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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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追い込まれた時

 平時ならば,頼まれてもいないことをするのは差し出がましいのではないか?押し付けがましいのではないか?という気持ちが先に立つものと思う。だが本当に追い込まれた人間は,助けての声が出なくなる。そして,「してほしいことある?」と聞かずに一方的にやってくれることが,ようやく助けての声を絞り出すためのプロセスになる。


 何より,暖かくありがたいのだ。



鈴木大介 (2016). 脳が壊れた 新潮社 pp.221


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音響ミラー

 イングランドの海岸周辺には,かなり遠くの音が探知できるように設計された音響ミラーが残存している。コンクリートでできた醜悪で巨大な椀型の装置が海に面して設置されていて,多くは直径が4~5メートルある。20世紀初頭に敵の飛行機に対する早期警報システムとして建造された。ほとんどが椀型だが,ケント州のデンジには壁型のものがあり,変色したコンクリートが大きな弧を描いている。これは高さが5メートル,横幅が60メートルで,2階建てバス5台を縦に並べたのと同じくらいだ。接近してくる飛行機のエンジン音が増幅できるように,水平方向と垂直方向に湾曲している。


 軍が実験したところ,この巨大な帯状の装置は32キロ離れたところにいる飛行機を探知することができた。これは敵機が英仏海峡を3分の1ほど渡り終えたあたりだ。しかし気象条件が悪いと敵機が10キロ以内に接近するまで探知できない場合もあり,エンジン音がもっと静かな飛行機については聴取するのに苦労した。条件のよい日でも,ほんの10分ほど早く警報が出せるだけだった。1937年に実用的なレーダーシステムが開発されると,各地に音響ミラーを設置して広い範囲を網羅しようという計画は中止された。



トレヴァー・コックス 田沢恭子(訳) (2016). 世界の不思議な音 白揚社 pp.168


蛍光灯の光

 それよりもはるかに不思議に思われるのは,日本人もまた,蛍光灯の青白い光を我慢していることだ。私は頻繁に東京を訪れているが,招待された個人の住宅でも,たいていの場合,天井灯には大量生産の蛍光灯が使われている。あるとき,立派な日本料理店で食事をする機会があった。私の舌には,今もその味の記憶が刻まれている。そして目もまた,忘れていない……。店の青白い光が,10年前に利用した街のコインランドリーを思い出させたからだ。日本の友人たちに心からの敬意を表しながらも,西洋人的な私の好みから言わせていただくと,東京で最も素晴らしいと感じる光は,国際的な高級ホテルの中である。



ジャン=ガブリエル・コース 吉田良子(訳) (2016). 色の力:消費行動から性的欲求まで,人を動かす色の使い方 CCCメディアハウス pp.155


粗野で美意識に反する行為

 つまり,1960年代前半の英国は階級意識が非常に強くて,はっきり口に出されることは少なかったが,ありとあらゆる面にそれが影を落としていた(10年後に《モンティ・パイソン》を作ったときには,こんな階級制度はすたれていくいっぽうで,いずれ消えてなくなると私たちは思い込んでいた。だが実際には,いまも根強く残っていて消える気配もない。このことからわかるように,当時の私たちはなにもわかっていなかったのだ)。金銭を例にとってみよう。60年代には,金銭は……まあその,下品なものだった。少なくともその話をするのは下品なことで,人目もはばからず大金を手に入れようとするのは,粗野で美意識に反する行為だった。友人のトニー・ジェイの簡潔な言葉を借りれば,「金を持っていることは下品ではない。下品なのは,いま金を手に入れつつあることなのだ」



ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.199


たわごと

 神経・精神科医のモーリス・ニコルは,あるとき聖書の文章について校長先生に質問したことがあるそうだが,先生の答えをしばらく聞いているうちに,この人は自分でも何を言っているかわかっていないのだと気がついたという。たった10歳でそこに気がつくとは,ニコルはすごいと思う。私はといえば,それがやっと腑に落ちるまでさらに45年かかった。この世には,自分がなにを言っているかわかっている人などほとんどいないのだ。セント・ピーターズの教師の誰かひとりでも,1949年に「これは忘れないようにしなさい。人の言うことの90パーセントは完全なたわごとなんだよ」と教えてくれていたら。そうしたら,私の知的進歩はどれだけ速まったかと思わずにはいられない。



ジョン・クリーズ 安原和見(訳) (2016). モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝― 早川書房 pp.89-90


信用できない社会

 一連の実験を通して,コスミデスとギーゲレンツァーは,人々がパズルを単なる論理の問題として扱っているのではないことを証明した。人々は,それを社会契約であるとみなし,裏切り者を探しているのである。人間の心理はあまり論理に向いているようではないと,二人は結論した。しかし,社会的取引の公正さと,社会的提案の誠実さを判断するにはよく適している。この世は,信用できないマキャベリ的社会なのだ。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.526


進化的見方と差別

 奇妙なことに,人類平等主義の哲学よりも,進化的な見方のほうが,差別撤廃を正当化するものである。女性は異なる能力というよりはむしろ,異なる野心をもっていると考えられるからである。男性の繁殖成功度は,幾世代にもわたって政治的な序列をのぼることに依存していた。女性がその種の成功を求める動機はほとんどなかった。女性の繁殖成功度は他の要因に依存していたからである。それゆえ進化的な見方をすると,女性はめったに政治階段を登ろうとはしないだろうと予測できる。しかし,女性が参加したらどれほどうまくやるかについては何も言っていない。トップにのぼりつめた女性の数が(多くの国で女性首相がいる),トップより下のランクに位置する女性の数と不釣り合いなのは,偶然ではないと私は考えている。イギリスでは女王の統治によって,王の統治でよりも卓越し堅実な歴史が作り出されていることも偶然ではあるまい。これらの証拠は,女性が平均すると男性よりも国を治める能力にわずかに優れていることを示している。また女性は,直観力,性格判断,自己崇拝の欠如といった女性的な特徴をこれらの仕事に持ち込んでいるという,フェミニストの主張を支持するものでもある。男性には羨むしかない特徴である。企業にしろ,福祉団体にしろ,政府にしろ,あらゆる組織が崩壊する元凶は,それらが,能力よりも狡猾な野心に報いるからである(巧みにトップにのぼる人間は必ずしもその仕事がいちばんできる人間とはかぎらない)。そしてそうした野心は女性よりも男性につきものなので,女性を重視して昇進を案配するのは,きわめて好ましいのである。偏見を是正するためではなく,人間の本性を正すために。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.418-419


走っても同じ地点

 赤の女王仮説は,世界をあくまで競争的とみている。世界は絶えず変化し続けている。しかしたった今,種は何世代も静止状態にあり,変化しないと言ったばかりではなかったか?そのとおり。赤の女王が言っているのは,いくら走ろうと,同じ地点にとどまっているということだ。世界は始まったところにつねに戻ってくるので,変化はあるが,それは進歩ではない。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.111


例外の国

 おおかたの経済学者は現在,人口の爆発よりもその崩壊の影響を心配している。出生率が非常に低い国では,労働力が急速に高齢化している。つまり,現役世代がどんどん減っていて,その貯蓄と税金を食う高齢者がどんどん増えているということだ。経済学者が懸念するのも無理はない。ただし,この世の終わりのように考えるのはまちがいだろう。何しろ,今日の70代は工作機械操作の仕事を続けろと言われたらあまりうれしくないだろうが,今日の40代が70代になったときには喜んでコンピューター操作の仕事を続けるに違いない。そしてここでも,合理的な楽観主義がある程度の安心をもたらす。最新の研究により,世界屈指の裕福な国々では繁栄が一定レベルに達すると出生率がわずかに上がるという,第二の人口転換が明らかになっている。たとえば,アメリカ合衆国の出生率は1976年ころに女性一人につき1.74人で底をうち,そのあと2.05人まで上がった。人間開発指数[訳注 国民の生活の質や発展の度合いを示す指標]が0.94を超える24カ国のうち18カ国で,出生率は上昇している。説明のつかない例外は日本や韓国などで,まだ下がり続けている。この新しい研究の共著者であるペンシルヴェニア大学のハンス・ピーター・コーラーは,このような国々は豊かになる過程で,女性がワークライフ・バランスを実現できる状況を整えられていないのだと考えている。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.326-327


