームが容器)
 「その論文には中身がない」(論文が容器)
 「彼は試験中である」(試験が容器)
 「この料金には消費税が含まれている」(料金が容器)

 みなさんは,これらのような文を読むときに,とくにイメージを意識的に作って理解しているわけではないだろう。しかし,その理解の基板には,容器のイメージがあることがわかるはずである。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.70-71

イメージできるもの,できないもの

 イメージは人によって違うし,同一の人でも,時と場所でイメージが異なる。たとえば,猫のイメージと一口に言ってもいろいろあるだろう。猫の側面のイメージ,猫の前面のイメージ,大きい猫のイメージ,胴の長い猫のイメージなどなど。しかし,さまざまなイメージがあるといっても,これらのイメージがぜんぜん違うわけではない。それらのイメージは似ているのだ。足が4本であるとか,大体の大きさとか,言葉では表現しにくいが「猫」らしさという点では共通している。
 それではイメージによる意味が確定できない,それは問題ではないかと問われるかもしれない。しかし,われわれは,つねに意味を確定して生きているであろうか。じっさいには,自分の生活に支障のない範囲で意味が明確であれば十分なはずである。たとえば私の場合,猫の意味はそれほど確定していない。猫にとくに意味があるわけでもないし,猫を飼っているわけでもない。街を歩いているときに,ひっかかれないようにしている程度である。しかしそれで現在までの生活に格段困ったということはない。猫と犬を一応識別することはできるが,その程度に猫に関する意味がわかっていれば十分なのである(猫を百匹飼わねばならないとなれば,私も猫に関する意味をもう少し明確にすることになるであろう)。
 「神」などの抽象的な言葉はどうなるであろうか。猫や犬に比べて,神をイメージするのはとても大変である。私がいまイメージしたものは,天上に人間(に類似したもの)が雲の上でふわふわ浮かんでいるイメージである。このようなイメージを私が描くのは,漫画や映画やテレビなどで,そのようにして描かれた神を何度となく見てきたからであろう。このようなイメージで十分だろうか。それでよいという人もいるだろう。よくないという人もいるだろう。神のイメージは宗教によっても違う。皆が同意するような神のイメージというものはないであろう。だから,神のイメージはあいまいなままである。無神論もあり,そもそもあるかないかでも合意できないものなのであるから。したがって,もともとあいまいなものだから,イメージもあいまいで仕方がない。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.58-59

言語学分野の簡単な説明

 「身体運動意味論」,これはあまり聞きなれない言葉であろう。そもそもその前に「意味論」って何?という人も多いかと思う。そこでまず最初に,言語学の研究分野である統語論,意味論,語用論について,簡単に説明しておきたい。
 たとえば,「目は私のです2つ」では,文法的に正しくない。この文法を研究する分野が統語論である。一方,「目の私は2つです」では,文法的に正しくても意味が不明である。この意味を研究する分野が意味論である。
 あなたが,朝,誰かに会って「おはようございます」と言ったとき,その人が「私の目は2つです」と返してきたら,あなたは驚くであろう。「私の目は2つです」は文法的に合っていて,意味的にも明確だけど,語の用法としては間違っている。この用法を研究する分野が語用論である。

月本 洋 (2008). 日本人の脳に主語はいらない 講談社 pp.46

立ち止まり,返していく

 旅に出れば,必ず現地の人のやさしさに触れる。それを“旅の美談”として歓迎し,きれいな思い出として自分の記憶のなかにしまう。それだけで満足しているんじゃないか。
 ——ぼくは,ひとりで,どこか得意になってはいないだろうか?
 いま,自分がここにいることを当たり前に思ってはいけない。すべての偶然と僥倖と,数々の大きな心に支えられて,自分はここにいるということを肝に銘じておかなければならない。そして,そのことをいつも顧みなければならない。
 これまで与えられてきた慈しみを,瞳の色を,いつも心に留め,あるいはこれから自分がささくれだつような瞬間があれば,それらを振り返って立ち止まり,そしてこれから自分も返していくのだ……。

石田ゆうすけ (2007). 行かずに死ねるか!:世界9万5000km自転車ひとり旅 幻冬舎 pp.299-300

普通にする

 ウザいすよとケンヤはつらっと答えた。
 「俺のほうが偉えとか,俺の方が速えとか,俺の方が強えとか馬鹿みてえと思いますよ。遅えから駄目だとか弱えから駄目だとか,やめて欲しいっすよ。そんなくだらねえことで格付けされて,それで凹むくれえなら,試合放棄っすよ。最初っから闘う気なんかねーのに,リングに上げられて,ガンバレとか気合入れろとかガーガー言われて,正直いい加減にしろって感じっすよ。勘違ーもいいとこ。大体,ただ普通にしてるんじゃ駄目だってのおかしくね?」
 「おかしい——かもな」

京極夏彦 (2010). 死ねばいいのに 講談社 pp.171

認めてもらいたいから

 「もっと上に行きてぇからそう思うんだろ? つまり——もっともっと認めて貰いてぇから,もっと高く評価されてぇのにされねぇから辛いんじゃねぇの? 奥さんにだって好かれたと思うから,だからこそ冷たくされて悲しくなってるンじゃねえの?そうじゃねえの?」
 「それは——」
 「あのさ,例えば今日帰って,おかえりなさいお疲れさまでしたって言われたらどうよ。今までご免なさいって謝られたら瞬間赦すだろあんた。まあ,それでもネチネチ今までの恨みごと言うかもしんねえけど,要はあんたが優位に立ちてぇってだけじゃん。会社だって明日出社して,昇進してたら嬉しいんだろ? 速攻で機嫌直らね? ちやほやされれば何もかも収まるだろ。そのちやほやが欲しいから辞めねぇし別れねぇんだよ。それ以外にないじゃん」

京極夏彦 (2010). 死ねばいいのに 講談社 pp.65

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