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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

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環境が障害を顕在化させる

 ある視覚障害を持った研究者は,本を買うと電動裁断機で製本を壊し,それをスキャナーにかけて,OCRで文字認識させたものをパソコンの音声ソフトで音声にして「読む」という。この方法により,これまで人手に頼っていた読書は全く自力で行うことができ,それによって読みたい本が読みたい時に読めるようになったという。
 この人にとって,目が見えないという身体的状態は,以前は読書上の障害であったが,情報処理機器の発達により,障害でなくなっている。
 つまり障害とは身体状態そのものにあるのではなく,環境がそれを顕在化させたからこそ発生する。バリアフリーとは身体の状態を障害と考えるのではなく,その人の持つ特性とマッチしない環境を変えることで,障害なく暮らせるようにという発想である。

村越 真 (2003). 方向オンチの謎がわかる本 集英社 pp.211-212
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違った分類の仕方があることを意識する

 人為的な分類を,存在そのものの分類と見なしてしまうことは,ある既成の分類の固定化を招く。分類はかならず何かの目的でつくられるものであるから,それを固定化することは,つねに好適であるとは限らないだけでなく,当初の目的にかなったものだけに視野を限ることになる。分類の網目にかからないものは,見えなくなるのである。だからつねに,「違った分類の仕方がある」ということを意識しながら,当面の目的にふさわしい分類を選び,かつ,つくっていかなければいけない。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 p.209

間違った分類を重ね合わせないこと

 大切なことは,違った分類を重ね合わせないことで,目的に応じてかえる方が好都合なことが多い。それどころか,重ね合わせると問題が起こる。教養のある人とない人,金もちと貧乏人,善人と悪人などの区分を,民族や国籍や性別や出身地や身分や階級の分類に重ね合わせると,事実に合わないレッテル貼りや差別行為を生み出すことになる。
 恋人・友人などの区別と,国籍の分類,身体障害者・健常者の分類などとは関係がない。われわれは,次元の違う分類は別々にあつかうのが通例であるが,「女というものは……」とか,「老人はとかく……」とか,「だいたい黒人は……」「離婚した女は……」などというとき,あてはめるべきではない分類と重ね合わせていないか,よく考えてみるべきである。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 pp.208-209

分類方法は分類学者の数だけある

 極端にいえば,分類方法は分類学者の数だけあるといってもよいほどである。一応,主と属との関係だけは,,共通の認識があるといってもよいが,それも細かいところになると,種々の意見があってなかなか面倒である。どんどん品種改良をしていって非常に違うものができたとき,さしあたっては祖型がわかれば亜種にするが,わかっていないものは係争の種になる。つぎの世代で同種のものをつくることができれば種と認めるのが普通だが,同じイヌでも品種によって交配不可能なものもあり,逆にトラとライオンは別の種だが交配可能である。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 p.151

分析し,再構成する

 考察すること一般を,俗に「分析する」といったり(政治分析,経済分析,現状分析など),理解すること一般を「分かる」といったりするのであるが,ただ,やみくもに分析したり分解したりすることで,つまりバラバラにすることで「わかった」ということにはならない。分析といっても,分析することで原理に到達し,そこから再構成してみてはじめて,「わかった」ということになるのである。そしてこの基本線は,アリストテレスからデカルトまで,古典哲学から現代科学まで貫かれているといってよいであろう。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 p.73

イデア

 だから,原理はできるだけ単純で自明のものが望ましいのである。誰でも納得できるものが還元すべき既知のものとしては最適である。しかし,それは「わかる」ものとは限らない。というよりむしろ,分けることのできないもの,わからないものである。しかし,それを追い求めた究極にあるものは,いま手許にはないかもしれないが,かつては持っていたもの,ないし,かつては身近に自分もそのもとにあったものと考えることができる。
 いまはないにしても,追求する限りにおいて彼方にあるもの,ないしは,あったものを,われわれはいま持っている。これは「理念」と呼ばれる。プラトンがイデアと呼んだものである。芸術家が自分の理想とする作品を作ろうと努力して到達しえないとき,めざしている理想的なものはイデアである。技術者が完全なものをつくろうと努力して,到達しえないであろうけれども,彼が制作の過程で抱いている完全なものがイデアである。幾何学者は,感性的な世界には存在しえない直線や図形や比をあつかっている。彼のあつかう対象はイデアである。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 pp.61-62