世界中で出生率は低下

 しかしこの三カ国だけではない。出生率は世界中で低下している。1960年より出生率が上がっている国は皆無で,発展途上国全体で出生率はおよそ半分になっている。国連は2002年まで,将来の世界の人口密度を推定するにあたって,ほとんどの国の出生率は女性一人につき子ども2.1人を下回ることはないと仮定していた。これは「人口置換水準」,つまり1人の女性が自分と夫の代わりになる赤ん坊を産むとしたうえで,小児期の死亡やわずかに男性が多い性比を補うために0.1人を加えた数値だ。しかし産まれる赤ん坊がひたすら減り,2.1人よりもさらに減り続ける国がどんどん増えていることが明らかになったため,2002年,国連はこの前提を変更した。どちらかと言えば,核家族化の影響が相まって,出生率減少は加速している。今や世界の半分は出生率が2.1人より低い。スリランカの出生率は1.9人で,すでに置換水準を十分下回っている。ロシアの人口も急激に減少していて,2050年にはピークだった1990年代前半の3分の1以下になるだろう。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.317


自由や幸福は繁栄や交易とともにある

 過去二世紀にから得られる教訓は,自由や幸福は,繁栄や交易と手に手を組んで進むものだということだ。今日,軍事クーデターによって自由を失い,独裁者の支配下に入る国はたいてい,その時点で,平均すると年率1.4パーセントの割合で一人あたりの所得の下落を経験している。二つの世界大戦のあいだにソビエト連邦とドイツと日本が独裁国家になったときにも,一人あたりの所得の下落がその一因だったのによく似ている。歴史の大きな謎の一つは,なぜ1930年代のアメリカではそうならなかったかだ。アメリカでは1930年代の深刻な経済的ショックのあいだも,全体とすれば社会的な多元性や寛容さが失われなかったばかりか勢いを得たほどだ。いや,アメリカも危ないところまで行ったのかもしれない。カフリン神父はそちらの方向にアメリカを導こうとしたし,もしルーズヴェルトがもっと野心的だったり,憲法がもっと脆弱だったりしたら,ニューディール政策がどこに行き着いたか知れたものではない。民主主義がしっかり根づいている国もあり,そういう国では民主的な価値観が生き延びられたのかもしれない。今日,民主主義が成長に必要かどうかが盛んに議論されている。中国は,それが不要であることを実証しているようにみえる。だが,成長率がゼロになれば,中国でさらなる革命あるいは弾圧が起きるだろうことに疑問の余地はない。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.179-180


貧しいとはどういうことか

 つまり,貧しいとはこういうことだ。自分の必要とするサービスを買えるだけの値段で自分の時間を売れなければ貧しく,必要とするサービスだけでなく望むサービスまで手に入れる余裕があれば豊かだと言える。これまでずっと,繁栄や成長は,自給自足から相互依存への移行と同義だった。それは家族を,骨が折れて時間がかかる多様な生産の単位から,専門化した生産の爆発的増加によってまかなわれる楽で速くて多様な消費の単位へと変えることなのだ。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.78


