I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

民間で

 一見してわかることは,スウェーデン女性の公的雇用の多さである。スウェーデンでは,所得を得ている女性の実に五割以上が,公的に雇用されているのである。「大きな政府」というと高い税率を思い浮かべる人が多いようだが,政府の規模が大きければ当然そこで働く人も多くなる,という当然の事実はなぜかああり注目されてこなかった。逆に日本では,男女とも公的雇用の割合は極めて小さく,ドイツ,アメリカ,スウェーデンと比べたとき,際立った特徴になっている。また日本以外の国では,男女別に見たときに女性のほうが公務員比率が高いのだが,日本はそうではない。他の国では,女性の活躍に公的雇用が大きく貢献しているのだが,日本ではそういった傾向がなく,女性は民間で活躍の場を模索してきたのである。
筒井淳也 (2015). 仕事と家族 中央公論新社 pp. 15-17

酒か逃げ出すか

 インディオと白人の混血で,インディオの人権運動の活動家エンリコ・ベラスケスと会ったときにこういわれた。


 「インディオが酒に溺れるとよく批判を浴びるが,もしあなたが500年後の世界に突然タイムスリップしたら,働き口をみつけて稼げるか,その社会に適応できるか。おかしな衣装や装飾品だとまわりからジロジロ見られるのに耐えられるか。むろんうまくできる人もいるだろうが,まったく適応できずに絶望の淵に立たされたら,あなたなら酒を選ぶか,それともこの世から逃げ出すか」



石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 230-231


野戦築城

 自衛隊が使っている「野戦築城」の訓練教本にも登場する,それによると,鉄条網の主な用法は「陣地鉄条網」「自衛鉄条網」「補足鉄条網」がある。陸上戦の「対人障害」の重要な一翼とされている。「陣地鉄条網」は,敵から見えにくいようにジグザグに張り,「自衛鉄条網」は施設をぐるりと取り巻くように張る。その外側にさらに補強する目的で設置するのが「補足鉄条網」である。



石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 93


グリッデン型鉄条網

 グリッデンは,長さ五センチほどのワイヤーの両側を斜めに切って鋭くしたトゲ(これをバーブ barbという)をワイヤーに固定する技術を確立した。バーブをワイヤーの上に等間隔でならべておき,コーヒー挽き器の原理を応用してワイヤーにバーブを二重に巻きつけて,バーブの先端が両側から1~2センチはみ出すようにした。


 だが,これだけではバーブがワイヤーにしっかり固定できないで,位置がずれてしまう欠点があった。そこで,バーブを巻きつけたワイヤーにもう1本のワイヤーを添えて,二本を撚り合わせることでバーブを固定することに成功した。量産できる機械も発明した。これが,今日の鉄条網製造の原型になった。今日でも「グリッデン型鉄条網」とよばれている。


 この利点は,二本を撚り合わせると強度が増して夏の猛暑でも緩みがでなかったことと,丈夫なために家畜が二度と破ろうとはしなくなったことだ。



石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 21-22


不採用理由が不明=自己否定

 日本の就職活動では。「何が採用の基準になっているのか」がはっきりしないため,不採用とされた学生はひたすら自分の内面を否定し続けることを求められます。象徴的な言葉が「自己分析」で,生まれた時からこれまでの態度,自分がどういう人間であるのか,こうした抽象的な次元で自分自身を否定し,企業にどうしたら受け入れてもらえるのか考え続けさせる,ある種の精神的な試行錯誤,自己変革が求められるというのです。


 ジョブ型社会であれば,具体的な職業能力がないために不採用になったのであれば,それを改善するために職業訓練を受けるという建設的な対応が可能ですが,メンバーシップ型社会的な全人格的評価で自己否定することを求められるということは,「自分が悪い」という一種のマインド・コントロールに若者を陥らせていくということでしかありません。こうして不採用の理由がわからないまま「自己分析」を繰り返させる「人間力」就活が,ブラック企業を生みだしはびこらせる土壌になっているという今野氏の指摘は鋭いものがあります。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 234


白紙の学生に即戦力を求める

 しかし,面接においてサークル活動をどれだけやったかを一生懸命説明しなければいけないということは,仕事の能力としての即戦力を要求しないということです。正社員が少なくなり責任や労働の質的・量的な負荷が高くなってきて,白紙の学生に即戦力を要求するというおかしなことが起こっているのです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 231-232


ブラック企業の背景

 しかし,ここが大変皮肉なところですが,そうしたベンチャー企業においても日本型雇用システムに特有の労働者を会社の「メンバー」と考え,経営者と同一視する思想はそのまま適用される結果,ベンチャー経営者にのみふさわしいはずの強い個人型ガンバリズムがそのまま彼ら労働者に投影されてしまうのです。拘束を正当化したはずの長期的な保障や滅私奉公を正当化したはずの「見返り」を,「会社人間」だ「社畜」だと批判して捨て去ったまま,「強い個人がバリバリ生きていくのは正しいことなんだ。それを君は社長とともにがんばって実行しているんだ。さあがんばろうよ」というイデオロギー的動機づけを作動させるかたちで,結果的に保障なきガンバリズムをもたらしたといえます。そしてこれが,保障なき「義務だけ正社員」や「やりがいだけ片思い正社員」といった様々なかたちで拡大していき,現在のブラック企業の典型的な姿になっているのです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 222-223