対立する概念

 天と地,光と闇,昼と夜,太陽と月,というように対立するものが二分割の代表である。対立しているから,これらの2つ組のものを「対」という。ピュタゴラス派は,このような対の表をつくって十種類をあげている。有限と無限,奇数と偶数,一と多,右と左,男と女,静と動,直と曲,光と闇,善と悪,正方形と直方形である。
 これらは,誰にでも思いつく対の例であろう。しかし,じつはあらゆるものについて,対になるものが考えられるのである。とくに抽象概念のばあいはそうである。どうも人間はなんでも,対にして物事を考えてきたようなのだ。その起源はよくわからない。あるいは天と地が原型であるかもしれないし,男と女かもしれない。地方や時代によっては,敵と味方であったり,内と外であったりしたかもしれない。いつでもどこでもそうなのである。

坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 pp.39-40

「心理学」の翻訳

 心理学という言葉は,明治期に作られた翻訳語である。英語ではPsychologyというが,これをほぼ忠実に漢字におきかえてある。Psychologyという英語はギリシア語由来で,その成り立ちは,心や魂といった意味のプシケー(Psyche)と,言葉や論理を意味するロゴス(Logos)を組み合わせたものである。したがってほぼ「心」と「理」という漢字の組み合わせに近いと言える。『広辞苑』(新村出編)によれば,心理学という日本語はPsychologyやMental Philosophyという英語から西周が作ったとある。西は幕末から明治初期にかけて非常に多くの外国語を翻訳し,当時の日本が西洋文明を摂取する上で大きな役割を果たした人物である。ちなみに,プシケーとはギリシア神話に登場するキャラクターである。昔美しい三姉妹がいて,蝶の羽を持つ末娘のプシケーはとりわけ美しかった。人々はプシケーを崇拝し,美の女神ビーナスに対する信仰を忘れた。ビーナスは激怒し,恋愛の神であるキューピットに命じてプシケーを弓で打たせ,恋の虜にしようとした,云々という神話である。このプシケーという語は,もともと「息」という意味も持つという。

道又 爾 (2009). 心理学入門一歩手前:「心の科学」のパラドックス 勁草書房 p.5

ジョーク

 「ボクシングは金持ちに務まる職業じゃない。命懸けの危険なビジネスだからね。裕福な人間がグローブを嵌めるなんてのはジョークさ」

(by マーベラス・マービン・ハグラー)

林 壮一 (2006). マイノリティーの拳:世界チャンピオンの光と闇 新潮社 p.208.

プラシーボの意味

 プラシーボ(placebo)という用語は,「私は喜ばせるでしょう」(この一句の含みは,「騙すことによって,私は喜ばせるでしょう」である)という意味の,死者を讃えるラテン語の晩禱の詩の翻訳をもとにして,19世紀に英語にとり込まれた。プラシーボ,および患者を幸福に保つために薬を処方するという医師たちの考え方には,医学の長い歴史がある。実際に,プラシーボを広範に研究したアーサー・シャピロとエイレン・シャピロという2人の医師は,「医療の歴史は最近まではおおむねプラシーボ効果の歴史であった」と述べている。この異論の多い仮説は,長年にわたって集められてきた民間薬のなかに有効な治療薬がたくさん見つかるのではないかという一部の人々の意見に公然と反対するものだ。しかしながら,シャピロたちによれば,太古の世界から伝えられてきた治療法には5000近くの薬が含まれるが,「ほとんどすべてがプラシーボで,ごく少数の例外も,可能性はあるが見込みの少ない憶測上のものにすぎない」と言う。
 実際に,科学的医学の時代以前には治療法の多くはプラシーボよりも悪く,瀉血,消毒していない針を用いた針治療,毒物,および不必要な外科手術など,明白に体に有害なものであった。医学はここ150年間に長足の進歩をとげ,病原菌が多くの病気を引き起こすという発見と,その後の生化学や遺伝学の発達をもたらしたが,20世紀に入ってもしばらくのあいだ,ほとんどの治療法はプラシーボでありつづけた。実際に,1950年という最近でさえ,『英国医学雑誌』の編者の言葉によれば,その当時に施された医療のおよそ40%はプラシーボとして用いられていたのである。