合理的な楽観主義

 このように新しいアイデアが生み出されていけば,人間の経済成長は持続しうる。現在の危機の1,2年後には世界は成長を再開するかもしれないし,失われた10年を経験する国もあるかもしれない。1930年代に起きたように,世界の一部は,経済的自給自足政策や暴力によって動乱状態になり,恐慌が大きな戦争につながるかもしれない。だが,どこかで誰かが他人のニーズを前よりうまく満たす方法を見つけ出すように動機づけられていれば,合理的な楽観主義者は人間の暮らしの改善がいずれ再開すると結論せざるをえない。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.64


人種的憎悪

 合衆国は比較的平等主義的な国家なので,戦時中に民族的・人種的憎悪を国民の心に深く植えつけるのは,他国にくらべていささかむずかしい。だが対日戦では,敵があまりに異質だったために文化的距離を有効に導入することができた(パールハーバーの<復讐>だったので,倫理的距離という強力なバックアップもあった)。ストウファーの研究によれば,第二次大戦中のアメリカ兵の44パーセントは「ぜひ日本兵を殺したい」と答えている。しかし,ドイツ兵についても同じように答えた者はわずか6パーセントだった。



デーヴ・グロスマン 安原和見(訳) (2004). 戦争における「人殺し」の心理学 筑摩書房 pp.271


UFO

 総じてコンタクティと自称する人たちは,高次の存在としての宇宙人たちと接触したとして”UFO教”とでもいうべきカルト的な世界を作り上げてきた。そのことが,UFOが怪しいものであるという印象を与える一因となってきたのだろう。


 それでも50年代のアメリカで,軍関係者を始め,一般の多くの人たちがUFOを目撃したと主張していたのは事実であり,それが何かの見間違えであったとしても,その不思議な体験について人々が戸惑っていたのは確かである。それはいったい何だったのだろうか?


 2つの世界大戦を経て,核戦争による人類滅亡の可能性さえも叫ばれていた米ソ冷戦下にあって,アメリカ空軍はUFO調査機関を置き,マスコミは宇宙人飛来の可能性や政府陰謀説を広め,そんな風潮に便乗するようにコンタクティたちがカルト的なムーブメントを起こしていた。そこには,米ソ核戦争への不安もあっただろう。また,新聞やテレビといったマスメディアが急速に発達する時代にあって,連日のUFOのニュースにアメリカ国民が大きく影響されてしまった部分はあっただろう。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.28-29


日本人は引っ越しが好きではない

ただし一つ問題はある。それは,そもそも日本人は引っ越しが大嫌いということである。まえがきでも少し述べたが,1人の人が人生の中で引っ越しをする回数のことを「生涯移動回数」と呼ぶ。これは,時代によって変わるし,今の現役世代が人生の間で何回転居をするかなど,本当のところはわかりやしない。ただし,それをある程度は予測することができる。それを数値化したのが「生涯移動回数」である。日本人の生涯移動回数は,平均で4回と5回の間ということになる。都市化が進んだ他の先進国の移動事情に比べると,驚くほど少ない数字である。アメリカ人であれば,この4倍くらいの数字になる。土地に根付いた暮らしが性に合っているのか,あたは住宅へのこだわりが強いのか。理由はともかく,日本人は,移住しない民族なのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.127-128

東京23区内で人口が増える地域

さらに東京の中を個別に見ると,東京都の中でも人口は一様に増えているわけではないことがわかる。東京の中心部である23区内だけを見ても,人口の増減にはばらつきがある。1章でも述べたが,23区の中で人口増加率(平成27年1月現在の「東京の人口(推計)」)が高いのは,千代田区の5.1パーセント,中央区の3.9パーセント,港区の2.4パーセントと,中心に位置する3区である。つまり,東京一極集中の内訳を見てみると,東京内での中心部への一極集中が進んでいることがわかる。
 東京の周辺部はすでに人口減少段階に入りつつあるが,中心部はまだまだ人口増が予測されている。東京都の人口も,2020年をピークに,人口減少に突入するということが予測されているが,それを中心部3区(千代田,中央,港)で区切れば,これらの区は2030年までは,人口増が予測されている。
 東京一極集中は,実のところ東京内一極集中なのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.121-122