人間力

 そう,「いかなる職務をも遂行しうる潜在能力」であり,「人間力」です。そして,前述したように,90年代以降,「社員」の範囲が縮小していき,それまで「入口」段階ではそれほど決定的な重要性を持たなかった「人間力」が,それによって「社員」の世界に入れるか否かが決定されてしまう大きな存在として浮かび上がってくると,そういう「人間力」を身につけるための教育がキャリア教育として行われるということになっていきます。


 一言で言えば,就活の場で企業にいい印象を持ってもらうことができるためのスキルを身につける教育です。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 136


新規学卒者の採用

 そもそも,欧米では「企業に採用してもさしあたっては何の役にも立たないような,職業経験も知識も何も持たないような」新規学卒者を「もっぱら好んで採用しようとすることは,とても理解することができない」のに対して,日本では,新規学卒者がほとんど唯一の会社への入口となっていたために,少なくともある時期までは「自分の希望するところへ就職することは困難であるとしても,ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができるようになってい」ました。


 欧米では,学校を出たばかりのスキルもない若者は,欠員補充に応募しても経験豊富な中高年失業者にとられてしまい,仕事に就けずに失業するのが当たり前であるのに対して,日本では何の経験もスキルもない「まっさら」な人材であることがむしろ高く評価されて「社員」として「入社」できるのが当たり前であったのです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 108-109


自分の仕事と他人の仕事

 欧米の職場では,個々の労働者の仕事の内容,範囲,責任,権限などが「職務記述書」や「権限規程」という形で明確に定められています。ですから,同じ職場にいても,自分の仕事と他人の仕事の区別は明確です。他人の仕事をする義務はありませんし,する権利もありません。むしろ,他人の仕事に手を出したりしたらトラブルのもとです。


 ところが,日本の職場では,そのように個々人に排他的な形で仕事が割り振られているわけではありません。むしろ,個々の部署の業務全体が,人によって責任の濃淡をつけながらも,職場集団全体に帰属しているというのが普通の姿でしょう。自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されていないのです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 92-93


欠員補充方式

 欧米諸国の企業における人の採用のやり方の原則は,「必要なときに,必要な資格,能力,経験のある人を,必要な数だけ」採用するということにあります。それは日本の新卒定期採用方式に対して,欠員補充方式と呼ぶことができるでしょう。


 従って欧米の企業においては,学校卒業時に一斉に従業員の採用が行われるということは起こりえませんし,まして,卒業の以前から学校での勉強を放っておいて就職活動に奔走するというようなことはありえないのです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 40


人が中心

 すなわち,「仕事」をきちんと決めておいてそれに「人」を当てはめるというやり方の欧米諸国に対し,「人」を中心にして管理が行われ,「人」と「仕事」の結びつきはできるだけ自由に変えられるようにしておくのが日本の特徴だということです。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 35


効率的な使い方

 テロリストたちは長い時間をかけた討論の末に,自分たちの立場からして核爆弾の最も効率的な使い道は,影響力の行使だという結論に達するだろう――そうなってほしいと願っている。使える核兵器を保有することは,それを立証できるなら,国家の地位に何かを付け加えることになる。彼らが実際に爆発させずに立証することを願うばかりだ。軍事標的に向けて発射するぞと脅し,その脅しが成功したら使わずにおく方が,実際に使って破壊行為におよぶよりも効果的である。テロリストといえども,むやみに人を殺すより,主要国を釘付けにしておく方が得策だと考えるはずだ。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 304


一部の人々の負担

 中には,ごく一部の人が行動すれば最悪の事態を防げるケースがある。予想される過負荷がほんの数パーセントであれば,半数の人が自主的な節電を実行するだけで,停電は避けられるだろう。しかし残り半数が節電しないのはじつに腹立たしい。とりわけ不快なのは,他の人が節電しているから停電にはならないとすっかり安心し,本来なら多少は謹んだかもしれない電力の無駄遣いをとんと気にしなくなり,兵器で電気をつけっぱなしにしている連中だ。それでも,不快感の価値を過大視しない限り,節電に協力した半数にとってもよい取引になりうる。「フリーライダー」は節電協力者より利得は多いものの,節電協力者も,協力して電力消費量を減らしたおかげで利得を手にしている。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 149