ロバート・アーリック 垂水雄二・阪本芳久(訳) (2007). 怪しい科学の見抜きかた:嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説 草思社 Pp.277-278

これも自己責任論か

 現代では「貧しいのは遺伝的に劣っているからだ」という“理論”はもはや受け入れられない。それなのにコシュランドは,「貧しいのは精神病のせいだ」という説をはばかることなく公言している。彼の理屈は,経済的困窮に苦しんだりホームレス生活をするはめになった人たちの問題の元凶を,まことしやかな医学用語を使って“本人の病気”のせいにしたり,本人のみに責任転嫁する“論理構造”をとっている。前者の態度を「医学万能主義(medicalization)」----または「医学的理由づけ」----といい,後者を「個人責任万能主義(individualization)」----または「医学的理由づけ」----という。本人の“生物学的体質”を諸悪の根源とみる態度は,昨今の人類遺伝学者たちが“社会問題”を“遺伝子のしわざ”とする傾向と同じものだ。だがこうした責任転嫁のしかたは,私たちにはすでにお馴染みの,ありふれた論法なのである。たとえば,発癌物質や空気汚染を放置しているせいで癌や肺疾患が蔓延し,タバコや酒を規制しないからタバコ関連疾患やアルコール中毒がはびこる。つまり社会的・環境的な不備が原因で特定の病気が蔓延していることは否定しようがないのに,医学者や政治家はそうした現実から目をそむけて,別の“元凶”探しに躍起になっているではないか。
 もちろん誰だって,自分や,自分の愛する人の健康を気づかって暮らしているわけだから,その意味で「健康」を「本人」の----つまり「個人」の----問題と考えるのは,ある程度は妥当であろう。けれども私たちの「健康」状態は,体内の“生物学的異常”によってばかり起こるものではない。生活環境や労働環境の“不備”で起こることも,また確実なのだ。劣悪な環境のなかで病気に罹る人がいる一方で,罹らない人もいるという事実を考えれば,患者本人の“罹病性”(特定疾患への遺伝的な罹りやすさ)が一定の役割を果たしている可能性は否定できない。だがそうした“遺伝的体質”は修正できないにしても,環境を改善して病気になる危険性を減らすのは政策的に可能なことである。


ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.176-177

健康と病気の境界

 「健康」と「病気」の間には絶対的な境界などない。つまりこの2つは連続した状態である。心身の“調子”は,“とても快調”な「健康」から,その正反対の“とても不調な”「病気」までの,さまざまな状態をとる。この間の連続線の,どこまでが「健康」でどこからが「病気」かとか,どれほど「病気」が進んだら“病気直しの専門家”に助けを求めるかとか,“病気直しの専門家”とはどのような種類の実践を行なっている人々を指すか----呪術医から大学病院の専門医までさまざま----などは,結局,それぞれの社会が依拠している文化や,医療にかかる経済的負担の大きさによって,さまざまに変わりうる。

ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.170

二足す二が四になると言える自由

 党は耳で得た証拠を拒否するように命じた。それは党の究極的な,最も基本的な命令であった。こぞって自分に反対する力の巨大なこと,党の知識人が討論で自分を簡単に論破できること,反論することはおろか理解さえできそうもない緻密な論理のことを思うだけでも気が滅入ってしまう。にもかかわらず,自分の方が正しいのだ!党こそ間違っていて自分の方が正しいのである。この明白なこと,馬鹿げたことを,真実と共に守り通さなければならないのだ。自明の理は真理である。死守するのだ!実体のある世界は厳として存在し,その法則は不変のなものである。石は固く,水は濡れ,支えのない物体は地球の中心に向かって落下する・オブライエンに語りかけるようなつもりで,またもう1つの重要な原理を述べるような思いで,彼は書きとめたのであった。