認知能力の二極化

「人間はインターネットによって愚かになったのか,それとも知性に磨きがかかっているのか」という問いに対しては,どちらも「イエス」と答えるしかない。インターネットはかつてないほど多くの学びの機会を提供してくれるし,面倒なことを省いてくれる。あらゆることに理解を深めたいと願う人にとっても,努力せずにすめば幸いだと思う人にとっても有益だ。グーテンベルク聖書をじっくり見ることも,コクテンフグの生態を知ることも,紙クリップの発明者を調べることも,望みさえすればインターネットで実現できる。フランス語や美術史の講義を受け,どんなに地味な分野でも関心を共有するコミュニティを探して参加することができる。
 しかし,そこに好奇心が伴っていなければ——もしくは私たちの多くがそうであるように少しばかり怠惰なら——インターネットは猫の写真を楽しんだり,見知らぬ他人と言い争いをしたりするのに使われるだけになる。本当ならじっくりと考え,結論を導き出し,その過程で多くのことを吸収できるような課題でも,インターネットを使えばあっという間に片づけられる。そのせいで,深く問いかけることでしか発揮されない潜在的な能力は阻害されてしまう。好奇心をアウトソーシングするなら,人々はいつの間にか好奇心を発揮する方法を忘れてしまうだろう。
 私たちが直面している事態は知的レベルの低下ではなく,認知能力の二極化だ——好奇心を発揮する人と,そうでない人の格差が生まれている。意欲的に知的冒険に踏み出す人々は,過去に例をみないほど多くの機会を得るだろう。他人から投げかけられた疑問に手早く応答するだけで満足する人々は,自ら問いを発する習慣を失うか,そもそもそんな習慣を身につけることもないまま一生を終えるのだろう。作家のケヴィン・ドラムは容赦なく言う。「インターネットは賢い人間をさらに賢くし,間抜けをさらに間抜けにする」

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.151-152

白黒はっきり

映画のすばらしい点の1つは,勧善懲悪に代表されるように,白黒がはっきりしていることだ。たとえばスターウォーズ・シリーズでは,ルーク・スカイウォーカーは白い衣装を,ダース・ベイダーは黒い衣装を身に着けている。そして私たちも,こうした思考に走りやすい。善か悪か,天国か地獄か,正直か嘘か,効率的か非効率か,といった具合である。
 だがこのような思考法は,複雑な現実を過度に単純化しがちだ。単純化してしまえば,誤った確信が持てるので心地よいかもしれないが,何事も白黒をはっきりさせようとする姿勢で臨んでいたのでは,現実の複雑な世界の問題に取り組むのは一段とむずかしくなってしまう。ざっと見回しただけでも,有害な食事療法からガンの過剰治療にいたるまで,過渡の単純化に起因する危険性を指摘した文献には事欠かない。意思決定に関する研究では,高い地位の人間ほど複雑な思考法をすることがあきらかにされたが,このことは,複雑な問題に取り組むときには高度な評価・分析手法が役に立つことを示唆している。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.

VUCAワールド

これは軍事戦略に関する文書だったが,私たちがイメージする現在の世界とそれが抱えている問題に,ぴったり一致している。私たちはスピード,分析,対処せねばならないような不確実性の排除を必要とした「問題の世界」から,忍耐,理解,不確実さをもって取り組むことが必要な「ジレンマの世界」へ移行しつつある。この新しい世界が必要としているのは,謙虚さと新たなアプローチなのだ。
 この新しい世界はVUCAワールドと言われているが,これは次の頭文字をとったものだ。

 Volatility (変動性)
 Uncertainty (不確実性)
 Complexity (複雑性)
 Ambiguity (あいまい性)

スティーヴン・マーフィ重松 坂井純子(訳) (2016). スタンフォード大学 マインドフルネス教室 講談社 pp.86-87

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