個人の利益と社会の利益

 私たちが社会と呼んでいるものによる調整や誘導の多くは,個人が考える利益とより大きな全体の利益との不一致を解決するための,さまざまな制度的なしくみから成り立っている。その一部は,市場を介して行われる。所有権,契約,損害賠償訴訟,特許および著作権,約束手形,賃貸契約,多種多様な情報・通信システムがそうだ。また一部は,政府を通じて行われる。公共サービスに充当するための税,個人の権利の保護,気象台の運営(市場で取引可能な気象情報が存在しない場合),交通規制,ゴミのポイ捨てを禁じる法律,南行き車線から事故車を撤去する事故処理班,北行き車線で車を誘導する警察官などだ。組合,クラブ,居住区のように,すでにふるいにかけられた集団では,個人ではやる気にならないが集団としてはやった方がよいことを促すインセンティブ・システムを用意したり,規則を定めたりすることが可能だろう。また各自のモラルが市場や政府規制の代わりを果たし,見返りが約束されればいずれはやるかもしれないことを,良心からやらせることもある。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 145


社会的な変更の困難さ

 交通信号もサマータイムも,多くの社会的決定が持つ有無を言わさぬ説得力を備えている。度量衡,ネジのピッチ,10進法貨幣制度,右側通行も,個人がとやかく言えるようなものではない。いや政府にしても,たとえば国民を夏は何時に起床させるといったことは,かんたんには思い通りにはできない。時計技術はサマータイムをじつに容易にした。車のハンドルの位置をそろえ,道路標識を整備して,一斉に右側通行に切り替えるよりはるかに容易である。ネジのピッチが浸透する測度は,貨幣の流通速度よりずっと遅い。家具や設備に使われてきたメートル法に準拠しないネジがすっかり姿を消すまでには,まだあと何年もかかるだろう。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 138


どう責任を取ってくれるのか!

 さて,このように見てくると日本が安心社会から信頼社会に変わるためには,まずは「人を見たら泥棒と思え」と考える傾向から脱却し,「渡る世間に鬼はない」と考え,他者を信用していくことが必要だということが分かってくるわけですが,しかし,読者の中にはこうした結論に対して,異論を唱える方もきっとおられるのではないでしょうか。


 すなわち,「他人を信用しなさい」というのは道徳論としてはなるほど大切な話であるかもしれないが,世の中は「信じる者は救われる」というほど簡単なものではない。他者を気やすく信じた結果,もし相手に裏切られて酷い目にあったら,どう責任を取ってくれるのか!――というわけです。



山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.136


集団主義社会のメリット

 では,集団主義社会のメリットとは何か――それは社会のシステムが「安心」を保証してくれるということに他なりません。


 この「安心社会」のメカニズムがあるおかげで,日本人は相手から裏切られる心配をすることなく,経済活動に専心できた。だからこそ,他の国よりもずっとパフォーマンスのいい経営を行うことが可能になったというわけなのです。



山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.112


安心を保証する

 人々の結びつきの強い集団主義社会では,メンバーがおたがいを監視し,何かあったときに制裁を加えるメカニズムがしっかりと社会の中に作られています。つまり,このメカニズムこそがメンバーたちに「安心」を保証しているのであって,個々のメンバーは他の仲間たちを「信頼」しているわけではないということなのです。


 いや,もっと言えば,こうした社会においてはそもそも同じ社会の中で暮らしている相手を信頼するかどうか,考える必要すらありません。



山岸俊男 (2008). 日本の「安心」はなぜ,消えたのか:社会心理学から見た現代日本の問題点 集英社インターナショナル pp.104


原因が腫瘍なら

 2000年に起こった貪欲な性犯罪者の事例を考えてみよう。ある中年のアメリカ人男性は幸せな結婚生活を送っており,異常な性的嗜好もなかった。ところがほど一夜にして,売春婦と小児ポルノに興味を抱くようになった。妻がこれに気づき,男性が継娘にちょっかいを出しはじめたため,当局に通報した。男性は児童に対する性的虐待で有罪となり,リハビリを命じられた。ところがリハビリも彼を止められなかった。リハビリ先でも,相変わらずその施設の女性に性的な嫌がらせをしていたのだ。実刑は避けられないように思われた。


 彼はしばらく前からしつこい頭痛に悩まされていたのだが,それがいっそうひどくなっていた。判決の数時間前になってようやく病院に行くと,脳スキャンによって大きな腫瘍が発見された。腫瘍を切除すると,振る舞いは正常に戻った。話はこれで終わりかと思いきや,六ヶ月後,彼はまたしても不埒な行動をとりはじめた。再び医師の診察を受けると,最初の手術でとりきれなかった腫瘍の一部が大きくなっていたことがわかった。二度目の手術が完全に成功すると,常軌を逸した性的行動は即座に収まった。結局,男性は実刑を免れた。


 腫瘍は極端な例だ。こうした腫瘍のせいで彼の意思決定が極端に変わってしまったのだとすれば,行動の責任を問う者はほとんどいないだろう。だが神経科学者は将来,いまのところは「病気」「疾患」「異常」といった言葉でくくられていないその他の身体的原因を指摘するようになるだろう。彼らは「メアリーの万引きは,彼女の脳内の化学組成とシナプスによって説明できる」などと言うかもしれない。この弁明が,腫瘍を根拠とする弁明よりも理屈として説得力に欠ける理由ははっきりしない。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.213-214


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