 自由とは,二足す二が四になると言える自由だ。これが容認されるならば,その他のことはすべて容認される。

ジョージ・オーウェル 新庄哲夫(訳) (1972). 1984年 早川書房 p.104

二重思考

 ウィンストンは両腕をだらりと下げてゆっくりと肺臓に空気を満たした。心は“二重思考”の迷路に滑り込んでいった。知ること,そして知ってはいけないこと,完全な真実を意識していながら注意深く組み立てられた虚構を口にすること,相殺し合う2つの意見を同時に持ち,それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること,論理に反する論理を用いること,モラルを否定しながらモラルを主張すること,民主主義は存立し得ないと信じながら党こそ民主主義の擁護者だと信ずること,忘れ去る必要のあることはすべて忘れ,しかし必要とあれば再び記憶の中に蘇らせて再び即座に忘れ去ること,そしてなかでも,その同じ方法それ自体にも,この方法を適用するということ。それが窮極のなかなか微妙な点であった。まず意識的に無意識の状態を作り出し,しかる後にもう一度,いま行なったばかりの催眠的行為を無意識化するということであった。“二重思考”という言葉を理解するに当たっても二重思考を用いなければならなかった。


ジョージ・オーウェル 新庄哲夫(訳) (1972). 1984年 早川書房 p.48

物語は最初から始めるべき

 物語は最初から始めなければいけない。彼は,長く屈折した話の中で何度もそう繰り返した。話の途中から始めることはできないと。だが人々は,アリの話から始めたがる。もしくはオリンピックの話,あるいはマニラでの試合の話だ。世間とは,せっかちなものである。人々は,話を最初から聞きたがらない。物事の理解を深めるために時間をかけようとは,あまり思わない。「人は,自分たちがどこからやってきたかを理解しない」。そう,フレージャーは言う。「これは,つねに俺がマービスに向かって言うことだ。俺の映画を作るなら,物語はまず大昔にさかのぼらなきゃいけない。物語は,田舎の森の中から始まるんだ。学校を退学し,路上でケンカを繰り返し,田舎の森の賭博場に潜んだ時代にさかのぼる。それらは,ヒーローや世界の偉大な人物を語るには必要なもんなんだ。みんな,最初から一足飛びに飛躍したがる。それは,子供たちを立派な男や女に導くためには正しくない。まずは,どこから来たのかをはっきりさせなきゃならないんだ。物事の途中から始めるべきじゃない。いつだって最初にあるんだ。物事を見極めようとするなら,そいつはいつだって最初にあるんだ」。

スティーブン・ブラント 三室毅彦(訳) (2004). 対角線上のモハメド・アリ MCプレス Pp.132-133 (by ジョー・フレージャー)

武士の定義

 武士の暫定的な定義は,3点からなる。
 まず第1に,それは戦闘を本来の業とする者である。刀を差し,鎧かぶとを常備しているという武士の見た目の特徴がこれにあたる。本来の業とするというのは,たとえば追いつめられた農民が武器を手にするのとは違うということである。武士は,普段の日常生活そのものが,根本的に戦いを原理にしている人々だということである。
 第2に,武士は,妻子家族を含めた独特の団体を形成して生活するということである。武士が武士として立っていくということは,背負うもの,守るべきもの,あるいは支え合うものとしての人間の共同が不可欠のものとしてあるということだ。一族郎党,主従関係,譜代,御家など,武士特有の人間共同のあり方は,ここを母体としている。
 そして第3に,武士は,私有の領地の維持・拡大を生活の基盤とし,かつ目的とする存在だということである。そしていうまでもなく,所領を維持・拡大する力は,第1点の武力を行使する戦闘にあるということになる。
 以上3つをまとめれば,武士とは,武力によって所領を維持・拡大し,そのことで妻子一族を養う存在ということになろう。妻子とともに食べて寝て着るという普通の人間生活を,己の武力によって支え営む者,それが武士の基本イメージである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.33-34

「武士道」と「士道」

 武士道とは,第一義に戦闘者の思想である。したがってそれは,新渡戸をはじめとする明治武士道の説く「高貴な」忠心愛国道徳とは,途方もなく異質なものである。
 とはいえ,武士道が全く道徳と相いれない暴力的思想であるわけではない。武士道ももちろん,ある種の道徳を含み持っている。だがそれは,一般人の道徳とは大きく異なる道徳である。平和の民にはおよそ想像を超えた異様な道徳。それが,武士道の道徳なのである。
 武士道の道徳というと,多くの人が,忠孝,仁義といった儒教的徳目を思いうかべることだろう。忠孝仁義は,江戸時代の武士たちの世界で盛んに唱えられ,明治武士道もまた,忠義・忠孝を核心的概念として鼓吹している。武士道といえば忠孝仁義というのもまた,今日の通り相場になっているように見える。
 しかしながら,武士の道徳を儒教的概念体系で説明するようになったのは,長い武士の歴史の中の後ろ半分,徳川太平の世になってのことである。太平の世は,もはや殺伐たる戦闘者を必要としない。平和の秩序の中で,武士たちは,新たに,為政者として天下を統治することを求められるようになる。戦闘者(武士)から,為政者(士大夫)への転身が要請されたのである。
 為政者としての武士のあるべきあり方を説くために用いられたのが,儒教的な概念体系である。徳川体制の秩序は,儒教的道徳の実現(人倫の道)と重ねて説明され,統治を担う武士は,道を実現する士大夫に相当するものとみなされる。戦国乱世の戦闘者の思想「武士道」に対して,太平の世が新たに生み出した武士の思想。それが,儒教的な「士道」なのである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.20-21.

武士道概念を混乱させている原因

 「武士道」という言葉を聞いて,今日多くの人が思い浮かべるのは,新渡戸稲造の著書『武士道』(原題は“Bushido, the Soul of Japan”)であろう。学問的な研究者を除く一般の人々----とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家,政治家といった人たち----の持つ武士道イメージは,その大きな部分を新渡戸の著書に依っているように思われる。そして実はそのことこそが,今日における武士道概念の混乱を招いている,最も大きな原因の1つなのである。
 新渡戸『武士道』が,武士道概念を混乱させているとは,どういうことか。それは一言でいえば,新渡戸の語る武士道精神なるものが,武士の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。

菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.10-11

前向きに生きれば人生は向上するか

 「前向きに生きれば人生は向上する」という考え方は一見,正しい。しかし,少しでも人生経験があるならば,ことはそう単純ではないことも知っているはずだ。そもそも,それでは現在恵まれない生活をしている人は,「考えが後ろ向きだから」そうなっているとまで言えるのだろうか。


櫻井義秀 (2009). 霊と金:スピリチュアル・ビジネスの構造 新潮社 p.51

デジャヴュの多彩な呼ばれ方

 今日では既視感と呼ばれるようになった体験に,ディケンズは名前をつけなかったが,19世紀後半には20もの呼び名が考案された。フランスの文献では,「誤記憶」,「記憶錯誤」,「誤再認」という語句に現れているように,この体験は記憶の倒錯と結びつけられた。ドイツの医者や精神科医は,「知覚映像」,「二重知覚」,「二重像」という語に示されているように,とくに既視感の複製効果に関心を惹かれたようである。哲学者であり心理学者でもあるエビングハウスは,「かつてその場にいたことがあるという自覚」という語句を提唱したが,受け入れられなかった。1896年以降,科学者たちはフランス人の医師アルノーの見解に同意した。彼はパリ医学的心理学会での講演で,専門用語が説明に先行してはならない,ゆえに中立的な語句が望ましいと主張し,「既視感」という用語を提唱した。結局,この語が広く受け入れられることになったが,この静かな改革に抵抗して,「誤再認」という用語も長い間使われ続けた。

ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.191-192

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